さしすせ書道★書の未来を考えるスレ6★ [無断転載禁止]©2ch.net
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残念なお知らせですが、道に倒れて誰かの名を呼び続けたことはまだありません。 まあ黄昏も優しいし、なんだかんだいっていい人ですから。 そういえば、第4回改組新日展の審査員、まだ発表にならないですね? >>8
まあまあ笑 私も久しぶりに参加しましたが、なかなか得るものがありましたよ >>8
自分でスレを立てる権利はありますよ。
表現の自由は認められます。 賢者は愚者から学ぶことができる
人の振り見て我が振り直せ
何を得るかはその人次第 >>11
ほんとそれ。同じ世の中で同じものを見る権利があるわけですからね。 >http://udoyoshi.com/archives/2491
石川九楊、「読める書」に参入って書いてる。
前衛の代表なのに・・・残念。 >>14
石川さんは自由な発想の方ですから、違和感はないですけどね。後続のために頑張ってやってほしいなと。 たしか例の対談でも、変わっていくものだって仰っていたようですし。
元々、人って変わっていくものですもんね。 読める書って、ここ数ヶ月、この板でちょいちょい話題に出るけど
なんか水面下であるの?
書道人口減りすぎて、新機軸をシフトしようとしてるの?
なんか2ちゃんと石川九楊まで連動してるのは偶然? 集団無意識というか、時代というか、今まで意識には出なかったが
書をやっていると誰もが思うような事が浮き出てきたのか
世の中には偶然という事はない、というし 近代詩文書って読める書なの?
書道素人に見せたら、
「何書いてるか全く読めない、たのしいの?これ?」
って言われて驚いた。(読めると思ってたから) 書道やらない大衆は、普段はモバイルの丸角ゴシックか印刷物の明朝体しか見ないものね
あとはスーパーのポップ文字w 近代詩文書は(お仲間だけ)読める書
一般大衆とは関係ね〜 石川九楊が「誰でも読める書」って言ってるってことは
1から作るってこと? 石川九楊なら
MS明朝、ゴシック風に手書きして
重ねたり、組み合わせたりして
「今まで誰も気付かなかった!灯台下暗し!」
とか本当に言いそうで怖い。 フォントの話になると、今度はカリグラフィからタイポグラフィとも関わってくる
今はメイリオになったし、GDIとか使うとましだが、マックの純正フォントにはまだまだ…
フォントに凝るとほんと(!?)にきりが無い。 >宋書体
ちょっと高級なチェーン店の中華料理屋のイメージ。 「読める」って定義を、書家が決めたらダメなんだと思う。
なんだって読めるにしちゃうから。 一般の人たちを取り込むなら、書を読めるようにするより、「書は読めなくてもいい。書は見るものです。」
という鑑賞法を宣伝した方が早い気もします。 >「書は読めなくてもいい。書は見るものです。」
という鑑賞法を宣伝した方が早い気もします。
今までやってきたことが、まさにこれで、それで書道人口激減してるという理解ですよ。
だから、「見るもの」から「日本語も含めて鑑賞する」正常な状態に戻したらいいんじゃないですか? 読めないからこそ、日本語も中国語も同列に並べる。その結果、教育から追い出される。
日本に必要な言語は商売上、ますます「英語だけ」になってきた。しかも教養不要。
日本は働く奴隷が要るから外国人を輸入したがる。日本の教育も働く奴隷の育成に躍起。
だからブラックバイトの社会的要請が大学教育を滅ぼしにかかる。つまり教養不要。
書道は教養か商売か。その分岐点にあるからこそ、ここでの議論が成り立つのだろう。 読める読めないだけでこれだけの議論になる裏側には、
あとは書かれた文字の巧拙だけの判断という、競書的な発想を抜け出せないという現実がある。
上手い下手ではなく、芸術として成立しているかどうかで、井上有一は高値で取り引きされているわけでね。
そこが残念。 >芸術として成立しているかどうかで、
そうです。
それは外部が勝手に決めること。
欧米に媚びてない江戸時代の作品の評価を考えれば
文章の内容を含めて評価できるのは日本人だけ。
つまり、日本一は世界一になるだけ。
世界がそれを認めるかどうかは、別の話。 >>32
お前を見ると昭和前半の教養教育は完全に間違ってたんだと痛感する。
論理性がびっくりするほどなくて、読んでも理解できない。
教養という言葉を誤解してる馬鹿な中高年の典型。 少し前にもっと酷い「低学歴が難しいこと言おうとした結果wwwwwwww」の
見本みたいな文章書いてたおじさんだよ。 現代美術で書を評価すると
「インクぶちまけドバー系」になるので
それはそれでいいんだけど、
私は文字芸術として詩の内容含めて評価をしてもらえるように
市場を育てる必要もあると思う。 ミケル・デュフレンヌ『眼と耳 見えるものと聞こえるものの現象学』(みすず書房)P.214
「あくまでも詩であろうとする詩が私に期待するのは、まず読むことである。そして逆に、私が中国の水墨画を味わうよう
に、日本の歌絵を味わうことができるのは、単に私がそれを読むことができないからであり、また作品を意識的に歪曲する
ことができないからである。言葉が言葉として機能するかぎり、読むことのできる者にとって、詩的なものは元来絵画では
ないのだから、そこにおいて見えるものが読みとれるものよりも優位に立つことはなく、それが読みとれるものを解体する
ように見えても、それは依然として読みとれるものを理解するように促すのである。」 50〜60年代の”前衛芸術”から同じ所をグルグル回ってる感じ。
「インクぶちまけ」とかポロックがやってから何十年経った?
全然”前衛”じゃないんですけど。 で、こいつは読める支持なの?
結論 どっちなんだよ。
翻訳がヘタなのか? 前衛≒理由のあるインクぶちまけ でいいんじゃないの?
みんなで同じことやってるやん。
こんなの、誰がやっても有名なやつが勝つし、
そういうプロモーターに「売れる」と思われないと成立しない世界でしょ。
作品よりも人物の割合が高いでしょ。
画像検索 前衛書道
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%89%8D%E8%A1%9B%E6%9B%B8%E9%81%93&safe=active&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjWn4jQp57VAhWBoZQKHZyyALQQ_AUICigB&biw=1212&bih=724 読める→文芸墨書=総合芸術
読めない→墨象絵画=美術品 普通に上手い字を書く人はあまり目立たない
下手糞でヘンなでっかい字を書くような人がバカな放送局から声がかかる
昔なら少しは目が利く人間がいたんだろうけど最近はNHKですらミソクソ一緒
高校生のトップクラスのほうが何書かせてもはるかに上手いだろってレベルのヤツが大先生ヅラ
前衛なんてハナから欧米人が開いた忍者教室みたいなもんでジョークでしかない
そんなことより上記みたいな悲惨な状況を変えるためにマトモな人をテレビに出して欲しい
視聴者のセンスがどんどん毒されて達筆というものへの誤解が深まる
大渓洗耳の本、いまごろ読んだんだけど(1円で売ってた)あれで良いんだと思う
書は芸術じゃぁござんせんって断言してあったけど潔いってもんだ 歌舞伎や茶道みたいな伝統扱いの何が不満かね
書をやってる本人たちですら良し悪しが見分けられなくなっていく状況のほうがよっぽど酷い 書の格差それぞれの分業化、いわばマルチメディア化は当然の流れでしょう。
一個人がWWW.で日毎ニュースを発信できる時代ですもの。
もちろんそれぞれの市場評価は時運に委されるもの。
これは操るしかない。 「操るしかない」ってね、その発想が病的だと思うよ。
市場がどうとか、流通量なり取引総額なりね、そのような事はどうでも良いのですよ。
読売とか謙慎とかが総力を挙げたってパンピーは誰ひとり影響されませんですよ
せめて感性の成熟してないおバカなティーンたち(もはや中高年もダメだね)の目が少しでも肥えてくれるように、
テレビに映す筆文字くらいは本当に上手で奥行きのあるものを映してくれよとか。
あぁもうテレビ自体そんなに見ないとかあるんかねぇ困ったねぇ。
ちょっと前なら植村和堂先生とかがNHKでかな書いて見せてたのにねー困ったねぇ 各展覧会を新聞社が後援とかしてるんだから、テレビに出す人くらい紹介して貰えばいいのに。
展覧会の権威も高まると思うけど。
しかし、書は見るのは難しい。歴史が非常に長い上、自然美とは離れたところにある芸術。
見ただけではまずわからない。 専門家筋の人間が、自分の仕事の質をちゃんと維持なり高めるなりのことを忘れて、
どうしたら一般ウケが良くなるかなんてことを考え始めてからがケチのつきはじめだね。
いわんや、国際的な評価って何なんだよ。中国人とか台湾人に観てもらえる作品っていうならわかるよ。
そんなもの求めていってこっちから何かちょっと変わったことをやらなくちゃ、っていうスタートのところからもうダメ
なんか外国マネーでも入ってきたらそれで嬉しいですか???
浮世絵はおフランスでも流行ったけど、おフランス向けに岩絵の具で点描したから流行ったワケではない。
独自の美意識が高みを誇っていたから。浮世絵でも出回っているものがヘタクソだったりスタイル的に未成熟ダメだったと思うよ。 >>50 同意です。ただ見るのが難しいからといって、作り手が迎合しちゃだめ。 逆に書の人たちが、もっと見方を積極的に解説してほしいなあ。
東博や大阪の市博でも、書を見てもそれぞれ何がどう良いのか全く見るポイントが
わからなくて、大量に並んでたりすると全力でスルーしてます。
告白しますが故宮博物院展のときも超大量に並んだ書のコーナーだけ、
ダッシュするようにスルーしました。 テレビの中で操らせてたからアレ(革命家双雲→翔子先生→パフォ書甲子園ライブ中継)になったわけで…
これはこれで経済効果があるわけです
書道業界はホクホク 書道の人、自分たちが選民意識でもあるんです?
なぜ、アレがメディア受けするのか、真剣に考えたほうがいいよ。
今の人が金儲け主義に迎合した結果、
不正審査が常識、自由を認めない風土の書道になったのでしょ?
そっちの迎合した書道をメディアが欲してないんです。
ちゃんとした書道をテレビでやってほしいとか、何様?
youtubeに自分でUPすれば?
再生数でニーズがわかるよ。
他の業界は、みんな自分たちで動画作って自分たちの市場ニーズを把握していますよ。 >>56
それはそれでナイーブな見方だと思うよ。メディアこそ拝金主義コネ社会だよ。 >メディアこそ拝金主義コネ社会だよ。
え?書道業界もそうじゃん。
強いか弱いかだけで。 書はかつては情報技術だったのに
活字に負けたから
その言い訳として、「伝統芸能だ!読めないのはお前らの勉強不足!」
と言っているんでしょ?
主要な技術だったのに伝統芸能に格下げになったってことだよ。 >>58
だから、メディアは腐敗してるでしょ?そこが求める書家ってなんなの?
つまりメディアが何を求めてるかといえば、書の質じゃないということ。
自由を認めない書道界が嫌いなんてご立派な考えを持つメディアはない。 書道は伝統芸能ってw
たしかに文化というより師風継承の芸事だわな
>>56
あなたの書道は自由を貫いてるの? >自由を認めない書道界が嫌いなんてご立派な考えを持つメディアはない。
なんかメディアを完が違いしてるでしょ?
今の、加計問題だって、特区なんだから
首相の指示で動いたってなんの問題もない法律。
それを報道しないよね。
築地と豊洲の問題も、これ、そこの問題よりオリンピックの駐車場と高速道路の建設問題が最大の懸念だよ。
これ、報道していないよね?
NHK含めて、日本をよくしようなんて思いは1mmもないよ。
ちなみに文科省もそんな思いがないのは日展問題で
みなさんは実感しているんじゃないんですか?
だから、いい加減、騙されていることに気付いたら?
あなた達が素晴らしいと言っている書道だって虚像だよ。 テレビでのニーズを考えたら、奥深い鑑賞眼より強いインパクトだからね
静止画が許される日曜美術館を除いては、美の坪ですら流れで食指を誘っている。
放映は瞬間の勝負だから
書を映したその時に視聴者を取り込めなかったら損益なんだよ
堅苦しい書を映しても、退屈だからとチャンネルを変えられたらその瞬間に負ける。
だからやらない といってもNHK教育でしょ?民放じゃあるまいし、そこまで視聴率拘らなくても。
っていうかチャンネルwwwwwwって。相当なお年ですねw >>62
オリンピックで一番問題になってるのは、放射能汚染焼却灰が使用されたコンクリートによる建設作業者の健康被害です。 そんなのどうでもいいよ。何この団塊プロ市民?気持ち悪いんだけど。 >>64
その一例はNHKですらの話
民放にいたっては放映スポンサー料の収益が上がらなくて死活問題になってるから殊更に縛りが厳しい >>62
私の意見の何に反論してるのか全然理解できない。ごめんなさい。 >そんなのどうでもいいよ。
お前が一番終わってんな >>67
そういうもんかねえ。教育テレビなんか能とか雅楽まで放送してるじゃん。
あんなの視聴率コンマ何パーセントの世界でしょ。いや、俺は大好きで楽しみにしてる
コンマ何パーセントの人間だけどw >>69
キチガイプロ市民は旬スレとかいう巣に帰って。
頼むよ。このスレまで壊さないで。 NHK各審議会委員一覧
書家の紫船さんいるよ。
2010年だからね、もう、彼女は雲の上の存在だよ。
この人達の推薦がないと入れないと思うし。
この人達の周りに誰も指摘する人がいないってことだからね。
もうあなた達の業界の影響力は、届かないっってこと。
https://www.nhk.or.jp/bunken/book/regular/nenkan/pdf10/10_813_814.pdf 書道家 永田紗戀
https://www.saren.net/
この人知っていますか?
今のNHK審議会委員に入っている書家です。
当然私は全く知りませんが、NHKはこの人を選んでいます。
みなさん、こんなこと、人生を賭けて、これをやれますか? ああ、一般人だと微妙だけど、書家ならテレビ的には欲しいでしょ。こういうの。 書道なんて誰も見てないんですよ。
筆で可愛い女の子が書けば、それで十分なんです。
ブスとBBAと男は不要の世界なんです。
これを変えるには、今の文化庁のヒエラルキーを捨てるしかないと思います。
こういう状態を作った張本人が文化庁&日展以下の書道組織なんですから。 >テレビ的には欲しいでしょ。こういうの。
テレビ的には、既存の書道はいらないんですよ・・・。
読めないし、解説できないし、欧米で評価低いし。 もしくは、一般人が笑っちゃうような戯画化された、浮世離れした爺書家じゃないの? >>74
NHKは委員を選べないよ
業界がコネでねじ込んでくるんだから
デ書業界とか デザイン書道系、読めない系、読める系の3つが
ごっちゃになっているから
デ書系が読めない系のようなふりして
偉そうに語るんだよ。
読めない系が、下手すぎるんだけどね。 テレビなんてさぁ〜 ってお前ら高円寺の売れないアングラミュージシャンかよw
いい年したジジババがみっともない だから売れないアングラミュージシャンが高円寺の居酒屋でテレビに出てる奴は
糞だって息巻いてるのと同じダメ男感を感じるんだけどw まずは街に出てアクション起こさないとな
ジーサンバーサンには誰も声をかけないだろうが、若者ならチャンスはある まずは街に出ようぜとか、いよいよ高円寺臭がキツくなってきたが大丈夫かww >>41
にしても、今の近代詩文書がね、他人の言葉を書いてる時点でもうあとは「書き振り」しか残ってないわけじゃないですか。書を主張する要素が。
となると、書って結局、文学の第二芸術なの?って話になるわけでね。
石川九楊の主張を超えられないわけですよ。
現代美術の書は、インクドバーにならない方向に向いていく必要があると思ってます。今だにやってる人は不勉強なだけです。 >>47
そう。大渓洗耳は潔いと思う。書は日本国内だけのもの。芸術にはなりはしないと。
井上有一を評して、こいつは書が国際的になれると勘違いしてると言い放った。
だけど、それは誤りだったんだよね。井上有一は世界の美術マーケットで、ある程度の価格で取引されてる。
いわゆるここのみなさんが言ってるインクドバーの抽象表現主義の影響を受けた書家だった。
新たな書の出現が待たれるのは、彼以降に何をするかではないのかと。 >>56
努力の方向性を間違えなければ、市場云々の問題は解決されると思ってます。
少なくとも、芸術はユーチューブでは測れない。ましてや、マスコミにも測れない。
ズバリ言えば、美術マーケットは、マスコミとは無関係にバスキアに120億もの値をつけるわけでね。
マスコミは後追いするだけでしょ?
書も、バスキアみたいになればいいんですよ。そのための模索をした方がいい。 バスキアに高値がつくのは彼がアメリカ人だから。アメリカの投資マインドと
経済力が彼の作品の価値を保証してる。
書は解説なしには素人に理解できないという意味では最初からコンテンポラリーアート
の要素を内包している。つまり文脈や歴史を踏まえないと評価できない芸術。
自然の模倣から始まった絵や彫刻の西洋芸術とは成り立ちからして違うものであるから、
今更西洋のコンテンポラリーアートを模倣するなんて言うのは何も理解できてない人の
お遊びにすぎない。ただ、残念ながらそれに興味を持つ人もいるでしょう。 >>94
え?誰もコンテンポラリーアートの模倣なんて言ってませんよ。世界的な芸術として理解されるための作法とし西洋近代絵画の歴史を理解することは不可欠だと思っていますが。
それは日本画出身の村上隆さんも言ってることで、当然のことだと思ってました。
確かに、書が解説なしに理解され得ないものであり、歴史があるのもわかります。最初に断っておきますけど、それを否定するものではありません。
むしろ、その歴史を踏まえての新たな動きをしないといけないでしょう。
バスキアはアメリカ人だから評価されたというのは、これも理解していますが、だからと言って日本人が諦める必要はないですよね。
それに、日本人にだって投資の感覚はありますし、現に中国では現代アートは盛んです。遅ればせながら、今の日本にも可能性はあるのでは? 村上さんは需要を調べて作ったらしいですね。あの17億の少年のとか。
あとはドクロがたくさん描いてあるのも、もちろん。云々かんかん言ってました。ニコ生で。 中国では書のマーケットがあるらしい(行ったことがないけど)
それは書を読めて内容を理解出来る知識人が一定数いるからだと思う。
中国事情に詳しい人、どうですか? 書なんかやってる奴には、まだシナを美化してる奴がおるん?
書を読めて内容を理解できる知識人? 現代のシナ人が芸術に本当に興味あると
爪の先ほどでも思ってるなら脳に蛆わいてるよ。投機品としての利回りしか考えて
ないっての。 >>97
いますよ。中国、台湾、知識層というか、文人墨客を有り難がる文化は存在します。そこは羨ましいですよね。日本の現代書家も、一般の書道好きには知られていて、驚いた覚えがあります。
彼らは日本の書は畳の上で書くダイナミックなものと認識し、リスペクトもしています。
普通の主婦や若者も、書の展覧会にふらっと立ち寄るくらいの素養があり、素晴らしいと感じました。
ただ、98さんがおっしゃるように、投機目的の知識層も存在していて、しかも彼らは「書よりも絵が儲かる」と考えているみたいで、書はそこまでではない。
もっとも、現代アートが投機と切り離せないことは明白なので、野心家の中国人が現代アートに強い興味を持つことは、理解できます。 すごく良いスレです。
面白いです。
皆さんのそれぞれの意見がいいですね。
私は、インクドバー系、読める系、読めない系なら
もっとも手薄な、逆に、可能性がある読める系が気になっています。
ここで教えてもらった方以外にもいるなら見てみたいです。
その方の作品の処理方法として、答えの一つが出ていると思っています。
でも、他にも別処理をする人がいるかもしれないと思うと気になります。
近代詩文書は、読める系に戻したら武田氏の上位互換になるのが精一杯かと。 >「書よりも絵が儲かる」
ここなんです。
このトレンドを変えるには、
極端な話、戦争をもう1回やるくらいのことが必要だと思う。
絵は投資目的で、価格が長期的に上がり続けるという流れができています。
不景気が長期化した日本では難しいけど
ZOZOタウンの社長が書家を買うくらいにならないと… >>100
私もそう思ってます。皆さんの意見から何か別のとっかかりができるのではないかと。
すみません、別処理とは?
私は石川九楊氏の若者時代の作品に、一つの答えを感じました。 >もっとも、現代アートが投機と切り離せないことは明白なので、野心家の中国人が現代アートに強い興味を持つことは、理解できます。
本土以外でも、チャイニーズのいるアジアの町には現代美術のギャラリーがたくさんできてるのが
最近の傾向。それがかっこいいライフスタイルだと思われてることも多少は関係あるが、
でも、あくまで投機がメインなことは、やつらと付き合って、やつらの買う美術雑誌を
読んでみると痛いほどわかる。 >>101
そうなんですよね。ある種のパラダイムシフトが必要かなと。あ、戦争はイヤだけど笑
それには、書の持つ性質である言語アートとしての側面を見せつけてはどうかと、僕は考えているんですけどね。 >>103
ご情報ありがとうございます。そうなんですね。
どこかのギャラリーのオーナーさんが書かれていた本にもそんなことが書かれていた記憶がありますが、やはりそうなのかと納得しました。
質問ですが、日本画を発展させたアーティストの作品て、アジア各地では人気があるのですか? >>105
場所によりますね。人気がある地域では、日本画かどうかというより、洋画でも抽象絵画でも
日本人が書いた、ということのほうが意味があると思います。ま、いってみれば
経済的にはもう二流とはいえ、文化の洗練度や流行、おしゃれはまだまだアジアの先端は日本
だと思っている人が一定数いますので、そういう層には日本人の作品だということが
プレミアになります。 >>106
なるほど、ここしばらくの疑問が解けました。ありがとうございます。 あと、もう一ついうと、正直、彼ら作品の良し悪しなんか全くわかってませんし
気にもしていません。まあ、書ならジャンル的にまだわかるのかもしれませんけど、
現代美術なんか、わかる素地すらない(だって学校教育にすら美術ないですし)のが
実情です。となると、ものをいうのは学歴です。え?と思うかもしれませんけど、
たとえばガロさんがNYかロンドンの美術学校か、欧米のいわゆる一流大学の出身か
どうか。それで値段が左右されたりします。 >>108
わお。残念ながら日本の国立大の書道科出身です笑
ものすごく勉強になります。やはり、本から得た知識では限界ありますね。とてもリアルな雰囲気伝わりました。感謝。 ガロさんくらいですよ。この板でまともに芸術の話できるの。いや、もちろん
このスレの名無しの皆さんも見識高いですけど、やはりコテで一貫していいこといってる
ガロさんはいいなと思います。見るも無残なゴミスレを覗いてしまった後で、こうして
ガロさんと話すとほっとします。 結局、日本の抽象画の評価は
マクロでは
日本国全体のブランド次第ってことでしょ? 大筋ではね。ただ、ロシアバレエみたいに国としてのイメージが地に堕ちても、その
ジャンルでは揺るがないブランドというのもありえるけどね。 >>112
藤田伸也スレと旬の展覧会スレの熱い糞争い >>110
わお、それはこちらのセリフ。作品褒められるのより嬉しいかも笑
書家の方々の見識は、皆さん活動されてて自信持ってらっしゃるし、本格的なものだと思いますよ。
さっきの書は元々コンテンポラリーアートの要素を含んでいるというご意見なんて、なるほどなーと思いました。
実際、アートバーゼル香港では、中国人の伝統書っぽい作品もあったみたいだし、見識がある層には、魅力的な芸術であることは間違いないので。道は違うけど、可能性を感じて頑張ってほしい。
ただ、マスコミに頼る書家の方々の悪口は必要ないかなと。彼らの目的と、こちらの皆さんの目的は元々合致しないですし。
彼らは書を一つの媒介物として、何か別のことを求めてる気がします。 >ただ、マスコミに頼る書家の方々の悪口は必要ないかなと。彼らの目的と、こちらの皆さんの目的は元々合致しないですし。
そうそう。高円寺のボロ居酒屋にたむろする売れない独りよがりなミュージシャンの飲み会
愚痴会みたいになってもね。まして、こういう明らかに平均年齢高い板で、ハゲや
白髪の爺さんたちがそんなことしてるのは、ほんとダメオの臭いしかしません。 >>117
アドバンテージがどこにあるかって、彼らはマスコミへの乗り方が上手くて、彼らにはないものを、彼ら以外の本格派の書家が持ってるなら、それぞれに目標達成を目指されたら?と言いたくなる。
結論は出てるのに、何度も蒸し返すのが見てて辛いですね。 高円寺にサザンやB'zより売れてるミュージシャンは一人も住んでないの法則ですな。 前スレ935に沢村澄子の名前が出て驚いた。記憶違いでないなら新潟大学書道科卒?
そんでもって三十年ほど前、岩手大学書道科で聴講生してた美女なら心当たりがある。
石川九楊は京都大学卒。松岡正剛は早稲田中退だけど筑波大学の今井凌雪とコラボ。
学歴は書道科に限らぬ必須要件。教養があり、読めるのが大前提。作品はともかく。 >>120
沢村澄子さん、ご活躍されていますよ。ファンも多いです。 >>59 なんか例えようもなく頭が悪い女って印象のレスだ
男だったらごめんぬ 音楽の例えが出てきたところでね、
たとえばオイラの第二の趣味であるギターを例に考えてみる
これまず本場はスペインですな、んで、イギリスでもフランスでもイタリアでも
んで南米。エレキに至ってはほぼ世界中に普及しているけど
伝統としての根付き方の深さと、それを国民がどのくらい日常的に親しみ、大切な文化として守ろうとしているのか。
上のほうで台湾のひとは一般人でも書展を見るとあったけど、それと同様に生活の中にギターが溶け込んでいる
料理の腕前を競うがごとくにギターの腕前も披露される 道端でばーちゃんが歌えば、その隣のばーちゃんも歌いだし、踊りだす
日本人羨ましい限りだ
>>54 >>59を書いた人間のような、浅ましい拝金主義とはちょっと違う世界なんだな。
これこそが文化ですよ。世界的評価だとかニーズだとか、文化的値打ちの上下など、、無関係なところに存在しますよ
なにやらノサバッタ者勝ち??のような病的思考、日本人これ多すぎです 日本人はやれ、音楽ひとつとってもまったく節操がない本来的な愛情がない
そもそも大方の家庭において、日常的に楽器をやるような品性とゆとりを持ち合わせてない
選民意識だとか噛み付かれたから言ってやるけど、裕福で家柄が良いから音楽を嗜むんじゃないよ。
ものを知らなさすぎる。
そういう本来的な愛着を持たない者に限ってロックはもう古い、
これからわR&Bにレゲエだのレコードでクラシック聴くのがオシャレなんだぜみたいな。
現地に行けばそんな流行り廃りなど関係なくロックは根付いているし、地域性があるだけ
レコード見向きもしなかったくせに、最近になって飛びついたのも日本人だけ。レコードは海外ではずっと現役ですよ。
展望を語らせると、かならず現状否定から入って「これからは〇〇だぜ」。こういうのほど信用できないものはないと思ってる >レコード見向きもしなかったくせに、最近になって飛びついたのも日本人だけ。
さらっと嘘を書かないように。
>現状否定から入って「これからは〇〇だぜ」。
こんなの気になるかな?
書道作品を見れば解説はいらないけどな。
そもそも、そこに書いてある内容がその作品の主張したいことだろ? レコードは嘘でねえって事実だべ
書いてあることが作品の主張したいこと?ずいぶんと子供じみたことを仰る
作品は何か主張しないとイカンのか 音楽は理由がなければ聴いてはいかんのか?
飯を作ったり歌を歌ったりキスをするように書くことが当たり前になっている中で
書かれた文字姿の視認から看取される味わいと刺激が書であるなりよ
文章の内容がマズイものであっても、上手い字であれば書たりえるのです
さすがに言語的に破たんしていたり誤字はダメ 読めない書なんて書じゃない。
身振りたっぷりのパフォーマンスと化したら、それは身振りたっぷりのパフォーマンスで
書としては見られない。何故かって?技法の蓄積と伝達は抜きにしちゃダメだからです。楽器と一緒
最後らへんのは私見 私見だけどたぶん正鵠を射たもんだと思ふ
デザイン書道系の字が見ていらんないのは習うべき要素が見当たらないから。
あぁ〜ウマイね。真似してみたいね!っていうのがない。だから魅力がない
困ったよ。おらが県の県美展審査員の片っぽがヘッタクソなデ書家になってた。
おらは出してる人じゃないけど、ブログなんか見てもアイツに審査なんて無理だろ感はすごい。
時代の流れ的にしょうがないのかいコレ なんかテレビじゃ「料理研究家」も素人に毛が生えたヤツの小遣い稼ぎ場と化してるし、、、
井上勇一のレスくれた人。でもねでもね洗耳は井上勇一の技量を認めてたよ
し、おれも技術が卓越してると思う。山とか具徹くらいしか知らんけど。あんなの書けないよ。 >作品は何か主張しないとイカンのか
何も主張がない作品って見たことないんだけど。
あったら、それは究極の作品でしょ。 >>127
私ですね笑
はい、書籍だけですけど存じ上げております。高校生の時に大渓洗耳の「あの本」の大ファンでした。
「書をダメにした7人」で井上有一について好意的に書かれていますよね。
でもその最後の部分で言ってるんですね。
書が国際的になると勘違いしてると笑 >>128 いえいえ、文章の内容が作品の主張であるべき、とまでは決めつけられないと言ったまでのこと
お歌と一緒ですよ。ボブディランさんが文学賞をもらって当惑したようなことです
>>56の選民意識の人へ、詭弁を言っちゃあいけない
漢文古文の読み方くらい書籍がいくらでもあるし、書法の解説書も出し惜しみなく出てる
読めない書けないのは本人の勝手であって、選民なり差別なりと一緒にするとは言いがかりであるぞ。
不正審査と自由のない風土は、そうした書壇の集金システムと相互作用があって醸成されたモノに違いないが
そこにいる作家たちの作風書風と直接の因果関係があるわけではない。
不正腐敗は環境の変化が乏しい事、刺激が少ないことと無関係ではない。
が、だからといって刺激的なパフォ書が素晴らしいということにはならない。
逆に不正のただ中にいる作家達の中でも、技術面に重きを置かない人物がそういう方向へ流れやすいのは想像に難くない。
いろいろ勘違いしたまま迷走しているのじゃ気の毒だ。 >>129 まぁ、大渓さんの言いたいことは、仮にちょっと認められたからって国際化はないじゃろって事でしょう
浮世絵とおんなじですよ 仮にフランス人が浮世絵教室をじゃんじゃん開いて生徒が集まって、、といったって、まだ、、、
アメリカとかにある忍者教室とかよくあるでしょ?見てると「う〜〜〜〜ん、、、」ってなるあれ。
外国かぶれのニワカ文化人は危険ですよ、ちがう角度から見たら超はずかしいことをしてるかも、って警鐘を鳴らすようなこと
中国人や台湾人に顔向けできる要素は大事だと思いますよ。井上さんのは「ほぉ。。。」となると思うけど。 >>131
忍者教室笑
なるほど、面白い喩えですね。いや、でもその井上有一に対して大溪さんはおっしゃったわけなので、
おそらく「書とは日本の中だけで閉じていていい」という考え方だと思います。もちろんそれが悪いと言う意味では決してなくて。
先ほどどなたかがおっしゃっていた、もともとコンテンポラリーアートの要素を含んだ教養としての、文化としての日本の書道でいいんじゃないかという考え方でしょう。僕はその感覚はしっくりきますね。
でも、僕は国際化にチャレンジしますけどね! >>132 国際化にチャレンジなさるのですね。難しそうです
それは何って、やっぱり「わかるのかなぁ」という疑問です
ひとつ、最近は外国人留学生が増えておりまして
日本語学校では日本語を教える際に、筆で半紙に「ごはん」とか「欲しい」とか書かせて
日常語を覚えさせる授業をやっているのであります。ネパール人とかに
あれならば曲がりなりにも書道の国際化だよ、って思いますけど
白地に黒でズバシ!そして斬新かつエキゾチックなインテリア!という着想ではいかがなものと思いますが
そこを超えるためには何を?もしくは現地語で書くのでしょうか >>133
いえ、日本語で勝負します。例えばそれは、ジェニー・フォルツァーの「私の欲望から私を守って」みたいな、言語アートとしての可能性ですね。
あの電光掲示板の作品を我々日本人は鑑賞できるわけですから、その逆もまた可なりかと。
ズバシ!の表現形式では、1950年代の抽象表現主義との類似を指摘されて、おしまいですから。 ここでは話題に出たことないと思うけど、アラビア書道っていうのも歴史が長い。
ペルシャ写本みたいな古典もあるけど、最近のモダンアートっぷりは凄い。 不勉強なのでジェニー・フォルツァーを検索してみましたけど、納得しました。
言葉がどんと腰を下ろしていて、その場を見ているような迫力を。
見ている人は、むしろ見られているような感覚を、言葉のもつ意思がもたらす
抽象表現主義と違う点はそこで、
外国人が日本語を読めるに越したことはないけど、間接的にでもカタルシスを得させたい。
書の一要素が変質してたどり着いた白黒の具象ではなくて、正当な姿で攻めていこうとされているのですね。 >>136
さすがですね。全てその通りかと。非文字作品は、あの時代だからこそあり得たわけで、現代ではご指摘のように、やはり手詰まりの印象を受けます。 >>135 ユダヤとかヴェーダとかイスラム系の文化については日本人は馴染みがほとんどないから、
それこそ見た目の面白さ以外には味わいようがないっすね、、
意味もわからず壁にかけておいてもオシャレに演出できそうだけど、内容を知ったら怖い思いをしそう。
仏像なんかはただのインテリアとしても十分通用しちゃってるんですよねぇ。。 >>138
その感覚でいいんじゃないのかな。西洋人が東アジアの書を現代アートとして見るときの感覚が
追体験できるよ。 >>137 手詰まりでしょうねぇ、、二色しか使えないし。
アメリカには中国人街もあるわけですけど、彼らの書なりは当地ではどういう扱いなんでしょう?
やっぱり黄色人種くさいってことで、あまり重くみられていないかもしれないっすね
最近の海外ドラマでも、おちぶれた白人公務員が中国人街でマージャン賭博に溺れてる描写があったし
正当に評価されるなら、ジェニー・フォルツァーの何歩も先を行ったものだって作れそうなのに。。 >>139 私も、教義なんかサッパリでも仏像(明王系とか)無性に飾りたくなるときありますよw
まぁ、そのナンチャッテ感も厭わずにやり続けることで国際化に近づくんでしょうね。
ビートルズはアメリカに上陸したとき、ブルースメンから「ド素人のギャグみたいな演奏」と可笑がられて、それで売れたんですよ
ピコ太郎みたいな扱いだったということです >>140 うーむ。なんかチャクラが開眼しそうです。でもすごい緻密に作ってますね。
こういうのは、けなす気がおきない。 >>143
俺は、活字でごくごく簡単なことが書いてあれば、ペルシャ語がほんのちょっと読めるんだけど、
書になると、ましてアラビア語だし、元は文字なんだなくらいにしかわからない。
だけど、だからこそアートとして楽しめて、こういう風に装飾的にくっそ綺麗なものとか
たくさんあるから、見てて意外なほど面白いんです。ドーハでアラビア書道の大展覧会
やったときに偶然見たんだけど、えーー!こんな書道もあるの!と驚くようなのが
たくさんありましたよ。 >日本語学校では日本語を教える際に、筆で半紙に「ごはん」とか「欲しい」とか書かせて
もう、それまんま、うどよしやん。
世間で、どういう評価なのかしらんけど。 アラビア文字…1000年前のでも読めるんですよねぇ
いろんな事は、だいたい明治のせい… >>141
こないだようやくメトロポリタン美術館に井上有一が収蔵されたレベルですね。
書道はまだまだです。 >>144 いやその、サンスクリット語(梵語)のマントラとか
留学生の関係で現地から寄贈されたものに触れたことがあるんですが
あれなども立派な調度品でおそろしく美しいですな
ペルシャ絨毯もすごいしね。
>>145 あぁ、うどよしって最近留学生相手に商売を?
>>147 まぁでも、快挙ですね、メトロポリタン美術館だなんて。
願わくば、忍者みたいにおおいに誤解されたまま受け入れられるのじゃなく
できるだけ面目を保った形で伝わって欲しいな。 >>148
わからないが素晴らしい。これ、日本人コレクターの言葉です。わからないから、自分の先を行っているから、彼らは買うのです。 >>148
>留学生相手に商売を?
すまん、留学生ではなく旅行客っぽい、ちょっと間違えていた。
偉い書家なら面倒な旅行客相手に書道なんて教えない。
所詮2流ってことなのかな? >>149 あぁ、わかる気がします。もみ手すり足で歩み寄っちゃぁ安くみられてダメですなぁ。
>>145うどよしはねぇ、たいへん素晴らしいと持ち上げるほどじゃないが、俗悪な字を立派だと偽って売るような
コケオドシ的要素もあまりないと思うので、嫌う理由もないんだよなぁ。
リーズナブルな感じで良いんじゃない?って思う それに意匠には割と精通しているよな。 >>150 あぁ、ウィキペディアで勉強しましたよ>旅行者
ウィキベディアには変な解説がしてあったなぁ。。 中国の書関係の出版盛況ぶりは日本の比じゃないね。
法帖類が驚くほど沢山出版されてる。
需要があるから出てるんでしょう。
日本では書関係の新刊がめっきり減りましたよね。
二玄社もかつてほどの元気ないし >>151
>意匠にも精通
私は、こういうパターンの人を見たことないから
世間の評価待ちってとこです。
ただ、彼のやってることは、簡単に見えるから、世間から理解されるのは難しいだろうなとおもい
自分でやってみると、難しいんですよね。 >>154
うどよしフォントなんてのを見つけましたよ
http://jungle-fgwstore.jp/category/FONT/JS000234.html
こういう器用なところがあるから、それなりに食えてそうですけどね。
書風も、けっこう関西系の花田峰堂の隷書だとか木村卜堂系の書きぶりとか研究していそうで
地味に難しいことをしてる。
でも一般人にはあいだみつをと変わんないでしょうね、、
>>153 中国や台湾は店舗の看板でも筆文字率が高いし、皆おしなべてうまい。
日本人ほど将来を危惧なんかしてないでしょうね >>124
レコードって何の事か一瞬わからなかったけど、LPやカセットテープの事だったんだな。 >一般人にはあいだみつをと変わんない
難易度の割に、世間では「相田みつを」との評価になるから、誰もやらないのかな。
地味に難しいことって、書の専門のこのスレでも
なかなか理解を得られないんだね。 >>157
メッセージ性のある言葉で癒しを、という人はアマチュアにものすごくいますしね。 >>158
ありがとうございます。
たくさんいるんですけど
彼は、読める詩文を書くというジャンルでは
生きている人では
書的条件をクリアしている唯一の書家と思います。
彼を持ち上げたいのではなく、彼でできるのだから
他の方もチャレンジしてほしいと思うばかりです。 こんにちは。
みなさんの白熱した論争をみて、なんだか勇気をもらえました。
自分は詩作と書作を両方やっているのですが、いつも相田みつを系とバカにされてきました。
でも、みなさんの書き込みを見る限り、方向性としては間違ってないみたいですね。
もっと自信をもって、誰かと比較することのできないような作品を書いていこうって思います。 >>159
そんなにうどよしが好きなら作品を買ってあげなよ
作家を応援する一番の近道は、その人の作品を買ってあげること >>161
その通りです。うどよしさんを応援したいなら、それがベストな方法。
うどよしさんは、作品の価値を維持させる努力がコレクターのために必要です。 >>161
フォントは買いました。
作品を売ってない人に、売ってくれというのは変でしょう?
これは、過去ネット配信で質問したら
「今売っても安いから売りたくない。」と意外とビジネスマンでした。
まあ、書作品は元が安いから、彼がもうちょっと有名になってから
高い値段で買ってあげたほうが応援でしょ。
>>160
>相田みつを系
漢字と平仮名で読める=相田みつを なんですよね。
世間の認識を変えていかないとですね。
どんどん創作してみてください。
もし、ご存じなかったら、彼の和様のサイトは参考になると思います。 >>163
それは美術マーケットのセオリーではないですね。
むしろ、応援するのは作家の側なんです。作家はむしろ、儲からない仕組みです。
1.まず、作家は安い価格で所属ギャラリーを通じ、国内のコレクターたちに作品を譲る。この売り出しのことをプライマリーという。
2.国内のコレクターに作品が行き渡る。
3.誰かがオークションにかける。
4.作品価格が上がり、落札される。この転売をセカンダリーという。
5.セカンダリー価格が上がったため、全国のコレクターの持っている作品の価値が高まる。
6.所属ギャラリーでのプライマリー価格が上昇し、つまり、作家の人気が出て、ギャラリーも潤い始める。
この一連の流れに沿わなければ、一般にその美術品には価値がつきません。お気をつけください。 >>164
彼も知らないでしょうし、皆さんも知らないでしょう?
@ギャラリーに所属させてもらう。
Aギャラリーを通じて売って複数の所有者を作る。
Bセカンダリで転売し、値段を上げる=所有者全員、価値が上がることになる。
おもしろいですねー。 >>165
本当に、面白い仕組みですよね。これが世界共通なんだから。
うどよしさんは、まず僕みたいに所属ギャラリーに持ち込むことからスタートです。 書は美術マーケットからはずされているから、作家自体が作品の売り方を知らないってことですね。 >>167
お恥ずかしい話ですが、その通りなんです。
ですから、個人商店としてマスコミに売り込み、
美術マーケットの仕組みを知らない視聴者に高値で売るつもりなんですかね。 僕は思います。多くの美術関係者が、国内の美術マーケットの活気のなさに四苦八苦して、
なんとか活性化させようとしている時期に、
書道はまだこんな状況。
情けないを通り越して、悲しくなります。 墨滴会ってもうないのか?
海外から帰って先生さがしを始めてのだがorz 画廊は夜も開廊したりワークショップをしたり色々がんばっているみたいですね。
うどよしさんはこのスレを見ているそうだから、これから売り方を変えるかもしれませんね。 大学時代、書道科展に出したのを五万円で買ってくれた陶芸家がいた。
友人の写真家が斡旋してくれたけど、自分で気に入らないのを売るのは無責任と思った。
で結局、返して貰った。友人は陶芸家から「二度と連れてくるな」と言われたとか。
それでよかったと思っている。作品らしきものは全部廃棄。作品ではないのだから。
作家が作品をつくるのではない。後の歴史や他人の教養が、遺品を作品にする。
ただし商品なら話は別。画工のは商品だが、文人画はそうでなかった様に。
もしかしたら文人精神自体の矛盾が、作品という西洋概念と衝突しているのかも。
展覧会も芸術も、今は西洋概念に準拠する。それ以前のは書画会や六芸だ。 >>171
はい。価値のつかないものを価値あるように装い、数百万で売るなんて、良識ある方には出来ません。
あと、オリジナルを売らないのは、オリジナルの作品点数が少ないからかも。
井上有一は3800点、立派な作家でした。 >>172
ありがとうございます。その問題は私も感じています。
あなたのお考えはとても良くわかりますし、ある方々にとっては正論なんだということもわかります。
書道でも名品と言われるものは、美術的価値があると見なされます。それも相当古い時代のものです。
こないだ国内のオークションで光明皇后が出てました。1000万円のエスティメイト(落札予想価格)で。
近代では、比田井天来もヤフオクで80000円とか120000円とかでしょう?なぜだかわかりますか?
カタログレゾネ(全作品集)がないからですよ。
ピカソやゴッホやバスキアには、このカタログレゾネがちゃんと存在します。つまり、作品の存在証明となるのが、このレゾネなのです。
このように、日本の現代の美術マーケットは、おっしゃるとおり、西洋概念を取り入れているわけです。
でも、レゾネは絶対必要です。でないと、贋作を疑われる。美術関係者は、その作家の作品である確証がないと、怖くて手を出してこないのです。
だから、日本の現代の書家には、価値がつかないのです。なぜなら、この概念は通貨と同様、世界標準だから。それにのっとってないものは、極端な言い方をすれば「美術品ではない」状態にあるということなのです。
もし、現代の書家が作品を遺したいなら、最低でも制作年、作品画像、サイズを明記した一覧を作っておくべきです。
そうして、死後の再評価を待つのです。 >>175
なるほど。レゾネの重要性が分かりました。
井上有一の近年の作品価格高騰はレゾネがあるからですね。
レゾネにない作品は無視すればいいのだからコレクターは安心して買えますしね。 >>176
はい、おっしゃる通りです。物故作家の場合、新作は出てきませんから、最後は争奪戦になります。それで値上がりするのです。 >>172
誰もが知っているクラシック作曲家ですら、後世の誰もが知っている名曲なんて、彼らの“レゾネ”中、ほんの一握りの作品だけなのに、
「美術品として流通するに相応しい私の代表作」の完成を待ってる暇があるのかな?
と思った。
自分の手を離れたものは持ち手の物
この一線を守れなきゃ、どんな分野のアーティストとしてもプロでは食っていけないと思う。
お金は表装代の肩代わりでいただいたんだと思うけど、
返却を求めたのは失礼だったと思う。
固辞すべきでしたね。
結局、セカンダリ価格(作家の値打ち)も他者が決めるものでしょ >井上有一は3800点、立派な作家でした。
作家のキャリアはこれに尽きるね >>179
はい、まずは売り物をたくさん作ることを求められるので。井上有一もそれに従ったのだと思います。 井上作品、本当は3800点以上でしょうね。
彼の死後、つまらない作品は燃やされたと美術関係者から聞きました。 >>178
>固辞すべきでしたね。
最初の商談体験とはいえ、あれは確かに不覚だった。二十歳の失敗と嗤ってちょ。
あれ以来、作品という概念自体に慎重となった。クラシックの作品番号は興味深い。
ちなみに現物は素人の裏打ち程度。大学所有のアルミ額から外した、ほぼマクリ状態。
そんなのをマトモに表装したら、どれだけ費用がかかる事かと心配になった面もある。
断じて、そこまでする価値はないと確信した。だから返して貰った。勉強になった。 >>181
なるほど。
井上有一は肝臓癌に冒されても、ギリギリまで作品制作をしたようですから、自分で整理する時間がなかったんでしょうね。 >>182
その信念、カッタッッッ
だからその陶芸家はその精神性が作品に現れていて魅力を感じたのでしょうね
その時のあなたには、あなたの作品の魅力がわからなかったのかもよ
他者はわかっていた >>171
まさか、本人?
>>166 のアドバイス聞いてくださいな。
書展の成功をお祈りしております。 >>186
実際に書いた枚数はその数十倍数百倍かもしれませんね。 おっと
そうなると
習作にセカンダリプライスがつく書作家も出てくる可能性がありますよw 習作というか、手紙(尺牘)はセカンダリプライスつきますよね
日本では書家の手紙は殆ど売れないけど、中国では近代書家の手紙が結構な値段で取引されている >>156
LPは「レコード」ですが、カセットテープは「レコード」ではありません。 そんな古代の技術よくわかんないです。昭和生まれなんですか? 3800点って毎日1点 作品として仕上げても10年かかる。
これは、適当に書いたものや同じものの型違いなど、色々含まれていると思う。
そんなにたくさん低品質のものが、市場に出たら価格暴落しちゃいます。 富岡鉄斎は書画合わせて一万点以上を書いたそうだ。
鉄斎は駄作も多いけど、それでも価格暴落していないでしょ。
気になるならウナックに行かれてカタログレゾネを見せてもらったら? 比田井天来さんの作品の真贋鑑定は………なんですよね。詳しくは言えませんが…
ネットオークションには同じように見えるものがよく出品されてますね。
手紙、竹内栖鳳の絵はがき?ならいつだか落札したかな。
栖鳳の絵じゃなく… 鉄斎で思い出したけど、最近は書画を両方やる人が少ないですね。
米フツも黄庭堅も蘇東坡も書画両方やっていたそうだけど、その伝統は消えたのかな? >>192
一般に作品数の多いか少ないかがその作家の価格に関係してくる。
宮崎市定『木米と永翁』(中公文庫)に「ピカソの絵の値段」という文があって、そのことが書かれている。
御一読をオススメする。 >>188
もちろん全て処分されてます。ただ、この間地方のギャラリーで、井上有一の臨書が 1,000,000円で出てたみたいですね。小さなサイズです >>192
確か1949年ぐらいから、1985年までの間ですので、10年ではなく、36年間で書かれたものですね >>197
ピカソは生前、自分の絵の数をわざと過少申告し、価格をつり上げたりしていたようですね。
実際には超多作で、15万点弱でしたか。ゴッホが約2000点ですから、70倍にあたります。
で、作品価格は両方とも現在では150億円超のものが存在するわけで。もう二人は亡くなってますから、知る由もないわけですが。 >>190
>LPは「レコード」ですが、カセットテープは「レコード」ではありません。
うん、基本そうだと思った。でも最近ミュージックテープが人気と聞くから入れてみた。
というのも三十数年前は、LPと同価格でテープ商品が販売されてたからなのよね。
例えばグラモフォン。ベームのドヴォルザーク《新世界より》CG3269は2600円だった。
その後2000円のテープが出て有難かった。《冬の旅》はテープ一本4600円が痛かった。 ガロさんに質問したいのですが、落款印は作品の真贋の決め手にはならないのでしょうか?
天来にしても落款印は網羅して研究されていると思うのですが、落款印があっても真贋は判断出来ないのですか。 >>203
3Dプリンターも存在する現代において、落款印を偽造されたらおしまいかなと。もちろん、それを鑑定家がどう見るか?でしょうけど。
書道ではありませんが、棟方志功なんて怖くて手が出せないと、あるギャラリストは言ってました。レゾネの有る無しは、後の世に影響を及ぼしますね。 >>204
なるほど。今は落款印があっても本物とは確定出来ないわけですね。
棟方志功は東京美術倶楽部の鑑定書があっても安心出来ないと聞いたことがあります。
やっぱりカタログレゾネは大切ですね。 >>205
そうなんですか。鑑定シールもあてにならないのか、、、
情報ありがとうございます。
はい、これからの芸術家は自作の著作権を守る義務もあるだろうというのが、僕の考えです。
死後評価されるかも、といっても、実現にはある程度の見通し(歴史的に意味のある作品であり、作家なのか?)と、それなりの準備をしておかないといけないわけで。 >>194
>比田井天来さんの作品の真贋鑑定は………なんですよね。詳しくは言えませんが…
くわしく 相田みつをって死後作品が増えているって噂、ホントなの? >>208
相田さんこそ、レゾネ作れそうなもんだけどなあ。 >>210
いや、マトモな人間のやることではないでしょう笑
でも、ただの噂なんじゃないですか? 猫だって2匹いたら子供をうむんだもの 書だって増えるさ
みつを 共感したので引用
『相田みつをの「にんげんだもの」を見ると私はぞっとする。
なにより「にんげんだもの」と筆で大書したその字がいやだった
無造作を装っているうちに固まった字である。
「にんげんだもの」は何にでもくっつく。「いろいろ あるんだな にんげんだもの」
「感動とは 感じて 動く と書くんだなあ」「まようときだってあるさ凡夫だもの あやまちだってあるよ おれだもの」
これがなん百万という人を動かすのだ。 こんなご託宣なら誰だって言えるが、十年書き続ける人はない。
まじめなことを、まじめくさって言うのはヤボである。
そこには含羞や笑いがなくてはならない。「にんげんだもの」にはそれがない。
まじめくさった凡庸な説教があるのみである。』
(引用 山本夏彦『夏彦の写真コラム』新潮社) >こんなご託宣なら誰だって言えるが、十年書き続ける人はない。
なんかに似てるな、と思ったら、あれだ、長渕剛 >まじめくさった凡庸な説教があるのみである。
やっぱり長渕剛。 >無造作を装っているうちに固まった字である。
うどよしにもその傾向があるね。
熱烈なファンの方がいるからこれ以上言わないけど。 >>217
近代詩文書の方が固まってしまって身動き取れないんじゃないの?
熱烈なファンって、あなたの自作自演なのでしょ?
熱烈な書道ファンが、その名前をたまに聞くくらいですよ。
まだまだこれからの人、未知数。 >>218
僕はこの方の名前はここで初めて知りました。売り出し中なんですか?うどよしさんて。 >>218
残念ながら自作自演ではありません。
このスレには>>159、>>163のように熱烈なファンがいらして「読める書」の話題になると
彼の和様サイトに誘導しているのは事実です。 >>219
団体に所属せず自分で立ち上げている。
そういう点は、すごい珍しいタイプの書家。
(天来書院のバックアップがあるという噂。)
書というよりブログで知った人が多いと思う。
アンチもファンがいることは認めているし、
アンチが湧く程度の変わった活躍?活動?をしている。
でも、新しいジャンルだから、未知数。 >>221
10年ほど前から知ってますが、天来書院さんには一時期応援を頼んだような感じかと。
当時はまだウェブサイトを作り始めていた時期でしたね。FBはまだで。
天来書院さんの書道TVが始まった辺りとほぼ一緒で。
ニコ生放送以前から活動されていましたよ。 >>222
10年前からとはすごい。
あなたのほうが詳しいので、
>>220
アンチの人は222氏に聞いてください。
>彼の和様サイトに誘導しているのは事実です。
ソースがないとわかりませんし、そもそも悪いこと?
あなたも自分のサイトへ誘導したらいいんじゃない?
>「読める書」の話題
最近、石川九楊のこっちへの転換は驚いたけど、他にこのジャンルで活躍している人いますか?
こういう具体的な質問をしたら返答されないパターンは単なる私怨ですよ。 石川九楊の言う「読める書」って
ここの住人と同じ「読めないのは勉強不足」系じゃんwww _, ._
( ・ω・)
○={=}〇,
|:::::::::\, ', ´
、、、、し 、、、(((.@) てたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 私の書を読めるようになりたければ勉強されたらよろしいのです >>227
かっこいいです!
先人の処を受け継げず、プライドだけ受け継いだ結果、書の衰退度合いが、もはや芸術です!! 諸行無常を表現してるんですよ?気づきませんでしたか? 明治以降の書道って諸行無常ですね。
まさに平時忠の「平家にあらずんば人にあらず」と
おごっている状態が今なのですね。
源氏が登場して、業界を変えてほしいです。
国会で、元文科省のカト元知事が“文科省が”行政を歪めた問題で
「私でよかったね。(当時)橋下知事なら“文科省解体”と言い出すぞ」とおっしゃっておりました。
岩盤規制を取っ払ってほしいです。 また元に戻ってるな。あのさ、現体制批判をいくらしても、変わらないものは変わらないよ。
未来を「考える」ところだったら、具体的に動き出さないと。だったら、うどよしさんの方がずっといいよ。 >>228
芯のない奴は引っこ抜かれて枯れ死ぬだけ >>231
文科省に当たる教育を規制をする組織は、欧米にはないと聞いたことがある。
今回の加計学園の問題は、文科省が明らかに規制側だったし、
前川って人が、如何に獣医学部を作らないように動いていたかわかる。
教育も内閣府がやってくれたらいいんだよなー。 カリグラフィじゃなくタイポグラフィだけども、
モリサワから新しいフォントがでた!
「「みちくさ」には、連綿体(文字を続けて書く書体)や代替字形(前後関係に依存する書体)が用意されており、
OpenType機能によって文脈を考慮した書体を呼び出すという仕組みだ。」
御家流の翻刻やったり見ていると違和感はないが、ほとんどの人はなじみがないでしょう。
フォントの先端をゆく会社がこういうのとか金陵とか出すのがなんとも。
一太郎でも前に連綿みたいのを出したし。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1707/28/news076.html 書の未来は、行動を起こすことだろ。
せめて、ここを見ている人は、
読めば、自分は何をすべきかわかるでしょ。
大きなことができなくても、小さいことからやればいいんだよ。 選択肢は、こんなものかね?
@現在のヒエラルキーで勝ち上がる。
Aガロさんのように画廊に持ち込む。
Bデザイン書道やうどよしさんのように自ら公募展(新機軸)を立ち上げる。
C武田さんや紫さんのようにテレビに出る。
※ただし、趣味の人はこの限りではない。
いずれにしても、書が一定基準を満たすのは当然として
「どこで勝負するか」は大事なんですね。
評論だけですみません。 >>238
いや、この分析はあってると思うし、それぞれがやればいいことなんだけど、
有名になりたいとか、カネが欲しいとかではやっちゃいけない。
作品が一番大事で、それがあれば必ず芽は出ると僕は信じてる。 ガロ氏のキャリアプランだと
対象観客はパトロン(出資者)のみに絞ってますよね。
縁故の良し悪しが成否を決めるという点
優良な紹介が肝ですね 線で線を手繰るような広がり
私的なサロン
後援会
そんな支持基盤が必要かと 一定量のファン層(需要見込み)がいなければ個展開催は難しい と 単なる発表会ではダメで
売り上げという実績を出さないとね 私の書があなたの私的空間に在ったら、こんなに「豊かさ」がプラスされるのですよ
という知的満足度のソリューション 見るよりも書く方が大変なのは誰もが知っていること
あなたは有利な立場にあるのです 表現者としては「先生」
しかし消費者は「神様」
さあ、水が上から流れるように繋いでください 一番目にいいね!を押してくださった方の勇気に感謝したことはありますか? >>241
美術マーケットの仕組みでは、最初にその作品を所属ギャラリー(プライマリーマーケット)で買ったコレクターが、作家を応援していくことになります。
具体的には、オークション(セカンダリーマーケット)にかけられた場合に、高値で売れるように仕向けていきます。
つまり、コレクター側にすれば、自分が買った作品の価値が上がらないといけないからです。
場合によっては、ギャラリーも匿名でビッドしていくことがあるようですね。
まず、私は所属ギャラリーを見つけないといけない立場にあるので、スタートラインにすら立っていないのです。
ですから、ここのみなさんとともに美術マーケットへの参入を目指しましょうよということなんですよ。 >>242
後援会とか支持基盤だけでは、作品の値段は上がらないですからね。
自分で決めた値段で売るのは、厳密な意味でプロとは言えないんですよ。美術の世界では。
だから、紫舟さんも、他の書家の方々も、セカンダリーマーケット、つまりオークションで価格を上げてもらわないと、一人前のアーティストとは言えないんですね。 >>252
話をスタートラインよりも先に進めてしまいますが、
そうなると、作家が作風の品質(“レゾネ”の平均高)を保証することもそうですが、
作家とコレクターが“更なるセカンダリ”に向けて忖度する行動が大事になりますね。 >>254
おっしゃる通り、作品の質の維持は大前提ですね。誰から見ても素晴らしい作品でないといけないんです。でなければ、ギャラリーも取り扱いしませんから。
忖度も、ズバリな言い方で、セカンダリーマーケットであるオークション会社と、プライマリーマーケットのギャラリーは、全く無関係同士の間柄ですが、
オークションがなければ、その作家の価格は上がらないので必要な存在なんです。
そのオークションにかけるコレクターは、まさにキーパーソンです。
作家がギャラリーに所属するのはこのオークションに出すことに慣れたコレクターをファンとして獲得するこ >>256
(途中で押してしまいました)
ファンとして獲得することが大切だからなのです。 例えば、一般的な音楽CDは
「定価」が、収録時間の長短や音質や音数や曲目の良し悪し
を保証していません。
定価がついてしまえば、販売者側にリスクは少ないんですね >>256
ギャラリストはオークションにおけるその作家の相場を見て売値をつける と
プレミア部分は誰がつけるのか と >>255
はい。その通りです。
時価と言っても、その作家の辿る運命と共に、作品の値段は上下します。
草間彌生さんは、私の学生時代には評価が低くて、まだ買える値段でしたが、ガゴシアンというニューヨークにある世界トップのギャラリーに所属したことで、世界的なアーティストの仲間入りをしたんです。 >>259
そうですね。私も本だけの内容なので、実際にオークションに行ったこともないし、不確かで申し訳ないのですが、
おっしゃる通り、セカンダリーマーケットでの価格を見て、プライマリーマーケットでの価格をギャラリーが決定します。 ちなみに、現在、セカンダリーマーケットであるオークションにかけられている書家は、井上有一、森田子龍、篠田桃紅しかいないそうです。 >>264
画商には画商の顧客がいて
競売には競売の顧客がいる
金の流れは一つなのだろうけれど、
それは作家の金ではない と
籠の中のカナリア >>265
なるほど、おっしゃることわかります。それを目指してやってきましたので。 例えばサッカー選手
移籍金の額面は大きな記事になる
報酬とは無関係に
これは相場の話
プロ選手が一流の環境と一流の待遇を求めるのは当然だが、
それは結果
結果を出すまで努力をするのが選手の仕事
仕事は報酬に繋がるもの >>267
そうですね。言うまでもなく、作家の仕事は作品オンリーですよね。 でも、まだ私にはその力はありません。ギャラリーからは、クオリティが足りないと言われています。取り扱いにもなれない状況です、、 クオリティ点点点
例えば、絵のクオリティって?
ゴッホの絵の“クオリティが足りてる”を成立させてる要素ってなんだろう? >>270
ゴッホクラスになれば、それは歴史を変えた点ではないですかね。
またそこから抽象表現主義につながるわけですから 歴史を変えるほどでなくとも
“そこから〇〇につながる”要素 >>272
よくわからない笑
あー、なるほど、後継に何かを遺すってこと? ちゃうちゃうちゃうで
ガロ氏の分析では、
ゴッホ某の場合、“画壇に与えた影響力”が要素なんでしょ?
ゴッホ某は歴史を変えてやろうとして絵を描いたわけではないでしょうし、
それは結果であって目的ではなかった。
でも“仕事”をしたら結果としてゴッホ某の価値を支える要素になった。
コンセプトってそんなに大事? と
あるいはコンセプトイメージは既に固まっているのか? と >>274
なるほど、それはそうですね。結果的にゴッホは後世に影響残したけど、彼はそれを考えてやってはいなかった。 寝てました笑
でも今や僕らは、コンセプチュアルアート以降の現代を生きているわけですからね。その辺をどう考えるのか >>271
歴史を変えたことは値段になるなら
金子鴎亭は、その価値が国内では存在するはずですよね?
(せめて100万円〜)
(私は、そういう点で、金子>>>井上有一なんですが。) >>276
現代は次の時代には昔になるわけ で
もう古いのよ と 結果として作家の信念や理想、美意識が『コンセプト』という語彙に要約されているだけで、
作家が発想の段階でその固定概念を決めたら、その人は『商品企画室』の中だよね
それって意識してやるものなの?
個性が欲しい人はやるべきだけど “表現しきれた”と思えたらそれで良いのでは?
どのような表現をしたいのか
それが『コンセプト』でしょう? 「私はこれこれこういう“コンセプチュアルアート”を発表しているんです」
ファン(理解)やコレクター(投資)という、第三者からの評価は確保できますか? 多様化している中でそれぞれの市場があるんだよ。
>それって意識してやるものなの?
>>238
でいうCメディア系だね。
商売として当たり前。芸術を求めないダイソーで十分というような層に響く。
現在の書道が、惰性で継続している人やなどからの支持があるのと同じ。
悲しいのは、漢文が好き、仮名が好きというのが少数という点。 現代アートのノンジャンル的造形物と対峙するのは楽しい
作者が脳内で描いたストーリーがこの表現を導いたんだろうなと、あれこれ思索しながら時間をかけて観てあげることができるから >>282
ではガロ氏のやることはもう決まったね
ソウウン氏やシシュウ氏のポストを狙うこと 売れるための“あざとさ”を徹底してやりきる と
これがプロ書家の道か >>284
なんでそうなるんだ、バカなのか。
>ソウウン氏やシシュウ氏のポストを狙うこと
お前らが金を出している団体が拒否しないから、こうなったんだよ。 書檀が否定したところで、
圧倒的、超多数派の“芸術を求めないダイソーで十分というような層”が支持したら、経済効果になるわけでしょうに。
結果シシュウ氏は(芸術を求めない?)官公庁御用達のプロ書家
ユーミンが曰、「私の方が経済貢献してるし」 でもそれは現代の話であって、
未来は次にやって来る >>280
例えば、今の書家がやってることは、井上有一以前あるいは同時代の「抽象表現主義」の類似した表現として見なされる。そうしたコンセプトだと。 “他の誰にも負けない”要素
これは、プロとして当たり前。
ただし、書の技術とは限らない。
ココを勘違いしすぎ。
メディアを使って庶民を騙せる環境があるなら
それで十分、使わない筋肉は思いだけで不要。
書家は、ボディービルダーのようなもの。
高い技術の習得の方が簡単だからと
使い道を考えるという最も難易度の高い市場育成をしてない。 >>281
今はむしろコンセプチュアルアートが好まれる。簡単に言えばオチのあるアートが欧米では一般的。日本はまだロマンチックです。 >>284
僕は自分云々よりも、早く現代アートが投機的な意味でオイシイと、マスコミや政府が気づき、さらに大々的に宣伝して、アート立国くらいになるようにしたい。これ、日本のトップのギャラリストはみんな考えてるし願ってる。こんな金融商品はないから。 アートはこれから盛り上がるのかな?
日本人は絵や書を家に飾らなくなったね。
絵一枚ですら家に飾っている家は少数派では?
昔は床の間に掛軸という書画の展示空間があったけど、もう絶滅しかけてる。
そもそもバカでかい書作品は普通の家には飾れないし、書家も飾ってもらおうと思ってないでしょ。 >>293
信託…
むしろそれは崖っぷちの東京の“不動産”業界が熱望している商品
バブルはもうこりごりと口では言いつつも本音はアレですからw >>294
いや、だから今の書家の作品をそのまま飾ってもらうのは無理だって話。 >>295
アート立国、アリだと思いますけどね。美術館に眠ってるヤツをどんどん売って、
さらに若手の有望そうなのを1点数十万円で買って、10年後にン百万円で売るとか。 >>297
もちろん、冷えた国内市場ではなく、海外に向けてね。 でも4人目は紫舟www
どう転んでも次に世界的オークションへ出回るのは彼女
私たちが泣こうが喚こうが、紫舟よりも値打ちがあると投機家に思わせなければ、
私たちの書作品の市場価値は永遠の0 中国の若手?の作品見てきた
正直、こんなんでいいの?…という感 >>291
十番手ぐらいでもプロとして当然だよ〜ん
二番目 でもいいんです
結局は総合力よ >>300
彼女はやり方を間違えてるから、彼女こそ可能性はゼロだよ。自分で勝手に高くしていくしかない。美術オークションで高値を付けてる井上有一とは違うよ。 美術商業界がシシュウ氏に食指を示さないのは理解できない。
アート立国たる日本の文化庁(アート直轄)が肝煎りで推し進めた書家なのに? >>304
彼女は自前で高くし過ぎたのですよ。美術界のセオリーからすれば、リーズナブルな価格で販売してから、じわじわ上げていくから、新人でいきなり200万円とかあり得ないかと。 公金による買い支えによって流通価格(定価)が決まった作家作品には投機筋が嫌気する と >>306
だいたいあってます笑
あ。今気づいたけど、紫舟さんが狙ってるのは、日本画の流通ルートなのかな?金澤翔子さん的な。あれは国内限定のマーケットが存在するので。 紫舟さんは、正確には「海外で評価されてる書家」として
情弱な日本人や官庁に作品を売ろうとしているパターンです。
(武田さんも当初、それでしたね。) >>305
>リーズナブルな価格
彼女の作品なら、いくら位から始めるのがいいのでしょうか? >>308
なにそれ、ルーブル美術館の何かに出したとかそういうやつ?
そんなので騙される人が、まだいたんですね… >>309
僕の勝手な解釈で恐縮ですが、
現代アートの新人作家さんなら、小さな作品で、1桁万円台、大きな作品でも100,000円から 200,000円台だと思います。
彼女は今、桁が1つ違うんですよ。そして国内のコレクターが、将来の値上がりを目論み、どんどん買っていって、それがオークションにかれられて、数百万円台になれば大成功だと思いますね。
国内の美術オークションや、その情報をもとに海外でも評価されたら(つまりオークションで競り落とされたら)、一人前のアーティストだと思います。
でも、そこに戻って再出発するのは、彼女にはもう難しいんです。なぜなら以前に買った人が既に数百万円を出してるわけですからね。 >>310
森友学園、加計学園、安倍政権は何も法律違反もしてないけど
安倍政権の支持率下げることに成功したでしょ?
テレビの影響は強いよ。
(まさか、あなた達も
「安倍政権がお友達に優遇したんだろ」とか思ってないよね?) >>312
テレビの影響でバスキアの絵が120億円になると思いますか?
申し訳ないけど、現代アートの巨大ビジネスに比べたら、日本のテレビなんて消えて飛ぶ位の感覚でしかないんですけど。
井上有一は、今そこで戦ってるんですよ? >>313
だーかーらー、テレビの影響で売れる価格を
紫舟氏は付けているんだよと言っているの。
ラッセンを買う層だよ。 >>313
今のメディアの政治ショーは
将来120億どころではない損失だよ。 >>314
なるほど。そっちの道ですか。結局、おカネ目当てじゃないですか。 >>315
1枚の絵がね、120億円の値をつけるのと、マスコミが喚いて政治が空転する、
どっちが価値のあることですかね? 政治と経済が安定しないと絵画も売れないんだねー。
紫舟さんとか、完全に名誉欲でしょ。
そうじゃないなら、書の練習・研究するでしょ。 まちがえた、
×紫舟さんとか、完全に名誉欲でしょ。
●紫舟さんは、金欲でしょ(別に悪いことじゃないよ、すごいことですけどね)。 >>319
これ以上は、彼女に言及することはないです。それが本当なら、清々しいまでの金銭欲ですから。 蓼食う虫も好き好きと言うからね。
なにか良さがあるんでしょう。
自作に200万円付けてずっと維持出来るのか興味がある。 >>324
良さを探して見つかるわけないでしょ
ブランドですから >>326
いや、今見てきたら六曲一双屏風が約5700万円だった。
これ、井上有一の大作の3倍弱の値段なんだけど、正直どうかしてるとしか思えない。 >>328
芸術の聖地で、書がフランス絵画をおさえ審査員全員一致で最高賞に認められたことは、日本の文化が芸術の域にあること証明した。
NHK 中央放送番組審議会(2010〜2014)、大阪芸大教授(2013〜)。文科省2020 年に向けた文化イベント等の在り方検討会委員(2014〜)、内閣官房伊勢志摩サミット・ロゴマーク選考会審議委員(2015〜)、ミラノ国際博覧会日本館プロローグ担当クリエイター(2015)。
もう、書道団体が拒否しない限り、紫舟さんが日本代表確定じゃない? 書の才能はともかく、
ブランディングの才能がありすぎ。 >>332
だから、そんなのじゃ全然通用しない世界なんだってば。 >そんなのじゃ全然通用しない世界なんだってば。
ガロさんの言うことはわかるの。
でも、日本のメディアや政府関係(文化庁含め)が
彼女を否定できない立場になっている以上、
この人を否定できないし、逆に、この人の取り巻きは、潰しにかかるんじゃないの? 5700万の値札
これは事実なんだから受け入れようよ 値札は自由だけどね。騙される人がいるでしょ。
これは、国とメディアがグルになった詐欺に見えるんだよね。 >>337
あなたが日本代表になっても書道は世界遺産に認定されません >>340
>書道は世界遺産に認定されません
そりゃ、漢文が主流なんだから、
登録目指す今の書道業界が頭オカシイ。
5000万くらい集めてるだろ。 >>339
>ただの殴り書きでしょ
馬鹿か、
井上有一の殴り書きだよ。
全然ちゃうわ。
どっかの一郎のサインと
イチローのサイン位の差はある。 誰でも簡単!書道入門!
みたいな本書いてた頃の石川九楊はよくわかる。
枯れ木のお化けみたいなん書き出してからわからん。 石川九楊は、書はそこまで上手じゃないの。
だから、勝負できるように、
誰も興味もない枯れ枝書道に自分の世界を求めたわけ。
でも、思ったほど評価はない。
一方、評論家としては、学歴もあるのでうまくいった。
評論家>>>書家のままで
今度は、読める書が巷で流行り始めていることを知って(こういう嗅覚はすごいね)
「簡単そうだし、理屈も通る。知名度の高い俺がやれば、1番とれるんじゃね?」
って感じじゃないでしょうか? 石川九楊は、アメニモマケズ、書いてたねぇ
現代美術の人らと腕はあんまり変わらん 日展審査員決まったね。
高木聖雨、やっと特選の権限が →加倉碩斎
高木聖雨の人事はどうしてこうまで、時宜を得ているのか?
良い悪いを別にして、凄味さえ感じる。
あとはいい作品を発表して欲しいのみかと。 日賀野琢、8年目でようやく審査員、かけないからねぇ、、 >>354
実力ある人も待たされることある
W引T天とか
そういえば今年の篆刻の審査員は?
K田K一は今年こそ名古屋の弟子にやるか? >W引T天とか
爆発する箱の中から脱出する女の人でしたっけ? W引T天は、一昨年の審査員。
今年、篆刻の審査員が居ないのは何故? 数年前に日展の篆刻が叩かれたのって、
書道部門のスケープゴートだったよね。 篆刻の審査員は柳 濤雪がいる。謙慎(古川悟門)所属のね 高木聖雨だからいいんだよ。
井上有一じゃない同じ作品は意味が無いでしょ。 未だに九楊の作品がわからない奴がいるんだな。
作家として重要なのは、「どれくらい古典的な表現ができるか」をモノサシとした上手下手ではない。
今を表現できる自分独自のスタイルを探り当てることができたかどうかの方が重要。
だから、綿引滔天も、藝術家としてはこれからが正念場。 綿引滔天は小林斗庵の先を行っている。十分に自分を出していると思う 石川九楊には全くもって興味なし。どこがいいとか探りたいとも思わない。 宮島詠士の作品なんかはけっこうオークションで取引されてるんじゃ?
図書館で作品集を見つけたとき目が釘付けになったな。
あのレベルを知ってしまったら、ヘンな現代的作家のギャグみたいな作品は生理的に受け付けなくなる ってちょっと検索してみたら落札価格が4万円台。半切の半分くらいの掛け軸で
詠士の作品はおれ的には層雲や紫の100倍以上の値打ちがあるよ。。
横に並べて飾ってあげれば素人目にも一目瞭然にわかるじゃろうに
でもなぜか、上條センセおよび弟子の人たちのファンではありません >>368
それ、オークションはオークションでもヤフオクでしょ?
クリスティーズやサザビーズのことだよ。国内なら毎日オークションやシンワアートオークションね。
そこで取り扱いがあるのは、日本の書家では井上有一、森田子龍、篠田桃紅、この三人のみだってこと。 宮島詠士、綿引滔天みたけど、
だから何?って感じなんですけど…
書は専門外だけど
「ゴッホっぽい絵を書いている人」
のくくりに入るんじゃないの?
>クリスティーズやサザビーズのことだよ。国内なら毎日オークションやシンワアートオークションね。
そうだね。ココでの取引がない作家は、一流に入ることはないね。 宮島詠士は初めて見たけど、当時としては新しかったんでしょうね。今でも色あせてないような。
あのにじみとかは昭和になってやり始めた感じかと思ってたけども。
同じ時代であまり評価されてなくて面白いのは、副島種臣とかかな。 真似をして真似の優劣をつけるのは
もう辞めたほうがいいと思いますよ。 宮島詠士は個人的に好きです。
古書店の図録などでこういう人たちの書を見ていると至福。勿論たまに購入しても至福。
>>372
>同じ時代であまり評価されてなくて面白いのは、副島種臣とかかな。
どこで作者が知ったのか知りませんが、漫画『ギャラリーフェイク』では高評価でしたね。
平成元年に出た雑誌『墨』の富岡鉄斎特集号では「鉄斎と蒼海は分からない」という現代書
家の言葉が掲載されていましたが、分からないと言われるのも一つの評価でしょうか。
「鉄斎は褒められているが、現代の書展に出しても落とされるだろう」という皮肉な意見も。
私は古い書画を鑑賞するのが好きで、師事している先生も中国人なので、現代の書の団体
やその評価についてはてんで無知なので、お目障りとは存じますが、素人なりの書き込みと
いうことでどうか御寛恕下さい。 宮島詠士は宿墨を効かせて、墨量の多い作品が深みがあっていいね。
上條信山は詠士に顔法を加えて、迫力ある造形に仕立て上げた。
信山バリで全ての書体にチャレンジを試みる情熱家。
信山の弟子で、まともな信山流を書けるのは、市澤静山、虎井暁鐘、畑中高山ぐらいか。
新機軸を打ち出して、皆おかしくなっているのが今の書象会の現状。 >新機軸を打ち出して
打ち出てない・・・。
正直、逃げただけに見える。 >>375 そそ、滲みとあの切り立った字形の組み合わせが面白い。
技術的な部分で、あの線質、、つまりズバって切り込みながら浮滑しないというところ
あの単純な作業があの水準まで磨かれている人、いまの著名作家にはいない。
>>370等は何か目新しくないといけないという思い込みがあるみたいだけど
書にはいわゆる、「うまい、へた」というアーティスト的には短絡的な、というか一面的な価値基準がしっかりとあるのよ
そういえばフラメンコのギタリストたちはアンダルシア出身者以外は本物と認めないし、中でもちょっとしたニュアンスの違いがどうの
まるで伝統派書道のような空気を持ってる。たぶんアメリカのヒットチャートに出ましたってヤツがいたら鼻で笑う。
書でサザビーズに出ましたって言っても同じように鼻で笑うヤツがいるだろうと思ふ。 確かに打ち出してはいないね。レベルの低いところで逡巡している。
師匠を超えるのは本当に難しい。 >価値基準がしっかりとあるのよ
他にそういう芸術は、能とか歌舞伎だけど
世襲制で、変なやつが混ざらないように守っている。
しかし、書道は、それがないし、業界が私利私欲に走っているので
その争いを横目に、メディアを利用して活躍しようとする人が出てきた。
また、現代美術として価値付をして別軸の基準を作ろうとしている。 >>379 まあそうなんだろうけど、問題はねぇ
金権体制のガバナンスの部分が病魔なんであってねぇ、作風を新しげに変えろということではないんだよ
そうでないとフラメンコはフラメンコじゃなくなるわけだし。
と、フラメンコ好きが申しておりました。 昔、NHKのトップランナーだかという番組で、
日本人で確かフラメンコギターやってた人が出たような。
アンダルシアかどうか分からないけども一応あちらの人に認められたんだったかな。 そうは言ってもクリスハートみたいな扱いでしょ、たぶん でも一応、今でも国内でコンサートとか活動やってるみたいよ。 うん、ちらっと見たことある。本場テイストのあるすごいカッコイイギターを弾いていた
でもたぶん、ご本人にも自覚があるだろうけどご当地には自分以上に弾ける10才の子供とか、うじゃうじゃいるのよね。
夕方の店先で少年が、客寄せに流しで弾いてたりするんだけどまぁ、ああいう環境ならそうなるよねぇという当たり前感 現書壇は、そうしたオークションに既得権益を奪われるのを心配するだけでしょ?
あくまで評価(額)を決める権限は自分たち側に置いておきたいのだから
もっとも、それで「作品の価格がつり上がる」なんていう現象は、少なくとも我々庶民にとっては
書を身近にするというよりは、さらに敷居が高くさらに「ワケのわからないもの」に変えてしまうのでは、という心配があるな
日本はね、ヨーロッパのようにどこそこの貴族が隣国の王室にムコ入りしたり、征服したり独立したりの
そういった意味での交流なり栄枯盛衰に免疫がない、やはり典型的な島国文化であるから
必死に伝統を守ろうと意識においても、さらに競い合うような意識においても、いずれにも希薄なのだね
その基盤がもう少し時間をかけて変質でもしていかない限り、上記のようなスキームに沿って発展はしにくいと思うじゃよ。
公民館なんぞで教えている切り絵だとかが市井のルートで安値で取引されて、ちょっと習ってちょっと小遣い稼ぎできて
そういうほうが活性化に繋がるようではないかと思う。 >>388
最近では日本でも、美術マーケットは出来つつあるし、変わりつつあると僕は感じてる。
おっしゃるように時間はかかると思うけど、美術好きの若者は増えると思う。
先に挙げた毎日オークション、シンワアートオークションと、二つの国内オークション会社が成立していて、中国ほどではないけれど、盛り上げようという機運は高まってきている。
他にも例えば、ZOZOTOWNの前澤氏がバスキアを落札した件。
それを若者がネットで調べていくと、バスキアがかつては無名のアーティストで、カフェで絵葉書を売っていた。
で、それがアンディ・ウォーホルに見つかり、あれだけの高値まで行ってしまったと、ネットサーフィンで幾らでも情報が探れる。
つまり、アートはビジネスなんだと気づく段階が必ずやってくる。
書壇が既得権を守るのは自由で、そこにお金を落とす若者がいることも大いに結構だけど、
そうした書壇の在り方に疑問を呈し、方向転換を図る若者が一方では出てきている。
中国人が自国の書家の作品をサザビーズに出して、大儲けしている。
日本では、宮島詠士が4万円とか言ってる隙に、オークション文化がすっかり根付いて、何百万もする書の名品が続々と誕生してるわけだね。
書の文化を守るとは、どういうことか、もっと考えたほうがいい。皆さんが目指している究極の書が、数万円にしかならないなんて、
そんな未来のためにやることなのか、ということですよ。 ガロさんくらいしか、この板に読む価値のあるレスする人いないね。ほんと。 >皆さんが目指している究極の書が、数万円にしかならないなんて、
>そんな未来のためにやることなのか、ということですよ。
ガロさんとうどよしさんの対談を聞いてみたい・・・
意見は合わないだろうけど、
未来を見ている視点が他の人と違うように思える。 >>391
彼を、ここに誘導したらいいだけだろ。
(本人として書き込むかどうかわからんけど)
それか、彼がやっている動画配信?でやるとか。
そうなるとガロさんが出たくないか。
でも、ガロさん関東住みなんでしょ?
対談できなくはないよね。
2ちゃん書道板発、オフ会www ああ、オフ会はちょっと難しそうですよね。
教室とか自分の展覧会とか外にもいろいろあるので・・・
毎週欠かさずされていたニコ生放送もしばらくないぐらいですのでね。 動画・オフ会はご勘弁下さい。
作品の価値を保つには、単純にこうしたらいいのです。
・作品のサイズを測り、写真を撮って時系列に並べる。(制作年代がわかるように作品の裏に鉛筆で薄く書いておくのがベスト)
・保管をしっかりして、売る場合は相手の住所と連絡先を聞いておく。(井上有一は生前2回しか個展をしていないので、作品はアトリエにまとめて保管されていたらしい)
・サインを書いておく。(贋作防止のため)
書壇の方々、中国人に負けないで下さい!どなたかが書いていた、真似の真似はもちろん、オリジナルであることが最重要ですけどね。 >教室とか自分の展覧会とか外にもいろいろあるので・・・
これね。
http://wayoh.jp/7th-calligraphy-exhibition
今見たけど、審査員に「Adobe」入っているんだけど
これ事実なら、DeNAやヤフーが入るよりすごくない?
(ここの板の人なら、Adobeってわかるよね?) >作品のサイズを測り
いつも気になっていので質問、
作品サイズって、紙面?額?どっちなの? わからないな。。
バスキアの話なら、ウォーホルに引っかけられて華々しくも生き馬の目を抜く高額ビジネスの世界に引きずり込まれ、
人生を狂わされた気の毒な、元素朴で善良なアーティスト そんな感じの被害者として解釈してるし。
あの話をそう読む若者なんて少ないだろうね。憧れちゃうんだろう
残念ながら>>389でおっしゃっている下四行には賛同できないですね
なにかとんでもなくアテが外れたところへ行きついてしまう危険を孕んでる。
お考えの狙っているところが、細部まで考えるとどうも雑なようだ、、 中国人が派手に進出を始めてる、としてもそんな焦燥感に駆られる必要もない
英語圏の人からしたら、日本人と中国人なんてそんな厳密に区別出来てるのは少数派だ
われわれにとってカンボジアとミャンマーに大差がないのと一緒 だから後で乗っかることだってできるでしょう
宮島詠士は、本業は中国語教師であり文人で、4万円で売れたら「そうか」っていってニヤリとするような人ですよ。
一方のウォーホルは、へんなバナナのイラストで大儲けしただけの成金でしょう。
まったくそれぞれに異なる世界観があり、地域性がある
なぜ上のほうでフラメンコを出したかといえば、、
ブルース音楽は、チャックベリー→ビートルズ〜 そうして巨大ビジネスに発展し
そうして20世紀中にほぼ廃れて絶滅したの。もう、本来の姿のをやってる人は皆無に近い
フラメンコは、金銭的にはちっとも活発なビジネスにはならない。しかし、200年前の姿をとどめて今に伝承されつつある。
ガロさんの意図は買います しかし、さっと付和雷同してしまう人などは、自分たちがどうなれば幸せかについて。
なんら当事者意識も持たずに飛びつく 私は何も対抗してるわけでも反論してるわけでもないですよ
一部に残る懸念を申し上げてるに過ぎない >>398
そうかもしれません。実際に私はまだ成功してませんし。
でも、正直な話、大詰めまで見てみたい気持ちはものすごくありますよ。
それが井上有一であろうが、誰であろうが。
バスキアの120億までいかなくとも、1億円を超えるところを見てみたいです。 >>399
私は書道界の方々全員に鞍替えしてほしいなんて思いません。
これは、皆さんからしたら、ごくごく少数派の人間の意見です。だから、気に留めるほどのことでもないのかもしれません。
でも、書壇から現代アートに宗旨替えをする若者たちの話を聞いたら、酷いもんですよ。やれ、◯◯に幾ら払えだの、△△のお祝いに幾ら払えだの。
20代30代の彼らにご祝儀やらで年間ン十万ン百万払わせる世界でね、
そりゃー、こう言っちゃ失礼かもだけど、ヤフオクで自作が数万円で落札されたとしてもクスクス笑って済ませられるでしょうよ。
でも、我々アーティストを目指す者は違う。生活の心配もしながら、作品に人気が出ることを祈って生活しています。ヤフオクで数万円では困るんです。 私は大きい金額には興味ないですね、
それより、市井で地道に作品を制作してる人が、それによって
生活に困らないようになるなら良いと思うし
高い金額がつけば丁重に保管されるし贋作予防にもなるから、それは良い面もある
いずれにしても、練磨した良い作品が高い評価を得られ、インチキ臭いものがマグレで評価されるのは避けたい。
そっちの思いのほうがやや強いからですね、たぶん うどよしって人は、
「うどよし」を売り込みたいわけじゃなく
「日本語の毛筆文化"和様”」を売りたいのね。
普通ならガロさんみたいに、
まずは自分の作品を売りたいんじゃないのかな。 >>401 それは、書壇での肩書が宣伝機構として作用してるからですね。
ご祝儀、お礼金は厳密には自分の広告宣伝費です
もっと究極的には、肩書がないと、良し悪しが日本人にすら、見分けてもらえない。
権威づけのため、なにがなんだかわからないところまで表現をカオス化したツケです。
ですから、学校教育を通じた伝統的な書美の教育、いわゆる教育系書道界、大渓さんもそうですが
「庶民でも本当は字のうまい、へたは見分けがつくんだ」というところに希望を託してきた。
そういう団体もあるにはあります。そうそう有名にはなれませんが >>403 いや、「書」っていうのはその側面がある。
素材が。。個人的な表現ではなくって文字、それもみんなが共用する自国語だから
その点が近代アートと違うから、いっしょくたにできなくて皆困ってる >>401
プロ野球選手の最高年俸が1000万円なら、誰も憧れないでしょ。
そういうことですよ。
ただ、現実的には、競艇選手の方が生涯所得の平均は圧倒的に上。
どちらを目指すのも自由だけど、
今の書道には、作品だけで食いたいとしても、プロ野球(ガロ氏)も競艇もない。 質問です
http://gazo.shitao.info/r/i/20170805163533_000.jpg
上記のような字はどのように分類されますか
楷書の××流などという言い方があったら教えていただければ幸いです >>404
いやいやいやいや、そんな高い意識でお金払ってませんってば。少ない給料から、自分の師匠に出しなさいと言われて出してるだけですよ、、
そうした現状が我慢出来ないみたいです。
あと、大渓さんとこって、年間200万円かかるって聞いたことあるけど? >>407 強いて言えば黄庭経に近い書法ですね 分類でいえば魏晋南北朝風、六朝書体
>>408 大渓さんのはまぁ腐敗したのかどうなのかよく知りません。主張は教育書道だけど
活動内容はそうでなくベンチャービジネス系に感じるし >>406
最高年俸1000万円って、そんな、今からやろうとしてるのに、決めつけないでよ、、 >>406 原点に立ち返って考えれば、書は「教わりたい」から価値が高まるのでしょ。
自分も上手く書けるようにしてほしい。伝承の側面
作品だけを売って生活する、というのはレアケースでしょうし、それを成立させる手立てを考える意味も、ほとんどない
昔の中国では道教の経典を書いて売ればとりあえず生活には困らなかったらしいけど。
仙気、逸気といったちょいオカルトちっくな有難みも付随してないと成立しない。 >>409
教育書道で言えば、僕の友人で高校の先生やってる人たちがよくやってますよ。こないだ( >>409
教育書道で言えば、僕の友人で高校の先生やってる人たちがよくやってますよ。こないだも仙台で大きな高校生のイベントがあったようで。 >>411
原点なら自分もそうでしたよ。
問題は、それが成熟してからの話。
指導者になるか、書壇でレースをするのか、学者、批評家になるか。いろいろな選択肢の中で、僕は現代アーティストの道を選んだので。 >>413 困るのがですねぇ、その高校生の全国トップクラスの作品なんて見ると
日展5科のお偉いサンの作品と比較しても、技術的にはもう遜色ない、、
ちがいは小室哲哉的、ヒャダイン的なプロデュース力のみ
一度いい立場についたら、ずいぶんと呑気に構えて甘えてしまうんでしょうな。
取り巻き連中の揉み手すり足も悪いほうに作用して。
これぞプロだって作品をプライドを持って出し続けて欲しいもんです
教育系は教育系で先生は教員としての収入が保証されてるもんだから
なんとも稼ぐ方面に進みたい生徒にとっては、とんと頼りにならぬ >>416
わかりますよ。僕も教育大書道科の先生に高校時代に臨書の手ほどきを受けて、教育大書道科に行きましたから。 >>415 だいたいみんな、なんだかんだ言いながら併走する者のない孤独な道に
いつしか進んできてしまったことに気づきます おや、気付けば参考にすべき人間が見当たらないと
それが正念場というヤツです そのことを思い知った経験なしに正念場なんて言葉をつかう人なぞ、何もわかっちゃおらんのですよ。
いったんは性急になにかの成果を欲するというより、ボーとして成り行きを眺めるほかないような
そんな場面を想像します 待てば海路の日和あり。はぁ。そういう意味の言葉だったか。ほう。
ちょっと個人的には現代アーティスト然とした書家の作品は苦手でして、お気持ちに逆らうような言葉しか浮かんでこない
作品、壁に掛ける、「う〜〜〜ん、良い」と言ってもらえることが、人気が出ること、なのだとすれば
なにか雲をつかむような感じがしてしまうのです >>418
問題ないでしょう。私もあなたの興味のあることに、興味がないかもしれない。
現代アーティスト然ではなく、ガチでして。
美術とは、もともとそうした目利きたちへの審美眼、見識眼に対するチャレンジですから。
何人もの芸術家を支えた著名な美術批評家、何億という作品をコレクションしている世界的なコレクターに対して、雲を掴んでるようなものですね、なんて言えますか? いやその、著名なコレクターさんがですね、
のし袋のひとつでもうまい字で書いてくれたら信用しますけど。
したがって大渓さんの言説のなかでもあったと思うけど、書は実作者じゃねーとわからねぇからって。
殿村センセも同じことをしきりに言ってため息をついとった、、てような事でしてね。
考えが合わないからこうして話しているんであって、それで良いのでしょうね。 >>420
いや、楽しませてもらってます笑
読みましたからね、大渓さんの本。覚えてますよ。殿村アゲの木村サゲ。高校生の僕にはわからなくて困りました笑
僕も、何にもわからなくて、なんとなくやってる人は嫌いです。いわゆるあなたの仰った「然とした人」ね。
僕は時間も手間もかけましたよ。 木村サゲ笑
西日本人なので、各書道雑誌にドドンといつも乗っていた木村知石をボロカスに書かれているのには戸惑った。
でも、本人にある種の巧さはあると思うけど、たしかに依って立つところが浅薄だ、って言やぁそうかも知れない、、
なんでって、いまも近所にいる弟子たちのパロディーの出来があんまりにも酷いことが、それを証明してるかもと納得したです
殿村アゲもよく考えるとわかる。華やかな作風の裏にものすごい、超がつくほど頑固な古臭い気質がある
まぁ、それはいいとして、「然とした」は失礼でした。
ガロさんがそうだとか、ではなくて一緒くたなように言ってしまったのはすみません。
もともと、どんな人に見せたくて書くか、について抱いているイメージが異なるのでしょうね
私は一般家庭の人間を想定して、 んで「わかったフリしてるのが多いからなぁ」と感じることが多いが
ガロさんは美術品にどっぷりと漬かって、私にとっては何を知っているのだかちょっと想像つかない
タイプの人に見せる作品を想定して話していたから >>422
いえいえー、お気を遣わせてこちらこそすみません、、
はい、私の生活については、ご想像の通りです笑
私はここ30年近くの間、いろいろな著名ギャラリストやコレクターの方々とお会いしてきました。
常識では測れない、とんでもない方々ばかりです。
その中で現代アートという世界は、基本的に歴史の上にない世界ということがわかり、ある意味「雲をつかむ」とは、ビンゴなのですが、
一方でどの作家が優れているか、いち早く発見した人に利益が行く仕組みなので、それを引き当てた人は「慧眼の持ち主」となる世界なのですね。
殿村アゲ、木村サゲ、なるほど、そーゆーことでしたか。勉強になります。 >大渓さんとこって、年間200万円かかるって聞いたことあるけど?
同じ会派から100万円の大賞が出てるんでしょ? >>423 いち早く発見できる人は凄いけど、どうもそのタイプの人は流行り廃り、栄枯盛衰に対して酷く冷酷な視点を持ってません?
なぁんかマダムシンコのクレームドブリュレとか言って流行っても、今日びすぐ忘れられる、、じゃないですかぁ、、、
>>424 kwsk >>423 あ、そうそう、木村知石の作品はね、個人的には好き
でも、中国人にほらどーですか、って見せられないと思う。ナンスカコレ?って言われる
4万円でいいものなのかもしれない。だって本人もザザっと書いてホレ、って感じだし
殿村センセのは、出せる。中国で個展を2回かな?大盛況のもとに行ってるし >>426
いや、それはないのでは?だって、彼らもその作家をプッシュするのにン百万、ン千万も投資しますから。
いなくなるのはマスコミと、プロモーター的な輩かなと。彼らは流行りに飛び付くだけ。 >>425-426
http://udoyoshi.com/archives/83
断言してないから、どうして、こうなっているのかわからないけどね。
書道業界の知識がある人がこれを読んだら、
賞は同じ会派で回している(たまに2番手なのかわからないけど他に渡して)んだなと理解するんじゃない?
だって、100万円もらえるんだから
先生クラスが応募してきたら、受賞しちゃうじゃん。
(先生は応募してはいけないなんて公募展ないし) うーん。投資。なんだかおっかねぇ世界ですね。
近所の焼き物の窯元がさいきん注目を集めてまして、無骨なデザインだが洋風のレストラン向けにアレンジされたりとか
どこそこの日本酒がちょっと評価を上げているとか。〇〇村のチーズがオードブル用に素晴らしいとか
ひとつのジャンルに立脚したうえでの個性に目を付けるという感覚ならなんとなくわかるけど
のっけから個の、個による個のためのアートという感じのところには想像力が働かない
そこのところが、いまの書道のもつ前近代性なのかしらんと思ったり。 >>429 あぁ、なるほど
気骨のある(というか気を吐くタイプの)人物が一匹狼で立ち上げたような会派って、
尊師が亡くなってしまうと逆に、ひどく過去の亡霊にすがりつくような女々しい集団になるね
他にもこういう現象を起こしていそうな書道団体ってちょいちょい見かける
頼りになるタフガイタイプの人間って、教え子をタフガイには育てられないんだな、これが >>430
何でもあり、とは、かなりいろいろなことを見てこないと、その目利きを納得させられるモノは出来ないということなわけですね。
だから、現代アートという舞台では、近代絵画の歴史はもちろん、日本の書道の歴史も同時に踏まえないといけない。
例えば、今の前衛書道は全て「抽象表現主義の亜流」とみなされてしまいます。
新しいことをしてるように、書家が何となく思っていても、それは美術の世界では既に使い古された手法であることもあります。 それに梅津鳴上、大西松雲、坂田聖峰といった対等格の人たちも亡くなっちゃったんだろうなぁ
(いきてたらごめんなさいほんとスミマセン)
で、いまは指導力を発揮できる人が少なくなって、無難にオオタニ流に票が集まるんじゃろうかと思う
大渓さんは暴力団あるいは軍隊方式の発想で、アタマ数を揃えて厳しく仕込んで
日展に拮抗できる戦闘力をもった巨大集団を作ったら、ちゃんと公平な審査がしてもらえる世の中にできると希望したんだろうけど
なんだかそうならなかった、という感じなんだろうね うーん。すっげーのは分かります
そんな中、ひとつの可能性を感じられているのが、ジ〇ニー・フ××ツァーのような作風であると
(ほんとは、事前にあんまりネタバレしないほうがいいですよね実際)
あれは画像を検索し一見して唸りましたが TPO抜きには成立しないで、
その場面でなにを発揮するかが問われ異常に高度で難しい。
実は現書壇にはそこへ不満もあって、あんな2尺8尺のデカイモンどこへ飾るんじゃい、、という
文字を扱い、うまく書くとか下手だとかは別にして、アジアンテイストで、、、むむう >>434
いえ、ジェニー・フォルツァーを知っていて、それとも違う独自性を持たなくてはならないので大丈夫かと。
例えば、彼女の「PROTECT ME FROM WHAT I WANT」は、仰ったように多分、タイミングさえ取れれば、どこにあってもメッセージとして響きます。
こうした「言葉のチカラ」をいかに表現するか?ということは、石川九楊氏の言った、書が文学性と切り離せないという問題とも結びついていると思います。 文学性はですね、
競書雑誌やらパラパラとめくりますと、俳句・漢詩・小説といった文壇の人のコーナーがあることは多いが
いっぽう絵画などの人との関わりは意外に希薄です。
これは、いわれてみれば、という問題でじつは前からそうなんですよね。 あぁ、ということは、文学性の方に重きを置くということは
古くて新しい問題ですが、伝統書道の人々のやかましい主張をも本来的には妨げないはず、
なんですよねぇ >伝統書道の人々のやかましい主張をも本来的には妨げないはず
どういう意味? >>438
いえ、その石川九楊氏の言説に従えば、という意味です。
文学性云々と言っても、その詩の背景を感じながら書こうとか、仮にそれを知って書いたところで、それはじゃあ伝わらないわけでしょう。
書の表現内容が文学をその内容に即して表現できるとは、そもそも誰も言ってないし、そうなってもない。
だから、書く行為そのものの意味を最初から考えた方が、
「文学の内容を表現する」
という途方も無い命題にチャレンジするよりも、自分には興味深かったので、今はそういう方向で作品を作っています。 >>440
先のフォルツァーを思い出してください。
あれは電光掲示板のドット文字です。
つまり、文学性を表現することは、実のところ「書でなくとも可能」なのです。
というか、近代では手書きより活字やフォントが表現方法になっていて、
いま現在、書はピンチの時だよ、というのが石川氏の「書の終焉」の内容でしたから。
となると、書家は文学の第二芸術を志向するのではなく、 >>441
書独自の在り方をそろそろ模索すべき時に来た、いや、もう遅きに失しているのではないかというのが、私の主張なのです。 外国で著名なフォルツァーを出さないと説明できないのが悲しいけど
フォントができて書は自由になったってことですよね。 自分を出そうとばかりして
結局その「自分」は認められていないのでは? >>444
自分の記憶を書いています。
例えるなら、ジョナサン・ボロフスキーの「夢を見た」みたいな感じ。 >>446
文学性記憶って、言語と文字と音声と色彩と時間の流れ…
それを墨書する と 目利きのお眼鏡に敵う
ってどういう要素を満たした状態なんだろう? 美術を金額で換算するような連中をどうやって詐り欺くというのか! >>448
もちろん、完全なる再現ではないですよね。そもそも水墨画であれ、書であれ、東アジアの芸術の中には、敢えて自然の再現性を求めないものが存在しているわけで。
こうしたことがあって、こんなことを感じたとか、その記憶を頼りにオートマチックに書いて行く感じ。 >>450
ものすごく善良な方々ばかりですよ。てか、人間は人の死だってお金で償おうとするじゃないですか。
目利きのお眼鏡に適う、とは
誰も見たことのない作品
作家としての密度を示した作品
それを数百点作って審査され
合格することです。 >>439 意味?つまり、、、「用美一体」という主張。
文学性というのは言葉にストーリーを持たせて何かを感じさせることだけど
伝統派の人は正しく美しい文字を伝承することと、芸術性を兼ねなさいとよくいうでしょ
読めないほどにデフォルメされた作品には苦い顔をすることが多いけど
けっこうそのワクも破壊されちゃっている。文学性に依拠するということは、その立場と食い違うわけでもないよねってこと >>454 まぁ、お金の話は
もう喜寿にもなるベテランのベーシストに言わせると、わしら音楽家は
歴史的に見ればこれは、神事に携わっているようなもんだから。もらうお金は喜捨じゃからと。
そういう説明をしてた。なるほど実務をやるじゃなくそれで食っている人は、そういう考え方をすれば割り切れるじゃなと思ったよ。 ・誰も見たことのない
・作家としての密度
・数百点
・審査
だから日本からは三人だけなのね
審査という関門がミソ ね
関門はどこですかーっ と 神事というのはつまり、生活の中でたまった心の垢を洗い落とす職業なのじゃと。 >>456
ほとんどの人間(動物)は実利を追求する日々の暮らしで精一杯だものね
生活+αで何か表現できること自体が天賦の才なのよね >>458
舞台の下から観る者:舞台の上に立つもの >>457
これ、やっぱり4人目は紫舟でしょwww >>461
英語だとギフトというけど
それを自分勝手の武器にするのではなく、有り難く思って大衆とシェアする気持ちが大事かな 親方に毎日叱られること
「自分自分ではいつまでたっても誰にも認められない。わかってんのかアホ」 「丁寧に仕事をして、
お客さんに喜んでもらう商品を作る。こんな当たり前のことがお前はいつまでたってもできない」 え、でもSNSで作品を公開しても支持が広がらないっていってたやん あ、そうだちょっとお尋ねしたいんですけど
ガロさん、教育書道の大学で修行されたということなんですけど
いま現代アートで作品化に立ち向かおうとされている中で、その頃に学ばれた書の古典、
いま現在の制作に活かしている、あるいは活かそうと常に思っているもの、というのはありますか?
中国書のなにかしらの古典学習を通じて、「ネットリとした大きな文字の威圧感」だとか「切り立った意地っ張りな姿」だとか
こうハマっちゃってどうにもこの味わいがたまらん、と今でもつい共有したくなる感覚のもの、
そういうのがあるのであれば、いえる範囲で例示くだされ >>460 舞台の上に立つ者、、、が必ずしも上から下を見下ろす気分で、
群がっている群衆を軽んじているものかどうかです
トム・ウェイツ「有名?そうだな、悪魔の辞典によれば『有名』とは『際立って惨めな様』と訳されている。
つまし、恥を掻く立場に進んで立ちたがるという、ひとつのクセを表しているのじゃと。 ギフトという言葉を選んでくれた人に、いらん説教じみたことを言いました。
たしかにそれなんですよね。 >>468
コネクションもなく、ただ広げようとしてもそれは難しいでしょうね。 >>469
臨書は一通りやりましたよ。その中でむしろ意味がないなと思ったのは、篆書と隷書。今の言葉を書くのに、かけ離れた感じがしました。
影響を一番受けたのは「升色紙」です。 >>472
支持を広げようと動くのは、一般に向けてのことでしょうが、僕の目的はそうではありません。
アーティストの目的は、まだ知られてもいない自分をコッソリと売り込むことです。
そうすることで、発見する側は、発見する側としてのチャンスを手に入れたことになる。
実は、現代アートの世界では、有能な作家の争奪戦が繰り広げられていて、
まだ知られずに値上がりしそうな作家に人は群がります。 >有能な作家の争奪戦
一定レベルから上は、誰が支持するかによるんじゃないんです?
つまり、作品よりも人間関係が重要な気がしますが・・ >>475
それは一見、そう見えるだけのことではないですか?
つまり、コネクションと言っても、実際には作品を見て判断するわけですから。
今のお話は結果論かなと。 >>476
本当に根性があって、何があっても決して辞めない作家、どんどん良いものが作れそうな作家でないと、リーディングコレクターもギャラリーも怖くて手が出せないはずです。 ガロさんの作品を買えばいいんですね。
売ってください。嘘です。すみません。 >>478
僕より井上有一を買ったほうがいいですよ。 >>481
有一が50億になったら追いつかないでしょう?誰もね。 50億円になる作品が今1000万円だとしても買えません… >>482
それにね、作家は現世利益を求めてはいけないと、僕は教わったからね。 http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/879/
この夢のなかで反芻されているのは、文盲であることの悦楽である。音を欠いた夢のなかに立ち現われる無数の漢字はすべ
て、秘密を孕んだscryptにほかならない。カフカの物語同様、ここでも死んだ文字が生命を得て動き始めるのだが、ハーン
はそれをもはや読もうとはせず、文字との触覚的な接触の官能性にマゾヒスティックに身をゆだねるばかりなのだ。西はハ
ーンにとって日本は〈文字の王国〉であったという。ロラン・バルトのいう〈表徴(シーニュ)の帝国〉は、ハーンやバル
トにとって、文盲状態を余儀なくさせることによって逆に文字とのエロティックな(しかし時には脅威的な)関係を復活さ
せる空間であった。〈復活〉というのは、この文盲状態は〈書くこと〉と〈読むこと〉の根源的な差異に由来するのであっ
て、漢字との遭遇だけに固有なものではないからだ。西欧にとっての夢の空間であるシナとは、同じ意味で〈scryptの帝国〉
である。そこは音声中心主義的な言語に内在する分裂が文字の哀悼劇として上演される架空の舞台にほかならない。このよ
うな文字は、ラカン的な意味における〈対象〉であり、意味を消尽されたあとの不活性な物質的残滓である。何度も繰り返
して筆写されたために、しまいに意味の痕跡を失って、読むことも理解することもできなくなってしまった文字のように。 いや、こうまだるっこしいややこしい文章でまくし立てられると、書の未来とか考えるのどーでもよくなる。 >>489
言語学からのヒントをもらうのはアリだと思うけどね。もっとわかりやすくないと説得力ないよね、、 なんかこうね、芸術する心の持ち主としては、書き手に「これを伝えたい」という意思が見られないと、ゲンナリして読む気なくすのよね。
この書き手の住む世界ではこれくらいが常識的な言葉遣いなのかしらんけど、いちど第三者の視点でもお持ちになって、ご自分の言説が浮世離れして難解だということを
なんつぅか、猛反省を促したい! >>491
まともな西洋人なら、見た途端「ゲンナリして読む気なくす」のが普通だろ。
そんなオークション世界に参入するのが、どれほど無謀かつ非東洋的な事か。
つまり書道は東洋と自己を西洋の理解に準拠させて初めて、価値基準を同定できる。
それが嫌なら中国市場かな。あっちに準拠しない限り、日本書道の出る幕はない。
>>488は書道と無関係の東京大学大学院総合文化研究科教授。表象文化論、思想史。 >>493
同意。しかし、中国市場も彼らは自国のアーティスト(書家)を優先してるからなあ。 日展の特選予想でもしましょうかね?
黒田賢一 → 寺坂昌三
今村桂山 →
木聖雨 → 鹿倉碩斎
佐伯華水 →
師田久子 →
原田玉童 → 足立光獄
日比野実 →
松清秀仙 →
森田彦七 → 北山転石
吉澤鐵之 →
近藤浩乎 →
陣軍陽 → 岩田海道
野田杏苑 →
日賀野琢 →
柳濤雪 →
山口耕雲 →
山本大悦 → 川崎大開
もう書道から離れて久しいので人材がパッと思い浮かばない
誰か詳しい人いたら埋めて下さいな 日展の特選になる=全国&役職的に有名な方なんですか? すでに会派内で有力な人が遂に日展特選
というイメージ 特選って、偶然出した人が入るってことは過去にないのね。 >>497
ごめん、43、改組2と特選だったんだね
あらためて確認したら、これが特選の作品か?と思ってしまったけど(とくに調和体)
日賀野琢は誰に特選あげるんだろう?
なんか色々あったよね? 野田杏苑→村里桃苑 かな?
ちょっと年齢がアレかも 現在の審査員が1名の特選を決める権利があるってこと? 写真の右手が野田杏苑
左でマイクを持っている方が村里桃苑
なんだか、こわい・・・(うさみみ・・・)
http://ameblo.jp/toyogaku/entry-10908555229.html 一東なんてものすごくお金かかりそうなのに
親子で特選なんてどんだけ金持ちなの… 普通に考えれば
吉澤鐵之→吉澤石琥
はかたいでしょう
村里さんはたしかに上手だけど、
野田杏苑→深瀬裕之
だと思う
師田久子→岩井秀樹
かな?自信なし
今村桂山→高見廣流
これも今さら無いか? 書展って、1日20万くらいの会場費かかるところを毎年借りているけどさ、これ、一人何十万払ってるの?
日本の展示場って高くないですか? >>514
謙信も読瓜も中堅くらいから出品料10万超になる 出品料10万円!!!!?
公式で?御礼込みで?
日本は会場費が高いの? ランクが上がるほど、出品料が上がっていくシステム。
お礼金は別。 安いやつ買うと
薄墨だと機械刷りのシマシマでるからヤダ 詳しい人がいるみたいだから前から思っている素朴な疑問を
榎倉香邨というひとは、あんだけ上手いのになんでパっとしない後輩にちょいちょい水をあけられるのですか
世渡りが下手なのかな? 存じ上げなかったので
作品をネットで見てきましたが
ボンドで書いたようなネットリした香邨スタイルが好まれないからではないですか? コウソン流は今では紫舟が真似してるけど、
あれは仮名界隈では評判が悪い
彼こそオークションの世界に行けばよかったのに >>520
書道具店に行って触って比べればいいじゃん。
行けなくても通販やってる店はサンプル送ってくれるよ。 キョーワとか書遊とか東方交易とか
問い合わせてみ? 小津和紙とかしみせとか
和紙問屋にあたってみたら掘り出し物ありそうだし 書芸院の高大展の表彰式で榎倉先生のスピーチがあったけど
まあ、とにかく物凄い人なんだなっていうことだけはビシビシ使わってきた >>528
いいこと聞いた〜
教えてくれてありがとう!
大久保のキョーワは行くのに勇気がいる。 大久保のあそこは普通の店だけど…怖いのか???
業者によって仕入れてる紙がそれぞれ違うよね キョー和なら蘭亭牌の棉料夾宣が手頃かな、これもいくらか値上がりしてるが
高くなりすぎた紅星牌の3分の1の値段で買える >>533
個人店じゃなければ店員もべったり接客するわけでもないし(帳簿つけとか電話対応とか忙しそうにしてる)、
ずらずら並んだ色紙とか見てるといろいろ書きたくなる(結局書かないけどw)。 店には書展の情報が集まってるから、それを知るために通うのも勉強かと >>535
中国の画仙紙は高温乾燥するようになって堅くなってしまったらしい
規制で藁を使えなくなってさらに紙質が落ちたとか
中国の書家は書道具業界の事情をどう思ってるだろうね なんで中国製の紙なんて使ってるの?
値段かわらないんだから国産検討しなよ。 安い紙を探すなら
そこそこいい紙を使って
小さい筆で、小さく書けばいいやん。
1m以上あるとかバカじゃないの? そこそこ厚い紙を探してる人が小字書いても意味ないじゃん 半切なら100枚6000〜8000円あたりがそこそこ安くて使いよい紙質なんじゃない? 大久保のキョーワは、店自体は怖くない。
立地があれ。隣の謎のビル。 楽天とかでも買ってたけど
卸の会員価格にはかなわないね ちょっと質問
押し入れ見たところ前世紀中(1987以降)の紅星牌が数十反あったのだが
こんなのとか百選墨とか千寿墨とか引き取ってくれる業者あるのかなあ 本物を寝かせたら価値あるよね
ヤフオクやメルカリで売ったらプレミアつくかもね >>546
ヤフオクもメルカリも知らん。要るのは廃品回収業者。でも巷は「金プラ買います」ばっかり。 >>548
価値は忖度できるんだけどね、専門業者が見当たらないなら結局は捨てるしかない。
オークション代行業者なら知ってるけど、基本は金プラやバッグなどのブランド物。
まあ、なかったものとしてゴミ捨て場に直行するのが筋目なのかもしれない。
金目のものより、面倒臭さ忌避のほうが先に立つ。とにかく片付けるのが先決。 >>545
>前世紀中(1987以降)の紅星牌が数十反あったのだが
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t525926886
紅星牌尺八単宣 50枚2反 1985年11月製造
30,010円落札
>>550 実際、うどよしさんとこ、どうなん? ちょっと不思議に思っていることがあるんだけど、日展審査員レベルが個展をする時に、図録の序文を西嶋慎一に皆依頼するのは何故?他に評論家がいないから?菅原教夫とかいるのでは? 学者と呼ばれる人は、書道界の体質を知っているから、頼みに行っても断るんじゃないのかな。
菅原教夫は、読売だから偏光過ぎるし。 >>552
西嶋さんが出版業界の人だからでしょ
印刷を頼んだら西嶋さんにも一筆お願いする仕組み それにしても、審査員を拝命したら迷うことなく身内に特選を与えて、甲斐性を示す
こまかいことは抜きにして、はっきり言って作品の質なんてどうでも良いんですと言わんばかりの姿勢が丸出し
デリカシーが芸術の命じゃないのかな。
デリカシーのない行為を行う厚顔無恥が審査を行う
このことを腐敗という。
人間は思いのほか腐敗臭に敏感である。舐めた行為は許されるべきではない。 苦労して審査員になった人が、いままでの慣例をなくすとは思えない。
出品者は入選・入賞したら、師匠にお礼をするのが常識。
師匠も審査員になるまでさんざん支払ったのだからお互い様。 まあその業態も、若者がいなくなって崩壊するよね
年金と同じ運命 >>559 いっそのこと、特選や大臣賞なんていうプレミアは廃止してしまえばいい。
日展は、それが書家にとって多大な栄誉であり、部外者は無条件に信頼できるハズの太鼓判であることに対して
もはや責任を持てていない。平入選を多数重ねている人から順に評価される年功序列のほうがまだ健全だな
入選に関しても、応募点数が多すぎて審査なんて無理だという問題をはじめから抱えているのだから、
いっそ地方展先行で甲子園みたいなトーナメント方式にするとか、ブロック分けしたうえで審査員を入れ替えての二次審査を全体に行う等
ハード面での対策はいろいろとれる
もはや連日の不祥事報道でもなんら進展しない政治家の腐敗体質にも劣る問題になって久しいのに
賢い人間による協議で対策が取られないのは馬鹿としか言いようがない。 日展は、入選に関わる金品の受け渡しが禁止されたんですよ。
あ、入選したことがないからわからないんですね。失礼しました。
近年の特選受賞者には、審査員に同じ会派の人がいないというのも増えてますね。
あ、誰がどの会派かわからないんですね。失礼しました。
あの葡萄は酸っぱいから・・・の理論の実践者の集いだったのですね。 >>563
あの……落としものですよ?
.∧__,,∧
(´・ω・`)
(つ夢と)
`u―u´
あなたのすぐ後ろに落ちていましたよ?
砕け散ってますけど・・・元気出してくださいね >入選に関わる金品の受け渡しが禁止されたんですよ。
それまでやってた人が、急にやめられないですよね?
今はどのルートで金銭のやり取りをしてるんですかね?
税務申告してますか? 作品を買うという名目で、金銭が渡っている。
堂々とお礼金を貰っているのも居るが、チクらない限り、
そこは暗黙の了解になっている。
恐ろしい闇の世界だな。
しかし、それについて、緒方議員が予算委員会で、内閣府に質問したが、
うまくはぐらかされた。 新日展になってから、一円も払っていませんよ。
郵送したものも送り返され、持って行ったときもそのまま追い返されてしまいました。
いまだに金銭のやり取りがある社中をチクれば、日展から追い出され、あなたの入選確率が上がるのでは? 今はそんな状況だと思います。 >>571
今まではいくらお支払していたの?
作品を買ったりしてないの? 数カ所合わせて数十万円。作品買ってません。
>>570 西墨濤さんは無所属という立場で日展に入っていると思います。ご本人に聞いては如何? 会というか師匠によって違いますよ。
改組になって、無所属のサプライズ入選があるようですね。
60万から70万が相場と言っていましたが。 指標=ステータスを示す実績として掲げられるもの
ってことだとすると、官公庁の揮毫かな
国内ではシシュウ氏の独壇場ですがwww あと、もっとも名誉あるのが
『ご進講』
これは銅像もの 中野先生は素晴らしいです。
youtubeでも動画を見てください。
極端なようですが、事実、漢文を支持することは、
結果的に中国共産党を支持することになり、
チベットの人権を侵害することになるのです。
いい加減、目を覚ましてください。
その能力を日本のために使ってください。 >>579
中野三敏の主張はまさに御家流の復興だよね
で雅子さまか紀子さまか眞子さまか愛子さまにはかなの講師が必要と
ここにはシシュウ氏は入れないね
独活与氏も御家流は書けないと >>584
色んなアニメ関係の聖地の名物ですね、わかります。 刀剣男子みたいな和様マンガも流行ってるから題字の仕事もあるんよね >>582
>>584
これ、どんな気持ちで作ったの?
披露したら、みんな共感すると思ってた?
あなた、ちょいちょい同じような事を過去にも書いているけどさ、
他の書家は作品に関して具体的な批評があるのに
それに一切触れない時点で単なる素人の妬みでしょ?
女々しいよ(女性ならごめんね)。 >>580
『書道研究』1990.12号(萱原書房) 特集「江戸の「唐様」の研究」P.35
内山知也「江戸時代の儒者の書とその周辺」
「 以上、儒者たちを取り巻く社会の変動を四期に分けて簡単に説明したが、鎖国体制という、いわば「洞天」
にも例えられそうな閉ざされた世界の中で、周辺の諸国と隔絶した平和社会を維持し、長崎という小さな洞口か
ら少しずつ中国文化を輸入して蓄積し、「中国的な日本文化」を生産し、享受していったのが江戸漢文文化であ
ったといえよう。現在の日本文化史は、和文脈のみを主流として系統づけているが、それは大きな誤りであって、
この漢文文化が主流としてあったものであることを忘れている。この漢文文化を中国亜流の模倣文学であると否
定し去れば、江戸時代の日本人の思想や芸術表現の大半を、自ら失ってしまう結果になるのである。」 でも、日本人による文字表記は1〜3世紀の倭国ではすでに始まっていて、それは漢語漢文の模倣そのものだったのだから、
否定云々は日本語の歴史そのものを否定することになるんよ。 鎖国って戦後の御用学者が教科書向けに決めた概念でしょ? 明治以降の教育は、御用学者が全部、官僚のやりたいように忖度して作ったんだよ。
近年では「江戸しぐさ」(もちろん嘘)の記載が有名。
書道だって、流派や江戸時代の和様の存在を隠しているのは、その一環だよ。 「どんぐり大志」の名前で商業文字を手がけているこの方はどなたですか?
ご存じの方教えて下さい。
書風は古谷社中のようです。
そんじょそこらの紫舟さんとは違い、かなり本格的なものとお見受けしました。
https://www.kurashiki-tabi.jp/blog/?p=46423 宣伝するなら正々堂々と
「比田井南谷レポートを更新しました」
http://www.shodo.co.jp/nankoku/report/report-10-1/
上田桑鳩の 愛。 今だったらどうなんだろうか? >>596
そういう反応が来るような気はしたんだ。2チャンネルだから。
でも、宣伝じゃなく、本当に誰なのか知りたい。 >>598
>本当に誰なのか知りたい。
電話して聞け。
筆談しかできないならFAXかメールしろ。
これと同じことができる人が100人はいる。
この人である必要はない=大半の人は興味がない。 古谷社中に近いところにいるから、
正直>>595みたいなの食傷気味・・・ AKB48を見てお前ら区別つかないだろ?
さらに、似たような名前のグループがいて、同じような曲を歌って踊る。
でも、総勢で200名程度しかいないんだよなぁ。
書家の世界を見てご覧よ。
同じような書を書く人間が数万人レベルでいる。
そして、同じようなグループが乱立している。
個性ってないんですか? 社会組織ってわかるよね?
歯車は一つ一つに個性があったら、うまく回らないんだよ〜んw >>603
芸術家集団に個性があったら回らない
なんとも日本的…。
ネタだよね? >>603
全部同じ歯車だから
集まっても何も機能をはたせないってことね。 最終日に一気にやっちゃうんじゃないのね(´・ω・`) ヤモリは窓にくっついちゃったらくっついちゃったで向き直って眺めていると意外に可愛い さて、最後の追い込みはいかがでしょうか・・・?
昨日、一部?で話題になった科挙のアレを一応載せておきますよ。
皇帝に好かれるにはやはり、アレしかないようですね。
https://togetter.com/li/1145455 科挙のような厳しい試験をしてても
アヘン中毒が増加するし、
結局、共産党の国になって他国を侵略するし、
銀座で立ちションベンするクズ文化である現状を見る限り
何にも役に立たない試験だった事がわかるね 夏休みの宿題とか、最後の追い込みとか、結局皆さん日展出品作制作に励んでいるんだね。
腐っても鯛とは日展5科! 行草書について考えてみると 日展に出すような大作にかぎっては
各文字の構成力がすごいとか、線質が強靭であるとか柔軟である、
章法が卓越しているといった、ごく初歩的で直感的かつもっとも重要な鑑識眼が通用しなくなるのは何故だろう?
ふだんの書教育活動においてはそういうものを遺憾なく発揮しているような書き手であろう人の作品でも、大作の場合はもはや何がなんだかわからないのが多い
勘ぐるとそれが良いのか悪いのか、自分でもわからないけれどとりあえず右へ倣えでやっているのか。
あるいは初級者に教授している作風などとは比較にならないほど高級なことをやっているからそうなるのか?と書きかけたところですでに白々しく感じる。 つづき
やはり捉えどころのない「芸術家気分」に毒されてきた面があまりに強いのではないだろうか?
新しがって喜んでもらおうと思うあまり斬新なんだかヘンテコなんだかわからないものを書いて
幻惑してケムに巻いてやろうという魂胆
せっかく草の根で義之から趙之謙までひっぱりだして
丁寧に丁寧にひも解いて教えて 精彩を放つ字姿は何か 余白とはなにか
バランスとは作品制作とはなにか 訴えるものは何か
ものすごいエネルギーを投入して普及につとめておいて 晴れ舞台で台無しにする
ふだん教えていることと齟齬する程度がひどい
いったい何がしたいんだろうかと神経を疑う
だいたいの出来は紫舟と大差がない こんなサマじゃ大きな顔をされても仕方がない コロ助は自分がやる分には長文OKなんだな
自分がスレ主だと嵐もやらないしで自己中・ダブルスタンダード全開だな 書作品が市街地や個人宅のあらゆるところに自然にあるというのが理想なんだが
日展のような馬鹿でかく大袈裟な作品が書作品だっつってるうちはダメだね >>620
スマホの画面にしか焦点を合わせられない日本人に何言ってるの? 比田井南谷レポートを更新しました。
1957(昭和32)年8月10日、前衛書作家協会の創立総会が開かれました。
司会は井上有一、出席者70名。猛暑の中4時間にわたり熱心な審議が続きます。
ほかに書壇の重鎮や評論家による「前衛書」批判等。
http://www.shodo.co.jp/nankoku/report/vol-10-2/ >>623
興味深く拝見しました。あと、井上有一の愚徹の制作年が間違っていました。
正しくは1956年です。(1957年はサンパウロビエンナーレで愚徹が発表された年) なるほど。ではもう1つ別のを・・・
「この対談、アートがどう世の中を変えるのか、という話もおもしろいのだけど、
もうひとつの注目は、村上隆さんという人の存在。どこの世界でも、こういう人の果たす役割は非常に大きい。」
【対談】堀江貴文×猪子寿之「アートが変える未来」
https://netallica.yahoo.co.jp/news/20170829-35151461-rshingaku チームラボは書に関しては、
冒涜しているだけだと思う。 村上隆さんも彼を見出した小山登美夫ギャラリーの小山さんも井上有一の作品持ってますよ。 >>625
大量生産品でも良いものは高く売れるという価値観は工芸分野では
ずっと昔からあったことだと思うけどな。
ウォーホルは表層を提示しただけで、大量消費社会の深層になったわけじゃないわ。
もちろんアーティストとしては十分な仕事だけど。ここまで言うと我田引水の感が否めない。 幼稚園児に小便小僧を模写させたら、小便は線で描くだろ
浮世絵が価値観を変えただなんて深読みしすぎだし大袈裟スギル 雅号って火へんの漢字は避けるものなの?あまり使われていないが >>623 おら悲しいかな豊道春海の立場にいちばん共鳴したわ 井上有一 ほしい。
買える値段なのは、レゾネに載ってない
偽物もどきしかないだろうけど。 井上有一作の似たようなもんだったら割と作れそうだよなw
あの人、たぶんそういうことには関心がなかったんだろうけど、ほんとは大事なことですぜ
簡単に真似されてたまるかい、っていう気概がないと東洋の芸は極まっていかない
斬新だとか目先の変わったモノ、コンセプチュアルっていうのは昔気質の師匠だったら鼻で笑う、なんでかって?
答えは最初の三行に書いたの通り。そこではアーティストっていう括りで高評価をされたって何にもならない。
アーティストっていう括りで作品に莫大な高値がついたって仕方がねぇってヤツなんだと思うが如何。
もっともっと本能的に訴えるモノを、って欲張った気持ちに応えるためにはどうする。雨の水滴を線で描いたんだって哲学的な講釈を垂れるか。
それとも雨の落ちる速さを看取して空しさとかそっけなさとして感覚の問題に置き換えて無力な俺の嘆きとして表現するか。
表現したもんを投げ出して見てもらって、へたりこんだような気持ちで居られる人間かどうか。
肝心なことがひとつもわかってねえエセ芸術家が大きな顔してんのはどうも解せねえ。 >>636
童貞「自作のエロ漫画でオナニーしたらいいやん!」 >>638
いいこと言うね。
でも、真似されてもカタログレゾネあるし、真贋はほぼハッキリしてる。大きく一字を書いたのは、井上有一で、それ以外は模倣。それから、高値がつくのはそうした贋作をシャットアウトするインフラをキチッとやったから。まあ、そこに価値を置かない生き方もわかるけども。
井上有一は、これも、知ってると思うけど、簡単にあのレベルのアーティストにはなってないわけじゃない?
エセ芸術家はきっと、そこと比較されると思う。で、やはりエセの烙印を押されて消えるよ。 海上さんが有一の書について書いてる文章によると、有一の書にある墨しぶき?と言うのか、
墨が飛び散っている様が他の書家と全然違うんだそうだ。
凡庸な書家は勢いをつけてわざとらしい墨しぶきを作って得意になってるけど、それと有一のはハッキリ違うって書いてた。 >墨が飛び散っている様が他の書家と全然違うんだそうだ。
wwwwww
ありえん!いい加減なやつだな、そいつの審美眼も。 まぁその、健康食品ひとつとってもプラシーボ効果(思い込みの効果ね)だとかが議論されて久しい、その時新しかったものの衝撃が忘れられず、時代に振り回された自分の正当化をしたいんだ!ってなってもいいじゃない。いんや、よくないよ。
おら638ですけどね、ガロさん、おいら井上勇一をディスってはいないよ
捨て身の切り込み隊長を悪くいうのは気が引けるなあ。
だってそれが、つまり神話の世界のロキ神、典型的トリクスターの如く、無知と無知の間を縫って発見へ導いたんだもん。当事者は怖いのと、心細いのと、ひもじいのと孤独に耐えたんだ。
高く評価しないでいられるかってなもんだ。なんでって他人の金魚のフンとか他人を盾にして安全地帯にいて、勝手に生活習慣病に苦しんでるアホの多いのに比べたらね。でもね、井上勇一は正当な評価をされているわけではないよ。その一点だけちょいと再考を煩わしたい。 墨の飛沫のところ、出典を調べたらだいぶ違ってた。ごめん。
正確には大田美和氏の文に海上氏の言葉として出ていた。
(出典:大田美和「〈印象記〉狼涙三十回忌法要と記念のお話」『六月の風』 No.240 ウナックトウキョウ 2014)
海上「・・・無方向の飛沫は油絵の描き方では出せない。
普通の書家は筆の走る方向でしか飛沫をとばすことができない。
有一は字の形にひかれず一線一線気をこめてつぎの線にむかうため、
浮かべた筆に気を図って空中にとめたので無方向にしぶきが飛んだのだ。」 >空中にとめたので無方向にしぶきが飛んだ
こういう結果論って
何故、よいのか書いてくれないよね。 海上は井上で商売をしているんだから、よく言うのは当たり前。
確かに、筆の走る方向でしかできなかった飛沫は、浅はかさを感じる。それは海上の言う通り。
しかし、井上以外に墨の飛沫が作品を活かしているという書家は大勢いる。
奎星会の何人もの作家は計算づくで落とすところを決め、最後に落としている。
大平山濤もよくやっている。 >>647
もちろんわかってますよ。僕が言いたかったのは、あの1字を大きく書くコンセプト自体が、彼自身のものだから、あとの人はいくらやっても お芝居にしかならないということですよ
正当な評価を受けていないとはどういうことですか? 井上有一の現代美術つながりで情報。
うどよし氏の書展で
美術評論家の講演会「書家のための現代美術入門」を行なうって。
http://wayoh.jp/7th-calligraphy-exhibition
関東の人、行って内容を3行で教えてくだされ。 >>648 いろいろともっともらしい説明なんだけどね
そもそも飛沫が飛んでいること自体、一種の露悪なんで没書にしないでそのまま出すという
行為自体にすでにあざとさが秘められているんだけどね
本当はブルース・リーが攻撃を出す前に身震いしながら咆哮するみたいな
アジアンテイストのミステリアスというかオカルティズムを売りにしちゃってるだけなんだよね
常態化すると演出過多になって俗悪となる危険と紙一重ですよ
欧米人は物珍しがって感心したりするけど、しまいにはバッタもんが9割9分って有様になる
>>652 いや、逆に質問したいくらいだけど一作に何千万という金額というのは正当な評価なの?
そこまで一点ものとして他にない意匠が込められているの?そこへどれだけの理屈が用意できるのかということ >>654
いや、海外ではむしろ事態は逆で、井上有一は安すぎるという評価なんですよ。
だからここまで世界的なマネーゲームの対象とはならなかった。そこで、日本や中国の愛好家にコレクションされています。
つまり、まだまだ幸せな状態なんですね。ファンからすれば。まだかろうじて買えますから。
ところが、それ以上の状況にな
ってくると、国内のギャラリーからしたら、自分の顧客に勧めにくくなるんです。高すぎるからです。
おっしゃる意味がわからないでは無いですけど、アート作品の価格というのは個人の思惑の範疇外にあると思った方がいいと思います なんかわかってきたけど、ガロさんに尋ねたいことは
せんじつめると、、なんで井上有一みたいになりたいなぁっていう憧れがあるの?
という部分に絞られてきた。
金額を誇れるから?
それとも「うわぁ〜、ここのこの斜めの線の切り込み方が沁みるわぁ〜、、」というか
「やっぱりこれは練達の極みだねぇ〜」といった共感のなかでも多くの神経的脈絡が強い
つまり情報量が多いCDプレイヤーの音はやっぱり良いねぇ、みたいな 生の実感を得られるものを欲しているの?
欧米人がちょっと座りなおして感心してしまうような和テイストって確かにあるけど
ちょっと、その見方はまだまだ稚拙な段階かもしれないよ。 >>658
確かに僕は井上有一についてはある程勉強はしました。でも、井上有一みたいに書くわけではないですからね。
和テイストとは、外国人が感じるエキゾチックな感覚ですよね。それは書道である限り、基本的には逃れられないのでは? >>659
金額を誇れるから、というのは、全く感覚としてわからないですね。お金のためにやってるわけではないから。
ただ、素晴らしい美術品に人が群がり、価格が上昇することについては、当然の現象だと思ってます。
素晴らしい美術品はそれだけで希少価値ですから。そうした意味での憧れは強く持ってます。 私はガロさんの目指すところはわかるというか
書道教室や会派やらでビジネスをするのは末期だから
現代美術作品を売るところに打って出るしかない。
(カネよりも、そこで勝負してみたいという印象もある。国内の評価なんて採ったところでなんの価値もない。現代美術の市場がメジャーだから。)
野茂英雄なんだよ。 末期って言っても年収500万くらいなら書道教室経営でも十分やれるよ。
アーティストを目指すなら、世界で数人の難易度。
書道教室経営を目指すなら、日本で数百人の難易度。
どちらを目指すかだね。 「知られざる比田井天来」更新しました。
「第29回 父母のこと」 長女、比田井ゆり子の手記です。
http://www.shodo.co.jp/unknowntenrai/episode29/ …
書狂人(きちがい)といわれていた父、天来と、
「秋の哀れが身にしみて」と涙する母、小琴。子どもが見た、天来と小琴の素顔です。
・・・だそうです。
最後まで書一筋の天来さんと、奥さんの小琴さんも味がある。
阪正臣は小琴さん方の縁かと思ったら天来さんの縁だとか。
色んな方とのつながりがあったようですね。 天来書院さん ここチェックしてるんですか・・・
なんだかたのもしいスレですね。 >国内の評価なんて採ったところでなんの価値もない。
こういう失望感はわかるんだよね。。
日本人すらほとんど観る目なんて持ってないんじゃないかって時代だから、、、
だからこその教室経営、そして少しでも普及を、という立場もあり、
一周して考えると「小字数書」系の作品にハラが立つことがけっこうあるんだな
あんなの大ゲサにグニャグニャやってるだけで、観たって良さとか見どころとか育たねーだろ!って、、、まぁそれはただの好みかもしれない
どっちかというと金田心象、殿村藍田のやってた「小さい字で練習しなさい!」という立場に共鳴するので。 大字書や抽象は書道ビジネスの最もビジネス的なものですよね。
心の何処かで大字書は、下に見ちゃいます。
ダメなんでしょうけど、書道ビジネスのための書道だと思うのです。
オレオレ詐欺をやっているヤクザや、過払い金訴訟専門弁護士みたいな感じでしょうか?
モラルが低いと思っちゃう。 >大字書や抽象は書道ビジネスの最もビジネス的なものですよね。
え?どこにビジネス要素が?
美文字になれる系の詐欺の方が悪質。
そんなに簡単に字は上手くならない。 習い始めて5ヶ月の有名スポーツ選手が
毎日展で大字書で佳作をとっていましたな。
普通には起こりませんよね・・・ >大字書や抽象は書道ビジネスの最もビジネス的なものですよね。
大きな紙と筆、大量の墨が売れるからね。
>美文字になれる系の詐欺の方が悪質。
これは、書道関係者の全員が関わった詐欺行為だけど
騙される方も騙される方。
毛筆やって硬筆がうまくなるっておかしいだろ。
硬筆だけやればいいやん。
そもそも美しいと思うなら、書展は楷書だらけでしょうよ。
楷書なんて殆ど出ないだろ デトックス、アンチエイジング、体幹トレーニング、ローフードにジビエにロハスで美文字、、、最新キーワードみたいなの冠してる習い事の講師ってだいたいニワカ感丸出し 現れては忘れられる栄枯盛衰フラグを自ら立ててるようなもん、、、 大字書がぜんぶ悪いわけじゃないけど、こちとらが丁寧に小さい字で養ってきた
文字の結体とか、読みやすさ誤字誤用を避けるための配慮だとか
いちばん専門的で身に付きにくいと思っている細かな審美眼を、ぜんぜん刺激してくれないのが多い
でっかくドカン!ズビビビ!ビチャ!って書いただけのもん、淡墨の滲み方だけに頼ったようなもんでフンゾリ返ってもらってもって思う
いっぽう美文字講師やら、あとは筆耕士で妙にプライド高い人だとかの偏屈すぎる書字態度もなぁ
用美一体ということをいうと古いと思うかもしれないが、用をなす書字の枠内で
最大限の芸術性と情操表現を実現するのは非常に高度なことだと思うが
あんまりその立場について明確なコンパスを持っていない指導者ばかりになっちゃったのかなぁ。 仕事?というかで、ほぼ小筆しか使わないけども結構大変だ。
少しでもバランス崩したらおかしくなるし、ホントに微妙な処が大事だと思わされる。 >>668
答え:紙と墨をどんどん使うから。筆もデカイと高いし。
あとは裏でチラッと、、、わかるよね?
僕なんか、書道用品を使わないから、一般の書道具屋から飲みの席で「お前は俺の敵な」みたいに言われたことありますよ。 フォントもマックのほうを見ると、どうしてもwindowsの方は…ってなる。
メイリオも、しょうがないかレベルでもある。
書道用品店も閉店が多いとか。
文房具屋でインク壺型の開明墨汁買ってあとは開明書液を足すだけだったり。
小筆と筆ペン、安い半紙ぐらいで終わり。 墨汁ってそんなに悪いですか?
会派の全員、騙せたんですけど。
(350cc 1000円程度の大手メーカー品) 墨汁の墨色が好きならそれでいいのでは?
絵は色を使うが書は墨一色。
書く側が墨色にも無頓着なら、書を見る人も少なくなるわけだわ。 墨色の良し悪しがわかるサイトとかないですかね?
世間ではどんな色が悪いとされているのか
よくわかんないですよ。
中には顔料混ぜてるのもあるし。
あれ、汚いと思う。 >書く側が墨色にも無頓着なら
書いている内容に無頓着なのに、
墨にこだわってどうする…。
それこそ、本末転倒。
良い文章を作ることが最大の難関。 書の内容を充実させる
道具にも心を配る(「こだわる」という言葉は使いたくない)
両方あっていいと思うけどね。
書を買う側からすると、墨汁(墨液)で書いたものは買いたくない。
墨汁の色は百年持たないと言う。
百年経ったらゴミになるものを買うかな?
表具だって機械表具の掛軸は買わない。
再表具できなくてゴミになるから。
作品の長期保存性を考えるのは、作り手として当然の配慮でしょ。 >638
機械打ちは100年持つよ。
墨汁も100年持つよ。
逆に、持たないという証拠はある?
そもそも、100年後に
文字を書く行為が存在しないと思うんだ。 >>684
機械打ちの表具は百年持つか知らないけど、再表装の時に剥がせないのが問題あり。
掛軸って百年おきぐらいに剥がしては再表装することで何百年も伝えられてきた。
国宝を扱う装こう師も機械表具は剥がせないと言ってた。
墨汁は百年持たないというのは、製墨メーカーの人が言ってた。
井上有一の使ったボンド墨は50年経っても保存良好らしいけど。
文化財保存では論より証拠で、実際に何百年も保存されてきた技術が信頼される。
機械打ちなんて長期保存を考えてない技術の筆頭じゃないかな。 100年以上保存される可能性が産まれてからやればいい話だな。
日本には今、3万円以上かけて表装すべき
中身を書く作家が100人いないでしょ。 >そもそも、100年後に
>文字を書く行為が存在しないと思うんだ。
ありえるんだよな、、うーん。ありえる
と、いうことはペンテルもパイロットもゼブラもユニも廃業じゃな
なんでって、教員やってる知り合いによると最近のコーコーセーは
一生懸命下準備して授業で板書したもんを、スマホでパチャっと撮影して、あとはヘラヘラしてたりで
もう腹が立つんだそうだ 人の苦労も知らんでコイツラぁ!と。
んで、ゆくゆくは脇見運転で人に怪我をさせといて保険屋の後ろに隠れて謝りもしないようなクソガキ大人に成長するのである
文字文化の伝承もそうだけど共感性がねぇ。。表向きはキレイなことをしゃべるんだろうけどね
政治家も「重く受け止めております」って口だけはシャーシャーというし、お手本がアレなんだから仕方ない >>687 生活潤ってる?大丈夫?
>スマホでパチャっと撮影
年始は、1軒ごとあいさつ回りしていた風習が年賀状になった。
年賀状も失礼ですか?
先生も印刷物配布したらいいやん。
変わらない方が悪いこともあるよ。
書道のようにね。 >そもそも、100年後に
>文字を書く行為が存在しないと思うんだ。
このスレの存在意義がなくなったね
未来じゃなくて「昔は良かった」の回顧談でもやりますか いちいち反論する気も起きないどうでもよいコメントをどうもありがとうございます >>689
別のスレでどうぞ。
100年後はななってると思うけど
20年後は、まだ毛筆は残っているでしょ。
そもそも100年後の話なんてどうでもいいわ。 来月、日展の入選発表ありますが、特選予想してください。 そもそもさ、作品ができる前に
予想できるってすごいよね。
そして、それが半数以上当たるという(笑) その団体の上の人から、「来年はあなたですからね」と言われ、
入選したらそれなりのお礼を、と。
いつもの事じゃないですか・・・(´・ω・`) 「来年はあなたですからね」が
外部から見てわかってしまうという…ズブズブ体質。
文科省の元事務次官が「行政を捻じ曲げた!」と騒いでいたのに
文化庁がこれだからなー。 ニュース見ててビビった。
とうとう天皇陛下まで…
もう書を分かる人が誰もいなくなってしまったのか、
それとも、私の目がオカシイのか。
http://www.news24.jp/articles/2017/09/29/07373869.html
天皇皇后両陛下は、29日から愛媛県を訪問されています。
両陛下は午後1時半ごろ、飛行機で愛媛県に入って地元の人々の出迎えに手を振って応えられました。
その後、松山市にある県立の美術館を訪れて愛媛ゆかりの書道家・紫舟さんの展示会を鑑賞されました。 皇室の人って桑原翠邦センセイとか植村和堂センセイにご進講を受けてきたワケでしょ
そりゃ、敢えて不平不満をおっしゃらないだけであってだね、、案内人の責任だよね
そもそも材質にしか興味が(ry 紫さんは愛媛出身だから・・・
コネを総動員して実現した行幸でしょうね
園遊会にも呼ばれそうな気がする 両陛下をお迎えするときの服が全身真っ赤っかってTPO的にどうなの?
主役が両陛下なのだから落ち着いた色にすればいいのに...
この画像を色々と活用するんだろうな コネを総動員してできることとできないことがある。
これは、確実に後者。
そのタイミングで愛媛県立美術館を押さえて書展を実施していた強運も
もはや営業力を超えた実力のうちだと思う。
(事前に知っていて、あえてやっているというのなら、それができる実力ですよね…もう怖いくらいです) 実力ったって、書の腕前や造詣のことじゃないし。両者を混同するのはほんと止めてほしい なんか個人的な見解で申し訳ないんだけど、
女性ってその辺の価値観に芯が無くって、内心では「結局どんな手を使ってでも目立った方が勝ち」とか
思ってる人が多そう。そういうのほんと勘弁して。芸能人の浮いた話だとかに影響されすぎです
あんなグロテスクな作品を檜舞台にさらすなんて、北朝鮮の強硬姿勢みたいなもんで後に引けなくなるだけだから。
悪魔の辞典を引用したくなるね 有名=際立って惨めなさま。 >>704
>主役が両陛下なのだから落ち着いた色にすればいいのに...
>この画像を色々と活用するんだろうな
こういう部分だよね。ある視点から見れば
みずから自分は厚かましい人間ですって公共電波に乗せて宣伝してる ユネスコに書道登録する活動をする前に
国内のこういう詐欺師のような活動をしている人を整理してほしい。 東京医科歯科大学医学部、学校給食員、性城石井、ピーコックストア、ジャスコ、アマポーラ、化粧品売り場店員、しまむら1万5千人で僕の家の風呂に入りきてレジオネラ菌発生。 >>705
なんか勘違いしてるみたいだけど、えひめ国体文化プログラムの一部として展覧会があったんだよ。
陛下ご出席の国体の開会式でもパフォーマンスしてる。
運ではなくて、すべては仕組まれていたんだよ。
https://www.ehime-np.co.jp/article/news201709117637 天皇陛下もせっかく愛媛にお出でになったのだから江戸時代の蔵山とか明月の書でもご覧になれば良かったのに。
正岡子規が蔵山と明月の書は松山の宝と言ってたよ。
神経質な女のくさび形文字をご覧になって批評しなければいけない公務とか、譲位したくなる筈だわ。 江戸時代なら米山さんもいるでしょ。
そして昭和だとやっぱりあの方・・・ >>712 神経質な女のくさび形文字
言い得て妙。
醜くて、浅はかだよね。双雲よりひどい。持ち上げる人間の美意識が疑われる。 公募展の墨色は公募展によっても傾向が違うけど社中展系の磨墨使うところの方が見て楽しいよね
新聞社系は黒いだけで目が痛くなる 紫舟とか双雲さんとかどこかプロダクションに売り込みをたのんでるんでしょ
素人の女の子でもプロダクションに依頼して有名デパートで個展開催してる人いるよ
書道やってない人に書の善し悪しなんて分からないし
紫舟とか双雲さんだって自分の字のどこが良いか分からず書いてる >書道やってない人に書の善し悪しなんて分からないし
この部分は、極論しちゃダメなんだよ
まったく分からないこともないし、なんでも分かるわけもない
ただ、一般人の鑑識眼は風評に大きく左右されることだけは確か >>715
磨った墨の色の良さがわかるのは、相当の上級者とお見受けした。
とりあえず、毎日展の審査員より上ですな。 墨液の色に慣れてしまったら磨墨に戻れないみたいだね。
毎日いいものを見ていないと墨の色の良さが分からなくなるらしい。
墨液ばかり使ってて「腕が上がったら磨墨する」とか言ってる人で磨墨に戻った人を知らない。 墨液の濃墨超濃墨って嘘みたいにペンキみたいな真っ黒の色になるから
それが本来の墨の色と勘違いされてるのかもね あの濃墨とかいうもののキッタナイ色には吐き気すら覚える。
毎日系の特に若手の作品など、ガラスで薄められれば何とか耐えられるけれど、ガラス無しで見せられるのってもう無理。 今城昭二先生、何かあったのかな?
中国に学書のために引っ越された熱意には敬服します。 ちかごろ藤井聡太の取材で将棋会館の対局室にある大山名人や佐藤名人の掛け軸がテレビに映ることがある
あれは、字そのものはそれほど上手くはないようだが、見栄えはよく写る
あれなどは完全に墨色を活かした恩恵で、その風合いにマッチする字態があって成立していると思われる。 >>700
世も末だな。日本の書道はどうなってんだ… 高校生の書道パフォーマンスだって見ていらんないくらいショウモないのに
それで物品が売れたり注目されれば、、なんて思惑もあって誰も苦言を呈さない
でも、そういう媚び態で露出すればするほど誤解され軽視され、自分の首を絞めるだろうとおれはすごく思う 書道パフォーマンスといえば青柳美◯。
この間大学院卒業したね。名古屋の家具会社がスポンサーか? 今日の糸井さんの ほぼ日 は書に通じるものがあるかと。
横尾さんが言ってたものだけれども。
そういう視点から見てみると、改めてすごさというものも感じられる、と。 >>727 知らんひとだったから検索したけど、こやつもどぉもエセ和風っつうか、、、、芸能人気取りで安い注目を集めたいタイプだな
転折とハネの誇張、わざとらしい顫筆、散らした墨ハネ、カギ型にとがらせた収筆
この手の新人類はみんなびっくりするくらい陳腐な表現手法にすがる
うどよしが物凄くマシに思える じっさい莫山センセーの知心剣といい勝負だし うどよしちゃうわ そこまで高評価してないし
ともかく流行り(なのか?)っていう免罪符をもって伊勢エビみたいな字をみんなで書いてろよってのな
それみて危機感をもって、伝統派はもっと奥行きのある創作やって
伊勢エビ軍団に恥ずかしい思いをさせろ いっかい出した作品は引っ込められないんだからな 長文になると何言ってるんだかわからなくなるクセを修正してから自演やるべき
酔って呂律が回らなくなってるみたいだぞ
自分の書いたもの読み直して変だと思わないのか? >>732 そういうあんたは何ですか?アオヤギだか伊勢エビだかの関係者ですかぁ? 個展開催中の岡西佑奈さんはどうですか?
あの右払いは絶対武田双雲系だと思ったら違うんですねー。栃木春光さんという方に師事されたそうです。 ネットで調べた薄い知識で今日も明日もネット徘徊か
リアルで友達とかも居ないのかよ >岡西佑奈さん はどうですかっていわれてもねぇ、、、なんかほんと似たり寄ったりだよね。
双ウンもそうだけどなぜか楷書に波磔みたいなもんを混入させちゃうね。
で、普通の隷書が書けるかといわれると書けない そして行草なんかはほとんど勉強したことがないんじゃないかという風。
上にでてた青ヤギさんは孔子廟堂碑の臨書なんかはそれなりに書けているのに、
なんで作品となると悪趣味になるんだろうか。 >>738
私の言いたい事を全て言って下さいました。
そうなんですよ。武田氏と岡西さん、なぜか波磔!おそらく端正な楷書も書けないのでは。
青柳さんは時々上手く書けてるんですが甲冑着てパフォーマンスとかしちゃうから残念。 残念ですねぇ。。
こういう方々に限って、どういうわけだか「日本の伝統」とかへんなコピーが好きみたい
こんな幼稚な目線で日本の伝統を捉えてるの?って思う
着物きたり甲冑(笑)ですかw 真面目に書道やってたら、だれもやらねーよってね。
で、たぶんどこかでみた超一流の作品をなんとなく記憶していて、なんとなくそれっぽく再現してるんでしょう。
どうせ自分と同じでわからない人ばかりんだから、それで通用するって本気で思っていそう >>740
本当にその通り。あれが日本の伝統とか日本を代表する若手とか?残念でしかない。
注目されてナンボで、鑑賞する側も見る目がないから「それっぽい作品」ばかりが溢れてる。 今日から開催のうどよしの書展いってきました。
一応感想を言うと、ここで批判されるレベルではないということ。
特に、うどよしの作品は、写真と現物は全く情報量が違うと思った。
正直、行ってよかった。
知らない私にも、きちんと挨拶してきて少し話ができた。
ちょっと感動してしまった。くやしい。
15日までだから、行けるなら行くべき。
あと、うどよしの書展のAdobeの審査員の人、有名人だった。
どういうコネがあるんだろう…。 ここまで必死に自演で保全すべきスレだってのだけわかったw >>741 教育現場でも、あまり名指しで批難するわけにもいかないでしょうしね
ヒルズ族のITバブルっていってた時代くらいからですかね、、、有名で発信さえすれば偉いみたいな風潮。
テレビ局だってマスメディアにだって、そこそこ書道できる人くらい社員にいるはずですよ?
そういう人々が何を言っても、無名なヤツは黙ってろみたいに扱われるんですかね、、
>>742 上の方でうどよしの自演だって絡まれていたものですけど(汗)感動できてよかったですね
>>743 ちがうけどね? ああ わかった わかったww
勝手に続けてくれよ基地外 >>744
その流れで、今はインスタフォロワー数稼ぎに必死な書道家が多いですね。桁違いにフォロワーが多い人はフォロワーを買っているとか。芸能人と一緒。書道家でフォロワーが一番多いのは鈴木曉◯。彼もメディア系ですね。
逆にインスタから発展して書家を名乗る人も出て来た。もう何が何だか… 自演というなら、それでいいと思う。
前を向いている人は、ドンドン進んでる。
うどよし氏の書展は、その一部だと思う(私もぜんぶ知らない)。
批判している人も、額蔵も軸装を見るだけでも交通費くらい元取れるでしょ。
あと、明日、誰か行って、「書家のための現代美術入門」の内容を教えてほしい。 言ってるそばから一分刻み連投自演やるんだからなw
アホかとww >>740
和服や甲冑は、書道を知らない、漢文や草書が読めない人に対しては、
日本の伝統イメージとして分かりやすく、手っ取り早いアピールになるんだろうね。
墨田区の両国にぎわい祭りで、大相撲の現役行司が、うちわに相撲字を書く企画があった。
こちらこそ日本の伝統を担う人たちだけど、普段着やスーツ姿で書いていて、
行司装束で書くようなパフォーマンスなんてしていなかったよ。 インスタですかぁ。。
まぁ、チラっと期間限定で露出するには都合がいいのかも知れないですけどね。
極論すれば、売り込み方なんてどうやっても良いから、誰がどう見ても上手いと思うような作品を出して欲しいってとこですね 実物は見た事ないけど自分はうどよしの書は受け付けない。随分前にネットサーフィンしててブログ読んだが…あの人古典とか書けるのかな? 自演じゃないですが、古典もちゃんと学校で習ってますよ。
まあそれぞれの書の好みはありますよね。
多○○一さんのはちょっと自分の好みに合わないな、とか。
いちおう和様の書展のとこ貼っておきます。
自分は往復したらそうとうな額かかるので行かれませんが・・・
http://wayoh.jp/7th-calligraphy-exhibition スレが進んでると思ったら自演だらけ。
2ch(5ch?)で売り出したら儲かるのかな。
自演するさもしい根性だから、和様の書展には絶対に行かない 遠くて行かれない人もいるし、近い人は行ってみるのもいいかも?
書やアートやってる人であれば、写真で見るのと実物では
全く別物であるというのは良く分かるとは思いますが・・・ うーん、うどよしは書というより絵手紙の字って感じなんだよなぁ 126 わたしはダリ?名無しさん?[sage] 2017/10/14(土) 15:18:26.05
>>123
肩書は書いてない
「陶」の一文字を入れてる でもなんだか、作品に商業性を持たせるために審査員は企業様ってしているところが危なっかしいな
よほど会長が気を引き締めてかからないと、そのうちグダグダの内容になりそう 最近はカリグラフィー人口が増えてるのも懸念。ハンドリトゥンショーケースなるイベントも開催中 プレバトの夏井センセーと他の講師など見ていて思うのは
やっぱりツカミはともかく、長い目で見ると専門知識を死ぬほどもっているかどうかって要素は不可欠だと思う
うどよしは中途半端に業界分析なんてしてないで(外交上喋れないといけないのかもだが)、うわぁこりゃ真似できねーと思わせるような練磨も怠ってはならないと思う
でないとただのプレゼンターになってしまう うどよし書展に行ったのものですが
みなさんの危惧されているのは、武田、紫うんぬんと同類で分類しているからであって
ちょっと次元は違うんじゃないかな?と思います。
明日までのはずですから、関東の人は行って批判するなら具体的にしたらいいと思います。
企業の審査が嫌なら専門家審査を受けていたらいいですよ。
今日の講演会行った人いませんか?内容を聞きたいのに…(講演する人、結構すごい人ですよ) >751
古典を書きたいなら必要性がありますが、古典を書かないなら必要はないです。
私も、気になりますが、少なくとも日本語の表現に関して、生きている人で、
今、彼と肩を並べる人は見つかっていません。
いるなら教えてほしいです。ずっと探しています。
>755 絵手紙と一緒にしか見えないのは残念です。表現の階層は全く違います。
彼の作品を見てわからないのであれば、日本語の書表現の勉強不足かと。
>>752 にURLはあります。
>>757 作品に商業性を持たせるために審査員は企業様
企業がいいとは断言できません。
しかし、少なくとも審査委員様の方はダメだと思います。
事実、全く発展してないではないですか。 好きな人は好きで良いし、アンチは中傷さえしなけりゃそれで良いと思う
もちろん武田、紫、あと青ヤギさんとか岡西ナントカさんと比較すれば客をナメていないという点で遥かにマトモだし、
書道に関する知識、表具をふくむ具体的な創作技法等、売り込みの強引さ以外ではあらゆる面で数段上でしょう。
ただ、個人的にはホレボレするような深まった技術的なものは感じないから(あのくらいの若い世代では、どだい無理なんでしょうね)
そちらをおろそかにしないでこれからも頑張ってもらいたいなと思う次第です。 >>761 まぁそうムキになられずに、、、
個人的な好みをガンガン押すのも気が引けますが
現代文を書いて、惚れ惚れするほど上手いと思った人は故人になりますが重本芸城師。
残念ながらローカルな書家ですのでオークション等に出てる時以外は画像がWEB上にはありません。
黒木拝石門で晋唐と仮名は徹底的に勉強された方ですが、現代文はあっさり書き流して非常に清らか
古典での学習は本来は必要だと思います。気品が違ってきます
、、が日展に出ている調和体で、上だと思えるようなものに出会ったことがありません。活かし方がどうも定まっていないのでしょう
小原道城氏の名づけ親とか、江口大象氏が若いころ雑誌のファンだったとか、、そういう部分で名前だけは出ます
手ほどきをうけた佐藤望雲氏の作品はWEB上にあるようです。ご興味あればどうぞ そういえば水本愛堂師の作風もちょっと似てます
私が現代文で好きなのはこういった人々 生きている人では本当におっしゃる通り、思い当たる人がいないですね
林田暁径氏は良いかもしれない
専門家審査の書展が発展しないとお嘆きになるのは解ります
しかし、ならば企業審査だというのでは質の向上には決してつながらない
、、というか、質の低下を防げない。このほうがしっくりきます。 あぁ あと存命中の方で今口鷺外という人の作品は良さげだなぁと思います >>761 751=755です。実物を見てみたいのですが地方なもので。若い頃、相田みつを氏の鄭道昭を見て圧倒されたのでこの方はそういう勉強をされて来たのかと疑問だったのです。古典を勉強されている方の字は全然違います。うどよしさん、機会があれば拝見してみますね。 みなさんに質問です。
みなさんにとって、書が書であると思う決定的な要素ってなんだと思いますか?
書を書として決定づけている概念と言ってもいいです。
誰かが言っていた言葉じゃなく、一人一人が胸に抱けるもの。ありますか?ちゃんと持ってますか?
わたしが疑問に思うのは、古典の書と現代の書と、隔たりを持って認識するみなさんの考え方です。
書に対するポリシー、認識、そういったものが欠落してるから、過去だとか今だとか、区切って考えてるように思えてなりません。上手いか下手かなんてのもそうです。
書を書たらしめるDNAって、なんだと思いますか。
みなさんにとって、初めて稲妻を走らせた最初の書ってなんでしたか。教えてください >>769 まず自分の中で整理できてから質問しておいで。
>>767 渡部さんの現代文は、彼の他の作品と比べるとあまり…
かわいいんだけど、
理由は分からないが飽きがくるのがはやい。
たぶん、彼が、それ専用の思考をして作ってないからかなと。
「日本語も書けます!」みたいな副業的スタンスに見える。
生活のために筆耕の技術を維持しないといけないから
無茶は言えないが・・・ >>761
>少なくとも日本語の表現に関して、生きている人で、
今、彼と肩を並べる人は見つかっていません。
自分で書くのが書家でしょう。探してないで、自分で納得する日本語の書作品を生み出して下さい。
ついでにアンカーの書き方も学びましょう。 >>769 ものすごくよくある疑問とは思うけど、何をもって書とするか
1.言語を書く 2.人力で書く 3.意味内容の伝達と同等以上に字姿の鑑賞に比重を置く
最低限の大枠はこの3要件くらいでないか
これを満たすなら古くさくても下手でも、足で書いてても漢字仮名でなくとも書 用具も限定されないし
結果としての作品を判断する場合はそう 製作態度の方に視点を向ければ、洗練への欲求を持ち続ける在り方を書的だと言うかも知れない
あなたはどうだか知らないが、もし下手糞だからってあんなのは書じゃない、とは考えないし言わない 現代における書の変革は難しいんだよ。始めっから人造の美だから。絵や彫刻のような
自然美を元にしたものではない。
まず、人工的な字というものに美しさを見出したというのが、デュシャンの泉に匹敵する
エポックメイキング。よって、絵や彫刻が現代美術において一見美しくないものに解体されたように、
字に見えない字やどうみても汚い字を書いて、「はいこれが新しい書です」と言われところでそれじゃ
最初に戻っただけでしょというのが現代書の袋小路。 規範性があり、地上から無くしてしまうとか風化させてしまうのを惜しまれる
そうなると伝承しようとする動きがでる
人工の芸については伝承を抜きにして価値付けがなされることはないはず、なんだけど
現代人はどうも、学び理解するための苦しみから逃避した結果であるところの「斬新さ」に価値を置きすぎる 逃避でなくしっかり把握をしながらの、視点の角度を少しズラしただけという巧さがあればそれは評価されてもいい >>773
金曜行った、和様の書展のうどよし作品の中にシックリ来ない作品があった。
日本語タイトル「雪隠」、英語タイトル「Fountain(泉)」。
解説には現代美術云々と書いていたけどスルー。
>デュシャンの泉
知らないから調べて、今、その作品の隠れた意味がわかって、今、鳥肌。 >>775
「鳥肌」って昔は恐怖や寒さを意味してたんだけど、今は「感動で鳥肌!」って使い出したから
どちらの意味か分からない
そんな百年前の話でポンチ絵みたいなことをして得意がってるんなら寒くて鳥肌が出る デュシャンのアレは文脈というのが大事らしい。
原理というかからくりみたいな感じかと。
書でもそういうのがあるし。特に石川九楊さんとかはいろいろありそうだ。 >>773
それはお前が想像力無いだけ。
芸術は全て
人工的に脚色しているから芸術だろうに。
アホかと 「古典の書と現代の書と隔たりを持って認識する」とありましたが、古典を勉強しない人ほど古典と現代とを分けたがる傾向にあると思うのですが…。
卓越した技術をお持ちの方の作品は現代的なものを書いてもどこかに古典の要素が宿ります。字の美しさ、線が生きていること、呼吸、リズム、余白の美、白と黒のバランス…見る者に迫って来るものがある。 >>779
自然の美しさを「目指して」作ってきたということ。 >>769
書を書たらしめるもの。それは「線の律動」です。 >>781
それは違う。書はどこまでいっても自我にすぎない。 文字を書く以上はそれは自我の作為である。
その延長線上に自然がある。それは不自然である。 >>784
いや それは、
自然を飲み込み咀嚼して書くのと、
自然を単純に模写する
ってのをごっちゃにしてるよね。
まぁ、
どうでもええけど。 >>782 おれは、、、このように言葉足らずな表現で断定しちゃう人って苦手だは。
線が律動してさえいれば、書になるか?条件を満たすか?ということを、論理的に思考してから、断言してくれ。
ご当人に悪気はないんだろうけど、もし教育者だったらちょっと軽率だったでは済まされない。
後進におおいなる誤解を与え続けてきたのだろうから。。。 あぁそうそう
ちょっとネットサーフィンしていたら、絵手紙作家の小松邦夫さんというひとは
書の経験があって、わりかしセンスの良い現代文の書を書いているとおもった >>788
751=755=780です。
小池邦夫氏の作品拝見しました。素晴らしいですね。恥かしながら存じ上げませんでしたが、日本絵手紙協会の創始者の方なのですね。 小池邦夫氏は、絵手紙の教祖だけど東京学芸大学書道科の出身(中退)なんだよね。
清水比庵なんかにかわいがられて、いいものを沢山吸収しているのは間違いない。
作品に結実しているかは疑問だけど。 787ですけど、小池氏の作品は画像検索で同じような作品がバーっと並んでも、
サムネイルのちっこい画像の段階で識別できる 他人の作品とは何かが違うんですね
字は、ヘタでいいと割り切ってたくさん書いているうちに、ヘタなりに毒気とか嫌味だけが抜けきって
気持ちよくみられるものだけが残っている風で、逆にうまいの境地だから魅かれるものがあると思いました。 同じ現代文なら小池邦夫先生の作品より榊莫山先生の方が
数段上だと思うんですけど…
小池先生は、文人の書。
榊先生は、芸術の書。
小池先生は相田みつを先生と同じく
書をかじっただけで
書の大切なものは無くしてしまっている気がします。
(捨てたのではなく、応用できてないという感じ) 莫山先生の書は、ヘタウマではなくて本当に技術が抜きんでていますね 小池先生にしろ、うどよしセンセイにしろ、どちらも行草書厳禁(続け字禁止)なのはどうしてだろう?
勉強不足でご自分が読めないから、「一般人も読めないに違いない」と決めつけているような気がする。
勉強すれば誰でも読めるようになるのに。 小池氏は書道科出身ですし読めないということはないのでは…うどよし氏は楷書も厳禁と作品サイトに書いていましたが。 そんなん
顔真卿に
「どうして 多宝塔碑は楷書なのですか?」
ってぐらいの愚問だろうに。 ツイッターでフォローしてる若手トップの美術評論家が、書展とうどよしの作品について評論しているんだが…なにごと?
>勉強不足でご自分が読めない
近代詩文とか勉強関係なくないか?
オリジナルの崩し文字を読めないのが勉強不足ってのは支持できんわ。 アラビア人「アラビア書道は勉強すれば誰でも読めるようになるのに。」 うどよし氏は和様の書という事ですが日本の三筆くらいは勉強はされているんでしょうか?美術評論家の方のツイでうどよし氏の作品見ましたが自分には何も響いてきません…。 >>802さんが
作品を見てわからないなら、勉強してないんでしょう。 あ、あなたか、うどよしのどちらかが、勉強不足って意味だよ。
誤解しそうな書き方をしてしまった。 小池先生・うどよし氏は古典の行草書が読めない→「この人たちは古典を勉強していないんじゃないか?」と、言いたいわけです。
古典を勉強しない書家がいてもいいけど、どうしても作品が薄っぺらになってしまうのは仕方ない >>804
すみません、おそらく勉強していないだろうと思ったのですがただの質問みたいになってしまいました。 アラビア書道ではなくて日本書道の話をしましょうよ
うどよし先生は「和様の書」を提唱している
「和様の書」と「仮名と漢字が融合した書」と一応定義しよう。
それは明治初期まで続け字がほとんどだった。
現代の「和様の書」の親分なのに、本人が古来の続け字が読めないってオカシクないですか? >>807
790=798=802=804です。
私もそれが疑問なのです。楷書禁止だそうですが、彼の言う楷書の定義もわからない。
一通りのものが書けて独自の境地に行き着くのと、誰かの書をある側面だけ真似るのとはわけが違います。 >>808
↑間違えました。804ではなく806です。 どうしてみなさん2ちゃんステマに付き合うんですかね。
特定の人名がこんなに頻繁に書き込まれるって不自然すぎるでしょ。
上西小百合のツイッターみたいにネット上で話題を作れば良しの手法がまかり通りすぎ。 そうですね。しばらくロム専にします。
うどよしファンがこのスレに常駐してるので、ちょっと質問したくなりました。
スレ汚し失礼しました。 >日本の三筆くらいは勉強はされているんでしょうか?
>おそらく勉強していないだろうと思った
>彼の言う楷書の定義もわからない。
同じ人の発言なんだよね?
三筆は勉強してない→勉強不足
楷書の定義もわからない→説明不足
国会の野党かよwwwwステマと批判する前に、ダブスタだろ?
若者に自民党の支持者が多いのは、実績もなく、何でも反対だから。
野党のようなマーケティング手法は、すぐにバレるよ。
ちゃんとステルスしてね、お じ さ ん 。 >>807
>現代の「和様の書」の親分なのに、本人が古来の続け字が読めないってオカシクないですか?
この主張、わからんでもないけど
漢文をやっている人、仮名をやっている人は当然できてるんだよね?
書にみなさんほど詳しくないけど、
作品の画像があがっているのに、彼に関しては、全く具体的な批判がないんです。
つまり、そういうレベルにまで個人単体で持ってきただけ、
私はすごい貴重だと思う。 >>814 すこし意地悪な言い方をしましたがね
このケースに限らずですよ 年長者が「〇〇とは××なのだ」と自信をもって言う
へんに象徴的な言い方を好む人って無責任だと思いますね たまたま真に受けてその方向へまい進してしまう若者なんて気の毒な目にあいます
わたしゃ広島ですが、東京都の某都知事が、都民ファーストなんて言っていたのはいつのころだったか
なにもやらないうちによそ事を始めていますね。口先で人を乗せておいて、後でそんなつもりで言ったんじゃないとか
その場その場で美文麗文を並べておいて手のひらを反す様子に呆れ果てています。 ていうかフォントなんて出してるけど、それで和様を語るのね
常駐うどよしファンの皆様そこらへん、どう思ってます? >>817
「楷書や続け字で書くのは不可、活字体はOK」というのも意味がよくわからないのは私だけ?そもそも手書きなんだから活字体じゃないのでは…。
うどよしさんの字はお土産店で売ってるグッズにありそうな字というイメージ。 >>818
書の知識があるのかないのか調べれば調べるほど不思議な人だなって思うよ
フォントは書ではないだろう >>819
知識がなく、ここまで来ているなら
それは紛れもない100年に一人の天才。
誰かの指導を受けてるはずだよ。
独学で思いつくわけがない。 「和様=平安仮名」にしておきたい感情は理解するが
これだと、未来永劫、今の日本語の書き方の和様が誕生しない事になってしまう。
可能性を捨てることを、他人に強要するのは独裁的だと思う。 書家って昔は会津八一とか、西川寧とか、むしろ学者のイメージがありました。
「書家とか呼ばずに学者と呼べ」という環境が昔はあったように思います。
単なる筆で書いた字に大金を払う人がいたのは、書の背後にある厖大な学識を尊重していたことも一因でしょう。
うどよしさんは学者?書家?フォント作家?なんか鵺(ぬえ)みたいなイメージなんですよ。 今は芸術でしか生き残ってないんだから
芸術として評価するしかあるまい。 「和様」「書道」でググったら、うどよしのサイトが一番最初に来るけど、決して好ましいとは思わない
「和様」という書道用語を横取りするから、学識や歴史の連続性を問われてしまうんだよ
「活字書道」とでも名付けたら誰もとやかく言わないよ
「活字書道」っていうのもワケが分からないんだが、「和様」よりはマシだろう >>818 安心してください たぶん多くの人は同じに思ってます >「「和様」という書道用語を横取りするから、学識や歴史の連続性を問われてしまうんだよ
こんなどうでもいいこと気にしてるの、ここの嫉妬民くらいじゃないの?
唐様で検索しても、ウドヨシサイトは上位に来るぞ。
結局、和様も唐様も、今、誰も使ってないってことだろ。
和様で上位に来るのは、和様で活動しているやつがいないから当然な結果。
色眼鏡で見てると臨書しても上達しないぞ。
客観的事実に基づいて中立公正な目で見たらどうってことない。 「古典を勉強しているかどうか」で
芸術の評価を決めるって基準が面白い。
学歴コンプレックスってやつに似てます。 そういう連中が多いから、ネットプロモーションを駆使する人はやり易くなってんだよ。
キーワード1つで騒ぐのも、簡単にステマに乗っかるのもね。
彼らは、その声を古い体質の人達の声と一括りにして済ませられる。
むしろ逆に、自分をよく見せるための材料として利用してる。
時々燃料を投下するだけで、すぐ乗っかってくれるんだから、思うつぼだ。 >>827はあまりにも浅い
そもそも書道を芸術あつかいにしはじめたのは明治時代のこと
旧院展時代、日下部鳴鶴あたりの有力者でも横山大観に書道は芸術じゃないでしょ?ってバカにされてたらしい
それで発奮しちゃって対等に渡り合いたい!となったまでは良かった
そこからの努力が、その後昭和にかけて鮮烈な作品の数々へ結びついていくのだが
けっきょくのところ、もともとある書道の東洋的装飾趣味の世界と、西洋の壁面芸術のいわゆるアートの世界と
まったく同じものと混同してしまう結果となったわけ
東洋では装飾品は宗教観死生観と一体になって人生訓としての言語メッセージにインテリアの装飾性を施して直接飾る
これが本来の姿 ゲージツかどうか。 ちょっと何が言いたいかわかりにくかったが
芸術であるまえに学問、学問はいわゆる儒道・仏教・道教の三教
これが世を治める知識人の必須教養だった
自然と共存する古き良き社会のなかで、人生を幸せに導いてくれるであろう賢者の言葉を書いた
書は特別な価値があった
いまの日本人ほど自国文化のルーツに対して薄情かつ無知な国民を見たことがない
わかってもらえないと困るので料理にでも例える
フランス料理を学ぶにはフランスに渡るに如かず 和食なら日本で学ぶに如かず
もともと、素人が善し悪しの評価を欲しい侭にできるほど貧弱な文化ではないのだ
和食の技法を知らないものが、自己流をして是が新しい和食のスタイルでございと自称するのはインチキである
もっとぶっちゃけて言えば、達人でもないものが創作料理を作ったって大概マズイ そういうことで、逆質問で応酬をしておくとすると
仮にう〇よしへ師事したとする。
そうなった場合、いったい何を学ぶ必要があるのか。ただ何枚も書いて、なんとなく良い
これはヘタッピだ、これは上手く書けた(ような気がする)。。
それでは不毛だと思わないか。ただし本人のサイトを熟読したわけではないから、
これでは誹謗中傷になるかもしれない。 まぁ本人も大衆書道教室って書いているわけだし
ハイレベルを自称せず腰を低くしているから叩かれないだけなのだが
それを血眼になって賞揚しているのはすこし異様に映る
ステマとか自演とか疑われたり、逆キャンペーンになってしまう恐れなしとしないので
このへんで落ち着かれるがよかろう いくらインチキで不味かろうが、商売としてやっているのだから、
自分から不味いとは言わないだろう。自分で白状しろと求めるのは酷だよ。
食べログのようなレビューサイトがあったとしても、簡単に操作出来るし、
インスタもフェイスブックも格安でフォロワーは買って増やせる。
ビジネスとして巧みな者が世を上手く渡れるのはどこも同じってこと。 それはもはやネガティブキャンペーンになってません?
そういうことであれば、紫さんは勝ち組の筆頭ということになりそうだけど
少なくとも砂のお城だね 本心から支持している人なんていやしない
古典が芸術の評価のすべてなんて笑わせる、と大きく出ていたたわりに
あっさりと儲けたモン勝ちの本音を晒しちゃいました。語るに落ちる。 この際、学問から古典を排除したらどうか。西洋基準に対する反リベラルアーツ。
これで書教育もガラリと変わる。全面的な現実主義。金銭主義。反歴史主義。
そうした基点から「和様」の大衆性を再解釈したのが、たぶん、うどよし。
どう見ても、言葉の意味の解体だ。言葉からの、歴史的シニフィエ排除。
「芸術は学問ではない」「書道は芸術ではない」との立場なら理解できるが。 「書道」といってるけど、「道」がついたら、ご覧のとおり、いろんな理屈をつけて持ち上げるしかない虚しいものになってしまうのさ。 古典をしっかり勉強された書家が沢山いるのに
ろくな書家が出てない現実を受け入れる人も出るかもね。
「教えられてきた、考え方ややり方が間違っているのかも」と、やり方を再考してみる良い機会かもよ。
未来の、次世代の書家は、そういう所からの可能性もあるよ。
同じことしかしない書家が増えすぎた。 一生懸命力説しているわりに、言っている内容はただの悔し紛れの最後っ屁
そんなものはしょせんカウンターカルチャーという
この際だから教えておくけど、う〇よしは古典の勉強はするべきだと書いてる
長い歴史上で試しぬかれたいわば過去問だから、過去問をやらずに試験を受ける!とイキがるのは効率が悪い、と言っているね。その意見は上手く言ったものだ、と感心した。 >>839
ほう、この表現、しっくりくる。
古典を勉強しない学生に使ってみよう。
村上三島氏は「調和体は参考書のない書」と言い、古典の続け字を使い、一方、うど氏は「古典は参考書」と言い、古典の続け字を使わない。
これ、結構、面白いかもしれません。 >古典をしっかりやっているのにろくな書家が出てない
この部分も考え違いをしているようだ 多くの人は
現在の書家は、表向き古典をやっているとは言え、古典から多くを学んでいない、
それで作品がつまらないのだ、と考えている
じっさい昭和の中期ごろまでの大家の作品には、目を見張らせる精彩がある
それをダメにしたのが、あなたのいう現金主義。とはいえ、ここでの現金とは賄賂のことだけどね。ウケ狙いの浅い作品が蔓延した点ではどっちみち同じような原理が働いたのだろう。
いくら上手でも、売書というのではそのころでさえ生活が成り立たなかった。
マーケティングを第一にし、市場原理を働かせれば作品が向上する?などとは誰も思っていない。すでにデザイン書道家の連合みたいなものもあるようだが見るに堪えないような素人くさい字ばかりだ >>840 結局は吸収したものを、自分なりのフィルターを通して表現できないと実力があるとは言えない、
そういう立場は共通しているんでしょうね。
とはいえうど氏は、コンセプト先行で「とめ、はね、はらいを大げさにしない」「つづけ字はダメ」と
ある意味で自然な書きぶりを制約するところまで自分を追い詰めてしまっている。これもある種の反動のなせる業か
果たしてこの先、その大風呂敷が足かせになりはしないか。というところでちょっと気の毒でもあります。 なんか色々難しく書いてるけど
要は、楷書以外の活字体で日本語を筆で書けばいいんだろ?
ちゃんとした書家なら簡単そうだけどなぁ。 >楷書以外の活字体で日本語を筆で書けばいい
うどよしRフォントでよくね? http://fast-uploader.com/file/7064040613188/
いぬ年になりますんで参考に
これは以前ちょっとオススメで紹介した故水本愛堂先生の調和体をネットから拝借しました
うどさんは色々理屈をつけて新しいビジネスモデルとしてのプレゼンテーションにご執心のようだが これを見ればわかるとおり、すこしだけ世代を遡ると大変いい書き手が地方にうんと居た。
いま大型書展で通用している調和体がヘタなだけですよ。ビジネスマンとして業界分析してあるのは面白いからちょっと読んでみたり、感心したりもするのだが
あのビジネスマン思考を徹底したまま大成するのは難しいだろうね
往々にして作家というのは社会不適合者であるほうが魅力がある。 >>845
>故水本愛堂先生の調和体
上品な武田双雲(笑)
古典をやってコレなの? わかったよもう。ここでムキになってゴリ押しはしないが
長年の試行錯誤によって川底の小石が丸くなるように、部分部分のクセや悪目立ちする箇所が削ぎ落され
おいしい部分だけが残って、こういう騒がしくないのに精彩を放つ、調和がとれたものが書けるようになるのと
ただ無闇矢鱈に書き散らかしているものと、ほとんど見分けがつかないんだね
おれなら日本酒を飲みつけないので利き酒ができる自信はないし
もっといえば篆刻作品も、自分では善し悪しがわからない。わからないのにどうかしようと思わない。
やれば徐々にわかることだろうと思う。書字のほうでは、研究するにつれて見えてきた経験がいっぱいあるしね。 >>846
おい!やめろ!そういうふうにしか見えなくなっただろーが! 水本愛堂せんせの作品の
武田ソウン的なデザインって必要?
合理的な理由がなくない?
不自然。 節度のある書きぶりなほうだと思いますけどねぇ
こういうとき便利な説明として、その加減がエスプリなんですと言っておきます
最後のかくし味にオレガノを少々
ここでオレガノ?合理的な理由がなくない?なんてこと言わない
これが最高の天下無敵の規範だと示したわけじゃなし、嫌いなら嫌いでぜんぜん構わんのですよ >>853
好き嫌いではなく、書的にも文章の内容からしても、
下線の造形的効果が説明してほしい。
説明できないなら、武田氏の派手なハライ等と同類になります。 http://fast-uploader.com/file/7064081850211/
そないなことで、
(これも3日間限定)とある地方作家の昭和49年の作品。オイルショックの翌年
これで、作品の書きぶりはエスプリなんだと
大渓サンの言葉を借りれば「作家の肉性で書く」とも言い換えられますが
どうしてもこうしたいの気持ちがそうさせるんだと諒解していただきたい次第です
紙面全体をつつむ優しさ。こんな表現は当時金子氏も村上氏もやってなかったと思います。むしろこの人がこの方面でのもっとも先を行っていた。
批評・鑑賞すべて観る人に委ねられるものです。また、肩書や知名度に依存せずに観てもらいたいものです >>856
これは、まだわかるわ。
ただ、行間の隙間が一律なのは単調に見えるなぁ。
多分、この時期、榊氏はこの上を行ってるからなぁ。 >>853
>その加減がエスプリなんですと言っておきます
武田氏も紫氏も、メディアや政府関係者からは
既存書道業界ではなし得なかった
新しいエスプリだと思われているよ。
それを誰も否定しないどころか
とうとう天皇陛下まで招いちゃったんだから。 書は図像であって、文字ではない。
図像は見るもの。読むものではない。
文字は読むもの。そこに至る過程が図像。
書は文字性を活字に明け渡し図像となった。
従って、読めてはいけないと学校で教育される。
その方法は教育放棄。教えないから読めないまま。
語りえないことについては人は沈黙せねばならない。 「読める書」「読めない書」論争の元には、学校教育で変体仮名が読めるようにならないってことがある。
国語教育では、中野三敏先生たちが「和本リテラシ−」(行草書・変体仮名の解読能力)の復権を唱えている。
小学校で変体仮名などを教えろと。
文部科学省のキャリアで行草書・変体仮名が読める人がいないらしいので
学習指導要領に変体仮名なんかがが加えられるかは疑問だけど、
これが実現したら「読める書」の定義も変わるかもしれない。
日本記者クラブ講演 中野三敏・九州大学名誉教授 2012.8.20
http://youtu.be/iinaQ1fOLRE >>857 >ただ、行間の隙間が一律なのは単調に見えるなぁ。
あら、そこが特徴だしそこが良いんじゃないかしらん。
>>858 あれはエスプリでねくてゲスプリ >>830
芸術は歴史じゃない。
芸術は伝統を破り更新するものだよ。今を生きる人間のためのものだ。
あなたのアプローチの仕方は、芸術に近いようでいて最も遠いと、私は思うよ。 芸術じゃなくて調度品製作でいいじゃないすか
あまりに芸術ぶってるのはここ100年あまりだという事 既存の書道に、多額のお金と時間を払った人は、今、起こりつつある現象を否定したいのはわかる。
でも、あなた方の損を、次世代に押し付けることはやめよう。 否定してない否定してない
好きにやればいい
ただまぁ小中学生がおばけ屋敷でキャーキャー楽しんでいるのを、本物のオバケが眺めているような気持ちだよw いやいや、ただのたとえ話ですから
それより、自分たちの都合(というか私情)で、伝統を捨てて新しい人の感性に任せて業界を作り直して欲しい、
なんてそれは、たとえば他国の人から見たらムシの良い希望だと思うんですけどねぇ。
ハワイの伝統の手編みのレイなんかを買いたくて店に行ったのに、この人は伝統によらずすべてオリジナルな作家なんですなんて
紹介されたらガッカリするでしょ?ちゃんと地味に修行してから出直せやって思う。
ネクストジェネレーションなんて古い頭の自分たちの甘えが生み出した虚像だよ。 もちろん腐敗してる組織の擁護なんてする気はないよ。腐敗を徹底的に浄化しないから
審査が機能せず、だらしない。だから素人にツケこまれてしまうんでしょ。
いま起こっている現象なんて、そんな程度の茶番でどちらも褒められたもんじゃないですわ >>860 遅ればせながら、こういう御爺様がこうして頑張って文化を守ろうとしている姿には頭が下がりますわ。かりに実現が難しくとも、いいもの見せていただきました。 >>868
全て伝統的な作家ですと言われて変な手編みを紹介されてもがっかりするけどな。
自分でその実像を示せもせずに、自分は伝統側の人間だと思い込んでるのも
かなり痛いってことも忘れちゃダメだよ。伝統という名の虎の威を借りて
気分が大きくなってる素人狐の多いこと。 立場なんてものは自分で決めるものでしょう。
しかし、紫や武の字なんぞにたとえば、感心するほどの腕があるんならなんでも良いんですよ。むしろ七光りもなしに自力で出世したんだったら尊敬に値するでしょう。
ただ、ヘタなんだもん。そこに価値づけの軸を置かないんであれば、何を話しても無駄ですな。ただヘンテコな墨の落書きを作って金もうけがしたいという主旨のスレがあれば足りるじゃないすか。 >>856を画像で示した意図は、これ、ウマイんだよ。
未熟な腕で同じように書こうと思ったら、書けません。とうてい書けませんね
すっげぇわかりやすく、読みやすく 文章の切れ目で改行して、易しく書いてあるけどね。
この、二次元の平面に文字が浮いて漂うような雰囲気は、出すのが至難だろうと思う。
もともとハイレベルなことをやる人はね、苦しんだら出来るんじゃないです。
頓悟というか、ふと出来るんですが、それを鼻にかけず時間をかけて熟成させていくわけ
そこで迷いが生じたときなどに、古典が示した夢のような世界が拠り所になる。
おんぶにだっこな気持ちなんてありませんよ。狡猾で、他人を利用してのし上がろうなんて思っている人には
想像もつかない孤独な世界ですよ。 漢字かな交じりを書いて、上手く書こうと思うとどうしてもトゲトゲしい表現になります。初心者ほどギスギス、バサバサ落ち着かない
それを和らげようと思ったらどうすればいいと思いますか。
仮名をしつこくやってもいいとは思うが、手っ取り早いのは隷書を習ってみることです。
隷書をしばらく書いて、その気分の残ったまま書けば、うそのように滑らかに書けます こんなの人に教えてもらうのじゃなく、一歩一歩あるいていく道端で発見するようなものです。
古典をやっているといっても、何でもかんでもこなせて無敵な人なんていません。
折に触れてこういった発見をしては、自分の武器として備えて温めてきただけです。甘えやずるさが先にあったら発見はできないですよ。 いま書道は明治からの浅いもの。
この認識は共有されているのか?
浅い歴史にしがみつく様は、砂糖に群がるアリのごとし。 >>873
うまいかもしれないが、喰えたものじゃないね。
線もヨワヨワ…ペラペラのうっすい書だね。
あなたのおっしゃる境地にすら達していない、高校生レベルにしか見えないけど。
ホンモノ見たことないの?みんなの言う書ってこの優等生ちゃんみたいなものを言ってるの? >>873
あなたが批判したいことの一部が真っ当だとしても、
あなた自身が盲目的であることも残念なんだな。
上げられた写真は、実際どーってことない書だよ。
古典が示す夢のような世界が拠り所?文面がもう怖いです。 皆さん、古典で多くのことをインプットされていますが
アウトプットの効率が悪すぎやしませんか? うーむ。相手にすんのがアホらしくなってきました。このへんで反論するのも遠慮しときます。 天動説を信じたい気持ちはわかりますよ
地動説なんですよ。
受け入れましょう。 たくさんお話になっていますが、逆にあなたが推奨しているものの実像が見えてきません。
黙ってきいてみようと思いますので存分に説明してみてください。 胸に一物、背に荷物。
>>880 言いたいことがあったらハッキリ言えばいいのに... ・・・・モゴモゴ( ̄〜 ̄;) ←何か言いたいらしい >>856
仮名の基本が書けてないし
線が芯を通ってない
下手だよ 天動説は多数派で
地動説は少数派ってこと?
>推奨しているものの実像が見えてきません。
地動説派に対して言うのであれば
「まだ未知のものかもしれない」
という発想が抜けてますよ。
村上三島ですらわかってなかったのですから。 >>884 >基本が書けていない
この人は、そこまで得意とはしてないとはいえ、ちゃんと仮名も書けますよ
http://fast-uploader.com/file/7064234226358/
そこは作品として狙った表現というのがありますので、、、といっても、昔の人(大正生まれくらいの)はそれができたけど、最近の人は特定の書風しかできない例が多いみたいですね 天動説・地動説に沿っていえば、あれはどちらも間違いでもないし、真理でもない
どちらの切り口から物事を説明したかの違いに過ぎないです
いまの現状を表すなら、地動説になっていないですね。「説」が出てきてないから。 >>886
ふーん
その人仮名はまあまあだけど、漢字かな交じりになると一気に落ちるね まぁこの人をそんな掘り下げるというか推しまくるつもりで載せたんじゃないですので
受け取り方は人それぞれで良いと思います。。アクの強い表現をしなくても地力があれば、それなりに見ごたえのあるものが作れますよ、ということが言いたかった。
話を戻しちゃうと、
地力を伸ばすために古典の真似をしてみる、というのは絶対やらないとダメ、というより他によい方法がない、
また古典をテキストにする理由は、社中のなかでの派閥争いみたいなものを極力生まないように、という事情もあると思いますが
そんなところだろうと思ってます。 >>886
仮名もたいして上手くないよ
これで書家を名乗ってるの?
なんか大学生が臨書してみましたレベルだね >>888
漢字仮名交じりになると一気に落ちる現象は
この方に限ったことじゃなく、全員に起こる現象。
漢字、仮名にはなかった違和感が出るの。
やってみたらわかります。 >>889
うちの社中は古典と師匠の手本両方やってる
古典は書を学ぶ上で基礎の基本だから、社中に関係なく必須だよ
派閥争いとか関係ない >>891
すでにやってるよ
流派にもよるだろうけど、そこまで一気に落ちないよ
漢字だけ・仮名だけにはない作品の一体感が生まれるから >>889
>古典の真似をしてみる、というのは絶対やらないとダメ
>>839によると、うど氏と同じことを言っているんですね。
なかまー。 某中国系の大手だと漢字かな交じりに違和感ありまくりの人もいるけどねw なんかイラっとくるけど、画像の人叩きにはこれ以上反応しません。 >>893
>そこまで一気に落ちないよ
>漢字だけ・仮名だけにはない作品の一体感が生まれるから
一体感が生まれて良くなっているにも関わらず
落ちるんだ…。
つまり、かなり落ちるってことでしょ? 古典をやらないと、紫や武みたいな下手糞勘違い書家になるよね >>894 うど氏のHPでは、榊莫山先生のトピックにそれが書いてありますよ。
ほかのメディア系の人と比較したら、いろいろちゃんと自分で考える人だよねぇって部分では感心してます 話かえちゃって申し訳ありません
楷書の書き方で、たとえば謙慎系の人にもちょくちょく見かけるものなんですが
タテ画の終筆のところを止まって軽く鋒先に圧をかけて終わるのじゃなく、
さいごに筆をクルっとまわして人為的な三角形をこしらえてしまう人がいます。木へんの2画目終筆など
これも骨法、っていう説明で済んじゃうのかもしれないですが、みなさんはどう思いますか?
私の地方ではこーいう事をしたらケシカランと言われるようです。
(こんなことを定義してもしゃーないのは重々承知です。ちょっと気になってますのレベル) >>889
>古典の真似は絶対やらないとダメ、他によい方法がない。
>理由は、社中のなかでの派閥争を極力生まないようにという事情もある。
この程度の意識で古典を崇拝してるの??
古典古典と連呼する人の大半が古典を理解していない。
古典は大事と言いつつ師風のトレース。
セリフも師の受け売りと刷り込み。 具体的にどんなのかというと、上で誰かが紹介してくれた鈴木暁〇の、、、
https://www.instagram.com/p/BaOucXrHcZZ/?hl=ja&taken-by=gyousyou_suzuki
この中に散見されるような、終筆を絵みたいに書いてしまうやり方のことですが、、 >>902 指導者の観点から、未熟な人がそうなるといけないという考えがあるんでしょーね、って言ってるの。
あなたと話すと疲れます >>903
うちの流派でもその筆法だとケシカランと叱られるよ
謙慎系ではよく見かけるけど好きじゃないなあ >>903
以前、鈴木曉◯氏の話題を出した者です。
私もあの収筆には違和感を感じていました。インスタであれだけフォロワーが居れば真似する人も多いしどうなのと思ってましたが、会派によってはあの用筆はアリなんですね。
個人的に、彼は子供の頃の方が素直でいい字を書いていると思います。 >>905-906 アレをやらなくても、ちゃんと収筆(収めるの字、間違ってました)が決まるように筆を扱える修練をすれば、それに越したことはないと思ってました。
どうもありがとうございます。
会派によっては、、青〇〇雨先生の動画がまえにYouTubeに上がってましたけどそのままやってました
影響力のある人だと、些細なことも疎かにできないものだと感じた次第です。 >>907
いえいえ、学校では「終筆」も使いますから^^鈴木曉◯氏は横画の収筆も縦画同様に輪郭を描くような書き方で気になります。
その通りですね。有名な方の場合、見た人は「これが正しい」と認識しますから…青山先生の動画探してみます。 青山先生の動画は削除されたみたいです
「正しい」の定義は、あいまいなもので初唐風ならナシでも北魏風ならアリなのかも知れませんし こういう筆法を撲滅したいなどと思うわけでもありません
画一的になれば良いというものでもないし。しかし、指導者の立場は難しい。いくらでも拡大解釈されてしまう危険を孕んでいますからね。 単純に、名指しで非難するほどHateじゃないっていう気持ちの表れですん 確かに古典古典言うてても、どれくらいやったか、吸収して
どう実践していくか、でしょうね。
例のTさんも修飾でいろいろ言われる割には、引き算という言葉は知っていた。
その引き算も、どこを残してどこを引くのかはその人のセンス次第でしょうし。 書で「とめ、はね、はらいしない」というのも
引き算という考えでもいいのでしょうか? その人の考えとか、どういう枠、書体で書くのかとか
場面場面でも違ってくるかもですね。
特定の公募展に出すならそこに合ったように、とか。
すべてはあなた次第。 これで合ってる?
黒田賢一 → 寺坂昌三
今村桂山 → 佐井麗雪
木聖雨 → 歳森芳樹
佐伯華水 →
師田久子 → 岩井秀樹
原田玉童 → 松原宏仙
日比野実 →
松清秀仙 →
森田彦七 →
吉澤鐵之 →
近藤浩乎 →
陣軍陽 →
野田杏苑 → 長井素軒
日賀野琢 →
柳濤雪 → 鈴木立齋
山口耕雲 →
山本大悦 →
該当なし→ 川合玄鳳、倉橋奇艸、宮負丁香 >>918
あるに決ってるだろ
お金のやり取りがない公募展など存在しない 「出品してたの忘れてたけど入選してました」とか書いてる人もいるけど結局はお金ってこと? >>921
そうです
出品したのを忘れるわけがない >>923
会派によっては入選でも絡むんだなこれが ひでー話だね
若者の書道離れが深刻って、まず一番の原因はそういう体質からくる悪印象だろ
ひらきなおって正当化してる老人集団は、ネット社会の怖さがピンときていない 賞をもらうために上納して、
賞をもらったあとも「お礼」として上納
若者はやってられないよな… >「出品してたの忘れてたけど入選してました」
もうボケてるんだろう。 >>925
自分のいた社中では、30代以下の若者はお金が続かなくて全員辞めたよ
弟子は老人(しかも金持ち)しか残ってない 最近、SNSのグループで書を発表している人たちは
そういうところから湧いているのかな。
見てて、辛い。
漢文、仮名を自分で作れないから
漢字仮名交じりしか選択肢がないんだろうけど
路上で書いている人と同じことをやっている。 新日展になってから礼金のたぐいを払ったことは無い。
その他の公募展でも一円も払ったことはない。
払っている人は社中を変えなさい。
川合玄鳳は凄いね。審査員に知り合いがいないだろうに(近藤氏は中京同士だから知っているかもしれないが)、よっぽど作品が良かったんだろうね。楽しみだ。
選評では「撰文が確か」だとか褒めていたけど、要は見た目がいい文字をいい場所に配しているだけじゃない? 古典が大切と言いながら顔は公募展の方を向いている人達は、お礼金だなんだで毎年数十万以上出費しているのに、
SNS中心に活動をしている若者は、自分たちなりに書を使って稼いでるのな。
お偉いさんからしたら幾ら稼ごうが書が未熟では意味もないのだろうが、現代の若者にとっては理不尽な上納金や
面倒な団体活動の方がよっぽどバカバカしいのだろう。
未熟な若者をディスる前に、そこでしっかり学びたいと思える環境を用意すべきだったんだよ。 金の問題にケジメさえつければ、今よりはずっと活性化するのは間違いないよ。
日本人は、どうも根本的な問題には目をつぶるという変なクセがある。
憲法9条問題しかり。
どこの国からみても自衛隊は軍隊であり戦力でしかないのに、「言い方の問題・解釈の問題」という理解不能な説明をするから話がこんがらがる。こんな話をすると荒れますかね。 SNSでやっているのはいいと思うが
ミクシー時代から10年以上みてきているけど、質の向上は全く起こらないことは確認している。
質が上がらないと憧れる書家が生まれないから、結局衰退していくんだよ。
やはり、権威というか書で憧れられるような書家が必要だとは思う。
ネットもダメ、公募展もダメとなると
どうすりゃーいんでしょ。 老人はAKBを「全員同じ顔」というが
書に関しては「全員同じ書」に見える。
違いは癖レベルであり、アーティストには程遠い印象。 >>933
今の老人書家たちが弟子の上納金で生活してるから
ケジメをつけるのは難しいだろうね
「自分もたくさん上納してきたんだから当然の権利」て思ってそう
大学卒業して一度も就職することなく「書道の先生」だけで生活してる先生たちが多いのにビックリした >>934
ネットも公募展も書で認めてもらうには必要だと思う
どっちも成功して会派に縛られない方法はないものか… >大学卒業して一度も就職することなく「書道の先生」だけで生活してる先生たちが多いのにビックリした
勝ち組やん! >>939
でも弟子が辞めて行ったら生活できなくなる
まあそういう先生は皆60代以上だけどね
生徒や弟子たちから「先生」と崇められてきて、会社勤めした経験もないから
社会人としての常識に欠けてる人も多いよ >>938
せっかく柿沼さんみたいなタイプが出てきても、ネット上では武田双雲叩きに明け暮れてたからね。
少なくとも柿沼さんは古典もやっていたし技術があって姿勢もストイックだった。
メディアで活躍する人の中ではかなりバランスがとれていたよ。
若手に対して、賞賛や批評も含めて客観的な議論をしてこなかったんだから将来もないさ。
誰かを褒める話題は伸びず、誰かを叩く話題ばかりが伸びる。健全な発展があるはずがない。 そりゃ若手は誉めた方が伸びるだろうけど、誉めたいような人が思い浮かばないんですよ。
どなたかご存知でしたら教えて下さい。 古典をやってないと褒めないって
学歴がないと認めないみたいな風潮は気持ち悪いです。
作品が全てでしょ?
古典古典ってお経の用に唱えるのやめたら?
ここに書いていてあったように古典は参考書でしょ。
参考書で勉強をどれだけやったかなんて社会人に無関係。 作品がすべて、ではない。
残念ながら書に限らず、多くの人は作品を通じての作者の評価、のほうに注意を向けるし、左右される
認識を誤っているから、どうやらあなたがいろいろと苦しんでいるんだと思う。
ここ10レスほど誰も古典というワードを入れていないのに、なぜキレているんですか >>944
>>941の>少なくとも柿沼さんは古典もやっていたし
という文章でキレたみたい。 >>943
古典は参考書じゃなくて基礎だよ
だから古典をやってない人は基礎が出来てない
作品は見ればすぐわかる
基礎は土台であって積み重ねていくものだから、
土台がしっかり出来てないと崩れる
ピアノでもバイオリンでも基礎が出来てない人の演奏は聴くに堪えないでしょ?
それと同じ
古典をやってない人間の作品は武田やその母親みたいに失笑される
古典は学歴じゃなくて、教科書だよ >>942
だとしたらもう業界として終わってるんでない?マジで。 臨書は基礎、その通りだね。基礎のしっかりしていない家は不安定。
若手No. 1書道家を名乗る青◯さんは一日500枚書いてると言うけど、ただ闇雲に書けばいいってものでもないよな。感性を研ぎ澄ませて書く事が大事だと思う。 >>945 あ、なるほど
>>946 そうした断定的な説明では、ぜったいに納得されないと思いますし
むしろ反発心を煽るだけだと思いますよ。
将棋の世界でも定跡のように、こう決まっているから、こう指すではいけないことが分かってきてるでしょう。 ああ、家の基礎に例えれば少しはいいですね
土の慣らし方とか、コンクリの固め方とか、水平の取り方だとか
業界全体で正攻法を導き出している場合、素人がいくら自力で試行錯誤したって普通は追いつかない。
古典はそれにあたるもので、さんざん淘汰され洗練され尽くした後の結果ですから
無駄と徒労の上に成り立っているわけです。ただし、学習上、自運で思い切り個性的にやってみて
比較したり推敲したりは絶対に必要ですし、また最終的な実力判定はそちらで成されないと健全でないのも確かです。 >>948 空海を研究しましたって人ですね、あのグニャグニャどろどろの部分を真似て
日本一だからと胸を張っているようでは何も考えていないのがバレます。
パガニーニの真似をして弦をブチ切りながら演奏するバイオリニストってところですね。 基礎ができている人がゴマンといるのに
褒めることができる若手がいないという話になるのでしょうか?
基礎ができていたら、その中から素晴らしい人が出てくるはずですよ。
出てこないってことに矛盾はないでしょうか?
基礎ばかりやって、応用をやる人がいないってことになりますよ。
それじゃー、応用だけをやる武田さんや紫舟さんが
もてはやされるのは仕方ないでしょう。
基礎を作品だなんて思ってないですからね。 臨書マニアには作品なんか作らないのも多いから別に矛盾はしてないよ 武田さんや紫舟さんはもてはやされてないよ
メディアが持ち上げてるだけ
実際は素人からも笑われてる >>952
若手でも有望な実力者はいますよ
でもここで名前を出すのは憚られるのやめておきます どっちにしても、右がダメだから左だっていう短絡的な主張には同調しかねる
素晴らしい人が出てこないのは、表に出てこられないということでしょうね。 有望な若手の名前は出せない。なぜ?
素晴らしい人がいるが表に出てこれない。なぜ?
音楽界では上原ひろみの評価を憚っていただろうか。有能な新人が表に出られないだろうか。
これは大人たちが賞レースに勤しんで、業界を成熟させとこなかったからでは?
ここも誰でも批判可能な書道タレントを叩くか、意味のない日展特選予想をしてる程度だし。 上原ひろみはバークリーかどこかの出身でしょ?
西洋文化のポップミュージックと商業チャートのあり様とはやや違うので比較しないほうがいい
表に出てこられないのは、集金システムの一環で名前を出すからには大金を取るからでしょう。なにしろ、その制度疲労に関しては害悪ということで皆一致しています。
古典を尊重するのが良くないという、あまりに極論へぶっ飛んでしまうのが気になるだけです。 英語圏で商業音楽が賑わって、ものすごい規模のマーケットに成長した結果
ブルースもジャズもロックも、ほんの一世紀のあいだに鉱脈が掘りつくされて
いまでは荒野の様相を呈していますよ。いま黒人でジャズをやる人がほとんどいないと言われています。
あのバブリーかつ急速な進展が望ましいかどうかは、まだわからんです。 >>953
>臨書マニアには作品なんか作らないのも多い
多いと言っても全員ではないはず。
臨書マニア以外が10万人いたら
その中から30年に一人くらいすごいやつが出てきてもおかしくないと思う。
>>958
>古典を尊重するのが良くない
尊重ではなく神格化して、そこに引きこもってる。
みんな古典を尊敬している。
あの、う○よしよしですら、そうなんだから。 神格化しているっていうのは、かぶれている、くらいに言い直したらどうでしょう?
あまり深くやっていない人の方が、むしろ古典らしさを強調しがちなように思います。 そうだね、古典をやってないのに
古典をやっている風をするよね。
「あなたの作風なら古典はやらなくていいんじゃない?」
って場合は、別に古典をやらなくてもいいんだよ。
だって今の書は1000年たっても古典にはなることはないんだから。
古典風にすぎないから。 上の4行はとくに反対しませんけど
古典をチラっとでも参考にしちゃいけないとしたら、活動数年でネタ切れするでしょう
殿村藍田は、新しい作風に着手すると5年後〜10年後にその風のものを世に出すと、
そんなワイン屋ほどの熟成をさせてから学習と創作のサイクルを創ってたそうです。
古典の世界での能書は、古典をやってます。 古典で基礎を養うのは大事だよ。応用が出来ないのが問題。
公募展主体の師は古典と創作を繋げれていないから、弟子が学べるはずもない。
成功者は一部の限られた人だけで、単純にセンスがいいから。
センスがあるから書の美を知った上で別のものに応用が出来る。
古典は諸刃の剣で価値観を固定してしまい、そこに閉じ込められてしまう。
センスがない人が無理に出ようとすると自分で築いた礎を壊すだけになる。
臨書や字は上手いけど作品となると残念になる人はこれ。 >>964
自分がいた会派は、古典は基礎として漢字も仮名も徹底的に勉強させられたが
展覧会の作品は完全に応用だった
でも公募展ではあまり評価されてなかった
マイナーな会派だから
公募展で出世して大手の勢力にならないと、良い作品書いても書壇では相手にされない
それが公募展活動の限界 「書壇で相手にされる」=「書壇で幅を利かせている」ということだから
なにもそんなことを望まなくても良いと割り切る必要もあるのでは。
うちは田舎で、家から50m圏内に地酒の蔵と、地味噌(?)の蔵がある
酒のほうは流行ってないけど、味噌屋の製品はスーパーやらホテルのラウンジにも置いてあって
小さいながらに建屋も改装して立派なものだ。もちろん、味噌業界では大手ではないけど。 そんな感じで、ほんとに飾る価値のある作品を生産できる社中は、
たとえば家具店・建築屋にカタログおいて小品の発注を受けるとか、若手の売り込みをする等
そのくらいの自由さはあってもいいかと思う。
殿村先生が建築屋出身で、その話をしていたら、、彼は芸術とはいってもインテリアだという概念が強かったんじゃないか。
なんていうことがすこしよぎった。 >>965
>良い作品書いても書壇では相手にされない
営業しても、相手にされないなら良い作品ではないし、
そもそも営業してないなら、話にならない。
どんなに受験勉強しても、願書出さないで
「大学受からない!社会が悪い!」と騒いでるのと同じ。 >>969
は?
書壇で営業ってなんだよw
お金撒く事? 賞が欲しくて枕営業まがいのことをした女性書家の話なら聞いたことがある
もう10数年前の話だから、今もいるか知らないけど 勘違いしたアーティスト気取りだと、そんなことになりますよ
たんす職人くらいに自分を重ね合わせて置いたほうが正気なんじゃないかと思う。 営業云々は全く謎だが、書壇で相手にされない理由はマイナー会派だからだけだろうか。
もちろん、それぞれ独自の作品を出していたんだろうね?
会派揃って似たようなものを出していたなら、その辺の会派と変わらんぞ。
もし本当に応用出来ていてそれぞれに作家性もあった上で不遇な対応を受けているなら、
ネットで自分を発信すべきだよ。絶対に誰が見つけてくれる。 >>973
そんなことしたら師匠の立場がなくなるから到底無理だよ ネットであまり自分を出し過ぎると、人望失ったり社中に迷惑かかったりしそうだけどねw なんで師の立場が無くなるんだよ…
どんな人望を失って、どう迷惑がかかるんだ…
苦汁をなめてる同士の連帯感はきついわ。
ぶっ叩かれながらでも自分の意思を貫いてる書道タレントの方がまだ清々しいぞ。 自分はやってないけど、ほかの人のブログでよく見かけるんだよ
荒らしに反応し過ぎて無知を晒したり
社中の内部事情をべらべら独り言で書きすぎたり。日々ブログ更新みたいなノリでやってると自滅してる。
なんでも喋れる半面、いっかいやっちまうとなかなか撤回できないのが怖いところ
淡々とギャラリー更新してるくらいなら良いけどね。
または、師匠公認でグループで運営するなり匿名でやるなり、けっこう慎重にやる必要がある。あと商品売買するのには、コンプライアンスの知識がめちゃくちゃ要りそう 作品を公開する場だから会派の内情を表に出す必要はないよ。
公募展至上主義はそう長くは続かない。
師匠が亡くなって分解してしまう会派も少なくない。
個々が道を作る時代。老婆心だが。 10年ほど前ねぇ、若くて美形で、連名でちょっとした本も出している男性新鋭タレント書家のサイトがあってね
揮毫動画で思いっきり誤字を書いていたのでコッソリ教えてあげたことがある。
そのときは、マネージャーの人が出てきて、平身低頭で謝られたけど、恐縮しちゃったね。
いま検索してみたらそのサイトはもう閉鎖されていて、その書家は読売でマジメに出品しつつ郷里で教室をやっているみたい。メディア方面でもね、妨害もあればしがらみもあり、栄枯盛衰も絶えないんで甘くはないんでしょう。
個々が道を作る時代と大くくりには言えると思うけど、この動きの最初期は失敗の連続だと思う。慎重にも慎重を重ねてやる必要があるのは間違いないです。 誰っていうのは、本人に悪いから言えませんよ。王子様だったです 3人のユニットみたいなの組んでた人かな?個々に活動してるみたいだけど まぁ、もう詮索ナシで。ほらね、おれがちょっと血迷っただけで
10年後にこんなケチがつく危険にさらされる。だからネットは慎重にね。 ぐぐったら同じ大学の人だったw
でも全然知らなかったw へえ。まぁ同じ大学の人だったら、陥れる気はしないでしょ?
あまり派手に活躍されても面白くないかもだがw >>986
陥れる気はないよ
でも3人と同じような謙慎系の字を書く人は書道部にたくさんいた
読売展でも大量にみかける
もっと独創性がないと個人で活躍するのは難しそう そうかもねぇ、、、
それでも紫や武ダーから比較したら、書けるの水準は別次元だとは思うけど、
あのままのコピーの作風ではあまり勝手気ままにはやれないよね。
おれは、うえの方で書家というのはタンス職人みたいなもんだと言った人間だけど
やはり、そうそう表舞台に個人で露出して時の人みたいに振る舞おうとするのは似つかわしく無いのかも知れない。 直近のスレを見ると、ウジウジくんの集まりなんだねぇ。
サイトで作品をアップしたり、動画出したら師匠に迷惑?
そういうやつに金を出してる奴の自業自得だろ。パチンコに行ってるやつが、北朝鮮の核実験に反対してるような滑稽な行動だわ 一人は中塚さんの後輩だってね。銀座で書道教室やってる 皆、大東出身でしょ。
読売系って堅いイメージだけど、意外と毎日系の人より個人活動が多いのね。
この辺りの人達にも応用の壁を感じるよね。師風以外になると急に質が落ちてしまう。 友人が謙慎系だけど、まず師匠の手本をもらって(有料)作品書いてるらしい
最初から自分で応用して作風を考える、ことはしないんだとか
謙慎の社中が全部そうじゃないだろうけど、手本貰ってたら応用なんて出来ないよね
それでも読売展では出世して日展でも入選しちゃうんだよねー大手の会派だから 日展より武田双雲や紫舟のほうが羨ましい。
あそこまで有名になったら
自分のやりたい書風でやりまくれるし。
手本代もいらんし、異性にモテモテやし >>993
素人からも失笑されてる自称書家になりたいのならどうそ 羨ましいならやればいいのに。
会派に所属していても個人で活動している人はいるよ。
しがらみ云々を理由にするのは逃げに見える。
自称書家が蔓延っているのなら、需要に対して圧倒的な供給不足なはずでしょ。 もうこの話題離れたいけど、
たとえば衆目の前で誤字を書くというのは、飲食業で食中毒を起こすのと同様
「致命傷」になりうる事 だから気をつけろ
また、それに類するトラブル・クレームの存在は、そのまま師匠の顔に泥を塗る行為
長いスパンでのWEB上での露出はリスキー 止めるのもリスキー
だから気をつけろ
以上の内容を指して、どこが「ウジウジ」「逃げ」なんだろうか?
世間知らずが大口叩いているようにしか聞こえないが。アジテータの発言ってのはホント無責任。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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