【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part28
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Johann Sebastian Bach (1685-1750)
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【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part27
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1496871223/ 結局悔しすぎて無様に自演連投してしまう聞き専ID:HJ2hjzFT氏なのであった… ここにも聴き専をバカにするやついたんだ。
聴き専もピンキリなのを知らんのかねぇ。
高校時代、自分でやらんのに何わかったつもりなんだ、って思っていたが、
今思えば、俺がわからんことをたくさんわかっていた。
おれは特に若いころ、自分の技量を磨くのに必死で、肝心なとこがわかっていないことが多かった。
多かれ少なかれ、誰しもこんなもんじゃないの? 古楽と古楽器の区別なんてもう何年前の話だよと・・・
あと「古楽とは何か」というレスでアーノンクールの『古楽とは何か』を想像しない人がいるのは時代だねぇ。
で、結局>>245の言いたかったのはどっちなんだ。 >>267
>>247によれば、とりあえずとしつつ、楽器で古楽かどうかを区別してる人のようだ。 例えばリリング、チャンバロも弦も五月蝿すぎて、
奏法がどうだこうだで古楽だなんて思えないしw チェンバロが五月蠅すぎるから古楽に思えないというのは結構新鮮な感じ。 一応分からん人の為に解説
作曲家が作曲した当時に作られた楽器でも多くが近代に「改良」が加えられて楽器の音響特性と奏法が変わっているんだ
作曲家が想定していた音楽は何かを追及していくと、その曲が作られた時代の楽器を当時のセッティングで使う事に行きつく
現代の作家でも設計、セッティングを200年前の物に近い状態の楽器を作る事が出来るので、それを用いても古楽は出来る
ではモダン楽器でも出来るかというと、そこは楽器の特性と奏法が違うので無理があるんだ
そして古楽を志す半端プレイヤーは原理主義宗教家だから教義を否定されたり似て非なるものを古楽と呼ばれるのを感情的に許せないのね
素人がなんとなく良い気がすると思って聞いている音楽をあれこれ理由をつけて否定してくる奴が居たら要注意だぞ?
初音ミクで鳴らそうがバッハはバッハだからな! ニコレが「バッハの時代になかった楽器で演奏することをどう思うか」と問われ、
「我々は良い道具を手に入れてしまいました。今更昔に戻れません。」と。
>初音ミクで鳴らそうがバッハはバッハだからな!
そ。
バッハほど、どう演奏しても曲の個性が完璧に残る作曲者はいないんじゃないか?
モダン楽器だろうが古楽器だろうが、電子演奏だろうが、ジャズにしようが、バッハはバッハだ。 >>265
そんなに動揺しなくていいよ聞き専さんw
で、古楽の定義は?w 古楽の意味が分からない人はまぁ『古楽とは何か』にも興味ない罠w 西洋音楽の文脈での古楽(Ancient Music)の定義は17世紀一杯までの音楽
(ややこしい事に西洋史全体での「古代」の定義とも異なる)
オリジナルな演奏という意味なら録音機の存在しない18世紀の演奏というか音響の完全な再現は証明不可能
定義は成り立たない おまえら実に日本人らしいね。
マウント取り合って音のことは何にも話が出ない。 >>278
完全とか証明とかが必要だと信じている根拠は?
音楽以外にも文献でしか残っていないものを再現する試みは多々ある
現物が残っていない以上完全でもなければ証明も出来ないけど
失われた技術や表現を見直す事は有意義なんだよ
肝心なポイントは発展、発達、改良の結果失われている事があり、それには価値のあるものも含まれているという事実
それを説得力をもって世に提示したのが「古楽」という運動だった
それは古くて新しい価値観の創造だったんだ
だから現代の演奏家はそれを完全に無視することは出来なくなった
音楽の歴史をより客観的に俯瞰的に見ることが出来るようになったんだ >>280
>「古楽」という運動だった
古楽とは何か 皆さんはブランデンブルク協奏曲は誰の演奏が好き?
俺はピノック(新旧共に)かなあ
18世紀オーケストラ、クリスティ指揮下レザールフロリサンで聴いてみたかった 最近5ちゃんで「マウント」なる言葉が散見されるが、それが含まれるレスに良い印象を持ったことがない。
自分を一段高い位置に置き他者を批判するものばかり。
当人は何も不快なくやっているのだから、他者の価値観で計らんでよろしい。 >>282
Cafe Zimmermannを聞くことが多かったけど、最近はピリオド楽器ならFreiburger Barockorchester、モダン楽器ならBerliner Barock Solistenという好みの選択。 >>284
後者はひょっとしてゲーベルの新盤?
あれ気になってたんだよなー >>285
そう。Berliner Barock Solistenは技術的に無茶苦茶高くて多分これ以上は望めないレベル。
全体的にイケイケ路線で時々速すぎる気もするけど、Goebel&MAKの録音が好きなら絶対聞くべき。 スクリーンに触れてしまう不慮の事故
まさかのモダン楽器採用にはビックリしたな テクニックを優先すればやっぱりモダンでやりたいというのが本音だろうな。
ただ、解釈が旧盤と同じなので、なんか転向というのか変節といったものを感じずにはいられないんだよな。
どっちも面白い演奏には違いないんだけど。 なぜ古楽器やその奏法が廃れたかというと、それより良い音を出すものが生まれでてきたから
今どきわざわざ古楽演奏聞いてる人って中身よりブランドや権威に弱いんだろうなぁって思ってる んなこというならバロック音楽聴いてるのはどうなの?現代音楽聞くべきなの? モダンとピリオドの音の差を「でかい」かどうかだけでみてるやつは居ないはずだが… >>295
「でかい」と半音階を含めて音が「並ぶ」が
楽器の基本的な変化。
大人数に聴かせる必要が全くなく、変な調に行かず、長い音をそんなに出さなくていいなら、古楽器的な作りの楽器の方が断然有利だよ。
あ、金管はまたちょっと違うけど。 >>292
フォークギター、クラシックギターはエレキにとって変わられるべきで無くなった方が良いと >>297
因みに、デカさと音の反応は反比例する。
音色っていうのは好みだし、場所によっても違うから何ともいえないけど、音の反応は音色にかなり影響するから、必ずしもモダンの方が音が良いとは言えないかもよ。 >>282
ブラ5の一楽章最後の長大なソロ、
あそこで速度変化するのがどうしても我慢ならん。
ユーロビートのノリで、一気に突っ走ってほしいのに。
というわけで、リヒターやね。 廃れてない。
改良された。
廃れた楽器はヴァイオルとか
ショームとかクルムホルンとか
そういうの。
ヴィオール合奏などは現代曲が作られたり
蘇ったりしている。 >>300
一瞬、ブラームスに5番目の交響曲ってありましたっけ?と思ってしまった >>302
私チェリストなんで
廃れた代表にエステルハージ公の愛したバリトンとシューベルトのあの曲を弾くためにしか使えそうにないアルペジョーネも
一応どちらも再現されて演奏はされてるけど
変態過ぎて流行りようがない
ハイドンのバリトンの曲はもっと研究されても良いと思うし(何しろ大量にある)、アルペジョーネソナタは他の楽器で弾くには確実に編曲を経て音が減らされるから、原曲の音を知ってることは大事なんだけどね シューベルトのアルペジョーネソナタは、ニコレが録音しているよ。
原曲は全然知らん。 せっかくだから大バッハもビヨラダモーレの曲とか書いときゃいいのに。 バッハのスレでなんですが
ハイドンの楽器バリトンは当時としてもマイナー楽器で
フルートやヴァイオリンに編曲されたヴァージョンは
当時から存在いたします。
当時は自分の楽器のために移調・編曲するなど当たり前の行為で
逆にどんな調でも無難に演奏できるモダン楽器になって
編曲が邪な行為に感じたりしますが、そうではないのです。
バロック以前は同種楽器の合奏が普通で、管楽器や弦楽器がミックスされた
ものはブロークン・コンソート、混合コンソートといわれたそうです。 現代のクラシック奏者の大半は自主性というか創作性というか、そういう部分が無さすぎるんだよね
まぁそういう部分ある人は他のジャンル行くってのもあるけど 現代の聴衆の大半はコンクールで優勝したアスリートにカネを払うからさ >>307
邪とは言えないけど、同時に出せない音はカットするでしょ?
失われた情報ってのは研究したい人には欠かせないから
バッハの無伴奏チェロの五番をト短調のリュート組曲に編曲した際に加えられた変更なんかはとても参考になる
順番としてはチェロの方が先なんだけど、オリジナルなリュート版もちゃんと研究対象になるんですよ
リュート組曲見たことも聞いたことない人には出来ない表現はあると思う 楽譜にある音以外の音を足したりカットしたり
そういうことを作曲家以外の人、
つまり演奏者がするという行為は
楽譜通りやってなんぼの分野では余計な事はするなと
ありえない行為かもだが
古楽の分野では逆にやらないことこは稚拙な
低レベルな演奏だとはいえまいか? 演奏行為と編曲行為を混同して話してる意味が分からない。 そもそも編曲なんて
違う楽器で演奏するためには必要不可欠であるところから
そうなった。 移調だけでなく
重音が無理な楽器なら音符そのものをカットするし
鍵盤などでやる場合は左手のパートを足したりするでしょ >>315
違う楽器で演奏する場合に編曲するのは当然で、演奏会やCDを見ても"arrangement"と表記される。
それは演奏者の自主性とか創作性とかとは全く関係無い話で、
演奏者が編曲したからといって「楽譜通りやってなんぼの分野では余計な事はするな」なんて誰も思わないでしょ?w 例えばリストが自分のコンサートで演奏するために他人の曲をピアノ編曲版にした作品に対して
「楽譜通りやってなんぼの分野では余計な事はするな」とか思う人がいるの? リストが編曲したバッハ曲には余計なことをと、そう思う人も多分いるだろうな
ていうか>>312からどう話が繋がってるのかよくわからんが
編曲と演奏は近い場所にあるということを自分で説明しているじゃないか だから編曲は編曲でしょ。>>308で突然は無しが変わってるけどw だからの意味がわからないし
>>308は別に編曲の話をしたわけではないのだが… >>307
>当時は自分の楽器のために移調・編曲するなど当たり前の行為で
いまでも当たり前。 >>308は他のジャンル(たぶんちょんジャズ)の優位性を書いてマウント取りたいだけの糞野郎だ
叩きのめして板から追い出してやれ おまいこそ出てけ。
バロックに即興は不可欠。
楽譜通りなど前提でしかない。 >>324
前提?ん?ん?楽譜通りが?
そもそも楽譜通りってどういうことのつもりなの? フーガの技法のチェンバロ演奏でお勧め教えて下さい。絶筆のところで突然終わる演奏がいいです。 チェンバロでおすすめはない。
エマールでも聴いとけ >>327
やっぱりチェンバロでは、これと言った名盤はないですか。確かにピアノのほうが楽器として完成度が高いし、優れた演奏が可能ですからね。 >>329
そう思ってるなら素直にピアノで楽しんだら? だが最近のモダンピアノは、ペダルの機構を変えてしまってダメ楽器になっちゃったけどな。 >>326
全曲ではないが、ムジカ・アンティカ・ケルンのはチェンバロがそこそこ入っている。
悪くはない。 バッハのチェンバロ演奏、
俺にとってはギルバートのが文句なしに最高だな。
フーガの技法の初稿演奏も入ってるが。 カークパトリックがクラヴィコードで弾いた平均律は聴いたらいいと思うけどな。
チェンバロで技法って、3人くらいしか聴いたことがない。
鰤の大箱に入ってるのがまあよかったかな。
他は、パルティータがピノックならいいかな。
buttがチェンバロで弾いた平均律も聴いた方がいい。
日本の文科省の教育を受けた人には受け入れられないだろうけどなw スコットロスが好き
よく音楽を知っている
そして技術的にも優れている
少しはかじった事のある人以外にはその凄さは分かりづらいかも知れないと思うけど
彼はグールドに対して厳しいことを言ってるけど、私にはやはりバッハをよく知る人として共通点もあるように思う 音色なんかはともかくピリオドはテンポが早いのがなあ チェンバロとピアノでは音の減衰時間が違うから
テンポや抑揚なども違ってくる
それに当時は”速弾き”が競われたりした時代性なんかも
反映させているわけで。
ピアノでチェンバロぽく弾くことはできるかもしれないが
チェンバロにピアノを求めてもな。 速度や装飾音、ビブラートなんかに関しては、慣れの問題も大いにあるよ。
ロマン派的な演奏にどっぷり浸かった耳には異常に速く感じられる演奏も、一切クラシック音楽を聴かない人なんかにはかえって普通に聞こえたり。
哲学のことをピロソピアーって言うと奇異に感じるのは、フィロソフィアっていう言葉に耳慣れた人だけ。それと同じことが音楽でも起こる。 >>338
イイ!と思ったものを否定することにもなるからね。 ルージイッチコヴァとかおもしろいよ
途中でプレリュードを1曲、第1巻と第2巻のとを入れ替えたりもしているが
そこまでやらかすからには面白くないはずはなかろ? >>341
あの人とアールグリム女史は曲者ですよね
ヘンデルで極めておとなしい解釈してたと思ったらバッハはそりゃぁもう... 今週金曜のNHKFMベストオブクラシック
N響第1901回定期公演はヘンゲルブロック指揮のバッハプロ。
マニフィカト(クリスマス版)が聴きたいけどそれまでに帰宅できるかな。
http://www4.nhk.or.jp/bescla/x/2018-12-07/07/68954/4858449/ >>343
あ〜これは聞きたい
ヘンゲルブロックって実力あるのに旅芸人みたいに渡り歩いていて、
チョイチョイ各地でこんな演奏しているが、CDリリースには恵まれていない印象があるなぁ
ちゃんとした録音が欲しいんだけど
10年以上前にも、クリオラ(抜粋)やらカンタータの海外放送があって録音もしたのだが、
演奏はかなり良いのに、ゼンゼン残っていない
本人がそういう気がないのだろうか NDR響の指揮者になって録音いくつか出してるから恵まれてないことは無いんじゃないの。
バルタザール=ノイマン・アンサンブル/合唱団での活動はだいぶ下火で本人にもうあまり意欲が無い気はする。
そもそもロ短だって企画物の奇蹟の産物だったし、もう今さらバロック期の大曲に手を出さないかと。 録音と文字だけで実力を判断してる人と、雇う側が実力を判断する基準は違うのかもな。 >>345
日本国内ツアーなのかと思ったら、N響定演だけのために手兵の合唱団
率いて来日してるんだね。一応3月までは月1で公演スケジュール
入ってるみたいだけど。
https://www.kulturprojekte.com/en/events/ すいません、「インヴェンションとシンフォニア」
の演奏で、力強い演奏知りませんか?
ゼルキンで聴いてたんですけど、弱弱しくて嫌なんです。 バッハの鍵盤曲で、飽きないで聴ける傑作は、
ゴルトベルク変奏曲だけだと思う。 ゴルトベルクも楽譜や和声読めなきゃ魅力のすべてわからんだろうな ポリフォニーの場合、確かに楽譜は側に有ったほうが面白いかもね
ただ、和声は読むものではなく、感じるものだと思います たしかに
ただそれ言うなら音楽のすべてが感じるものだね
メロディーもリズムも和声もすべて第一に感じるもの
でもその中でも和声は読み解き甲斐があるんだよ
あとバッハのポリフォニーは和声と密接に存在してることが多いから尚の事ね
こういうこと言うと荒れるんだっけこのスレ 楽譜って音としてアウトプットできなきゃ意味ないけどね ポリフォニーを聴くとき、楽譜が有ったほうが楽しめると思う
各声部の旋律の絡みなど、視覚的に解るので面白いよ
バッハの3声、4声のフーガなんて、楽譜見ながら聴くとへぇーって感じだから 楽譜を見ないとわからない、作曲者の意図した声部のつながり方とかあるからね。
逆に近現代なんかは聞かないとわからない声部のつなげ方をしてたりして、それもそれで面白い。 >>343
録音して聞いたけどMagnificat Es-dur版はヘンゲルブロックのCD録音と微妙に違う部分もあってなかなか面白かった。
このスレに書いてなければ聞き逃してたので感謝。 >>359
BWV243aは既に録音してたんだね。昨夜のはリコーダーは入ってたかな。
あと大林さんがテレビでも放映するようなこと言ってたけど、
Eテレ「クラシック音楽館」だったかな? >>360
聴いた感じリコーダーはさすがに入ってない。
後日Eテレ「クラシック音楽館」で流れると言ってたね。
ヘンゲルブロックのBWV243aはDHMでLottiのMissa Sapientiaeとセットのアルバムである。
2000年録音。
そういえばこの版の録音他に持ってないし、演奏している人がいるんだろうか。 >>361
有難うございます。
リコーダーはフルート持ち替えだったんですね。
Eテレ「クラシック音楽館」は放映予定チェックしといた方がいいですね。
BWV243aはプレストン盤を持ってますが、ガーディナーやヘレヴェッヘなど
有名処も録音しているようです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています