1945年9月2日の終戦日の戦艦ミズーリ上での連合国との降伏文書調印式の文書の草案には
日本国の公用語を英語にする事から車の右側通行と左ハンドルの義務付けにいたるまで
細かい文言が書き添えてあった
GHQは日本の占領統治において日本人の主権を一番に置いていたため英語の公用語化を
含めた数点が日本人幹部たちの猛抗議によって割愛された
しかし沖縄にはそれは適用されないはずだったが、実際英語の公用語化は執行できなかった
沖縄の例を見るまでも無く一国の言語を他言語に大転換させる事は不可能な事なのではないのだろうか?
もし降伏文書での英語公用語化が日本国で実施されていたなら沖縄のように早々頓挫したのか
それとも戦後66年経った現在、戦後生まれが中心となった現代日本が英語圏に属していたのか
非常に興味深い。賛否両論はもちろん有るだろうが私個人を含め大多数の人は
1945年に英語化していれば良かったのにと思っているはずだ