モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い
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前スレ
モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い?17 [無断転載禁止](c)2ch.net
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どうぞどうぞ好きなだけ
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>372-373
おれは残念ながら詳細な違いを聞き分けてる人じゃない
詳細な違いを聞き分けてる好きな人にきいたらいいんじゃないの なんだこいつキモチワリィナ
オタクってこういうやつ多いよね >>374
ならば津辺を貼りまくるレスの意図が不明
ひたすらスレチなんだよ >>376
意図は>>370だよ まあ手助けしてあげてもできないという人にはできないんだろうという予想もある 違いを聞き分ける必要のある人手助けをして欲しい人っているの?此処に >>378
【最大の】モーツアルト(笑)ActU【過大評価】 [転載禁止](c)2ch.net
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こんな煽り丸出しの糞スレじゃなくて似た曲を貼りまくるスレを立てて出て行けばよい
月一でリンク貼って誘導しにくるくらいならそれほど目くじら立てられないんじゃね モツは天上の音楽を書き続けたし
ベトはこの世の苦悩を追究した
どちらも天才だろうが、一番好きなのは両方併せ持つシューベルト やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 「モツは天上の音楽」とは、これ如何に
意味も分からず妄想してるだけ
天上とは神の世界か?
神の世界に音楽があるのかないのか不明 考えるな 感じろ
それは月を指差すようなものだ
指を見てちゃ栄光はつかめないぞ >>384
例えで天上の音楽と言ってるんだろう
理屈じゃないんだよ >>386
モーツァルトの周辺の音楽も全部その理屈で否定してることをお忘れなく
>>368以降の流れも参考に モーツァルトの音楽は周辺の音楽と比べて特別優れていると主張するなら
周辺の音楽にない特徴を説明しないと誰も納得しないわな 優れているという主張はしない
してる人もいない
周辺を聞く必要も無い >>389
お前はつべの貼りっぱなしで何もしないから相手にされてないんだな
早く別スレ立てて出て行けよ構ってちゃん >>392
貼りっぱなしじゃないだろ
こうやってわざわざ相手してやってるのに無視してるのはお前らのほうだし >>380建ててたあたりの頭悪い構ってちゃん本性丸出し >>380建てたのとは別人だけどまあそういう決めつけはクラシック板の文化ではある 過大評価スレ建てたのは100パー別人だからな 本人だと主張するなら証拠出せよ 出るわけないけど >>382が狭量すぎるのがいかんのじゃあない? つか
レトリックを否定するなら音楽評論の歴史すべてを否定
するわけになるわなw シューマン然り 天上の音楽なんて言わないで
純粋で美しい、心洗われる音楽って言ってくれよ 「天上の音楽」という隠喩に大真面目で噛み付いたベートーヴェン至上主義たち>>382、>>384、>>389 グレゴリオ・パニアグワの有名な古楽アルバムのタイトルに「臀上の音楽」というのがあるな
http://img05.shop-pro.jp/PA01112/217/product/63954810.jpg
この絵画は中世の早すぎたシュルレアリスム画家ヒエロニムス・ボスの有名な絵画の一部 おまいら若いもんは、モツだブルだシベだマラだなんて言ってるが
歳をとれば、ベートーベンが良くなってくる
おまいらは、まだ、青臭いんだよ ポーランド出身のピアノ奏者ミェチスワフ・ホルショフスキは、
九十数歳でのインタビューで、重要な作曲家は誰か?と問われ、
「1にバッハ、2にモーツアルト、3にベートーベンだ。」と答えた。
宮廷のものであった音楽は、ベートーベンを境にして、庶民も楽しめるものへと変わって行き、
主旋律の繰り返しの多いベートーヴェンの曲は庶民も口ずさみ易く人気を得た。
シェーンベルクは作曲法入門の中で、同じメロディを繰り返し使うことで記憶に残る
曲になると解いてます。 ミッシェルポルナエフか何だか知らんけどよ、
俺の方が正しいんだよ
お前ら、人の感想を引用しないで、自分の意見を書け 歳をとってから
ベートーヴェンが良くなるって
老化現象の一つじゃないかな?
同様に演歌が良くなっていくみたいな どっかのおやじが、英雄しかいらん言ってたけど、気持ちは分かる
どういう音楽が正攻法で、無駄な音がないか、お前ら、よく聞いてみろ 名だたる作曲家の言葉を集めようぜ
ベルリオーズ「バッハのフーガが流れてたら逃げ出すだろう」
シューベルト「ベートーヴェンはちと仰々しいところがある」
吉松隆「モーツァルトは佳作が多すぎてむしろ名作が少ない」 >>415
シューベルト「ベートーヴェンはちと仰々しいところがある」
ほんまかいな?
ベートーベンを尊敬し、心酔しているシューベルトが、そんなこと言うはずもない シューベルトはベートーヴェンを尊敬してるけど信者ではない
ベトの曲よりはモツの曲の方が好みらしい シューベルトの8番を聞いてみろ
ほぼほぼ、ベートーベンのコピペだよ
失敗作だけど(繰り返しがうざい) 8番ってどっちだっけ・・・
グレート?
あれはたしかに繰り返しがひどい >>418
ベートーヴェンのことを「最近の作曲家が変に奇抜な曲作るようになった原因」みたいに評してたこともあった気がする
まぁこれについては一概にベートーヴェンを批判してるとも言えないが
>>420
後期のピアノソナタもベートーヴェンの書法真似してるよね 個人的には未完成が好きだな、世界観が強くて
あれ、シューベルトオタには不評らしいけど シューベルトは、ホントは未完成交響曲が本音だと思う
だけど、ベートーベンの9番を聞いて感激して、俺もあんな曲書きたい
ということで8番を作った、で、見事に失敗しました
ナイーブで感傷的なのが、本来のシューベルトの姿だと思う
結婚式でロザムンデ序曲が流れたとき、ロマンチックで、結婚式にぴったりだと思った 両者とも、モダン楽器の演奏は聴きたくも無い
古楽器での演奏に限る >>424
ロザムンデ
どの部分が流れたんですか? ベートーヴェンの後の作曲家は
ベートーヴェンが提示した主題部を
延々と展開しているに過ぎないのだ >>426
ラーラララーラ、ララララーーー
ラーラララーラーラララララーーララ
っていうところ いや、間奏曲だべ
結婚式であの で〜んとくるのなんか
使えねーべよ 結局同じメロディを繰り返すポピュラーミュージックに一番影響を与えた。
覚えきれないメロディの氾濫するそれ以前の音楽は「古い」ということに
されてしまったわけだね。 クラシックって、繰り返しが多い曲多いけど
どうしてそうなるの?おせーーーて 先日、ベルリンフィルの首席オーボエ奏者がモツの協奏曲やってたけど
後期の寂寥感がほとんど感じられなかった
ザビーネ・マイヤーのバス・クラリネット?で聞くと、寂々として感服いたします 普通にオーボエ協奏曲ハ長調じゃないの モーツァルトのオーボエ協奏曲は1曲しかないはず
ちなみに後にモツ自身によりフルート協奏曲2番ニ長調として編曲してる 後期の寂寥感ってのがな
k.300番台前半てそんなに寂寥感あるか
モーツァルトのことはいざ知らず>>437は21歳でそんなに寂寥感のある人生だったのか…
てかそういうあたりの曲から僅かにでも感じられるなら寂寥感のある21歳を過ごせてよかったな!と申し上げておきたい
K.622をオーボエでやったのかと思ったぞ
あのイ長調始まりからしてどうなるのか想像も出来んが
原調で吹くのはキツそうだし移調するわ楽器は変わるわで曲調が損なわれたのかと思ったぜ モツのオーボエ協奏曲は終楽章のアインガングの部分にコミカルな楽句があり寂寥感とは一線を画している まさかの分秒表示…
しかも217小節目〜からだとすれば楽譜に指定のない奏者の裁量による装飾音付加なんですがね アインガングってそういうもんだろ 短いからカデンツァとは区別される > 奏者の裁量による装飾音付加
って言うが、割とこの音符の並びはメジャーですよ 個人的には少なくともこれ以外のは聞いたことない >>448
楽譜に書いてあるそのまんまでした コミカルな楽句はモーツァルトが書いてたんだね 最後にもう少し釣られておくけど
装飾音の無いままの楽句がコミカルというならクラリネット協奏曲あたりもコミカルと呼べそうな楽句はあるのでは
奏者が装飾音符を付け加え,それをあなたが「コミカル」と受け取ったというだけのこと
奏者が簡単に変えうる数小節を持って曲全体が寂寥感と一線を画すとまでは言えないでしょう
アインガングという人があえて分秒表示とか
別スレで分秒表示は聞き専といってた人と被りますな 実際のとここの辺の区別って難しいのよ
協奏曲でソロだけが活躍する部分は多くは当時「カプリッチョ(カプリース)」と書かれることが多かった
ロカテッリのヴァイオリン協奏曲が代表例
カプリッチョの最後の部分でカデンツァと書かれてるその部分だけ和音が一つ書かれてるだけでソロの音符が書かれてないのね ID:qnNTS12O0自らサンプルになることが目的でしょうに ロカテッリの代表的なヴァイオリン協奏曲の一つ
http://www.youtube.com/watch?v=HGuBCas2vf4
ソロ、カプリッチョはヴァイオリンソロが活躍する部分
カデンツァは和音のみで実際にヴァイオリンが奏する音は楽譜にはない >>454では
16分20秒あたり
カプリッチョの続きだけど最後の所がカデンツァと指定されヴァイオリンパートが何も書いてない
カデンツァが終わったらトゥッティという指定 モツのイントロあてが答えられるくらい
聴きこむのが目標でもあります 21歳の時なんですね、ものすごい早熟
寂寥感と書いたのは、第2楽章のアダージョの主題です
寂寥感という言い方がどうだったのか?
物悲しいというか切ないというか、日本流にいえば、わび・さびでしょうか K.314?
K.622?
オーボエで聞いたのはどっちなんだよ 俺はモーツァルトがロマンス派以降に生まれてたらどんな曲書いてたか聞いてみたかったわ
古典派の書法では和声も響きも単純すぎる・・・ 良くも悪くもモーツァルトの影響を受けた後世の作曲家には
少なからずモーツァルトの遺伝子が組み込まれているような気がする ⬆4回も連投して絶賛はいいんだけど
何を聴いてるの?
僕は今はヴァイオリンソナタ35番
グリュミオーで聴いているけど
モーツァルトも演奏者もいいね。
今日一日いい日でありますように。 「僕はハイドンの音楽もなかなか好きだ。形式の完備整頓、表現の清らかさという点では無類である。
併し、モオツァルトを聞いた後で、ハイドンを聞くと、個性の相違というものを感ずるより、何かしら大切なものが欠けた人間を感ずる。
外的な虚飾を平気で楽しんでいる空虚な人の好さと言ったものを感ずる。
この感じは恐らく正当ではあるまい。
だが、モオツァルトがそういう感じを僕に目覚ますという事は、間違いない事で、彼の音楽にはハイドンの繊細ささえ外的に聞こえる程の驚くべき繊細さが確かにある。
心が耳と化して聞き入らねば、ついて行けぬようなニュアンスの細やかさがある。
一と度この内的な感覚を呼び覚まされ、魂のゆらぐのを覚えた者は、もうモオツァルトを離れられぬ」(小林秀雄)
10代に小林秀雄を読み耽っていた頃、モーツアルトの音楽に日頃抱いていたあれやこれやの想いを一言で言い当てられ、感動した、これは、その文章の一つだ。
ベートーヴェンは精神に訴える音楽である。耳が酔うことはない。(無理を承知で1曲に絞れば)「朝比奈隆&大フィルの交響曲エロイカ2楽章(VDC-5528)」をその代表として、私は採る。
他方、モーツアルトは私の場合、(これも誤解を承知で言えば)ハーモニーに耳が酔う音楽であり、
ベートーヴェンの音楽がうったえる精神の、「さらに内奥にある、本能とは別の、自意識を超えた何かしら深いもの」に触れる、とでも言おうか、私にはそんな風に思える音楽なのだ。 そうですね、ベートーベンは人間の尊厳を歌った人間のための音楽
モーツァルトは、すごく楽しく聞けるけど、あなたのような深い解釈はできません
ハイドンは好きです、僕のハイドンに対するイメージは「合奏の喜びの発明者」です ベートーヴェン交響曲3番の第2楽章とポストホルンセレナードの後半の緩徐楽章が似ていると思いました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています