モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い
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モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い?17 [無断転載禁止](c)2ch.net
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どうぞどうぞ好きなだけ
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>65
まったく同感!
てゆーか、そんなことをわざわざ調べて
書き込んで、、こんな暇な人も世の中にいるということを再認識した かつてカンナムスタイルの動画再生回数を水増ししてホルホルしてたチョンの発想だな>>64 >>65
モーツァルトは飽きると言っている人間に対してだ
ベトオタにとっては飽きるかもしれんが世の大多数の人間は飽きずに聴いてられる
それが再生回数の違い >>67
PSYは水増ししないと再生回数稼げないけどモーツァルトはそんなやつとレベルが違う >>69
理屈が同じと言っているんだが
つべの再生回数の多寡で比べるのがそもそもの間違い >>71
何がどう間違いなの?
再生回数が多いからってモーツァルトのほうが優れてるとは言ってない
>>68で説明してる 回数多い≠飽きない
別の次元事象の話
yutube回数で全てを表せるとお思いかね *************今日の音質改善up load ***********
モーツアルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク 録音:1961年1月9日
ラファエル・クーベリック指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
場所:かりんとin! 64MB
(音質調整後)
第1楽章:http://up2.karinto.in/uploader/download/1512211463.wav
第2楽章:http://up2.karinto.in/uploader/download/1512211688.wav
第3楽章:http://up2.karinto.in/uploader/download/1512211843.wav
第4楽章:http://up2.karinto.in/uploader/download/1512211983.wav
(音質調整前)
第1楽章:http://up2.karinto.in/uploader/download/1512212185.wav
第2楽章:http://up2.karinto.in/uploader/download/1512212539.wav
第3楽章:http://up2.karinto.in/uploader/download/1512212686.wav
第4楽章:http://up2.karinto.in/uploader/download/1512212854.wav
ダウンロードパスワード:ESOSACD
演奏時間(T5:58 U5:45 V2:05 W3:31)
***********************************
音源は2014年発売のワーナーICONシリーズの中のRAFAEL KUBELIK BOXの中の1枚。
クーベリックのモーツァルトは後年評価が高まったが,1961年の時点ですでに堅実で普遍性のあるモーツァルトを演奏していたことがわかる。
自分で調整して言うのもなんだが,この音質ならハイレゾは必要ない。
低音も高音も従来のCDにない開放感があり,演奏のニュアンスや美感は十分伝わってくる。
と言うより,音質を改善せずに劣った音でCD販売が続けられていたと言える。
劣った音のCDによりリスナーを逃がしていたと言えよう。
人類はCDのポテンシャルを十分には使いこなしてこなかった。 まあまあ
そんなデータもあるっつうことで
今日はベートーヴェンを聴いてます クーベリックはいいやね
すっきり、はっきり、よどみがなく大好き 『プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード』
天才音楽家を巡る愛と陰謀を描く本作が12月2日(土)より日本公開されることが明らかになった。 アマデウスとはガラッと違うらしいから新作映画見るのが楽しみだな 宣伝写真見てみたが紳士的なイケメンって感じで全然イメージと違うw
それはそれで面白そう ヴァーツラフ ノイマン指揮
チェコフィル
1976年 東京ライブ
1989年 プラハライブ
最近の流行りの演奏から得られない感動がある パーボォはダメですか?
英雄聞いたときは、いいと思ったけど ノイマンは入手が難しそう
ヤルヴィなら何とかなるね >>90
ドレスデン
ライプツィヒも聴いてみたい
季節柄かな
ベートーヴェンいいかも ライプツィヒはあまり個性がないかも。
今のスタイルのベートーヴェンでスケールは
ドレスデンに比べたら小さいし、合唱が遠い位置のような。 ライプツィヒいいね
野菜だけ食って90歳まで生きられるんだねw ベートーベンのピアノソナタの時期だな
初期のソナタはモーツァルトの影響があると思っていたが(1番の出だしはモロ)
娘に聞いたら、常識だって言われた モーツァルトは天才、曲に努力の跡が見えない
ベートーベンは、頑張りましたねえって感じが曲に出てる
モツは花形進、ベトは星飛雄馬 モーツァルトは、お茶とか水
ベートーヴェンは、アルコール あんたが、思いつきでたくさん書けばいいでしょ
発言が消極的 さて、今日は第九公演だ。
ベートーヴェンのほうが凄いな >>107
佐渡裕、いいと思うけど
オザワの跡を継ぐのは、佐渡裕
そっかー、それでN響、使わないんだな >>110
やっぱベートーヴェンだよね😃
ピアノソナタを聴きながら年末過ごすのも
乙だよね バックハウスかアラウ
最近では、アンスネス
モツァルトを弾いて、凄いなって思った奏者は皆無 あとはこの辺とか
ttps://youtu.be/x4NhrfsHWlw >>117
モツは、いつも同じ曲想
ベトのような多様性がない 年とるとアイドルの顔の見分けがつかなくなる
みたいな感じなのかなw 多様性というのは苦悩の証なのかな
だからだろうか聴いて苦しくなる
聴く人の立場に立っている感じがするモーツァルトのほうが
やっぱいい そして凄い モーツァルトはピアノソナタよりピアノ協奏曲だな
ベートーヴェンですら20番のカンデンツァを作ったぐらい気に入っていたわけだし
この溜め込んでいた何かが爆発する出だしを聴くとモーツァルトも日々苦悩していたんだというのがわかる
https://youtu.be/Hbzy3AKh4OE モーツアルトの1791年の作品はそれまでの作品と曲想と違う。
死と絡める人が多いが、2年続いたスランプを抜け出して
新しいものを見つけたのだろう。
あそこで死ななければもっと飛躍したかもしれない。
彼の父も息子も短命ではなかったので、
変な感染症にかからなければ1820年くらいまでは生きただろうし
ベートーベンを最大のライバルとして切磋琢磨しただろう。 ピアコンなら、モツの方が聞きやすい
ベトは完全にピアノソナタが最優秀
ベトのCDでピアコンとソナタが入ってるのあるけど、違う作曲家か?
と思うほど、格の違いを感じてしまう
ベトソナは多様性の極みで、よくぞこれだけ見事な作品を作り続けたなと感心する
ベートーベンこそ、真の大天才 >>128
ベートーヴェンはね、
交響曲、協奏曲、ソナタ(それもピアノ バイオリン チェロ)それぞれちがうんだよね。 常に熱くなると「コラァーッ」とか「何やってんだぁー」とか突然発狂する奴いるだろ。
シーーーン、バァーーーン! ヨロヨロ、ジャーーン!
なんかその辺と共感する奴が多いんだと思う。 ベトさんは
喜怒哀楽がありすぎるところが
引いてしまうんだよな >>132
そこが好かれるルーツかもね。
寄り添ってくれるのさ それは、
何のモーツァルト?
イージーリスニングで作品を集めたものかな、
それなら寝るときに快適だろうね。 >>137
音楽は感じるものです。
わかるわからないではありません >>136
馬鹿にしてる感じだけど、代表曲などのイメージばかり先行してモーツァルトをろくに聴いたことないっていうのがわかるね モーツァルト大好きだけど
もともとイージーリスニング目的で作られた楽曲があることは否定しない
そういう時代背景の作曲家だから
来年はモツレク歌います
暗譜だと…出来るんかいw >>140
そう?
モーツァルト聴くし
演奏もしているけどね、、
レクイエムはコシュラーがスロヴァキアフィル振ったのが一番好きだな レクイエムは弟子が加筆したという噂があるせいか、
従来のモーツァルトらしからぬ印象があるんだけど、
どうなんですかね。あれ聴きながら死ぬより、
そのイージーリスニング調を聴きながら逝きたいねオレは。 >>143
ラクリモーサ8小節で絶筆なので、
当然その後から弟子?という聴きかたしちゃう。でもジェスマイヤー版がやはり一番
いい出来だと思う。アーノンクールもいろいろ試しジェスマイヤーに戻ったし >>143
細かいようだが、レクイエムが演奏されるのは死んだ後で
死にながら聴くわけではない モーツァルトは美しさ、哀愁、楽しさがあるね
ベトは暴力的でどうも苦手 そうそう、モーツァルトには哀愁や叙情性や儚さがあるんだよな。
長調の作品で転調して出てくる短調を聴いてると普段は天真爛漫で明るい人が泣いてるように思えてくる。 >>148
ベートーヴェンをなにも知らないのをここで暴露してるのか、釣りなのか、、
ピアノ協奏曲第3番2楽章すら聴いたことないんだろうね。 >>145
細かいようだけど、それは分かった上でCD時代にモーツァルトを聴きながら
死にたいっていう人が少なからずいることを前提に言ったまで。
まあ死んだ後に家族がCDで流してくれるかも知れないけどね。 >>151
言葉を正確に使うのがベストなんだろうけど、ベトに限らず
どの音楽にも美しさ、哀愁、楽しさはあるけど、モツに
それを強く感じるってことでしょ。突っ込むほどのことじゃない。
オレは148じゃないけど、あなたの書き込みも暴力的だね。 ベートーヴェンの第9の3楽章
田園、後期弦楽四重奏、どのピアノ協奏曲
での抒情楽章
なんと、祈りの多いことか。 >>157
1976年、89年どちら聴いたのかな。
両方いいんだけど今年は76年の方に惹かれる。
今はこういうの聴けないけど3楽章の祈りは
格別 「主題的器楽形式の完成者としてのハイドンにとっては、形式の必然の規約が主題の明確性を要求したのであるが、モーツァルトにあっては事情は寧ろ逆になっている。
捕らえたばかりの小鳥の、野性のままの言い様もなく不安定な美しい命を、籠の中でどういう具合に見事に生かすか、というところに、彼の全努力は集中されているように見える。
生まれた許りの不安定な主題は、不安に堪え切れず動こうとする、まるで己を明らかにしたいと希う心の動きに似ている。
だが、出来ない。それは本能的に転調する。若し、主題が明確になったら死んで了う。或る特定の観念なり感情なりと馴れ合って了うから。
これが、モーツァルトが守り通した作曲上の信条であるらしい」
「小林秀雄のモオツァルト」の中でも、私が特に惹かれる箇所であるが、「若し、主題が明確になったら死んで了う。或る特定の観念なり感情なりと馴れ合って了うから。
これが、モーツァルトが守り通した作曲上の信条であるらしい」の文章に接した時、私の考えを一言で言い当てられた驚きを今でも鮮明に憶えている。もう40年も前のことである。
「音を語るのは音以外に無い」、このボードレールの述懐はモーツァルトに於いてその頂点に達する。言葉はついて行けぬ。観念なり感情なりは言葉と親しいからである。
モーツァルトが何故この様な音楽を書けたかと言えば、彼の鋭敏な耳が其れを求めた、そう言う他はない。同じ道を行く限り、「精神で音を聴いている」ベートーヴェンは敵わぬ、彼はそう覚っている。
主題と特定の観念なり感情なりとの融合、ベートーヴェン ピアノソナタ悲愴2楽章/月光1楽章を弾けば、これはもうモーツァルトとは異質な音楽であると誰でも感じるはずだ。
どんなに激しい曲であろうと、ベートーヴェンの音楽は人の心に寄り添う優しさがある。
そして遂には、彼の音楽は後期弦楽四重奏曲に行き着く。鋭敏な耳が行き着いた音楽が「魔笛」「クラリネット協奏曲2楽章」であった様に、精神で音を聴いている耳が行き着いた、其れは音楽だと言ってよい。 自宅のグランドピアノで自分で弾ける数少ない曲のひとつが「ベートーヴェン/ムーンライトソナタ1楽章」。理想の演奏はホロヴィッツ。耳コピが出来ている程聴いているので、楽譜がろくに読めない私でも音符は追える。
昨夜も1時間、今も1時間程ホロヴィッツの演奏(SACD)を聴き続けている。
主旋律の殆どが小指のみで奏でられていたことは自分で弾いてみて初めて知ったのだが、其処にはベートーヴェンの意図があるはずで、聴き専の時は気付かなかった発見でもある。
ベートーヴェンがこの曲を作曲したのは耳の不調に悩まされ、自殺も考えていた頃に当たる。その後有名な遺書を書くのだか、人間は遺書を書く時は苦しみの峠を越している場合が多い。遺書を書く事で自分の運命を客観視出来ているからである。
そして、交響曲の革命とも私は確信している「エロイカ」の完成を迎える。この曲の交響曲史上に於ける意味は、まさに革命的である。
既に、「ピアノソナタ悲愴」に於いて、「音を語るのは音以外に無い」というボードレールの慧眼は根底から覆されるのであるが、「エロイカ」の完成は、交響曲のジャンルに於ける同等の大事件だった、私はそう思う。
職人作曲家の終焉をそれは意味する。 モーツァルトはカナリア飼ってたんだよな。
オレの家でも昔飼ってたけど、2羽で鳴き合う時に
モーツァルトの40番ト短調のメロディのような鳴き方するんだよな。 >>158
東京DENON
ちょっとラッパうるさい
微妙にドボルザーク臭
ベートーヴェンもいいね >>160
僕もその通りだと思う
英雄は、それ以前の音楽とは全く異質
心の問題を強く打ち出している
命とは「心がある」ということだから
だからと言って、モーツァルトが心の問題を扱っていないとまでは言えないと思います
その辺のところは、よく分かっていません ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています