モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い 18
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どうぞどうぞ好きなだけ
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>798
おまえ、ネオナチ知らないの?
世界が平和だと本気で思ってるバカか? モーツァルト離れできなかったぜ
やっぱモーツァルト最高 >>799
あんたは平和じゃないんだろうが
俺はモーツァルトも、ベートーヴェンも
ショパンなど奏でて平和だと感じてるよ。
今時ナチスww >>799
あんたの血の気の多さはベト向きじゃんw
他人を馬鹿という人間にモツを語って欲しくないなあ。 【皇室】秋篠宮妃“紀子さま”と“美智子さま”の『異常性』〔心理学悪用編:小室眞子さま〕★2
ICU大学時代、山守さんも小室さんも同じスキー部員だったとの話。
そのスキー部に眞子様もいた事実。
少ない人数のスキー部内で男を、とっかえひっかえの眞子様。
しかも小室さんに乗り換えた後、山守さんも居るスキー部で活動継続。
小室さんに騙されたとかいう風潮は、あまりにもおかしい。
2012年の留学中に英国で知り合ったアジア人や日本人とも関係を持って・・・(以下略)
詳細は、以下のスレッドでどうぞ!!
〔2chのスレッド〕:https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1532735877/
〔記事元〕:http://www.laf.im/yahoo_co_jp-news-20180703 モーツァルトは悪魔の音楽なんだけどな
心が洗われるとか言ってるやつは聞けてないよ >>807
音楽そのものが退廃的なものでしょ。
そんなものが与える感動など偽者だと分かってるよ。
クラオタはそこが分かってないからキモい 音楽は退廃ではない
退廃的な音楽はあるかもだけどなナチス君 何なんでしょうね
このひねくれ。退廃的と言いながら
モーツァルトいいよねだってさ。
そしてクラヲタキモいときた〜 何を聴いても底が知れて詰まらなくなっていた
そんな時に再会したのがモーツァルトだった 昔、モーツァルトに興味が無かった頃
クーベリックの交響曲第40番&第41番 を持っていた
ガツンとした刺激がなくて、心をつかまれなかったが
今はちょうど良い具合に聴ける ベートヴェンも聴くけど感情的なところが
たまにウザイね 良い意味で ピアノ協20グルダアバドを今聴いている
いい 実にいい ん〜ヘェヴァンヌ
最初に聴いたのは数十年前のゼルキンアバドだった
もちろんその時もさほど感動はしなかったな
次は21だ 21番の2楽章は時間を超越して響くね
233年前って天明の大飢饉のころw 昔は20番以降よく聴いたけど
今は17〜19がモーツァルトらしさ
素朴で無邪気さを感じるね。 中古でベートーヴェン
ベームの最晩年の第九を買って聴いてみた。
ここでよく使われていた 感情的だの血生臭いとかとはまったく無縁。演奏する人にもよって
大きく違うんだから、いかにここで述べられているベト評が偏見に基づいていることか。ただベト好きにはあの第九はふわっと感じるだろな。 >>808
同感ですね。
前にも書きましたが、モーツァルトを聴きたくなるのは
(1)日々の充実感ではまだ足りぬ。
心が澄み渡っている時
「私は神の言葉が知りたい(宇宙を成り立たせている物理法則の事かと)。世間のあれやこれやには興味が無い(アルバート・アインシュタイン)」
そんな心の状態でしょうか?
>>814
「k. 136 2楽章」「k.545 2楽章」「フィガロ コンテッサ・ペルドーノ」「魔笛 ザラストロ:この聖なる殿堂には」等(他にも多々ありますが)」を、そのような時、心が求めますね。リピートをかけ1時間ほども聞き続けております
>>818
ピアノ協奏曲21番は(特に2楽章)は映画音楽で毒された所為か、私は苦手で1度聴いたきり(グルダだったか?)。特に3楽章も退屈。一度しか聴いてないので何とも言えないが
昔々、k.491をハスキル&マルケヴィッチ(LP)盤で聴き、余りの陰鬱さでうん十年敬遠していたのだが 、SACD清水和音盤を聴き、その透明なオーケストラのハーモニー、清水和音の1楽章カデンツァの見事さに息を飲んだ経緯があり
(それ以来この曲は、私のモーツァルトベスト盤20入りした)一概には言えないが、まだ聴く気になれずにいる、21番。
>>816
前後が逆になったが、「よい意味で」には同意。
良きにつけ悪しきにつけ、ベートーヴェンは音楽が寄り添ってくれる
私とて生身の人間、ベートーヴェンを求める時はある
「ベートーヴェン作品は神の言葉を人間の言葉に引きずり下ろした」
私はそう思っている
「モーツァルトがダ・ヴィンチなら、ベートーヴェンはミケランジェロ」
私の中では19歳の頃からそう感じている。
日記ですから、レスは不要です モーツァルトは太陽
ベートヴェンは月
JSバッハは宇宙
あくまでイメージね、そう思って聞いてる。 絶対に押すなよ
絶対に押すなよとは、「押せ」という意味で頻繁に用いられる言葉である。
概要
元々は熱湯コマーシャルにてダチョウ倶楽部上島が、「押すなよ!絶対に押すなよ!」と言った後に押され、
熱湯の中に落とされてしまうというネタである。
上島曰く「押すなよ!」と言っているときは「準備中」であるためまだ押してはならず、
「絶対に押すなよ!」と言ったら「準備完了=押してもいいよ」、という意味だから、
「絶対に押すなよ!」と言ってから押されるのがお約束となっている。
現在においては「○○するな」という言葉が「○○しろ」という意味として、お笑い業界のみならず広く認識されている。 >>826
>>827
>>828
マタイ受難曲なんかは別でしょうが(クレンペラー盤を長いこと所有していたが、キリスト教徒ではない私には結局増長な音楽だと悟り処分した)
私の場合、バッハの音楽は
「清貧、堅実、愛情に満ちた家庭」
そんな人の生活ぶりが降りて来る。
やはり2人の妻に20人?の子供を産ませた(しかも確りとした教育もしている。これは大変な事である)男の音楽である。
「無伴奏ヴァイオリンパルティータ(ジグとシャコンヌ)」
「G線上のアリア」
「2人のヴァイオリンの為の協奏曲」
バッハはこの3曲があれば十分かもしれぬ。
無論、至近距離で聴くストラドの生音とモニターGoldの再生音の比較が主目的である。
G線に関してはほぼ100%満足している。 たまにはそこそこのオーディオシステムで音楽を聴いてみたい >>824
成る程、それで同じ位の大きさに見える訳か、そこまでは考えてなかったw 小物なのに天賦の才を与えられた
というギャップがいいのさ 小物なのに天才なのはモーツァルト、ロッシーニ、マーラーだな
全員悪魔の音楽書いてるわ 嘘つきで詐欺師で浮気香具師だけど魔音楽書くドイツの方はいかがですか? >>831
この「そこそこ」と言うのが曲者でして
一旦音に拘り出すと、音楽を聴いているんだか、音を聞いているんだか
と言う葛藤状態に陥るんですよ。
音楽会には三桁回数は出向いてますが、音楽に感動したのはほんの数回、あとは音を聞いていた。
ストラドの単独弦の音と、ヴァイオリン群のユニゾンの『弱音』の「あのえもいわれぬ心地よい音」を。
悪いことは言いません、総額で百万円前後のシステムでおさめる事が賢明です。 >>840
でもとても優しい所もある
DV気質というかなんというか ベト好きな人はクラシック音楽に対しでリスペクトがあり、他の作曲家の曲も聴くし、それぞれの良さを認める事ができる。
要するにベートーヴェンだけを特別扱いしないし、知ったかぶりもしない、精神的に大人な印象。 >>836
神に愛されたモーツァルト
神と戦ったベートーヴェン
神の声を書いたJSバッハ
神をネタにしたワーグナー
で良いかな? >>850
バッハの子沢山は神の声かなw
なかなかバッハの人柄を表すエピソードってないよね 究極この世にはモーツァルトの音楽と
そうじゃないものの2種類しかない
そんな気がした夏の夜 ハイドン総合スレッド13 [無断転載禁止]©2ch.net
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762 名前:名無しの笛の踊り[] 投稿日:2018/07/28(土) 22:31:07.52 ID:spBoJf/w
最近ハイドンにハマってんだけど、もっと早くにハイドンの魅力に気付きたかった。
クラシックは最初モーツァルトから入って、一通り聴いたらもう古典派はいいやと思ってバッハとかほかの時代に移ったんだけど、久しぶりに古典派聴くかとハイドン聴いてたらハマってしまった。
ハイドンって有名なわりに現代では地味な扱いなのは、古典派はモーツァルト聴いとけばもういいやみたいな、モーツァルト止まりみたいな感覚の人多いよな。
言いたいこと伝わるかわからんが、「どーせ同じ古典派の似たような曲いっぱい書いたただけでしょ?ならモーツァルトだけ聴いとけばよくね?」的に思われてるみたいな。 個人的に思うハイドンの典型的な交響曲 モーツァルトには絶対に書けない
交響曲第67番 ヘ長調
http://www.youtube.com/watch?v=D_LipGflMm4 ハイドンほど優雅な曲を書く人は他にロッシーニくらいしかしらないな
涙も感動もないのに聞いていて本当に良い気分になれる
かといってテレマンみたいな出来のいい通俗というわけでもない キラリと光る瞬間はあるにはあるけど
ハイドンは力不足 ハイドンの交響曲は演奏によって印象も変わるのよね
最近はアダージョなどのテンポの緩やかな楽章をちゃんと緩やかに演奏しない録音が多い
フィッシャーの全集が一番いい 曲によってムラはあるけどおおむね緩やかな楽章は緩やかに演奏してる モーツァルトの交響曲の緩徐楽章ではアダージョは無くてアンダンテ
アンダンテはアダージョとは全く性格が違う まあ演奏の速さの目安なんだけどアンダンテはアレグレットに近い アダージョとは明確に違う 人によってはモーツァルトの交響曲には緩徐楽章が無いとまで言う この辺はホグウッドが来日してモーツァルトの交響曲40番を演奏した際のインタビューで述べていること
「アンダンテ速いですね」「アンダンテは緩徐楽章じゃないので」 賢い人はめんどくさくして価値を付加するから困るよw
小学生レベルの知識で素直に聴いたほうがいいな古典は だからといって小学生レベルにハイドンを力不足扱いされるのはな ハイドンはワルターやバーンスタインが振った後期交響曲が初めて聴いた曲だったので、第一印象はクソつまんない曲&作曲家だと思ったのはいい思い出。
もしかするとこのスレのモーツァルトファンのハイドン評もそんな所でないかと思ったりする。
ハイドンの奥の深さは評論家が褒めている名盤などからは見つけられない。 評論家も褒めている演奏で存分にハイドンを楽しんでいます
>>871なにで見つけたのか書けよチキン >>872
そうだなあ、前知識なく図書館で借りたものもあるか、視聴していいと思ったものを買うのが多いかな。
他人の評価ではなく自分の耳で聴くようになったら、評論家が何であんなものを褒めているのか分からないと思ったね。 疾風怒濤期の12曲(26・42・43・44・45・46・47・48・49・51・52・64番)はハイドンの交響曲を語る上では欠かせない 誤って使われることが多いが、(爆)は「自爆」のこと 出ました論点ずらし
普通に爆笑の意味で使われてるよジジイ >>877
「そこじゃないんですよ、会長、そこじゃないんですよ」 返す言葉がなくなると得意の粗探しをしだすんだよな、ハイドン厨 いや>>875で誘導したつもりが実はすでにそっちで書いてたんだから自虐の意味での(爆)で合ってるよ 何やってんのお前(爆)ではなくて何やってんのおれ(爆)だろうけどな みっともないな
前の方のレス読めないほど狼狽えてんのかジジイ 前の方のレス?33-が何か分からんが少なくともこのスレの33は俺ではないな 「そこじゃないんですよ、会長、そこじゃないんですよ」 ベートーヴェンのヴァイオリンソナタをファウスト、メルニコフの演奏で聴いているが、軽やかで綺麗だな。
演奏家も聴き手も固定観念に凝り固まらない事が、クラシック音楽を楽しむ秘訣かもしれない。 ベートーヴェンの交響曲はホグウッドのがおおむね好きだけど
例外は3・5・7番
ああそれと9番の終楽章 そうかな
特に好きなのが6番の嵐の描写や9番1楽章2楽章でのティンパニ連打
第9は実はティンパニ交響曲なんだというのがよく分かる演奏
モーツァルトの交響曲ではあまり見られない 何げなくピアノ協奏曲15番。
第3楽章が、映画アマデウスでモーツァルトが大道芸人なんかがいる雑沓を歩いて家に帰る場面に使われている。
こんなに楽しい音楽だったんだ。音の一つ一つが心に染みてくる。まさに夢のような一時を過ごせた。
モーツァルトに本当に感謝。泣けてくる… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています