***御茶碗 5つめ*** [無断転載禁止]©2ch.net
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>>289
備考 で
「本作はご落札者様よりご希望がございましたら費用を弊社負担にて修繕を承ります。
ただし、修繕いたしますと作品の雰囲気を損なう場合がございますので、こちらをお含み置きください」
ってあるけどやっぱり歴史と技術のある所で漆で繕ってもらえるのかな。
このスレのみんな的に金直しとか漆繕いってどこの都道府県でやってもらってる?
(どこの店?って聞かないのは飲食店でも店同士の足の引っ張り合いみたいな
貶しあいに2ちゃんスレで遭遇しすぎてウンザリしてるから)
私は2つの県でやってもらった事がある。
茶道具だけじゃなくて雑器も。波紋とか蒔絵は入れてもらった事ない。 290の続きだけど
3つの所で直してもらったのだけれど、ひとつの所で複数出したりもした。
それで思ったのだけれど、結構仕上がりに差を感じた。
だから重要度の高いものをいきなり初めての所に出すのは良くないって思っているのだけれど
みなさんも直しの経験は豊富? あまりに間違いだらけで哀しくなる。。
こんな人が日本の美術業界の重鎮の一人として偉そうに本出してるなんて
山本豊津『アートは資本主義の行方を予言する』
http://cookingarden.tumblr.com/post/146876052144 ここで貼られているオークションの出品者で絵(洋画、日本画)も出品している人いるけど
「写実的な作品です」とか説明されているけど「?」って思っちゃう作品あるな。
いちおー親に水彩画や油絵習わされていたけど、こういう説明文読まされると
陶磁器もこれぐらい適当に客にフカしてるのかなって思ってしまう。
ギターもパーにしちゃったぐらい適当な保管してしまった経験あるから
絵画は買う気ないけど。
陶磁器は桐箱も含めてカビとか染みさせちゃった事はない。
破損はあるけど。 作家にとっては百貨店の個展で一万円切っているような小皿とかでも新品で買ってくれる
客がありがたいんだろうね。
中古で買ってその後に鑑定で持ち込みもしない人は金銭面で寄与してくれないし
作品の評判を上げる力も無い人だと特に。 >>293
まあ骨董屋でも専門違うとさっぱりわからんから
茶道具屋に刀とか、刀屋に書画とか、無茶言うなって感じ >>295
読めばここの住人ならすぐわかるでしょ。。
茶器や利休、信長に関する所まるごと間違い >>297
ほんとだ、めちゃめちゃだな
自分の論のために現実をねじ曲げてるわ >>289
300万か・・・
金持ってる人は持ってるなあ
本当に長次郎なら超お買い得ではあるが 萩や吉左衛門の当代の新作でも100万とか当たり前なのに
長次郎が300万のわけないわな でもそこ実店舗3店あるんだよね
業界でどういう位置づけなんだろうか 実際光悦や長次郎の本物って売りに出されたらいくらくらいの値が付くんだろう
最低数千万だよね 乙御前レベルだと大きく値下がりすることないし、悪くない投資だよ。 まあ骨董品の値段なんてあってないようなもんだしね
いい物でも売り手が価値をわかってなかったら安く買える >>304
乙御前5億って激安じゃね?
桁が1つ2つ違うんじゃ? >>307
重文クラスだと金積めば売買成立って物でもないしね
前の所有者とそれなりに繋がりがあってその後もしっかり維持管理出来る人じゃないと話にすらならない中で茶碗に5億ぽんと出せるとなると人もなかなか居ないだろうから妥当な線だと思うよ >>305
将来的に値上がりしなかったら、それは投資じゃない。配当等のインカムゲインもないし 茶碗に投資ってwww
茶碗に変わらぬ価値があると信じたいんだね
金塊買ったほうが利口だよ 投資って言葉に直接的な金銭の収益しか見ないのは視野狭窄だな
重文や国宝クラスの茶碗だったら所持する事で所有者に箔が付くって効果も望める 30年後に滅んでそうな国に窯変天目渡してもなくすだけだろうしなあ・・・
50億じゃとても 茶を飲んでこその茶碗だろ
峯紅葉で飲ませてもらった時は手が震えて怖かった たかが茶碗にすごい価値をつけて楽しむ
これこそ道楽ってもんだね >>316
曜変天目は薄茶入れた時の水色競う闘茶用で飲むためじゃないって説あるんじゃないの? >>318
五島美術館主催のお茶会
確か年に一回くらいチャンスあるよ
それなりに作法分かってないと行けないけど >>301
300万とか宗入とか一入のいいやつは買えない値段だわな…本物な訳がない。
当代楽の茶碗なんかどこがいいのかわからんけど500~1000位はするしなぁ…。 >>302
東美特別展にも出してるけどかなり高い、微妙なのも多い。 ただ、長次郎ですとこれを出されても明らかにまずいところはない。
300万にはそれなりの理由があると思う。 そもそも長次郎は楽吉左衛門じゃないだろ
二代の常慶からじゃん よく知らないで勝手なこと言うけど、ここって代替わりでもしたの?
なんか「先代が集めた物を『とっておいてもしょうがないだろ』って売りさばく二代目」みたいな臭いがひしひしとするんだけど >>325
雅?
松森の旦那が退いて若が社長になったんやで。
そしてインターネッツオークションに力を入れてる。(投げ売ってる)
後、京橋の松森さんの店行っても殆んどインターネッツ用の商品ばっかになっててつまらん。
代替り前もそこまでいいと思うものはあんまりなかったけど天と地の差って言っていいほどラインナップは酷くなったわ。
新陶とか新画が好きな奴がいたら謝る。 >>326
あー、やっぱりそうなんだ
なんか古い物に対する関心がまったくない気がして
というか茶陶全然興味が無くて商品としてしか見てないんだなーって感じがして
前のことは知らないけど、先代のラインナップがあまりよくなかったってのは多分いい物は売れずにとっておいちゃう性格だったんだと思う >>327
曲がりなりにも特別展とかで1000万超の織部茶碗とか2000万超の道具とかも出してた店なんじゃがなぁ…。
今年のアートフェアではじっくりブースを見る気も起きないほどのラインナップだったわ。 ヤフオク見てると玉石混淆で凄いな
仁清の茶碗に「本物保証」とかw 現物見ずに茶碗買うとかわりと意味わかんない
財テクとか転売が目的なのかね 近所のお店にいいもの置いてる地域の人ばかりじゃないんですよ 俺は普通にヤフオクで買ったりするよ
さすがに現物見ないと上限は30万くらいだけど
自分の目がどれほどのもんか腕試しみたいな一面もある
俺は一般的なサラリーマンより稼げてるから上限30万くらいならって感じだけど、中にはそんな腕試しに数百万とか使えるような金持ちもいるんだろうね ヤフオクは自分が何を売ってるのかわかってない素人さんとかもいるから、時々とんでもないものが出品されてる 現代作家で瀬戸黒で好きな人おしえてけろ
色んな人の好み見て自分の目を広げたい
物故含むで 今ちゃんと引き出ししてる瀬戸黒作家ってどれくらいいるんだろうね いるのはそこそこいるんだろうけど、瀬戸黒って釉色よりも造形の方が命だから、ちゃんとした瀬戸黒茶碗を作れる人って桃山時代以降は数えるほどしかいないんじゃない? 瀬戸黒の見込みってどうなってるのが
綺麗なんだろう
美術館でみるのは見込みが見えないんだよね
ほとんど平らのも見るけど
まったく平らだと面白みがないし 原憲司の瀬戸黒ってどう?
今年の黒田でやった個展の写真見る限り結構いいけど >>341
今google画像検索した
その人黄瀬戸はいい感じだけど瀬戸黒はちょっと 良さげも何も黄瀬戸の第一人者だろ
ここは現代作家知らない人たちばかりなの? 黒田陶苑で直接見て話をしたけど黄瀬戸は確かに雰囲気あって上手だった。 桃山の黄瀬戸をやたら神格化する人がいるけど、良いものはほんとにごく一部。 そりゃ良いものと比較するにきまってるじゃん
同じ時代じゃないんだぞ
現代の陶工たちはそれら見て作ってるわけだからな >>345
すまん、現代作家は本当に知らないんだ、興味なくて
桃山陶なら多少はわかるんだけど 変な帽子被ってワイングラスみたいの造ってる兄ちゃん位しか知らない 古いものにしか興味ないの?
現代のモノにも良いものたくさんあるのにもったいないね >>352
皿とか壷とか香炉とかならいいものあるけど茶碗にはないと断言できる それだけでみたらともかく、並べて見比べるとねえ。
今日まで工芸館でやってた辻清明の信楽も水指はおおっと思ったんだけどな。でかい合子とか。 >>355
それって時代が入ってるか入ってないかの差じゃなくて?
現代の茶碗も使い込むと古いものに負けないものってたくさんあると思うけどな 志野とかはあれだが、俺も概ねそこまでの差はないと思う。
そもそも壺とか皿なら何故良いの? 壺や皿は装飾品と見なされるが
茶碗はあくまでも食器の域を脱せられないからでは >>359
茶碗より皿の方がよほど食器だろ
100歩譲って食器だとしても食器だとなぜ古いものに勝てない事になるの? 皿は本来は食器だけど立てて飾る文化があるじゃん
最初から飾るために作られることもあるし 茶碗はプロデュースする人間の力量で違う
注文であったり選択であったり
現代はお茶を知らない人の芸術性に
寄せた茶碗が割と稀にあって、そういったものは
やっぱり昔の選択的に残された茶碗に劣る
茶碗は茶を飲む用途として定まっているし
他の道具との取り合わせの要にもなるので
上でもあったが、比較対象はあくまで昔の上物というのも、現代物が劣る原因ではないかと
原憲司の黄瀬戸はレベルが高いがその中でも優劣があるわけで 一般論すぎてつまんないんじゃね
小林秀雄のこっとばじゃないが花の美しさ語りすぎ 茶碗はあくまでも茶の湯という特殊な目的の中でのみ生きる物なので、お茶を知らない作家に芸術家の感性で作らせてもろくなもんができんのよな >>364
俺はむしろ逆だと思う。茶人プロデュースが成功したのは楽のみ。
織部様式はどこまで織部由来なのかわからないが…
そもそも高麗茶碗なんてどうなるんだ? 楽家の当代もたいがいなもん作ってるけどな
まあまともなのも作れるんだろうけどさ >>365
朝鮮のものこそ茶人プロデュースだろ
本来雑器と言われてるわけでな。。
村田珠光やらの見立てじゃね
全部茶人 >>367
そこまでプロデュースに含めちゃうの?
茶に引き立てられたものを全てプロデュースの範囲に収めるなら、そりゃあ
それ以外は良いものとはいえないでしょうね…
個人的には制作当初から茶人の具体的な指図が入り込んでるものをプロデュースと使いました。
利休は凄いと思うが、釘彫伊羅保とか御本とかを作らせる一般的茶人が優れているとは思えない。
確かに選び出すくらいは出来なければ、茶人としてやっていけなかったでしょうが。 >>359
陶芸の世界じゃ茶器と食器はあからさまに別物扱いだろ ここまで読んでも「なぜ現代の茶碗が古い茶碗に及ばない」のか全く理由になってないね
朝鮮の話なんかは茶の湯のちゃのじも知らない陶工が作った茶碗を当時の茶人が見出したから古いものがすごい、と言いたいのなら、現代にも良い物があるけど見つける人がいないだけって話にならない?
現在は昔と違って陶芸家も茶の湯を嗜んでる人はそれなりにいて、茶の湯を分かって茶碗作りしてる人はたくさんいる
逆に茶の湯を全く知らずに作ってる人もいる
昔と比べると本当に色んなモノがあるよ
もちろんクソみたいな茶碗もあるけど、素晴らしい茶碗もたくさんあるけど、「古いものには勝てない」と思い込んでたらそら良い物は見つからないわな 別に新しいものが古いものに比べてという
抽象的な話には興味はなくて
単に、良いものはいいというだけの話
どっちの主張もおもんない
同じ意味で、作っている人や物が
新しい、古い、職人、陶芸家、雑器、茶器、etc
に意味はなく、良いものが見出された、
見出すというだけ
一般的に言えば、古いものは良いものが
見出されて残っているので
普通に作られて出来不出来のみえる現代物は
不利というだけ 徹底的に懐古主義の人間っているからねぇ、自分も含め
どっちが正しいとかじゃないけど相容れない 新しくていい茶碗の例を写真でいいから出してくればいいんじゃない? >>370
すごいね。今の時代でそんなもの見つけられたんだ
名だたる好事家・数寄人でも見つけられないでいるのに
まあ、一つだけ言えるのは
一国一城に匹敵する茶器、そんなもの現代にありゃしない >>375
>>374とかある現代作家さんの展覧会で見たものだけど俺は古いものに劣らず素晴らしいと思ったけど写真で見る限りどう? 何を目指してるかによる気も
自分に手に入る範囲なのか
手の届かない物含めてなのか
一国一城に匹敵する茶器なんて買えないし
触れないし 自分にとって好きな造形・色調だったり、お茶の飲みやすさだったり、伝来だったり。
それらを備えていてかつ「この世に2つと存在しないであろうもの」が、自分なりの名碗の条件と思うのよね。
いいものは、飽きない… 井戸茶碗は数見るとなんとなく違いがわかるようになるよね
現代作家の井戸とは技術力に差があることもわかる(当然昔の人のほうが上)
ただ楽茶碗とか志野茶碗は無理だわ 志野茶碗はすごくわかりやすいよ
釉肌が違う絵付けが違うそしてなにより造形力が段違い
一度手に取って見たら二度と間違えないと思う >>379
昔の方が技術が上なんて思い込みだと思うけどなぁ
井戸にしろ志野にしろ現代の物か古いものかなんてのは簡単に見分けられるけど(黒楽は俺が詳しくないこともあって確かに分かりづらい)技術の高さなんてのが何見りゃわかるのか是非聞いてみたい >>379
志野茶碗も見分けられない人が技術力の差を見分けられるとはとても思えんなwww >>382
岐阜に行ったとき現代作家で高名な人たちの志野茶碗をいくつか見たけど
風情があって美しくてずっと見ていたくなるような魅力があったよ >>385
風情とか美しさとか良い悪いは別として現代の志野か桃山の志野かは一発で分かるよ
多分桃山の志野に最も近いものをやってるのは滝川恵美子さんだと俺は思ってるけど、それでも100%確実に見分けられる
滝川さん以上に桃山志野に近い志野をやってる人がいたら是非教えてほしい
美濃の高名な作家さんなんかはほぼオリジナルな志野ばかりでしょ >>386
あの女性のは、白すぎ
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