モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
前スレ
モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い?17 [無断転載禁止](c)2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1486010094/
どうぞどうぞ好きなだけ
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured これは、各自の趣味の問題で一概には言えないと思う。
小生はベートーヴェンもモ−ツァルトも好きだ。
ただ、器楽曲はベートーヴェンのほうが若干の長がある気がするが、歌劇部門なら圧倒的にモ−ツァルト
だろう。
モ−ツァルトのように両方の部門で傑作を残した作曲家は絶無だろう。 オベラと器楽という括りなら数は少ないかもかもしれないが、声楽曲全般なら話は違ってくる。 ヤン・ディスマス・ゼレンカ (1679-1745)
レクイエム ニ長調 ZWV 46
http://www.youtube.com/watch?v=4Sg01NHNm7M
明るさと暗さを巧みに表現した代表的な曲
モツファンは、過去の作曲家がいなかったことにするのが得意 ベトファンもモツファンもバロック・古典派をたくさん聞くべきだと思う
バロックはバッハ・ヴィヴァルディ・ヘンデルだけじゃないよと
バロックに関しては沢山の作曲家がいたことが認知されてるが古典派に関してはあまり認知されてないように思う 自分の思い込みやこだわりが
間違っているかもしれないとかえりみる事も
時には必要だと思うんだ 無駄な時間ではないと思うし >>739
ピアノ協奏曲第22番は木管が大活躍してると思う。
2楽章では長い間ピアノ演奏なしで木管だけで奏でるところがあるしね。
モーツァルトはクラリネットの音色を特に愛したそうだが木管全般も好きだったんだろうな。 クラリネット協奏曲イ長調K.622の第1楽章は、1787年に作曲されたとされるG管バセットホルンの
ための協奏曲(ケッヘル第6版で621b、199小節まで現存)に手直しを加えたもの
G管バセットホルンのための協奏曲 K.621b
http://www.youtube.com/watch?v=R3tZnGhbZr0 モーツァルトが目標にした作曲家はヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-1782)
J.C.バッハの「心の磁石」序曲のアンダンテはモーツァルトがピアノ協奏曲第12番で引用しており
J.C.バッハへの追悼の意だと言われる
http://www.youtube.com/watch?v=IM-bpdp7VpM
オリオーネ序曲はモーツァルトが好んだと思われる所がよく出ておりモーツァルト作曲だと言っても普通の人は分からないだろう
http://www.youtube.com/watch?v=Hriay-5WJU0 ベートーヴェンの交響曲1番や2番の習作ぽいのを演奏するとき、指揮者やオーケストラメンバーはどういう気持ちで演奏するんだろう? 「ベートーヴェンの交響曲1番や2番」と「習作ぽいの」の間の関係が全く不明 ベートーヴェンの交響曲第一番から既に名曲。
1音1音に意味があると教えてくれる。 2番も驚くほど名曲だよね。
遺書直後の作品で生命力に
満ちている。なんか聴きたくなってきた。スイトナー&ベルリン国立が一番いいかな。 でも、モーツァルト聴くと我が家に戻った
というような感覚になる。
ピアノ協奏曲第19番
アリシア ラローチャのピアノ
コリン ディヴィス指揮イギリス室内 まあモーツァルトの交響曲の場合は前半は習作といえる ハイドンの交響曲も8割ぐらいは名曲だがピアノ協奏曲はほとんどダメ 得意曲種かどうかの問題 交響曲は古くからあったがコンサートのメインを占めるほどの人気を獲得したのはハイドンの功績
またそのハイドンがたくさん書いてるということで弦楽四重奏も人気になった
ハイドン以後の作曲家は交響曲と弦楽四重奏曲の数を自慢するようになった ベートーヴェンの習作なんて、弦楽三重奏くらい?
あれで四重奏が最初からクオリティ高い状態で出せたんじゃないか。 ヨハン・バプティスト・ヴァンハル (1739-1813) も、「100曲の弦楽四重奏曲と、少なくとも73の交響曲」を書いたと証言している
(現代ではあまり知られた作曲家ではないが、当時は世界的な「作曲家」だった。
Wikipediaによれば、作曲家として名声を博し、作曲だけで生計を立てることのできた、おそらく最初の作曲家だったと言い伝えられている。
ボワモルティエの例はあるが、この人は元々のお金持ち)
ハイドンとヴァンハルの共通点は、どちらも音楽家の家系ではないこと
バッハもベートーヴェンも音楽家の家系
モーツァルトは父レオポルトから音楽家の家系になった >>761
ロンドン市民の生活水準が上がり楽器を取得する趣味人が増え、ちょうどその時期に
ハイドンが迎えられ成功を収めた。 戦後の日本に似てるね
日本市民の生活水準が上がり楽器を取得する趣味人が増え、
ちょうどその時期にビートルズが迎えられ成功を収めた 仕事からもどり、ベートーヴェン聴くつもりだったが、結局
モーツァルト:交響曲第33番
カラヤン指揮ベルリンフィル このスレは、モーツァルトファンの方が多いようだね
俺は、ベートーベンのピアノソナタばっか聞いてる
モーツァルト批判じゃないけど、印象派とかゲンオンて
実際になってる音以外で、何か想像してよって言ってる気がする
ベートーベンは、そういうの一切なし、自分の表現したいことを完全に表現しきってる >>763
ヴァンハルの弦楽四重奏をチラッと聴いてみたが、モーツァルトの四重奏に似ている気がする。ハイドンとは違う。 昨日はモーツァルトだったんで
今日こそはベートーヴェン。
ピアノ協奏曲第4番ト長調
グレン グールドのピアノ
なんか、北欧の神秘さを感じる ヨハン・フランツ・クサヴァー・シュテルケル (1750-1817)
交響曲第1番 ニ長調 Op. 35, No. 1
http://www.youtube.com/watch?v=dsx9miWzNA8
1770年代の作曲ながら、モーツァルトの後期交響曲を連想させる風格がある 誰でもできる確実稼げるガイダンス
念のためにのせておきます
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
XJUU1 >>774
当時は楽譜がメインの時代だからほとんど同じ部分も多いだろうが、
誰が先かは不明でモツも好んで誰かのアレンジを取入れているだろうね。
ただ評価は主旋律なりオリジナルを感じる部分にあると思う。誰も
当時の雰囲気だけでは評価しない。 Wikipediaのシュテルケルの項見てもベートーヴェンやシューベルトは影響とあるが
ハイドンやモーツァルトは影響と書かれていない
管弦楽法や主題の展開手法の影響は当然あるだろうに
主題そのものがあまり魅力的でないということで引っかかるものがあるのかもしれない うん、
先日までピアノ協奏曲にはまっていたが、
今は
ハ短調ミサ曲
カラヤン指揮ベルリンフィル
これ夜聴いているといやされるんだなあ。
広上淳一指揮日本フィルの田園と組み合わせて
至福の一時 子供の頃からモーツァルトのメロディーダメだった
クラシックなんかと思ってた俺をひっくり返したのがベートーベン 確かに、
かつてはここでベートーヴェン賛辞だったけど、最近になってモーツァルトが解ってきたきがする。 年を重ねるとハイドンもわかるようになる ベートーヴェンがそうだったように ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K. 467 第2楽章のメロディだけど
ハ長調のコード通りの出だしでドソミドソと単純なんだけど
その後が半音の経過音で繋いでる。転調だらけで複雑にするんじゃ
なく基本の中で自由に展開してるから安定していながら繊細な
印象になってる。そういう部分が好きだね。 ピアノ協奏曲第21番 いいね
細かい事はわからんけど 連休も終わったし
モーツァルト聴いて
ニュートラルにしようかな 久しぶりにモーツァルトのピアノ協奏曲の20番から27番まで聴いたけど、23番が図抜けて出来がいいと思った。
これだけはモーツァルトのファンでなくてもおすすめできる。
ピアノとオケのバランスもいいし、終楽章に関してはビアノがオケを引っ張っていて、まさにビアノ協奏曲の醍醐味を味わえる。
おすすめはアーノンクールとグルダのコンセルトヘボウだったかの盤。
他の作品はピアノ付きの管弦楽曲という印象で、所々良い所もあるがピアノのフレーズにあまり魅力を感じない所や、終楽章がありきたりだったりと、ファンでなければそこまでいいかなあ?と思う。 交響曲のソナタ形式は第一主題のあと第二主題とかわかりやすいけど、ピアノ協奏曲等の協奏曲は、主旋律をオケが弾くかピアノが弾くか、伴奏をピアノが弾くか等も絡んできて、作るの難しそう
モーツァルトのピアノ協奏曲は、その兼ね合いが自由奔放で天才的だが、ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、構成に当てはめようとして、いまいち型式ばってる気がする ちなみに、ベートーヴェンの5番かそれ以降の作曲家からか、ピアノ協奏曲のビアノが弾く旋律が単音じゃなくなった
ビアノの楽器としての性能進歩が大きな要因だろうけど 明らかにモーツァルトのが凄いだろ
すばらしい曲ばかり Mediocre cannot understand the great. たしか91年からシリーズ化した交響曲全集だったかな ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、作品番号的に、交響曲でいうと5番ハ短調まで作曲したって感じかな
ベートーヴェンのピアノ協奏曲が後世の作曲家に与えた影響は、もしもベートーヴェンが交響曲を5番までしか作曲せずに亡くなったとしたら、の仮定を具現化したような
もしも、ベートーヴェンがピアノ協奏曲を交響曲のような感じで9番まで作曲していたら、ブルックナーやマーラーみたいのが、やたら長いピアノ協奏曲を作曲していたかもしれない ベートーヴェンの時代は、交響曲の方が重み付けが上という意識はなかっただろうから、ベートーヴェン自身は、よくピアノ協奏曲よりも交響曲の方に力を入れよう、と思ったものだ
逆だったら、歴史が変わっていたかもしれない
モーツァルトの曲は、交響曲よりもピアノ協奏曲の方が優れている気がする
その方向で、作曲家たちが進んでいたら、ピアノ協奏曲の方が重み付けが上の世の中になっていたかもしれない
つまり、後世に与えた影響は、ベートーヴェンの方が大きい ブルックナーやマーラーがベートーヴェン的だとは思わないが近代に入ると
むしろやたら哲学的になったり思想的になって行く。R.シュトラウス:交響詩
「ツァラトゥストラはかく語りき」がよい例で、ニーチェ、フロイト、実存主義、
民族主義、前衛と音楽までも不安や苦しみを表現することがより高尚なのだという
いくらか偏った時代に入り、武満徹の現代音楽へと続く。
まあそういう流れが音楽の進化だと思う人はそういう音楽を聴いていればいい。
オレはモーツァルトで充分満足。 >>796
馬鹿か
ベートーヴェンの時代はちょうど交響曲と弦楽四重奏が圧倒的人気に変わった時代だよ
つまりハイドン人気に乗ったのがベートーヴェン ハイドンは「なぜ弦楽四重奏ばかり書くのですか」とのインタビューに対し
謙遜して「5つ目のパートが思いつかないのです」と答えた
正直に「5人目のメンバーがいないのです」と答えてしまってはカドが立つとの大人の配慮 タリスが歌うモーツァルトクラリネット協奏曲2楽章は素晴らしすぎるな
モーツァルトは素晴らしいよ さて、年明けてから春頃までモーツァルトにお世話になった。
今日から届いたブラームスのピアノ四重奏曲
をきくぞ〜 GWにモーツァルトの弦楽五重奏全曲(ターリヒ四重奏団のやつ)を聴いたが、やはりそこまでいいかなあ?というのが正直なところ。
メロディに好みがあるとしても、モーツァルトって管楽器に比べて弦楽器の使い方がそんなに上手いとは思えないんだよな。
反対にあまり知られていないが、ベートーヴェンの作品29の弦楽五重奏はいい曲。四重奏とはまた別の音の使い方で面白いし、初期の作品の筈なのに、ロマン派の曲みたいだ。(実際、第二楽章のメロディがシューマンの弦楽四重奏1番第三楽章のメロディと似ている) 物や音楽も分かんない俺氏は負け組ですねわかります
((^o^)) >>803
>タモリが歌うモーツァルトクラリネット協奏曲2楽章は素晴らしすぎるな
モーツァルトは素晴らしいよ
に見えた ベトの音楽は感傷的。
モツは理知的。
ベトは散文的。
モツは詩的。
音楽なんか飽き飽きだが、モツだけは聴ける。 モーツァルトは、音響的楽しみを引きずっているが
ベートーベンは、精神性を高らかに歌い上げ、クラシックルネッサンスを成し遂げた偉人である >>809
そうか音楽は伝統的に耳で鑑賞するものだけど耳が無くても鑑賞できるとしたのがベートーヴェンなんだな リストの少年時代のピアノ演奏を聴いてるから聾唖は嘘八百だよ。 それを言うならモーツァルトも大概だよ。
レクイエムの7曲目まではモーツァルトが書いた部分という知識で、「ここまでは神品、後は弟子が作った作品で凡庸」としたり顔で語っている人間もいるが、
その後の研究から実際モーツァルトが作った部分はもっと少ないと言われている。
神品というような評価も耳で聴いてのものではなく、単なる知識で「鑑賞」した結果かもしれない。 ジャズからポップスに至るまで、つまり音楽がテーマを持った
表現手段という形になったのはベートーヴェンからなのかもね。
まあビバルディとかハイドンなどにも叙景詩・叙事詩という
概念はあるけれどはっきりとした表現ではなく、聴き手の
解釈に任せる部分が大きい。「運命」なんてのはほんと
劇的運命感を持ち合わせないとただの鑑賞とはいかない。
ジャズの名曲なども恋愛や悲恋などを歌詞付で表現している。
貴族を楽しませるためじゃなく、オレの魂だということなんだろうね。
それはそれでいいと思うが、オレはモーツァルトで充分。 ルベルのカオスはニ短調で書かれている
モーツァルトのドン・ジョヴァンニやレクイエム、ベートーヴェンの第九などニ短調は特別な曲が多い 「音楽がテーマを持った」ということではないんだ
モーツァルトを聞くと、音自体が楽しいで終わる感じ
ベートーベンを聞くと、特にピアノソナタを聞くと、感動のあまり涙が出る
なぜなんだろうと考えた後に、「人間の正直さ、愚直さ、真摯な姿、尊厳」
なんてのが湧いてくる感じなんだ ベートーヴェンのその縛りが押し付けがましくて面倒なんだよ
重厚で立派な音楽は低価値がと思う今日この頃です
こういうとロマンスやら春がどうたらこうたらw ベートーヴェンの弦楽四重奏を聴いても重厚で立派という単純なイメージでは表現できない奥深さを感じるなあ。
一番イメージに囚われているのはモツオタだったりして。
実際そんな事考えながら音楽聴いているのかって思うし。 モーツァルトの音楽はただ楽しいだけではない。
例えば、ジュノームの第2楽章は情感たっぷりで、若干21歳で書いたとは思えない哀愁や深みがある。 確かに、後期の協奏曲には死臭が漂っているな
ベートーベンには、死の影はうかがえない
悲愴は明らかに死を見つめている、スレチゴメン >>821
悲愴?第2楽章?
これは死というより、慰めじゃないかな?
母親がなくなっているので、葬送 回想かと This Night / 今宵はフォーエヴァー [日本語訳付き] ビリー・ジョエル
http://www.youtube.com/watch?v=xBgEFz8N5wI
ある世代の人にとってはベートーヴェンの悲愴と言えばこれ
サビに使われてる umekobucha005
5 日前
この曲は昔から知ってたけど、最近ベートーベンの悲愴を初めて聞いて、「あれ?ベートーベンがビリージョエルをパクってる」と錯乱? いろいろ巡回してきたが
やっぱモーツァルトだったよ >>826
この現象ってなんだろうね一体。
説明できそうで説明できない。
月並みな言い方をすれば、モーツァルトには説教臭いところや自意識過剰なところがないというか、人間臭さ=どろどろした感情や悪意が感じられない。
そういう作曲家はバッハとモーツァルトだけじゃないか。しかしバロックは表現方法が未発達でマニアックすぎる。よってモーツァルト一択となるんじゃないか。 「説教臭いところや自意識過剰なところがないというか、
人間臭さ=どろどろした感情や悪意が感じられない」
もし、ベートーベンを批判しているとすれば、それは違うと思う
ベートーベンのピアノソナタは、凄烈で美しい 凄烈である時点で引くんだよんね
でもそれは批判なんて強いものじゃないよ たぶん ベートーヴェンは音の変化を楽しむような聴き方になってしまうんだよな。
花火大会を鑑賞してるような、次は尺玉だなっとかスターマインだなとかね。
モーツァルトはグイグイ心の中に入り込んでくる感じ。「あぁーその気持ち
分かる」みたいな聴き方になってる。 それぞれの効能が違います
ベートーヴェンにモーツァルトを求めたり
モーツァルトにベートーヴェンを求めても
差異が生じるのは当たり前
用法用量を考え使い分けましょう >>827
バッハやモーツァルトの音楽はむしろ同時代の作曲家よりも自意識ありまくりだと思うが。
コレッリとか聴いたことがある?
テレマン、いやラモーでもいいが、これらを聴くとバッハの音楽の捉え方はむしろベートーヴェンに近いよ。
モーツァルトに関しては、多分ハイドンもろくに聴いたことがないだろうから、あまり言わないでおく。 視点を変えれば世界は変わるといったら話が終わるかw ちなみにモーツァルトとベートーヴェンに与えた影響は大バッハより寧ろ息子バッハたちのほうが大きい。 モーツァルトがオペラで人気を博したのはヨハン・クリスティアン・バッハの影響かもしれないし
ベートーヴェンが交響曲や弦楽四重奏曲で人気を博したのはヨーゼフ・ハイドンの影響かもしれない ハイドンセットとか作ってるからハイドンの影響あるだろ。
でもそういう影響だの関連だのはどうでもいい、
もう試験やる歳でもないしな。 >>830
音の変化を楽しむ以外に何があるのか
同じ音ばっかりじゃ、音楽にならない
ぐいぐいって何、意味わかんない モーツァルトで聴き続けられるのは交響曲41番くらいだな。
ベートーヴェンはメロディがもうちょっと良ければ…
偉大さで言えばベートーヴェンに間違いなし。 ベートーヴェンはソナタ形式というものに多少なりとも理解がないと、魅力に気付けない所があるのかな。
少なくともメロディというより、主題単位で考えないと。
シンプルな主題とその展開、変奏を楽しめるようになれば、ベートーヴェンの魅力がぐっと迫ってくるだろう。
そう言った意味では、モーツァルトの方がポピュラー音楽どの親和性が高いかもしれない。Aメロ、Bメロとはっきりした所があるから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています