■■■フルトヴェングラー33■■■
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
素直なステップ応答というのは、低音までスムーズに波形が繋がる
逆に言えば、音楽のリズムやテンポが低音から支えられることを意味する。
オケが一丸となったアインザッツが迫力をもって決まることになる。
昨今の一般的なスピーカーは全く逆で、高域のパルス成分を際立たせ
低音はタイミングが遅れて包み込むように再生される。
https://www.stereophile.com/images/archivesart/bwll801fig09.jpg
https://www.stereophile.com/images/archivesart/dynfig7.jpg
このほうが空間性とか定位感が低音にじゃまされずに出せるため
よく解像度が高くて細かい音まで聞こえるという評価になるのだが
明らかに低音域のアインザッツが合わない。遠鳴りするのだ。 55枚組のルツェルンのブラームスVnコンチェルトやAuditeのルツェルンの英雄シューマンやTahraのパリ公演なんかで聞かれる生き生きとしたカラフルさこそが本来のフルトヴェングラーであるといえよう
強奏でだんごになる分離の悪い音でやたらと低減ティンパニばかりが目立つのをフルトヴェングラーだと思ったら大間違いであるといえよう 55枚組のうち、CD36を聞きました。
・シューマン「交響曲第4番」
DGから提供された音源、ということになりますが、どういう形で提供されたのかは分かりません。
盤面ノイズにもテープヒスにも聞こえる「サーッ」というノイズが持続しますが、気にはなりません。
演奏は、指揮者の個性と曲の相性がぴたりと合った名演だと思います。
・フランク「交響曲ニ短調」
こちらはデッカから提供された音源ですが、音質はノイズもほとんどなく、上記シューマン4番より良好です。
演奏は、フルトヴェングラーが音楽を丁寧に作り込んでいるのは分かります。
しかしそれが必ずしも良い結果をもたらさず、ことに長大な第1楽章はちょっと“持たない”感じです。
この曲には戦争中のライブ録音も残っていますが、勢いで聞かせるそちらのライブと比べてしまうと、どうしても見劣りがします。
次はバルトークのヴァイオリン協奏曲です。この演奏も聞いたことはあるのですが、久しぶりに新リマスターでまた聞いてみます。 >>949のカマボコ型の点線特性は古いトーキーのアカデミー曲線で
広い映画館での高域減衰を加味したPA機器の実効出力を示している。
この特性は現在ではXカーヴとして引き継がれて規格化されており
例えばTHX規格ではフラットな家庭用スピーカーで
映画音声をそのまま再生するとピーキーな音が鳴るため
独自のイコライザー特性を装備している。
これの利点は、フルヴェンが好んだ天吊りマイクで集音した音を
再びマイク位置から放射してホールに響かせる音のシミュレーションとなることだ。
http://cent20audio.html.xdomain.jp/image534.jpg (フンクハウス)
http://cent20audio.html.xdomain.jp/image583.jpg(ティタニアパラスト新旧)
http://cent20audio.html.xdomain.jp/image1135.jpg(同拡大)
http://cent20audio.html.xdomain.jp/50iger_Jahre/VPO-Salzburg-Festspielhaus-1951.jpg (ザルツブルク)
これをイコライザーを使わないでスピーカー側で整える意義は
イコライザーは位相変化を伴ってしまうため、こもった音になりやすいのに対し
スピーカー側のレベル調整のみで整えると高域の立ち上がりが鈍らない。 イコライザーで高域を減衰させることで起こるもうひとつの問題は
>>952で示すようなツイーターのパルス成分を強調した設計のスピーカーだと
立ち上がりが鈍ってしまい、どんよりしたウーハーの音にシフトしてしまうことだ。
一般にアンプにはイコライザー回路の無いほうが鮮度が良いというのは
こうしたことが原因で起きてしまう。これはリマスター段階でも同様だ。 スピーカーの設計でツイーターのパルス成分を強調するようになったのは
1970年代のBBCモニターの開発段階で
ホールの響きの違いを表現するのは8kHz以上の残響音の減衰にあるとし
インパルス応答の保証をスピーカーに付与したことに始まる。
1960年代までと70年代後半以降のステレオの立体感の違いは
前者がスクリーン状に音場を形成するのに対し
後者が仮想のサウンドステージをスピーカーで構成することにある。
この情況でサウンドステージの整ってない古い録音を再生すると
マルチマイクでデフォルメした切り貼りが判ってしまうとか
フルヴェン時代まで行くと観衆ノイズがやたら目立つとか
音楽以外の周辺音のほうがリアルに聞こえるという症状に至る。 別の視点ではヘッドホンやイヤホンでも低音ブーストしてない機種は
ステップ応答が綺麗に揃っているため、低域まで見通しのいい音が聴ける。
1990年代後半からDiffuse Fieldの補正でフラットな特性が得られるようになった。
一方でこれの難点は、個々人の外耳形状からくる共振の癖を直接受けやすく
かつ外部の音を遮断して聴くことが多いため、それに気付かないで聴くことだ。
この外耳の共振は中高域にあり、昔ラウドネス曲線として表されたもので
改めてダミーヘッドで計測すると、耳の閉塞で8kHz近傍に20dB近くの違いが出る。
http://cent20audio.html.xdomain.jp/4128C_HATS.jpg
もうひとつの問題は、フルヴェンの好んだ天吊りマイクの音で
指揮者が聴いてる音としては正解だが、会場で聴くバランスとは程遠い。
また体感的になる中低音200Hz以下の帯域が耳でしか聴き取れず
フルヴェンならではのフィジカルな躍動感が半減することになる。 最近のデジタル技術の恩恵で
例えばKEFのアクティブスピーカーはステップ応答が綺麗に揃っている。
https://www.stereophile.com/content/kef-lsx-wireless-loudspeaker-system-measurements
Stereophile誌でステップ応答を重視するのは定位感の正確さにあり
それ以上の意味はあまり持っていないため、多くは無視して設計している。
私個人は、1本マイクの直録りは時間的な整合性がないと
本来のバランスで鳴らないと思っている。
一方で、小型スピーカーでのもうひとつの問題は
コーン紙で直接振動できる帯域が800Hz以上であり
それ以下の帯域は箱の共鳴で補っている点だ。
これは比較的大きな音でないと周波数バランスが取れないことを意味し
重低音が言葉通りの重たい表現でしか鳴らないことを示す。
昔のフィックスドエッジのウーハーは、機械的なバネを利用して
軽くてスムーズな低音を吐き出してくれる一方で
フリーエッジのように低音が伸びないため製造されなくなってしまった。
ボイスコイルをスパイラル状の板バネで支えたウーハーはもっと凄いが
適当なところで折り合いを付けなければキリがないだろう。
JensenのPAスピーカー(現在はギターアンプ用)は
誰でも利用できる1950年代のビンテージテクノロジーとして
良い落としどころなのだ。 モノラル録音を1本のスピーカーで聴くことは、現在ではあまり行われていない。
例えば、管球王国のレビューでも試聴は必ず2本で行う。
理由としては、モノラル時代の映画館でも複数本設置され
スクリーンの画面から中抜けして音が浮き上がらない工夫がされたからだ。
http://www.voiceofthetheatre.com/images/altec_ad.jpg
もうひとつは録音方式をステレオ、モノラルで区別せずに
ニュートラルに評価する必要もあるだろう。
一方では、オーケストラ録音の再生を視野に入れた場合
2本以上のほうが音場感が得やすいということもある。
例えばEMIの録音会場をみると、1930年代から3本マイクで収録し
オーケストラ全体の響きを再現するように収録されていた。
http://cent20audio.html.xdomain.jp/image591.jpg
一般にはLP時代のEMI録音から入門することの多いため
複数本のスピーカーで鳴らすことの合理性は確かにある。
ところが、これが天吊り1本での収録となると
個人的には漫然と鳴っているように聞こえる。
やはり1本から部屋中に拡散したほうがストレートに鳴るのだ。 モノラル録音を1本のスピーカーで鳴らすことの問題は
現在のステレオスピーカーの多くが高域の指向性を絞って
チャンネルセパレーションを稼ぐように設計されている点である。
https://www.stereophile.com/images/511B800fig5.jpg
スピーカーを正面で聴いて特性をフラットにしなければならないのは
正面から30°も逸れると音場感を示す帯域が聞こえにくくなるからだ。
このためステレオ用に設計されたスピーカー1本だけで
モノラル録音を聞いた場合は、音響的に痩せぎすで忍耐することになる。 ちなみに>>949で計測した特性は、斜め45°からのもので
これはステレオ用としては指向性が広すぎて使えない。
以上、フルヴェンの愛した天吊り1本マイクの録音を試聴するには…
周波数レンジは100〜8,000Hzの旧規格で十分である
古いトーキー時代の音響規格(アカデミー曲線)が好ましい
スピーカー1本で聴いた方が躍動感がストレートに出る
ステップ応答が高域から低域までスムーズであることが望ましい
ウーハーは大口径のフィックスドエッジが望ましい
高域の指向性は90°以上広いほうが望ましい
従来のLP録音からアーカイヴを辿る場合は…
周波数レンジは大は小を兼ねる意味で広いほうがいい
Hi-Fi規格に沿って周波数特性はフラットなほうがいい
他の録音とのニュートラルな関係を結ぶのにステレオ配置は妥当
ウーハーは小さくても重低音が伸びていたほうがいい
音場感を出すためにツイーターの反応はウーハーから分離する
チャンネルセパレーションを維持するため高域の指向性は絞る
この妥当な選択の結末が、リマスター盤の飽くなき賛否両論につながっている。 LP規格が確定する前後で起こったドイツ放送録音との録音品質の乖離は
むしろマグネトフォンを使用したフルヴェンの録音群のほうが
1940年から先行したHi-Fi規格の一流派であり
戦後のFM放送の立ち上げにおいてもDIN規格で踏襲されたが
アメリカ指導のHi-Fi規格策定にあたって淘汰された
と考えるのが妥当である。
一方で、英デッカや米コロンビアのようにEQカーブが異なるようなものではなく
同じノイマン製マイクと磁気テープ録音機を使用していながら
ラジオ放送というトータルな音響システムの構築過程で生じた
些細なずれが累積した結果だといえる。
少なくとも1980年代まではAMラジオ以下の音質が当たり前だったが
同じ時期のドイツ国外の放送品質と横並びになることに甘んじていた。
特にフルヴェンの場合は、残された録音の多さから見ても
ドイツ国内でFM放送が開始された1949年以降の放送ライブは
その録音品質の正しい評価が欠かせない。
21世紀に入って本格化したこれらの録音群のアーカイヴの見直しは
それ以前の半世紀と同様に時間を掛けて修正していくのだと思う。 あと個人的には「フルヴェンが振ればオケ屋が儲かる」という感触もあって
今回のBISのように国際回線経由の2次マスターが注目されれば
他の巨匠の発掘音源も増えてくるように思う。
例えばF.ブッシュのライヴ音源とか、北欧物の歴史的演奏とかだが
米ヴァンガードのグレンジャー独奏のグリーグP協や
アラウ壮年期のベートーヴェン・ソナタとか
結構面白いタイトルも既にあるため期待が高まる。 >>960
モノラル録音をスピーカー1本で聴いても2本で聴いても差は微妙だからね。
たまに、スピーカー1本にして聴いてみたり、2本を点音源に近い配置で聴いてみるのは、ちょっとだけ意味があると思う。 スピーカーの機種によっても違いも様々だが
点音源に近い配置で置けるものはブックシェルフ以下なので
高域の指向性が狭いタイプのものとして却下。 では1950年代のドイツ製ラジオはどうかというと
FM放送対応で2〜3way
AM放送とのコンパチなので正面にフルレンジ
高域は部屋中に拡散するため両翼に配置していた。
https://www.radiomuseum.org/r/telefunken_opus_55ts.html
またGrundigは3D-Klangと称する疑似ステレオ機能を持っており
両翼の高域成分をコントロールすることができた。
https://www.radiomuseum.org/r/grundig_3045w3d.html
https://www.youtube.com/watch?v=9x7e0tVfic4 上記のラジオのデモを聞いて判るのは
・低域がファットであり、現在のポップスはほとんどボンついて聞こえる
・中高域に艶があり、ヴァイオリンは過剰になるときがある
例えばGrundigはバイエルンの家電メーカーだが
バイロイトのFM実況を当時どういう音質で聴いたか?という概要と
現在のオーディオでは痩せて聞こえる録音とのバランスなど
世界に先駆けて実施されたHi-Fi放送規格の試行錯誤が留められている。 > 他の巨匠の発掘音源も増えてくるように思う。
ねーよw BISが今回見つけたバイロイトの第九はまさしく演奏会場から離れた海外だった。
ワルター&ウィーン・フィル告別演奏会のコピーはフランスで見つかったが
もしかすると国際中継回線での実況録音かもしれない。
フルヴェン出演のザルツブルク音楽祭は国際回線で実況されていた。
東独経由の流出音源も含めると、要はやろうと思えば録音できたというべきだ。 こうした同じ演奏に関する様々なバージョンの音源を目の当たりにすると
「正規」という言葉は書面上だけのものにも見えてくる。
一方では、当時はその価値が曖昧だったフルヴェンのライブ録音を
はじめてリリースしてくれたEMIの英断もまた歴史に残ることだろうが
ユニコーンを抱えての海賊盤の連鎖を生んだということも然りで
聴けるだけでもアリガタイと思いなさい、というツンデレな態度が
未だに尾を引いてるような気もする。 55枚組のうち、CD37、バルトーク「ヴァイオリン協奏曲第2番」を聞きました。
音質は非常に良好です。
演奏は、独奏のメニューインが出だしでやや音が不安定になる所もありますが、この難曲を良く弾きこなしています。
フルトヴェングラーの棒も、昔取った杵柄で(?)、好調に独奏者を支えています。
さて、次はLP再録音、指揮者の没後発売となったベートーヴェンの5番です。これはバスが聞こえてこないとまずいなぁ。 フルトヴェングラーとか音質の場合は長文、連投でもかまわんだろ。このためのスレなんだから。
タコ助の関係者は金輪際来ないでホスイ あの荒らし隔離スレ、今日は関係者の3レスぐらいしかなく落ち着いてきている
良い調子だと思うよ オーディオ装置の多くは英米を中心にレコード再生に特化して発展したので
レコードはSP盤からLP発売(1951年)とステレオ盤(1958年)を境目に
録音の新旧が振り分けられ、それぞれの再生装置ごとに異なるノウハウがあり
コレクターの棲み分けもなされてきた。
これによる進化論的なルールで考えると、ドイツ放送録音の音質は
1949年のHi-Fi放送から1964年のモノラル録音という逆転現象がおきており
ドイツ以外の国のHi-Fi機器には該当しないこと(規格外)のほうが多い。
フルトヴェングラーをはじめとする1950年前後に録音された海賊盤は
総じてAM放送並の周波数レンジと思われてきたし
1960年代の放送録音もエアチェック音源という体裁で出回っていた。 没後50年を経て放送局所蔵のオリジナルテープの利権がフリーになり
フルヴェンのライブ録音も高音質で聴けるようになった。
これまでの海賊盤の音質での演奏評価はほとんど役に立たず
新たにアルヒーフを再構築する必要がでてきた。
いまどきモノラルのライブ録音を聴くならCDのほうが音質もタイトル数も優れており
CD再生にちゃんと向き合ったほうが好都合である。
一方で1970年代のFMステレオ放送開始以来、モノラル装置は忘却の彼方にあり
ほとんどの人は相性の悪いステレオ装置で「ついでに」試聴している。
1980年代以降にデジタル対応したステレオ機器で音質評価をしたり
逆にモノラルLPの再生に馴染ませたヴィンテージ機器に直接CDプレーヤーを繋げたり
ラジオ用音源だからとラジカセにも劣るスピーカーで聞いていたり
ともかくアベコベな対応でリマスターCDの音質評価をしているので
いつまで経っても「自分のオーディオ・システムに最適な音質」という域を出ないまま
演奏評まで書き込んでいる人で埋め尽くされている。
これはクラシック音楽の芸術性を精神的なものとして重んじるあまり
音楽をフィジカルに感得するオーディオ装置の意義を軽んじていることにも繋がり
音楽鑑賞の基本的な姿勢まで歪められているのだ。
1950年代の放送録音はレコード・コンサートができるポテンシャルを秘めているのに
このままでは折角のオリジナル音源もただの時代遅れのゴミと化していくのは必然である。
今どきのネット・オーディオの時代だからこそフィジカルな感性にこだわるべきなのだ。 昔の方法だと
20cmフルレンジで入門(日本だと16cm)
ツイーターを追加
大口径エクステンデッドレンジに変更
以上の3ステップだったが
入門に適したドイツ製のラジオ用20cmが枯渇した現在
どこから入っていけば良いやら。 >モノラルのライブ録音を聴くならCDのほうが音質もタイトル数も優れており
CDの方が良いと書きながら、そのCDのモノラル音源に対応した再生機器で聴かないと
意味がないみたいに書いてあるが???でしかない
BISバイロイト第九
最後の崩壊コーダの有無で
今までの真贋論争に決着がつくのか
楽しみだなあ ドボルザークの新世界が出た時、評価が決まってから買えばいいかな、と思っていたら偽物とわかって入手困難になったので、BISみたいなイロモノは出たら確保するしかない。 55枚組のうち、CD38、ベートーヴェン「交響曲第5番」を聞きました。
音質は全然ダメです。コントラバスが全く聞こえてこない。まるでSP録音の運命のような音がします。
私の安アンプの低音のツマミをプラスに回してもう一度聞きました。従来盤で聞けた、あの重厚な音楽が聞こえてきました。
演奏についての新しい発見は、全体の尺は長くなっているものの、解釈自体は'37年録音の運命と以外に共通性が高いことです。
低音を持ち上げずにバス、ティンパニ無しで演奏しているような本盤の音で聞くと、やはり同じ指揮者の演奏だと強く感じます。
これはバスとティンパニの効いた従来盤では分からなかった、新しい発見でした。
次はワーグナーの小品集、R.シュトラウス、リストの交響詩です。今回のように運命を2度聞くよりも楽に聞けるでしょう。 >>980
CDは単なる記憶媒体なので、CDらしい音というのはそもそもない。
1990年代のCDらしい音というのはかなり作られたサウンドで
人気だったほとんどの高級スピーカーは20kHz近傍に強いリンギングを出してた。
今はさすがにそういう機種は減っているが、デジタルっぽい音として風評は絶えない。
真空管アンプでも矩形波でオーバーシュートを起こすタイプは
目鼻立ちのくっきりした音になるのと少し似ている。
また、現在のスピーカーのほとんどは>>952のような複雑な位相のねじれがあり
ツイーターのパルス音が低音と分離して切り抜かれたように出るように設計される。
バランス的には超高音にぶら下がったピラミッド型という感じになる。
さらにステレオ定位のため>>962のように高域の指向性を絞ってあるので
パルス性の高音を含んでいない古い録音は鈍重なウーハーで一気に色あせる。
フルヴェンのライヴ録音はAMからFMに移行したばかりで
100〜8,000Hzの両脇1オクターヴはまだ緩い音調で留まっているので
デジタル&ステレオで磨いた戦術はほとんど役に立たない。 >CDらしい音というのはそもそもない
謎はますます深まるばかり(笑)
とりあえず、それなりの装置で聴けば録音された本来の音に聴こえるのだろうと納得しておきます
なんだろ、突き詰めていくとCD用マスター製作時のモニタールームで聴いてる音すら怪しいような >>985
スタジオではヘッドホンでチェックしている可能性が高い。
いまどきクラシックの録音はヘッドホンでバランスチェックだし
BISはゼンハイザー HD600だった。 ちなみにドイツ放送録音はモニタールームのないホールでの実況が多く
伝統的にヘッドホンで音声チェックとバランス調整する。
http://cent20audio.html.xdomain.jp/Dresden-Buehlau-1948.jpg
ベイヤーダイナミック DT48は1937年から存在するHi-Fiヘッドホンだった。
http://cent20audio.html.xdomain.jp/50iger_Jahre/DT48-1.jpg
1940年に高周波バイアス化したマグネトフォンのパイロット録音で
フルヴェンがプレイバックで試聴したのもおそらくDT48だ。
ただし初期のヘッドホンはノイズ検知という役割が大きく
Nagraのポータブル・テープレコーダーに標準装備されたタイプは
中高域を辛目に設定してあった。 ただヘッドホン試聴が原音に近いかというと、個人的には反対で
天吊りマイクの位置からホールに拡散する音響が正しいのだと思う。
このため高域が減衰する映画館規格のXカーブのようなバランスになる。
https://blog-imgs-138-origin.fc2.com/c/3/p/c3pro/SMPTE_ST202.png
あと>>958にも書いたが
個々人の外耳の共鳴には癖があってフラットにはまずならない。
外部の音を遮断して長いこと聴くと自然なバランスが失われる。 ちなみにフルヴェンの放送録音に使われたのはノイマン社コンデンサーマイクで
CMV3は1930年にすでに開発されたものだが、ダイヤフラムはU47と同じものが使われていた。
https://dg.ishibashi.co.jp/?p=27417
http://www.coutant.org/u47/index.html
マグネトフォンも含め録音そのものはフラットに録られていたと考えていい。 55枚組のうち、CD39を聞きました。
・ワーグナー「ジークフリートの葬送行進曲」
SPで既に録音していた曲のLP用再録音ですが、音質はLP用とあって非常に良好です。
演奏も、SP録音より自由で劇的な表現が豊かになりました。商業用録音としてはフルトヴェングラーの決定版でしょう。
ただ、DGから出ているライブと比較すると、冒頭のティンパニのピアニシモの表現など、DG盤を好む人もいるかもしれません。
・ワーグナー「ジークフリートのラインへの旅」
これもLPへの再録音で、音質は良好です。
演奏は、SP盤に比べて大きな違いはありませんが、やはり表現の幅が増し、恰幅がいい演奏になりました。
・リヒャルト・シュトラウス「ドン・フアン」
やはりLP向け再録音で音は見違えるように良くなりました。
演奏も、モノラルであることを我慢すれば十分現代に通用する名演です。
・リヒャルト・シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
これまたLP向け再録音、音は大変良好です。
フルトヴェングラーの「ティル」はライブも含めて何種類かありますが、この正規録音が一番の好演です。
いくらステレオが発達したとはいえ、この演奏を超える「ティル」はそうそう出てこないでしょう。
・リスト「交響詩『前奏曲』」
音質はこの曲でも大変に良好です。55枚組には珍しく(?)「当たり」の1枚となりました。
演奏もこの曲の劇的性格を見事に表現し切っている名演です。
リストの本曲はナチス時代に宣伝に利用されたため、戦後西ドイツでは鑑賞が暗黙のタブーとなっていました。
フルトヴェングラーのこの1枚の発売でリストのこの曲の鑑賞も復権を果たした、といういわくつきの1枚です。
さて、次は諸作曲家の序曲集です。これも肩が凝らずに聞けそうです。 モノラルであることを我慢しなきゃならないとは何とも可哀そうなこと
55枚はほとんどゴミと化す運命だな >>965
Audacityあたりで片方のチャンネルの冒頭を0.*秒程度削って左右を若干ずらすと
あら不思議 ステレオ紛いになったりする おもろいで
イコサイザで左右変えても面白いよ >>995
疑似ステレオの作り方を説明してくれているページをみてファイル作ったことあるよ。
けど、物足りないしモノラルで十分だった。
foobar2000のプラグインでStereo to Mono、Mono to Stereo やDSPでいじってもみたけど、結局何も付けないがまともと感じたで。 モノラルにはモノラルの音場感があって
ステレオだから中央定位なんて頭で考えてること自体が
刷り込みに繋がってる。 55枚組のうち、CD40を聞きました。フルトヴェングラー最晩年の録音になります。
・ワーグナー「ローエングリン」第1幕への前奏曲
LPへの再録音で、音質から言えば本盤の方が格段に優れています。
演奏は、基本的にSP録音から大きな変化はありません。
しとやかな音の名演なので、どちらかを取るなら当然、本盤でしょう。
・ウェーバー「魔弾の射手」序曲
この55枚セットではSP2種に次いで3回目のお目見えですが、唯一のLP録音なので当然音質は本盤が最高レベルです。
演奏なのですが、こんなにテンポが遅い「魔弾の射手」序曲にする必要があったでしょうか?
一応、音の良さにも支えられて名演の部類に属するとは言えます。
しかし、55枚組をここまで聞いてきて私が好む演奏は第2回SP録音のCD4の演奏です。音質も含めた総合点では判断に迷います。
・ウェーバー「オイリアンテ」序曲
音質はやはり非常に良好です。
ゆっくり目の演奏ではありますが、上記「魔弾の射手」序曲のように遅すぎはせず、文句なしに名演です。
(次レスへ続く) (>>999より続く)
・グルック「アルチェステ」序曲
これもCD11にあるのテレフンケンへのSP録音のLP用再録音です。CD11が借り物音源ということもあり、音質では勝負になりません。
演奏は、本盤は曲の悲劇性をたっぷりと聞かせる名演であり、音質とも相まって本番が決定盤でしょう。
ただ、テレフンケン録音も若きフルトヴェングラーならではの疾走感があり、独自の良さを持っています。
・グルック「アウリスのイフィゲニエ」序曲
音質はフルトヴェングラー再後期の録音とあって、これも良好です。
演奏も、悪くはないどころか悲劇的な名演に属すると思いますが、やはりもう少しテンポを速くできなかったか、という思いが残ります。
・ベートーヴェン「レオノーレ」序曲第2番
55枚組のリマスターだから、また低音が効かずに白けたベートーヴェンになるのかな、と思いの外、低音の効いた上々のリマスターです。
この企画の技術陣もやればできる、ということなのか、フルトヴェングラー最晩年ではマイクの特性が変わったのか、原因不明です。
演奏は、これだけを取り上げれば名演に属しますが、ライブと比べてしまうと迫力不足なのは仕方ないでしょう。
さあ、次は「マタイ受難曲」3枚組を聞かなければならないのか… ちょっと時間を頂くかもしれません。 このスレッドは1000を超えました。
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