チェルフィッチュ、五反田団、ポツドールあたり
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上場企業である以上、現金の溜め込み過ぎは敵対的買収のターゲットに
なりやすくなるぞい
企業がこの低金利時代で220兆円も現預金で持ってるわけねーだろ
売掛金だったり、固定資産や外国債権になって運用されている
つうか企業が国内に投資しないのが問題、海外にいっちまう
内部留保を蓄えるのは、大切なことなんだぜ。
任天堂みてみなさい。連続で赤字たれん流しても、
会社として普通に存続していける。
巨額な内部留保があればこそ。
赤字転落、資金繰り困難になった場合、
内部留保ないと即倒産という可能性がたかまる。
実際、将来性があっても資金ショート起こして倒産した会社もある。
3年間利益なしても存続できる現金はあったほうがいい
内部留保は、不景気の時に土地を安く買ったり建物を安く建てるために使うんだから、
長い目で見れば株主の利益
配当出さないから 安定的株主が育ちにくいんだよな
なので乱高下する 配当率からしたら
たいして魅力はないのが株式市場 値が上がったら増資するし 吉本 教養については、学校や学歴がどうだということとは
全然関係ないよ、と思います。
今の現実と、昔の現実をよく考えあわせられる人、そういう人がいたら、それが教養のある人です。
それだけの教養があれば、これから先どうなるかということを、そんなに長い未来のことは言えなくても
少なくとも数年間の、まあ、景気が良くなるか悪くなるかとか、そういう問題についてならば、
見通しはつけられるんじゃないでしょうか。
今の知識人がダメなのは、どちらか一方がないからです。
一方しかない、ということは、それじゃ全部もない、というふうになります。
知識がある人はたくさんいるし、専門家というのもたくさんいます。
その人はある分野についてよく知っていることはわかりますが、
それは、日本の社会の全体や大多数がどうなっていて、
どう展開し、どうなっていくかをわかる人でしょうか ここに二本のネクタイがあるとしましょう。同じ質の絹で作られたネクタイですが、
一本は三万円、もう一本は五〇〇〇円です。二つの間の値段の差は、一方が
有名なデザイナーがデザインした有名ブランド商品だからです。この差が知価だと
私は考えます。つまり、三万円のプランド品のネクタイといえども、ハードの価値は
五〇〇〇円に過ぎず、ソフトの価格、つまり知価が二万五〇〇〇円なのです。
もう一つの例を挙げましょう。いま世界で一番のお金持ちは、マイクロソフトの
創業者のビル・ゲイツ会長です。ご存じのように、マイクロソフトはパソコン用の
ソフトウエアを作っている会社です。
カーネギーやフォードの時代には、鉄や自動車のようなハードを作る人が
世界一のお金持ちでした。しかし、現代では、ソフトを作る人、つまり知価を
創造する人が一番お金持ちになり、世界経済をリードする時代なのです。
繰り返しになりますが、このような時代の変化に対応することが、ビッグバンの
最終的な目標なのだということを、私は強調したいのです。 ・スパイの行動原理とは、つまるところ「裏切り」にほかならない。
(p14)・・・自らの中心を空虚化することに悦びを感じるようなマゾヒスティックな人間こそがスパイになる。
・どんなに自らを虚しくしていっても、最後まで決して消すことができないのは、その人間の身体です。
・私は(スパイであった)ル・カレと違って、物書きというのは基本的に白紙の存在だと思っております。(p16)・・・空虚と白紙は違う。
空虚であることに悦びを感じるマゾヒズムは、私にはまったくない。
・(『黄金を抱いて翔べ』の)幸田というどこかしら空虚な主人公は、金塊に蟲惑的なものを感じたのだろうと思います
阪神淡路大震災から)現在までの十九年間に私が何を発見したかと申しますと、スパイとはおよそ真逆のもの、すなわち、
人が生きることの意味や、命があることの重さ、といったものです 特許やデザイン、商標、著作権といった知的財産が富を生み、人々の生活や考え方、企業の価値を大きく変えつつある。
元経済企画庁長官で作家の堺屋太一氏に、知財の秘める力を聞いた。
――1985年に書いた「知価革命」という本で「次の社会は、知恵の値打ちが支配的になる社会『知価社会』になる」と指摘されました。
「予想した通りの社会が、予想以上の速さで進展している。そして、日本は立ち遅れている 米国では(歳出削減と規制緩和を重視した)レーガノミクスが進んだ1980年代、すでに知価革命が始まっていた。
『高速・大型・大量』を追求する技術の進歩はピタリと止まったが、日本は80年代以降もそれまでのやり方を続けてしまった」
――知財では欧米が明らかに先行しています。どこに違いがあると考えますか。
「仮に知財を特許のような『理系知財』と、デザイン・ブランドなど『文系知財』の2つに分けるとすると、
日本が特に遅れているのは文系知財だ。その重要性が本当に認識されているとも思えない。米アップルのようにグローバルに通用する商品の価値の大部分は、
今やデザインやブランドだ。日本では大量生産向けの ブランドは生まれているが、グローバルに通用するラグジュアリーブランドが生まれていない」
――その原因は。
「難しい問 題だが、価値観によるところが大きいと考えている。戦後の日本は『効率・安全・平等』を正義としてきた。高度経済成長期を経て、
その中でも特に『安全』が 絶対的になった。そうした中で『楽しみ』は排除され続けた。だが、真に価値のあるデザインやブランドは、楽しみや多様性のなかから生まれるものだ」
「問題の根源は日本の官僚規制にある。安全だけを追求し、規格に沿った大量生産を推し進める社会に官僚規制が誘導したからだ。
そうした中で、『文系知財』の重要性に対する理解が進まないまま今に至り、何でも集団で、当たり障りのないようにやる癖が日本企業についてしまった 「だ が、本当に価値のある知財は集団心理から外れた個人から生まれるものだ。江戸時代の人形浄瑠璃作者、近松門左衛門は舞台に初めて自分の名前を表示した作家 だが、当時この行為は『やめさせたきもの近松の名付け』と酷評された。
だが今に至るまで残っているのは、『これは俺がやった』と言えるような名作があった からだ。個人がヒーローになれなければ、これからも今の日本の状況は続いてしまう」
――今後、日本で『理系知財』が生まれるプロセスに変化は起きるでしょうか。
「20世紀の知的活動は大学に集中していた。だが19世紀やそれ以前は、大学ではなく在野の研究者が知的活動をリードしていた。いま再び環境が変わりつつあり、大学以外から知価が生まれる流れがいっそう強まるだろう」
「近年、大学から自立した研究所が多く生まれてきている。先進国で少子化が進めば大学は縮小し、これまでのように知的活動を担いきれなくなる」
「シェールガスの産業化に最も貢献したのは、大学ではなく民間の地質調査会社だ。最先端の遺伝子治療も民間の研究機関がリードしている。大学から漏れ出た知価を民間の研究機関が受け止められるよう、しっかりとした収益が上げられる知財の創造普及の仕組みが必要だ」
――日本の知財を強くするため、「官」には何が課題でしょうか。
「2つある。ひとつは分野ごとの縦割りだ。例えば特許の保護は特許庁が所管しているが、実際にそうした技術の普及となると分野ごとに所管官庁が縦割りになっている」
「もうひとつは人材だ。今の役所に各分野のプロはいない。戦後、東芝の研究所所長が郵政省電波局長を務めたことがあり、日本でテレビが急激に普及した。各分野のプロを各官庁のトップにつけるようなことがもっと増えてもよいと考えている 堺屋太一「歩いて暮らせる街づくりをすれば原発いらない
経済の中心が規格大量生産から知価創造に移るなら、都市の構造も変えなければいけない。それが「歩いて暮らせる街づくり」である
戦後、石油文明の時代は、エネルギー多消費型の生活態度、社会構成がいいことになっていた。住宅地から工場街やオフィス街や商店街に、長い距離を電車や高速道路で結ぶんだという計画を立てた。
これは明らかにエネルギー多消費型なんですね。ここは住宅専用地、工業専用地と分けて行政するのがやりやすいという官僚的発想なんですよ。省エネルギー型の生活、
美意識に変えなければならない。例えば、歩いて暮らせる街づくり。だいたい1キロ半径の中にすべてのものがあると。住宅もあれば商店街もあればオフィスもあれば、遊興施設もあれば病院も学校もあると。そうすると、
少なくとも10年間に25%ぐらいのエネルギーを減らせます。そうすると、今の原子力発電も順次やめていくことも不可能ではない。この東日本大震災を機会に、官僚主導の文明から自由選択の文明に変える、これが1番大事なポイントですね 当時、世界的人気の社会情報学者マーシャル・マクルーハンは「テレビが普及した世の中では博覧会など時代遅れ」と断言
会場跡地をはじめ多くの資産を残した。何よりも日本国民に、夢と期待と思い出を残すことができた
多くの経営ノウハウと有能な人材を生み出した。体制や倫理観を異にする国々との付き合い方も学べた。規格大量生産社会にふさわしい金融機関を核とした企業系列が形成された。
そして建築、デザイン、ファッション、工芸、イベントプロデュースなどの分野で、世界で活躍する人材を大勢世に送り出した
「人生は玄(くろ)い冬から始まり、青い春を迎え、やがて朱(あか)い夏に至り、白い秋に入る」
私の人生を顧みても、この例えはうなずける。日本の戦後70年もそれに似ている。ただし、私の体験と知識では、四季よりもきめ細かく、ほぼ10年ごとの7期に分けられるように思う
敗戦」から、日本は見事に立ち直り、以前よりもはるかに豊かで世界に畏敬(い・けい)される国になり得た。それまでの倫理と体制を改め、新しい文明に適した状況を樹立したからである。
今また直面する「冬の時代」も、日本と日本人は乗り切るだろう。新しい人類文明に適した倫理と体制を生み出すに違いない /// 真の構造改革とは 17 ///////////
したがって構造改革の目的はただ一つ、国家体制を官制経済から市場経済に
移行させることである。経済を権力の侵蝕から解放し、経済(=市場)のものと
するのである。
利権を本質とする官制経済体制を形成する要素は次の四つである。第一に
行政が「公共事業」および「経済振興」を展開する"政策"、第二に開発法、振興法、
整備法、事業法、政省令、規則、許認可等からなる"法制度"、第三に補助金、
特別会計、財政投融資計画で構成される"財政制度"、そして第四に特殊法人、
公益法人、許可法人など官の企業群を擁する"行政組織"だ。 /// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 67 //////////
何もしなかったといっても、省庁の再編は曲がりなりにも実行されて、官庁の数も
減り、その名前も変わっています。しかし、日本社会の本質的な部分は何一つとして
変わっていません。官僚がものごとを決定して、政治家が有権者に取り次ぐという
構造は変わっていないのです。
そして、各業界は官僚主導の護送船団に安住し、業界の談合システムは依然として
続いています 町人が米相場を支配しているのが気に入らなくて、吉宗は米投機を禁じて、
米価の統制をやろうとしました。投機相場があるからこそ、豊作のときに余った米を
買って、不作に備える商人が出るのですが、吉宗は強引に投機をやめさせたのです。
その結果、豊作の年に米価が大暴落して、農民も大名も困り果てることになりました。
ところが、すぐそのあとでは大凶作が起こり多数の人々が餓死するまでになります。
「享保の大飢饉」といわれる事件です。
///////////// 「未来はいま決まる」 /// 形而上学的な世界観を身に付けたわけですが、これは存外に動かしがたい背骨のようなものでありまして、まさに私の人とな
りの基本がそうだということであります。例えば、人間とは何かを日常的に考えていると
言えばまるで漫画ですけれども、「人間は何故こうなのか」、「世界は何故こんな風になって
いるのか」、「人間は何故戦争をするのか」、「国民国家は何故必要なのか」、いつもいつもそ
んな問いをたてることを止めることができません。そういう頭と言いますのは、簡単に言
ってしまえば、ものを考える頭であります。たいして立派な答えがあるわけではありませ
んけれども、とにかく問い続けます。問い続けて、考え続けることがそのまま生きている
ことだという、そういう頭であります。
もちろん世の中にはいろいろな頭があります。問いを発する前に放浪をしている頭とい
うのもあります。スポーツで鍛えられた体には、「何故」という問いは無用であります。そ
ういう身体が必要とするのは機敏に反応して判断する頭であって、迷い悩む頭ではありま
せん。政治家の頭もどちらかと言えばそういう筋肉質の頭であって、基本的に迷い悩むの
は不得手、と言うより無用かもしれません。また、健全に生活を営む頭というのも、心身
のバランスに気を配って、無理をしない頭であって、ぐずぐず考え込んでしまう頭ではな
いかもしれません。
翻って、問いを立てて、ものを考え続ける頭というのは、考えるために考えるというよ
うなところがありまして、一般的には生きるのにあまり役に立つものではないと言えます。
最初に、読書でご飯は食べられないと申しましたけれども、ものを考える頭も生きること
にかけては不器用であります。ちなみに、そういう頭が奇跡的に成功すれば、立派な学者
になったり、宗教家になったりすることもありますが、普通は実生活の役に立たないばか 吉本隆明
「逮捕されたり、取調べを受けたりしている芸能人のうち一人くらい『マリファナを吸ってな
にが悪い。芸能だって芸術と同じように、時として法のかなたへ越境する精神の自由が無けれ
ば開花しないものなのだ』と主張する奴が出てくることを祈り、期待します。」 インターネット、携帯電話と、コミニュケーション手段が発達していくのが最近の世の趨勢で、これに逆行することはできないんですが、コミニュケーション自体が自己目的化したら、それはちょっと病気です。 Wバニラリッチ先行予約したよん
ちなみにスレ荒らされてるけど>>674はわたしだよん 「西洋人は日本にものを考える人間がいないと思っている」と危機感を示して、 たびたびアメリカに行って現地の知識人と交流を持とうとしている。
「アメリカから帰ってきた時に読んだのですが、吉本隆明が高橋源一郎との対談のなかで、私のことを嘲笑していたのを覚えています。嫌な言い方をしていたので、今も覚えているのですが、
「ほんとうにいい仕事をしていたら外国に行く必要なんかない、向こうからやって来て、カラターニなんていうだろう、ワッハッハ」というのです。
そのとき、それは違うと思った。そんなことは絶対にない。自分が出て行かなかったら、向こうは来ない。来るとしても、向こうにも別の動機があるわけで、彼らに都合よく料理されるだけです。」
〜 オリエンタリズム について、柄谷行人 作家・司馬遼太郎は、江上波夫を“最も敬愛する人”と言い、「独自の仮説なくして「学問なし」という信念の司馬は、
“日本の考古学者で、40年の時に耐えうる仮説を提示し得た学者”として、江上に対し最高の評価をし、敬意を払っている 山崎正和は、『柔らかい個人主義の誕生』(中公文庫、1987年)においてこれを『淋しい群衆』と訳した。
理由として「原著の内容から見て、現代の大衆は客観的に孤立してゐるといふより、心理的に淋しがってゐる、と解釈した方が、ニュアンスに忠実だと思はれたからである」 冬の公演控えてるんだからスレ汚さないでくれないかなあ 日本文化の中心は稲作で成り立っている。稲作を守ることは、日本文化を
守ることだ。だから、米価は引き下げてはならない、もっと補助金を出しなさいと
農協は主張するのです。このような文化的大義を前面に立てた言い方は、
再配分運盟が自分の利害を守るための典型的な手法になっています。
先程も申しましたが、ある経済的問題に関して、フランス政府がフランス文化を
守れというときには、その裏には確実にフランス版再配分連盟の力が動いて
います。それと同じことが、日本でも起こっているのです。
/////////// ピーター タスカ ///
確かに、経済面で市場の要請に逆らうことをしようとする人は、その
大義名分として「自国文化」を持ってくる場合が多いようです。また、
「安全」の確保を主張する場合もあります。
彼らのいう文化のなかには、「伝統文化を守る」ことから「他国文化の
流入を防ぐための言論統制」までが含まれます。また、安全のなかには、
「国防上の必要」から「事故」や「青少年の非行防止」までが含まれています。
////////// 堺屋 太一 /// だからスレ汚さないでっての
どうせなら岡田利規の引用を貼れっての 村上春樹は「終戦後、悪かったのは軍閥で、天皇もいいように利用され、国民もみんなだまされて、
ひどい目にあったという考えがある」とし「結局、誰も悪くないということになってしまった」と述べた。
日本人が自ら犠牲者であり被害者という誤った認識の中にいるという説明だ。
村上春樹は「(日本が起こした戦争に)中国人も韓国人も怒っているが、
日本人には自分たちが加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、
その傾向はますます強くなっているように思う」と付け加えた。
福島原発事故にしても「誰が加害者であるかということが真剣には追及されていない」と指摘した。
村上春樹は「加害者と被害者が入り乱れているということはあるが、このままでいけば
『地震と津波が最大の加害者で、あとはみんな被害者だった』みたいなことで収まってしまいかねない」
と懸念を表した。
村上春樹は普段インタビューをしないことで有名だ。
社会問題について、小説家はステートメント(声明)を出すのではなくて、
フィクションという形に思いを昇華させ、立ち上げていくべきだということだ。
村上春樹は「僕らの世代は60年代後半に、世界は良くなっていくはずだという
ある種の理想主義を持っていた」と述べた。「ところが、今の若い人は世界が良くなるなどとは思わない、
むしろ悪くなるだろうと思っている」とし、遺憾を表した。
その一方で「ある程度、人は楽観的になろうという姿勢を持たなくてはいけない」と強調した。
村上春樹は「60年代に持っていた理想主義を新しい形に変換し、
若い世代に引き渡していくことも重要な作業」とし「若い世代に向けても小説を書きたい」と述べた。 スレ汚さないで
誰かに読んでほしいならツイッターかブログでやって
読まれなくてもいいのなら独り言板でやって 谷川俊太郎
「身体を使ってお金を稼いでいる人たちは、姿も言葉もとても具体的なのに、
僕のように言葉だけで生きている人間は、存在も言葉も何だか抽象的な感じが
する。詩人なんて、具体的に生きている人たちに基本的には負けていると僕は
思うんです。ただ、言葉だけで勝負することはそれなりに大変で、僕の場合は
はじめから言葉や詩を信用していなかったことが書くエネルギーにつながって
いたようなところがある。生まれてくる言葉に対して、ああでもないこうでも
ないといちいち否定して、“これじゃどうしようもないから、違う書き方をし
なければ”と思いながら、前に進んできたような気がします
この先、どんな詩を作っていきたいか訊ねると、「より新しく美しい言葉、
いや、美しい生き生きした言葉……かな。でもそれは単語じゃなく組み合わせ
なんです。使い古された単語をうまく組み合わせて、新しい美しいものを作る
のが、詩の基本ですから」 相棒13 2014年12月3日(水) よる9:00〜9:54 第7話「死命」
享(成宮寛貴)は、悦子(真飛聖)から情報を得て、保険金殺人の疑いがある案件を単独捜査していた。被疑者は
田無(米村亮太朗)という30代の男。彼は、4年前に20歳も年上の女性と結婚したが、2年後にその女性が急死し、
巨額の保険金を受け取っていた。田無をマークしていた享は、右京(水谷豊)の助言で捜査一課に応援を要請。
身柄の確保に動くが、追い詰められた田無は、享の目の前で自殺してしまう。捜査に落ち度はなかったものの、
ショックを受けた享は辞職を考える。そんな中、田無の墓参りに訪れた享は、そこで彼の友人だという
若い女性・美波(清水くるみ)と知り合う。享は美波に誘われ、若者たちを支援する団体へと向かうが…
保険金殺人の疑惑がかけられた若者と、その友人を名乗る女性、
警察を辞める決意を固めた享。そのとき右京は…!?
事件の先には、現代社会に潜む巨大な“闇”が広がっていた!
ゲスト:米村亮太朗 清水くるみ 阿知波悟美 藤井美加子 「本当に冗談みたいな解散ですよね。私たち有権者に理解できるような理由が一つも見あたらない」
今後、アベノミクスの失敗で経済指標は悪くなる。このまま解散を引き延ばせば来年4月の統一地方選で大負けするから、
その前に……と安倍さんは思ったのでしょう。要するに経済失政を覆い隠すための手段に過ぎないということです
地方を元気にするには、地場の中小企業が生産性を上げ、自分たちで雇用を生み出していくしかない。構造改革は待ったなしの状況なのに、
アベノミクスでは相変わらずばらまき型の公共投資をして国への依存を助長し、地方の活性化を妨げている。
さらに休業手当や賃金の一部を助成する雇用調整助成金にしても、非効率な企業を延命させ、経済の新陳代謝を遅らせるだけ。それよりも会社をたたみやすくしたり、新たな産業を呼び込む制度を整えたりするのが先でしょう
戦後の歴代政権の内閣法制局が積み上げてきた憲法解釈を、いとも簡単に変更した。しかも、それをしたのは同じ自民党中心の安倍政権。いったい何の権利があって、と憤りを覚えます
戦後69年、日本人が守り続けた『戦場で人を殺さず、殺されもしない』という歴史に終止符が打たれる。安倍さんの言う『積極的平和主義』で平和が維持できると考えるなんて、それこそ妄想以外の何ものでもありません
2年前の消費増税を巡る3党合意と議員定数是正の公約が置き去りになっていること。靖国神社参拝で中国や韓国などとの関係をこじらせたこと。
「戦後レジームからの脱却」を掲げながら、米国の意向に沿って米軍普天間飛行場の辺野古移転を進めたこと……。
私には安倍さんが、軍部の台頭を許し戦争への道を歩み始めた昭和初期まで歴史を巻き戻そうとしているように見えます。安倍政権が長期化したら、私たちはどこまで連れて行かれるのか。来年は戦後70年です。
この節目の年を安倍首相のもとで迎えることの意味を、私たちはもっと深刻に考えるべきではないでしょうか 小説の舞台にしたのは1980年代です。当時の国会議事録を丹念に読みました。その頃も汚職などの不祥事はありましたが、国会では中身のある議論をしていた。
与野党ともに、まともな政治家がいたのです。2000年代以降の政治家たちは軽すぎて小説にならない。うちわやSMバーが、議事録にも残る国会で議論されるなんて、恥ずかしい限りです
経済効率からも、巨額の賠償リスクがある原発を抱えたまま会社を経営していけるわけがない。これもまた妄想ですね
今のうちに、という本音が透けて見えるから、言葉の一つ一つに重みが感じられない。安倍さんの、安倍さんによる、安倍さんのための解散・総選挙であることを裏付けたと言っていい」
消費増税についても、法律から景気条項を外すから次は必ずやると言いますが、その時にも安倍さんが首相を務めているという保証はない。
政治家は、そこまで考えて一つ一つの決断をすべきだし、有権者は彼らの言葉が信じるに足るかをしっかり吟味しなければなりません
「確かに受け皿になる野党はないかもしれない。700億円もの経費を使うのに、今やる必要のない、意味の薄い選挙かもしれない。
それでも投票所には行くべきです。そして、考え抜いた1票を投じてほしい。白票だっていいんです。これは、有権者の『意地』の問題なのです」 スーパープレミアムソフトWバニラリッチ見たよん
三月の5日間好きな人にはお勧めだよん KAATでチェルフィッチュ。コンビニという完全にコード化された世界と、脱コード化された身体とのコントラスト。台詞は、かなり網羅的なコンビニ論だったけど、個々の登場人物に効果的に割り振られていた。
女性店員役の女優さん、特に素晴らしかった。ユーモア。そして、時々苦しげ。
平野啓一郎) 一昨年昨年のシリアス路線より
「三月」以来の当たり路線である今年の作風の方が
見てて楽しいし満足なのは否めず
でも岡田利規はいろいろ試すだろうし
見るこちらとしてもそうあってほしい
プロデュース側は悩ましいだろうけど 僕らは敬い弔うことで死者と「外交」する。墓参りとかお盆とかね。そして、科学や合理的思考の発達でそういう文化がどんどん無くなってきたことが、
例えば今の日本の社会に支障をきたしている気がしたんです。(岡田利規 松村翔子
‏@mtmrskmmrt チェルフィッチュ辞めたことで、自分自身がやっと生き生きしだして、複雑な思いもあるけどすごく清々しい気持ち。
役者としての伸びしろ、ようやく見つけることができた感。お芝居って楽しんで取り組んでいいんだよなと。当たり前だけど。 かれらに閉塞感のあることは否定しないけど
じゃあそのチェルフィッチュ内での閉塞感と
チェルフィッチュ外すなわち社会を覆う楽しむことの強迫
楽しめという圧力についてはどう考えるんだろう
彼女はあくまで個人的に楽しんでると云うだろうけど 第18回鶴屋南北戯曲賞に、12月19日の第1次選考会でノミネートされたのは6作品。上田久美子『翼ある人びと −ブラームスとクララ・シューマン』、
宮藤官九郎『万獣こわい』、桑原裕子『痕跡(あとあと)』
内藤裕子『初萩ノ花』、田村孝裕『世界は嘘で出来ている』、岡田利規『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』。
第2次選考会が1月27日に開催され、受賞作は、桑原裕子『痕跡 (あとあと)』 山縣太一
僕は演劇を観て面白いと思った事がないんだけどそれはなんでなんだろうとずっと考えていて今も考え中。
でも一番観たいのはなんだかよくわかんないけどすごいというのが観たい。という事は演劇がつまんないのは
日常よりも感覚や動作が簡単簡素になっているのかもしれないと思い日常の無自覚で豊かな身体を自覚を持って舞台にのせる太一メソッドを考案。
ダンサー手塚夏子から身体の細かい意識の持ち方や身体を変化させる事で感情も操作する技術を学ぶ。チェルフィッチュというカンパニーで国内海外で高い評価を得るも
創作における価値観の違いやお金のストレスでチェルフィッチュから少し離れて自分で納得するまで試行錯誤を重ねて作品を創作したいと思案しています ■坂を上りきり、下ってゆく
『下り坂をそろそろと下る』はこれまで経済成長を「是」としてきた日本が、どうすれば経済成長をしないなかで生き抜けるかについて指し示した社会論。タイトルの「下り坂」
とは司馬遼太郎の『坂の上の雲』(文藝春秋)にかけたもの。平田さんは「日本はもう開化期ではなく、
下り坂にはいっている。しかしそれを悲観するのではなく、そろそろと、おおらかに下ってゆければ」と同書に込めた思いを語った。
■日本はアジア唯一の先進国ではない
平田さんは同書で少子高齢化、人口減少という経済成長をしない前提での新しい社会の作り方を提案している。そこで大事なのは「3つの寂しさ」と向き合うことだという。
その3つとは「もはや経済成長はしない」「もはや工業立国ではない」「日本はアジア唯一の先進国ではない」。
その中でも一番難しいのは、アジア唯一の先進国ではないと認めること。どうしても私たちの中にアジアに対する優越感がある、
と平田さんは自身も含め振り返る。それを解消し差別意識をなくしてゆかなければならない。それができない人がヘイトスピーチや嫌韓や嫌中、無理矢理の日本礼賛にはしってしまっているという ■正解はない
寂しさに耐えながらどう下り坂を下ってゆけば良いのか。平田さんは様々な土地の取り組みを例にあげ考察をすすめている。アートを媒介としIターン人口を増やしている小豆島や、東北の女川町で行われた伝統文化の復活から団結を取り戻した事例などをあげて解説している。
しかしこの下り坂は初めて経験する事柄であり「正解はない」と平田さんは説く。皆で迷いながら心配しながら「大変だよね、寂しいよね、でも希望もあるよね」と「おろおろと歩く」いう姿勢が人間としてあるべき姿だとも語った。
■韓国と寂しさを共有する
また平田さんは日本と同様に高度経済成長が終わりつつある韓国と寂しさを共有することにより、日韓関係のぎくしゃくを解消できるとも説いている。お互いに現実を見つめ合い、
張り合わず、寂しさを共有することにより、東アジアの未来が見えてくる可能性があるんじゃないかと語る。
また世界一の技術水準をもつ日本の新幹線がなぜ世界で売れないのかを考えることにより、異文化理解が進むのではないかとも説いている。
最後に平田さんは日本は下り坂だという現実を認めつつ、おおらかに、ときにユーモアを交えながら「下り坂だけど、下り坂にもいいところはあるよね、というやり方をみんなで見つけてゆくことが大事」と今後の日本に必要な寛容さとリアリズムの重要性を静かに語った 言葉以前の叫び、物語化する直前の身振り、意味になる前の無意識、世界のすべてに繋がる得体の知れないものが
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