【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part28
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Johann Sebastian Bach (1685-1750) について語り合うスレです。 980を超えると、最終レスから24時間後にdat落ちする仕様です。 980を踏んだ人が次スレを立ててください。 立てられない場合はその旨を書き込んでください。 ※※※980を超えたら、次スレが立つまでは書き込みは控えましょう♪※※※ 前スレ 【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part27 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1496871223/ 大学文系と文系ノーベル賞は廃止すべきという ワイの持論が正しいことを証明しているスレ。 知性は普遍性ある理系に限定しておくべき。 文系は、客観的に優劣や正誤が証明できないから 巨人ファンが阪神ファンを罵るレベルから永遠に脱却できない。 まぁ知ったかしかできない人間に撮ってはそうなんだろう >>499 酷い文章の見本 普遍性、客観的、など使い方がデタラメ >巨人ファンが阪神ファンを罵るレベルから永遠に脱却できない。 この文章もワイさんの妄想 「巨人ファンは阪神ファンなど、相手にしていない」と巨人ファンの知人から聞いたことがある 理系のクラヲタが、文系や音大卒を馬鹿にする構図、安直で嗤える 理系にクラオタなんているのかな むしろアニ専ではないかと思うのだが 文化的な素養のある文系にこそ、クラオタは多い 医師にクラ好きは多いと思うけど。 ピアノを弾く人が多いし、アマヲケやっていたり。 どうしておまえらそうやってマウント取り合うの? 動物なの? ミラーシド# シード# レド#ーシド#シーラ カンタータだと思うのですがどの作品かわかる方いましたら教えてもらえませんか >>478 聴いている最中に、気持ちのいいのがショパン 聴いた後、満足感があるのがベートーベン 聴いているときポリフォーの面白さを感じ、弾き終わったとき満足感があるのがバッハ 音楽は予備知識が有ったほうが、楽しめる場合もある、特にバッハはそうかも知れない >>504 大学のピアノの会や学生オケは理系多いよ 鑑賞会みたいな聞き専サークルは文系が多い という傾向 楽譜を読んでも弾いても聴いても面白いのがバッハ 楽譜を読み込むと満足感があるけど弾いたり聴いたりするとツマンネのがM.Reger >>510 都内の小規模国立大には私大MARCHと同レベルのオケ部があるね。 お茶と医科歯科は合同で1楽団だけど。 カール・ベームは法学部卒、音大で音楽を学んだ訳ではない 音楽的素養に、文系も、理系も、音大系も関係ない筈だ 他人様を馬鹿にしたり、偏見でしか語れない人間のお里が知れる 朝比奈隆も京大法学部卒だな。 まあ、彼は「偉大なるアマチュア」なんて評されていたが。 ただ、この辺の世代で大学を出ている人たちは特権階級なので 一般人とは教養のレベルが全く違う。 でもな、ピアノが満足に弾けない指揮者って表現らしい表現をしない音楽になるのはなんでなんだ。 音大を出る必要なんてないってのは分かる。 成人しても技術はそりゃ伸びるけど、きちんとした教育を子供の頃に受けていないと、 ただ眉間にシワを寄せてバトンを振り回してるだけになるんじゃないの。 後は音楽以外の文字で売り込むだけで、有名になってしまえばいいわけで。 やや別の話だが、ピアノの有名な国際コンクールで入賞したのが、 よせばいいのに指揮者になってひでえことになってるのもいるけどな。 もう1つ余計なことを言えば、数学は文系の能力で、音楽を書くのも大半は文系の能力だと思う。 日本人の理系ってのは、大半は、一定の限られた領域に妥当する自然科学の理論を暗記した人たちのことだからな。 ↑こういう無意味で無論理でただのダベリを長々とするのが、日本の多くの文系の特徴 >>520 意味があることを他人にしか求めないクズ理系w 理系がなんだって?文系がなんだって?聞き専がどうしたって? なんだか、器が小さいなーーー 数学や物理なんて全く必要ないよ 数字数えられればいいだけ 数学が苦手、というか数学が出来なくても大学に入れてしまう日本の蚊系には、 そもそも和声学と対位法が物にならない 文系で見込みがあるのは一応それなりの数学の試験のある東大京大一橋の文系だけ ここは学歴板でないよ、バッハのことを語ってくれない? 自分が楽器を弾けるとか、和声学と対位法をモノにしたとか、自慢話するなら他所でやって こんなところで学歴自慢するってのは学歴は高くても仕事か家庭か何かが上手く行ってないからストレス発散してるんだろうねw ピタゴラス知らなくたって、素晴らしい音楽は提供できるし、享受することもできるよ 数学ができないと和声法も対位法もダメなんだ、へーーー ところで対位法全盛のルネサンス、バロック期の作曲家って、皆数学ができたんだーーー、へーーー って、数学って色々あるんだけど、どんな数学なんだろうねw 技術としての数学とか計算できても論理的思考に難があるのも居るし、歴史を学んだはずの奴が音楽史と繋げて想像できないのも居るし 本気で勉強するなら修辞学は必須なんだけどかなり蔑ろにされてるから基礎教養って身に付けるの結構難しいよね ここはバッハスレだよ、作曲した時代背景の宗教的価値観も大切でないの? 歴史や和声学を学ぶことも大切だが、キリスト教的側面からバッハを語れる人はいないの? >>529 面白い人ですね。感覚的に数学使ってる感じはあります。主に関数、特に三角関数。 1オクターブを円ととらえる。 対位法はすごく三角関数です。 臨時記号が出てきたときとかは空間を把握する指数関数とかも意識したりします。 crese.とか強弱や音の拡がりとか奏法に関わることも指数、対数関数を常に意識します。 数学と音楽には相乗効果があります。 どちらも追究することで興味深い現象に出会えますよ。 臨時記号がでてきたらバッハの場合転調か借用かを意識するだけ 指数関数?対位法が三角関数?具体的に書いてみてよ >>534 詳しく書きたいけどまだ無理。 感覚的にしかまだとらえられてないから。 臨時記号出て転調するかどうかになるから指数関数を意識する。空間を拡げられるから。 もう少し具体的に言うと中心音aは何かとか、xは4度5度で考えるとか。 三角関数は旋律を一元的に考える場合。多声で複元的にとらえるときは積分にして考える。 音楽を享受するときに「〇〇があった方が望ましい」というのは条件が雑多すぎますね。 音楽と数学に親和性があるにしても、しかし、数学を知らなければ音楽を享受することができない、 というのは些か楽観的な思考な気がします。 それに、古代や中世、バロック等、20世紀以降…と数学と音楽のかかわり方は その都度変遷しているので、一般論が難しいと思います。 確かにバッハは「数遊び」を作曲の際にしていることがうかがえます。 (BACHの14(=B2+A1+C3+H8)や三位一体の「3」や十二使徒の「12」など) あるいは数字というわけではないですが、涙を♭で表したり十字架を♯で表したり 自分の名前を音名にあてはめたり…といったことも楽譜から観察することができます。 しかし、私は、これらはバッハが作曲する際のきっかけのようなものだったと思います。 もちろん、この私の印象に学術的根拠はありませんが。 なお、バッハの時代の対位法はルネサンスの頃の対位法と少し違っていて、 背後に機能和声があって、その中で複数の声部が絡み合うものです。 また、クレシェンド(やデクレシェンド)は、バロック音楽の時代には 少なくとも鍵盤楽器でそれを表現することができない時代でしたので、一般的ではありません。 クレシェンドは古典派以降に現れてくる記号・表現です。 以上、通りすがりの横やりでした。スレ汚し申し訳ありませんでした。 >>529 和声や対位法というのは技術的な知なんですね。 さまざまな禁則を侵さないように注意しつつ、許されることの組み合わせの中から 良い響きや流れの選択をしていく技法なんだよ。 こういう事は数学が苦手な人には土台無理なんです。 >>519 >日本人の理系ってのは、大半は、一定の限られた領域に妥当する自然科学の理論を暗記した人たちのことだからな。 こういう技術的な知を軽視する人っていうのは、文系の中でも底辺です。 不確かな感覚でしか物を言えない人です。 それははっきりしていますよ。 この人の文章をみれば一目瞭然なんですよ。 >>537 軽視してるつもりなんかないよw それだけでものが分かったつもりになってカタワみたいなことをいう人が嫌いなだけw 冬の湖は底の方から凍り始めると主張する国立大学理系クンを見たときには愕然とした。 バカはどれだけ理論を暗記してもバカなんだよ。 >>535 感覚的にしか捉えられないのに積分だとか関数だとか 書いてて虚しくならないのか チョコレート食べたことない人がその味を想像するようなもんだな 和声や対位法に数学当てはめる行為って チョコレートは泥の味なんかしない 享受するだけなら作曲や演奏の技術的側面を知らなくても可能ですよ。 ギリシアでも重んじられた実践的な知であり、言わずとしれた自由七科ですね 繰り返しますが、別に享受するだけならそういう実践的な知は要りませんよ 伝統的な西洋的リベラルアーツからすると偏頗なわけですが 笑 そんなに難しく考えなくても 音楽的に予想出来るレベルが有るかどうか。 メロディの行き先とか、カデンツァとか、非和声音→和声音ぐらいでいい。 それが無いと、バロック、古典ぐらいまでは難しいと思う。 何故かというと素養の有る人向けに創ってるから。 最終的な目的は、教会で信者を洗脳するためのものだから。 素養なんてない者に向けているんだよ。 >>545 それが最終的な目標か最低限の目標かどうやって判断するの? 教会音楽なんて信者にカネを出させてナンボ 今ある宗教を外部から観察してそう判断する。 なんかズレてるなぁ バッハの立場(カントール)は別に信者増えようが金落とそうが自分の歩合が増えるわけでもないし 信者を洗脳する意味もないし、バッハはむしろ教会と喧嘩してた立場だから ただバッハの音楽が素養なくても楽しめる、というのは同意するけど。メロディがいいから >>545 歌詞のある音楽は器楽とは違う 当時の会衆は歌詞の内容を苦もなく理解した それが聴き手に必要とされる「素養」 >>550 バッハのカンタータのテクストは難解なものも多いので当時の会衆が苦もなく理解したというのはかなり無理がある。 >>550 それは賛美歌を歌わされた、作為的に突っ込まれた素養な。 >>551 分かり安い単語だけ多声で繰り替えして聴こえてくる 日日常的な空間で残響が多いところでな >>553 多分聖書など誰でも知っているレベルのテクストの扱いの話をしてない? 前提をまず明確にして話した方が良い。 バカは難しい話を聞いてるとき、知ってる単語だけ意味をとるんだよ、断片的にな。 >>556 だからそんな話はしてないんだけど、ほんとに馬鹿ばっかなのか。 匿名掲示板だからって相手の事をバカだ馬鹿だと毎日のように言っているのって最近5ちゃんをやり始めた老人なのかな。 >>551 いや 現代人には難解な表現表象も当時の会衆には耳タコ >>552 「素養」なんてものは初めのうちは大抵そんなもんだw 全く空しくならない。 ばかにすることしか出来ない人は無視します。 訂正1オクターブを円とするのではなく半音階含めた12音を円とする。 もうひとつ、複元×、多元?多次元?高次元?んー高次元。 >>536 そうでした。クレッシェンド等の記号はなかったですが表記がなかっただけで概念は存在しています。 音の規則性を数学としてとらえられていないとバッハのように大量に作曲することは不可能だと思います。 中心音を決めず理論値?で良いならaでなくとも構いません。 >>559 >いや 現代人には難解な表現表象も当時の会衆には耳タコ 面白いのでバッハの数あるカンタータの中でも難解な部分のテクストが「当時の会衆には耳タコ」だったと言える証拠を示して欲しい。 んー 当時の宗教の言葉は一般人の普通に理解する言語ではないのだよ 一昔前の日本でいう漢文 お経が誰でも唱えられるものであったように、或いは所謂四字熟語みたいな誰でも分かる言葉もあるんだけど、やっぱり言葉で理解できなくても伝えようとする音楽の力に頼ってるので 作る側は発注者と同等の知識と教養は必要なんだな んで、バッハの場合数秘術的な信仰もあるんで、数字の扱いに関しては独自の世界観を音楽に投影してるんだよ バッハがそれを聴衆に知覚化されることを期待していたかというとそうではないかも知れない バッハ個人の神との対話の形式だったかも知れない >>563 全くカンタータの詩に則さないただの長いだけの無内容のダベリ また蚊系か? ルターの説教の特徴は民衆に伝わる言葉で語る事だよ カンタータの詩の別に言葉としても内容としても、聖書の素地があれば難しいものではない カンタータは教会暦とも密接なので、牧師が信徒に語った内容がそのままカンタータの詩として理解できていたんじゃないかな 意味のわからない念仏とは全く異なる >>564 訂正 カンタータの詩「は」別に言葉としても内容としても、聖書の素地があれば難しいものではない 現代のドイツ語からすると多少古い、 (日本語の古語と現代語ほどの差の方が遥かに大きい) キリスト教と聖書に無縁だと分かりづらいって位 もちろんルター神学と絡めて深い解釈を始めると難しくもなるだろうけど、基本的には民衆平信徒にも分かりやすい言葉と内容 >>563 後半は無内容のダベリという程でも無かったな そうだね、といえる位だけど バッハと同時代の歌舞伎や浄瑠璃を解説なしで聞き取れる日本人がどれだけいるのだろう。 正字法の改革に成功したがために一般人が古文書を読みづらくなったところもドイツと日本は似ている。 近所の教会は、昨晩はクリスマスミサで多くの人が集まり、とても賑わっていた 「聞き専」と煽る心が貧しい人間の実家が仏教徒なら嗤える、うちは日蓮宗だ、曹洞宗とかw 内容的には現代のプロテスタントの教会員でもいつも聞いているような事ですよ 表現上でも>>559 の通りでしょう バッハ新全集でドイツ語の綴り字は20世紀までの正書法で馴染み深いもの わざわざ古い表記法で読む人は、それを調べるのが目的の人だけ ドイツ語自体は現代のドイツ人が朗読で聞いて普通に分かるドイツ語 古い綴り字でも日本人のドイツ語学習者が普通に類推で読めるレベル ただ当時の筆記体の話なら本当に何書いているか分からない 江戸時代の筆記の仮名文字も残念ながらほとんど読めないのと同様 >>571 聞き専の言うことは相変わらず意味不明w >>573 古い韻文の御約束を知らないとわからないところがあると思うよ あと字面の意味が取れてもなんでそんなことが書いてあるのかとか 最近のドイツ人はほとんど教会に行かないので そういう「素養」がない人が多いw 試しに訳してみてよ なんでBlutとかhelleとかPurpurが出てくるのかわかるように 新約が耳タコならすぐわかるはずw Durch der Taufe reines Bad! Bei der Blut- und Wasserquelle Werden eure Kleider helle, Die befleckt von Missetat. Christus gab zum neuen Kleide Roten Purpur, weiße Seide, Diese sind der Christen Staat. 当時の自由詩のテクスト、特にRezitativに使われる部分は時にキリスト教学的、詩的な込み入った表現が出てくる。 「当時の聴衆はみんなそれを理解できた」という証明は誰もできない。 少なくともここまでの流れで誰もできてない。ただの予想。 >>576 >Durch der Taufe reines Bad! ここ前からの続きの文だと思うんだけど なんでここで切ったのかな? おたく、なんも分かってないんでしょ? >>576 >Durch der Taufe reines Bad! 、、、清い沐浴の洗礼を通じて >Bei der Blut- und Wasserquelle >Werden eure Kleider helle, >Die befleckt von Missetat. 血と水の泉のほとりで 罪で汚れた汝らの着物は綺麗にされる >Christus gab zum neuen Kleide >Roten Purpur, weiße Seide, >Diese sind der Christen Staat. キリストは新しい着物として 真紅と白の絹の着物を与えた これこそキリスト者の御国である >>577 証明厨が来ちゃったよw そもそもカンタータってのは 教会暦のその日の福音書使途書の音楽的注解で 続く説教と合わせて会衆の理解を深めるためのものだから 会衆が解らないような難しいことは言わないんですよね >>578 訳した人間がちゃんと表象を理解してるか判るとこだけにしたのよ んで なんでblutなの? >>579 >Christus gab zum neuen Kleide >Roten Purpur, weise Seide, >Diese sind der Christen Staat. キリストは新しい着物として 真紅と白の絹の着物を与えた これこそキリスト者の御国である Roten Purpur, weise SeideはPurpurとSeideが同等なので厳密には「真紅と白の絹の着物」では無い。 >>580 >会衆が解らないような難しいことは言わないんですよね これもただの想像。 >>580 >教会暦のその日の福音書使途書の音楽的注解で >続く説教と合わせて会衆の理解を深めるためのものだから カンタータ→説教という順序とは限らないというか、説教→カンタータの方が普通。 つまり「教会暦のその日の福音書使途書(と手紙)」の朗読、それが説教によって説明され、さらにカンタータが注釈するというのが本来の流れ。 長いカンタータだと第1部と第2部の間に説教が入ることもあったけど、その場合大抵は自由詩では無く聖書章句で始まるカンタータ。 >>582 なんで血なの、って 水の洗礼はヨハネで、十字架で罪を購ったのがキリストだから血と水 ヨハネ福音書のはじめの方にもはっきり書いてある で、Durchで切った理由はなんですか? 笑 >>582 確かにPurpurが大文字始まりだな 緋色の着物と白い絹(の腰紐) はっきり「水と血によってこられた」 とあるのはヨハネ伝ではなくヨハネ第一書簡に訂正 >>583 ごく普通に言われていることを書いてるだけなんだがw 逆に難解だったという論拠はあるのか? >>584 少なくともLeipzigでは福音書の後 説教の前が普通 >>588 伝聞乙。 >>589 なるほど、ソースあったらよろしく。 >>585 当時の会衆がそれを知ってたと思う? ちなみにもともとはJn 19:34 >>590 普通はLeipziger Kirchen-staat辺りだと思うけど今手元にpcがないから閲覧できない >>591 水と血の洗礼とかキリスト者なら誰でも言わんとするところは分かる 一般人でも割と分かるんじゃない? 現在のキリスト教に関心のないドイツ人でも大抵分かるだろうし、バッハ当時の方が一層分かってる人多いと思うけど 逆になんで分かると思わないの? 当時の会衆なら容易に理解したってのが当方の主張だからw 今の人は教会関係者を除き聖書なんか読まないからなあ 日本人は尚更w あなたなかなかできそうだから Werden eure Kleider helle は? 聖書章句はだいたいが理解していたとしても、全員が詩的表現を即座に理解できるだけの知識があったかどうかは誰も証明できないから 「当時の教会の会衆は難しい表現ももしかしたら『全員』分かったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない」が適切な結論。 そもそもあんな長ったらしいテクストをRezitativで一聴しただけで全部正確に理解できるのか?というのは興味深いところ。 まぁ「血と水の洗礼」くらい簡単な表現なら問題無かったでしょw >>596 >当時の自由詩のテクスト、特にRezitativに使われる部分は時にキリスト教学的、詩的な込み入った表現が出てくる。 具体例を示さなかったら議論の取っ掛かりがない おたくのそう感じる箇所をいくつか挙げてみたら >>598 Brich dem Hungrigen dein Brot, BWV39とかRudolstadt 詩華撰は比較的回りくどい言い回しが多い印象。 あんなの1回でちゃんと理解できたのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる