モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い 18
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前スレ
モーツァルトとベートーヴェンはどっちが凄い 17
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どうぞどうぞ好きなだけ
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 小物なのに天才なのはモーツァルト、ロッシーニ、マーラーだな
全員悪魔の音楽書いてるわ 嘘つきで詐欺師で浮気香具師だけど魔音楽書くドイツの方はいかがですか? >>831
この「そこそこ」と言うのが曲者でして
一旦音に拘り出すと、音楽を聴いているんだか、音を聞いているんだか
と言う葛藤状態に陥るんですよ。
音楽会には三桁回数は出向いてますが、音楽に感動したのはほんの数回、あとは音を聞いていた。
ストラドの単独弦の音と、ヴァイオリン群のユニゾンの『弱音』の「あのえもいわれぬ心地よい音」を。
悪いことは言いません、総額で百万円前後のシステムでおさめる事が賢明です。 >>840
でもとても優しい所もある
DV気質というかなんというか ベト好きな人はクラシック音楽に対しでリスペクトがあり、他の作曲家の曲も聴くし、それぞれの良さを認める事ができる。
要するにベートーヴェンだけを特別扱いしないし、知ったかぶりもしない、精神的に大人な印象。 >>836
神に愛されたモーツァルト
神と戦ったベートーヴェン
神の声を書いたJSバッハ
神をネタにしたワーグナー
で良いかな? >>850
バッハの子沢山は神の声かなw
なかなかバッハの人柄を表すエピソードってないよね 究極この世にはモーツァルトの音楽と
そうじゃないものの2種類しかない
そんな気がした夏の夜 ハイドン総合スレッド13 [無断転載禁止]©2ch.net
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762 名前:名無しの笛の踊り[] 投稿日:2018/07/28(土) 22:31:07.52 ID:spBoJf/w
最近ハイドンにハマってんだけど、もっと早くにハイドンの魅力に気付きたかった。
クラシックは最初モーツァルトから入って、一通り聴いたらもう古典派はいいやと思ってバッハとかほかの時代に移ったんだけど、久しぶりに古典派聴くかとハイドン聴いてたらハマってしまった。
ハイドンって有名なわりに現代では地味な扱いなのは、古典派はモーツァルト聴いとけばもういいやみたいな、モーツァルト止まりみたいな感覚の人多いよな。
言いたいこと伝わるかわからんが、「どーせ同じ古典派の似たような曲いっぱい書いたただけでしょ?ならモーツァルトだけ聴いとけばよくね?」的に思われてるみたいな。 個人的に思うハイドンの典型的な交響曲 モーツァルトには絶対に書けない
交響曲第67番 ヘ長調
http://www.youtube.com/watch?v=D_LipGflMm4 ハイドンほど優雅な曲を書く人は他にロッシーニくらいしかしらないな
涙も感動もないのに聞いていて本当に良い気分になれる
かといってテレマンみたいな出来のいい通俗というわけでもない キラリと光る瞬間はあるにはあるけど
ハイドンは力不足 ハイドンの交響曲は演奏によって印象も変わるのよね
最近はアダージョなどのテンポの緩やかな楽章をちゃんと緩やかに演奏しない録音が多い
フィッシャーの全集が一番いい 曲によってムラはあるけどおおむね緩やかな楽章は緩やかに演奏してる モーツァルトの交響曲の緩徐楽章ではアダージョは無くてアンダンテ
アンダンテはアダージョとは全く性格が違う まあ演奏の速さの目安なんだけどアンダンテはアレグレットに近い アダージョとは明確に違う 人によってはモーツァルトの交響曲には緩徐楽章が無いとまで言う この辺はホグウッドが来日してモーツァルトの交響曲40番を演奏した際のインタビューで述べていること
「アンダンテ速いですね」「アンダンテは緩徐楽章じゃないので」 賢い人はめんどくさくして価値を付加するから困るよw
小学生レベルの知識で素直に聴いたほうがいいな古典は だからといって小学生レベルにハイドンを力不足扱いされるのはな ハイドンはワルターやバーンスタインが振った後期交響曲が初めて聴いた曲だったので、第一印象はクソつまんない曲&作曲家だと思ったのはいい思い出。
もしかするとこのスレのモーツァルトファンのハイドン評もそんな所でないかと思ったりする。
ハイドンの奥の深さは評論家が褒めている名盤などからは見つけられない。 評論家も褒めている演奏で存分にハイドンを楽しんでいます
>>871なにで見つけたのか書けよチキン >>872
そうだなあ、前知識なく図書館で借りたものもあるか、視聴していいと思ったものを買うのが多いかな。
他人の評価ではなく自分の耳で聴くようになったら、評論家が何であんなものを褒めているのか分からないと思ったね。 疾風怒濤期の12曲(26・42・43・44・45・46・47・48・49・51・52・64番)はハイドンの交響曲を語る上では欠かせない 誤って使われることが多いが、(爆)は「自爆」のこと 出ました論点ずらし
普通に爆笑の意味で使われてるよジジイ >>877
「そこじゃないんですよ、会長、そこじゃないんですよ」 返す言葉がなくなると得意の粗探しをしだすんだよな、ハイドン厨 いや>>875で誘導したつもりが実はすでにそっちで書いてたんだから自虐の意味での(爆)で合ってるよ 何やってんのお前(爆)ではなくて何やってんのおれ(爆)だろうけどな みっともないな
前の方のレス読めないほど狼狽えてんのかジジイ 前の方のレス?33-が何か分からんが少なくともこのスレの33は俺ではないな 「そこじゃないんですよ、会長、そこじゃないんですよ」 ベートーヴェンのヴァイオリンソナタをファウスト、メルニコフの演奏で聴いているが、軽やかで綺麗だな。
演奏家も聴き手も固定観念に凝り固まらない事が、クラシック音楽を楽しむ秘訣かもしれない。 ベートーヴェンの交響曲はホグウッドのがおおむね好きだけど
例外は3・5・7番
ああそれと9番の終楽章 そうかな
特に好きなのが6番の嵐の描写や9番1楽章2楽章でのティンパニ連打
第9は実はティンパニ交響曲なんだというのがよく分かる演奏
モーツァルトの交響曲ではあまり見られない 何げなくピアノ協奏曲15番。
第3楽章が、映画アマデウスでモーツァルトが大道芸人なんかがいる雑沓を歩いて家に帰る場面に使われている。
こんなに楽しい音楽だったんだ。音の一つ一つが心に染みてくる。まさに夢のような一時を過ごせた。
モーツァルトに本当に感謝。泣けてくる… モーツァルトで泣かされのは
ピアノ協奏曲24番2楽章 中間部。
あるドラマて息子が死んで
気力なくしてたお父さんに妻が
庭の枯れて切ってまった木の脇から新芽が育っていることを教えるシーン。
お父さんは涙を見せないように泣きながらコーヒーをいれる。
効果的にその中間部が流れていた モーツァルトの音楽には不純物が一切ないんだよ。
真に美しいものを見ると人は涙する。
ベトや他の作曲家は不純物が多く大味で、そんなものに流す涙はやはり偽物だと思えてしまう。
実際、それほど安っぽい涙もない 純粋なだけじゃだめなのよ。優しいだけじゃダメなのよ。
ハイドンにはモーツァルトのような魔性がない。 JCバッハのピアノ協奏曲を聴いたらモーツァルトに似ていた。
真相は逆で、モーツァルトがJCバッハに似ているんだ。
モーツァルトの音楽に不純物がないというが、不純物のないJCバッハのコビーしていたらモーツァルト自身の影が見えないのは当然といえよう。 モーツァルトはJCバッハを兄のように慕っており彼のような作曲家になりたいとずっと思っていたはず JCバッハの交響曲にもいわゆるマンハイム・クレッシェンド(長いクレッシェンドの間にメロディーの繰り返しがあり
2回目は1回目のオクターブ上で奏でられる)が用いられているが
モーツァルトは最初はJCバッハから間接的に学んだのでは JCバッハのCDとモーツァルトのCDの数がたぶん答えなんだと思う >>903
ベートーヴェンのピアノソナタ聴いても
時に涙ものになる。特に後期の崇高さは
モーツァルトとはまた次元の違う感動に包まれる。
一体あなたは、なんの権限で安物と決めつけることができるのだろうか? >>914
気にしなさんな
ベートーヴェンの音楽が安物だという意見は説得力がない。
偉大な演奏家たちがベートーヴェンの演奏に一生を費やしてる。
もちろんモーツアルトが安物だとも言わないが。
ただモーツアルトの支持者に排他的な言質が多いのはここの特徴である
なんでなんだろうね 音楽の美しい部分を追っていくとモーツァルトにたどり着く
音楽の感動的な部分を追っていくとベートーヴェンにたどり着く
そのどちらもを感じることができるものは幸運である >>914
ベートーヴェンを安っぽく見せているのは、他ならぬ君たちじゃないの?
モーツァルト愛好家は長らく軽んじられてきたでしょ。非ベートーヴェン的、非ロマン派的という理由で。そういう物差しで聴かれる音楽、感動が浅薄だという意味です。
そういう風潮に毒されず、モーツァルトの音楽に耳を傾けられる人はやはりすごいと思うんです。
ベートーヴェンもまた、その他の近代音楽家もそういう風潮に毒されて音楽を書いていたんじゃないかと。
モーツァルトの時代までは、そういう方向性がまだ曖昧で、ゆえにより自由闊達に書けたような気がする。 ブラームスが「もうモーツァルトのように美しくは書けない」と言ったのも、ぼくなんかはそういう風に理解するわけで。
ぼくだけじゃなく、世界中の人が同じ感慨を抱くがゆえに、今日の不動のモーツァルト人気があるのではないかと、思えてならない。 なるほどベートーヴェンの初期や後期の弦楽四重奏を聴きながら
希薄な安っぽい感動をしていたのか
ひいてはそれがベートーヴェンの安っぽく見せることにつながっていたとは!! いやいや、モーツァルトが好きなら
ベートーヴェンもわかるはず。
わからないなら、モーツァルトもわかっている
つもりに過ぎない >>922
ベト派がベートーヴェンのすごさを力説するほど、音楽ってなに?という思いが強まる。
大編成であればあるほど、凝ったテクニックを駆使するほど、前衛的であるほど、それが優れた音楽なのか?
そういう視点で見ればモーツァルトは退屈だと言えるだろうけど、その退屈な音楽が、世界中の人を虜にしている現実はどう思う?
その現実を無視して、純粋な音楽論に引きずり込もうとする態度が、気にくわない。 世界中を虜にしているのは、
ベートーヴェンも同じ。
そもそも、ベートーヴェン=大編成という
勝手な定義がきにくわない。
ちなみに俺はモーツァルトもベートーヴェンも
好きだし、派という枠の中でとらえるという
狭苦しい音楽論はあり得ないがな。 >>925
自分もベートーヴェンも好きで聴いたが、このスレを見るようになって、ベトが嫌いになった。いかにも理屈屋が好む音楽という感じで。
だから、あなたのように分け隔てなく聴ける人を尊敬する。
音楽そのものが好きなんだなぁと思う。ぼくなんかは、モーツァルトがとりわけ好きなだけで、音楽自体にはあまり興味がない。
むしろそれが溢れかえっていて、不快にさえ思ってる。音楽に飽き飽きしてる。 >>926
文字読んで嫌いになるとか音楽を何も聞いていない証拠だな 動物なら
モーツァルトは美しい羽を持ち大空を飛翔する鳥達
ベートーヴェンは強靭な身体能力を持ち地を駆ける猛獣
またしてもイメージじゃ悪く取らんでくれw 人間に相対するして人間を描くモーツァルト
地球に相対して世界を描くベートーヴェン
そんな音楽の性格のイメージ >>924
私は現在はベートーヴェンはピアノ協奏曲と弦楽四重奏を、モーツアルトはオペラ(フィガロと魔笛)を好む。
クラシック入門はモーツアルトの交響曲(特に29,
31番と後期6大)と弦楽四重奏(特にプロシア王セット)で若い頃何度聞いたことか。
古くからモーツアルトの音楽が世界で認められているのは既成の事実で(昔から演奏会も録音もたくさんある)
何か問題があるのでしょうか 結局の所、このスレのモツオタはモーツァルトのネームバリューを有難がっているだけで、音楽自体が好きではないというのは書き込みの内容だけでも感じられる。
モーツァルトの名前が付いているかがどうかが感動の基準なのだろう。傍から見るとバカバカしい限りだが、本人が幸せならそれも良いのかもしれない。
しかしベートーヴェンに関しては大して聴いていないのに知ったかぶりをするのはやめたほうが良い。 モーツァルトの音楽でしか感動できない貧しい耳の持ち主に
ベートーヴェンの音楽を判らせようとするのは
眼の見えない人に満天の星空の美しさを理解させようとするようなものです
つまり、それは無理強いであり、虐めなのです
芸術は、理解出来ない人間には理解出来ないもの
両方の音楽から感動を得られる人はこのスレで
「モーツァル最高ベートーヴェンは不純」とか言っている
人たちのようにならなかったことを神に感謝し、
彼らを生暖かく見守ってあげましょう どちらかしか理解できないとかネタ
そんな奴はいないから黙ってな レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。