***御茶碗 5つめ*** [無断転載禁止]©2ch.net
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>>825
値踏みをするためにはお前のあげたベストショットの側面の写真一枚じゃできないんだよ
意味分かる?はずかしい奴だな >>826
バカに何を教えてやっても「馬の耳に念仏」だ
理解出来るなんて思うなよ >>825
>>826が言うように一方向の写真1枚では判断できないし、来歴や箱も影響する
価格を知ってるマイナーな茶碗の写真をあげるならまだしも、雑誌の新刊の広告あげて得意になってるのは理解に苦しむね >>829
良いのは五代のみ
あとは正直そんなに良くない 当代は具体的にどう酷いの?
そして5代は具体的にどう良いの? 茶碗の良し悪しを説明しろってアホかよ
自分で見て感じろよ
茶碗の良し悪しは感じるものであって言葉で説明するもんじゃねぇ >>834
なんだこれ。。。
流石にもうちょっと勉強してから来たら? >>834
基本的には土見せの方が好きだけど、土が悪いとかえってマイナスだからなあ
例えば志野、特に昭和以降の志野って大抵土が酷くて裏返してみるとげんなりする >>834
えーとねー かかってないのがすきかな! 加藤石春って楽印押してるけど、楽家と関係あるの?
結構うまいから気になって 楽印や乾山のサインはデザインの一部みたいになってるからな。
そんな事より、茶碗以外にも言えるんだけど、唐津や志野を造ってる作家って何であんなに桃山陶を意識してんだ?
「現代に桃山陶を蘇らす」とか言るけど、利休や信長・秀吉・織部はもう死んでいないんだし誰のために作陶してんだか。
作風も似たような作品ばかりで桃山陶に自縄自縛されすぎてるわ。
備前の作家の方が好きに自分の作品を造ってる様で魅力的な作品が多いと思うわ。 ただ歪んでるだけで何の魅力もないよね
桃山陶と言いつつ陶九郎の劣化コピーだったりするし 志野で桃山陶を意識してる作家って例えば誰?
滝川恵美子以外は桃山志野を意識して近づけてる作家は一人も思いつかないわ
唐九郎の劣化コピーは確かに多いとは思うけど
でも、志野って釉薬は長石の単身だし土はもぐさ土で細かい細工できないからどうしても似たものになるのは仕方ないとは思う 細かい細工が出来ないとか言いつつ桃山には程遠いのは何故? >>845
桃山目指してるわけじゃないからじゃね?
俺のレスちゃんと読んでる? >>847
原憲司は黄瀬戸以外全くダメだな
黄瀬戸も最近のは全然良くない
昔の方が断然良かった
なんでこんなに質が落ちたんだろ いくら良いと言われようとも、ずーっと同じもの作るのは辛い。
まあ、最近のが悪いとは思わないけど。 最近のは粗めの土をわざと使っているなので
昔のなんとも隙のない油揚手とは違う味になった。
最近のも好きだが、昔の方はいかにも原憲司のイメージそのままなのでそれを求めるのはわかる。 だけど、たしか唐九郎は原憲司の黄瀬戸を「自分より上手に出来てる」と褒めたんだよな? 個人的に原の黄瀬戸は昭和以降では一番
ある意味桃山より桃山らしい >>851
唐九郎は結局黄瀬戸は死ぬまでに完成できなかったからな
原憲司、各務周海、鈴木五郎に教わりに行ったりして晩年の黄瀬戸になったけどそれでも桃山には届かないまま >>852
同意。原憲司は桃山をこえたと思う。
というか桃山の黄瀬戸は本当に良いか?少なくとも一級品はどれだけあるっ?てくらい
良いものが少ない。あの黄瀬戸というスタイルを生み出したのは大偉業だけども。 黄瀬戸はなー・・・少なくとも油揚手は「茶碗に向かなかったから作られなかった」というのが現在の自分の結論
皿ならいいんだけどね 備前の作家で若手・大御所や上手い・下手糞関係なく「良い土使ってんな」と思う作家を教えて。 >>856
いやさぁ…朝比奈ってぶっちゃけ微妙でしょ
油揚手の茶碗があれ一個しか残ってないってのはやっぱり「あ、これダメだ」ってなったからだと思うよ 黄瀬戸の茶碗は茶の色が映えて好きだけどなあ
夏の終わりから秋くらいになると毎年使いたくなる >>860
もうちょっと勉強してからおいで
さすがに恥ずかしい >>860
朝比奈は、お茶にはちょっと不便だと思う >>862
お前の方が恥ずかしい
勉強以前にセンスが無いねw 無為な茶碗ってどんな茶碗?
無為な茶碗こそ本当に良い茶碗だが売れないって言ってた。 その言葉を言った人の独特のセンスによるものであって一般的な用語ではないから何とも言えない
その人に聞いてみたら 無為ってのは作為が無いって事だろ
ものすごく簡単な言葉でいうと「わざとらしさがなく無我の境地で作った茶碗」とかそんな意味だろうけど、作り手からしたらどんなに意識しなくても人が作ってるのだからどうしても作為というのは必ずどこかに出てしまう
無為ってのは理想ではあるけど精神論だと思うよ ああ、無作為ってことか
その理屈だと織部はもちろんのこと御本やら長次郎やら光悦やらみんな駄目だな
茶碗として作られたわけじゃないけど茶碗にぴったりな見立て物などを指してるのかな そんな事言うのは柳宗悦あたりが言ってた井戸茶碗最高論に乗っかってるだけでしょ
無作為ってのは良い茶碗の要素の一つではあるけどそうじゃないと良い茶碗とは言えないって事じゃないと思うよ 魯山人の備前って、藤原啓・雄の指導の影響が強いんでしょ?
陶陽とも会った事あるけど、気が合わずに交遊とかは無かったんだっけ? >>873
そうじゃね?
窯も藤原家の紹介で貰ってるし。 >>872
宗悦が自分の本で延々と井戸茶碗は作為が無いとか無名の職人が作った茶碗は素晴らしいとか書いてるんだよ つまり、現代では機械が作った茶碗は作為ゼロで素晴らしいと
そういう事だよな 柳宗悦は喜左衛門見て何の変哲もないとかぬかすメクラだからね・・・
民芸は興味ないからどうでもいいんだけど奴は茶陶に関しては本当に悪影響しか及ぼしてないからいい加減にしてほしい 九代がこうした黒楽茶碗に独自の境地を深めたのは戦後の昭和30年代のことである。
自らも満足がいく作品が生まれたのは60歳代からだと話している。
「派手なものは、あっと驚くかもしれないが、無為のものは、あっと驚くかもしれないが、
無為のもので世間をあっと言わせるものは難しい。その点、茶碗を作ることも難しい。
特に無地ものの大樋焼は派手さがない」「見どころの多い茶碗ならいいとか、世間ではいうが、
そういう茶碗は、本当の茶碗じゃないと思う。無為で作って、頭の下がるほどの品位のある茶碗が
いいということでしょう」とも語っている。晩年、九代長左衛門は人から自己の作陶信念を聞かれた時
、「作っている間は、無の境地になること」という返答をしたというが、この言葉のように
九代長左衛門の晩年の茶碗には、口部を内に僅かに抱え込んだ穏やかな作風や、
侘びたなかにも抑制された華麗さを持つ作風など独自の境地を示す作域が現れており、
そこには枯淡さと共に茶碗を楽しむ情趣の深まりを一層強く感じさせるものがある。
だってさ。無地でも大樋はテラテラしてて派手じゃない?晩年の黒も幕釉派手じゃない? ゴチャゴチャ言われても俺は俺の好きな茶碗がいいから
ほっといてくれや きょひっただけだよ むかしはやったさ びーずのくっしょんみたいだもん にくかん ぼういんれんこうのとき かおなぐったりひっかいたりいっさいしてない 例えば井戸茶碗なんかは雑器として朝鮮の名もなき陶工が作ってて
「良いモノを作ろう」
という意識なく作られたって意味で無作為とされてる
梅花皮や貫入なんかも偶然の産物で狙ってできたものではない
柳宗悦の言う「井戸は何の変哲もない」ってのはそういう意味だと思うよ
確かに井戸なんてのは作りはほんとに雑なんだよな
そこに過去の日本人が「侘び寂び」なんかの精神で美を見出して重用した訳で、
今でこそ「喜左衛門は名品」という刷り込みがあるから素晴らしく見えるけど、もしそういう先入観なしで喜左衛門を見た場合どれだけの人が喜左衛門の美しさに気づけるのだろうね >>882
宗悦のやろうとしてたのは目に見えない精神性を至上とすることによって自分に都合の良い物を売りだそうとしてたって事だと思うよ
後の民芸運動を見ると井戸については理論武装の手段の一つとして引っぱり出しただけのように感じる 民藝を民芸って言ってる時点で本は読んでないのがわかる
民藝と民芸は別物だから 民藝は柳宗悦の造語だし著作に頻出だが民芸運動という単語は柳、濱田、河井あたりの動きから周りが名付けた物だし既に百科事典や新聞にも使われている表記だから間違いとは言えないぞ 柳宗悦が明確に差別化してたでしょ
少なくとも柳宗悦においては民芸というのは間違い >>888
俺は>>884の民芸運動という表記でしか民芸という字を使っていないからその指摘にはあたらない
民藝を使うべきところでは民藝と書く 柳宗悦『茶と美』、「喜左衛門井戸を見る」より
それは平凡極まるものである。土は裏手の山から掘り出したのである。
釉は炉からとってきた灰である。轆轤は心がゆるんでいるのである。
形に面倒は要らないのである。数が沢山できた品である。
仕事は早いのである。削りは荒っぽいのである。
手はよごれたままである。釉をこぼして高台にたらしてしまったのである。
室は暗いのである。職人は文盲なのである。窯はみすぼらしいのである。
焼き方は乱暴なのである。引っ付きがあるのである。
だがそんなことにこだわっていないのである。またいられないのである。
安ものである。誰だってそれに夢なんか見ていないのである。
こんな仕事して食うのは止めたいのである。焼物は下賤な人間のすることにきまっていたのである。
ほとんど消費物なのである。台所で使われたのである。
相手は土百姓である。盛られるのは色の白い米ではない。
使った後ろくそっぽ洗われもしないのである。朝鮮の田舎を旅したら、誰だってこの光景に出会うのである。
これほどざらにある当り前な品物はない。これがまがいもない天下の名器「大名物」の正体である。
よくこんな気色悪い文章書けるもんだ
板復帰(OK!:Gather .dat file OK:moving DAT 402 -> 373:Get subject.txt OK:Check subject.txt 404 -> 400:Overwrite OK)1.68, 1.40, 1.30
sage subject:400 dat:373 rebuild OK! おまえら知ってる?
東京美術大学の先生をしてた富本憲一が教室にいる生徒たちに作品サンプルとしてまわして見せてた作品の中に
浜田庄司や河合かんじろうの作品が混ざってるのに気付いた富本が助手をしてた近藤悠三に「宗教がかって気持ち悪い
奴らの作品が入ってる」と言って回収させた事があるんだぞ。 だから、桃山信仰が激しい唐津や志野の作家の作品に違和感があると前に書きこんだんだよ! >>895
だから、それでいいよ
私は否定しない
賛同しますよ、エエ >>895
それの何がいかんの?
桃山を信仰してる人もいればしてない人もいる
なんで桃山信仰を叩く必要があるんだ?
「違和感がある」って完全に個人の感想じゃん
逆に桃山信仰してない茶碗に違和感があるって人だって中にはいるだろ
お前と考えが違うのは許せないってか? 好きな茶碗買えば良いし嫌なら買わなきゃ良いだけの単純な話
最終的には自分が満足出来ればそれで良い >>891
焼き物をしたことない人の空論という印象。 >>891
間違ってるね
>朝鮮の田舎を旅したら、誰だってこの光景に出会うのである。
>これほどざらにある当り前な品物はない
こんなもの完全な間違い
柳宗悦ってバカなのか? 井戸茶碗についてはまだ研究中で諸説紛々、何が正解なのかはわからない
しかし現在では柳宗悦の言うような雑器ではなかっただろうといわれている(祭器説が主流) >>902
祭器説って唱えてるの黒田草臣くらいだろ なんか、黒田信者もいるみたいだな
テキトーな文章書けば本当だと信じてくれるのが陶磁器ファンかw >>891
これ最後の1行読んで、じゃあ名器でもなんでもねーじゃねーか!とつっこめばいいの? ググるともっと長いの出てくるけど
>「いい茶碗だ─だが何という平凡極まるものだ」、私は即座にそう心に叫んだ。
>平凡というのは「当たり前なもの」という意味である。
>「世にも簡単な茶碗」、そういうより仕方がない。
>どこを捜すもおそらくこれ以上平易な器物はない。
>平々坦々たる姿である。
>何一つ飾りがあるわけではない。
>何一つ企みがあるわけではない。
>尋常これに過ぎたものとてはない。
>凡々たる品物である。
のっけからこれだぜ >>906
この書き方って平凡なのにいい茶碗だと思わせるのがすごいことだって言ってるんじゃないの?
この部分だけ読むと俺にはとんでもない褒め言葉に読めてしまうのだけど 茶碗知らない素人が喜左衛門見たら感想は「汚い」「何がいいのか解らない」だろうし
ちょっとでも茶碗齧ったら「何か変」もうちょっと進んだら「なにこれすごい」だろ
あんな異様極まる茶碗他にないもの
素人の感想でもなく玄人の感想でもなく、自説の牽強付会含めて衒ってみせたんだろうけど狙いすぎて外してる
ネットスラングで言うところの「滑ってるぞ」というやつだ ちょっと齧った時の「何か変」ってのはよくわからん
そこは俺は通らなかったな
何が変だと思ったの? 美術品の世界で自分の好みと他人の好みが一致するってなんだか嫌だなあ。 高価な茶碗でも皆それで毎日飲んでる?
楽焼だけど、ニュウとか怖くて余り使えないでいる。 楽じゃないけど3ヶ月分の給料はたいて買った茶碗嬉しくて毎日朝と晩に使ってるんだが
育ってきたらさらに嬉しいよ愛着も増すし 柳・河合・浜田とか民芸運動に参加してた連中って、周りからどのように見られてたの? 素人ですまん。熱湯入れて割れたりニュウが出たりするの?
物理的な力を与えない限りニュウは生じない? 楽焼はあんまり出ないだろうけど、薄くて硬い土は出る可能性ある >>916
熱湯入れたくらいでニュウが出るわけはない >>916
ニュウってのは生地と釉薬の収縮差によるモノだからどんな土使ってどんな釉薬使ってるかによって変わるよ
モノによってはニュウは焼き上がりだけじゃなく、100年くらい入り続けるとも言われてる
土と釉薬の収縮率がピッタリだったらニュウは入らない訳だけど、別にニュウが入るのは悪いことではない
そうやって経年でニュウが入るってなは言ってみればその茶碗の本来の姿になっていってるってこと
経年変化を恐れて茶碗を使わないってのはその茶碗本来の味を楽しめてないってことだからもったいないなと俺は思っちゃうな >>920
いや、全然あり得るよ
夏と冬の温度差程度でもあり得る話 馬蝗絆が割れたのは冬場に熱いお湯入れちゃったせいじゃないかって話も >>924
違うね
あの釉は磁器に合わせた硬い釉
湯ぐらいで割れない レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。