モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い
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モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い?17 [無断転載禁止](c)2ch.net
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どうぞどうぞ好きなだけ
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 良くも悪くもモーツァルトの影響を受けた後世の作曲家には
少なからずモーツァルトの遺伝子が組み込まれているような気がする ⬆4回も連投して絶賛はいいんだけど
何を聴いてるの?
僕は今はヴァイオリンソナタ35番
グリュミオーで聴いているけど
モーツァルトも演奏者もいいね。
今日一日いい日でありますように。 「僕はハイドンの音楽もなかなか好きだ。形式の完備整頓、表現の清らかさという点では無類である。
併し、モオツァルトを聞いた後で、ハイドンを聞くと、個性の相違というものを感ずるより、何かしら大切なものが欠けた人間を感ずる。
外的な虚飾を平気で楽しんでいる空虚な人の好さと言ったものを感ずる。
この感じは恐らく正当ではあるまい。
だが、モオツァルトがそういう感じを僕に目覚ますという事は、間違いない事で、彼の音楽にはハイドンの繊細ささえ外的に聞こえる程の驚くべき繊細さが確かにある。
心が耳と化して聞き入らねば、ついて行けぬようなニュアンスの細やかさがある。
一と度この内的な感覚を呼び覚まされ、魂のゆらぐのを覚えた者は、もうモオツァルトを離れられぬ」(小林秀雄)
10代に小林秀雄を読み耽っていた頃、モーツアルトの音楽に日頃抱いていたあれやこれやの想いを一言で言い当てられ、感動した、これは、その文章の一つだ。
ベートーヴェンは精神に訴える音楽である。耳が酔うことはない。(無理を承知で1曲に絞れば)「朝比奈隆&大フィルの交響曲エロイカ2楽章(VDC-5528)」をその代表として、私は採る。
他方、モーツアルトは私の場合、(これも誤解を承知で言えば)ハーモニーに耳が酔う音楽であり、
ベートーヴェンの音楽がうったえる精神の、「さらに内奥にある、本能とは別の、自意識を超えた何かしら深いもの」に触れる、とでも言おうか、私にはそんな風に思える音楽なのだ。 そうですね、ベートーベンは人間の尊厳を歌った人間のための音楽
モーツァルトは、すごく楽しく聞けるけど、あなたのような深い解釈はできません
ハイドンは好きです、僕のハイドンに対するイメージは「合奏の喜びの発明者」です ベートーヴェン交響曲3番の第2楽章とポストホルンセレナードの後半の緩徐楽章が似ていると思いました。 モーツァルト「バスティアンとバスティエンヌ」序曲とベートーヴェン交響曲第3番「英雄」第1楽章、主題が全く同じ >>470
昨日同様、モニターGoldで「モーツァルト ルチオシルラ序曲K.135」をリピートをかけて聴いている。
つい今しがた迄トレーニングセンターで汗を流していたが、この時間よりモーツァルトタイムである。
若書き(モーツァルト16才)の傑作だと私が信じて疑わないこの曲、8分33秒のこの序曲だが、3時間聴き続けても飽きることがない。
もうポストホルンセレナーデ終楽章と音楽の質/完成度は変わらぬ。
ポストホルンセレナーデ終楽章はモーツァルトが遺したプレストの最高傑作だ。これが私の感性である。 >>475
だが、モーツアルトプレストに耳が酔い、心が何処か遠い天空の彼方へと届くのは、生活者として、相当程度充実している時に限られるのも事実なのだ。
そう言う意味では、モーツアルトの音楽は、凹んでいる時には決して聴けない、ある意味、残酷な音楽なのかもしれない。
何と比べて?無論ベートーヴェンの音楽と比べて。
ベートーヴェンの音楽は、生活が充実しているも、凹んでいる時も、いずれの時も、いつも僕らに寄り添ってくれる。
私は充実している時にはエロイカ2楽章を、凹んでいる時にはヴァイオリン協奏曲2楽章を、それぞれリピートをかけて半日ほども聴いていることがある。
前者は上に書いた「朝比奈盤」で、後者は「メニューイン&フルトヴェングラー盤」か「チョン・キョンファ&テンシュテット盤」で。 エロイカ二楽章って葬送行進曲なんだけど、それをリピートしてるの? なんか、分かるなあ〜
俺は、凄く調子悪い時があって、這い上がろうとしていた時
運命をよく聞いた(クレンペラー・フィルハーモニア管)
淡々と歌っている中に力感があって、最終楽章の終わりを惜しむような
引き伸ばされたエンディング
今でも、クラシックの最高峰は運命だと思っている(ピアノソナタは別格として)
モーツァルトは、調子の良い時に何気なく聞いていた >>478
はい、2楽章です。凹んでいる時には葬送行進曲はキツいです。
また、葬送行進曲ですが、中間部は実にダイナミックで、まさにベートーヴェンしか書けない実に充実した音楽だと思うのです。
たまに、2楽章をリピートをかけ1時間ほど聴いた後、リピートを切り、3楽章→4楽章と最後まで聴くこともあります。
充実している時は、これか交響曲7番(SACD カルロス・クライバー&ウィーンフィルハーモニー盤)ですかね?
279さんのように(カップリングされている)交響曲5番から聴き出すこともあります。この2曲でリピートをかけて2〜3時間聴いていることがあるのは「5番の2楽章」ですかね。
>>479
私は凹んでいる時は専ら「ヴァイオリン協奏曲の2楽章」なんです。トゥッティがフォルテで演奏されるのは終結部だけですし、主に弦主体の音ですから弱った心への刺激も少ないからです。
凹み方々やや回復してきたら、ホロヴィッツのムーンライトソナタ(SACD)1楽章を、これまたリピートをかけて数時間後聴いております。
凹んだ心に寄り添ってくれるのだから、ベートーヴェンという人は、孤独だが、優しい心の持ち主だったはずです。 >>481
これまたリピートをかけて数時間後聴いております。 (×)
これまたリピートをかけて数時間ほど聴いております。(◯) 古典派の曲は、ピリオド楽器で弾くべき
イ・ムジチなんて論外
モダン・オーケストラなんか聴きたくもねえ いずれ頂点はモーツァルトといっても過言ではなかろう 簡単に言えば
モーツァルトはザギトワとかメド
ベートーヴェンは宮原 古今東西
モーツァルトとベートーヴェンの違いの例えは
無数にあれど
どちらのファンも納得するようなのってある? モーツァルトは佐々木小次郎
ベートーベンは宮本武蔵
モーツァルトは仲代達也
ベートーベンは三船敏郎
モーツァルトはプラトン
ベートーベンはソクラテス
モーツァルトは坂田英男
ベートーベンは藤沢秀幸
モーツァルトはゲーリー・プレーヤー
ベートーベンはジャック・ニクラス
モーツァルトはイエス・キリスト
ベートーベンはゴータマ・ブッダ
モーツァルトはジョン・マッケンロー
ベートーベンはビヨルン・ボルグ
モーツァルトはマツダ・ロードスター
ベートーベンはトヨタ・クラウン
モーツァルトはグッチ
ベートーベンはロレックス
モーツァルトはJBL
ベートーベンはタンノイ
モーツァルトは神童
ベートーベンは楽聖であり天才 最近練習していないからベートーベンはもう無理
モーツアルトをチマチマ弾いている >>488
せっかく書いてもらったけど
やっぱ
モーツァルトはモーツァルトでしかなく
ベートーヴェンはベートーヴェンでしかないんだね 聴いているけどモーツァルト賛美より
演奏者かな。
グリュミオーのヴァイオリンとハスキルのモーツァルト
いいなぁ。ちなみに今 34番ソナタの第2楽章 >>491
あなたが書けって言ったの?
言っておきながら、それはないでしょ
なんかコメントして頂戴 >>470
>心が耳と化して聞き入らねば、ついて行けぬようなニュアンスの細やかさがある。
一と度この内的な感覚を呼び覚まされ、魂のゆらぐのを覚えた者は、もうモオツァルトを離れられぬ
モーツァルトにそこまで感じるには、逆に相当の集中力を要して疲れないか
和声も旋律も単純すぎて相当に感性働かせて聞かないと、耳を素通りしてしまう
モーツァルトはもっと単純に楽しめばよいと思う >>494
BGMとしてかけるモーツァルトは、私の場合は、アイネクライネナハトムジークの「2楽章」だけです。
これはこれで大変心地の良いものです。 >>488
面白い試みだと思うけれど、
ベートーヴェンはアリストテレス
イエス・キリストとブッダは逆の方がよくないか
ベートーヴェンはやはりコナーズ。長く堅実にプレーした(ボルグは早くドロップアウトしたからね)
車の比喩はモーツアルト=ロードスターはあんまりじゃないか。
しかしあえてミニバンで、モーツアルトをオデッセイ、ベートーヴェンをアルファード、
はどうだろうか >>496
ありがと
あなたの対応に感謝します
「ベートーヴェンはアリストテレス 」は俺も考えたが
モツの対応が思いつかなかった 日本で「作曲家と言ったら誰を思い浮かべますか?」みたいなアンケートをとると、一位はベートーベンになり、「運命」のジャジャジャジャーンが頭の中で鳴ると思う。
日本以外だと、どうだろう? ドイツで困った時、
「ジャジャジャジャーン」
と言ったら見事に伝わったなぁ あたしはここに引退いたしますが、ベートーベンは永遠に不滅です モーツァルトは、モツ煮込み
ベートーベンは、手弁当
愛情の差で、ベートーベンの勝ち ふと思ったんだが、カラヤンのモーツァルト交響曲の演奏は、あまり評判よくない
もしも、カラヤンのモーツァルト交響曲演奏がベートーヴェンの交響曲と同じぐらい評判よかったら、日本でのモーツァルトの知名度やイメージはベートーヴェンと同等だったかも? カラヤン登場前の、明治・大正期の評判はどうなんでしょう 明治大正昭和期は情弱の評価ばかりなので今の時点で評価するにあたっての参考にならん カラヤンは日本で人気だったんだよな。
ソニーの盛田会長がCD開発するときカラヤンの
何番か忘れたがベートーヴェンの曲が入る大きさに
したという話しがある。
もう日本じゃクラシックと言えばベートーヴェン、カラヤンという
時代があったんだね。海外ではもっとマニアックに
指揮者も評価してたね。カラヤンの演奏は装飾的な演出が多い印象だったな。 〜カラヤンとデジタル〜
ソニーの大賀は、音楽家の立場から、この未来のディスクにはほとんどの音楽が切れ目なく録音されることを強く望んでいた。
録音時間に関して、フィリップスとのやり取りの中で、大賀自らが黒板の前で七十四分説を説いたのだ。
しかし、フィリップス陣は首を縦に振らない。やむなく大賀は、
「巨匠カラヤンもそう望んでいる」
と言ってのけた。
巨匠の名前は反対勢を説き伏せるには十分な効果を発揮した。
結果的にカラヤンが、いやその名前がソニーに味方したのだ。 モーツァルト聴き出してから、要所要所で心の琴線に触れる部分があって
「そういう感情よく分かる」という状態になれるんだけど。
ベートーヴェンの場合、そういう聴き方はできないで音の流れを楽しむ
だけになってしまうんだよな。心理的に共感しようとすると激しくなり過ぎて
「オレそんなに怒りに身をまかさないもんな」という気持ちになる。
なんかふつふつと怒りがこみ上げるような表現多いでしょ。
こういうの戦時で敵の事考えてる時なんかに高揚するかもな。
まあ反論欲しさの偏見だけどなw 興味深い、いったいどのベートーヴェンの曲聴いてそう思うの??前にも尋ねたけど返事ないまま同様の書き込みなんだよね。
是非教えて欲しい。
ベートーヴェンのロマンス1番なんて聴いたことある? モーツァルトの作品はどの曲もバランスがとれているが、ベートーヴェンは非常に両極端。
モーツァルトはいつ何時大体どの曲を流しても心地よいが、ベートーヴェンはその時の
気分で選曲させられる。 かつてのベルリンフィル支配人
シュトレーゼマンが述べていたが、
どんな作曲家と組合わせが合う作曲家は
ベートーヴェンだと。ベートーヴェンだけの作品揃えてもプログラムが組めるとも。
バランスが取れていないようで実はバランスが取れている作曲家でもある よっ、釣れたな。曲というより、話しの内容からアレグロの部分だと分かるはずだけど。
モーツァルトのアレグロには激しさの中に悲しさや苦悩の表情が聴き取れる。
ベートーヴェンにそれが無いとは言わないが、むしろ怒りににた感情を
感じとることが多いということだよ。 なんとなくということなのね。具体的曲がでてこないのは残念だけど? 確かにモーツァルトのピアノ協奏曲第24番、交響曲第40番は短調だけど哀愁や脆さや神秘性を感じるなぁ ベートーベンの音楽を怒りと感じたことはないな
「解決」「尊厳」「強い意志」「やすらぎ」という感じ 指揮者広上氏は モーツァルトは時に刃物で刺されるような怖さがあるとも話していたので
表面と奥深さを探究した、聴きかたも面白いかもしれないね。例えば交響曲40番2楽章を森林の中、鳥の囀ずるようなイメージした
人がいたと思えば、家の奥の日の入らない仏間の雰囲気と感じる人がいたように。 昨日、N響レジェンドでモツやってたけど、俺には、「だからどうした」って聞こえた
池辺先生が「41番には1番のモチーフが出てきて、面白いですね」って言ってた
どうもモツは、いつも同じような曲想に聞こえる、芸がねえんじゃねえのか 交響曲第41番が出たけど、まさにいろんな感情が読めるよね。
「解決」「尊厳」「強い意志」「やすらぎ」ってむしろモーツァルトだね。
いやもっといろんな感情が湧いてる。「消沈」「慰め」「落胆」「楽観」…
現代的な人間感情に近い。モツは敵に家族を殺されて悲しんで、敵を憎みみたいな
19世紀的つうかどっかの国的な感情ではないな。 モーツアルトは聞く人を選ぶ
わからない人は、どんなに聴き込んでも限界がある。
ベートーベンは万人向け。
聴き込めば聴き込むほど新たな発見がある。 モーツァルトは裸の王様のように思えるな。
天才というフィルターを通して見る大人はまともに物事を判断できず、
先入観のない子供だけが王様は裸だとそのままを指摘した。
今後は20世紀のモーツァルトの神格化に直接の影響を受けていない世代が多くなり、
新たなモーツァルト像を提示する事になりそうだ。 若いうちは
刹那で雑多な音楽をたくさん聴いたほうがいい
その方がモーツァルトに到達したときの
感動が一入というものだ 若いうちに聴く
>刹那で(イミフ)雑多な音楽
の幾つかはモーツァルトの曲だと思う まあいろんな思いがあるんだろうけど、「裸の王様」ってまで言うと
どうしてもベートーヴェンという気がするな。
新しいことをいくつもやりましたとか、新時代を作りましたとか
音楽室の格好のいい肖像画だとか、音楽に深く関わってない子供が
感化させそうな要素が満載。実際オレもベートーヴェンの肖像画の
下敷きもってて、すごい人なんだと思ってた。
モーツァルトはいろんな音楽聴いた後じゃないと好きになれない
地味さがあって、むしろ「王子とこじき」風な喩えが合ってる。 モツの交響曲は大したことないけど
オーボエやフルート協奏曲はなかなか良い
ピアノソナタも格調高い
しかし、なんとなく曲の在り様が似てるから、飽きられたんだろう >>535
ほう、ベートーヴェンに関して言えば、音楽そのものを聴いて感銘した後に諸々のエピソードを知った身としては正反対の見解だな。
しかし、その後にベートーヴェンは仮に耳が聞こえていても音楽の価値は揺るぎないという結論に達したよ。 >>530
アラウだったね、、
よく弾くけど、俺はなんと乱暴に弾いてたんだろ と猛省 >>537
そういう方がいらっしてもおかしくはないでしょうが、
ベートーヴェンは小中学校の音楽の時間なんかにエピソードを
聞いてる者は多いと思うし、メディアなんかで一番語られてる
話しだよね。個人的にはディズニーのアニメでも曲を聴いたし、
ラジオなどでも聴いてた記憶はある。なんか映画もあったような。
最初に音楽を聴かれたなら、まあ幼少期に音楽とは無縁だったの
かなっと勝手に想像してしまいます。 >>539
537だが、確かにクラシックを聴き始めたのは20代になってからだな。
勿論それまでにはテレビで流れた有名曲は耳にしていたが、エピソードの類は殆ど聞いたことがなかった。 ベートーヴェンを聴いてると眉間に皺がよってきて
紅茶を飲みながらゆっくりしたり談笑したりするには合わない
聴いてもらうから聴かせてやるへと
作曲家の地位が向上したんだろうな >>538
途中から聞いて、いい曲だなあって思った
交響曲くらいしか聞いたことなかったけど
ピアノソナタもいいなあ
一音一音がくっきり響いて、しかも音の流れが美しく聞こえる
アラウは、やっぱ巨匠 このスレも、No2はないな
なぜって、結論がほぼ見えてるからね >>546
このスレは実質No.18ですが >>1 18回もやってたんだ
もうそろそろ、結論出るんじゃないの どちらが凄いかと言えば、間違いなくベートーヴェンだが、
どちらが好きかと言えば、モーツァルトっていう人のが多い気がする 演奏者で大きく変わるね。
モーツァルト
最近ハスキルで協奏曲20番24番
聴きなれていたと思っていたが、
新たな魅力溢れる発見があった。
たからこんどはベト3を買う。 クラシックだけじゃなく音符だけなら結構つまらない音になる、
MIDIでならしてみるとモツもベトも結構つまらなくなる。
ベトの方が変化が大きい分、面白いかもしれない。音としては。 モーツァルトの方がいい。
帰ると、アレクサ、モーツァルトかけて
といってしまう。 こんどは、ジャズピアニスト
キース ジャレットのモーツァルトコンチェルト23番を買った。
第2楽章の即興カデンツはたまらないなぁ モーツァルトは奥が深い、
いまラローチャで27番コンチェルト聴いてる。
キースジャレットから始まってしまった。
グルダの23番もいいね 作曲家より、演奏家が問題
古典派は、古楽器でなきゃ駄目
ウイーンフィルより、コンツエンツス・ムジクス・ウイーンで
ベルリンフィルより、ベルリン古楽アカデミーで 最近、このスレ、伸びないな
書くことなくなったんだね
モツが飽きられるのと同じか・・運命共同体 聞き専スレで自演とか単発やってるよ
指揮者スレでage単発やってるのも同じやつ
バックハウススレや最強ピアニストスレにも粘着していた
ラファってのもそうなんだろうが 前に、「モーツァルトは恐ろしい音楽でもある」と書いた。
そこの処を今少し掘り下げてみたい。
ベートーヴェンの音楽は、心身ともに充実している時は、交響曲3番エロイカや交響曲7番辺りが、まるで此方の心の映し鏡の如く朗々と鳴るし、反対に凹んでいる時はヴァイオリン協奏曲2楽章がそっと寄り添ってくれる。
私に取って、ベートーヴェンはそんな音楽であり、耳を酔わせることは無いが、人生の辛苦を乗り越えてきた精神が書いた音楽とでも呼べば、あながち間違ってはいまい。
他方モーツァルトとなると事情はだいぶ異なる。
まず心身ともに充実している事が絶対条件であり、それだけでは足りぬ。
私も生身の人間であるから、気分の浮き沈みは当然ある。
沈んでいる時、私は、「モーツァルト特有の凶暴な美」と呼んでいるのだが、、この凶暴さに太刀打ち出来ないのだ。耳が酔うなんざ到底出来ぬ。
凶暴な美からは最も遠い音楽とも思えるクラリネット協奏曲2楽章でさえ、私の場合、相当の覚悟が無ければ聴こうとは思えぬ。
今日は心身ともに充実しており、気分も浮き浮き、まさに「ピアノ協奏曲22番」か「魔笛」日和なのだ。
心ゆくまで耳を酔わせてくれる。 一行目から「お前がそう思うんならそうなんだろうな」で始まるから最後まで読む気にならなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています