【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part28
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Johann Sebastian Bach (1685-1750)
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【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part27
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1496871223/ >>545
それが最終的な目標か最低限の目標かどうやって判断するの? 教会音楽なんて信者にカネを出させてナンボ
今ある宗教を外部から観察してそう判断する。 なんかズレてるなぁ
バッハの立場(カントール)は別に信者増えようが金落とそうが自分の歩合が増えるわけでもないし
信者を洗脳する意味もないし、バッハはむしろ教会と喧嘩してた立場だから
ただバッハの音楽が素養なくても楽しめる、というのは同意するけど。メロディがいいから >>545
歌詞のある音楽は器楽とは違う
当時の会衆は歌詞の内容を苦もなく理解した
それが聴き手に必要とされる「素養」 >>550
バッハのカンタータのテクストは難解なものも多いので当時の会衆が苦もなく理解したというのはかなり無理がある。 >>550
それは賛美歌を歌わされた、作為的に突っ込まれた素養な。 >>551
分かり安い単語だけ多声で繰り替えして聴こえてくる
日日常的な空間で残響が多いところでな >>553
多分聖書など誰でも知っているレベルのテクストの扱いの話をしてない?
前提をまず明確にして話した方が良い。 バカは難しい話を聞いてるとき、知ってる単語だけ意味をとるんだよ、断片的にな。 >>556
だからそんな話はしてないんだけど、ほんとに馬鹿ばっかなのか。 匿名掲示板だからって相手の事をバカだ馬鹿だと毎日のように言っているのって最近5ちゃんをやり始めた老人なのかな。 >>551
いや 現代人には難解な表現表象も当時の会衆には耳タコ
>>552
「素養」なんてものは初めのうちは大抵そんなもんだw 全く空しくならない。
ばかにすることしか出来ない人は無視します。
訂正1オクターブを円とするのではなく半音階含めた12音を円とする。
もうひとつ、複元×、多元?多次元?高次元?んー高次元。
>>536
そうでした。クレッシェンド等の記号はなかったですが表記がなかっただけで概念は存在しています。
音の規則性を数学としてとらえられていないとバッハのように大量に作曲することは不可能だと思います。 中心音を決めず理論値?で良いならaでなくとも構いません。 >>559
>いや 現代人には難解な表現表象も当時の会衆には耳タコ
面白いのでバッハの数あるカンタータの中でも難解な部分のテクストが「当時の会衆には耳タコ」だったと言える証拠を示して欲しい。 んー
当時の宗教の言葉は一般人の普通に理解する言語ではないのだよ
一昔前の日本でいう漢文
お経が誰でも唱えられるものであったように、或いは所謂四字熟語みたいな誰でも分かる言葉もあるんだけど、やっぱり言葉で理解できなくても伝えようとする音楽の力に頼ってるので
作る側は発注者と同等の知識と教養は必要なんだな
んで、バッハの場合数秘術的な信仰もあるんで、数字の扱いに関しては独自の世界観を音楽に投影してるんだよ
バッハがそれを聴衆に知覚化されることを期待していたかというとそうではないかも知れない
バッハ個人の神との対話の形式だったかも知れない >>563
全くカンタータの詩に則さないただの長いだけの無内容のダベリ
また蚊系か?
ルターの説教の特徴は民衆に伝わる言葉で語る事だよ
カンタータの詩の別に言葉としても内容としても、聖書の素地があれば難しいものではない
カンタータは教会暦とも密接なので、牧師が信徒に語った内容がそのままカンタータの詩として理解できていたんじゃないかな
意味のわからない念仏とは全く異なる >>564
訂正
カンタータの詩「は」別に言葉としても内容としても、聖書の素地があれば難しいものではない 現代のドイツ語からすると多少古い、
(日本語の古語と現代語ほどの差の方が遥かに大きい)
キリスト教と聖書に無縁だと分かりづらいって位
もちろんルター神学と絡めて深い解釈を始めると難しくもなるだろうけど、基本的には民衆平信徒にも分かりやすい言葉と内容 >>563
後半は無内容のダベリという程でも無かったな
そうだね、といえる位だけど バッハと同時代の歌舞伎や浄瑠璃を解説なしで聞き取れる日本人がどれだけいるのだろう。
正字法の改革に成功したがために一般人が古文書を読みづらくなったところもドイツと日本は似ている。 近所の教会は、昨晩はクリスマスミサで多くの人が集まり、とても賑わっていた
「聞き専」と煽る心が貧しい人間の実家が仏教徒なら嗤える、うちは日蓮宗だ、曹洞宗とかw 内容的には現代のプロテスタントの教会員でもいつも聞いているような事ですよ
表現上でも>>559の通りでしょう バッハ新全集でドイツ語の綴り字は20世紀までの正書法で馴染み深いもの
わざわざ古い表記法で読む人は、それを調べるのが目的の人だけ
ドイツ語自体は現代のドイツ人が朗読で聞いて普通に分かるドイツ語 古い綴り字でも日本人のドイツ語学習者が普通に類推で読めるレベル
ただ当時の筆記体の話なら本当に何書いているか分からない
江戸時代の筆記の仮名文字も残念ながらほとんど読めないのと同様 >>571
聞き専の言うことは相変わらず意味不明w >>573
古い韻文の御約束を知らないとわからないところがあると思うよ
あと字面の意味が取れてもなんでそんなことが書いてあるのかとか
最近のドイツ人はほとんど教会に行かないので
そういう「素養」がない人が多いw
試しに訳してみてよ
なんでBlutとかhelleとかPurpurが出てくるのかわかるように
新約が耳タコならすぐわかるはずw
Durch der Taufe reines Bad!
Bei der Blut- und Wasserquelle
Werden eure Kleider helle,
Die befleckt von Missetat.
Christus gab zum neuen Kleide
Roten Purpur, weiße Seide,
Diese sind der Christen Staat. 当時の自由詩のテクスト、特にRezitativに使われる部分は時にキリスト教学的、詩的な込み入った表現が出てくる。
「当時の聴衆はみんなそれを理解できた」という証明は誰もできない。
少なくともここまでの流れで誰もできてない。ただの予想。 >>576
>Durch der Taufe reines Bad!
ここ前からの続きの文だと思うんだけど
なんでここで切ったのかな?
おたく、なんも分かってないんでしょ? >>576
>Durch der Taufe reines Bad!
、、、清い沐浴の洗礼を通じて
>Bei der Blut- und Wasserquelle
>Werden eure Kleider helle,
>Die befleckt von Missetat.
血と水の泉のほとりで
罪で汚れた汝らの着物は綺麗にされる
>Christus gab zum neuen Kleide
>Roten Purpur, weiße Seide,
>Diese sind der Christen Staat.
キリストは新しい着物として
真紅と白の絹の着物を与えた
これこそキリスト者の御国である >>577
証明厨が来ちゃったよw
そもそもカンタータってのは
教会暦のその日の福音書使途書の音楽的注解で
続く説教と合わせて会衆の理解を深めるためのものだから
会衆が解らないような難しいことは言わないんですよね >>578
訳した人間がちゃんと表象を理解してるか判るとこだけにしたのよ
んで
なんでblutなの? >>579
>Christus gab zum neuen Kleide
>Roten Purpur, weise Seide,
>Diese sind der Christen Staat.
キリストは新しい着物として
真紅と白の絹の着物を与えた
これこそキリスト者の御国である
Roten Purpur, weise SeideはPurpurとSeideが同等なので厳密には「真紅と白の絹の着物」では無い。 >>580
>会衆が解らないような難しいことは言わないんですよね
これもただの想像。 >>580
>教会暦のその日の福音書使途書の音楽的注解で
>続く説教と合わせて会衆の理解を深めるためのものだから
カンタータ→説教という順序とは限らないというか、説教→カンタータの方が普通。
つまり「教会暦のその日の福音書使途書(と手紙)」の朗読、それが説教によって説明され、さらにカンタータが注釈するというのが本来の流れ。
長いカンタータだと第1部と第2部の間に説教が入ることもあったけど、その場合大抵は自由詩では無く聖書章句で始まるカンタータ。 >>582
なんで血なの、って
水の洗礼はヨハネで、十字架で罪を購ったのがキリストだから血と水
ヨハネ福音書のはじめの方にもはっきり書いてある
で、Durchで切った理由はなんですか? 笑 >>582
確かにPurpurが大文字始まりだな
緋色の着物と白い絹(の腰紐) はっきり「水と血によってこられた」
とあるのはヨハネ伝ではなくヨハネ第一書簡に訂正 >>583
ごく普通に言われていることを書いてるだけなんだがw
逆に難解だったという論拠はあるのか? >>584
少なくともLeipzigでは福音書の後 説教の前が普通 >>588
伝聞乙。
>>589
なるほど、ソースあったらよろしく。 >>585
当時の会衆がそれを知ってたと思う?
ちなみにもともとはJn 19:34 >>590
普通はLeipziger Kirchen-staat辺りだと思うけど今手元にpcがないから閲覧できない >>591
水と血の洗礼とかキリスト者なら誰でも言わんとするところは分かる
一般人でも割と分かるんじゃない?
現在のキリスト教に関心のないドイツ人でも大抵分かるだろうし、バッハ当時の方が一層分かってる人多いと思うけど
逆になんで分かると思わないの? 当時の会衆なら容易に理解したってのが当方の主張だからw
今の人は教会関係者を除き聖書なんか読まないからなあ
日本人は尚更w
あなたなかなかできそうだから
Werden eure Kleider helle
は? 聖書章句はだいたいが理解していたとしても、全員が詩的表現を即座に理解できるだけの知識があったかどうかは誰も証明できないから
「当時の教会の会衆は難しい表現ももしかしたら『全員』分かったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない」が適切な結論。
そもそもあんな長ったらしいテクストをRezitativで一聴しただけで全部正確に理解できるのか?というのは興味深いところ。 まぁ「血と水の洗礼」くらい簡単な表現なら問題無かったでしょw >>596
>当時の自由詩のテクスト、特にRezitativに使われる部分は時にキリスト教学的、詩的な込み入った表現が出てくる。
具体例を示さなかったら議論の取っ掛かりがない
おたくのそう感じる箇所をいくつか挙げてみたら >>598
Brich dem Hungrigen dein Brot, BWV39とかRudolstadt 詩華撰は比較的回りくどい言い回しが多い印象。
あんなの1回でちゃんと理解できたのかな? ドイツ語もカンタータも馴染みはないが、
聖書に親しんだ自分から見ると>>576の詩は
復活の時にキリストが言った言葉からだろうと推測できるよ。
Rotenでblutを暗喩しているんだろうね。 んー。言葉の理解の話になってるけど。
音楽に知識や教養が必要かとかそんな話からは発展が過ぎてるというかずれてきてると思うな。
一通り済んだら器楽曲の話をしようよ。 カンタータはいいメロディの曲多いから
名曲集めた初級中級で弾けるぐらいのピアノアレンジ楽譜出してくれないかな
買うのに >>596
Leipzigでは「歌詞カード」が配布された
対位法的楽曲だと歌詞が聴き取りにくいからね
ところで証明厨は難解説の証明してくれるのか? >>599
BWV39は散文的で簡単な方だと思うがw
>>600
該当章節を教えてくださいな
普通に連想するのはMt27:28とかだな
ここは教会に通っていれば現代でも耳タコのはずだし
クラヲタでもちゃんと歌詞を意識してBWV244を聴いていれば知っているだろう
この曲はAdvent3用だけど
なんでこんなに受難の表象が出てくるのかってのも常識の範囲内だったはず ヨハネ伝の20章22,23節です。
イエスが十字架に架かることを止められず見殺しにしてしまった弟子たちのもとに三日の後にあらわれてその罪を許された言葉です。
マリア、トマス、ぺテロの前にもあらわれたことから20章、21章全体ととらえてもいいと思います。
Roten Purpurとは偽者のユダヤの王だと嘲笑するために着せられた>>604マタイ伝では赤、ヨハネ伝では紫の上着のこと、
そしてその色は>>591にある、やりで脇を刺されたイエスの血の色でもあると言っており、
禍禍しく罪深い着物は、奪われたイエスの白い着物をも含め、復活されたイエスの許しによって新しくされたと歌った詩だとします。
どんな音楽か知りたいので番号を教えてもらえませんか?
紫に着目した>>582に何度も呼び掛けていらして余程語り合いたいのだろうとお見受けしましたが、
ゴルゴダの丘は口にすることも苦しく沈黙されたい気持ちはよく分かります。
受難曲を語るのに沈黙も表現のひとつであると受けとりました。 >>603
え、当時歌詞カードが配布されてたなんて証拠残ってるの? Der reiche Gott wirft seinen Uberflus
auf uns, die wir ohn ihn auch nicht den Odem haben.
Sein ist es, was wir sind; er gibt nur den Genus,
Doch nicht, das uns allein
Nur seine Schatze laben.
2行目の関係代名詞のdieをwirでわざわざ言い返してたり、
4行目ではwirをesで関係代名詞節で言い換えてたり、読んでても無駄に回りくどい感じはあるね。 >>605
まあ人それぞれだけど
歌曲やオペラでもそうなのか?
ラーメン屋でスープだけ飲んで麺食べないみたいなw
>>606
異文化は難しいんですよ
だから>>493みたいなおバカが哀れに見えるわけ
>>609
会衆用の印刷歌詞集が残っている
>>610
それは韻数とアクセントを合わせてるだけで
意味は明瞭 まぁなんだよ、そのぅ、1000曲も書いていればさして魅力的でないメロディのあるでしょ
単独で奏でればパッとしないメロディでも、ポリフィニックな展開に向いていてそれで魅力を放つものもあるし >>608
BWV 132-5
>>578の指摘通り初2行を落としています 韻数とアクセントを合わせてるのを散文的という人がいる謎のスレ。 バッハの時代のカンタータの「会衆用の印刷歌詞集」が残ってるなら、
旧バッハ全集と新バッハ全集であれだけ細かくテクストが違うのは何なんですかねぇ。 >>614 615
こういう物事AかBかの2分法で済むとお考えの幸せな御仁とお話しするのは疲れるので
遠慮しておきますww >>616
例えば>>610で2行目がSein sind wir; でなぜいけないのかの説明をすれば良いんじゃないの?
「それは韻数とアクセントを合わせてるだけで」とか手を抜かずに。 バッハのメロディは単旋律的に扱っても綺麗なものや楽しいものがあります
複旋律的に扱うと、もの凄い効果を生むものもあります
やはり優れたメロディーメーカーと言っても過言ではないと思います
そうそう協奏曲ではBWV1056の第3楽章なんかもいいですね
フレーズ最後の2音を他の声部が繰り返すところなんか最高に好きです バッハのメロディは単旋律的に扱っても綺麗なものや楽しいものがあります
複旋律的に扱うと、もの凄い効果を生むものもあります
やはり優れたメロディーメーカーと言っても過言ではないと思います
そうそう協奏曲ではBWV1056の第3楽章なんかもいいですね
フレーズ最後の2音を他の声部が繰り返すところなんか最高に好きです >>613
ありがとうございます。聞きました。
歌詞を一部読んだ時と随分印象が違いました。
5 Ariaアルトは変ロ短調なんですね。変二長調との対比を5まで温存してある構成のように思えました。
3 バスで待望のキリストが降臨し4 アルトで懺悔、5で懇願するように祈っている。罪悪感と救いが交錯する短調長調。
よく聞き取れなかったので違うかもしれませんが、5の歌詞の中でDurch der Taufe reines Bad!だけが一回しか歌われないようになっていますか?
reines Bad!を際立たせているように思いました。
すべてはバプテスマにということなのか、6のコラールへ向けて終息感を出しているのか。
ちなみにBWV130〜133がこの年のAdvent用ですか?
合わせて聞いてみたいです。 天気の良い年末の昼間には、
羊もぐもぐBWV208がぴったり。 バッハとキリスト教を結びつけるのは無粋じゃね?
奴は単に食うために教会音楽やってただけやろ。
そもそも、2回結婚して20人の子供を作った性豪だし
素行悪くて聖職会議で叱責されとるし。
現代に生きてたらアイドルや映画に曲を提供し、
週刊文春にスクープされる売れっ子作曲家だったと思うぞ。 アイドルや劇伴みたいな商業作曲するのはあの時代でいうとヘンデルやテレマンだろう
バッハはジャズかプログレ 「耳で聞いただけでは理解が難しいこともあったのでは?」に対して「会衆用の印刷歌詞集が残っている」と言い、
「ではなぜ後に出版された楽譜のテクストが違ったのか?」に対しては答えない謎。
「耳で聞いただけでは理解が難しいこともあったのでは?」に対しては「全ての楽曲で印刷歌詞集があった」という前提でなければおかしいので、
可能性としては
・バッハのカンタータの印刷歌詞集は残っていないか、残っていてもごく一部
・印刷歌詞集は大部分残っているけれど、旧バッハ全集の編集者が知らなかった
・印刷歌詞集もそもそも間違えていた
くらいかな。 最初から最後まで単旋律が基軸なのにジャズとかプログレ?とか意味が分からない。
>>536が言った、背後に機能和声があってと、そこから相当時代をカットしてと言うならああそうだねぐらいは言えるけれども。 人が信仰する宗教の意味を故意に軽んずる人間こそ「今どき現代人ぶった」野暮なんだよね>>625 >>626
テレマンはよく知らないけどヘンデルに関しては聞いたことあるからそうなんだろうなと思う。
実際どのくらい稼げていたんだろうか。
カンタータ200曲とか稼ぐ目的だったら作曲しないと思うんだが。
よっぽど宣教師とマブダチだったのだろうかと。 >>623
>5 Ariaアルトは変ロ短調なんですね。
半音低い演奏なのかな
譜面はロ短調ですね
良い耳をお持ちでw
>5の歌詞の中でDurch der Taufe reines Bad!だけが一回しか歌われないようになっていますか?
「だけ」ではないようです
>ちなみにBWV130〜133がこの年のAdvent用ですか?
違うようです
確認したら132はAdvent4用でした
訂正します >>632
バロック音楽とは、即興という面で親和性有るかもしれないけど、
バッハは即興性の少ない音楽だし。 そういえばジャックルーシェとか流行ったね
結構好きだったな ジャックルーシェか、懐かしいね
バッハとの親和性というより、バロックのアップテンポな曲はジャズでやってもいい感じになる、ってことだと思う
バッハを取り上げてくれるのは嬉しいけどね
野暮なこと言ってすみません
そうだそうだ、バッハ風なんかとか、モーツァルト風なんとかとか、ベートーベン風とか好きです >>626
なかなかいい例えかもw
Handel Telemann は「普通の愛好家」向けに書いた
Bachは用途に関わらず「通」向けに書いた
(こう書くとまたぞろ2分法の御仁がなんか言って来そうだがw) >>631
半音低いというか、ピッチがA=415Hzの演奏だったのでしょう。
「ピリオド楽器」の標準ピッチになっていますから。
チェンバロなどは440Hzと切り替えられるよう鍵盤を半音分ずらす機構が標準装備ですし。 当時の普通の愛好家とやらはそんなに見る目がなかったのか >>633
即興性だけじゃないよ
転調ありきなところも理論的なところも似ている
バッハの方法論とジャズのそれは似ている
ゴルドベルクもある意味ジャズ
だからジャズミュージシャンはバッハ好きな人多い 当時バッハの人気(新聞調査)は8位ぐらいだった
テレマンとヘンデルが一番人気だったみたいね >>636
これが2分法の典型。
>>639
会衆のためにも書いたし、神のためにも書いたがより正解。 >>639
636は「向けに」って書いたんだけどねw
>>642
やっぱり来ましたねえww
636が「2分法の典型」に読めちゃうところが2分法思考の典型なんだけど分からないだろうなw
(ほんと疲れるんですよこういうシアワセな御仁のお相手は) ジャズにバスが入って通奏低音を使うことがあるのでバロックっぽく聞こえるんでしょう。
バッハに限ったことでもジャズに限定することでもないですが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています