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抽象絵画を鑑賞するスレ
0001わたしはダリ?名無しさん?
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2013/05/05(日) 12:11:55.76
解釈、感じ方が人によって大きく異る抽象絵画
感想を勝手に書き込んでってください
0314わたしはダリ?名無しさん?
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2020/05/31(日) 15:16:10.85
生きていたら60代か。308の人は55歳らしいけど、
個人の営為とはいえ、年齢的なもの、世代的なもの、その時代の流行との関係を色濃く感じるね。
それより下の世代になると、もはや流行自体がない時代にモノを作ってる感じになってる。
0315わたしはダリ?名無しさん?
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2020/05/31(日) 22:41:28.49
中村一美はYouTubのなかで、英語で美術批評を読んでたと言ってますね。ただ、タイミングを考えると、流行りから20年近く遅れてるかもしれません。英国の画家は更に10年遅れて読んだのかな。
0317わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/01(月) 01:08:15.54
そうだよね。グリーンバーグからだもん。そこで「ほかの連中はとっくに絵画制作なんてしなくなってたが、
80年代に絵画の復権があった」と言ってたな。周回遅れでなんとか先頭にいるように見えるという。笑
それに80年代ではまだネットが普及してないし、今よりのんびりしてたのかな。
英国の画家、似たような人たくさんいるのだろうけど、彼らは絵の具遊びをまだ止めないだろうね。
もう一種の伝統芸能と化してる気がする。
0318わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/01(月) 09:59:26.61
80年代に復権した絵画って、シュナーベルやら、キアやらクッキ、クレメンテ、キーファーといった具象画のことだと思う。

美術手著のバックナンバーをみてると、そっちの話ばかり吉本隆明まで対談に駆り出されてたりする。

今はコレって感じで、モードとして紹介されてる。
0319わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/01(月) 17:25:11.61
ニューペインティングね。フィッシェルやサーレ、その流れとは別だけどポルケも印象深い。
その頃の、ニューアカやらよく分かんない他の流行や批評も、今では霧散してしまってる感じ。
90年代はドイグやタイマンスなど、現代につながるフィギュラティヴなペインティングがでてくるのだが、
10年単位の流行に対し、作家の活動期間はもっと長いので、中村一美みたいな人がたまにひょっこり顔を出してきても不思議ではない。
0323わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/01(月) 23:59:11.02
84歳か。ポルケは10年前に69歳で亡くなったが、クリストの方が年上なんだな。
草間は91歳、カッツは92歳、篠田桃紅は107歳でまだ存命。
0324わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/02(火) 00:39:28.63
フィッシェルやサーレは、取り合えず写真から描き起こしたかのような人間の描き方が、馴染めませんでした。
藤田嗣治や松本俊介の方がいいやと思った。
0325わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/02(火) 01:25:54.96
藤田嗣治、松本俊介どちらもいいね。
たしかにサーレは絵心みたいなものは全くない。
フィッシェルは多少タッチにエロティックさがあって好きだが・・
なぜか写真絵画は消えていかないね。

マーティン・エダー
http://ex-chamber-memo5.seesaa.net/article/373736845.html
0327わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/02(火) 13:08:20.40
フォトショの広告画像みたい
0328わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/02(火) 13:48:24.61
美術作品に公共性という次元ないのかな、
例えば、美術館だと意識高い系の人たちからケチをつけられるから展示できないものってあったりしないかな。

勿論、個人が購入するには問題ないだろうけど
0329わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/02(火) 14:00:30.62
Otto Ford
https://instagram.com/ottoford?igshid=n25ikzgnwucu

オットーフォード(イギリス、1978年生まれ)はイギリスのロンドンで働いています。

オットーフォードは、デジタルを素材の絵画として再処理することを模索する作品を制作しています。
0330わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/02(火) 14:02:14.04
発見された画像を使用して、フォードはマーク作成の物理的なジェスチャーを復活させます。 絵画における動き、表現、顔料、色の歴史的実践は、フォードにとって重要です。
0331わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/02(火) 14:02:36.98
歴史的および現代的なアーティストとその作品が演じる芸術的役割についての私たちの認識を探究しているように。

絵画、版画、デジタル画像、画面の間のどこかにあるフォードは、絵画が何であり、なり得るかを超えようとする作品を制作しています。
0332わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/02(火) 14:03:07.77
 デジドロを印刷しているんだと思うけど、これならエディション作品でも強度が落ちそうになさそう。
0333わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/02(火) 15:56:29.98
2000年以降、流行らしい流行の消えたアートシーンにおいて、
ポルノ的表現はますます増える一方なのだが、ハイアートの衰退とポルノ隆盛は、
過去に何度も退廃を繰り返してきた美術史の必然でもある。
近代以降、画家(写真家も同様)がポルノを複製的に扱ったり、美術の文脈に持ち込んだりすることにも、
ある程度系譜のようなものがあって、
源流は、第一次大戦後のドイツにおけるノイエ・ザハリヒカイト(新即物主義)の
オットー・ディクス 1891~1969
ジョージ・グロス 1893~1959、
それにベルギーのルネ・マグリット 1898~1967 あたりにある。

ドイツとアメリカでそれぞれの傾向がある。
ドイツでは、
ヘルムート・ニュートン 1920~2004 (オットー・ディクスらの影響を受けた)
ジグマー・ポルケ 1941~2010
エレン・フォン・アンワース 1954~ 66歳(ニュートンの影響)
トーマス・ルフ 1958~ 62歳
マーティン・エダー 1968~ 51歳

アメリカでは、
エドワード・ホッパー 1882~1967 (明治生まれ)
アンディ・ウォーホル 1928~1987
エリック・フィッシュル 1948~ 72歳 (ホッパーの影響)
ジェフ・クーンズ 1955~ 65歳
エリザベス・ペイトン 1965~ 55歳
テリー・リチャードソン 1965~ 54歳

などが有名であり、写真を写したような絵画がポルノと親和的なのは、
そうした絵画に、写真や映画、ファッション方面との相互影響の系譜があるためだろう。
0336わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/02(火) 22:07:47.67
そうそう、横尾忠則が、「本物の滝じゃなくて、滝のポストカードに興味がある」
と言ったのと原理は同じだろうね。
最初は裸に興奮していたのが、裸の写真に興奮するようになり、
そして裸の写真の絵に興奮するようになる。
0338わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/02(火) 23:33:49.37
Otto Ford リキテンシュタインの発展系みたいな感じでよいですね。

岡崎乾次郎もステンシルを使ってたような気がします、似てるのかな。
0339わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/03(水) 01:16:49.90
そうですね。まさに下着泥棒的な心性だと思います。
物質への偏愛、技法のレイヤーへの偏愛。
オットー・フォード、岡崎乾次郎もそうですね。
それにしても、やっぱりアメリカ人よりドイツ人の方が
モノマニアックな変態が多い気がする。
0340わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/03(水) 02:18:38.97
技法のレイヤー。本質を何層もの嘘に分解する。
それは遠ざかる幽体離脱的な感覚を引き起こす。
0342わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/04(木) 21:52:05.18
機械的にひかれた線がキュビズムを連想させるのだけど、早い段階で装飾ではないかと疑問を持たれていた部分でもあったりする。
0344わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/05(金) 02:14:14.60
装飾的というのは、機械的に生まれるパターンへの批判的な意味が含まれているのかな?
マティスは装飾性を称揚していた。
トム・カートミル、他の絵も全体的には嫌いではないが、
ドロシー・ナパンガルディの方が好み。何が違うのか考えてしまうね。
https://twitter.com/ClaudMang/status/956691743675576321
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0345わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/05(金) 02:35:47.35
両者、捉えている空間の表現に大差はない。
しいて言えばトム・カートミルの方はより分析的で技巧的、
ナパンガルディの方はアボリジニのシャーマニックな夢見の技法、
ドリーミングの霊的なヴィジョンをただアクリルで素朴に表現している。
ただ分析も一定の密度を満たせば十分霊的な性質を持つので、あまり違いはないようにも思える。
0346わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/05(金) 12:05:04.46
>>344
ここは、抽象絵画スレなので書きにくいですが、
マチスは具象だから、母親とか女とか帽子とか、そこから、口唇期だの味覚だの色彩だのと、いろいろ解釈の余地があり、
ポップアートやらポストペインタリーアブストラクションまで参照されたのですよね。
0348わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/05(金) 18:06:40.92
>>344
ナパムギャルディいいですね。

カーシミルは、平行線で近代絵画の浅い空間を想起させるのにたいして、

ナパムギャルディの点は強弱濃薄があり落ち込んでいくような空間を想わせるところがありますね。
0349わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/05(金) 19:38:59.09
>>340

柏原えつとむの“未熟な箱たち”を思いました。
紙で立方体をつくって、それを描いて、
描いた箱を切り抜いて、また、箱をつくる。
そんなことを繰り返して、立方体が、どんどん歪になっていくという作品。
0350わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/05(金) 21:43:33.29
>>346
>>347
マティスの絵も心理学的な分析の対象になるんだね。
グリーンバーグのポスト・ペインタリーの定義、今となってはあまり意味のあるものではない気がするが、
当時にしても、マティスやウェッセルマンの作品は、ステイニング技法のみに還元しきれない
線と色の性質を示していたり、グリーンバーグの定義以上に強い内容がある作品は他にも多かっただろうと思う。

また90年代以降、評論家の影響力が無くなっていったのは、インターネットの普及、そしてアールブリュットやアボリジニアートなど、
既存の西洋美術の文脈では捉えきれないジャンルが次々に紹介されたことが大きい。
実際、絵画(芸術)の世界は評論よりオカルトに親和的だと感じる。

>>349
柏原えつとむもいいね。違うメディアの間を何度も往還する手法は好きだな。
往還することで、ズレが出て、そのズレが空間や認識の深度を生む。
当たり前に認識しているペラペラな一つの記号、
そこにも驚くような空間の奥行が内在していることに気付かされる。
ナパンガルディの点の形態は、高次元で重なっている一つの点がズレることで、
空間の多様性を生み出している、といったことを想起させる。
0351わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/05(金) 22:49:41.12
混乱してて申し訳ありません、マチスにたいして精神分析的な解析をしたのはフランスの批評家です。
グリンバーグは主題的な内容には触れません、アメリカのシーンにフランスの批評家が直接影響してるということではなく、
個々の作家がマチスをみて、、いろいろ個別に考えたのではないかと、ここはぼくの勝手な思いこみです。
アメリカはフロイトよりユングがメジャーだったとのことなので可能性は低いでしょうね。
0352わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/05(金) 23:53:33.42
>>351
なるほどです。
地元では、アメリカから見る以上に近い存在だったから、
さまざまな分析がなされたのかもしれませんね。
元来フランス人そういうことするの好きそうですし。
0353わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/06(土) 02:27:54.77
マティス「画家のノート」をちょっと書き起こし。
「厚塗りは明るさを出してくれない」
「色彩の深度の違いを理解することによって明るさの多様性を表現する」
「線描画は光を生み出す」
「各時代は固有の光を持つ」
「この架空の線のまわりにアラベスクが展開する」
「線は力」
0354わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/06(土) 02:43:52.90
あと、興味深いのは、
作品を至上の価値と捉える欧米や日本の作家とは対照的に、
ナパンガルディをはじめ、アボリジニのアーティストは
自分の絵の上に座って描いたりする、ということ。
まあ、フランケンサーラーや一部のアクションペインターなど、
支持体の上に乗っかって作業する人もいるにはいるが。
https://www.youtube.com/watch?v=Osn3KRTM7Qs
0355わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/06(土) 13:38:47.14
そういえば日本画の大作では、「乗り板」を使うこともあるが、
わりと画面に乗って描くことが多かった。
0356わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/07(日) 19:07:53.93
たとえば、江戸時代の池大雅でも蕪村でもいいけど、
描いてるときは、紙を床にしいて描いているのだろうと思い込んでるのですが、
画面のなか辺りを描くときはどうしてたのだろう、ふと思いました。
0357わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/07(日) 20:38:57.98
現代では、画面に乗って描く人もいますが、
https://www.tuad.ac.jp/wp-content/uploads/post/2014/01/f7805sp.jpeg
http://japan-paint.aichi-fam-u.ac.jp/?undergraduate=fourth#&;gid=1&pid=4
たいてい乗り板を使ってます。

江戸時代でも、大きな画面は乗り板だったでしょうね。
http://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/image/2007/030101/image/img0301020329.jpg

ただ、乗り板が届かないほどの大作になると、やっぱり直しかないようです。
https://livedoor.blogimg.jp/gogakublg-ixjko8iy/imgs/e/5/e582a0cc.jpg
0360わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/07(日) 23:36:05.94
たしか、ロベルト・マッタの絵に、足跡がついたものがなあったような気がしたのですけど、
水平にして描くような絵でもないですよね。
0361わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/07(日) 23:52:11.44
へえ、マッタの絵だと、記号的な意味合いが強いのだろうけど。
ちょっと探せなかったけど、面白そうですね。
0365わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/09(火) 10:38:22.13
エテル・アドナン

いいですね。
他のサイトでもみてみましたが、随分とおおらかな絵を描かれる人ですね。
0366わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/09(火) 21:08:19.95
マチスがアフリカやら中国の絵に見出だしたのは西洋美術にもありながら近代においては抑圧されていたものだったりしたように、

アボリジニや中近東出身の女性に、西洋近代にありながらいつの間にか抑圧されてしまった何かを見出だしているような気がしないでもないですね。
0367わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/09(火) 21:10:50.11
回帰してくるものは、なにやら不気味にみえることがあります。
オカルトチックにみえるのは、そこに原因かあるのではないかと思います。
0369わたしはダリ?名無しさん?
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2020/06/10(水) 01:45:29.42
そう、だから進歩的といわれる動向が回帰的な性格を持っていたり、
そういう事はよくありますね。もの派もそういう部分があった。
郭仁植は、もの派のはしりのような作品もありましたね。
その後のニューエイジ的なものも、結局似たことを言っていたように見える。
マティスも、近代芸術を「近代的な芸術というより、
よりプリミティブな芸術に近いもの」と言っていましたね。
0371わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/11(木) 18:38:29.29
>>369

もの派については、インスタレーションの性格ゆえに今となってはわからないことばかり。

郭仁植は、色墨の作品と、版画はみることができました。

版画はよくみえました。

海外のどこか宛につくられているのではなく、自分の手元で何かが発生することを見極める感じがよかった。
0372わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/11(木) 19:29:49.09
セシリー・ブラウンはとても技巧的で、思想的な部分はともかく
やはり絵画のポルノ的表現の系譜に連なる作家のように見えますね。
もともと女性作家は手工業的技術とその応用に優れていて、
今ではエロティックな表現のかなりの部分を女性の発想と仕事が占めていると感じる。
アンワースがニュートンの写真を女性視点に変換する際の手際、オキーフのパレットの繊細さ、
あと日本の少女漫画家などをみても、細部や装飾的技巧への独特のこだわりがある。
0373わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/11(木) 19:43:34.13
>>371
>自分の手元で何かが発生することを見極める感じがよかった。
芸術の本質的な部分かもしれないですね。
0374わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/11(木) 20:03:56.37
もの派は、とても仏教的な感じがします。
0375わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/11(木) 20:39:14.88
セシリー・ブラウンは、コラージュしたかのように部分部分がばらけてみえますよね。

ピーター・ブレイクにもそんなことがありましたけど、

どんな制作過程をたどってるのでしょうね。
0376わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/11(木) 22:30:30.94
コラージュというかパッチワークというか、 
ここら辺、日本人の得意分野なので、
もしかしたら、そっくりな作風の人もいるかもしれませんね。
0377わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/12(金) 00:50:46.92
日本でも海外でも、けっこういそうですね。
制作過程、やはり写真や過去の巨匠の絵などを砕きつつコラージュしているように見えます。
ゴヤやジェリコーの模写みたいなものもありますね。
0378わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/12(金) 01:29:37.43
最初期に「Four Letter Heaven」というポルノアニメまで作っていますね。
https://vimeo.com/17908241
0379わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/12(金) 11:38:04.17
90年代以降というか、グローバリズムの時代は世界が一つの村みたいな感じだから、あたかも国を単位にするようなタイプの批評は無効なのではないでしょうか。
村祭り的な祝祭空間はセクシャルなものだと思います。
0380わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/12(金) 16:42:24.51
上の方のyouturbで、中村某に蔵屋某が絡んでいた部分、
“何故、他ではなく日本の古画の空間を参照したのか、”
問題視すべきことなのかわからなくなっています。
0381わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/12(金) 17:46:37.85
>>379
別に無効だとは思いませんね。あろゆる美術の方法論に文脈や系譜が存在しますし。
また弁証法的観点に基づいた自然や生命の階層構造というものがありますが、
社会も同じで、国家という単位は階層として存在し続けるものです。
ヘーゲルは、国家が人倫の最高段階であるとしましたが、
現代のグローバリズムはそれを超える人倫を形成するどころか、更なる軋轢を生み出しています。
グッドハートが「多くのサムウェア国家の協力に基づく世界秩序は、1つの超国家的なエニウェアーズによるものよりも望ましい」
と述べているように、グローバリズムは庶民のものではなく、資本家やエリートのものです。
そこでは人倫の完成など後回しですから、その人倫を保障するのが今のところ、成熟した共同体としての国家しかないということです。

セシリー・ブラウン に関しては、村祭り的な祝祭性より、
既成のメディアと自己の関係、及びその溶解にエロティックな表現の特徴があるように思います。
アプロプリエーション(流用)とか、シミュレーショニズムの系譜ですね。
ドイグもそうだけど、日本だと森洋史とかですね。
0382わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/12(金) 19:45:02.41
>>380
両者ともに、清園寺縁起(南北朝1336-1392)の多視点的な遠近法について日本的な空間と評しているが、
それ以前に成立した聖衆来迎寺の六道絵(鎌倉1185-1333)にも既にその空間はあり、
さらにそのルーツを辿れば、敦煌莫高窟の419窟にある壁画
「薩埵太子本生、法華経変」「須達拿太子本生」(隋581-618)の空間構成まで遡ることもできる。
https://zhuanlan.zhihu.com/p/96262059
https://zhuanlan.zhihu.com/p/96150657
0383わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/12(金) 20:21:57.71
日本の絵巻の形式は、奈良時代から平安時代初期に中国から
仏教経典の図解や絵入りの典籍として伝わったものが元になっているが、
当の中国では、横長の画面が何段にも積層する形式の壁画が、往時の経典の漢訳事業と
平行して描かれていたことが分かる。
0384わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/12(金) 21:44:03.22
>>382

敦煌莫高窟ですか、
なんか凄そうですね。

明日、図書館で探してみようかなと思いつつ、開館しているのか不安もあります。
0385わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/13(土) 01:36:13.74
>>384
僕は中国美術全集のものをよく見ていましたが、
このサイトはさらに詳細でいいです。クリックすれば画像も大きく出来ます。
https://zhuanlan.zhihu.com/p/74532799

あと仏教壁画は西チベット、グゲ王国のタボ・ゴンパのものや
https://www.youtube.com/watch?v=MXprFk95taM&;list=LLIfC4zNTcXMRP2D_RRzLCnA&index=698&t=0s

インド・ラダックのアルチ僧院のものが白眉です。
https://www.nybooks.com/daily/2018/12/05/the-ravishing-art-of-alchi/
https://www.searchkashmir.org/2015/10/splendor-of-ancient-kashmir-in-alchi.html
0386わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/13(土) 17:19:19.59
10世紀までの長い廃仏運動の後、西チベット・グゲ王国(古格王国842-1630)の王イェシェ・ウーの命令を受けて、
訳経僧(ロツァワと呼ばれる。サンスクリットからチベット語への翻訳を行った。)リンチェン・サンボ(958–1055)が
インドのカシミールに留学。17年間仏教を学び、多数の密教経典を訳出した。帰路にカシミールから32人の大工や仏師、絵師を連れ帰り、
彼らによって西チベット3国(グゲ、ラダック、ザンスカール)に合計で108の僧院が建てられた。
中でも主要なものは、グゲ(現在西チベットのツァンダ村)のトリン僧院(10世紀後半)、プランのコルジャ僧院(996年)、
今は廃墟になったラダックのニャルマ僧院(10世紀後半)、スピティ谷のタボ僧院(966)、アルチ・チョスコル(聖域の意味)三層堂(11世紀)がある。

11世紀のカシミール様式の壁画の特徴として、@群青の背景、A細身、B三白眼の寄り目、というものがあるが、
ラダックの仏教美術は11世紀のリンチェンサンポ時代と、14世紀頃からのポスト・リンチェンサンポ時代に分けることができ、
リンチェンサンポ様式はカシミールや中央アジア美術の系統をひいており、壁画の着色に群青を多用していることが特徴として挙げられるのに対し、
ポスト・リンチェンサンポ様式はカシミールの様式が薄れ、チベットの影響を受け赤の多様が目立つ。
グゲ王国は16世紀にラダックの攻撃を受け廃墟となったが、文革の影響による破壊も大きい。
0387わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/13(土) 19:30:32.80
敦煌莫高窟における初期窟の印象的な暈繝(うんげん)の黒変について。
菩薩の肌全面の下塗りに水銀朱を使い、カオリンで上塗りすると淡い肌色になるが、
経年変化でカオリンが剝がれ、下塗りの水銀朱が外気に触れるようになり酸化、黒変したものと考えられる。
また鉛丹も変色しやすい顔料であり、赤橙から白あるいは黒に変色する。
敦煌壁画が今世紀初頭世界に初めて紹介されたとき、当時すでに有名だったマティスなどともよく比較されたが、
マティスが仏教に親近感を持っていたことは彼の発言からも知ることができる。
0388わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/13(土) 19:36:58.29
今世紀×

20世紀〇
0389わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/13(土) 20:00:58.34
宗教画の形象が色面に置き換わったようなイメージの絵を描く画家としては、
マティスの他にボブ・トンプソン Bob Thompson(1937–1966)が思い浮かぶ。
0391わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/14(日) 16:09:33.62
実のところ、敦煌初期窟や11世紀カシミール様式の密教壁画が素晴らしいのは、
経年劣化と元来の絵の構成や配色が噛み合って独特の稠密さが生まれていることが大きい。
劣化した質感には特有のピッチ・精密さがあって、しばしば筆触以上の奥行を生み出す。
筆で再現すると陳腐になりがちだが、山口薫なんかは色調がかなり精緻でそれに近い奥行がある。
0392わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/14(日) 16:41:21.16
劣化文化財は面白い。
廃墟や退色した街並みと同じだね。
0394わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/14(日) 19:08:16.75
色は音楽のピッチと同じで、共感覚の実験でも、
和音の調性およびピッチと色の明度および彩度、
ピッチと色相との間にそれぞれ一定の、印象次元のマッチングが見られる。
0395わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/15(月) 00:51:47.62
美連協が「美術館女子」なる企画を主導して非難轟々らしい。
中村との動画で蔵屋美香(4月から横浜美術館の新館長)は
東京国立近代美術館の改革の必要性を力説していたが、結局こんな企画しか出てこなさそうな予感。
そういやかなり昔の話だが横浜美術館も、2006年の「アイドル!」展はゴミみたいな内容だったな。
0396学術
垢版 |
2020/06/15(月) 11:10:50.58
美術は術だよなあ。
0397わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/15(月) 13:38:02.19
>>385

彩度が高くて形態は明瞭なのかな
というか、西洋近世が彩度を落としぎみで、輪郭を失い気味だったようにも思えます。
過去形でいいのかな。
0399わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/15(月) 17:53:36.25
>>397
>彩度を落としぎみで、輪郭を失い気味
これは、線描を強調する東洋美術と対照的に、マッスを重視する西欧のリアリズム指向からくるものだろうが、
その源流は古代ギリシャ・ローマの様式に求めることができる。
ただ、中世西洋における挿絵・装飾を伴う写本は、カリグラフィ主体のために線的表現が優位となる点で、東西共通の様式があった。
それが、マッスの再現的なタブロー・板画・壁画が現れるのは、15世紀初頭の初期フランドル派からイタリアの盛期ルネサンスあたりから。

ちなみに復興の手本とされた「古代ギリシャ」だが、その地理・歴史から見て、当時むしろ中東の一部をなしていたのであってヨーロッパの一部とは言えず、
実際、ヘーゲル以降のヨーロッパ哲学者たちが誇るような、西洋哲学の起源としてのギリシャ古典などというものは、歴史的連続性のなかには存在しない。
ヨーロッパはギリシャ古典を、すなわちプラトンやアリストテレスを、トレドとパレルモを中心とするイスラム圏との交流によってギリシア古典が再発見された
12世紀ルネサンスまで、知らなかったのだから。
0400わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/15(月) 18:07:15.52
また11世紀からのロマネスク様式、13世紀から15世紀初頭のゴシック様式の中に現れる悪魔が
蝙蝠のような膜質の翼を持っているのは、起源を辿ると中国南北朝時代(439‐589)の仏教美術に到達すると
澁澤龍彦は書いている。
0401わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/15(月) 18:30:30.25
逆にキジル石窟(3世紀中〜8世紀)や敦煌初期窟(4-5世紀)では、ギリシャ・ローマ・ペルシアの影響が見て取れる。
0402わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/16(火) 17:29:42.84
>>399

そうそう、
国内では、90年代にちょこっとマッスのある抽象画が珍重されたような、おぼえがありますね。

そのくらいで、遅れてきた絵画はなにやら燃え尽きた感じですかね。
0404わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/16(火) 21:28:28.43
大声で擁護をする批評家や
大金で買い求めるコレクターがいなくても、

絵を描く人はポツポツといて、人生をかけたり財産をつぎ込んで入りして、日は巡っていきますね。
0405わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/16(火) 23:02:46.94
評価とか取り扱い画廊とか、
そんなつまらないことを気にせずに
自分の目でみて判断してほしいものだと思います。
0406わたしはダリ?名無しさん?
垢版 |
2020/06/17(水) 00:28:51.28
絵は出会いと同じですね。
すごい出会いというのは人生でそう何回もあるものじゃない気がします。

フィギュラティヴな絵は年代ごとに更新する感じがあるので、古臭いまま生き残りますよね。
ノンフィギュラティヴはどこか最初から燃え尽きてるような気もしますね。
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