【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part28
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Johann Sebastian Bach (1685-1750)
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前スレ
【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part27
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1496871223/ >>676
そもそも自前の合唱団とオーケストラを持つ教会って日本にあるのかな?
複数団体が入れ替わりで演奏するにしても「何のために?」という話になるのが濃厚。 >>677
自前の合唱団なら普通規模の教会なら持ってるよ
もちろん教会員が作るコアだけど
もともとバッハがいた教会でもコラール部分を歌うのはそうでしょ
楽器のほうはオーケストラというより個々の奏者が必要
こちらはアマチュアの上級者かプロならOK
あとはソリストだけど、音大の声をかけたら教会音楽を勉強したい学生なんかがやってくれそう >>679
>もともとバッハがいた教会でもコラール部分を歌うのはそうでしょ
「コラール部分」という定義がよく分からないし、「そう」が何を指してるのかもよく分からない。
「教会員が作るコア」じゃないよね。「自前の合唱団」? >>681
「コラール部分」は「コラールの部分」です
それ以外に何か可能性あります?
「そう」なのは「教会員が作る専門家ではない合唱団」が「コラール部分を歌う」という意味です
それ以外の日本語の読み方ある?
「教会員が作るコア」は「教会員が作る合唱団」です
ドイツ語つづりはChorです。英語で言うところのchorus です。
通じると思ったんですが通じなかったですか?
何かこれ以上質問あります? カンタータのコラール部分について
@会衆全員で歌う
A教会員の中から募ってある程度練習した合唱団が歌う
バッハが作った当初は@だったということになっていますね
まあ元がいつも歌っていた讃美歌ですからね
現在、教会で日曜礼拝の後の午後とかにコンサートとしてやる場合、
カンタータの演奏ではAがほとんどでしょうね
礼拝に組み込んだ形でカンタータを演奏する教会って世界にあるのかなって話です
カソリックだと欧米の大きな教会だとオケと合唱団がミサ曲を礼拝の中で演奏していますよね ”馬鹿”が”お大事に”変わったようで、格段の進歩ですね。おめでとうございます!
お正月は否定的なことは言わず、めでたいイメージのレベルを維持するのが良いそうです。 >>683
コラール部分?コラールの演奏方法が様々あるのは基本だと思うけどw ルターの時代にドイツ語コラールが歌われ初めて会衆が一緒に歌ってたのは間違いないだろうけど、
100年後の多様化したバッハの時代に四声体コラールで会衆が一緒に歌ってたかどうか、実際何かしら証拠があるという話は聴いたこと無いな。
「四声体コラールにフェルマータがあるのは会衆がズレたのをそこで合わせるため」という説があるけど、
バッハの時代には習慣で残ってただけという説も。 ところでバッハの息子たちが有名になってたのに父親が忘れられていく理由はよく分からないね。
ハイドンがヘンデルと共に影響を受けたC.P.E.バッハはJ.S.バッハの作品を演奏会でよく取り上げてたし、
国際的にはむしろバッハの知名度が上がってた時期はあるんじゃないの。
まぁこのスレの人はそんなこと興味ないかなw >>687
>100年後の多様化したバッハの時代
? キリスト教が根付いたバッハの時代を非キリスト教徒の日本人が論じており、片腹痛いわw >>688
エマニュエル・バッハは父の凄さを一番理解し、尊敬していたのでしょう。だから機会を見て紹介したのではないかと思います。
一方音楽スタイルの主流はJ.S.バッハの晩年では全古典派的になってきており、息子たちの努力があっても忘れられていくのは仕方がないのかな。
最近の研究では1730年代には古典派ソナタ形式の芽生えが認められる作品があるそうです。
となればやはり、息子たちが活躍した時代には、J.S.バッハの作品は「古い」と思われていたのかも知れませんね。 >>688
当時は死んでしまうと演奏されなくなる→忘れられるのが普通
作品が研究対象になると専門家の間では脈々と語られることになるが
大バッハ演奏の伏流水は、
一つはフリーデマンやエマヌエルのパスティッチョ
一つはファン・スヴィーテンや、プロイセンのアマーリエ王女の音楽サークル
それが後年メンデルスゾーンのバッハ復活へと繋がる
>>691
そもそも1740-1760頃はエマヌエルも流行の先端を走っていた
1742-43頃の「プロイセンソナタ集」「ヴュルテンベルクソナタ集」は新進気鋭の覇気を感じる そもそも18世紀に「大バッハ」といえばC.P.E.のことだったんじゃない?
父から寵愛されていた兄貴より成功した自分こそが
父の偉業を後世に伝えねばならぬというやや歪んだ使命感。 >>689
「100年後のコラールの演奏法が多様化したバッハの時代」とまで書かないと分からないかな?
>>691
つまりバッハの息子たちが紹介してJ.S.バッハが新たに知られた時期はあったという意味ですよね。
それが定着しなかっただけと。
まぁヘンデルとは違うね。 つまりバロック時代の大抵の作曲家は演奏されなくなるので死後忘れられるけど、
少なくともヘンデルは演奏されていたので忘れられてはいない。
バッハも息子たちが新たな土地で演奏していたので、忘れられたのはその後だし、
ライプツィヒでは演奏されてたので少なくともそこでは忘れられてはいなかった・・・というのが論理的? >>693
「普通」というのは「例がある」という意味なので具体的事例について話す際に論拠にはならないというのは言うまでも無いよねぇ。 >>697
間違えた。
「例がある」→「例外がある」 現代の日本の教会でも一応四声体で会衆全体で歌ってるけど
普通の信徒は上の旋律しか歌えない人が多いが、コアに参加している信徒は一応四声体で歌う人が多い 一応知識を確認しておくが
コラールって日本でいう賛美歌ですからね
バッハの時代に礼拝中のカンタータの演奏で会衆全体でコラールを歌っていなかったという証拠もない
むしろ当時、礼拝中に会衆を排除してコンサート形式的に演奏したと考える方が、甚だしく無理がある
会衆は会衆で別に賛美歌を歌う時間があったというのかね
はっきりいうけど教会を知らないバカの考えだ >>696
まだやってるのかw
どんだけ悔しかったんでしょうかww
(他所に持ち込んでリベンジしようとしたのに玉砕しちゃった悔しさは理解する)
>>700
Bachの終結Choralは会衆が覚えている旋律とは違うことが多いので
多分会衆は歌えなかったと思うよ
普通は会衆の斉唱は使途書の後=福音書の前と
説教の後
あとChorに直接対応する英語はchoir >>
例えば、メンデルスゾーンは死んだ人の作品ばかり演奏すると揶揄されていた
教会などの典礼音楽は別として、聴衆相手のコンサートはそれまで生きている人(その殆どは自作自演)の作品を演奏するものだった
話は飛躍するが、今は死んだ人の演奏を聴く時代になっているのかなとも思う >>701
>Bachの終結Choralは会衆が覚えている旋律とは違うことが多いので
>多分会衆は歌えなかったと思うよ
ここは比較対象して研究する余地釜ありますね
>普通は会衆の斉唱は使途書の後=福音書の前と
>説教の後
「普通は」というのが何を意味するのかがわからないですね。
使徒書という言い方もあまり聞きません。
(使徒行伝を指すのか、使徒書簡を指すのか?)
現代のルター派教会で聖書朗読は「使徒書」と「福音書」からと決まっていて、しかもその中間でに賛美歌を歌うというのが普通という認識はありませんでしたが。
いつ、どこの「普通」なのでしょうか?
バッハの時代のルター派教会の「普通」なのなら、その文献を教えてくれますか?
>あとChorに直接対応する英語はchoir
それは意味的にChorを聖歌隊の意味に使うとchoirが比較的近いという話ですかね
「直接対応」の意味するところが明確でないですね
語源的にはギリシア語のコロスから直接繋がっているのが独Chorと英chorusで、意味的にも被っていますが。
choirはむしろその語形変化ですね >>703
訂正
○ここは比較対照して研究する余地がありますね
なぜ「釜」が入ったのか >>693
エマヌエル・バッハのシンフォニーは持っているのですが、ご紹介の「ヴュルテンベルクソナタ」
凄いですね。もう何だかモーツァルトの世界みたいです。
これ聞いているとエマヌエルもクラヴィーアの名手だったんだなぁと感じます。
早速CD買いますよw
この曲のご紹介は私にとっては良いお年玉でした。有難うございました。 >>703
なんかまためんどくさい人が来ちゃったw
旋律の話は当時の賛美歌集(Babstとか)を見てないとわからないので仕方ないけど
当時の斉唱の位置は是非自分でお調べくださいな
日本語だけで検索しても1時間くらいでなんとかなるのでは?
(今の日本のルーテル教会がどうやっているかは知らないw)
Actを「使徒書」と呼ぶ教派は聞いたことがないですが
まあこれは私が知らないだけかもw
「使徒書朗読」と言えば「普通は」書簡か旧約の朗読を指す
Chorは合唱団とか聖歌隊という意味で使ったんでしょう? だったら対応する英語はchoir メンデルスゾーンはBWV245は公演していないのですか? >>706
>当時の斉唱の位置は是非自分でお調べくださいな
>日本語だけで検索しても1時間くらいでなんとかなるのでは?
おたくが言い出した出所不明の怪しい情報をなぜ1時間もかけて検索して探さないといけないのか
おたくが出せば終わりですが
無いんでしょうね
いかにもデタラメっぽいからね
「使徒書朗読」でググるとカトリックのサイトしか出てきませんね
「普通」?
どこの普通なんですか?
おたく、バッハの宗派も知らないんですか?
会衆が讃美歌を歌っても聖歌隊とは言いませんよ
一体どこの間違った知識ですか?
またはただの誤読ですが、誤読をもとに上段から説教垂れないでくれるかな?
いちいちデタラメの相手をしないといけないメンドウをさせないでくれます? >>706
>「使徒書朗読」と言えば「普通は」書簡か旧約の朗読を指す
だいたい「使徒」って意味しってる?
旧約になる訳ないでしょ
デタラメしか言わない阿呆ですね
NG 自分が知らないことを「違うよ」って言われたら
まずは自分で調べて確認してから反論っていうのが「普通」だと思うんだけどねえ
その方が勉強になるし
知的頽廃というやつなのだろう
やっぱり面倒くさい人だったw
Perikopeは下記参照
意味わかんなかったら諦めなさい
http://www.bach-cantatas.com/Read/index.htm
Choirの件は>>682で合唱団って言ってるからなんで会衆の話になるのかわからんけど
面倒くさいからどうでもいいやw
あと紛らわしいこと書いちゃったので補足
「使徒書朗読」にはActとRevも含みます 「使徒書」という言い方は使った事は無かったですが、
カソリックを中心にプロテスタント関係者でも「使徒行伝と使徒書簡」を指す事はあるようだ
一般的ではないので、その用法で使うにしろ、どこかでそういう説明をしていると思われる。
まあ、私の予想は当たっていたが、使っていた某が分かっていなかったということね>>706
>>712
そのサイトEpistleは出ているがどこにも
>普通は会衆の斉唱は使途書の後=福音書の前(と説教の後)
>「使徒書朗読」と言えば「普通は」書簡か旧約の朗読を指す
どこにもこんな話はないですね
自分でデタラメ認定ですね
英語だから自分も分からないし、相手にも分からないと思ったのかねえ
しょーもな
>知的頽廃というやつなのだろう
>やっぱり面倒くさい人だったw
そう思うんだったら
デタラメ君はおれの相手しないでいいから黙っててくれるかな
そうしてくれるとありがたいです 大体神はとっくに死んだのだから枝葉末節な話で揉めるなよ。今や鑑賞用の音楽なんだから ここでのバッハのテキスト論争はバッハ音楽鑑賞にはさして役に立たない知識のやり取りで、不愉快千万
参集した当時の人が歌ったかとか、日常的に使っている言葉の定義だとか、そんなことはどうでもいいし
専用スレでも立ててやってほしいものだ >>701
>普通は会衆の斉唱は使途書の後=福音書の前
はあはあ、このデタラメ君がどうやってそのデタラメをそこから引っ張り出したか分かった
>>712
そこのサイトで例えば一番上の降臨節第1日曜の主日
http://www.bach-cantatas.com/BWV61.htm
>Event
>Epistle: Romans 13: 11-14 | Gospel: Matthew 21: 1-9
「event」つまり「式次第」が出ている
訳せば「朗読:使徒書簡からロマ書、、福音書マタイ伝、、」という所
ここで「Gospel」を「福音書」じゃなくて、
「ゴスペル音楽」、つまりコラールが入ると読んだのだろう
それ無理な解釈ですわw
ここの「ゴスペル」は「福音書」の意味です
辞書調べてね 笑
聖書朗読の間に讃美歌挟むなんて「普通」しませんw テキストに関する事項は受難曲やカンタータの鑑賞に非常に役立ちます
今年の目標は、教会暦に合わせて毎土日を使って、該当箇所の聖書を読み、
バッハのカンタータのテキストを読み、楽譜を用意して音楽を聴くことだ。
これでバッハが用意してくれた分を一回りするだけで3年も楽しめるし、
バッハへの理解が格段に深まると思う。
「ある政治スタンス」を公言する日本語のカンタータサイトも良いが、
某デタラメ氏があげてくれたサイトは知らなかったが、良いサイトだ。
使わせて貰うわ。多謝。
当時の会衆がどうバッハのカンタータに接したかも受容の観点からぜひ知りたい点だが、
まだ分からないことが多そうだ。 >>700
「賛美歌」の定義のからすれば?w
礼拝の中でコラールを会衆全員で歌う習慣はバッハの時代にも当然あっただろうけど、
例えばカンタータの中で出てくる四声体コラールに会衆も加わっていたかは別の話で、そこは分けて考えた方が良い。 >>702
「死んだ人の作品ばかり演奏すると揶揄されていた」と
「聴衆相手のコンサートはそれまで生きている人(その殆どは自作自演)の作品を演奏するものだった」の間にはかなり隔たりがある。
死んだ人の作品『ばかり』でなくても死んだ人の作品も演奏されることはあったという意味だから、
やはり>>696は誰も否定できてない。
実際メンデルスゾーンの時代にはもう古典派の作品が演奏される機会は多かったんじゃないの? >>718、>>721
何で?
「聞き専」と煽るより、真面なレスが続いていると思う >>721
ウゼーんだよストーカー!
5chに書き込む前に金返せ!裁判起こすぞ!!
暴行したことも晒すぞてめぇ!!100%敗訴で失職するか!?
さっさと金返せ!! 「誰からも反論がない」
「誰も否定できない」
これって「誰もがうんざりしていて相手にされない」と言い直すことが的を射ていると思います
なんと言うか、バッハスレを利用したディベートスレと化していますね
また定義が云々とか言われるかなw なんだかめんどくさい人を追い込んだせいで荒れちゃってすみません
#debateにすらなってないですよね
まず
1) ルター派でも「使徒書朗読」と言う
ということは理解できたんだな?
よしよしいい子だw
次に
2) 「使徒書朗読」には旧約も含まれる
について
貼ったsiteが読めなかったようだけどw
あまりに気の毒なので一つヒントをあげます: BWV65
最後
3) 当時の会衆斉唱の位置
は今さっき日本語で検索したら結果の1番目と2番目に出てきたやつに書いてあった
教えてくれくれ自力で見つからなくて罵倒ばかりでは情け無いだろう
頑張って探してくれw
あと
eventは「式次第」じゃない
このsite読むのは10年早いんじゃないか?w
#ちょっと親切すぎw >>707
ドイツ語版Wikipediaには別の人が再演したと書いてあるけど
FMBはやってないとは書いてないですねw フランス語版には
FMBが1830年には出版譜の存在を知っていたと書いてあるけど
演奏したとは書いてないw >>727
まだお前さんは恥の上塗りするの?
いい加減にしてくださいよ
1と2)
まずお前さんは最初「使徒書」が「使徒行伝」を含むかどうかを知らなかったですね
>>706
>「使徒書朗読」と言えば「普通は」書簡か旧約の朗読を指す
英語で言うところの Epistle Readingを 「使徒書朗読」と訳すと当然「新約」からに限定されますよ。
もしわからなければ「使徒」を辞書・事典で調べてください。
「使徒」と言ってるのに旧約を含むのでは驚天動地です。
Epistle Readingはほとんどが「新約の福音書以外からの朗読」ですが、
一部イザヤ書、マラキ書からなど旧約預言書の朗読を含むのは言われなくても元より気づいていました。
「使徒書朗読」では誤訳です。
「旧約聖書、使徒書朗読」または「預言書、使徒書朗読」と訳してください。
>3) 当時の会衆斉唱の位置
上では「普通は」と言っていました。何が「普通」かって話でしたが、今度は「当時」ですか。
「当時」ってここでは当然「バッハ当時」 の意ですよね。
「ルーテル教会」と関連のwikiがおたくの出所でしょうが、
これは「フリードリヒ・ヴィルヘルム3世による礼拝式文」でそれ以前の簡素なルター派教会の礼拝より
カソリックの形式に非常に近づいた形です。
で、この王の在位は「1797年 - 1806年」です バッハはとうに死んでますよね 笑
この王以前の「当時」はどうなんですか?
「普通」「当時」などで胡麻化さないように。 >>727
>eventは「式次第」じゃない
お前さんの英語関係の指摘は、Chorとchorus でもそうだったが本当にポイントを外している。
意訳として「式次第」で全然正しい。
ここで言われているevent をもし「式文」「礼拝式文」なんて訳すとまた別の意味になっちゃうんですよ。
お前さんが「使徒書」に旧約を含めて平気だったのと同様の事が起きるんですよ。
それとも「出来事」「やる事」って訳せってか? 「式次第」がいい訳なんですよ。 私もこの人のお相手が嫌になって来たw
使徒書は
>>703
>使徒書という言い方もあまり聞きません。
>(使徒行伝を指すのか、使徒書簡を指すのか?)
に対して「使徒行伝を使徒書と呼ぶ教派は知らない」って書いた
働きとか言行録とか教派(使う聖書)で訳が違うからね
そもそもはじめからBachの教会の話しかしてないし「普通」って書いたのは当時でも色々例外があるからだし
あなたがいくら「使途書朗読は誤訳」と言い募っても業界では「普通」wに使われているし
も少し論文の検索方法に習熟してはいかがでしょうかww 2分で見つかったよ1時間は言い過ぎだったすまんw
eventの解釈については話にならない. どこをどう読んだらそうなるのか
もはや異星人を見てるようでありますw
あとは自助努力でw >>732
「使徒書」をタームだとすると、旧約を含む用法としてはプロテスタント界ではまったく一般的ではありません。
論文で使われているのは、大抵「使徒書簡」の意味で使われていますね。
まあタームというより書に書簡の意味があるから「使徒+書」で使われているだけです。
「普通」とはとてもでないが言えませんね。
そんな大雑把で許せる人は、論文を書いたとしてもFラン大でゴミ論文しか書いた事の無い人ですね。
まあお前さんも書いたとすれば、そんなところでしょう。
で、聖書日課としてのEpistle Reading の訳としてはどうか
しっかりしている論文では「旧約、使徒書」の朗読とはっきりさせています。
しかし、Fラン論文
『J. S. バッハの 2 部構成のカンタータ ―概観 ―』 木村某
これとかヤバいですよ。ちょうどバッハに関わっているのでお前さんのネタだと思いますがね。
関連個所を引用すると
1723 年の待降節第 1 日曜日にライプツィヒで再演
した際、自筆スコア(ベルリン国立図書館、Mus. ms. Bach P 45)に記した礼
拝式次第である
(中略)
(?5?) 使徒書の朗読 (?6?) 連祷を歌う (?7?) コラールへの前奏
(?8?) 福音書の朗読(?9?) 主要音楽(HauptMusic)への前奏
まあこの人は何の断りもなく「使徒書の朗読」と書いているが、そのあと
「主要音楽(HauptMusic)」などと書いて平気な人です。
一気に2つの間違いがありますね。
で、この人の語だと「礼拝式次第」ですねw
いずれにしろ英語のeventを便宜上、式次第と訳しただけで、そこに間違いだと噛み付くのはおよそバカしかいません。 まあでも、HauptMusic というのはバッハ自身の表記がそうだったのかもしれない
いずれにしろ問題の「使徒書」で旧約を含めるのはまったく普通ではない 私が書き込むたびに一生懸命検索してくださっているようで御苦労様ですww
いつまでたっても懲りずにご迷惑なので答えを書きましょうねw
この時代の礼拝の一部としてのEpistelでは書簡たまに行伝旧約黙示録が読まれ「普通の」w訳語は「使徒書朗読」なんだよ そういうお約束なのw 私は一貫してそう書いている
一般的文脈で使徒書って言うときに旧約が含まれないのは当たり前で
その区別がついていないのが貴方の敗因
(まあ「使徒書なんて聞いたことない」って書いてたから仕方ないけどね)
eventの当該siteでの意味はもちろん「教会暦の該当主日」
何をどう考えたら「式次第」になるのか不思議でならない
ああ我ながら親切すぎるww
ところでBachさんが書いた順番で会衆斉唱はどこ?ww
#Fランとか書くところを見ると
#「難関国立出」wの学歴コンプの人なのか?w >>735
>>732
>あなたがいくら「使途書朗読は誤訳」と言い募っても業界では「普通」wに使われているし
「使途書」?
恐ろしい誤訳だな
これでほっける精神が全く理解できませんね
一体なんの使途ですか???? >>726
「一般的な通念」とか「普通」で思考停止するのはモノを考えない馬鹿だけという典型ですね。 >>735
>ところでBachさんが書いた順番で会衆斉唱はどこ?ww
あえて可哀想だからこれまで突っ込まなかったんだが、お前さんのデタラメを指摘しておく
わざわざお前さんが自信満々に尋ねてくるので、仕方ないんだよ。許してくれ。
聖書朗読に挟まって歌われたのは「連祷」であって、問題とされていたコラールではない
説教の後にコラールだな。
>>701
>普通は会衆の斉唱は使途書の後=福音書の前と
>説教の後
で、「連祷」と「コラール」のどちらも「斉唱」で一緒にするのはまずい。
「斉唱」の意味は複数人が「ユニゾン」で歌う事ですよ。義務教育の音楽でも習う基本ですよ。
「連祷」なら「斉唱」でも正しい。
コラールは16世紀の終わりには四声体にされていましたよ。
バッハの時代にコラールが「普通」「斉唱」された?
全然間違いですね。 ルターと一緒に仕事をした音楽家、ヨハン・ワルターが16世紀の前半にはもう四声体にして出版していましたね。
バッハがいたような大きな教会では、声楽の訓練をした信徒を含む一般信徒からなるChorが
四声体でコラールを歌っていた訳です。「斉唱」じゃありませんよ。 >>737
あのーーー、>>726に対して、「通念」とか「普通」とか、無関係なレスされても困るんですけど、返答のしようがありません。
ひょっとして、あなた所構わず噛み付く「カミツキガメ」ですか?
それから「通念」としてものを言った人に対して、思考停止していると勝手に決めつけるのはあなたの勇み足ですね。
いや、間違えました、「暴論」と表現するのが適切でしょう。 まだやるのかよww
連禱の後に「(7)コラールへの前奏」ってあるでしょ
これは会衆斉唱の前奏(しばしば即興)で
引き続き会衆が歌うんだよ
今の教会でもそうなんじゃないのか?
>>700
>会衆は会衆で別に賛美歌を歌う時間があったというのかね
あったんだよww
2分調べればわかったのに...
>>716
>聖書朗読の間に讃美歌挟むなんて「普通」しませんw
多分この人は今の日本のルーテル派の礼拝は知ってるんだろう
でもBachのカンタータの演奏については何も知らない
知らないのは恥ずかしくないんだけど
そのままの知識で調べもせず資料の誤読と当て推量のみで他人を罵倒し
指摘されて間違いに気づいても次々と主張を変え苦しい言い訳で悪あがきする(例:>>710と>>730)
これを知的頽廃と言わずに何と言おうかw
(しかも学歴コンプww)
あと英語が(英語すら)読めないねw
>>717
>今年の目標は、教会暦に合わせて毎土日を使って、該当箇所の聖書を読み、
>バッハのカンタータのテキストを読み、楽譜を用意して音楽を聴くことだ。
前途は多難だと思うがまあ頑張ってくだされw なるほど位置問題は負け確定なので「斉唱問題」にすり替えて頑張ろうとw
礼拝で会衆が4声に分かれて歌ったっていう話は聞いたことがないなあ
そりゃChorは自分の声部があれば歌ったかもしれないが会衆にそんな能力はないよ
ちなみにChorは教会付属学校の寄宿生で楽廊にいて会衆とは明確に分離されていた
使い物にならない子も合わせて4教会で50人余りしかいなかったので
一つの教会でせいぜい10人ちょっとだな
まさかChorも会衆だと強弁するのかな?ww
「会衆」が4声で歌ってたという証拠はあるの?
見たことないので教えてくださいな >>741
>連禱の後に「(7)コラールへの前奏」ってあるでしょ
>これは会衆斉唱の前奏(しばしば即興)で
>引き続き会衆が歌うんだよ
何の根拠もない苦し紛れの言い訳はやめようよ
「前奏」は「前奏」でしょうね。
これはオルガンのみの即興でしょう。
というのも他の場所は
>(?3?) キリエへの前奏。キリエを全曲演奏
>(12) 説教の後、いつものように讃美歌の数節を歌う
>(14) 音楽(Music)への前奏。この後、前奏と讃美歌唱が交互に繰り返さ
れながら、聖体拝領の終了まで続く。
のように式の内容を省略せず、バッハが極めて具体的にメモしていた訳だからね。
(14)の説明的な部分は論文著者の説明ではない訳で。
お前さんがデタラメを引きずるから相手してやらないといけなくなる。
>これは会衆斉唱の前奏(しばしば即興)で
>引き続き会衆が歌うんだよ
これ苦し紛れのデタラメね。頼むからそろそろ終わりにしてくれな。 前言撤回
この人今の礼拝も知らないわw
もう何を言って差し上げてもダメみたいだし面倒くさいのでお相手するのやめます
どこかで大恥をかくまでおのれの信念を貫いてください(もうかいているが)ww
(「コラールへの前奏」が何で前奏だけなんだよ
コラールはどこへ行っちゃうんだよww)
なおご興味のある方は下記をご参照ください
多分この人には読めないと思いますのでw
https://www.bach-cantatas.com/Articles/Leipzig-Churches-Petzold.pdf >>740
スレ読んでれば「通念」とか「普通」を理由にするかどうかの問題なのは馬鹿でも分かる。 >>748
変な日本語
言っている意味が全く解らないpupupuのpu まぁ論理的に意見を言えない馬鹿は治らないからしょうが無い。
ところでそもそも論だけど、生前のバッハの知名度はどのくらいだったの?
「死後次第に忘れられた」とか言われても、それは生前との比較の話でしょ?
そこからしてヘンデルやテレマンと比較にならないと思うんだけど。 1) オルガン演奏の巨匠として有名だった
新楽器の鑑定役として諸方に呼ばれるくらいには
2) 対位法の大家として有名だった
音楽好きの王様が来訪を心待ちにするくらいには
不運だったのは
オルガンも対位法も生前既にオワコンになりかかってたこと
一部の教会合唱曲以外は演奏されなくなって
あとはヲタクがローカルに愛でていただけ
HändelやTelemannに比べれば生前の評価はずっと落ちる pupu
カミツキガメと言われた人が餌をさがしているぞ
誰が相手にするものか
口直しにBWV543のフーガでも聞くかな >>749
相手にしているのが>>743と同一人物なら応答するだけ無駄です
この人 自分の間違いに気づくたびに間違えてたことをすっかり忘れて
次々と主張を変えて間違いを認めないという
どこかの国防部みたいな御仁なので
お相手しない方が幸せになります
IQが低いか一種のpsychopath >>752
評価と人気を分けて考える必要はあると思いますがね
人気(一般からの評価ともいえるが)はテレマン、ヘンデルがずっと上でも、玄人筋からの評価は「生前からの評価はずっと落ちる」とは言えない。
「生前からの人気はずっと落ちる」とは言えるが >>755
つまり生前の人気と死後の人気、生前の評価と死後の評価それぞれの変化で分けて考える必要があると。
まぁ当然だね。 話に加わる頭が無い人間が頭の悪いレスを繰り返してるだけだなw
J.S.バッハの息子たちが父親の曲を各地で演奏してどれくらいの支持を得たのか?という点が問題になるんだろうけど、どうなんだろうね。
19世紀になると新聞の批評とかが多く残ってるけど、18世紀だとその辺りが微妙。
でも楽譜の出版にあまり繋がらなかったのはやはり時代遅れとして受け止められたのかな。 モーツァルトやベートーヴェンといった古典派の巨匠が
J.S.バッハを高く評価していたという事実だけで十分だと思うけどな、知る人ぞ知るといった評価で
ただヘンデルのように古典派時代に全集が出版されるということもなく、一般的な評価は低かったと おまえらまだマウント奪り合って暴れてんのかw
学歴、職業、年収が解るものをうpしろ
どっちが上から客観的に決めてやるからさ
はやくうp >>762
言わずもがな。
でなければバッハ自身が自分の世俗曲を宗教曲に転用するわけない。
でも、逆の例は殆どないんだっけ? >>763
>でなければバッハ自身が自分の世俗曲を宗教曲に転用するわけない。
そうだろうか?
転用とは関係ないのでは?
NYTの記事は傍証にしているけどね >>760
認知度と評価はまた別の話になるけど、
まぁバッハの息子たちが父親の作品を時に演奏してもヘンデルほど流行らなかったというのがほぼ事実なので、
「一般的な評価は低かったと」というのはそうなんでしょうねぇ。
「生前との認知度と評価」の変化を言い出すとかなり難しい気が。
ヘンデルは生前と変わらず死後も忘れられなかったけれど、バッハは生前も死後も一般的にどの程度知られていたのかが謎。 >>763
他の転用すべてについて、転用元の世俗作品に宗教性が見いだせるなら、あんたの説は正しい。 またpsychopathみたいな人が来そうで怖いんだけどw
>>765
「一般的」というのが曖昧だが
「音楽をあまり知らない知識階級あるいは都市富裕層」内の「知名度」であれば
大都市のKantorは一応の名士だから
Leipzigとその周辺では名前が知られていた
でもその外では無名に近い
「音楽の専門家ないし愛好家」の間であれば
名にし負うBach一族の出世頭だし
SachsenないしThüringenの外でも知られていた
少なくともHamburgの雑誌にdisる記事が載ってちょっとした論争になるくらいには
「一般的な」「評価」については
Leipzig市当局がBachさんをひたすらいじめ抜いて
早よ去ね早よ死ね的な仕打ちばかりしていたことや
BWV244の初演が当時のmediaにほぼ無視されたことから推して知るべしw >>767
まぁだいたいそんな感じでしょうね。
>>653からの流れを考えれば
「専門家(モーツァルトやベートーベン、他もろもろの音楽家など)」では無いのが「一般」になるのかな。
>>636の「通」はよく分からないけどw Psychopathの「斉唱は無かった」「コラール前奏だけで終了」の人は布団かぶって反省しているのかな? まあとにかく静かにしていて欲しいものだ
専門家といっても
同世代の大家Matthesonからは批判されてるし
息子世代以降の作曲家は弟子筋を除けば無視
(再演機会が無いし出版譜が少ないから仕方ないが)
伝統だかなんだか知らないけどオルガンは無茶苦茶上手いが書くものはゴテゴテと古臭いオッチャンってな感じw
死後はヲタクサークルで細々と愛でられていただけで
そのサークルの一つにたまたまMozartやBeethovenがいて
幸い彼等には「見る眼があった」w
>>636で「通」と書いたのは「音楽が分かる人」の意
具体的には「同業者」(と神さまw)かな? 個人的に気になることだったので730、認識していたというのは興味深いです。
現代なら続けてやるべきなのでしょうがそうならなかったのは、ドイツ語疎くていまいちなんですけど
再演した教会のフリードリヒの意向が強いと書いてありますか?
1832年はヴィルヘルム・フリードリヒ・リームによって部分的に行われた記録はあるが、全て再演されたのは1833年なのかな?
フェリックス・メンデルスゾーンはカール・フリードリヒの生徒だともあるし、必ずしもスポンサーありきでは無さそうですが。 >>769
>「通」と書いたのは「音楽が分かる人」の意
>具体的には「同業者」(と神さまw)かな?
神に向けて曲を書いていたというのはよく言われることで分かるけど、
バッハが「音楽が分かる人」=「同業者」向けに曲を書いていたと考える根拠が何かあるのかな? って言うか
「一般」向けに書いてたって考えられるほうの思考過程が知りたいw ひょっとして現代でも両方演奏する事ってあまりない? >>769
>>>636で「通」と書いたのは「音楽が分かる人」の意
>具体的には「同業者」(と神さまw)かな?
神様の方はwで茶化しているようなので別件として脇に置いておくが、
同業者向けとか、バッハはそんな狭い了見で作曲していないですよ
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