【大編成】オーマンディ14【上等】
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CBS2回目の方のローマの松、すごいスケール感。RCA版より良いかもしれませんね。 >>292
ぢゃぁオーマンディーの最近の話題を頼むよ 最近じゃなくていいから、ちょっとはオーマンディの話しろよってことだろ
>>294
RCAのローマの松って、ちょっと混濁気味な感じがしてずっと聴いてない
CBSのもやや音が古いけれども、混濁感は少ない気がする 俺はクラシックのコンサート初体験が絶頂期のカラヤン+ベルリンフィルだったから流石に強烈だったよ >>297
絶頂期って何年頃の話?
俺は73年から何度か聴いたけど正に絶頂期だったな
エロイカは余り感心しなかったけどチャイ4は腰抜かした
その後77年以降は少しずつ下降気味
ってオーマンディの話をしろって言ってんだろう 本当にモ〜 オーマンディなんてデジタル録音がほとんどないアナログ録音時代の指揮者 さすがに昭和のオヤジたちもむかし話だけじゃすぐネタが尽きるようだ。無理すんなって おじさんたち >>298
貴殿と同じ1973年の来日だよ
あともう1回、1980年にも行っている
ベームやバーンスタイン、ショルティにジュリーニらも聴きに行ってるが
オーマンディは行かずじまいだった
それが今でも残念でならぬ
当時の評論家に軽視されたり、ちまたの評判(普通に馬鹿にされておった)に洗脳されて魅力に気が付かなかった
馬鹿だよ、まったく オーマンディは生で2度聴いたが、
とにかくサウンドが凄い、としか言えない凄さでした。 確かにサウンドは凄かった
でも上に出た中ではジュリーニが印象に残ったな
ウィーン響とロスフィルと二度聴いたが一番実があった
バーンスタインはイスラエルとのマラ9、俺の耳には響かなかった
NYとのマラ1の方が楽しかったな
人によって感じ方が随分違うと思う事しきり >>287
今年還暦の御仁ならオーマンディ、ヨッフム、ベーム の実演を聴いているのが普通なのにねぇ、、
おそらくカラヤンの実演も聴いていないのかもね、聴いていたとしても最後にヨレヨレで来日した時だろうな。
オレはアンタより6歳ほど若いけどオーマンディ、ヨッフム、ベーム、カラヤンの実演は何度も聴いたよ。 カラヤン、ジュリーニ、バーンスタイン、ムラヴィンスキー、ショルティ、ヨッフム・・・
第一次世界大戦までに生まれた世代の指揮者は巨匠という呼び方が似合うのだが。
第一次世界大戦後生まれというか、ブーレーズ以降と言うか、そのへんからなんかテイストが変わったような気がする。
C.クライバーとか例外もいるけど、プレヴィンやアバド、ドホナーニ、マゼール、小澤、メータ、デュトワなど
なんか違うんだよな、見た目も演奏も。軽い感じっていうか。 >>304
それは音楽界だけじゃないのでは。
今の世の中に「文豪」がいるだろうか。
あるいは「大物政治家」がいるだろうか。 ハイハイ
いつの時代もジジィ達が言うことは一緒
今はろくな奴がいない昔は大物がいっぱいいた
だからここは昭和生まれのジジィ達の昔話の場だって言うんだよ >>307
まあ、そうだな。
カラヤンよりフルヴェンの方が「大物」「巨匠」だしな。
昔になればなるほど「巨匠感」が増すのは歴史のマジックだね。 歴史に乗り遅れたら上の世代に自慢されるのは昔から繰り返されてる事だから仕方ないよ
しかし今、現役指揮者で後々実演を聴いた事を自慢できる指揮者っていないよな フルトベングラーよりサロネンのほうが巨匠だと思うし
カラヤンよりラトルのほうが才能が上だと思う
ドダメルなど今後20世紀&21世紀含めて最高の大指揮者となるだろう
たぶん指揮者は質・量共に現代が一番だ
昔はひどかった ドゥダメルって楽天的過ぎて
どこが良いのかサッパリ判んねぇ
メータより随分重症だな
あんなの聴いて面白いか?
色んな人が居て面白いな やっぱりオーマンディはもうネタ切れ
あとはLPレコード世代の昭和のオヤジたちのむかし話がグダグダと続くのかよ
ウへ〜〜 クナッパーツブッシュ→誇大妄想狂
チェリビタッゲ→勘違い野郎
ベーム→日本人が大好きなだけ
ムラヴィンスキー→自己満足
アンセルメ→ヘッポコ
トスカニーニ→過大評価
ミュンシュ→雑で下品、でも俺かっこいい!
ストコフスキー→もはやキチガイ
ヴァント→凡庸
ビーチャム→ど素人
20世紀の指揮者って、こんなのばっか・・・
シャイー万歳! P.ヤルヴィ万歳! ハーディング万歳! ルイージ万歳! ギルバート万歳! モントゥー、ライナー、クレンペラー、ワルター、セル・・・
こんな終わった古臭い20世紀の指揮者を聴いて喜んでる暇があれば
ペトレンコやウェルザーメストを聴こうではないか! アナログ時代の指揮者を
今の指揮者と比べるなんて、
明治の文豪と又吉を比べるくらい
ナンセンス。 今の指揮者を
アナログ時代の指揮者と比べるなんて、
最新鋭の飛行機とライト兄弟の飛行機を比べるくらい
ナンセンス。 オーマンディって楽天的過ぎて
どこが良いのかサッパリ判んねぇ
メータより随分重症だな
あんなの聴いて面白いか?
色んな人が居て面白いな ハーディングやドゥダメルのような巨匠の演奏を聴ける今が最高だ
20世紀の録音など全てこの世から消滅してもなんとも思わない
ノスタルジィもいいが現実を見ろ!今を聴け! 誰も聴いていないとは言ってない
ストローマン論法こそ古臭い だ・か・ら オーマンディの話題は?
もうネタ切れか?
ッテ毎度毎度同じツッコミばっかし入れさせるんじゃねぇ! 時代が変わって、ビジネスモデルが変わった。
レコードが2千円以上していて、
あとはFMで音で聴くくらいしか情報がない時代、
決定盤というヒエラルキーが存在することを
信じていた人が多かった。
今は、皆が多様な手段で多様な音源、
多様な意見をきけるようになって、そんなヒエラルキーが無くなったと思う。 今はかつてないフィラデルフィアの黄金時代だろう
21世紀に活躍するネゼ=セガンが歴代最高の監督なのである >>328
俺もオーマンディは物によっては
超楽天的だと思うよ
でもオケを鳴らすのは上手い 昔のエロ映画では、ほとんどに、ストーリーや設定があったが、
今の動画では、裸の男女がやるだけ、みたいなものが多い。
オーマンディの演奏は、どちらかというと後者かな。
すげえべっぴんさんを揃えてはいるが、ストーリー性が欠けている。 上手いこと言うね
ヤッパリ俺たち爺いが来ないと
このスレは盛り上がらないな
若造はCD情報の交換ばかりで
音楽を聴いてるように見えない 爺い?自慰の間違いじゃねーのか
シコシコシコシコシコ ピゅー
ばーか お願いだからもっと面白い事書いておくれよ
せっかく書き込むんだからさぁ
センス悪ぅ〜 恥ずらかし〜 >>341
オーマンディが好きには、
単に良い音を聴きたいし、
背後の作曲家の意思なんかは、
知っているし、
こっちで勝手に想像するから、
という人が多いんじゃないかな。 ムラヴィンスキーとか、よく、録音で聴いても良さが伝わらない、実演で聴くしかない、みたいな意見を見聞きしたが、
本当に魅力的な演奏ならスピーカーから流れる音だって、凡百な演奏とはやっぱり違って聴こえるはずなんだけどね。
逆にアンセルメなんかは録音のほうがずっと良かった、なんて言われたりしたけど、なんか不思議だねえ。 でも実際に聴いたライヴなのに録音された物は
音楽が全然違って聴こえるんだからしょうがない
音響空間と言う事でいえば、まだチェリの方が
録音し易かったのかな
その点オーマンディーは録音との差が少なかったのでは?
(等と言って話をスレの本筋に戻してみたが) ライヴで聴いた時、
オケでこんな事が出来るんだって驚くばかりで
凄え凄え!と思っていたなぁ。
オレにとっては、オーマンディは、
ライヴと録音が全然違う指揮者です。 オーマンディがある意味誤解されたのはCBSやRCAのレコードの音質があまりに悪かった事 CD化されてあまりのその音質の違いにビックリした >>347
>実際に聴いたライヴなのに録音された物は音楽が全然違って聴こえる
いや、そのとおりなんだけどね。自分も経験あるから判るよ。
だが、「ムラヴィンスキーは録音では良さがまったく伝わらない」とか言うのは、オーマンディでも誰でも条件はいっしょじゃないかと。
極端に言えば、録音で聴いてダメな演奏は元々ダメな演奏なんじゃないかって思う。
逆に、デッカとか録音技術の良いレーベルだと録音マジックで実際より素晴らしく聴こえるというのはあるかもしれんが、
ヘタクソな録音(?)とかの場合、ある程度差っ引いて聴かなきゃならんだろうが、
それが名演奏ならばやっぱりどこか惹かれるものがあるはずなんだがな。
つまり、ライブでは良かったが、家でスピーカーで聴いたら今一というのは、本当は元々たいした演奏じゃなかったんじゃないか。
冷静に、(たとえ録音されたものでも)自宅でじっくり聴いても良いものが本当に良い演奏なのかも。 >>347
>オーマンディーは録音との差が少なかったのでは?
あと、これ↑なんだよな。ライブと録音との差って何だ?理屈で言えば同じ代物じゃないか。
【A】元々ライブ(客のいる演奏会)録音のCDと、【B】元々正規(セッション)録音のCDを分けて考えないといけないんだろうが、
特に【B】の場合、演奏の良さが録音には収まらないとか、スピーカーで聴いても伝わらないとかって疑問に思うんだよ。
条件はどの指揮者でも同じだろう?ムラヴィンスキーばかり例にあげてるけど、
オーマンディでもカラヤンでもバーンスタインでも誰でも、CDとかじゃ良さが伝わらないって言ったら皆そうなはず。 ライヴと録音の違いは、
中間にメディアの技術者などの耳が
入るから、その人たちが良かれと思って
バランスとか操作する事が、万人にとっては
必ずしもベストではないという事なんでしょう。 確かに聴く度に素晴らしいと思うCDも有るけれど
「演奏」ってスピーカーやCDに収まるものなのだろうか >>353
Aという指揮者のCDは素晴らしいのが多くて、
Bという指揮者のCDは「録音では良さが伝わらない」
と言うのが?なんだよ。
条件は同じはずなのに。 精神性が高い演奏はマイクに入りきらないのだ。
こういう当たり前のことが意外と知られていないので、ひとこと付け加えておきたい。 この板でもよくオーマンディ/フィラデルフィアやショルティ/シカゴを実演で聞いた人が
生じゃなきゃわからない、素晴らしいサウンドだったって言うんだけどさ
そういう人は大概解釈とか曲に関しての新発見とかの話はしない(かできない)
アメリカでもオーマンディって批評家たちから一段低くみられたけど
彼らはさんざん実演を聞いたうえで「サウンドは素晴らしいけど・・・」と
認めるところは認めて物足りなさを感じてるんだよね 来日してくれるだけで有難い訳でして
自国のオケを聞いてるのとは訳が違う 録音聴いて想定した範囲内の生音だと、
インパクトが小さい。
オーマンディは想定を大きく超えていて、
解釈ガーという事を考える暇が無かった。
心地よい音に包まれる快感に溺れていた。
あんな音は、ステレオ装置で再現できない。と思ったな。
ホールの広い空間、ステージに100人の名手、名指揮者がいないと体感、体験できないんだろう。
オーマンディの死後直後にムーティでも聴いたが、
同じ感覚にはならなかった。 >精神性が高い演奏はマイクに入りきらないのだ
というのが自分には全くわからない。
>オーマンディ/フィラデルフィアやショルティ/シカゴを実演で聴いた人が、生じゃなきゃわからない...って言う
一方、これはどういうことか。オーマンディやショルティは、それこそ精神性云々でしばしば揶揄される指揮者なんだがな。
誰か教えてくれ。 >>357
俺は正にその世代かも
>>356
俺は当時オーマンディは実演とレコードそんなに違わないと思った
少し評論家の影響を受けて、見下していたのかも知れない
(348さんの様に肝心な所が聴こえてなかったのかも)
>>355
精神性ってよく突っ込まれるけれど、ムラヴィンスキは別世界の人だと思う
と言っても今にして思えば、俺はムラを余り好きでは無かったのかも知れない
来日すれば気になって必ずチケットを買ったけどさ
>>354
「録音では良さが伝わらない」
ってライヴで聴くことができた人だけだよね
グールドでは無いもんな
>条件は同じはずなのに
条件って何の事だろ?
音波を電気信号に変換して記録してるって言う事?
又、本筋からそれちゃってゴメンね 条件 = 音波を電気信号に変換して記録
これは指揮者が誰だろうと基本同じはず。音響というか、物理的にはだけど。
指揮者の個性や特徴は様々だけど、録音では良さが伝わらない指揮者と普通に伝わる指揮者がいるのが不思議でならない。
音以外の、記録されない何か、えたいの知れないものが音楽には存在でもするのか?
お化けを信じろとでも言うような、ホラー映画チックな事象でもあるというのか? >>362
>録音では良さが伝わらない指揮者と普通に伝わる指揮者がいるのが不思議でならない。
とあるが362さんは肯定する部分もあるの?それとも全否定?
俺自身は正直よく判らない
>ホラー映画チックな事象
それは音楽の中ではなく俺の頭の中にある?
個人の宇宙の中の話だからクラ板は苛立ち、荒れるのかも >>358
禿同
オーマンディ&フィラデルフィアの生の演奏と音響は録音で想像してたのとあまりに違って素晴らし過ぎた。
生を聴いてビックリとは正にこのことだった。
もっと安っぽい演奏かと思っていたが、生の実演を聴いてそれまでの概念が覆えってしまった。
全てが美しい音響と共にオーマンディの音楽造りの根本が極めて的確な職人芸の達人なのにもビックリした。
オーマンディ&フィラデルフィアは録音と生があまりに違いすぎて、生を聴いてそれまでの概念が覆えされるほど素晴らしかった数少ない実例となっている。
今の時代のデジタル録音で入念に録音されればオーマンディ&フィラデルフィアの生の素晴らしさは録音でも伝わったかもしれないが、
当時の録音技術では生の素晴らしさは全く伝わらなかった。
実際オーマンディ&フィラデルフィアの生を聴いた後に当時のRCAやEMIから発売されたデジタル録音のレコードを聴いても生の素晴らしさは再現されなかった。 そりゃオーマンディはんに限らず録音より生演奏のほうが誰でもええのとちゃいまっか
ぶっちゃけどの指揮者はんかて録音じゃ良さが充分伝わらんもんでっしゃろ
そやけど指揮者によってセッション録音だろがライブ録音だろが録音で聴くとぜんぜんあかん場合が多いという人がおるのがおもろいなw
生と録音の音の差が激しいっちゅうか印象が大きく変わるっちゅうか
セッション録音よかライブ録音のほうが燃えて熱い演奏をするっちゅうのはまた別の話やさかいな オーマンディは生を聴かなければ真価はまったく分らないと言っても過言ではないと思う。
録音だけ聴いていた時は少々ユルイ演奏をする二流の指揮者みたいだなと思っていたが、
生を聴いて録音とのあまりの違いにビックリ仰天、かなりショックを受けた。
生を聴いてからは自分の中ではオーマンディは超一流の素晴らしい指揮者だと評価が突然変わった。 >>366
例えばな、セッション録音の現場に立ち会って聴いても、聴衆のおるライブ演奏と同じくええのやろか
つまりスピーカで聴くのやなく、あくまで生で聴くとええという意味で
それとも聴衆のおる演奏会でのライブ録音ならええということやろか 今でもそうだが、大オーケストラ演奏のホールの音響を
家庭のオーディオ装置で完璧に再現できるとは、
演奏者、エンジニア他関係者の誰も思っていない。
太鼓や金管楽器の大音量は、耳だけじゃなく、身体でも聴いている。
その制約の中で、演奏家やプロデューサーなどが伝えたいことが一番よく伝わる手段を模索している。
マイクいっぱい立てて、そのバランスを調整する。
という原理は大昔から同じ。
調整の匙加減で生演奏と印象が変わるのも当然のこと。
アンセルメやオーマンディが極端な例として挙げられるが、現代でも、どんなオケでも、起きている事じゃないかな。 生を聴けた世代としては、
今の若い人がどんな感じで
オーマンディを聴いているのかが
気になる。 チョットこの流れ疲れてきたね
記録された音楽という事の
本質に迫り過ぎたかな
LP世代からするとオーマンディの
レコードは音質的に素晴らしいものが
多かったんだけどね
俺はチョット休憩します オーマンディほど優秀録音に恵まれない指揮者はいない
LIVING STEREOの頃にRCAで録音していれば・・・・・ 晩年のRCAへのチャイコフスキーの初期交響曲とか、
R.シュトラウスとか、EMIの伝説とか、テラークのサンサーンスとか
そんなに悪いとは思わない RCAってステレオ初期の頃は録音良かったのに
なんで1970年代の頃はあんなにもやっとした音に
なっちまったんだろ またちょうどその頃に
RCAへ移籍したオーマンディ >>367
生の実演を聴かなければオーマンディの真価は分からないと思います。
あの当時もしもフィリップスやデッカに録音してたなら生の実演の質感を少しは捉えられたかもしれませんが、
オーマンディは本当に録音に恵まれませんでしたね。
ショルティ&シカゴ響はデッカに録音したから生の実演の質感は録音でもかなり味わえますね。
しかし生の実演での音響の美しさはオーマンディ&フィラデルフィアの方が格段に美しかったので、
オーマンディ&フィラデルフィアも録音に恵まれてたらと思うと残念でなりません。 現役の演奏家で、生演奏が想定の遥か上を行くような人はいますか? やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ ヤッパリ実演とそのライヴ録音の差を感じる人が多いのか?
でもオーマンディーの場合は東京ライヴは出ていないから
全然違うものを比較しているんだよね
>>367
バーンスタインのタコ5上野ライヴは最後の最後で
急に冷めてしまった様に感じた事がある
もしかして拍手カットの為リハの録音を繋いだ?
今聴いて同じに様に感じるか自信ないけど オーマンディは、来日のとき、
FMで放送していた。
初来日の時だったっけ? ずっとROMってたが、
宇野なんとかっていう評論家が
ことあるごとに
ムラヴィンスキーの場合、
録音では良さが伝わらない
って言ってたけど、
それについての答えは
誰もコメントしてないぞ(笑)
CDでも満足する演奏もあるのに、
ムラヴィンスキーだけ録音ではダメ
っていうのは、やっぱり可笑しいんじゃないのか? 私はムラヴィンスキーのファンでもアンチでもないが、
やっぱりムラヴィンスキーという指揮者は
CDで聴いてもダメならば
結局ダメダメだったんじゃないのかな
つまり、過大評価というやつ
皆さんのご意見を伺いたい 入りきらない
伝わりきらない ということでは
片鱗は十分にうかがえると思う >>380
でもその録音を聴くことが出来る人って
今どれ位居るのかな >>382
ライヴは良かったけれど、それがCDになったものは
良く無かった 「何か」が欠けている
その「何か」存在するのか錯覚なのかと言う事だよね
でもその為に思い出す度に蘇る過去のコンサートの感動を
否定する必要があるのかな
そんな記憶自体が胡散臭いと自分を否定しなきゃいけない?
ライヴは良いけどCDは良く無かったと言うのが矛盾なのか
俺にも良く判らないけどさ
CDを聴いて過去を確認した事になるのかなぁ P.S.
宇野氏がなんて言ったかは知らないけど
N響だってライヴとテレビじゃ随分印象が
違う事沢山ある
ムラヴィンスキだけじゃ無いと思う
あらゆる録音エンジニアは毎回感じてるかも知れない
推測だけどね
それと新宿で上手なストリートミュージシャンがいたので
CDを買って聴いてみたら別物に感じた事も・・
こういった事は全部記憶が間違ってる? たぶん空気感みたいなもんだろう。
会場を支配する独特の緊張感や期待感みたいなもんは、座を占めた人にしか伝わらないし。
ましてやムラビンだと、果たして来るのか来ないのかといった不安や焦燥をクリアしての当日の興奮や喜びといった心理が聴感に何かしらの影響を及ぼす。
さすがにこれは音としては拾えない。
だから行った人にしかわからないとなる。
ま、ムラビンなどはわかりやすく且つ極端な例で、多少の差こそあれ、どんなライヴでも起こりえている現象ではある。 例えば、富士山を生まれて初めて近くで見て、
富士山すっげー!と感動して、写真を撮る。
でも、その写真を他人に見せても、多分自分と同じようには感じてくれないだろう。
また、プロの撮った色々な富士山の写真を見ても、同じ感動は多分得られない。
そんなものじゃないかな >>388
わかりやすいな
逆に観光地の写真を見て実際行くとがっかりってこともあるしな で、382さん自身は実際に聴いた印象とライヴCDとの
食い違いをどう受け止めて居るんですか
後でCDで聴いて良く無かったものは記憶の中に残る
感動がダメダメだったはずだと修正しているのですか? >>377
現役の演奏家ではいない。
現役の演奏家はむしろ録音で聴いたより生の実演にガッカリする場合がある。
現在は録音技術だけでなくマスタリング補正技術が格段に向上したため、
ミスや音程の狂いまで機械的に補正できるため現実の演奏より良く仕上がってしまう傾向があるようだ。 結局は、どれほど素晴らしいクオリティの録音であっても、そこで鳴り響いている音楽と響きが自分の好みでなければ、その優秀さが逆に「音楽を聞く」という行為の足を引っ張ってしまうのです。 >>392
オーマンディが素晴らしいクオリティで録音されていたなら生を聴いた事が無い人の評価も変わっていたであろう。 ムラヴィンスキー『だけ」、録音じゃ良さが伝わらないって、やっぱり変だよ
だったらオーマンディでもカラヤンでも同じだろう
録音より生のほうが断然いいのは皆同じ
結論:
ムラヴィンスキーはたいしたことない指揮者だったんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています