モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い
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モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い?17 [無断転載禁止](c)2ch.net
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どうぞどうぞ好きなだけ
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured ジャズからポップスに至るまで、つまり音楽がテーマを持った
表現手段という形になったのはベートーヴェンからなのかもね。
まあビバルディとかハイドンなどにも叙景詩・叙事詩という
概念はあるけれどはっきりとした表現ではなく、聴き手の
解釈に任せる部分が大きい。「運命」なんてのはほんと
劇的運命感を持ち合わせないとただの鑑賞とはいかない。
ジャズの名曲なども恋愛や悲恋などを歌詞付で表現している。
貴族を楽しませるためじゃなく、オレの魂だということなんだろうね。
それはそれでいいと思うが、オレはモーツァルトで充分。 ルベルのカオスはニ短調で書かれている
モーツァルトのドン・ジョヴァンニやレクイエム、ベートーヴェンの第九などニ短調は特別な曲が多い 「音楽がテーマを持った」ということではないんだ
モーツァルトを聞くと、音自体が楽しいで終わる感じ
ベートーベンを聞くと、特にピアノソナタを聞くと、感動のあまり涙が出る
なぜなんだろうと考えた後に、「人間の正直さ、愚直さ、真摯な姿、尊厳」
なんてのが湧いてくる感じなんだ ベートーヴェンのその縛りが押し付けがましくて面倒なんだよ
重厚で立派な音楽は低価値がと思う今日この頃です
こういうとロマンスやら春がどうたらこうたらw ベートーヴェンの弦楽四重奏を聴いても重厚で立派という単純なイメージでは表現できない奥深さを感じるなあ。
一番イメージに囚われているのはモツオタだったりして。
実際そんな事考えながら音楽聴いているのかって思うし。 モーツァルトの音楽はただ楽しいだけではない。
例えば、ジュノームの第2楽章は情感たっぷりで、若干21歳で書いたとは思えない哀愁や深みがある。 確かに、後期の協奏曲には死臭が漂っているな
ベートーベンには、死の影はうかがえない
悲愴は明らかに死を見つめている、スレチゴメン >>821
悲愴?第2楽章?
これは死というより、慰めじゃないかな?
母親がなくなっているので、葬送 回想かと This Night / 今宵はフォーエヴァー [日本語訳付き] ビリー・ジョエル
http://www.youtube.com/watch?v=xBgEFz8N5wI
ある世代の人にとってはベートーヴェンの悲愴と言えばこれ
サビに使われてる umekobucha005
5 日前
この曲は昔から知ってたけど、最近ベートーベンの悲愴を初めて聞いて、「あれ?ベートーベンがビリージョエルをパクってる」と錯乱? いろいろ巡回してきたが
やっぱモーツァルトだったよ >>826
この現象ってなんだろうね一体。
説明できそうで説明できない。
月並みな言い方をすれば、モーツァルトには説教臭いところや自意識過剰なところがないというか、人間臭さ=どろどろした感情や悪意が感じられない。
そういう作曲家はバッハとモーツァルトだけじゃないか。しかしバロックは表現方法が未発達でマニアックすぎる。よってモーツァルト一択となるんじゃないか。 「説教臭いところや自意識過剰なところがないというか、
人間臭さ=どろどろした感情や悪意が感じられない」
もし、ベートーベンを批判しているとすれば、それは違うと思う
ベートーベンのピアノソナタは、凄烈で美しい 凄烈である時点で引くんだよんね
でもそれは批判なんて強いものじゃないよ たぶん ベートーヴェンは音の変化を楽しむような聴き方になってしまうんだよな。
花火大会を鑑賞してるような、次は尺玉だなっとかスターマインだなとかね。
モーツァルトはグイグイ心の中に入り込んでくる感じ。「あぁーその気持ち
分かる」みたいな聴き方になってる。 それぞれの効能が違います
ベートーヴェンにモーツァルトを求めたり
モーツァルトにベートーヴェンを求めても
差異が生じるのは当たり前
用法用量を考え使い分けましょう >>827
バッハやモーツァルトの音楽はむしろ同時代の作曲家よりも自意識ありまくりだと思うが。
コレッリとか聴いたことがある?
テレマン、いやラモーでもいいが、これらを聴くとバッハの音楽の捉え方はむしろベートーヴェンに近いよ。
モーツァルトに関しては、多分ハイドンもろくに聴いたことがないだろうから、あまり言わないでおく。 視点を変えれば世界は変わるといったら話が終わるかw ちなみにモーツァルトとベートーヴェンに与えた影響は大バッハより寧ろ息子バッハたちのほうが大きい。 モーツァルトがオペラで人気を博したのはヨハン・クリスティアン・バッハの影響かもしれないし
ベートーヴェンが交響曲や弦楽四重奏曲で人気を博したのはヨーゼフ・ハイドンの影響かもしれない ハイドンセットとか作ってるからハイドンの影響あるだろ。
でもそういう影響だの関連だのはどうでもいい、
もう試験やる歳でもないしな。 >>830
音の変化を楽しむ以外に何があるのか
同じ音ばっかりじゃ、音楽にならない
ぐいぐいって何、意味わかんない モーツァルトで聴き続けられるのは交響曲41番くらいだな。
ベートーヴェンはメロディがもうちょっと良ければ…
偉大さで言えばベートーヴェンに間違いなし。 ベートーヴェンはソナタ形式というものに多少なりとも理解がないと、魅力に気付けない所があるのかな。
少なくともメロディというより、主題単位で考えないと。
シンプルな主題とその展開、変奏を楽しめるようになれば、ベートーヴェンの魅力がぐっと迫ってくるだろう。
そう言った意味では、モーツァルトの方がポピュラー音楽どの親和性が高いかもしれない。Aメロ、Bメロとはっきりした所があるから。 そもそもソナタ形式自体、ベートーヴェン信者のアドルフ・ベルンハルト・マルクスが
ベートーヴェンのピアノ・ソナタを元に初めて論じた概念
ベートーヴェン信者の観点ではそれまでのソナタ形式は全て未熟だとされる つまり、ソナタ形式=ベートーヴェン作品、というのは、いわばトートロジーのようなもの フランツ・ヨーゼフ・ハイドン - Franz Joseph Haydn (1732-1809)
オルガン協奏曲 ハ長調 Hob.XVIII:1
Keyboard Concerto in C Major, Hob.XVIII:1
マリー=クレール・アラン - Marie-Claire Alain (オルガン)
ボーンマス交響楽団 - Bournemouth Symphony Orchestra
テオドール・グシュルバウアー - Theodor Guschlbauer (指揮)
http://www.youtube.com/watch?v=7jBNATMn37c そうかなあ、ハイドンの弦楽四重奏なんてソナタ形式の教科書みたいな印象なんだけど。
とても未熟だとは思えない。 ソナタ形式はベートーヴェンで完成された、はトートロジーつまり内容が何もないというのに等しい
ベートーヴェンの作品がモデルなんだもんそりゃそうだとしか言えない 明治の日本人は鋭かったね、音学じゃなく音楽にしたセンスはキュート。
まあ後の奴らが語感から音学やつてるのは一種の退化だね。 しかし明治の人間に最初に受け入れたのはモーツァルトでは無く、ベートーヴェンやワーグナーのようなドイツ音楽だな。
実際明治の人間の方が今まで聴いていたものとは異質のものを受け容れようとする気概があったかもな。 >>847
元々中国で楽の字はいろんな楽器を演奏してるさまを表す 楽しいは後付けの意味だよ いま辞書で確認したが、楽の字は第一義では音楽と同義。続いて楽器の意味でも使われ、その他でこころよい、たのしいなどが続く 漢字の成り立ちを言ってるわけじゃない、医学だの科学だのを必死で学ぼうとしていた
時代に音楽にはその学を付けてない点を指摘しただけだよ。もちろん音声学などや
学問形式で西洋音楽を学んでもいただろうが、小中高と音楽であったのはよいことだね。 モーツァルトの交響曲第40番1楽章はソナタ形式のお手本のようだ
序奏がないけど バイオリン協奏曲なんかだと、モーツァルトやベートーヴェンのより、メロディがメンデルスゾーンの方が親しみやすいし
弦楽四重奏曲も、ドヴォルザークの方が ハイドンの交響曲第92番「オックスフォード」の終楽章は提示部と展開部が充実したソナタ形式の見本
https://www.youtube.com/watch?v=VL_jEzqyyPE#t=21m50s
21分50秒あたり〜 何度も言うようにソナタ形式はベートーヴェンの作品がモデルの概念
だからベートーヴェン作品でソナタ形式を語るのは無意味 じゃあ、ハイドンやモーツァルトが使っていたソナタ形式はベートーヴェン信者のナントカが名付けるまで何て呼ばれていたんだ? >>852
ソナタ形式のお手本ならピアノ・ソナタ第15番第1楽章 モーツァルトの交響曲第41番4楽章は、ソナタ形式とフーガと対位法が見事に融合してる どっちも別に凄くない。モーツァルトに少しいい曲がある位。
作曲した大半の曲が捨て曲。 >>857-858
無知無教養の告白にしか見えない
最も洗練された形式、ソナタ形式
http://vocalinfo.net/?p=14093
ソナタ形式という言葉が使われはじめたのは、1830年代後半 ホグウッド指揮AAMのハイドンの交響曲96番・94番が収録されたディスクには
当時ハイドンの音楽を分析した楽曲形式を論じたものが付属のブックレットで紹介されてる
それによればハイドンのソナタ形式(?)はABAの三部形式ではなく変奏曲形式に近い ハイドンの場合展開部後半に「疑似再現部」(再現部のふりして展開部を続ける)があるものがあるから変奏曲という見方も可能 >>862
その捨て曲と言われる曲は一見するとただの石ころ、しかし割ってみると無数の綺麗な宝石が詰まっている。モーツァルトを聴くということは一種の宝探しでもある。 モーツァルト作品で宝探しする人もモーツァルト周辺作曲家作品で宝探しする人が少ないのはなんでだろ もったいない このスレではその宝とやらは示されたためしがないからな カール・ルートヴィヒ・ユンカー (1748-1797)
ピアノ協奏曲 変ロ長調
http://www.youtube.com/watch?v=gfUBxs1s9x4
モーツァルトの時代の平凡な作曲家だろうけどモーツァルトファンのどれぐらいが違いを分かっているだろう フリードリヒ・ハルトマン・グラーフ (1727-1795)
チェロ協奏曲 ニ長調
http://www.youtube.com/watch?v=7SVmdMHNDgs
これも同様 もっともモーツァルトはチェロ協奏曲は残していないけど あのさ、違いが分かるかというより、楽譜で作ってるから全くコピー譜の場合もあって
同じですと言ってもいい場合もあるでしょ、でもジャズだのポップスだのでもアレンジ部分が
共通ってあってもそこが評価の部分じゃないでしょ。主旋律の美しさとか構成の巧みさとか
感情で聴ける部分に評価があるわけでしょ。確かにモーツァルトと共通部分はありますね、
だけで宝の発見にはなりません。 「主旋律の美しさとか構成の巧みさとか、 感情で聴ける部分に評価があるわけでしょ」
それだけですか?
変奏とか展開、発展的進行など、他にも楽しく聞ける箇所が沢山あるんじゃないかな もち米インディカ米ジャポニカ米
似てるけね全部違う
レシピを楽しめと言われましても
似てるけどどう凄いのか一度も示されたことはない
ブスに何を着せてもどんなメイクをしようともブスはブス
ブスにしてはよく頑張ったねー って楽しみですかね > 似てるけどどう凄いのか一度も示されたことはない
そこは美人(=モーツァルト)を評価する側で示すべきこと
示さないから似たようなブスが増えるんでしょ モーツァルトの音楽は人類の慰め。
それを聴いて、涙を流したり、密かに感謝したり、微笑んだり、心から安らぎを覚えている人がどれだけいるか。
ベートーベンにはもっと単純な感動しか求められていない気がする。
コンサートプログラムの常連なのは、分かりやすいからだろう。
若い頃はよく聴いたけど、今はまったく聴きたいと思わないのはなぜなのか? 聴いたところであの頃の感動はまったくない。
その点で、現代ポップスに似ている。 >モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い
そりゃ、Mozart だよ。長生きすれば、1000曲超えたよ。
”魔笛”を越えた名作は、生まれるかどうかわかんないけど。
ベートーヴェン、”第9”を超える名作をどうやって次、作曲できるかだよ。 それから、モーツァルトと同時代の作品を並べて違いが分かるかとドヤってる人がいるが、ちょっと聴いたら確かに似ている。
モーツァルトだと言われたらそうだと思うだろうが、まあ10代で書いた作品だわな。
後期の傑作郡に見られるロマン派的洗練や充実は皆無。
ベト好きってほんとに耳が悪い。 >>876
基準を出せば美人が増えるのでしょうか
何を言ってるのかさっぱり分かりません
お前さんの思うその美人の基準とやらを自分から出してみてはどうですか
美人の割合が減ってるとか絶対数が減っているなら基準を出すのは
多種多様なブスを規定するより簡単でしょ
名曲の基準が示されていたら
モーツァルト以外の駄曲が増え続けることはなかったのにね このスレの以前の風潮として、ベト派はモーツァルトなど女子供向けの取るに足りない音楽だと言いたげだったが、今では鳴りをひそめたようだ。昨今のモーツァルト人気に圧されて、以前のような傲慢な態度は見られない。
いかにベートーベンの音楽の偉大な芸術性を語ろうと、音楽そのものがオワコン化している現在ではオナニーでしかない。 「モーツァルトなど女子供向けの取るに足りない音楽だと言いたげだったが、」
その通りだと思う、モーツァルトでプログラムのメインは、はれない(2回目) >>884
モーツァルトで女子供が喜んでいるわけではないし
50年以上昔の人がタイムスリップして来て書いたんだろうよ >>883
ベトなんかもう面倒くさくて聴けないけどな。
コンサートなんかでは栄えるんだろうけど。
モーツァルトは毎日でも聴ける。 なぜモーツァルトは毎日でも聴けるのか。
アルファ派が出ると聞いたことあるが、確かに脳が喜んでる感じ。
もう昔と違って、どんな音楽を聴いても感動なんかしないけど、モーツァルトだけは気持ちいい。
モーツァルトは特別という多くの人の感慨は、そうかもしれないと思う。 その場合の「モーツァルトは特別」はモーツァルトと同時代の数多くの作曲家の作品を聴いて言ってるわけではないことは明白 松阪牛みたいなもので、ブランド信仰の一種だと思う。
無名作曲家の曲でも、モーツァルトのラベルを貼れば特別な感動を与えてくれるようになる。 なるほどねー
モーツァルトは好きだけどさすがに毎日はないなぁ。ドヴォルザーク、ブラームス、シベリウスなどのOne of them 特別(とくべつ)とは、広く通用する状態とは異なる状態、即ち例外となる状態のこと。 類義語は、「特殊」「特異」「奇異」「殊(こと)」「異(こと)」「特(こと)」など。 バッハもなあ モーツァルトと同じで総合力だけの人という印象 新しいことは何もしていない >>894
モーツァルトは眩しすぎるかもね。
バッハ、いいと思うよ 擦弦楽器によるトレモロはモンテヴェルディが最初に記譜したと言われる
トーン・クラスターはジャン=フェリ・ルベルの「四大元素」 ハインリヒ・ビーバーはヴァイオリンでスコルダトゥーラという調弦を変えて演奏する技巧を多用したが最初かどうかは知らん 結局音楽で革新的なことした人って偶然や思いつきによるところが大きくて一番最初に発明したわけじゃなくてもそれをまとめあげた人が偉大って言わざるをえないのでは >>888
言っておくけど、あなたが貼ってきたモーツァルト周辺の作曲家はどれも大したことないよ。
モーツァルトと肩を並べるのは他でもないベートーヴェンだけなんだよ。
スレタイ見なさい。 合唱付きの交響曲を最初に書いたのはベートーヴェンではない
当時の記事でも「ベートーヴェンはいつ合唱付きの交響曲を書くのか」
と話題の人物だったことだけは言える >>888
>その場合の「モーツァルトは特別」はモーツァルトと同時代の数多くの作曲家の作品を聴いて言ってるわけではないことは明白
反論させてもらうが、同時代の作品はモーツァルトに収斂されて昇華されている。モーツァルトは古典派の枠には収まらないロマン派の先駆け的存在であることは明らか。
といって古典派のように稚拙でもなく、ロマン派のようにくたびれてもいない。
モーツァルトを聴いていて楽しいのは、いかにも古典的なきらびやかさや能天気さの中に、現代的センスのフレーズが時々現れてハッとすること。そういうセンスにベートーベンが影響を受けたことは想像できる。
ベトが愛した17番20番や24番などの協奏曲は、もはや神がかり的で同時代に比肩すべき作品はないと思われる。あるなら出してみろっての。 バッハは別に好きな作曲家ではないが、既存の音楽をマニアックに突き詰めていった所は、音楽の新たな可能性を開いた功績と言ってもいいのではないか。 オペラはモーツァルトの圧勝。というか不戦勝みたいなもの >>906
勝負じゃないんだよ。どっちも凄いんだよ。
ただベト人気は下降気味で、モツ人気は上昇してるんだろうな。 普遍性でいえばベトよりモーツァルトのほうが格段に上だと思う
ただ凄みはベトだよなあ クリーヴランド管弦楽団
来月よりベト全曲やるね。
人気下降とは思えない。
ただ、モーツァルトとベートーヴェンの違いってモーツァルトとストラヴィンスキーの違いに比べたら小さいもんじゃね?
まあ、言いたいのはモーツァルトがあってベートーヴェンなんだな 先に生まれてたから先に作曲して作品を聴いてもらっただけ
後から変えようも無いことで差を付けるのは不毛すぎて草 ベトは集客率が高いけど自宅じゃ聴いてない印象だね。
ラジオでも滅多に聴かない。構えて聴かないと五月蝿いだけ。 >>907
>ただベト人気は下降気味で、モツ人気は上昇してるんだろうな。
何かのかなり古めの40年ほど前の記事を、昔読んだんだけど
どこかの歌劇場の”フィデリオ”をトップに演目に組み合わせたんだそうで。
そしたら、客入りが悪かったと聞く。
”モツ人気”はあるのだろうけど、作品が狭いような気がする。
”後宮からの逃走”。ジェームズ・コンロン指揮ケルン歌劇場日本公演以来、本格的な上演はないような。。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。