モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
名だたる作曲家の言葉を集めようぜ
ベルリオーズ「バッハのフーガが流れてたら逃げ出すだろう」
シューベルト「ベートーヴェンはちと仰々しいところがある」
吉松隆「モーツァルトは佳作が多すぎてむしろ名作が少ない」 >>415
シューベルト「ベートーヴェンはちと仰々しいところがある」
ほんまかいな?
ベートーベンを尊敬し、心酔しているシューベルトが、そんなこと言うはずもない シューベルトはベートーヴェンを尊敬してるけど信者ではない
ベトの曲よりはモツの曲の方が好みらしい シューベルトの8番を聞いてみろ
ほぼほぼ、ベートーベンのコピペだよ
失敗作だけど(繰り返しがうざい) 8番ってどっちだっけ・・・
グレート?
あれはたしかに繰り返しがひどい >>418
ベートーヴェンのことを「最近の作曲家が変に奇抜な曲作るようになった原因」みたいに評してたこともあった気がする
まぁこれについては一概にベートーヴェンを批判してるとも言えないが
>>420
後期のピアノソナタもベートーヴェンの書法真似してるよね 個人的には未完成が好きだな、世界観が強くて
あれ、シューベルトオタには不評らしいけど シューベルトは、ホントは未完成交響曲が本音だと思う
だけど、ベートーベンの9番を聞いて感激して、俺もあんな曲書きたい
ということで8番を作った、で、見事に失敗しました
ナイーブで感傷的なのが、本来のシューベルトの姿だと思う
結婚式でロザムンデ序曲が流れたとき、ロマンチックで、結婚式にぴったりだと思った 両者とも、モダン楽器の演奏は聴きたくも無い
古楽器での演奏に限る >>424
ロザムンデ
どの部分が流れたんですか? ベートーヴェンの後の作曲家は
ベートーヴェンが提示した主題部を
延々と展開しているに過ぎないのだ >>426
ラーラララーラ、ララララーーー
ラーラララーラーラララララーーララ
っていうところ いや、間奏曲だべ
結婚式であの で〜んとくるのなんか
使えねーべよ 結局同じメロディを繰り返すポピュラーミュージックに一番影響を与えた。
覚えきれないメロディの氾濫するそれ以前の音楽は「古い」ということに
されてしまったわけだね。 クラシックって、繰り返しが多い曲多いけど
どうしてそうなるの?おせーーーて 先日、ベルリンフィルの首席オーボエ奏者がモツの協奏曲やってたけど
後期の寂寥感がほとんど感じられなかった
ザビーネ・マイヤーのバス・クラリネット?で聞くと、寂々として感服いたします 普通にオーボエ協奏曲ハ長調じゃないの モーツァルトのオーボエ協奏曲は1曲しかないはず
ちなみに後にモツ自身によりフルート協奏曲2番ニ長調として編曲してる 後期の寂寥感ってのがな
k.300番台前半てそんなに寂寥感あるか
モーツァルトのことはいざ知らず>>437は21歳でそんなに寂寥感のある人生だったのか…
てかそういうあたりの曲から僅かにでも感じられるなら寂寥感のある21歳を過ごせてよかったな!と申し上げておきたい
K.622をオーボエでやったのかと思ったぞ
あのイ長調始まりからしてどうなるのか想像も出来んが
原調で吹くのはキツそうだし移調するわ楽器は変わるわで曲調が損なわれたのかと思ったぜ モツのオーボエ協奏曲は終楽章のアインガングの部分にコミカルな楽句があり寂寥感とは一線を画している まさかの分秒表示…
しかも217小節目〜からだとすれば楽譜に指定のない奏者の裁量による装飾音付加なんですがね アインガングってそういうもんだろ 短いからカデンツァとは区別される > 奏者の裁量による装飾音付加
って言うが、割とこの音符の並びはメジャーですよ 個人的には少なくともこれ以外のは聞いたことない >>448
楽譜に書いてあるそのまんまでした コミカルな楽句はモーツァルトが書いてたんだね 最後にもう少し釣られておくけど
装飾音の無いままの楽句がコミカルというならクラリネット協奏曲あたりもコミカルと呼べそうな楽句はあるのでは
奏者が装飾音符を付け加え,それをあなたが「コミカル」と受け取ったというだけのこと
奏者が簡単に変えうる数小節を持って曲全体が寂寥感と一線を画すとまでは言えないでしょう
アインガングという人があえて分秒表示とか
別スレで分秒表示は聞き専といってた人と被りますな 実際のとここの辺の区別って難しいのよ
協奏曲でソロだけが活躍する部分は多くは当時「カプリッチョ(カプリース)」と書かれることが多かった
ロカテッリのヴァイオリン協奏曲が代表例
カプリッチョの最後の部分でカデンツァと書かれてるその部分だけ和音が一つ書かれてるだけでソロの音符が書かれてないのね ID:qnNTS12O0自らサンプルになることが目的でしょうに ロカテッリの代表的なヴァイオリン協奏曲の一つ
http://www.youtube.com/watch?v=HGuBCas2vf4
ソロ、カプリッチョはヴァイオリンソロが活躍する部分
カデンツァは和音のみで実際にヴァイオリンが奏する音は楽譜にはない >>454では
16分20秒あたり
カプリッチョの続きだけど最後の所がカデンツァと指定されヴァイオリンパートが何も書いてない
カデンツァが終わったらトゥッティという指定 モツのイントロあてが答えられるくらい
聴きこむのが目標でもあります 21歳の時なんですね、ものすごい早熟
寂寥感と書いたのは、第2楽章のアダージョの主題です
寂寥感という言い方がどうだったのか?
物悲しいというか切ないというか、日本流にいえば、わび・さびでしょうか K.314?
K.622?
オーボエで聞いたのはどっちなんだよ 俺はモーツァルトがロマンス派以降に生まれてたらどんな曲書いてたか聞いてみたかったわ
古典派の書法では和声も響きも単純すぎる・・・ 良くも悪くもモーツァルトの影響を受けた後世の作曲家には
少なからずモーツァルトの遺伝子が組み込まれているような気がする ⬆4回も連投して絶賛はいいんだけど
何を聴いてるの?
僕は今はヴァイオリンソナタ35番
グリュミオーで聴いているけど
モーツァルトも演奏者もいいね。
今日一日いい日でありますように。 「僕はハイドンの音楽もなかなか好きだ。形式の完備整頓、表現の清らかさという点では無類である。
併し、モオツァルトを聞いた後で、ハイドンを聞くと、個性の相違というものを感ずるより、何かしら大切なものが欠けた人間を感ずる。
外的な虚飾を平気で楽しんでいる空虚な人の好さと言ったものを感ずる。
この感じは恐らく正当ではあるまい。
だが、モオツァルトがそういう感じを僕に目覚ますという事は、間違いない事で、彼の音楽にはハイドンの繊細ささえ外的に聞こえる程の驚くべき繊細さが確かにある。
心が耳と化して聞き入らねば、ついて行けぬようなニュアンスの細やかさがある。
一と度この内的な感覚を呼び覚まされ、魂のゆらぐのを覚えた者は、もうモオツァルトを離れられぬ」(小林秀雄)
10代に小林秀雄を読み耽っていた頃、モーツアルトの音楽に日頃抱いていたあれやこれやの想いを一言で言い当てられ、感動した、これは、その文章の一つだ。
ベートーヴェンは精神に訴える音楽である。耳が酔うことはない。(無理を承知で1曲に絞れば)「朝比奈隆&大フィルの交響曲エロイカ2楽章(VDC-5528)」をその代表として、私は採る。
他方、モーツアルトは私の場合、(これも誤解を承知で言えば)ハーモニーに耳が酔う音楽であり、
ベートーヴェンの音楽がうったえる精神の、「さらに内奥にある、本能とは別の、自意識を超えた何かしら深いもの」に触れる、とでも言おうか、私にはそんな風に思える音楽なのだ。 そうですね、ベートーベンは人間の尊厳を歌った人間のための音楽
モーツァルトは、すごく楽しく聞けるけど、あなたのような深い解釈はできません
ハイドンは好きです、僕のハイドンに対するイメージは「合奏の喜びの発明者」です ベートーヴェン交響曲3番の第2楽章とポストホルンセレナードの後半の緩徐楽章が似ていると思いました。 モーツァルト「バスティアンとバスティエンヌ」序曲とベートーヴェン交響曲第3番「英雄」第1楽章、主題が全く同じ >>470
昨日同様、モニターGoldで「モーツァルト ルチオシルラ序曲K.135」をリピートをかけて聴いている。
つい今しがた迄トレーニングセンターで汗を流していたが、この時間よりモーツァルトタイムである。
若書き(モーツァルト16才)の傑作だと私が信じて疑わないこの曲、8分33秒のこの序曲だが、3時間聴き続けても飽きることがない。
もうポストホルンセレナーデ終楽章と音楽の質/完成度は変わらぬ。
ポストホルンセレナーデ終楽章はモーツァルトが遺したプレストの最高傑作だ。これが私の感性である。 >>475
だが、モーツアルトプレストに耳が酔い、心が何処か遠い天空の彼方へと届くのは、生活者として、相当程度充実している時に限られるのも事実なのだ。
そう言う意味では、モーツアルトの音楽は、凹んでいる時には決して聴けない、ある意味、残酷な音楽なのかもしれない。
何と比べて?無論ベートーヴェンの音楽と比べて。
ベートーヴェンの音楽は、生活が充実しているも、凹んでいる時も、いずれの時も、いつも僕らに寄り添ってくれる。
私は充実している時にはエロイカ2楽章を、凹んでいる時にはヴァイオリン協奏曲2楽章を、それぞれリピートをかけて半日ほども聴いていることがある。
前者は上に書いた「朝比奈盤」で、後者は「メニューイン&フルトヴェングラー盤」か「チョン・キョンファ&テンシュテット盤」で。 エロイカ二楽章って葬送行進曲なんだけど、それをリピートしてるの? なんか、分かるなあ〜
俺は、凄く調子悪い時があって、這い上がろうとしていた時
運命をよく聞いた(クレンペラー・フィルハーモニア管)
淡々と歌っている中に力感があって、最終楽章の終わりを惜しむような
引き伸ばされたエンディング
今でも、クラシックの最高峰は運命だと思っている(ピアノソナタは別格として)
モーツァルトは、調子の良い時に何気なく聞いていた >>478
はい、2楽章です。凹んでいる時には葬送行進曲はキツいです。
また、葬送行進曲ですが、中間部は実にダイナミックで、まさにベートーヴェンしか書けない実に充実した音楽だと思うのです。
たまに、2楽章をリピートをかけ1時間ほど聴いた後、リピートを切り、3楽章→4楽章と最後まで聴くこともあります。
充実している時は、これか交響曲7番(SACD カルロス・クライバー&ウィーンフィルハーモニー盤)ですかね?
279さんのように(カップリングされている)交響曲5番から聴き出すこともあります。この2曲でリピートをかけて2〜3時間聴いていることがあるのは「5番の2楽章」ですかね。
>>479
私は凹んでいる時は専ら「ヴァイオリン協奏曲の2楽章」なんです。トゥッティがフォルテで演奏されるのは終結部だけですし、主に弦主体の音ですから弱った心への刺激も少ないからです。
凹み方々やや回復してきたら、ホロヴィッツのムーンライトソナタ(SACD)1楽章を、これまたリピートをかけて数時間後聴いております。
凹んだ心に寄り添ってくれるのだから、ベートーヴェンという人は、孤独だが、優しい心の持ち主だったはずです。 >>481
これまたリピートをかけて数時間後聴いております。 (×)
これまたリピートをかけて数時間ほど聴いております。(◯) 古典派の曲は、ピリオド楽器で弾くべき
イ・ムジチなんて論外
モダン・オーケストラなんか聴きたくもねえ いずれ頂点はモーツァルトといっても過言ではなかろう 簡単に言えば
モーツァルトはザギトワとかメド
ベートーヴェンは宮原 古今東西
モーツァルトとベートーヴェンの違いの例えは
無数にあれど
どちらのファンも納得するようなのってある? モーツァルトは佐々木小次郎
ベートーベンは宮本武蔵
モーツァルトは仲代達也
ベートーベンは三船敏郎
モーツァルトはプラトン
ベートーベンはソクラテス
モーツァルトは坂田英男
ベートーベンは藤沢秀幸
モーツァルトはゲーリー・プレーヤー
ベートーベンはジャック・ニクラス
モーツァルトはイエス・キリスト
ベートーベンはゴータマ・ブッダ
モーツァルトはジョン・マッケンロー
ベートーベンはビヨルン・ボルグ
モーツァルトはマツダ・ロードスター
ベートーベンはトヨタ・クラウン
モーツァルトはグッチ
ベートーベンはロレックス
モーツァルトはJBL
ベートーベンはタンノイ
モーツァルトは神童
ベートーベンは楽聖であり天才 最近練習していないからベートーベンはもう無理
モーツアルトをチマチマ弾いている >>488
せっかく書いてもらったけど
やっぱ
モーツァルトはモーツァルトでしかなく
ベートーヴェンはベートーヴェンでしかないんだね 聴いているけどモーツァルト賛美より
演奏者かな。
グリュミオーのヴァイオリンとハスキルのモーツァルト
いいなぁ。ちなみに今 34番ソナタの第2楽章 >>491
あなたが書けって言ったの?
言っておきながら、それはないでしょ
なんかコメントして頂戴 >>470
>心が耳と化して聞き入らねば、ついて行けぬようなニュアンスの細やかさがある。
一と度この内的な感覚を呼び覚まされ、魂のゆらぐのを覚えた者は、もうモオツァルトを離れられぬ
モーツァルトにそこまで感じるには、逆に相当の集中力を要して疲れないか
和声も旋律も単純すぎて相当に感性働かせて聞かないと、耳を素通りしてしまう
モーツァルトはもっと単純に楽しめばよいと思う >>494
BGMとしてかけるモーツァルトは、私の場合は、アイネクライネナハトムジークの「2楽章」だけです。
これはこれで大変心地の良いものです。 >>488
面白い試みだと思うけれど、
ベートーヴェンはアリストテレス
イエス・キリストとブッダは逆の方がよくないか
ベートーヴェンはやはりコナーズ。長く堅実にプレーした(ボルグは早くドロップアウトしたからね)
車の比喩はモーツアルト=ロードスターはあんまりじゃないか。
しかしあえてミニバンで、モーツアルトをオデッセイ、ベートーヴェンをアルファード、
はどうだろうか >>496
ありがと
あなたの対応に感謝します
「ベートーヴェンはアリストテレス 」は俺も考えたが
モツの対応が思いつかなかった 日本で「作曲家と言ったら誰を思い浮かべますか?」みたいなアンケートをとると、一位はベートーベンになり、「運命」のジャジャジャジャーンが頭の中で鳴ると思う。
日本以外だと、どうだろう? ドイツで困った時、
「ジャジャジャジャーン」
と言ったら見事に伝わったなぁ あたしはここに引退いたしますが、ベートーベンは永遠に不滅です モーツァルトは、モツ煮込み
ベートーベンは、手弁当
愛情の差で、ベートーベンの勝ち ふと思ったんだが、カラヤンのモーツァルト交響曲の演奏は、あまり評判よくない
もしも、カラヤンのモーツァルト交響曲演奏がベートーヴェンの交響曲と同じぐらい評判よかったら、日本でのモーツァルトの知名度やイメージはベートーヴェンと同等だったかも? カラヤン登場前の、明治・大正期の評判はどうなんでしょう 明治大正昭和期は情弱の評価ばかりなので今の時点で評価するにあたっての参考にならん カラヤンは日本で人気だったんだよな。
ソニーの盛田会長がCD開発するときカラヤンの
何番か忘れたがベートーヴェンの曲が入る大きさに
したという話しがある。
もう日本じゃクラシックと言えばベートーヴェン、カラヤンという
時代があったんだね。海外ではもっとマニアックに
指揮者も評価してたね。カラヤンの演奏は装飾的な演出が多い印象だったな。 〜カラヤンとデジタル〜
ソニーの大賀は、音楽家の立場から、この未来のディスクにはほとんどの音楽が切れ目なく録音されることを強く望んでいた。
録音時間に関して、フィリップスとのやり取りの中で、大賀自らが黒板の前で七十四分説を説いたのだ。
しかし、フィリップス陣は首を縦に振らない。やむなく大賀は、
「巨匠カラヤンもそう望んでいる」
と言ってのけた。
巨匠の名前は反対勢を説き伏せるには十分な効果を発揮した。
結果的にカラヤンが、いやその名前がソニーに味方したのだ。 モーツァルト聴き出してから、要所要所で心の琴線に触れる部分があって
「そういう感情よく分かる」という状態になれるんだけど。
ベートーヴェンの場合、そういう聴き方はできないで音の流れを楽しむ
だけになってしまうんだよな。心理的に共感しようとすると激しくなり過ぎて
「オレそんなに怒りに身をまかさないもんな」という気持ちになる。
なんかふつふつと怒りがこみ上げるような表現多いでしょ。
こういうの戦時で敵の事考えてる時なんかに高揚するかもな。
まあ反論欲しさの偏見だけどなw 興味深い、いったいどのベートーヴェンの曲聴いてそう思うの??前にも尋ねたけど返事ないまま同様の書き込みなんだよね。
是非教えて欲しい。
ベートーヴェンのロマンス1番なんて聴いたことある? モーツァルトの作品はどの曲もバランスがとれているが、ベートーヴェンは非常に両極端。
モーツァルトはいつ何時大体どの曲を流しても心地よいが、ベートーヴェンはその時の
気分で選曲させられる。 かつてのベルリンフィル支配人
シュトレーゼマンが述べていたが、
どんな作曲家と組合わせが合う作曲家は
ベートーヴェンだと。ベートーヴェンだけの作品揃えてもプログラムが組めるとも。
バランスが取れていないようで実はバランスが取れている作曲家でもある よっ、釣れたな。曲というより、話しの内容からアレグロの部分だと分かるはずだけど。
モーツァルトのアレグロには激しさの中に悲しさや苦悩の表情が聴き取れる。
ベートーヴェンにそれが無いとは言わないが、むしろ怒りににた感情を
感じとることが多いということだよ。 なんとなくということなのね。具体的曲がでてこないのは残念だけど? 確かにモーツァルトのピアノ協奏曲第24番、交響曲第40番は短調だけど哀愁や脆さや神秘性を感じるなぁ ベートーベンの音楽を怒りと感じたことはないな
「解決」「尊厳」「強い意志」「やすらぎ」という感じ 指揮者広上氏は モーツァルトは時に刃物で刺されるような怖さがあるとも話していたので
表面と奥深さを探究した、聴きかたも面白いかもしれないね。例えば交響曲40番2楽章を森林の中、鳥の囀ずるようなイメージした
人がいたと思えば、家の奥の日の入らない仏間の雰囲気と感じる人がいたように。 昨日、N響レジェンドでモツやってたけど、俺には、「だからどうした」って聞こえた
池辺先生が「41番には1番のモチーフが出てきて、面白いですね」って言ってた
どうもモツは、いつも同じような曲想に聞こえる、芸がねえんじゃねえのか 交響曲第41番が出たけど、まさにいろんな感情が読めるよね。
「解決」「尊厳」「強い意志」「やすらぎ」ってむしろモーツァルトだね。
いやもっといろんな感情が湧いてる。「消沈」「慰め」「落胆」「楽観」…
現代的な人間感情に近い。モツは敵に家族を殺されて悲しんで、敵を憎みみたいな
19世紀的つうかどっかの国的な感情ではないな。 モーツアルトは聞く人を選ぶ
わからない人は、どんなに聴き込んでも限界がある。
ベートーベンは万人向け。
聴き込めば聴き込むほど新たな発見がある。 モーツァルトは裸の王様のように思えるな。
天才というフィルターを通して見る大人はまともに物事を判断できず、
先入観のない子供だけが王様は裸だとそのままを指摘した。
今後は20世紀のモーツァルトの神格化に直接の影響を受けていない世代が多くなり、
新たなモーツァルト像を提示する事になりそうだ。 若いうちは
刹那で雑多な音楽をたくさん聴いたほうがいい
その方がモーツァルトに到達したときの
感動が一入というものだ 若いうちに聴く
>刹那で(イミフ)雑多な音楽
の幾つかはモーツァルトの曲だと思う まあいろんな思いがあるんだろうけど、「裸の王様」ってまで言うと
どうしてもベートーヴェンという気がするな。
新しいことをいくつもやりましたとか、新時代を作りましたとか
音楽室の格好のいい肖像画だとか、音楽に深く関わってない子供が
感化させそうな要素が満載。実際オレもベートーヴェンの肖像画の
下敷きもってて、すごい人なんだと思ってた。
モーツァルトはいろんな音楽聴いた後じゃないと好きになれない
地味さがあって、むしろ「王子とこじき」風な喩えが合ってる。 モツの交響曲は大したことないけど
オーボエやフルート協奏曲はなかなか良い
ピアノソナタも格調高い
しかし、なんとなく曲の在り様が似てるから、飽きられたんだろう >>535
ほう、ベートーヴェンに関して言えば、音楽そのものを聴いて感銘した後に諸々のエピソードを知った身としては正反対の見解だな。
しかし、その後にベートーヴェンは仮に耳が聞こえていても音楽の価値は揺るぎないという結論に達したよ。 >>530
アラウだったね、、
よく弾くけど、俺はなんと乱暴に弾いてたんだろ と猛省 >>537
そういう方がいらっしてもおかしくはないでしょうが、
ベートーヴェンは小中学校の音楽の時間なんかにエピソードを
聞いてる者は多いと思うし、メディアなんかで一番語られてる
話しだよね。個人的にはディズニーのアニメでも曲を聴いたし、
ラジオなどでも聴いてた記憶はある。なんか映画もあったような。
最初に音楽を聴かれたなら、まあ幼少期に音楽とは無縁だったの
かなっと勝手に想像してしまいます。 >>539
537だが、確かにクラシックを聴き始めたのは20代になってからだな。
勿論それまでにはテレビで流れた有名曲は耳にしていたが、エピソードの類は殆ど聞いたことがなかった。 ベートーヴェンを聴いてると眉間に皺がよってきて
紅茶を飲みながらゆっくりしたり談笑したりするには合わない
聴いてもらうから聴かせてやるへと
作曲家の地位が向上したんだろうな >>538
途中から聞いて、いい曲だなあって思った
交響曲くらいしか聞いたことなかったけど
ピアノソナタもいいなあ
一音一音がくっきり響いて、しかも音の流れが美しく聞こえる
アラウは、やっぱ巨匠 このスレも、No2はないな
なぜって、結論がほぼ見えてるからね >>546
このスレは実質No.18ですが >>1 18回もやってたんだ
もうそろそろ、結論出るんじゃないの どちらが凄いかと言えば、間違いなくベートーヴェンだが、
どちらが好きかと言えば、モーツァルトっていう人のが多い気がする 演奏者で大きく変わるね。
モーツァルト
最近ハスキルで協奏曲20番24番
聴きなれていたと思っていたが、
新たな魅力溢れる発見があった。
たからこんどはベト3を買う。 クラシックだけじゃなく音符だけなら結構つまらない音になる、
MIDIでならしてみるとモツもベトも結構つまらなくなる。
ベトの方が変化が大きい分、面白いかもしれない。音としては。 モーツァルトの方がいい。
帰ると、アレクサ、モーツァルトかけて
といってしまう。 こんどは、ジャズピアニスト
キース ジャレットのモーツァルトコンチェルト23番を買った。
第2楽章の即興カデンツはたまらないなぁ モーツァルトは奥が深い、
いまラローチャで27番コンチェルト聴いてる。
キースジャレットから始まってしまった。
グルダの23番もいいね 作曲家より、演奏家が問題
古典派は、古楽器でなきゃ駄目
ウイーンフィルより、コンツエンツス・ムジクス・ウイーンで
ベルリンフィルより、ベルリン古楽アカデミーで 最近、このスレ、伸びないな
書くことなくなったんだね
モツが飽きられるのと同じか・・運命共同体 聞き専スレで自演とか単発やってるよ
指揮者スレでage単発やってるのも同じやつ
バックハウススレや最強ピアニストスレにも粘着していた
ラファってのもそうなんだろうが 前に、「モーツァルトは恐ろしい音楽でもある」と書いた。
そこの処を今少し掘り下げてみたい。
ベートーヴェンの音楽は、心身ともに充実している時は、交響曲3番エロイカや交響曲7番辺りが、まるで此方の心の映し鏡の如く朗々と鳴るし、反対に凹んでいる時はヴァイオリン協奏曲2楽章がそっと寄り添ってくれる。
私に取って、ベートーヴェンはそんな音楽であり、耳を酔わせることは無いが、人生の辛苦を乗り越えてきた精神が書いた音楽とでも呼べば、あながち間違ってはいまい。
他方モーツァルトとなると事情はだいぶ異なる。
まず心身ともに充実している事が絶対条件であり、それだけでは足りぬ。
私も生身の人間であるから、気分の浮き沈みは当然ある。
沈んでいる時、私は、「モーツァルト特有の凶暴な美」と呼んでいるのだが、、この凶暴さに太刀打ち出来ないのだ。耳が酔うなんざ到底出来ぬ。
凶暴な美からは最も遠い音楽とも思えるクラリネット協奏曲2楽章でさえ、私の場合、相当の覚悟が無ければ聴こうとは思えぬ。
今日は心身ともに充実しており、気分も浮き浮き、まさに「ピアノ協奏曲22番」か「魔笛」日和なのだ。
心ゆくまで耳を酔わせてくれる。 一行目から「お前がそう思うんならそうなんだろうな」で始まるから最後まで読む気にならなかった 精神的にニュートラルにしてくれる
それがモーツァルトだね モーツァルト→才能:努力 100:0
ベートーベン→才能:努力 50:50 >>567
「ニュートラルな精神状態でないとモーツァルトは聴けない」
それが私です。
しかし、この喜怒哀楽を越えたニュートラルな精神状態というのが中々に難しい。
喜怒哀楽は広い意味で人間関係に起因する感情でしょうから、1年に何回訪れることやら? >>569
職場であれ家庭であれ、他人の感情は不条理な抗し難い力である場合が多い。
それを受け流し、「明日があるさ」と気持を切り替えられた時……
「ドンジョバンニ序曲/トゥッティによる最初の2音」が、なんと素晴らしく心に響き渡ることか!
孤独ではあるが、この瞬間があるから、私はモーツァルトを離れられずにいる。 >>569
まあ個人的な感想なのでしょうが、確かに社会生活の中で常に心安らかな生活は難しい。
でも私の場合音楽ではなく生活信条からそういう生きるマイナス要因は取り除いて
生きているので極限的な感情の起伏などとは無縁で生きてます。我慢しないから
イヤな会社はさっさと辞めて次のチャンスにチャレンジして、まあ巧く生きているので、
絶望だの希望だのと大袈裟な感情には至りません。仮に死に直面しても諦めと慰めを
巧くコントロールできる自信はあります。ですから大袈裟に悲観に浸るような
ベートーヴェンの曲には馴染めないということですね。 ベートーベンはいくら聞いても飽きない真実の作品
モーツァルトは、お気楽ソング >>573
飽きる飽きないは聴き手の問題だから、君の場合はそうなのかとしか言いようがない。
まあオレの場合はベトは子供の頃から食わされてたニンジンみたいに、
いくつになってもそれほど好きになれない味みたいなものだね。 食べ物に例えるのは難しいけど
「食材を厳選した肉じゃが」か「ドイツ伝統の、ちょっと硬めのクッキー」てな感じか ベートーベンは聴く側にもそれなりの姿勢を求められる
音楽というより演説
モーツァルトは自然体でいい。 >>576
食材を厳選した肉じゃが、どんな感じですか
すごく高い牛肉やイベリコ豚を使って肉じゃが作るの?
淡路島の玉ねぎや北海道産のじゃがいも、
水じゃなくてお出汁も使うんだろうか?
そうするとモーツアルトのイメージになるんですか? ベートーベンのイメージです
モーツァルトは、後で考えます 整いました!
モーツァルトは、「ちょっと甘さ控えめのミルフィーユ」 ベートーヴェンの後期の曲って初聴では絶対に良さが分からないスルメ曲しかないよな
逆にモーツァルトは初聴でメロディ覚えるくらいキャッチーだが、聴けば聴くほど新たに感情を刺激する部分を開拓される
ベトとは違う意味でスルメっぽさがある スルメの味はすぐ分かるけどなあ
それに、モツはキャッチャーじゃなくて
ドッチか言うと、一番バッターだろ、イチローみたいな 柳の上に猫がいる
だから〜〜〜ネコ・ヤナギーーーーーー
お後がよろしいようで・・・・・・・・・・・・ モーツァルトって笑顔の裏側にある
悲しみ、ヒステリックさを知るとベートーヴェンのほうが素直で安心するところある。
ソナタ8番にしても、トルコマーチ付にしても
第2楽章にいきなり、影が来る。
ピアノ協奏曲20番の2楽章など著しいが、
いきなり、愛を語っていたらビンタされたような驚きとなる。24番の第2楽章は、いきなり泣き出しちゃうような。 20番の2楽章は劇的でかっこいいよな。ベートーヴェンもお気に入りで熱心に研究したらしいな。 裏を返せばベートーヴェン脳じゃないと理解できない曲だともいえるがそれがモーツァルトの真骨頂だろうか 最近ベートーヴェンのピアノソナタを始めから聴き始めたが、音楽の多彩さに圧倒されるよ。
意図的に違ったことをしてやろうと作為的な音楽では決してなく、湧き出る楽想がピアノの音で表現されている。
1番からして、いきなりこんな作品を創ってしまえるベートーヴェンさ本物の天才だな。 大作曲家に寄りかかって自分凄いアピールるするニワカ多すぎ
リヒテルの弟子を騙っているクズと同じだな >>589
聞き始めたって、ホントかな
ここまで言えるってことは、相当聞いてるような気がする
記述内容は、過不足なく、完全に妥当な記述 重めの掛け布団がベートーヴェン
高級羽毛掛け布団がモーツァルト 人間は本能的に重い=高級で、軽い=安物と思ってしまうらしい クラシック好きって、大概はベートーヴェンから入るという先入観はあるな。
ガキの時から親に聴かされてたとか楽器習ってて一番聴いたとか。
最近ベートーヴェンに目覚めたって、今まで何聴いてたのか気になる。
小学校の低学年から「だだだだーん」は言ってた覚えがあるし暮れになると喜びの歌だらけ。
ちょっと裕福な屋敷から聴こえたのは下手な「エリーゼのために」の練習音。
そんな感じだった。 >>593
ちょっと言葉足らずだったかな。
ソナタ全曲はすでに聴いた事はあったが、最近改めて一番から順番に聴き始めたってこと。
ちなみに聴いているのは児玉麻理の全集。 児玉麻理か
逆に、謎が深まった気がする
彼女を聞く前は、誰の演奏を聞いていたんだろう >>600
そんなに深い謎に見えるかね?
今まで聴いた演奏は、CDで思いつく限りではケンプ、ギレリス、ポリーニ、グルダ、アラウ、ゲルバー、最近のピアニストではレヴィットとか。 モーツァルトの長調曲の始まりから底抜けの明るさや軽さで聴く気が失せてしまって最後までろくに聴かずに敬遠する人は意外と多いと思う。
最後まで聴いてみると新たな発見や感動があるかもしれないのに。
ベートーヴェンは出だしから人をがっちり引き付けるけど展開部でモーツァルトほど巧みな転調でハッとさせられるような感動はあまりないな。
しかし独創性、革新性はモーツァルトを上回っていると思う。時代のおかげかな。 というよりも、ハイドンのソナタを聴きまくった後にベートーヴェンのソナタ再び聴いたというのが大きい気がするな。
ベートーヴェンの初期はハイドンやモーツァルトの影響が強いとかステレオタイプの評価は全く当てにならず、ベートーヴェンのソナタの1番からして、当時では異質の音楽じゃないかと思えてくる。 こんだけ大家の演奏を聞いてきて
さらに、児玉麻理か
その心や、如何? >>602
シモン・ル・デュク (1740-1777)
交響曲第3番 変ホ長調
http://www.youtube.com/watch?v=C7_Lz3tCPpg
冒頭2分30秒までは平凡だけどその後の展開が凄い 冒頭は曲の顔
整形に長けているとも言えないだろうな カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフ (1739-1799)
交響曲 ハ長調 「バスティーユ襲撃」
http://www.youtube.com/watch?v=ymc99Gd7YY8
これも展開部が凄い例 提示部もなかなか凄いけど
この辺はモーツァルト死後だけど ↑ちなみに提示部の終わりは5分38秒あたり 提示部が結構長い 「なんちゃらかんちゃらだから、モーツァルト最高」
と、理由を付けて書け 難しい知識は無いけれど
他と違うことだけは感じる
いい意味で そうだよなあ
音楽を言葉で語ること自体が難しい
したがって、クラシック2チャンは終了すべき
感覚がみんな違うんだから、人の感情聞いても
ああそうかい程度にしかならん イメージとして同時代の似たメロディでも、他の作曲家は羅列してる印象があるけど、
モーツァルトの場合一つのパートの最後と次のパートがうまく重なっていて自然な
感じで繋がってゆくんだよな。紙をテーブルに並べて置くんじゃなくて、1/3ぐらい
づつ重ねて並べた感じ。それもその部分が特に美しかったりする。
ベトさんは色紙並べて派手だけど、「あっ次ドカーーンだよな」て分かるようで飽きる。 ハイドンの弦楽四重奏を聴いた後にモーツァルトの弦楽四重奏を聴くと、モーツァルトのどこが凄いのか本当に分からない。
ハイドンが凄すぎるだけかもしれんが。 超有名になったベートーヴェンが
モーツァルトについて語った記録とかは
ないんでしょうかね?
永遠の憧れ、見下す、忘れたみたいなとか
まあ在っても眉唾なんだろうけど 少なくとも
ベトファンがモーツァルトの音楽を悪く言うのを
ベートーヴェンは良しとしないと思うんだよね
本人同士を会わせたかったなぁ ベートーヴェンはハイドンに対しても晩年は敬意を払っていた
何だかんだでベートーヴェンの得意な曲種はほとんどハイドンが開拓したから >>617
ベトが死ぬ1年前に、ベトの曲が嫌いでモツ好きの修道院長に送った手紙が残っている
「私は自分を、モーツァルトの最大の賛美者の一人と考えており、
命ある限りそうであり続けるつもりです。」 モーツァルトの型破りは
ベートーヴェン以上にあったかと思う。
当然16才のベートーヴェンはモーツァルトに刺激は受けている。
第5symphonyはモーツァルトのピアノ協奏曲25番から明らかにヒント得ている 型破りはベートーヴェンでしょ
むしろ破るしか道は無かった
モーツァルトが型の内側を少しの隙間もなく
使いこなしたと言うか使い切ったって感じじゃないかな ベートーヴェンの第5交響曲の第3〜4楽章はおそらくハイドンの46番交響曲の第3〜4楽章をヒントにしてる >>623
いや、例えばピアノソナタイ長調
トルコマーチ付にしても、従来のソナタ形式にしなく、1楽章から変奏曲にしたり
2楽章は従来は変化付けるのに違う調にするところ第1楽章と同じイ長調にするなど型破りしているんだよ。ベートーヴェンはモーツァルトに刺激はうけたのは間違いない。第5のタタタターも確かにピアノ協奏曲25番第1楽章で現れている ハイドンのピアノソナタにも一楽章が変奏曲の曲があったし、1〜2楽章が同一調ってのもあったと思った。 Haydn: Baryton Trios Nos. 45, 97, 109, 113
http://www.youtube.com/playlist?list=PLpo82UhhFa3mZrCbMzbqDuzSh4p3ZwvMX
こういう落ち着いてても聴きごたえある室内楽はハイドンの特徴 ハイドンの交響曲49番ヘ短調は4つの楽章すべてヘ短調という当時としては極めて珍しい曲
http://www.youtube.com/watch?v=OvZrxSPzSJM ベートーヴェンの第5に関しては、ハイドンの弦楽四重奏50-4に影響を受けていると言われる方が納得できる。 ヴァンハルは、モーツァルトがハイドンらと共に弦楽四重奏を組んだ仲だからね モーツァルトファンなら知らない人はいない モーツァルトの周辺の作曲家も聴かないとモーツァルトの特徴を把握することはできない それは音楽史や考古学その他の学問に興味のある方々でどうぞどうぞ
似てる似てる引用パクリばかり言ってた人の感じる特徴って何? いやまだ特徴を把握する途中なのよ どの辺なんだろうね ということで納得できる回答がないので、「似てる似てる引用パクリ」は今後も続けると思う
仕事があるのでお休みなさい 日本語ができないのと煽りの手法が古いのとモーツァルトの曲を記憶できないのは気の毒 まだまだ道の途中だけれど
モーツァルトの音楽に触れる事ができて
感謝しかない
当たり前じゃないよね ホント >>642
納得って
>>639がポカーンなんだが ドヴォルザークの新世界よりを
小澤征爾指揮サンフランシスコ響で聴いていたら過去へのノスタルジックにはまってしまい感傷的になってしまった。
聴き終えてグリュミオーのヴァイオリンで
モーツァルトのソナタ40番に変えたら現実にもどしてもらえた。モーツァルトは「今」であり、未来でもあることを改めて感じる。 名盤って言われるものは
やっぱ名盤なんだね
通ぶって遠ざけるのは損だね 逆に名盤以外のマイナーCDにも超名演が存在している事を
知った今、名盤というのは「評論家が褒めているCD」というだけ
で、それ以上でもそれ以下でもないと気付いた。 協奏曲は、モーツァルトの勝ち
小山さんの20番聞いた、素晴らしい演奏 モツのピアノソナタ聞きたいんだけど
あんまりCD出てないね >>653
そうだなぁ
ヴァイオリンソナタもあんまないね。
ても少ないながらも名演は多い ヴァイオリンソナタは総じてモツのほうが面白いけどキラーナンバーが無い
ピアノソナタは逆にベトのほうが圧倒的だがトルコマーチに匹敵するキャッチーなのはないのでまぁ引き分けじゃないですかね 月光ソナタとスプリングソナタという、キャッチーな曲「も」書けるベートーヴェン。 モツ派だけどベートーヴェンのクロイツェルソナタは好きだな。
何回聴いてもシビれる。 日立の洗濯機は今でもモーツァルトのピアノソナタなのかな
Hitachi Beat Wash Sounds
http://www.youtube.com/watch?v=yMzWKG823Nw
It seems Hitachi likes Mozart... モーツァルトのピアノソナタ敬遠してたけど
FMでアラウの8番聞いて、素敵だと思った でもダウンロードするよか、中古でCD 買ってPC におとしたり、SD にいれたほうが安いね。 モーツァルトは音楽の黄金比を
生まれながらにして持っていた
と思う モーツァルトって大した努力もしてない天才だと思ってるやついるけど、
結構過去の作曲家の曲とか研究してたらしいぞ かなり幼い頃からやってたってことで多聴で楽譜も多読だったとは思う。
将棋の天才少年や野球の天才と同じだね、幼い頃から三度のメシより好きで
そればっかやってた印象。ベトは親が熱心だったが当人は他をやりたかったタイプ。
まあ成長してから好きになったが、必死で猛勉強しても追い付けないと悩んだ。 兄弟の多さはどちらも双璧だな
ただし、夭折しまくりだけど モーツァルトの管弦の書法はクリスチャン・バッハにかなり影響受けてるよね モーツァルトのピアノ協奏曲は17番〜19番
が素朴でいいね。20番の第2楽章のような
突然のヒステリックさもないし。
ただ18番第2楽章のうねりは風が急に吹いてくる劇的さはかっこいい。 天才モーツァルトの頭の中に流れていた
音楽を聴くことができるなんて奇跡だと思う >>673
ひステリックはモーツァルトのほうが上だよ。
ベートーヴェンのほうが大人ww
モーツァルトはいきなりヒステリックになる。
前にも述べたが著しいのが、ピアノ協奏曲第20番の第2楽章で、いきなりビンタされた感じベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」第2楽章もモーツァルトに習ったような変調あるが、ヒステリックさはない。ヒステリックな兄貴
それを冷静に見つめる弟のような感じで二人ちがうからいいのでしょうね。今もモーツァルト
バイオリンソナタ42番聴きながら至福の一時。 ピアノ協奏曲第20番の第2楽章がヒステリックというのは同意できないな。
穏やかで達観でもしたような出だしから葛藤するような中盤へそしてまた
穏やかさへ戻って行く、この流れが現代人にも共感する感情表現だと思う。
ベトの場合は打楽器まで使った高鳴り方がヒステリックに感じるというのは
よく分かるよ。 ヒステリックとは感情統制できない。
そういう観点からベートーヴェンは計算されているので、ヒステリックさは感じない。フォルテに至るまで気配を示す。何か起こるぞって。
その点モーツァルトは無邪気なんでしょうね。 >>675
ところで高鳴り方が、とは
具体的にどの曲で感じますか?
興味深いので是非聞かせて頂けましたら >>675
ヒステリックという意味が日本語ではネガティブな印象を与えますが、
興奮状態という意味であれば、いわゆるクライマックスでの打楽器の
扱いについてでしょうか? あとは奏者の奏法によっての印象でしょう。 たぶんヒステリックって唐突な気分変換を表す言葉
唐突な気分変換はバロック音楽の典型的な特徴なのでそれを脱皮した時点で古典派ということなのかな バロック音楽の典型的な特徴と言ったのはバロックの前のルネサンス音楽ではそういう特徴がないということ たとえば結婚式のBGMをモーツァルトとベートーベンにお願いしたとして
モーツァルトはTPOをわきまえた粋な演奏をしてくれそう
ベートーベンはTPOを無視して どや顔で運命とか演奏しそう 時代による演奏家と聴衆の立場の違いが一番大きいのかな いつからだろう
一番耳に馴染む
やっぱモーツァルトだな >>681
運命しか知らないのかな。
ベートーヴェンならロマンス演奏するだろうね。 ヒステリーを最初に分析したのはフロイトだと思うが、
抑圧された状況からの解放願望みたいなもんだよな。
モーツァルトの場合、最大の抑圧は大司教だったみたいで
手紙にいつも「シネや」みたいなこと書いてたね。
だから決定的なストレスにはならず発散はできていた。
一方のベートヴェンは晩年の難聴が最大のストレスで
耳が聴こえないんじゃなく常にジージーという耳鳴り
に苦しんでいた。オレの意見ではないが、それが
彼のヒステリックな楽想に影響したという分析もある。
オレはあまり興味ないから、「ソースは?」などと
面倒な要望しないで自分で検索してねw 「彼のヒステリックな楽想」って
そんなふうに聞こえたこと、ないけどな
爆発してるようには聞こえることはある
でも、叫んでいるようには聞こえない 緊張と開放とは、人間に普遍的に存在しているダイナミクスであり、それを表現するのは別に不自然でもなく、作為的でもない。
ベートーヴェンの音楽が普遍的に聴こえるのはそういった理由も考えられる。 うーーーーーん、哲学的・・・・・・
今晩は、寝ないで考えてみるぞ クリスティアン・カンナビヒ (1731-1798)
カンタータ「モーツァルト追悼式」 (タイトル仮訳)
http://www.youtube.com/watch?v=uDMn7uyih34
ドン・ジョヴァンニからの引用とかあってちょっと面白い このスレの管理人の方って
どうも、モツのファンのような気がする
隠してもダメですよ、記録に色々残ってるじゃないですか
はっきり認めたうえで、議論しないと
国民の疑惑は深まるばかりですよ 常連=スレ管理人ではないよ こういう決めつけはこの板の悪い癖だ そーだそーだ
youtubeも悪い癖
ホント要らない情報だよね ここは、モツファン、ベトファンなんて言ってる場合ではない
事実をはっきりさせないと、国民は納得しないって
総理、じゃなくて管理人の方、モツファンなんでしょ、はっきりして 管理人さーん、呼んでるよー 沈黙守ってないで出てこーい 記録に残っている情報から分かる事は、ここのモツファンの多くは、ベートーヴェンの曲をあまり聴いていないし曲も超有名曲以外知らないという事だな。
だから議論が噛み合わない。
反対にベートーヴェンのファンはモーツァルトの曲も聴いているように観える。 ベートーヴェンのファンはむしろハイドンの曲を聴くべきだとは思う
ベートーヴェンが得意とした曲種はほとんどハイドンが開拓した曲種 モーツァルトの交響曲は大半が平凡でハイドンの影響を受けた後期6大以外は聴く価値ないと思う かのロビンズ・ランドンも言ってるがモーツァルトの交響曲ではハフナーより先にハイドンの影響を受けた曲は無くて
(もちろん他の諸々の作曲家の影響は受けている)ハフナーとリンツはハイドンへのオマージュ >>698
うん、言い換えたらモーツァルトがほんとに好きならベートーヴェンも受け入れられるし
、いや音楽を受け入れられるんじゃないかな。 「モーツァルトの交響曲は大半が平凡で」って、貴方の判断でしょ
「平凡だと思う」と言ってください 端っから「あなたの判断」なんで気にしなさんな
みんな「あなたの判断で」曲を選んで聴いているわけで 説得するつもりは毛頭ないが
共感してもらいたいと思う(パーブォ談) 強弱とうねりと繋がりの悪さと微妙な和音
モーツァルトではないものを
模索してるんだろうか
人間らしいけど私は安らげない ベートーヴェンのここが嫌い
なんでそんなに鍵盤を叩きつけるかな ハンマークラヴィーア 苦手
ピアノ・ソナタ第16番 K.545 かわいくて やさしくて 切ない ベートーヴェンのピアノソナタ7番でも聴いてみなさい。 ベートーヴェンのピアノソナタ第1番第4楽章は鍵盤を叩きつけるような感じで力強いよな。中間部は割とおとなしいが。
対してモーツァルトのK.545は天使だな。
第1楽章は有名だが第2楽章が繊細で優しくて1番好きだ。 >>712
6番・7番と、僕も大好きです
若々しいベートーベンの初々しい響き、
でも、ベトらしい重厚さもありますよね 両者感情的になったり攻撃的になったりしてるけど
ずっと読んでた印象だとモツ派が増えてる印象だね。
ベトは19世紀的指向に合ってるしその感覚で見ると
モツは古いという印象だけど、21世紀的な社会では
モツが時代に合ってると思う。 >>717
そこはまったく重要じゃないんじゃないかな。 戦争あったり封建的な社会の中で抑圧されてるような時代には
感情の起伏の大きい音楽は慰めになるが、表向きだけでも
平穏で変化の少ない時代は繊細な感情を表現した音楽が
慰めになる、そいうい意味だよ。 「平穏で変化の少ない時代」って、
あなた、社会情勢見てないんですか? 指揮者フランス・ブリュッヘンによると、モーツァルトやベートーヴェンの時代は、新曲の演奏は初演だけで終わってしまうことが多くて、聴衆は毎回初めて聴く曲ばかりで、曲が耳に馴染んでいなかったらしい
そこで、モーツァルトやベートーヴェンは、曲にいろいろ仕掛けをして、初めて聴く聴衆の耳を驚かせようとしたらしい
ということで、ベートーヴェンの英雄の出だしや、モーツァルトのピアノ協奏曲20番の2楽章も、お客さんを驚かせようとしただけじゃないか?
https://youtu.be/LNCYrPmNBOc >>721
書きながらそういうアホな突っ込み入るかもとは思って
言葉を選ぼうとは思ったが、落書きだしということで
書いたけど、日清日露の頃よりは平穏w
>>722
ラジオもCDもない時代だから、そう毎日は聴けないだろうけど、
楽譜売って貴族の娘なんかが娯楽で楽器演奏する時代でしょ。
ハープとなんとかの時なんか、娘が下手過ぎでモツが怒りまくってたし。
貴族社会では結構演奏会多かったんじゃないの。 ベートーヴェンは敢えて持ち上げる必要性を感じない存在になっているように見えるが、このスレのモーツァルトの持ち上げ方は、反動形成のような印象を受けてしまう部分がある。
つまり、本当は最高だと思っていないからこそ、繰り返し最高最高と書き込まずにはいられない不安な感情があるんじゃないかな? 七重奏曲op20 すごくいいね
まあこれじゃベートーヴェンの名は今ほど残せないな >>725
凄い!同感!
なんかこのスレのモーツァルトの持ち上げかたは「最高」とか言葉はでてくるけど不自然さを感じてた。書かなくては不安、そういうことか。ベートーヴェンは運命しか基準にされていないけど、それもモーツァルトを引き立てるための不安感なのかもね。 CDを通してモーツァルト音楽と自分だけの対面
有識者の名言も知らないし理論もわからない
なんかモーツァルトは他とは違うのだけはひしひしと感じる
最高です ありがとう
今の自分にはこれしかない みたいな >>729
なるほど、そんな俺も一人部屋に戻り
いま、ラローチャのピアノ イギリス室内で
協奏曲第19番を聴いているが、、
その感謝わかる気がするよ。 >>725
モーツァルトは最高という言葉に反応してそこまで考えるなんて感心するわ。
ベートーヴェンが好きすぎるんだろうけど、ひねくれてるとしか思えない。 >>731
ベートーヴェンは確かに好きな作曲家の一人だが、はっきり言って偉大なのが当たり前だから別に守る必要も感じないよ。
嫌いだと思う人間がいたり曲に批判があるのも、ある意味健全だと思っている。 なんだかんだ言っても
どちらの曲も楽しまなきゃ一生の損だと思うな >>725
過去スレ読みなよ、ベト最高、ベト一番、モツ糞尿
つうのばっかだったぜ。 それぞれの楽器の音の表情付けは
モーツァルトのほうが優れていると思う
楽器が会話しているような錯覚をする瞬間がある ベートーヴェンの第九のオーケストレーションは、耳が聞こえないベートーヴェンの限界だから、その響きを引き出すのは指揮者の力量にかかってるって
カラヤン指揮の1976年録音CDが最高だと思うわ モーツァルトのピアノ協奏曲はピアニストによって表情がかわるなぁ。
伴奏はイギリス室内が一番いい。
そろえるなら、内田光子とらろ モーツァルトのピアノ協奏曲はピアノ優位ながらピアノ・木管・弦の三者の対話を重視しているところが面白い
全般的には木管はピアノと対話し、弦はピアノを伴奏する これは、各自の趣味の問題で一概には言えないと思う。
小生はベートーヴェンもモ−ツァルトも好きだ。
ただ、器楽曲はベートーヴェンのほうが若干の長がある気がするが、歌劇部門なら圧倒的にモ−ツァルト
だろう。
モ−ツァルトのように両方の部門で傑作を残した作曲家は絶無だろう。 オベラと器楽という括りなら数は少ないかもかもしれないが、声楽曲全般なら話は違ってくる。 ヤン・ディスマス・ゼレンカ (1679-1745)
レクイエム ニ長調 ZWV 46
http://www.youtube.com/watch?v=4Sg01NHNm7M
明るさと暗さを巧みに表現した代表的な曲
モツファンは、過去の作曲家がいなかったことにするのが得意 ベトファンもモツファンもバロック・古典派をたくさん聞くべきだと思う
バロックはバッハ・ヴィヴァルディ・ヘンデルだけじゃないよと
バロックに関しては沢山の作曲家がいたことが認知されてるが古典派に関してはあまり認知されてないように思う 自分の思い込みやこだわりが
間違っているかもしれないとかえりみる事も
時には必要だと思うんだ 無駄な時間ではないと思うし >>739
ピアノ協奏曲第22番は木管が大活躍してると思う。
2楽章では長い間ピアノ演奏なしで木管だけで奏でるところがあるしね。
モーツァルトはクラリネットの音色を特に愛したそうだが木管全般も好きだったんだろうな。 クラリネット協奏曲イ長調K.622の第1楽章は、1787年に作曲されたとされるG管バセットホルンの
ための協奏曲(ケッヘル第6版で621b、199小節まで現存)に手直しを加えたもの
G管バセットホルンのための協奏曲 K.621b
http://www.youtube.com/watch?v=R3tZnGhbZr0 モーツァルトが目標にした作曲家はヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-1782)
J.C.バッハの「心の磁石」序曲のアンダンテはモーツァルトがピアノ協奏曲第12番で引用しており
J.C.バッハへの追悼の意だと言われる
http://www.youtube.com/watch?v=IM-bpdp7VpM
オリオーネ序曲はモーツァルトが好んだと思われる所がよく出ておりモーツァルト作曲だと言っても普通の人は分からないだろう
http://www.youtube.com/watch?v=Hriay-5WJU0 ベートーヴェンの交響曲1番や2番の習作ぽいのを演奏するとき、指揮者やオーケストラメンバーはどういう気持ちで演奏するんだろう? 「ベートーヴェンの交響曲1番や2番」と「習作ぽいの」の間の関係が全く不明 ベートーヴェンの交響曲第一番から既に名曲。
1音1音に意味があると教えてくれる。 2番も驚くほど名曲だよね。
遺書直後の作品で生命力に
満ちている。なんか聴きたくなってきた。スイトナー&ベルリン国立が一番いいかな。 でも、モーツァルト聴くと我が家に戻った
というような感覚になる。
ピアノ協奏曲第19番
アリシア ラローチャのピアノ
コリン ディヴィス指揮イギリス室内 まあモーツァルトの交響曲の場合は前半は習作といえる ハイドンの交響曲も8割ぐらいは名曲だがピアノ協奏曲はほとんどダメ 得意曲種かどうかの問題 交響曲は古くからあったがコンサートのメインを占めるほどの人気を獲得したのはハイドンの功績
またそのハイドンがたくさん書いてるということで弦楽四重奏も人気になった
ハイドン以後の作曲家は交響曲と弦楽四重奏曲の数を自慢するようになった ベートーヴェンの習作なんて、弦楽三重奏くらい?
あれで四重奏が最初からクオリティ高い状態で出せたんじゃないか。 ヨハン・バプティスト・ヴァンハル (1739-1813) も、「100曲の弦楽四重奏曲と、少なくとも73の交響曲」を書いたと証言している
(現代ではあまり知られた作曲家ではないが、当時は世界的な「作曲家」だった。
Wikipediaによれば、作曲家として名声を博し、作曲だけで生計を立てることのできた、おそらく最初の作曲家だったと言い伝えられている。
ボワモルティエの例はあるが、この人は元々のお金持ち)
ハイドンとヴァンハルの共通点は、どちらも音楽家の家系ではないこと
バッハもベートーヴェンも音楽家の家系
モーツァルトは父レオポルトから音楽家の家系になった >>761
ロンドン市民の生活水準が上がり楽器を取得する趣味人が増え、ちょうどその時期に
ハイドンが迎えられ成功を収めた。 戦後の日本に似てるね
日本市民の生活水準が上がり楽器を取得する趣味人が増え、
ちょうどその時期にビートルズが迎えられ成功を収めた 仕事からもどり、ベートーヴェン聴くつもりだったが、結局
モーツァルト:交響曲第33番
カラヤン指揮ベルリンフィル このスレは、モーツァルトファンの方が多いようだね
俺は、ベートーベンのピアノソナタばっか聞いてる
モーツァルト批判じゃないけど、印象派とかゲンオンて
実際になってる音以外で、何か想像してよって言ってる気がする
ベートーベンは、そういうの一切なし、自分の表現したいことを完全に表現しきってる >>763
ヴァンハルの弦楽四重奏をチラッと聴いてみたが、モーツァルトの四重奏に似ている気がする。ハイドンとは違う。 昨日はモーツァルトだったんで
今日こそはベートーヴェン。
ピアノ協奏曲第4番ト長調
グレン グールドのピアノ
なんか、北欧の神秘さを感じる ヨハン・フランツ・クサヴァー・シュテルケル (1750-1817)
交響曲第1番 ニ長調 Op. 35, No. 1
http://www.youtube.com/watch?v=dsx9miWzNA8
1770年代の作曲ながら、モーツァルトの後期交響曲を連想させる風格がある 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
XJUU1 >>774
当時は楽譜がメインの時代だからほとんど同じ部分も多いだろうが、
誰が先かは不明でモツも好んで誰かのアレンジを取入れているだろうね。
ただ評価は主旋律なりオリジナルを感じる部分にあると思う。誰も
当時の雰囲気だけでは評価しない。 Wikipediaのシュテルケルの項見てもベートーヴェンやシューベルトは影響とあるが
ハイドンやモーツァルトは影響と書かれていない
管弦楽法や主題の展開手法の影響は当然あるだろうに
主題そのものがあまり魅力的でないということで引っかかるものがあるのかもしれない うん、
先日までピアノ協奏曲にはまっていたが、
今は
ハ短調ミサ曲
カラヤン指揮ベルリンフィル
これ夜聴いているといやされるんだなあ。
広上淳一指揮日本フィルの田園と組み合わせて
至福の一時 子供の頃からモーツァルトのメロディーダメだった
クラシックなんかと思ってた俺をひっくり返したのがベートーベン 確かに、
かつてはここでベートーヴェン賛辞だったけど、最近になってモーツァルトが解ってきたきがする。 年を重ねるとハイドンもわかるようになる ベートーヴェンがそうだったように ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K. 467 第2楽章のメロディだけど
ハ長調のコード通りの出だしでドソミドソと単純なんだけど
その後が半音の経過音で繋いでる。転調だらけで複雑にするんじゃ
なく基本の中で自由に展開してるから安定していながら繊細な
印象になってる。そういう部分が好きだね。 ピアノ協奏曲第21番 いいね
細かい事はわからんけど 連休も終わったし
モーツァルト聴いて
ニュートラルにしようかな 久しぶりにモーツァルトのピアノ協奏曲の20番から27番まで聴いたけど、23番が図抜けて出来がいいと思った。
これだけはモーツァルトのファンでなくてもおすすめできる。
ピアノとオケのバランスもいいし、終楽章に関してはビアノがオケを引っ張っていて、まさにビアノ協奏曲の醍醐味を味わえる。
おすすめはアーノンクールとグルダのコンセルトヘボウだったかの盤。
他の作品はピアノ付きの管弦楽曲という印象で、所々良い所もあるがピアノのフレーズにあまり魅力を感じない所や、終楽章がありきたりだったりと、ファンでなければそこまでいいかなあ?と思う。 交響曲のソナタ形式は第一主題のあと第二主題とかわかりやすいけど、ピアノ協奏曲等の協奏曲は、主旋律をオケが弾くかピアノが弾くか、伴奏をピアノが弾くか等も絡んできて、作るの難しそう
モーツァルトのピアノ協奏曲は、その兼ね合いが自由奔放で天才的だが、ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、構成に当てはめようとして、いまいち型式ばってる気がする ちなみに、ベートーヴェンの5番かそれ以降の作曲家からか、ピアノ協奏曲のビアノが弾く旋律が単音じゃなくなった
ビアノの楽器としての性能進歩が大きな要因だろうけど 明らかにモーツァルトのが凄いだろ
すばらしい曲ばかり Mediocre cannot understand the great. たしか91年からシリーズ化した交響曲全集だったかな ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、作品番号的に、交響曲でいうと5番ハ短調まで作曲したって感じかな
ベートーヴェンのピアノ協奏曲が後世の作曲家に与えた影響は、もしもベートーヴェンが交響曲を5番までしか作曲せずに亡くなったとしたら、の仮定を具現化したような
もしも、ベートーヴェンがピアノ協奏曲を交響曲のような感じで9番まで作曲していたら、ブルックナーやマーラーみたいのが、やたら長いピアノ協奏曲を作曲していたかもしれない ベートーヴェンの時代は、交響曲の方が重み付けが上という意識はなかっただろうから、ベートーヴェン自身は、よくピアノ協奏曲よりも交響曲の方に力を入れよう、と思ったものだ
逆だったら、歴史が変わっていたかもしれない
モーツァルトの曲は、交響曲よりもピアノ協奏曲の方が優れている気がする
その方向で、作曲家たちが進んでいたら、ピアノ協奏曲の方が重み付けが上の世の中になっていたかもしれない
つまり、後世に与えた影響は、ベートーヴェンの方が大きい ブルックナーやマーラーがベートーヴェン的だとは思わないが近代に入ると
むしろやたら哲学的になったり思想的になって行く。R.シュトラウス:交響詩
「ツァラトゥストラはかく語りき」がよい例で、ニーチェ、フロイト、実存主義、
民族主義、前衛と音楽までも不安や苦しみを表現することがより高尚なのだという
いくらか偏った時代に入り、武満徹の現代音楽へと続く。
まあそういう流れが音楽の進化だと思う人はそういう音楽を聴いていればいい。
オレはモーツァルトで充分満足。 >>796
馬鹿か
ベートーヴェンの時代はちょうど交響曲と弦楽四重奏が圧倒的人気に変わった時代だよ
つまりハイドン人気に乗ったのがベートーヴェン ハイドンは「なぜ弦楽四重奏ばかり書くのですか」とのインタビューに対し
謙遜して「5つ目のパートが思いつかないのです」と答えた
正直に「5人目のメンバーがいないのです」と答えてしまってはカドが立つとの大人の配慮 タリスが歌うモーツァルトクラリネット協奏曲2楽章は素晴らしすぎるな
モーツァルトは素晴らしいよ さて、年明けてから春頃までモーツァルトにお世話になった。
今日から届いたブラームスのピアノ四重奏曲
をきくぞ〜 GWにモーツァルトの弦楽五重奏全曲(ターリヒ四重奏団のやつ)を聴いたが、やはりそこまでいいかなあ?というのが正直なところ。
メロディに好みがあるとしても、モーツァルトって管楽器に比べて弦楽器の使い方がそんなに上手いとは思えないんだよな。
反対にあまり知られていないが、ベートーヴェンの作品29の弦楽五重奏はいい曲。四重奏とはまた別の音の使い方で面白いし、初期の作品の筈なのに、ロマン派の曲みたいだ。(実際、第二楽章のメロディがシューマンの弦楽四重奏1番第三楽章のメロディと似ている) 物や音楽も分かんない俺氏は負け組ですねわかります
((^o^)) >>803
>タモリが歌うモーツァルトクラリネット協奏曲2楽章は素晴らしすぎるな
モーツァルトは素晴らしいよ
に見えた ベトの音楽は感傷的。
モツは理知的。
ベトは散文的。
モツは詩的。
音楽なんか飽き飽きだが、モツだけは聴ける。 モーツァルトは、音響的楽しみを引きずっているが
ベートーベンは、精神性を高らかに歌い上げ、クラシックルネッサンスを成し遂げた偉人である >>809
そうか音楽は伝統的に耳で鑑賞するものだけど耳が無くても鑑賞できるとしたのがベートーヴェンなんだな リストの少年時代のピアノ演奏を聴いてるから聾唖は嘘八百だよ。 それを言うならモーツァルトも大概だよ。
レクイエムの7曲目まではモーツァルトが書いた部分という知識で、「ここまでは神品、後は弟子が作った作品で凡庸」としたり顔で語っている人間もいるが、
その後の研究から実際モーツァルトが作った部分はもっと少ないと言われている。
神品というような評価も耳で聴いてのものではなく、単なる知識で「鑑賞」した結果かもしれない。 ジャズからポップスに至るまで、つまり音楽がテーマを持った
表現手段という形になったのはベートーヴェンからなのかもね。
まあビバルディとかハイドンなどにも叙景詩・叙事詩という
概念はあるけれどはっきりとした表現ではなく、聴き手の
解釈に任せる部分が大きい。「運命」なんてのはほんと
劇的運命感を持ち合わせないとただの鑑賞とはいかない。
ジャズの名曲なども恋愛や悲恋などを歌詞付で表現している。
貴族を楽しませるためじゃなく、オレの魂だということなんだろうね。
それはそれでいいと思うが、オレはモーツァルトで充分。 ルベルのカオスはニ短調で書かれている
モーツァルトのドン・ジョヴァンニやレクイエム、ベートーヴェンの第九などニ短調は特別な曲が多い 「音楽がテーマを持った」ということではないんだ
モーツァルトを聞くと、音自体が楽しいで終わる感じ
ベートーベンを聞くと、特にピアノソナタを聞くと、感動のあまり涙が出る
なぜなんだろうと考えた後に、「人間の正直さ、愚直さ、真摯な姿、尊厳」
なんてのが湧いてくる感じなんだ ベートーヴェンのその縛りが押し付けがましくて面倒なんだよ
重厚で立派な音楽は低価値がと思う今日この頃です
こういうとロマンスやら春がどうたらこうたらw ベートーヴェンの弦楽四重奏を聴いても重厚で立派という単純なイメージでは表現できない奥深さを感じるなあ。
一番イメージに囚われているのはモツオタだったりして。
実際そんな事考えながら音楽聴いているのかって思うし。 モーツァルトの音楽はただ楽しいだけではない。
例えば、ジュノームの第2楽章は情感たっぷりで、若干21歳で書いたとは思えない哀愁や深みがある。 確かに、後期の協奏曲には死臭が漂っているな
ベートーベンには、死の影はうかがえない
悲愴は明らかに死を見つめている、スレチゴメン >>821
悲愴?第2楽章?
これは死というより、慰めじゃないかな?
母親がなくなっているので、葬送 回想かと This Night / 今宵はフォーエヴァー [日本語訳付き] ビリー・ジョエル
http://www.youtube.com/watch?v=xBgEFz8N5wI
ある世代の人にとってはベートーヴェンの悲愴と言えばこれ
サビに使われてる umekobucha005
5 日前
この曲は昔から知ってたけど、最近ベートーベンの悲愴を初めて聞いて、「あれ?ベートーベンがビリージョエルをパクってる」と錯乱? いろいろ巡回してきたが
やっぱモーツァルトだったよ >>826
この現象ってなんだろうね一体。
説明できそうで説明できない。
月並みな言い方をすれば、モーツァルトには説教臭いところや自意識過剰なところがないというか、人間臭さ=どろどろした感情や悪意が感じられない。
そういう作曲家はバッハとモーツァルトだけじゃないか。しかしバロックは表現方法が未発達でマニアックすぎる。よってモーツァルト一択となるんじゃないか。 「説教臭いところや自意識過剰なところがないというか、
人間臭さ=どろどろした感情や悪意が感じられない」
もし、ベートーベンを批判しているとすれば、それは違うと思う
ベートーベンのピアノソナタは、凄烈で美しい 凄烈である時点で引くんだよんね
でもそれは批判なんて強いものじゃないよ たぶん ベートーヴェンは音の変化を楽しむような聴き方になってしまうんだよな。
花火大会を鑑賞してるような、次は尺玉だなっとかスターマインだなとかね。
モーツァルトはグイグイ心の中に入り込んでくる感じ。「あぁーその気持ち
分かる」みたいな聴き方になってる。 それぞれの効能が違います
ベートーヴェンにモーツァルトを求めたり
モーツァルトにベートーヴェンを求めても
差異が生じるのは当たり前
用法用量を考え使い分けましょう >>827
バッハやモーツァルトの音楽はむしろ同時代の作曲家よりも自意識ありまくりだと思うが。
コレッリとか聴いたことがある?
テレマン、いやラモーでもいいが、これらを聴くとバッハの音楽の捉え方はむしろベートーヴェンに近いよ。
モーツァルトに関しては、多分ハイドンもろくに聴いたことがないだろうから、あまり言わないでおく。 視点を変えれば世界は変わるといったら話が終わるかw ちなみにモーツァルトとベートーヴェンに与えた影響は大バッハより寧ろ息子バッハたちのほうが大きい。 モーツァルトがオペラで人気を博したのはヨハン・クリスティアン・バッハの影響かもしれないし
ベートーヴェンが交響曲や弦楽四重奏曲で人気を博したのはヨーゼフ・ハイドンの影響かもしれない ハイドンセットとか作ってるからハイドンの影響あるだろ。
でもそういう影響だの関連だのはどうでもいい、
もう試験やる歳でもないしな。 >>830
音の変化を楽しむ以外に何があるのか
同じ音ばっかりじゃ、音楽にならない
ぐいぐいって何、意味わかんない モーツァルトで聴き続けられるのは交響曲41番くらいだな。
ベートーヴェンはメロディがもうちょっと良ければ…
偉大さで言えばベートーヴェンに間違いなし。 ベートーヴェンはソナタ形式というものに多少なりとも理解がないと、魅力に気付けない所があるのかな。
少なくともメロディというより、主題単位で考えないと。
シンプルな主題とその展開、変奏を楽しめるようになれば、ベートーヴェンの魅力がぐっと迫ってくるだろう。
そう言った意味では、モーツァルトの方がポピュラー音楽どの親和性が高いかもしれない。Aメロ、Bメロとはっきりした所があるから。 そもそもソナタ形式自体、ベートーヴェン信者のアドルフ・ベルンハルト・マルクスが
ベートーヴェンのピアノ・ソナタを元に初めて論じた概念
ベートーヴェン信者の観点ではそれまでのソナタ形式は全て未熟だとされる つまり、ソナタ形式=ベートーヴェン作品、というのは、いわばトートロジーのようなもの フランツ・ヨーゼフ・ハイドン - Franz Joseph Haydn (1732-1809)
オルガン協奏曲 ハ長調 Hob.XVIII:1
Keyboard Concerto in C Major, Hob.XVIII:1
マリー=クレール・アラン - Marie-Claire Alain (オルガン)
ボーンマス交響楽団 - Bournemouth Symphony Orchestra
テオドール・グシュルバウアー - Theodor Guschlbauer (指揮)
http://www.youtube.com/watch?v=7jBNATMn37c そうかなあ、ハイドンの弦楽四重奏なんてソナタ形式の教科書みたいな印象なんだけど。
とても未熟だとは思えない。 ソナタ形式はベートーヴェンで完成された、はトートロジーつまり内容が何もないというのに等しい
ベートーヴェンの作品がモデルなんだもんそりゃそうだとしか言えない 明治の日本人は鋭かったね、音学じゃなく音楽にしたセンスはキュート。
まあ後の奴らが語感から音学やつてるのは一種の退化だね。 しかし明治の人間に最初に受け入れたのはモーツァルトでは無く、ベートーヴェンやワーグナーのようなドイツ音楽だな。
実際明治の人間の方が今まで聴いていたものとは異質のものを受け容れようとする気概があったかもな。 >>847
元々中国で楽の字はいろんな楽器を演奏してるさまを表す 楽しいは後付けの意味だよ いま辞書で確認したが、楽の字は第一義では音楽と同義。続いて楽器の意味でも使われ、その他でこころよい、たのしいなどが続く 漢字の成り立ちを言ってるわけじゃない、医学だの科学だのを必死で学ぼうとしていた
時代に音楽にはその学を付けてない点を指摘しただけだよ。もちろん音声学などや
学問形式で西洋音楽を学んでもいただろうが、小中高と音楽であったのはよいことだね。 モーツァルトの交響曲第40番1楽章はソナタ形式のお手本のようだ
序奏がないけど バイオリン協奏曲なんかだと、モーツァルトやベートーヴェンのより、メロディがメンデルスゾーンの方が親しみやすいし
弦楽四重奏曲も、ドヴォルザークの方が ハイドンの交響曲第92番「オックスフォード」の終楽章は提示部と展開部が充実したソナタ形式の見本
https://www.youtube.com/watch?v=VL_jEzqyyPE#t=21m50s
21分50秒あたり〜 何度も言うようにソナタ形式はベートーヴェンの作品がモデルの概念
だからベートーヴェン作品でソナタ形式を語るのは無意味 じゃあ、ハイドンやモーツァルトが使っていたソナタ形式はベートーヴェン信者のナントカが名付けるまで何て呼ばれていたんだ? >>852
ソナタ形式のお手本ならピアノ・ソナタ第15番第1楽章 モーツァルトの交響曲第41番4楽章は、ソナタ形式とフーガと対位法が見事に融合してる どっちも別に凄くない。モーツァルトに少しいい曲がある位。
作曲した大半の曲が捨て曲。 >>857-858
無知無教養の告白にしか見えない
最も洗練された形式、ソナタ形式
http://vocalinfo.net/?p=14093
ソナタ形式という言葉が使われはじめたのは、1830年代後半 ホグウッド指揮AAMのハイドンの交響曲96番・94番が収録されたディスクには
当時ハイドンの音楽を分析した楽曲形式を論じたものが付属のブックレットで紹介されてる
それによればハイドンのソナタ形式(?)はABAの三部形式ではなく変奏曲形式に近い ハイドンの場合展開部後半に「疑似再現部」(再現部のふりして展開部を続ける)があるものがあるから変奏曲という見方も可能 >>862
その捨て曲と言われる曲は一見するとただの石ころ、しかし割ってみると無数の綺麗な宝石が詰まっている。モーツァルトを聴くということは一種の宝探しでもある。 モーツァルト作品で宝探しする人もモーツァルト周辺作曲家作品で宝探しする人が少ないのはなんでだろ もったいない このスレではその宝とやらは示されたためしがないからな カール・ルートヴィヒ・ユンカー (1748-1797)
ピアノ協奏曲 変ロ長調
http://www.youtube.com/watch?v=gfUBxs1s9x4
モーツァルトの時代の平凡な作曲家だろうけどモーツァルトファンのどれぐらいが違いを分かっているだろう フリードリヒ・ハルトマン・グラーフ (1727-1795)
チェロ協奏曲 ニ長調
http://www.youtube.com/watch?v=7SVmdMHNDgs
これも同様 もっともモーツァルトはチェロ協奏曲は残していないけど あのさ、違いが分かるかというより、楽譜で作ってるから全くコピー譜の場合もあって
同じですと言ってもいい場合もあるでしょ、でもジャズだのポップスだのでもアレンジ部分が
共通ってあってもそこが評価の部分じゃないでしょ。主旋律の美しさとか構成の巧みさとか
感情で聴ける部分に評価があるわけでしょ。確かにモーツァルトと共通部分はありますね、
だけで宝の発見にはなりません。 「主旋律の美しさとか構成の巧みさとか、 感情で聴ける部分に評価があるわけでしょ」
それだけですか?
変奏とか展開、発展的進行など、他にも楽しく聞ける箇所が沢山あるんじゃないかな もち米インディカ米ジャポニカ米
似てるけね全部違う
レシピを楽しめと言われましても
似てるけどどう凄いのか一度も示されたことはない
ブスに何を着せてもどんなメイクをしようともブスはブス
ブスにしてはよく頑張ったねー って楽しみですかね > 似てるけどどう凄いのか一度も示されたことはない
そこは美人(=モーツァルト)を評価する側で示すべきこと
示さないから似たようなブスが増えるんでしょ モーツァルトの音楽は人類の慰め。
それを聴いて、涙を流したり、密かに感謝したり、微笑んだり、心から安らぎを覚えている人がどれだけいるか。
ベートーベンにはもっと単純な感動しか求められていない気がする。
コンサートプログラムの常連なのは、分かりやすいからだろう。
若い頃はよく聴いたけど、今はまったく聴きたいと思わないのはなぜなのか? 聴いたところであの頃の感動はまったくない。
その点で、現代ポップスに似ている。 >モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い
そりゃ、Mozart だよ。長生きすれば、1000曲超えたよ。
”魔笛”を越えた名作は、生まれるかどうかわかんないけど。
ベートーヴェン、”第9”を超える名作をどうやって次、作曲できるかだよ。 それから、モーツァルトと同時代の作品を並べて違いが分かるかとドヤってる人がいるが、ちょっと聴いたら確かに似ている。
モーツァルトだと言われたらそうだと思うだろうが、まあ10代で書いた作品だわな。
後期の傑作郡に見られるロマン派的洗練や充実は皆無。
ベト好きってほんとに耳が悪い。 >>876
基準を出せば美人が増えるのでしょうか
何を言ってるのかさっぱり分かりません
お前さんの思うその美人の基準とやらを自分から出してみてはどうですか
美人の割合が減ってるとか絶対数が減っているなら基準を出すのは
多種多様なブスを規定するより簡単でしょ
名曲の基準が示されていたら
モーツァルト以外の駄曲が増え続けることはなかったのにね このスレの以前の風潮として、ベト派はモーツァルトなど女子供向けの取るに足りない音楽だと言いたげだったが、今では鳴りをひそめたようだ。昨今のモーツァルト人気に圧されて、以前のような傲慢な態度は見られない。
いかにベートーベンの音楽の偉大な芸術性を語ろうと、音楽そのものがオワコン化している現在ではオナニーでしかない。 「モーツァルトなど女子供向けの取るに足りない音楽だと言いたげだったが、」
その通りだと思う、モーツァルトでプログラムのメインは、はれない(2回目) >>884
モーツァルトで女子供が喜んでいるわけではないし
50年以上昔の人がタイムスリップして来て書いたんだろうよ >>883
ベトなんかもう面倒くさくて聴けないけどな。
コンサートなんかでは栄えるんだろうけど。
モーツァルトは毎日でも聴ける。 なぜモーツァルトは毎日でも聴けるのか。
アルファ派が出ると聞いたことあるが、確かに脳が喜んでる感じ。
もう昔と違って、どんな音楽を聴いても感動なんかしないけど、モーツァルトだけは気持ちいい。
モーツァルトは特別という多くの人の感慨は、そうかもしれないと思う。 その場合の「モーツァルトは特別」はモーツァルトと同時代の数多くの作曲家の作品を聴いて言ってるわけではないことは明白 松阪牛みたいなもので、ブランド信仰の一種だと思う。
無名作曲家の曲でも、モーツァルトのラベルを貼れば特別な感動を与えてくれるようになる。 なるほどねー
モーツァルトは好きだけどさすがに毎日はないなぁ。ドヴォルザーク、ブラームス、シベリウスなどのOne of them 特別(とくべつ)とは、広く通用する状態とは異なる状態、即ち例外となる状態のこと。 類義語は、「特殊」「特異」「奇異」「殊(こと)」「異(こと)」「特(こと)」など。 バッハもなあ モーツァルトと同じで総合力だけの人という印象 新しいことは何もしていない >>894
モーツァルトは眩しすぎるかもね。
バッハ、いいと思うよ 擦弦楽器によるトレモロはモンテヴェルディが最初に記譜したと言われる
トーン・クラスターはジャン=フェリ・ルベルの「四大元素」 ハインリヒ・ビーバーはヴァイオリンでスコルダトゥーラという調弦を変えて演奏する技巧を多用したが最初かどうかは知らん 結局音楽で革新的なことした人って偶然や思いつきによるところが大きくて一番最初に発明したわけじゃなくてもそれをまとめあげた人が偉大って言わざるをえないのでは >>888
言っておくけど、あなたが貼ってきたモーツァルト周辺の作曲家はどれも大したことないよ。
モーツァルトと肩を並べるのは他でもないベートーヴェンだけなんだよ。
スレタイ見なさい。 合唱付きの交響曲を最初に書いたのはベートーヴェンではない
当時の記事でも「ベートーヴェンはいつ合唱付きの交響曲を書くのか」
と話題の人物だったことだけは言える >>888
>その場合の「モーツァルトは特別」はモーツァルトと同時代の数多くの作曲家の作品を聴いて言ってるわけではないことは明白
反論させてもらうが、同時代の作品はモーツァルトに収斂されて昇華されている。モーツァルトは古典派の枠には収まらないロマン派の先駆け的存在であることは明らか。
といって古典派のように稚拙でもなく、ロマン派のようにくたびれてもいない。
モーツァルトを聴いていて楽しいのは、いかにも古典的なきらびやかさや能天気さの中に、現代的センスのフレーズが時々現れてハッとすること。そういうセンスにベートーベンが影響を受けたことは想像できる。
ベトが愛した17番20番や24番などの協奏曲は、もはや神がかり的で同時代に比肩すべき作品はないと思われる。あるなら出してみろっての。 バッハは別に好きな作曲家ではないが、既存の音楽をマニアックに突き詰めていった所は、音楽の新たな可能性を開いた功績と言ってもいいのではないか。 オペラはモーツァルトの圧勝。というか不戦勝みたいなもの >>906
勝負じゃないんだよ。どっちも凄いんだよ。
ただベト人気は下降気味で、モツ人気は上昇してるんだろうな。 普遍性でいえばベトよりモーツァルトのほうが格段に上だと思う
ただ凄みはベトだよなあ クリーヴランド管弦楽団
来月よりベト全曲やるね。
人気下降とは思えない。
ただ、モーツァルトとベートーヴェンの違いってモーツァルトとストラヴィンスキーの違いに比べたら小さいもんじゃね?
まあ、言いたいのはモーツァルトがあってベートーヴェンなんだな 先に生まれてたから先に作曲して作品を聴いてもらっただけ
後から変えようも無いことで差を付けるのは不毛すぎて草 ベトは集客率が高いけど自宅じゃ聴いてない印象だね。
ラジオでも滅多に聴かない。構えて聴かないと五月蝿いだけ。 >>907
>ただベト人気は下降気味で、モツ人気は上昇してるんだろうな。
何かのかなり古めの40年ほど前の記事を、昔読んだんだけど
どこかの歌劇場の”フィデリオ”をトップに演目に組み合わせたんだそうで。
そしたら、客入りが悪かったと聞く。
”モツ人気”はあるのだろうけど、作品が狭いような気がする。
”後宮からの逃走”。ジェームズ・コンロン指揮ケルン歌劇場日本公演以来、本格的な上演はないような。。 自宅で聴く聴かないはなんの指標にもならないけどね。本人の主観に過ぎない。いま聞いている音楽スレあるけど意外にもほとんどモーツァルト出てないし。
オペラ フィデリオが演目云々あるが、あれはモーツァルトに比べたら真面目すぎでね。
作曲家というより、、 ベートーヴェンが傑作を書けなかったジャンル(オペラ)は、音楽が哲学的になってないような
プッチーニのオペラやリヒャルト・シュトラウスの薔薇の騎士のように、近年になっても、色恋沙汰のお話だし
と思ったが、哲学的なオペラ(楽劇)はワーグナーがいるな
ワーグナーは音楽史的には何者なんだ?
チャイコフスキーのバレエも特殊な気がするけど ワグは政治的な側面強すぎて真面目に語る気も起こらん まあ全体の音楽史から見たらベートーヴェンの影響力は大きかったということで、
その後は同じぐらいの変化をもたらそうと頑張った作曲家が大勢出たけれど、
それらが主流とはならなかったという感じかな。それで過去に遡ってみたら、
バッハだのハイドンだのモーツァルトだのの方が良かったじゃないという事になってった。 ピアノ曲に関して言えば、ロマン派の先駆けとしてはジョン・フィールド(1782-1837)の功績が大きい
ベートーヴェンとほぼ同世代で高性能になったピアノでロマン派らしい音楽(ショパンのような)を書いたのはジョン・フィールド 大成させた者がいたからたまたま先駆けと呼ばれたんだねー
ラッキー 偉大なる作曲家10名
デュファイ
パレストリーナ
モンテヴェルディ
バッハ
ベートーヴェン
リスト
ワーグナー
ドピュッシー
シェーンベルク
ストラビンスキー
http://allezvous.hatenablog.com/entry/2016/03/30/184617 ピアノの前でじっとしてたジョン・ケージも入れて
モーツァルトを選外にするあたり音楽より知ったか自慢かなw
馬鹿な奴。 言葉で説明しやすい音楽史上に業績を残した作曲家たちを挙げたということでしょうね。
作曲上のテクニカルさという観点ではモーツァルト、ブラームス、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、
マーラー、ラヴェル、バルトーク、ヴェーベルン、ブーレーズあたりは外せないと思うけれど。
勿論挙げられた10名も皆当然のように達者だが。
まあ、ヴェーベルンやブーレーズは置いといて、今日の音楽(いわゆる現代音楽)の多くは
言葉で説明しやすい音楽の仕掛けにこだわりすぎた結果とも思うけれどねえ。
>>ドピュッシー
それともこれに突っ込んでほしかったんだろうか >>919
モーツァルトについて言及しているが、
「誰もが知るウィーン古典派の巨匠。ベートーヴェンやショパンらに大きな影響を及ぼしたが、ハイドンのように新ジャンルを確立していない点で、古典派の中では三番手扱いとさせていただく。」
何かジャンルを確立させないと重要度が下がるのか。
知識ばかりが先行して、肝心の耳で音楽を聴くということは忘れてそう。 前期ロマン派の代表はリストではなくシューマンである。
ピアノ曲の独創性のみならず、多くのジャンルで傑作がある。
交響詩なんて、ベートーヴェンの田園交響曲が元じゃないか。 >>925
「性格交響曲」を書いたのはベートーヴェンが最初じゃないよ
パウル・ヴラニツキー - Paul Wranitzky (1756-1808)
交響曲 ハ短調 「フランス共和国との和平に」 Op. 31
Symphony in C Minor, Op. 31, "Grand Characteristic Symphony for the Peace with the French Republic"
作曲年 1797
http://www.youtube.com/watch?v=EFCxwZ7VXkI ベートーヴェンが田園の直接的なヒントにしたのはこの作品
ユスティン・ハインリヒ・クネヒト - Justin Heinrich Knecht (1752-1817)
自然の音楽的描写
Le portrait musical de la nature
http://www.youtube.com/watch?v=HP2QW21cqcM >>928,929
聴いたけど、ベートーヴェンの田園交響曲とは質が違うと思った。
二つとも普通の交響曲に後から標題を付けた感じ。 そもそも第2楽章で葬送行進曲が出てくるのにトランペットとティンパニを省略しては葬送行進曲らしさが失われる 番号メチャクチャだな
ここは18とのの重複だったが終わった後の再利用で実質19
次は20 音楽史的な重要性だと新しい潮流を与えたかどうかによるから、そう意味ではモツは弱いかもしれんね。 作品が多くの人に聞かれることが重要じゃね
音楽史()や時代の潮流()を作ろうとか思ってないだろうから 「ドビュッシーは私は好きだけれど、地方人だね。秋田の踊りみてえな。まあ、パリだからパリの踊りになったかもしれねえが。
どうしてベートーヴェンがベルリンの踊りですか?!そう言う事ですよ、私が言っているのは。
それからラヴェルなんてえのは、もう聞くのも嫌だね。
あんなモノ、どこかの寄席でやりゃあいいんですよ。何も音楽の中に入れる必要なんかないんだよ」
(小林秀雄) いんちきジョンケージを評価して、ジャズやポップス、ロックを除外って
ありゃ低俗だからとでも思ってるのかねw
60年代の現代音楽よりロックのインパクトは大きいけどな。
欧米じゃジャンルに差を付けず評価する人間多い。 ベートーヴェンって初期はスカスカなんだよな
段々ベートーヴェン工法で隙間を埋めていくんだが
暑苦しいんだよ でも好きだけどね それは偏見だよ。ベートーヴェンの初期を聴けば聴くほど、最初から天才的な創造力で作曲をしていた事が分かってくる。
モーツァルトは反対に聴けば聴くほどワンパターンな手癖を多用して作曲した事が分かってくる。 モーツァルトの「音楽の冗談」は素人作曲家を揶揄するために書いたとする説があるが
それはまさにハイドンの交響曲第60番「うかつ者」と同じ趣旨 ハイドンは交響曲第60番「うかつ者」以降「ユーモラスな作曲家」の烙印を押されてしまい
最初は嫌っていたけど結局は受け入れた みんな何故か最終的にモーツァルトだけは特別!みたいな扱いになるんだよな
クラシックは難しいけどモーツァルトだけは好き的な文脈で。
確かに彼の音楽は他の作曲家にはないニュートラルさ、明快さがあるのは認めるし
そういう意味で頭をリセットしたい時に聴く事が俺にもあるけど。(現代人でスマンね)
モーツァルトの本質はレクイエムとか短調の曲に表出されるデモーニッシュさだ!みたいに言う人は
彼の音楽のある側面を拡大しているだけに思える
聴く側もニュートラルに聴けば、平易で明朗なロココ的な作曲家だと思うがね モーツァルトは周辺作曲家と比べて特別な所はあまりないのに特別だって主張する人多いよね
モーツァルトだけでいい周辺など聴く必要ないという主張に対してはやっぱりそれがモーツァルトである必要あるのと問いたくなる >>953
比較の条件はクラシック(として認識されている)の作曲家として比べているんでね ある作曲家にハマる場合曲にはまるわけでして
ベートーヴェンが特別になった場合何も同時代の作品と比較する必要なんか全くない
絵も文学も同じだと思うがね >>955
君はあらゆる作品作曲家を全て聞くという無駄をしているのかね
要は煽りたいだけでしょ
どこかのスレで誰彼構わず聞き専呼ばわりしてた人だね君 >>957
あらゆる作品作曲家を聴こうとしてるわけじゃない単純にこれいいなと思った曲を聴いてるだけ
おれが聴き専だよ悪かったな お前が聞き専のミーハーだとしても知ったこっちゃない
相手してくれた他人を巻き込むな >>959
話をそらしたつもりかもしれんがごまかされんぞ
おれはミーハーではないから有名作曲家かどうかにはこだわらん >>952
モーツァルトとバッハは、音楽が分かった振りができる便利なツールになっているんじゃないかと思う時がある。
だから、この二人を特別だと持ち上げている批評は少し距離を置いて見ることにしている。 >>960
有名作曲家にこだわらんのなら、なんでこのスレにいつまでも居座ってるの?
大好きなハイドン、若しくは世間からは認識されてない作曲家についてのスレでも立てて思う存分賞賛しとけばいい。 >>961
その発言そのものがベートーヴェンは特別だと言っているようなもの。 >>963
ベートーヴェンが特別とは一言も言っていない。
ベートーヴェンでもシューベルトでも他の作曲家でも高く評価している人は沢山いるが、それらはモーツァルトとバッハでよく見られる妙な特別視とは一線を画していると感じている。
単純に言えば音楽好きが自分の好きな音楽を評価しているに過ぎない。 噛み合わないのはベートーヴェン派は音楽史上の功績だとか、生み出した技法だとか
を問題にしてるのに対して、モーツァルト派は作品の完成度や精神性を問題にしてる
点だね。 俺の感性がおかしいのかもしれないけどモツに魅力感じないんだよな
受動的に聞きたいときには管楽器の協奏曲適当に流してリラックスしてるけど積極的な聞こうとは思わない
そのわりにあらゆる作曲家がモーツァルトは手放しで褒めてるよな
モーツァルト批判してる著名人とか思い当たらないわ 映画アマデウスで使われたピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 第2楽章
子供の練習曲のような単調なイントロから、自分自身を慰めているような展開へ
そして激しく揺れる心模様から、またかすかな希望を抱くような展開へと
その全てに共鳴してしまいます。
https://www.youtube.com/watch?v=5v_MNzCu0vo >>970
昔のオレ乙
オレも30代まではそうだったな
まぁモーツァルトに限らず古典派全般だけど
和声も単純だし、リズムも単純だし、旋律もほぼ和声の内音だけで構成されてて単純だし
どこが凄いのかさっぱり分からなかった
良さが分かったのは40代になってからだな
モーツァルトのスコア研究し始めたのもあるけど 盲目的にモーツァルト聴いてる人は多分ヴィヴァルディ聴いても新たな発見があるんじゃないかと
たとえばヴィヴァルディにも長いカデンツァがある協奏曲がいくつかある ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 「ムガール大帝」 RV 208
http://www.youtube.com/watch?v=GRWa17upsJM
第1楽章と第3楽章のそれぞれにカデンツァがある
動画で指揮者がじっとしているのでカデンツァだと分かりやすい 第2楽章は指揮者は一貫してじっとしてるけどこれは第2楽章全体がレチタティーヴォ形式なのと
ヴァイオリンのほかは通奏低音のみなので指揮者の出る幕がないという ヴィヴァルディは聴いてると途中でどうでも良くなる
聴いてくれる人をハッピーにしたいという気持ちがあまり伝わってこない モーツァルト信者は闇があるかどうかを音楽に求めるのか。
ベートーヴェンの音楽にはあれこれ不純物がどうとか言っていたと思ったが。 モーツァルト以外のCDも手に取るが
一瞬、時間の無駄と思ってしまう 特にハイドン
でもたまにベートーヴェンのピアノ協5を聴きたくなる 交響曲・弦楽四重奏曲ならハイドンの方が上
ピアノ協奏曲ならモーツァルトの方が上 驚いた。ハイドンの弦楽四重奏曲にモーツァルトの作品が圧勝なんて意見が存在していたなんて。 実際二人って本当に会ったんだろうか…確かめようが無いけど 日本の演歌はいいぞ、
ベト好きならきっと好きになると思う。
山本直純も好きだったらしいし。
オレは大嫌いだけどな。 高木トウロクは、
「演歌は歌でない」と言っていた(2回目) モーツァルトね。
悪くないよ。
でも、毎日はないなあ >>996
「自分の場合、立ったんですなあ。トリスタンとイゾルデ」(五味)
「グー、君ねえ、ジャズを聞いて立つってことはあるかもしれないが、ワグナーを聞いて立つことはないなあ。
まあ、音楽が解らねえ奴は立つかもしれねえが、それだけの力があることは認めるよ」
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