【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part28
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Johann Sebastian Bach (1685-1750) について語り合うスレです。 980を超えると、最終レスから24時間後にdat落ちする仕様です。 980を踏んだ人が次スレを立ててください。 立てられない場合はその旨を書き込んでください。 ※※※980を超えたら、次スレが立つまでは書き込みは控えましょう♪※※※ 前スレ 【Bach】 J.S.バッハ 【総合】 Part27 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1496871223/ >>755 つまり生前の人気と死後の人気、生前の評価と死後の評価それぞれの変化で分けて考える必要があると。 まぁ当然だね。 話に加わる頭が無い人間が頭の悪いレスを繰り返してるだけだなw J.S.バッハの息子たちが父親の曲を各地で演奏してどれくらいの支持を得たのか?という点が問題になるんだろうけど、どうなんだろうね。 19世紀になると新聞の批評とかが多く残ってるけど、18世紀だとその辺りが微妙。 でも楽譜の出版にあまり繋がらなかったのはやはり時代遅れとして受け止められたのかな。 モーツァルトやベートーヴェンといった古典派の巨匠が J.S.バッハを高く評価していたという事実だけで十分だと思うけどな、知る人ぞ知るといった評価で ただヘンデルのように古典派時代に全集が出版されるということもなく、一般的な評価は低かったと おまえらまだマウント奪り合って暴れてんのかw 学歴、職業、年収が解るものをうpしろ どっちが上から客観的に決めてやるからさ はやくうp >>762 言わずもがな。 でなければバッハ自身が自分の世俗曲を宗教曲に転用するわけない。 でも、逆の例は殆どないんだっけ? >>763 >でなければバッハ自身が自分の世俗曲を宗教曲に転用するわけない。 そうだろうか? 転用とは関係ないのでは? NYTの記事は傍証にしているけどね >>760 認知度と評価はまた別の話になるけど、 まぁバッハの息子たちが父親の作品を時に演奏してもヘンデルほど流行らなかったというのがほぼ事実なので、 「一般的な評価は低かったと」というのはそうなんでしょうねぇ。 「生前との認知度と評価」の変化を言い出すとかなり難しい気が。 ヘンデルは生前と変わらず死後も忘れられなかったけれど、バッハは生前も死後も一般的にどの程度知られていたのかが謎。 >>763 他の転用すべてについて、転用元の世俗作品に宗教性が見いだせるなら、あんたの説は正しい。 またpsychopathみたいな人が来そうで怖いんだけどw >>765 「一般的」というのが曖昧だが 「音楽をあまり知らない知識階級あるいは都市富裕層」内の「知名度」であれば 大都市のKantorは一応の名士だから Leipzigとその周辺では名前が知られていた でもその外では無名に近い 「音楽の専門家ないし愛好家」の間であれば 名にし負うBach一族の出世頭だし SachsenないしThüringenの外でも知られていた 少なくともHamburgの雑誌にdisる記事が載ってちょっとした論争になるくらいには 「一般的な」「評価」については Leipzig市当局がBachさんをひたすらいじめ抜いて 早よ去ね早よ死ね的な仕打ちばかりしていたことや BWV244の初演が当時のmediaにほぼ無視されたことから推して知るべしw >>767 まぁだいたいそんな感じでしょうね。 >>653 からの流れを考えれば 「専門家(モーツァルトやベートーベン、他もろもろの音楽家など)」では無いのが「一般」になるのかな。 >>636 の「通」はよく分からないけどw Psychopathの「斉唱は無かった」「コラール前奏だけで終了」の人は布団かぶって反省しているのかな? まあとにかく静かにしていて欲しいものだ 専門家といっても 同世代の大家Matthesonからは批判されてるし 息子世代以降の作曲家は弟子筋を除けば無視 (再演機会が無いし出版譜が少ないから仕方ないが) 伝統だかなんだか知らないけどオルガンは無茶苦茶上手いが書くものはゴテゴテと古臭いオッチャンってな感じw 死後はヲタクサークルで細々と愛でられていただけで そのサークルの一つにたまたまMozartやBeethovenがいて 幸い彼等には「見る眼があった」w >>636 で「通」と書いたのは「音楽が分かる人」の意 具体的には「同業者」(と神さまw)かな? 個人的に気になることだったので730、認識していたというのは興味深いです。 現代なら続けてやるべきなのでしょうがそうならなかったのは、ドイツ語疎くていまいちなんですけど 再演した教会のフリードリヒの意向が強いと書いてありますか? 1832年はヴィルヘルム・フリードリヒ・リームによって部分的に行われた記録はあるが、全て再演されたのは1833年なのかな? フェリックス・メンデルスゾーンはカール・フリードリヒの生徒だともあるし、必ずしもスポンサーありきでは無さそうですが。 >>769 >「通」と書いたのは「音楽が分かる人」の意 >具体的には「同業者」(と神さまw)かな? 神に向けて曲を書いていたというのはよく言われることで分かるけど、 バッハが「音楽が分かる人」=「同業者」向けに曲を書いていたと考える根拠が何かあるのかな? って言うか 「一般」向けに書いてたって考えられるほうの思考過程が知りたいw ひょっとして現代でも両方演奏する事ってあまりない? >>769 >>>636 で「通」と書いたのは「音楽が分かる人」の意 >具体的には「同業者」(と神さまw)かな? 神様の方はwで茶化しているようなので別件として脇に置いておくが、 同業者向けとか、バッハはそんな狭い了見で作曲していないですよ バカですか >>774 一般向けに書いてない=「同業者」(と神さまw)向けという思考回路が分からないから、誰もあなたの疑問には答えられないよ。 二分法の典型的思考。 横からだけど WTCは「音楽が分かる人」向け以外にないと思うのですが。 調性だけ見ても協奏曲は調性どうでもいい人向けではないような。 数秘術的な聞いて分かるわけがないのは神様向け、司祭にバレると面倒 大半は司祭とか王公貴族向けに書いてるでしょ 一般聴衆の為に書いたと思われるのはごく少数でしょ そうするとバッハはルター神学、ルターの音楽観には真っ向から反対なんだな 斬新な新説ですね あーまた馬鹿連呼のPsychopathが来ちゃったよw この人 他人から教わらないと自分の意見が決まらないし 一つ一つ教えて差し上げるのはバカバカしいしきりがないし 下手に知恵をつけると図に乗って他所でも馬鹿連呼しそうなので 私は本件終了ということで後はよろしくw きっとコラール斉唱位置問題でかいた大恥も忘れたんだろうww >>783 自分の頭の悪さに気づかない馬鹿の典型かつ反論できない人のかっこ悪い逃げ方の典型ですねw >>770 >>728 >>729 への応答でしょうか? >現代なら続けてやるべき ? >再演した教会のフリードリヒの意向が強いと書いてありますか? 書いてないです >1832年はヴィルヘルム・フリードリヒ・リームによって部分的に行われた記録はあるが、全て再演されたのは1833年なのかな? 1832年の方はよくわからない 自宅でないところにいるのでGoeckの本とか確認できませんごめん ちなみによく話題にされるのは R. Schumannによる1851年の演奏です え? バッハは「同業者」(と神さまw)向きに作品を書いたって? ねーわ いくらバッハに関する知識があっても結局これじゃ何も知らない >>777 >>788 早朝からヒマそうで羨ましい。 >>789 他人だが、5時に起きてるのは昼忙しいからじゃないかと普通は思うんでは? 逆に昼の1時過ぎに暇そうだなと思うよ >>790 早朝に5chするヒマがあるんだから優雅なんだろ。15:30にするのがヒマなのかどうかは知らんけど。 >>780 >>781 >>782 ヒマ認定されたってさ。 まともに意見を言えない人間がレスしている時間について言うくらいしか抵抗できないだけ。 >>775 もしかしてBWV244と245を続けて演奏するってことですか? さすがにそれはないでしょうw 当時も今も礼拝の一部としては絶対にやらない らららクラシックで、クラシックファンに聞くバッハ、モーツァルト、ベートヴェンで最強は誰かっていうのをやっていた 1位はベートーヴェン、以下バッハ、モーツァルトと続いて、私の予想通りだったね 解説者曰く、モーツァルトは「天才」 バッハは「完璧」って言っていた バッハはどこからどう攻めてみても「完璧」だそうで、バッハファンとしては嬉しいコメントだった 皆さんはもうすでにご存知だと思いますが、モーツァルトは最後の交響曲でフーガを書いた ベートーヴェンも後期のピアノ・ソナタでフーガを書いた 作曲技術が円熟してくると、例えそれが古い楽曲形式であってもフーガを書きたくなってしまうんでしょうかね? バッハへのリスペクトの結果かどうかは判りませんが、バッハファンとしてはこれも嬉しいです >>796 うーん。ポリフォニーの良さを新たに見直したって事じゃないのかね。 ぶっちゃけバッハの足下にも及んではいないが。 ベートーヴェン最後の「大フーガ」は弦楽四重奏の方ですね。 モーツァルトはまだ18世紀の人でフーガの主題はバロックの香りが残っていますが、 ベートーヴェンの晩年はもう19世紀でロマン派が始まっていた時代。 バロックの名残を感じさせない主題を用いつつ 巨大かつ複雑な二重フーガを成立させた手腕はやはり別格かと。 あれは21世紀の我々が聞いてもなお「現代音楽」ですよ。 >>798 あぁ、大フーガはちょっと別格かな あれはバッハの真似をしてみたレベルじゃないね ボブ・ファン・アスペレンの新盤「フーガの技法」に、第14コントラプンクトゥスの未完のフーガは、フーガの技法とは別作品であるとして収録されていないとのこと(師匠のレオンハルトも同様) 自分としては、未完のフーガで締めくくるのが好きなので、これは非常に残念 先日、東京オペラシティ近江楽堂においてフーガの技法全曲を チェンバロ1台で弾き通すリサイタルがありましたな。 未完フーガと例のコラールまで全部弾いてました。 補作の録音がいくつかあるけど あまり一般受けしない? 有名どころだとWalchaとかBarshai 日本人のもあるよ ヴァルヒャのオルガン全集に補完版がある 4番目の主題に基本主題が出てきて、他の3つの主題とよくマッチしていた 4重フーガが完成していたらこんな感じになるんだろうなって、雰囲気は味わえるよ モーツァルトのラクリモサだって後半は補完だし、それらを承知の上で聞けばそれなりに楽しめると思います バッハ時代はボーイソプラノだったのはヨーロッパ全域でのことですか >>803 今月、近江楽堂で演った根本卓也は作曲家でもあるので 補筆して演奏することを考えたが残りが3分の1あると思ったらめげた、 と冗談めかして言っていた。 同等の才能とキャリアがある人がやるならいいけどな 対位法ヲタがそれらしいことやっても フルートソナタBWV1032でさえしっくりくる補作はないからなあ。 かといってブリ箱のウェンツみたいに突然途切れて終結部に飛ぶのも気味悪い。 1032は有田さんの補作が自然なつながりで良いと思う Kuijken版Henle原典版(Eppstein)のはもひとつ 最近のは知らないw >>805 少なくとも西の教会全域で女性は歌えなかった 1Co.14:34による #「ヨーロッパ」ってどこからどこまで?w どうせ下からは見えないんだから女性が歌ってたってバレなかったという説もw ベートーヴェンは若い頃、対位法の手本としてバッハの平均律を見てたらしい モーツァルトの対位法 交響曲第40番の第3楽章メヌエットで二声の対位法を使ってるとのこと たった二声でもの凄い対位法効果があると、何かの本で専門家が言っていた あらためて聞いたが確かにそうだった わざわざバッハの名を挙げなくても、ベートーヴェンの師匠は フーガのスペシャリストとして名高いアルブレヒツベルガーだし、 ベートーヴェン自身も修業時代に学習フーガをたくさん書いている 身近で手慣れた書法ということだろう 「バッハの平均律」って何のことか分からなかったけどDas Wohltemperierte Klavierか。 >>817 正しい言い方をして見下してるんだから触るなって 音律としての平均律はドイツ語でGleichstufige Stimmung バッハが用いたのはヴェルクマイスター法ですかね Wohltemperierte Stimmungは良好律とでも仮に訳しますか wikiの記事 Wohltemperierte Stimmungから引用 Die heute am stärksten verbreitete Variante der wohltemperierten Stimmungen ist die gleichstufige Stimmung, bei der allerdings der spezifische Charakter der Tonarten verloren geht. 今日、もっとも広く用いられている「良好律」の変形は、「平均律」である。しかしそこでは調特性は失われてしまう。 誤訳が定着しちゃった用語なんてどの分野にも結構あるでしょ。 医学なんて酷いもんだよ。冠状動脈は心臓動脈と訳すのが正しかった。 Deshalb bezieht man im heutigen Sprachgebrauch die Bezeichnung wohltemperiert oft nur auf (nichtgleichstufige) historische Stimmungssysteme (Werckmeister, Kirnberger, Vallotti u. a.), die den Tonartencharakter bewahren. 従って今日の語法において「wohltemperiert」で示すのは、(不等分な)歴史的音律であるヴェルクマイスター、キルンベルガー、ヴァロッティなどの音律のみである事が多い。 そこでは調特性が保たれている。 ーーーー とはいえ、ピアノにしろチェンバロにしろ古典調律を施せる調律師がほとんどいない事もあり、WTCの録音はほとんどが12平均律で行われている。 不等分音律での演奏では、白鍵の多い調の澄んだ和音の響きと、黒鍵の多い調の、特に短調での濁り軋みのある響きとの相違が著しい。 ピアノも含めて不等分音律による全曲演奏や録音が増えて欲しいものである。 >>823 >とはいえ、ピアノにしろチェンバロにしろ古典調律を施せる調律師がほとんどいない事もあり、 まさかw Pianoはともかくcembaloはしょっちゅう調律しなくちゃいけないから 自分で調律しないと演奏家は練習すらできない まともな演奏家は数種の古典調律ないしその簡便化法を実施できるはず (私でもできるw むしろ12等分平均律はtunerが無いと出来ない) >WTCの録音はほとんどが12平均律で行われている。 何かの間違いでは? チェンバロやハンマークラヴィーアを平均律で調律したら 和音が濁りまくって気持ち悪くて仕方ない。 モダンピアノは鉄骨にとんでもなく硬い弦をとんでもない張力で張ってあるので、 そもそも弦全体が均等に振動しておらず不規則な倍音が多い。 特に最低音域や最高音域ではオクターブさえずらさないとまともな音階に聞こえない。 逆にそんな楽器だから平均律で調律出来る。 平均律だと気持ち悪ーいとか調性格がーとか言う人って、複調的和音とかトーンクラスターとか微分音とか聞いたらどうなるんだろう 案外気づかなかったりして 「平均律が気持ち悪い」のは 協和してるはずの3度6度がうなるから 始めから不協和なのとは話が違う 微分音の??さは音階自体の違いだから更に話が違う 今でも中東やトルコの大衆音楽を聴くと経験できる まあPythagoreanで旋律を弾いてもかなり変だがw >案外気づかなかったりして Tone clusterだと音律の違いを聴き取るのは大変そうだw 結局こうなるのな 誰でも簡単に調べられる知識をひけらかしてマウントとったつもりなのか 退職した教員みたいに迷惑なやつ 恥ずかしくない人に何を言っても価値観は共有してないから無理だわなぁ 穴があったら押し込めたくはなる >>829 「誰でも簡単に調べられる知識」を混同しているからわざわざ丁寧に書いたのだがw この程度でマウントされたと感じるとは思わなかった お子様相手に慣れてないんだ すまない ヴェルクマイスターらの古典調律といっても、ミーントーンより12平均律に近づけた調律なので、 調号の少ない調では3度6度は平均律よりは濁ってないというだけで 弦楽器で作ることのできる純正律に比べれば全然濁っているし、 調号が増えれば平均律以上に濁る。 WTCは、途中で調律を挟まず全曲通しで弾かれる事が想定されている。 (バッハ自身が弟子に通しで弾いて聞かせた) 黒鍵の多い調の特に短調では、平均律では得られない響きの軋みからくる苦しみのような物が表現されている。 >>828 純邦楽の音階も西洋音楽とは全く別物だしね。 雑踏のなかで途切れ途切れに聞こえる昭和のアイドルで音程悪い人の歌が 一瞬純邦楽みたいに感じたのを思い出した。 昭和の日本人にはまだ江戸時代の音階が染みついていたのかな、と。 日本の古典音楽の調律は三分損益法が基本だが 音階の根音上の4度5度と 根音より「半音」高い音の4度5度が組み合わされているのが面白い 「半音」は平均律よりかなり低い (妹が箏を弾くときにそうやっていたのだが正しいか方法どうかは知らないw) 邦楽を練習するときに既に身についた平均律が妨げになることがよくあるそうな >>835 「音階」は目標(理念) 「音律」は近似方法 言語学で言う音素と音声に似ている?w >>833 解りやすい模範解答ですね >調号が増えれば平均律以上に濁る。 だもんだから、自分で演奏する場合、ヴェルグマイスター律では演奏するときに臨時記号3つまでと決めている 音楽理論に関しては、音楽学者でさえきちんと理解してないからなあ。仕方のないことではある。 普通のバロック音楽で使われる調で調号3個に収まらないのはホ長調とヘ短調くらいでしょう おまえらそんなに立派なら論文を書いて公にしろよ(笑) 音楽学会の論文なんてあるのか? あっても価値があるのか >>842 大学行ったことある? いやなくても良いけど しらない事には突っ込まなくて良いんだって事はお伝えしておきたい なるほど〜。純正律だと転調した時にうなりが気になるんですね。 >>837 ちなみに普段は12平均律にしているのですか? ヴェルクマイスターが使える楽器はバロック音楽に特化して作られた電子チェンバロです これは古典音律として他に、ミーントーン、キルンベルガーが使えます 純正律と平均律もプリセットされています バロック音楽は電子チェンバロの古典音律で弾きますが、古典派以降は普通のピアノ(平均律)で弾きます 電子チェンバロはオルガンの音色も出ます、オルガンもチェンバロの音色も結構いいですよ オルガンみたいな持続音は平均律では和音が尖ってきつく感じます、古典音律で弾くと和音が柔らかく広がってゆく感じです >>845 ローランドのやつは国宝級のブランシェから採音しているんだっけか。 >>846 現行モデルはそのようですね 私のはClassic 20というかなり古いモデルです マニュアルを見てみましたが、音源は出ていませんでした 鍵盤がピアノとは逆な配色でそれなりにこだわったモデルです 音色も見た目もバロックの雰囲気は味わえますよ 上でバッハは忘れ去られてたのかをやってるね 俺も昔調べたことある なにせベートーヴェンも外国人のショパンも幼い頃からバッハ勉強してるもんな メンデルスゾーンに至ってはばあちゃんからのクリスマスプレゼントにマタイの楽譜だ 孫に半端なもんプレゼントするはずないしな 俺が調べた結果はバッハは当時から愛好家の間では最高の評価 メンデルスゾーンのマタイ蘇演はもっと広い範囲の聴衆を獲得した大きなイベントだったという結論だ 少なくとも鍵盤曲はずっと廃れなかった バッハを中心に置きグルックやヘンデル等著名な音楽家を周りに配す18世紀の絵も存在する こんな話題バッハ好きなやつはあまり興味なさそうだけどw いや音楽が示してるからと >>847 何しろ調律不要ってのがいいよな 鍵盤がでかいのがイマイチだが 平均律を聴くなら、チェンバロではなくピアノで決まりだな。 なぜなら、フーガの聴き分けができないから。 >>853 オルガンで聞けば? 和音のうなりは気になりやすいけど。 >>849 あとタッチ プレクトラムの感覚が無いとやっぱり別もんって感じする ピアノの方が奏者が旋律浮き立たせる努力してるから聞きとりやすいかもね 自分は音色が好きだからもっぱらピアノで聴いてる >>848 同じことの繰り返しになるが Bachさんが死んだ後まで覚えてくれていたのは 1) 本人の弟子筋 2) 息子の弟子筋か知人 3) ごく限られた数のヲタサークル だけ Mozart Haydn Beethovenは(3)で全員同じサークル FMBは(2)で叔母さんが息子の弟子 死後50年以上経ってForkelの伝記が出ても 上記関係者以外にはほぼ無名だった BWV244の蘇演は伝記の更に四半世紀後 オルガン演奏については(1)を自称する「楽派」がフランスで生き延びて繁栄するが 19世紀後半の話である なので >当時から愛好家の間では ではなく >死後もごく一部の専門家・愛好家の間では くらいが正しい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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