>>325
神童二十歳過ぎれば只の人
モーツァルトは生涯神童だった。こんな芸術家は他に居ない、それがわたしの認識である。
他方ベートーヴェンは年齢を重ねるにつれて円熟していった芸術家だと思う。
交響曲は3番で、ピアノソナタは熱情で、弦楽四重奏曲はラズモフスキー1番で技巧は完成していたであろうが、後期ピアノソナタ、弦楽四重奏曲は作曲家としての年齢を重ねなければ書けない音楽だと思う。
モーツァルトは死ぬまで神童だったと書いたが、再三書いている空白の1790年を隔てて、ベートーヴェンとは異質な作曲家としての変貌をわたしは感じている。

具体例を挙げれば
交響曲25番からは交響曲40番と同じ声をわたしは聴くが(これがモーツァルトが30代になっても神童であった証のひとつだろう)
戴冠ミサ曲(k.317)を書いたモーツァルトには「レクイエムIntroitus」は書けまい。
やはりモーツァルトにも人生の辛苦は当然あったはすで、その意味で「1790年の謎の空白」はただならぬ意味を持っていたように思えてならない。

小林秀雄はフィガロと魔笛の決定的な違いを書いていないばかりか、レクイエムについては「思わせぶりな一言」を書いているだけである。
30年以上前に分かっていた事だが、「論文モオツァルト」は、彼一流の、文章重視の天才論の色合いが強い。