【出版不況】レコード芸術part.25【毎月20日発売】
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アーノンクール→P.ヤルヴィ
の次に来るピリオド指揮者として推してるんだな
ショスタコーヴィチまでピリオドでやるようになって
全ての曲でモダン・ピリオドが併用できるようになった時代の寵児だな
まだ面白い演奏は出てくるな クルレンティスっていろんな意味でイロモノってぽいし本人もそこを狙ってる気がする。 >>609
>イロモノっぽい
いま、QUEEN(クイーン)が話題になっているそうだが、
クルレンツィスをおもうたびに、QUEENを思い出す
フレディ・マーキュリーは見た目も含めて、初期はイロモノ扱いする
音楽ファンも少なくなかった
クルレンツィスも、イロモノっぽい、変態っぽいという評価が今も
つきまとうが、視覚要素を重視して、美しさよりも、異形を志向する
ところは、まさにQUEENを彷彿とさせる
「クルレンツィス=フレディ・マーキュリー説」を主張したい もうモダン演奏はコンサートでは通用しても
録音じゃ通用しない
過去の巨匠と戦っても勝ち目はない
(ラトルまでは過去に分類する場合)
クルレンツィスが出てきたのは時代の必然だね
これでなんとか業界も延命できたけど
現代の主要な曲までピリオドで録音されたならそこからまた停滞が始まりそう クルレンツィスをピリオド扱いしてる奴らって、聴いてないだろ?
楽器は確かにピリオドだけど、あいつの持ち味はそんなところにあるんじゃなくて、異様なまでの小細工やギミックだぞ
ある意味アーノンクール的 >>614
モダン、ピリオド両方を使うならピリオド扱いは当然だろ
アーノンクールが小細工やギミックを多用して「ピリオド奏法とはこういうもの」
という方向性を示したところの延長線上にいるならなおさらピリオドだと思うけど
Pヤルヴィのようなモダン楽器を使用したピリオド奏法も実質的ピリオドでしょう
そうなるとモダン楽器の連中はモダン奏法なのかピリオド奏法なのか二分割するのは難しくなってくるだろうけど
そういうあいまいなところに新しい奏法の可能性を見い出していくだろうね
小細工もギミックも少ないピノックは評価されなくなってきたし 高い音楽性を前提としたうえでの、小細工やギミック、
つまりイロモノってこと(良い意味で使ってます)
クラシックの「QUEEN」ですよ あの細やかな表情付けは、丁寧さを感じてすごく好き
世代は全然違うが、ペーター・マークの録音にも同じことを感じる
あの人のモーツァルト、意外な表情がバンバン出てきてむちゃ楽しい
そういうの、忙しく世界を飛び回って効率を求めて音楽やってる人には
できないことだろうなと思う STEREOよりステレオ時代のほうが懐に分相応ということが分かった >>619
頭オカシイ度で言えば、
STEREO SOUND >> Audio Accessory >>>> stereo > MJ >> スレレオ時代
くらいかな?
stereo誌は貧乏人に優しい付録が面白いな ダポンテ3以外レコード会社の意向を感じさせない好き勝手な曲選びと、思い付く勝手な表情と、ヘッドホンして指揮するような好き勝手な姿勢
そんなクルがマーラーでは一番古典的な6番を最初に録音したのが不思議 >>621
クラシックに良さげなので買ってしまった
まだ組み立ててないけど クルレンツィスとかいもくさいよ
ダサい
フレディっていうのはわかる
土着的で演歌みたい
ださくてあほかと思う レコードアカデミー賞を受賞して、2月の来日も売り切れ公演が続出
まさに時のひと、クルレンツィスだけど、このひと
もう50歳近いんだよ 来年2月で47歳
小澤をはじめとして、スター指揮者が30代でメジャーオケの
音楽監督に就任することが珍しくない中で、40代後半、
アラフィフで話題になるのは、近年珍しい
見た目が異様に若いから誤解されてるけれど、このクラスにしては
どう見ても「遅咲き」で、ムーシン門下で下積みも長い
ノボシビルスクみたいな極寒のシベリアにいたわけで、
普通に苦労人ですよ 中年の星だ >>627
それなんだよ
2009-2010の名曲名盤では影も形もなかった男が
今回2009年録音のショスタコーヴィチの14番で突如トップに躍り出た
同い年のロトもなぜか遅咲きで急浮上
なにがあったんだ?それまではなにしてたんだか
もっともWIKIの指揮者一覧見ると1980年代生まれは数えるほどしかいないから
1970年代生まれでも十分若手になっちゃうけど 指揮者は昔から70とか80になってから
巨匠化するケースが多いだろ
ヴァントとか。 >>628
カラヤンも先祖はギリシャの出自。
ヘルベルト・カラヤノプーロスらしい。
ってことは
ドミトリー・ミトロンもありか? >>629
ロトに関しては初期LFJにレ・シエクルと共に来てたんで、知ってる人は知ってる存在だったよ。
その頃はロス表記だったけど。 >>630
カラヤンもラトルも47歳でベルリンフィルの音楽監督になった
どこから「巨匠」とするか意見が分かれるかもしれないが
なにも遅咲き代表格のヴァントを引き合いに出すことないだろ
>>632
ロトは名曲名盤で知った
未だにWIKIPEDIAもなくてヒット件数も多くない指揮者だとさっき知ったわ スター作りに必死
だがあれでは残らないだろう
珍獣って感じ 珍獣でしか話題が作れないし
それが残らないならもうこの先残る人は出てこないだろう
アーノンクールはどうなるかね >>633
50、60は鼻垂れ小僧という言葉を知らんのか。指揮者は他の演奏家とは違う。
60で中堅とか言われても全然不思議じゃない。クルレンツィスはまだ若手だよw クルレンツィスは日本で有名になる数年前からヨーロッパでは大活躍だったよ。
ロトもそう。 モダンよりもピリオド重視というのは世界的傾向なんだろうか? >>638
ベルリンフィルはむしろ、モダン回帰の傾向と書いてあったな
転機となったのは、ラトルとやった「マタイ」とか
ソースはレコード芸術最新号 >>639
ピリオド当たり前のバッハであえてモダンというところに新たな演奏の可能性を見い出したのかねえ
指揮者に個性がなくなってきたと言われてたがピリオドで個性的なのがバンバン出てきた
次はモダンでの個性の追求もありか ピリオドって結局、旧式で性能が低い楽器をわざわざ使って、その限界に合わせた残念な奏法で音を出してるだけで、珍しさがなくなれば終了のゴミだろ 「こんなものはすぐに廃れる」と言われ続けて幾星霜
未だに80年代のピリオド録音が聴かれていたりする
100年たっても同じことを言う人はいそうだ 名曲名盤も「またフルトヴェングラーか」から「またクルレンツィスか」に変わるときが来たのかね
それとも毎回トップのピリオド盤が入れ替わるようになるのだろうか
クルレンツィスもカラヤンが名盤を量産しだした年になったわけだが
これから延々崇められるのか、ただ売るために一時期持ち上げただけだったのか
それを見届ける楽しみができたわ カラヤンベームアバドラトルヴァントバンスタの扱われ方とと何が違うの? >>645
彼らが出てきたころを知ってる爺にしか詳しい比較はできないだろうな 昨今、最も充実しているのが、どうみても指揮者の尾高忠明なんだが
雑誌メディアとの相性なのか、いまひとつ熱気が伝わらない
札響きとは長きにわたって関係を築き、CDが売れない時代に、
ベートーヴェン、シベリウス、エルガーの全集を意欲的にリリース、
こんな指揮者を他に知らない
大阪では大フィルの音楽監督にも就任、朝比奈以来の伝統芸、
ブル8で見事な演奏を聴かせて、これもCD発売された
海外でもBBCウェールズ響など、古くから共演を重ね、
特にエルガーは本場イギリスで高く評価され、エルガー協会から
メダルまで授与されている こんな日本人指揮者を他に知らない
クルレンツィスやロトの売り出しも結構だが、灯台下暗し、
尾高忠明のような演奏家にもっとスポットを当ててほしい
(自営業67歳) >>647
「札響き」って何?
雑誌メディア編集部を札束ビンタするの? >>648
うまく変換できなかったから、「さつ」「ひびき」で変換して、「き」を消し忘れただけだろ。
そんなことでいちいち突っ込むなよ >>647はどこのコピペなんだろ
今月号では見なかったが 読者と執筆者でディスク投票するベスト・ディスク・ランキングが
次号から読者のみのリーダーズ・チョイスに戻るんだな
名曲名盤やレコードアカデミーとの差別化だろう
去年ぶっちぎりでクルレンツィスの悲愴が首位になったところを見ると
今年もクルレンツィスの悲劇的がぶっちぎりになることは疑いない
評論家の世代交代とクルレンツィスの台頭
新しい時代に入ったのかね クルレンツィスほど個性のある指揮者が今いないからしょうがない マーラーは聴いてないけど、たしかにクルレンツィスは面白い
一番びっくりしたのは、チャイコのコンチェルトだが
でも、主にピリオド系で個性的な指揮者は他にもいるのでは
例えば今年モーツァルトのシンフォニーが国内盤でも再発されたヤーコブス
歌手の余技くらいに思ってたけど、あれだけ生き生きと語れるモーツァルト振れるって、
やっぱりすごい人なんだと改めて思った >>631
ホポロス・カラヤヌスじゃなかったか?
岩城ひろゆき曰く、パスポートはヘルベルト・カラヤンだそうだが 古楽は個性がウリだからね
過激なのも多いし新しい人もどんどん出てきてると思う
ガーディナーとかコープマンとか名前見なくても誰が指揮したと分かるような録音も多く
確立した個性があるね
ピリオド系にはお国ものの縛りが少ないわけだ
個性のないピリオドは生き残れない
ホグウッドの次はピノックもそろそろダメだな >>656
>個性のないピリオドは生き残れない
要するにピリオドは所詮キワモノってこった >>657
代表盤のバッハ:チェンバロ協奏曲が80年ごろだから40年ほどか?
その間個性的なピリオド録音がかなり出た
最近じゃシュタイアーのチェンバロ協奏曲とか
これはそんな個性的でもないけど
>>658
マーラーの曲でも当時はキワモノ扱いだったかもな
クルレンツィスがただのキワモノで終わるかどうなのか >>662
-ーv,_r 、
,-‐彡彡彡i川i;ミヽ
i'彡彡 ヾ、ミi、
lミ'' 二__ニ__ 二 ヽミ!
ト;_,,,,,,__ __,,,,,,_ ;ミミ| ________
f|. =・= H =・=~iー6)リ /
'ヒ______.ハ、_____ノ !!| |
|' ,-ムー、 ` ノ |
ヽ rrrrrrri > . / < お前それアーノンクールでも同じ事言えよう?
ヽ, ̄  ̄、ヽ._ノ |
ゝ----一´ヘ |
人,_______/ / ̄\ \
/|/<::-()-::入/ |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ アーノンクールは、時代楽器でバッハのカンタータ全集を初録音した業績だけでも名前は残るんじゃね(レオンハルトとの共作だが) モツレクを改めて聴きなおしてみた
カラヤン(75)
アバド(ルツェルン)
ベーム
ガーディナー
アーノンクール
クルレンツィス
クルレンツィスは一番面白い、リズムに乗れる
カラヤンは美しくBGMとしてならモダンはこれがあればいい感じ
アバドは歯切れがよくこういう風に盤を並べるとこれがスタンダードなんじゃないかと思えてくる
ダントツでつまらないのがベーム
間延びして聴いてられない
なくなるならこれじゃないかね
同曲異演を揃えておくなら先に違いが分かりにくいモダンのほうがなくなっていきそう >>665
ベームのモツレクは糞つまらんよな、1回聴いたらもう満腹
たまに聴いてみようかと思うも、Introitusの途中でウザくなって停止、他のモツレクを聴き直しちゃうw
ガーディナー、アーノンクール(1981、2003)、カラヤン(1962)は個人的にあまり心に響かなかった
モダンでジュスマイヤー版ならリヒター、ケルテス、リリング(1987)が好みかなぁ
版問わず一番好きなのはラバディだな
面白いのは、これはピリオドだったと思うけどシュペーリングかな
補筆前の断片の状態の演奏が入ってるんだけど、これが結構好き
ただしIntroitusのテンポがベームチックでイラッとくるのが玉に瑕 ベームはもういいな
レコ芸の世代交代でコジファントゥッテ他歌劇いくつかしか評価されなくなるだろう
新しい録音がでると全部カタログに残ってくわけにもいかないし
他の指揮者もそろそろ忘れられていくかもね
ムーティとか
クルレンツィスが持ち上げられるクラシック業界もいつまでもマンネリじゃないな
アバドが死んでもう終わりかと思ったら意外にも始まってきた クルレンツィスは駄目だったよ
下品だ
モツレクはショルティやワルターもいい 個人の好みだな
しかし個人の好みが集まったものが「人気」となる
クルレンツィスと同年代の指揮者でクルレンツィスほど支持を受けている人はいないだろう
それがどこまで続くかはわからないが
取って代わる人がいるとすればまたキワモノ演奏をする人だろう 1970~
フランソワ=グザヴィエ・ロト (1971 - )
ウラディーミル・ユロフスキ (Vladimir Jurowski, 1972/4/4 - )
テオドール・クルレンツィス (1972 - )
フィリップ・ジョルダン (Philippe Jordan, 1974/10/18 - )
ダニエル・ハーディング (Daniel Harding, 1975/8/31 - )
ヤニック・ネゼ=セガン (Yannick Nézet-Séguin, 1975 - )
ヴァシリー・ペトレンコ (1976 - )
アンドリス・ネルソンス (Andris Nelsons, 1978/11/18 - )
グスターボ・ドゥダメル (Gustavo Dudamel, 1981/1/26 - )
ロビン・ティチアーティ (1983 - )
リオネル・ブランギエ (1986 - )
以上名曲名盤で複数票ある人
他には
「無名のベルリンフィルシェフ」キリル・ペトレンコ (1971 - )
よく名前が出てくるアンドレア・バッティストーニ (1987 - )
あんまり若いと録音も少ないだろうからこれから伸びてくる人もいそう あ、これは根拠となるものを出しても必ず否定してくるタイプだな
誰にでも納得できる完全な根拠なんて存在しません
いい加減なこと言ってすみませんでした
これでOK? そういうことになりそうだな
余り大風呂敷広げなさるな ジェレミー・ローレルも複数票とってなかった?
モーツァルトの交響曲集すごいよかった。 >>676
そうだった
73年生まれのジェレミー・ローレル
ポッと出で首位に食い込んだ新鋭
なぜかWIKI一覧になかった >>672
ロト、ユロフスキ、クルレンツィス
P.ジョルダン、ハーディング、ネゼ=セガン
ペトレンコ、ネルソンス、ドゥダメル
ティチアーティ、ブランギエ 、ソヒエフ
P.ヤルヴィ、オロスコ=エストラーダ
こうして見ると、着実に有力な指揮者が台頭している印象
クラシックの将来は明るいんじゃあるまいか? まあ演奏の方は新しい人も出てくるけどな
根本的には歴史に残る作品を書ける作曲家が出現しない事には先細りだ
でないと伝統芸能化していく >>681
それは至難の技だからね
演奏会の数は限られてるわけだから
モンテヴェルディからメシアンの曲までと勝負して
枠を勝ち取り続けなければならない
さらにWIKI作曲家一覧を見ると歴史に名を残した知らない作曲家がびっしり
もう定員オーバーだよ
過去の音楽と同じものは作れないからとわけわからん音楽を作りだしたらもう終焉だ
せめて演奏だけでも延命させたピリオドの功績は大きいが
いずれは新しい演奏にも限界が来るだろう >>681
>根本的には歴史に残る作品を書ける作曲家が出現しない事には先細りだ
クラシック音楽は、小説や演劇に近いと思うんだけどな
たとえば、シェークスピアは毎年、世界中で何度も何度も上演されて
それでいて飽きられることはない シェークスピアに匹敵する劇作家が
今後、出現するかどうかは疑問もある しかし、かりに現れなかったとして
演劇が先細りするかどうか 影響ないかもしれない いささか極論だが、
シェークスピアも、若い世代にとっては新作なわけで すでに聞ききれないぐらい作品あるしなー
現存の作曲家で繰り返し聞いてるのArvo PartとPhilip Glassぐらいだ。
藤倉大、ラッヘンマン、ルースランゴー、サーリアホとか興味はあっても手をつけられないよ。
人生は短い。 ラッヘンマンは面白いから聴いてもおいた方がいいよ
あと、ペルトが好きならシルヴェストロフもお薦め >>686
ラッヘンマンの作品で手に取りやすいものありますか? >>684
シェークスピアという基礎がありつつ現代も大衆受けする演劇があり
小説も同じこと
歌舞伎の方が近いかもな
ただそれも演劇という大枠に入れてしまえば最新の流行りものが歌舞伎に影響を与えていたりする
何事も新しい何かがなければ人々の耳に入らない=廃れる ってわけ
クラシックも音楽という括りにすれば他のジャンルが何かしら影響を与えられるでしょ
ま、大衆受けするなにかにクラシックがBGMとして使われることはまったく廃れてないから大きなアドバンテージを持ってるけど
誰かの言葉を借りるなら
「レコ芸のことは嫌いでも、クラシックのことは嫌いにならないでください!」だな
雑誌は先細りは避けられない 現代音楽作曲家も何人が残っていけるか
まあ曲なんてもんはその時代に聴かれて忘れられていくのが普通だがね
古典にとらわれると生きてる人間に金が回らず衰退するからな
「現代音楽」なんて言い方そろそろやめないと「100年前の現代音楽」なんていうことになってしまう
「無調音楽」とかそういうジャンルごとでいいよ そもそも100年も200年も作品が残り聴き続けられるってことは本当に特別なことだと思った方がいいな。現代音楽の作曲家はモーツァルトやベートーヴェンが残ったからオレもと思ってそうだが、残るわけあるかいw バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンはガチで別格だよなぁ >>690
事典に載るレベルの存命作曲家が
同じく事典に載っている大量の「ほぼ聴かれなくなった」作曲家のことを知らないわけないだろう
専門家だけにむしろよく分かってるわ
作曲家も演奏家も死んでからが生き残り勝負のスタートだな
あのジョン・ケージだって4分33秒以外にどれだけ知られてるか
武満だって怪しいもんだ
メシアン以外に生き残りが確定してるやつなんていないだろ
バーンスタインは「現代音楽」じゃないとしてな
ただ現代は録音と情報はネットに残しやすくはある >>693
メシアンが「生き残り確定してる」と言える根拠は何かありますか?
どの作品が残るのでしょうか?
自分は「トゥーランガリラ」と「幼な子イエスのまなざし」以外聞いたことなく、上記どちらもピンと来なかったので。
煽りではなく純粋な好奇心です。 レコード芸術スレなので録音点数を考慮すれば自ずと明らかなのでは 時の終わりのための四重奏は凄くいいから残るでしょ。聴いてみなよ。
ああいうのが一曲でもあれば残るさ デ・プレからメシアンまでが「クラシック音楽」の時代でいいでしょ
その後の現れては消えていく音楽を「現代音楽」と
録音点数ではこれで
マショーまで遡ることも考えられるというか一般的にそうなんだろうけど
デ・プレと比べると音楽性より資料的印象が強いんだよなあ
作曲者不明のグレゴリオは完全に資料だな
武満が同時代の作曲家より抜きんでているという論拠はどうしても見つけられなかったので
やっぱこれは自国びいきなんだろうなと思う次第 残っていく、消える、そうした判断、
その作曲家としてのその時点での判断は、
教科書に掲載されるかどうかでいいんじゃね?
義務教育レベルで知られるべき作曲家かどうか、
(中学生ないし高校生レベルの教科書で)
おそらく小説家や演劇作家も、この考えで良い
教科書に掲載されているかどうか >>698
そうでした、「時の終わり…」はメシアンだった。
3種類くらい録音持ってますね。
たしかに、異演盤の多さと言う点ではメシアンは同時代の作曲家のなかでは抜け出ている気がしますね。 クラシックの文脈で語られる日本人の作曲家という点では海外での演奏回数も含めて武満は抜群
今なら細川だがこれは武満ほどは演奏も録音もされない
オーケストラ音楽、となると武満よりも久石が圧倒的に強い 坂本もそこそこ >>700
な〜に言ってんだか
「ブルックナー 教科書」で検索かけてみ?
子供にはまだ早いと思われた音楽ははねられるんだよ
限られた時間数で教えられるものを取り上げるんだから
厳選したあたり差し障りのないものにするに決まってるだろ
クラオタには常識の曲がない一方で
FF愛のテーマとかは入ってるんだぜ?
「幅広く音楽を教える」のが教科書の役目
観点がずれてるな
それはともかくブルックナーのスケルツォは男子小学生にはウケると思ってる
>>702
そこは「日本人」という枠を外して考えないと自国びいきの観点から抜けられないよ
武満レベルに愛好されてる作曲家は何人かいてその全てが残るわけじゃないだろうという話
>>703
「世界で一番苦しみに満ちた交響曲」と許さんが評してるから残るんじゃないかな? >>704
自国びいきも何ももう歴史に食い込んでるから外れないよ
海外のレーベルで日本人の演奏家以外によって録音されてるのは武満が一番多いでしょ レコ芸スレだから録音数で考えたらいい
教科書がどうこういぜんに、今や音楽の授業が必須じゃないからね まああれだ、学校で「やらされ」てたら楽しくもなんともないわけで、
音楽ではなく音学だわなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています