【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part28
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Johann Sebastian Bach (1685-1750)
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【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part27
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1496871223/ まぁ「血と水の洗礼」くらい簡単な表現なら問題無かったでしょw >>596
>当時の自由詩のテクスト、特にRezitativに使われる部分は時にキリスト教学的、詩的な込み入った表現が出てくる。
具体例を示さなかったら議論の取っ掛かりがない
おたくのそう感じる箇所をいくつか挙げてみたら >>598
Brich dem Hungrigen dein Brot, BWV39とかRudolstadt 詩華撰は比較的回りくどい言い回しが多い印象。
あんなの1回でちゃんと理解できたのかな? ドイツ語もカンタータも馴染みはないが、
聖書に親しんだ自分から見ると>>576の詩は
復活の時にキリストが言った言葉からだろうと推測できるよ。
Rotenでblutを暗喩しているんだろうね。 んー。言葉の理解の話になってるけど。
音楽に知識や教養が必要かとかそんな話からは発展が過ぎてるというかずれてきてると思うな。
一通り済んだら器楽曲の話をしようよ。 カンタータはいいメロディの曲多いから
名曲集めた初級中級で弾けるぐらいのピアノアレンジ楽譜出してくれないかな
買うのに >>596
Leipzigでは「歌詞カード」が配布された
対位法的楽曲だと歌詞が聴き取りにくいからね
ところで証明厨は難解説の証明してくれるのか? >>599
BWV39は散文的で簡単な方だと思うがw
>>600
該当章節を教えてくださいな
普通に連想するのはMt27:28とかだな
ここは教会に通っていれば現代でも耳タコのはずだし
クラヲタでもちゃんと歌詞を意識してBWV244を聴いていれば知っているだろう
この曲はAdvent3用だけど
なんでこんなに受難の表象が出てくるのかってのも常識の範囲内だったはず ヨハネ伝の20章22,23節です。
イエスが十字架に架かることを止められず見殺しにしてしまった弟子たちのもとに三日の後にあらわれてその罪を許された言葉です。
マリア、トマス、ぺテロの前にもあらわれたことから20章、21章全体ととらえてもいいと思います。
Roten Purpurとは偽者のユダヤの王だと嘲笑するために着せられた>>604マタイ伝では赤、ヨハネ伝では紫の上着のこと、
そしてその色は>>591にある、やりで脇を刺されたイエスの血の色でもあると言っており、
禍禍しく罪深い着物は、奪われたイエスの白い着物をも含め、復活されたイエスの許しによって新しくされたと歌った詩だとします。
どんな音楽か知りたいので番号を教えてもらえませんか?
紫に着目した>>582に何度も呼び掛けていらして余程語り合いたいのだろうとお見受けしましたが、
ゴルゴダの丘は口にすることも苦しく沈黙されたい気持ちはよく分かります。
受難曲を語るのに沈黙も表現のひとつであると受けとりました。 >>603
え、当時歌詞カードが配布されてたなんて証拠残ってるの? Der reiche Gott wirft seinen Uberflus
auf uns, die wir ohn ihn auch nicht den Odem haben.
Sein ist es, was wir sind; er gibt nur den Genus,
Doch nicht, das uns allein
Nur seine Schatze laben.
2行目の関係代名詞のdieをwirでわざわざ言い返してたり、
4行目ではwirをesで関係代名詞節で言い換えてたり、読んでても無駄に回りくどい感じはあるね。 >>605
まあ人それぞれだけど
歌曲やオペラでもそうなのか?
ラーメン屋でスープだけ飲んで麺食べないみたいなw
>>606
異文化は難しいんですよ
だから>>493みたいなおバカが哀れに見えるわけ
>>609
会衆用の印刷歌詞集が残っている
>>610
それは韻数とアクセントを合わせてるだけで
意味は明瞭 まぁなんだよ、そのぅ、1000曲も書いていればさして魅力的でないメロディのあるでしょ
単独で奏でればパッとしないメロディでも、ポリフィニックな展開に向いていてそれで魅力を放つものもあるし >>608
BWV 132-5
>>578の指摘通り初2行を落としています 韻数とアクセントを合わせてるのを散文的という人がいる謎のスレ。 バッハの時代のカンタータの「会衆用の印刷歌詞集」が残ってるなら、
旧バッハ全集と新バッハ全集であれだけ細かくテクストが違うのは何なんですかねぇ。 >>614 615
こういう物事AかBかの2分法で済むとお考えの幸せな御仁とお話しするのは疲れるので
遠慮しておきますww >>616
例えば>>610で2行目がSein sind wir; でなぜいけないのかの説明をすれば良いんじゃないの?
「それは韻数とアクセントを合わせてるだけで」とか手を抜かずに。 バッハのメロディは単旋律的に扱っても綺麗なものや楽しいものがあります
複旋律的に扱うと、もの凄い効果を生むものもあります
やはり優れたメロディーメーカーと言っても過言ではないと思います
そうそう協奏曲ではBWV1056の第3楽章なんかもいいですね
フレーズ最後の2音を他の声部が繰り返すところなんか最高に好きです バッハのメロディは単旋律的に扱っても綺麗なものや楽しいものがあります
複旋律的に扱うと、もの凄い効果を生むものもあります
やはり優れたメロディーメーカーと言っても過言ではないと思います
そうそう協奏曲ではBWV1056の第3楽章なんかもいいですね
フレーズ最後の2音を他の声部が繰り返すところなんか最高に好きです >>613
ありがとうございます。聞きました。
歌詞を一部読んだ時と随分印象が違いました。
5 Ariaアルトは変ロ短調なんですね。変二長調との対比を5まで温存してある構成のように思えました。
3 バスで待望のキリストが降臨し4 アルトで懺悔、5で懇願するように祈っている。罪悪感と救いが交錯する短調長調。
よく聞き取れなかったので違うかもしれませんが、5の歌詞の中でDurch der Taufe reines Bad!だけが一回しか歌われないようになっていますか?
reines Bad!を際立たせているように思いました。
すべてはバプテスマにということなのか、6のコラールへ向けて終息感を出しているのか。
ちなみにBWV130〜133がこの年のAdvent用ですか?
合わせて聞いてみたいです。 天気の良い年末の昼間には、
羊もぐもぐBWV208がぴったり。 バッハとキリスト教を結びつけるのは無粋じゃね?
奴は単に食うために教会音楽やってただけやろ。
そもそも、2回結婚して20人の子供を作った性豪だし
素行悪くて聖職会議で叱責されとるし。
現代に生きてたらアイドルや映画に曲を提供し、
週刊文春にスクープされる売れっ子作曲家だったと思うぞ。 アイドルや劇伴みたいな商業作曲するのはあの時代でいうとヘンデルやテレマンだろう
バッハはジャズかプログレ 「耳で聞いただけでは理解が難しいこともあったのでは?」に対して「会衆用の印刷歌詞集が残っている」と言い、
「ではなぜ後に出版された楽譜のテクストが違ったのか?」に対しては答えない謎。
「耳で聞いただけでは理解が難しいこともあったのでは?」に対しては「全ての楽曲で印刷歌詞集があった」という前提でなければおかしいので、
可能性としては
・バッハのカンタータの印刷歌詞集は残っていないか、残っていてもごく一部
・印刷歌詞集は大部分残っているけれど、旧バッハ全集の編集者が知らなかった
・印刷歌詞集もそもそも間違えていた
くらいかな。 最初から最後まで単旋律が基軸なのにジャズとかプログレ?とか意味が分からない。
>>536が言った、背後に機能和声があってと、そこから相当時代をカットしてと言うならああそうだねぐらいは言えるけれども。 人が信仰する宗教の意味を故意に軽んずる人間こそ「今どき現代人ぶった」野暮なんだよね>>625 >>626
テレマンはよく知らないけどヘンデルに関しては聞いたことあるからそうなんだろうなと思う。
実際どのくらい稼げていたんだろうか。
カンタータ200曲とか稼ぐ目的だったら作曲しないと思うんだが。
よっぽど宣教師とマブダチだったのだろうかと。 >>623
>5 Ariaアルトは変ロ短調なんですね。
半音低い演奏なのかな
譜面はロ短調ですね
良い耳をお持ちでw
>5の歌詞の中でDurch der Taufe reines Bad!だけが一回しか歌われないようになっていますか?
「だけ」ではないようです
>ちなみにBWV130〜133がこの年のAdvent用ですか?
違うようです
確認したら132はAdvent4用でした
訂正します >>632
バロック音楽とは、即興という面で親和性有るかもしれないけど、
バッハは即興性の少ない音楽だし。 そういえばジャックルーシェとか流行ったね
結構好きだったな ジャックルーシェか、懐かしいね
バッハとの親和性というより、バロックのアップテンポな曲はジャズでやってもいい感じになる、ってことだと思う
バッハを取り上げてくれるのは嬉しいけどね
野暮なこと言ってすみません
そうだそうだ、バッハ風なんかとか、モーツァルト風なんとかとか、ベートーベン風とか好きです >>626
なかなかいい例えかもw
Handel Telemann は「普通の愛好家」向けに書いた
Bachは用途に関わらず「通」向けに書いた
(こう書くとまたぞろ2分法の御仁がなんか言って来そうだがw) >>631
半音低いというか、ピッチがA=415Hzの演奏だったのでしょう。
「ピリオド楽器」の標準ピッチになっていますから。
チェンバロなどは440Hzと切り替えられるよう鍵盤を半音分ずらす機構が標準装備ですし。 当時の普通の愛好家とやらはそんなに見る目がなかったのか >>633
即興性だけじゃないよ
転調ありきなところも理論的なところも似ている
バッハの方法論とジャズのそれは似ている
ゴルドベルクもある意味ジャズ
だからジャズミュージシャンはバッハ好きな人多い 当時バッハの人気(新聞調査)は8位ぐらいだった
テレマンとヘンデルが一番人気だったみたいね >>636
これが2分法の典型。
>>639
会衆のためにも書いたし、神のためにも書いたがより正解。 >>639
636は「向けに」って書いたんだけどねw
>>642
やっぱり来ましたねえww
636が「2分法の典型」に読めちゃうところが2分法思考の典型なんだけど分からないだろうなw
(ほんと疲れるんですよこういうシアワセな御仁のお相手は) ジャズにバスが入って通奏低音を使うことがあるのでバロックっぽく聞こえるんでしょう。
バッハに限ったことでもジャズに限定することでもないですが。 >>498
見逃した、もう見れないわ…
凄い組み合わせなのにな、残念
オランダ室内合唱団は、毎年クリオラ企画で狙った組み合わせをしていて、
それなりにフォローして現地にも何度も足を運んだのだが、
今年はすっかり忘れてしまっていた、トシやな >>644
二分法の意味が分かってないか、日本語が書けないかのどちらかだな。
>>636のように極端な例を挙げてそれ以外の可能性が0と考えるのが二分法。 だいたい>>626から「バッハは通向け」と変換できる脳味噌がおめでたすぎだろと。
何をもって「通」と呼ぶかに価値観丸出し。 >極端な例を挙げてそれ以外の可能性が0と考えるのが二分法。
それをやってるのがお前。
誰も通の意味を特異にして限定してないし勝手にそうとらえて限定しているのがお前。
>>636とは知識量も理解力も雲泥の差なんだから黙ってろよ。 >>625
ポピュラーだから、初音ミクとも相性が良いんだろ? 釈迦の説法とは思いますが、バロック時代の音楽家は王侯貴族や教会などからの依頼を受けて作曲したそうです
ですから、教会カンタータも教会のカレンダーに合わせて作った、どうせ作るならより良いものを会衆に聞かせたいと思ったでしょうね
そういう意味では会衆のために作ったと言えるかもしれません
受けという意味ではテレマンもヘンデルも広く人気があったのでしょう、しかし時代が進んでゆくと段々忘れられてゆく
バッハも同様ですが、専門家(モーツァルトやベートーベン、他もろもろの音楽家など)からは忘れられなかったようです
当時の人気はそこそこ、玄人人気は連綿と続いていた、それがバッハなんでしょうね >>652
ようつべに、初音ミクのBWV639があったな。 ミクついでに調子に乗って以下は、バッハ平均律2-9番 フーガのキルンベルガー調律です
古典音律の響きはいいですよ
https://www.youtube.com/watch?v=SBWGgwzcjYc >>637
管とか特に木管とかどうやってピッチを変えるのだろうと思ったらピリオド楽器というのがあるのですね。
音程に慣れるの難しそう。
youtubeで聞きましてピリオド楽器の演奏ではないと思います。 >>631
youtubeで別のを聞いてみたら今度はハ短調にしか聞こえませんでした^_^;
そういうところなんですかね。
歌詞も大方聞き取れました。
下の二句は下の一行だけ※繰り返しですね。
Bei der Blut- und Wasserquelle
Werden eure Kleider helle,
※Die befleckt von Missetat.
Christus gab zum neuen Kleide
Roten Purpur, weiße Seide,
※Diese sind der Christen Staat.
上の歌詞を含めて何度も繰り返し祈る。
とても祈りらしい祈りのアリアだと思います。
Christi Gliederも一回ですね。
Durch der Taufe reines Bad!と合わせてここはやはり音楽の流れから際立たせてあるように思います。
罪を終息させるコラールへ。
通し番号は順番違いますね。自分でも調べます。
良い曲を教えてくれてありがとう。お陰で有意義な時間を過ごせます。 >>650
やっぱり日本語ができない馬鹿がいるだけだな。 >>653
もちろんバロック時代の音楽家も「王侯貴族や教会などからの依頼」以外の作曲も多くしている。
ヘンデルが「時代が進んでゆくと段々忘れられてゆく」というのは何を想像して言ってるのか謎。 >>664
ヘンデルに限らずバロック期の音楽が段々忘れられていったというのは一般的な通念ですね
頭を傾げるほどのことではないでしょう
それからやたらと「馬鹿」という言葉を言っていられるが、お里が知れますよ
あたなと議論するつもりは毛頭ありませんから、以後レスはお止めください
では御機嫌よう 今年も最後ですから些細な争いは自らの品位を晒しますよ
好きな音楽を聴いて行く年を見送りくる年を迎えましょ >>665
では段々忘れられていったというのはバッハも同じですね。
なぜバッハだけは違うと言える根拠を書かないのか不思議。 >>667
修正
なぜバッハだけは「専門家(モーツァルトやベートーベン、他もろもろの音楽家など)からは忘れられなかったようです」と言う根拠を書かないのか不思議。 >>662
>youtubeで別のを聞いてみたら今度はハ短調にしか聞こえませんでした^_^;
演奏pitchをどう決める(再現する)かっていうのは
色々な条件が絡むので一口では言えません
>歌詞も大方聞き取れました。
まあ普通はそうなんですねw
>通し番号は順番違いますね。自分でも調べます。
??
>良い曲を教えてくれてありがとう。お陰で有意義な時間を過ごせます。
どういたしましてw >>668
2分法の御仁は粘着の人だったww
30分も調べればなんか分かるから
自分で調べてから来てはいかがでしょうw ハイドンがロンドンでメサイアの大規模演奏会を聞いてオラトリオの作曲を志したのは有名な話。
ドイツでの市民合唱団によるオラトリオ演奏の歴史は19世紀中頃あたりからだけど、イングランドはずっと早くてヘンデルの生前からあったくらい。
「一般的な通念」からすればヘンデルが段々忘れられたというのは何を指して言ってるのか意味不明。
ヘンデルが専門家(モーツァルトやベートーベン、他もろもろの音楽家など)からは忘れられたなんて考えるのは不可能。 17〜18世紀の音楽は30年経たものはまず演奏されることがなかったとか。
当時は「クラシック」じゃなくてポピュラー音楽だったのだから当然だが。 バッハのカンタータを暦通りに毎日曜日の礼拝で演奏する教会ってどこかに無いかな
東京にあれば通うけど無いわな
ライプツィヒに一つくらいはあるのだろうか >>676
そもそも自前の合唱団とオーケストラを持つ教会って日本にあるのかな?
複数団体が入れ替わりで演奏するにしても「何のために?」という話になるのが濃厚。 >>677
自前の合唱団なら普通規模の教会なら持ってるよ
もちろん教会員が作るコアだけど
もともとバッハがいた教会でもコラール部分を歌うのはそうでしょ
楽器のほうはオーケストラというより個々の奏者が必要
こちらはアマチュアの上級者かプロならOK
あとはソリストだけど、音大の声をかけたら教会音楽を勉強したい学生なんかがやってくれそう >>679
>もともとバッハがいた教会でもコラール部分を歌うのはそうでしょ
「コラール部分」という定義がよく分からないし、「そう」が何を指してるのかもよく分からない。
「教会員が作るコア」じゃないよね。「自前の合唱団」? >>681
「コラール部分」は「コラールの部分」です
それ以外に何か可能性あります?
「そう」なのは「教会員が作る専門家ではない合唱団」が「コラール部分を歌う」という意味です
それ以外の日本語の読み方ある?
「教会員が作るコア」は「教会員が作る合唱団」です
ドイツ語つづりはChorです。英語で言うところのchorus です。
通じると思ったんですが通じなかったですか?
何かこれ以上質問あります? カンタータのコラール部分について
@会衆全員で歌う
A教会員の中から募ってある程度練習した合唱団が歌う
バッハが作った当初は@だったということになっていますね
まあ元がいつも歌っていた讃美歌ですからね
現在、教会で日曜礼拝の後の午後とかにコンサートとしてやる場合、
カンタータの演奏ではAがほとんどでしょうね
礼拝に組み込んだ形でカンタータを演奏する教会って世界にあるのかなって話です
カソリックだと欧米の大きな教会だとオケと合唱団がミサ曲を礼拝の中で演奏していますよね ”馬鹿”が”お大事に”変わったようで、格段の進歩ですね。おめでとうございます!
お正月は否定的なことは言わず、めでたいイメージのレベルを維持するのが良いそうです。 >>683
コラール部分?コラールの演奏方法が様々あるのは基本だと思うけどw ルターの時代にドイツ語コラールが歌われ初めて会衆が一緒に歌ってたのは間違いないだろうけど、
100年後の多様化したバッハの時代に四声体コラールで会衆が一緒に歌ってたかどうか、実際何かしら証拠があるという話は聴いたこと無いな。
「四声体コラールにフェルマータがあるのは会衆がズレたのをそこで合わせるため」という説があるけど、
バッハの時代には習慣で残ってただけという説も。 ところでバッハの息子たちが有名になってたのに父親が忘れられていく理由はよく分からないね。
ハイドンがヘンデルと共に影響を受けたC.P.E.バッハはJ.S.バッハの作品を演奏会でよく取り上げてたし、
国際的にはむしろバッハの知名度が上がってた時期はあるんじゃないの。
まぁこのスレの人はそんなこと興味ないかなw >>687
>100年後の多様化したバッハの時代
? キリスト教が根付いたバッハの時代を非キリスト教徒の日本人が論じており、片腹痛いわw >>688
エマニュエル・バッハは父の凄さを一番理解し、尊敬していたのでしょう。だから機会を見て紹介したのではないかと思います。
一方音楽スタイルの主流はJ.S.バッハの晩年では全古典派的になってきており、息子たちの努力があっても忘れられていくのは仕方がないのかな。
最近の研究では1730年代には古典派ソナタ形式の芽生えが認められる作品があるそうです。
となればやはり、息子たちが活躍した時代には、J.S.バッハの作品は「古い」と思われていたのかも知れませんね。 >>688
当時は死んでしまうと演奏されなくなる→忘れられるのが普通
作品が研究対象になると専門家の間では脈々と語られることになるが
大バッハ演奏の伏流水は、
一つはフリーデマンやエマヌエルのパスティッチョ
一つはファン・スヴィーテンや、プロイセンのアマーリエ王女の音楽サークル
それが後年メンデルスゾーンのバッハ復活へと繋がる
>>691
そもそも1740-1760頃はエマヌエルも流行の先端を走っていた
1742-43頃の「プロイセンソナタ集」「ヴュルテンベルクソナタ集」は新進気鋭の覇気を感じる そもそも18世紀に「大バッハ」といえばC.P.E.のことだったんじゃない?
父から寵愛されていた兄貴より成功した自分こそが
父の偉業を後世に伝えねばならぬというやや歪んだ使命感。 >>689
「100年後のコラールの演奏法が多様化したバッハの時代」とまで書かないと分からないかな?
>>691
つまりバッハの息子たちが紹介してJ.S.バッハが新たに知られた時期はあったという意味ですよね。
それが定着しなかっただけと。
まぁヘンデルとは違うね。 つまりバロック時代の大抵の作曲家は演奏されなくなるので死後忘れられるけど、
少なくともヘンデルは演奏されていたので忘れられてはいない。
バッハも息子たちが新たな土地で演奏していたので、忘れられたのはその後だし、
ライプツィヒでは演奏されてたので少なくともそこでは忘れられてはいなかった・・・というのが論理的? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています