なんで日本人が英語苦手か分かった(笑) [無断転載禁止]©2ch.net
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既出だったらすまん
日本は和製英語が根強いから発音が和製に変換されてるんじゃね?
子供の頃から深く根付いてるから聞いても和製英語ニュアンスに変換されてるんじゃなかろうか? 【BS11:紀行・教養】 <尾上松也の古地図で謎解き!にっぽん探究>放送時間:毎週水曜日 よる8時00分〜8時54分 http://www.bs11.jp/education/post-74/ 「が」は元は属格を示すさ後置詞じゃないのか
その後文全体を支配するようになって主格の後置詞になった
昔の日本語だと主格は無標 >>415
古語辞典にそういう説明があったと思う。
「が」の一番古い使い方は所有を表す。
しかし時代とともに主格を表すようになったと。
>昔の日本語だと主格は無標
良く意味が分からない。 >>418
英語には主格を表す格助詞はないね。
目的語を表す格助詞もないけど。
語順だけかな、他に単複の別がある。
日本語も「は、が、や、ね、さ…」は動詞で格助詞じゃない。
最初に助詞と間違って命名したのが悪かったと思う。
名詞、動詞、形容詞、副詞、助詞などは規則的に命名されているから
幕末から明治維新にかけて、バタバタと翻訳したんじゃないかな。
水素、炭素、酸素、フッ素みたいな、規則的に命名されているから。
日本の伝統なら体言、用言と来るんじゃないかな。
用と体も儒教だったかな。 >「は、が、や、ね、さ…」は動詞で
この人はどさくさ紛れにまた理屈に合わないデマを飛ばしてるのか 「あり」言素系列として
親言素…あり
娘言素…親言素から変化して生まれた言素
は、な、よ、や、さ、ね…
娘夫婦言素…娘言素が他の言素とくっついたもの
には、へは、とは、のは、からは、よりは、では、
には、のは、には、とは、らは、
ばかりは、までは、だけは、ほどは、くらいは、などは、なりは、やらは、
こそは… 親夫婦言素…親言素ありが、他の言素とくっついた言素
である、だ・じゃ
にある、なり
てあり、たり、助動詞ラ変型
とあり、たり、助動詞タリ型 >>424
×には、のは、には、とは、らは、
○のは、とは、
「には」が重複していた。
「らは」は明らかに違う気がする。 ある人が言うには…
突く、小突く
ねる、こねる
する、こする
意味が似てるし、音も似てるし、作りも似てる。
「こ」が音韻変化して「と」になると
ぼける、とぼける
惑う、戸惑う 間違って途中でカキコになった。
タブレットなんで、後でかきなおす。 「縄文人の贈り物?」という本を四国のお医者さん?が書いています。
そのなかでこんな記述があった…本を見ずに思い出しながら書くと…
>こづく=こ+つく
>こねる=こ+ねる
>こする=こ+する
>この「こ」はグリムの法則で音韻変化し「と」、「ほ」になる。
>例えば
>とぼける=と+ぼける
>とまどう=と+まどう
>とどまる=と+とまる
>さらに
>ほうむる=ほ+うめる
>
>ここでの「こ」、「と」、「ほ」は「共に」という意味ではないか?
>アイヌ語も「ko-」で「共に」という意味がある。
こういう内容だったと思います。
なるほどなと感心しました。
それで、私も「こ、co」が見つけられないかと考えてみると、
ありましたねw >>432
「とある」、「という」とか、「とか」もあるかな?
さらに、この「こ=ko」は非常に広がりがある。
英語で[co-,com-,con-]で始まる多くの単語があります。
computer = com + puter
coauthor = co + author
coeducation = co + education
cooperate = co + operation
さらに中国語では「共」と書いて「gong」と書く。
「gong」は「ko」が基本としか思えません。
日本人は漢字を読めるので、[gong]の意味が分かる。
中国語も、音と文字で、どっちが先かというと音だ。
日本語もアイヌ語も英語も中国語も、音によって出来たはずで
そこで「こ=ko=co」という共通性がアルのは偶然じゃない。
単語の作り方、構成が全く同じでもある。
ところで非常に残念というか、
日本語の古語辞典に「こ」=「共に」というのがない。
「こ」を使った最終製品の日本語は、いっぱいある。
「こづく、こねる、こする…」などの最終製品はあるんだが
最終製品の部品になった「こ(共に)」がない。
アイヌ語にも、英語にも、中国語にも「ko- co- gong」はあるが、日本語にない、
その原因の一つは、古語辞典を書いた人が
「こ(共に)」を意識できなかった、のではないか? >>433
なぜ古語辞典を書けるようなお人が
「こ=ともに」を見逃したか?
非常に広がりのある単語、部品ですよ。
しばらく文字を持たないアイヌも意識していたのに。
その理由は、こういう単語群が
借用だったから、輸入品だったからという
作業仮説が成り立つ余地があります。 「こ」は「これを」だろ
「共に」じゃねーよwwww
あえて言うなら動作主体とは別に何かがある、くらいの共通点しかねえwwwww >>434
日本語に、ずばりの「こ=共に」は無い。
しかし「こ」の音韻変化「と」に、それらしいのがある。
全訳古語辞典
>「と、格助詞」
>・共同動作者、…と、…とともに、…といっしょに
>・動作の相手、…と、…を相手にして
>・比較の基準、…と、…と比べて、…に対して
>・引用、…と
>・変化の結果、…に
>・比喩、…のように、…と同じに、…として
>・並列、…と
>・強意、…と
「と」に、なんとなく、それらしい香りがするだろ、「こ」系列のさw >>438
「・共同動作者」の例文では
いもとこし みぬめのさきを かへるさに ひとりしみれば なみたぐましも
妹と来し 敏馬の崎を 帰るさに ひとりし見れば 涙ぐましも
与妹来之 敏馬能埼乎 還左尓 獨<之>見者 涕具末之毛 英語のco〜は全てラテン語由来なので
せめてラテン語でやって下さい ラテン語を話していたラテン人が、
北コーカサスからイタリア半島へ進入したのが
紀元前10世紀頃かな。
インドヨーロッパ語族になるんだが
「欧州語」はラテン語が源流という主張は
宗教的バイアスを考慮する必要がある。
インドの植民地経営の要請から、インドヨーロッパ語族は
利用されていると考えるべきだしね。 >>442
政治的宗教的バイアスがあると思ったが違うみたい。
kichen cum dining room = キッチン兼ダイニングルーム = キッチンとダイニングルーム
cum bonus = 特別配当権付き = ボーナスとも、ボーナス付き >>444
途中でカキコになった。
要するに、日本語・アイヌ語・英語・中国語にラテン語に共通する言葉の
「(こ、と、ほ)、(ko)、(co,com,con),(go),(cum)」は全部共通だ。
凄いよw >>445
日本語の「こづく、こする、こねる…」は借用品、輸入品だろうね。
その理由は最終製品があるが、部品がないからだ。
米国の州の名前の多くがインデアンに由来する。
だから英語で州名を解説できないんだよな。
よそ者が借用した、背乗りしただけだから、英語語源じゃない。
それと似ている。 >>446
何から借用したか、何に背乗りしたか?
ラテン人、ゲルマン人、中国人に背乗りしただろうか?
距離や歴史、人種から考えたらアイヌの可能性があるね。 ラテン語のcumは日本語の助詞「と」と同じだ。
ビックリしたよ。
icebreaker-cum-intelligence-gathering vessel of the navy
海軍の砕氷艦兼情報収集 = 砕氷と情報収集の海軍船
kitchen-cum-dining room
ダイニングキッチン、台所兼食堂 = キッチンとダイニングのルーム
observation-cum-study
視察研修 = 観察と研究
>>442さんの指摘に感謝。 >>449
英語co- com- con- はラテン語cumから派生した。
んでラテン語cumの使い方は日本語助詞「と」と同じ。
「と」言うことは… >>450
日本語の助詞「と」は助詞として使われているが
接頭辞にも使われていて全然おかしくない。
日本語にそういう例があると考えて良い。
ラテン語、英語、中国語、アイヌ語にあるからね。
ラテンの貴公子Ricky Martinのヒット曲
Livin' La Vida Loca でも聞きましょうか。
https://www.youtube.com/watch?v=p47fEXGabaY ラテン語とは無関係
せめて印欧祖語で比較して、どうぞ >>451
英語ではco- com- con-の接頭辞で意味を拡大した。
日本語もそのようにして使っているとすれば
「こ+つく=こづく、こ+する=こする」などの様に
接頭辞「こ(共に)」をつけて作った。
さらに日本語の場合は、「こ」が音韻変化して「と」になり
これがラテン語のように、接続助詞として使われた。
「こ(=と)」は基本的な意味は「共に」と言う意味だ。
だから「と」が来た時は「共に」という意味で考えて良い。
そして「と」は接頭辞として使っても良いはずだ。
例えば
>「妹と来し 敏馬の崎を 帰るさに ひとりし見れば 涙ぐましも」
「妹と来し」は「妹と/来し」でも良いが「妹/と来し」でも良いんだよ。
「と来し」という動詞で考えても良いと言うこと。
その意味は「共に来る」と言う意味だ。 >>454
「妹と来し」を「妹と+来し」じゃなくて「妹+と来し」と考えて良い。
「と来し」を動詞と考えると
妹+と来し=妹(主語S)+と来し(動詞V)の形になる。
つまり日本語は基本的にはSVOの語順でしたって事。
SOVじゃなく、SVOでした。 「は」は係り助詞と終助詞があるそうだ。
係り助詞は、いまは置いといて、
この「は」になぜ終助詞として使われるのか。
終助詞として使われる時は、感動・詠嘆の意を表すそうだが
これは間違いだ…結果としてそういう場合もあるんだ。
動詞「あり」を親言素として、これが変化した言葉「達」がある。
「は、や、よ、な」が思いつくが、
これは「あり」を親言素とする娘言素だ。
意味は親言素も娘元素も「あり」である。
だから終助詞に「は、や、よ、な」が使われていると
その文章は「あり」で終わっていることだ。
文脈で感動・詠嘆の時も「たまたま」あるんだろうが
意味は「あり」しかない。 >>456
また君かあ
いい加減本でも出版したら? >>457
今は個人で電子出版とかできるしね。アマゾンで売れる。 ティ、トゥとか
ディ、ドゥなんて発音は昔はなかったからカタカナ外来語ですら年配の人はに苦手だからね。沖縄にはそういう子音が元々存在してるから沖縄の年配の人は外来語が本土の年寄りより使いこなせるらしいね。
RとLの違いやthあたりはカタカナ表記が難しいのはわかるけどせめて
shiはシ、siはスィとか
ジとズィの違いとかくらいでもカタカナ表記を区別すればかなり改善されると思う。
オーとオウ、エーとエイとかもね。 まーでもとっさのカタカナ語使う人おるな〜「俺はリフューズしたけどね」って誰かさんが
言ってたけど普通の日本人は?ってなるだろ。それよりひどいのはポルトガル語とかイタリア語の
単語までも混ぜてくる奴ら。ヤフーニュースのサッカー記事なんてイカれてる。「これぞ
ゴラーソ!」ってww モーラと音節の違いとか子音だけの発音とか最低限教えれば大分変わると思う >>1
英語と日本語で距離が遠すぎるからな。
それはあっちが日本語を学ぶ場合も同じだが、
あっちは音素数が多いから日本語の音が聞き取れるんだよ
だからyoutubeで日本に出会いアニメとかの動画で日本語覚えましたとかって奴が多い。
でもその辺の日本の人がいきなりyoutubeで英語音声の動画見ても聞き取れないからいつまでも出来るようにはならない 勉強不足以外のなにものでもない
ゆとりは欠陥世代だわ >額田王(ぬかたのおほきみ)の近江天皇(あふみすめらみこと)を
>思(しの)ひて作れる歌一首
>
>君待つとわが恋ひをればわが屋戸(やど)のすだれ動かし秋の風吹く
>きみまつと わがこひをれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく
>巻四(四八八)
>君を待って、恋しく思っていたら、私の家の簾を動かして、秋風が吹きます
この和歌は典型的だね。sは主語、vは動詞だ。
きみ(s)まつ(v)と わがこひ(s)をれば(v)
わがやどの すだれ(s)うごかし(v) あきのかぜ(s)ふく(v)
全部が全部、主語+動詞(S+V)になっている。
でも日本語で読めるよね。 英語だと動詞の三単(現)にs、esが付く。
動作の主体が三単(現)の時にこうなる。
つまり動詞さえ見ていれば、主語が三単(現)か、
あるいはそれ以外か、それがわかる。
動作の主体、主語かな、それは
「私、あなた、彼、彼女、これ、それ、あれ+森羅万象」に、
それぞれの複数形に、私やあなた、彼彼女自身などが含むか、
それとも含まないか、などいっぱい有るね。
だから動詞の活用形に、動作主体を表す接辞を付けるのは
動詞の種類が多くなって、使いにくそうだね。
だから動詞の活用形を増やさずに、
なにが動作の主体なのかを表す、
覚え易くて使いやすい、簡単な仕掛けがあれば良いんだな。
動詞の対称になる目的語も、接辞があった方がわかりやすい。
でも目的語には「私、あなた、彼、森羅万象」があるから
区別する接辞となると、数が多くて、大変だよね。
だから目的語の森羅万象を「活用」させずに、
目的語とわかる、わからせる、簡単な仕掛けがあれば便利だ。
さらに目的語の場合は、動作の対象だから、受動の立場だね。
主語は能動・主動だけど、目的語は受動だ。
ちょうど逆関数の関係にあるね。
「y=ax」の逆関数が「x=y/a」
主動・能動で言うだけで無く、受動で言いたい時もあるし、
そりゃ多いよな、はっきり言ってw 動詞や名称や森羅万象のみならず
形容詞や副詞なども人称別に、単複に、現在過去未来に
仮定もあるよな、能動受動別に、接辞があった方が
わかりやすいが、数が多くなりそうで、覚えにくいよな。
動詞や名詞、形容詞等の前後に、人称、時制とかの
接辞が付くとして、その接辞の一部は主語の役割だね。
主語の場合は前に付きそうな気がするが
後ろについても主語って事があるね。
動詞の前後に付いて主語を表す時や
名詞の前後について目的語を表す時もある。
形容詞や副詞も、具体例がわからんが、あるんだろう。
接辞から分離したのが主語なのか、名詞として存在したか
どっちが先かわからないな。 英語なんか単語力と中学校の文法でなんとかなるやろ
なんで日本人は英語できへんねや
getとかrunとかgoみたいな簡単な単語を完璧に使いこなせたら自分の意見ぐらいは言えるやろ >>473
「簡単な」単語ほど語義が広く、用例が多くて難しいんじゃないか?
つまり、完璧に使いこなせるなら、他も使いこなせることになる
ありふれた内容では自分の(人と違う)意見にはならないので
それなりに工夫した表現が必要になるだろう 前に付く接辞が発展して、
英語では主語や例えば前置詞になり、
後に付く接辞が発展して日本語の例えば助詞になった。
日本語でも英語でも、
接辞は元々は前後に自由に付いていたかも。
英語の場合は接頭辞も接尾辞も豊富だね。
名詞化、形容詞化とかね。 英語の名詞はだいたい動詞だ。
日本語も動詞の連用形が名詞だ。
どちらが先かわからないけど
洋の東西を問わず
名詞と動詞は同じ物だったんだろう。 英語は前置詞、日本語はまあ後置詞だけど…
「私は、朝食バイキングで納豆を食べた」
これをばらすと
「私は」
「朝食バイキングで」
「納豆を」
「食べた」
習慣で、こういう風に分けたけど
「は、で、を」が助詞・後置詞だ。
この分け方は、これだけでなくて
「私」+「は(食べた)」
「朝食バイキング」+「で(食べた)」
「納豆」+「を食べた」
こういう風に分けられる。
「食べた」は何度も出てくるので
最後のものしか残らない、最後の一回でもOK
これだと「は、で、を」は動詞の前にある前置詞だ。
動詞が省略されたと考えると前置詞だ。 >>479
「は、で、を」は前置詞というより
接頭辞がわかりやすいかな。
「私は、朝食バイキングで納豆を食べた」
順番を変えると
「朝食バイキングで納豆を食べた私は」
さらに
「朝食バイキングで納豆を我食べた我あり」
ちょっぴり万葉tasteだろ…「は=あり」 >>471
動詞に主語別の接辞が付くとする。
その接辞が精密だったら主語は不要だ、当然だよな。
接辞が動詞の前に付くか、後に付くかは別にして。
具体的には「SV」を基本にすると
たまたま接辞が前に付いたら
「S+接辞+V」となり、この接辞は「S」と同じ性質だ。
だから、ことさら「S」を表さず「接辞+V」でも良いはずだ。
あるいは「SV」のみ、動詞に接辞なしでも良いかな。
他動詞で目的語が必要なとき、
例えば「何に・何を・何へ」みたいな時だろうね。
受け身か、主導かとか。
主語別接辞は、主語が前に来る語順なら、前の方が良さそうだ。
英語の場合は、動詞のケツに付いているけどねw
あと目的語の位置と、目的語だとい記しをどうするか。
接辞があれば良いね、日本語は助詞がこの点は簡単だ。
英語の場合も、前置詞を活用したら
日本人には分かりやすいし、使いやすいはずだ。
英語にもこういう「日本風時代」があったはず。
むしろ無ければおかしい。 >>481
ロシア語とか、現在・反復・近未来の時勢だと、接辞というか屈折で、一人称二人称の主語は自明なんだけれど、
ほとんどの会話や筆記文で主語つけるよ。
主語省いても、同氏の屈折で解るっちゃあ解るが、自然な言い回しではなくなる。
なんでかの? >>482
動詞に人称接辞がつくのに
その他に主語を付けるというのは
「念押し、主語強調、二重にして伝達ミスを減らす」
こういう目的だろう。 SVOでもSOVであっても
動詞には人称の活用がある。
Sが付いているのに、
もう一度人称を付けるのは無駄だ。
だから普段使いでは主語は省略出来るはずだ。
動詞に目的語が必要ならば、
目的語である識別が必要だ。
日本語だと格助詞、係り助詞だ。
英語だと前置詞と順番かな。
・動詞ならば、人称接辞+動詞か、動詞+人称接辞
・目的語ならば、目的格接辞+名詞か、名詞+目的格接辞
これに時制があって、主動受動が加わるんだな。
SVOならば、主動、ま能動かな、それだったら
Oを主語に、Sを目的語?にした
OVSの受動形にしなきゃいけない。
結構難しいね、要件定義、概念設計だけでも大変だ。
これは時間が必要だよ、確かにw 発音いいやつってなんなんだろうな
インターネットをイナネッ的にパッと発音できるやつってなんの訓練受けてんの?w 上手い人に指導してもらって練習あるのみ
年齢は早い方が良い
独学でやるならカラオケが手っ取り早い 暇さえあれば独学でどうにでもなるよ
普通の人は忙しいからダメなんだろうけど >>484
お前の「はずだ」で言語は動かない
世界は決められない
頭だけで言語を設計する者の発想はただ虚しいだけ >>489
言葉の要件定義の話しだ、最低限度の必要な条件の事だ。
言葉を作ってきた人も同じ事を考えたはずだ。
結果が同じになるとは思わないけどね。
言葉がサイコロ振ってできあがったんじゃない。
必ず同じようなこと、必要性に駆られて、
似たことを考えたはずだ。 動作状態を表す動詞がある。
動作状態の主が主語だろ。
たまには目的語がある。
そして動詞はほとんどが名詞だ。
動詞の前に人称接辞が付いたら、それは主語だ。
動詞の後ろについても主語の場合はあるはずだ、当然。
それも主語だ。
SVの文もあれば、VSの文もあるはずだ。
英語の場合、動詞の後に人称接辞が付くね。
主語を前に付けたから、人称接辞が後ろに回ったのかな。
はっきり言えることは、
主語と動詞の間に目的語を入れると、紛らわしいね。
SOVか、VOSだと、SとOで、どっちが主語か分からない。
だからSV、VSの言語では、SOV、VOSは無いか少ないんだよ。
ほとんどがSVOかVSOになるはずだ。
その理由は、紛らわしくなるからだ…なるほどねw 言語がどうやって変化してきたか、わからないね。
でも単純なものから、複雑になっていったはずだ。
単に名詞や動詞の原型を叫ぶだけ…
それらを名詞や動詞に分けて考え
さらに名詞に動詞が付く、逆に言うと動詞に名詞が付く。
NをSとVに分けて考える、VをNとVに分けたとして
これを並べると、SVかVSになる…どっちも有りだ。
取りあえずSVの便利さが普及して使われたとして…
SOVとSVOの一番の単純型はSVだ。
要するに最初は便利なSVで話していたが
ある時SVOを考えた人がいたはずだ。
SVから編み出されたのは
SOVだと主張する人がいるかもしれないが
SVからSOVの「可能性は無い。
なぜなら言葉はルールが共通でないと、言葉じゃ無いからだ。
SVの言語世界で、誰かがSVOを作ったケースはあり得る。
なぜかというと、SVOの前半のSVだけは共通だからだ。
SVの人にSVOで話すと、前半のSVだけは通じる。
そこから「+O」を理解するのは容易のはずだ。
でもSV言語世界の人に、SOVで話すと共通部分が無い。
だからコミュニケーションが取れないから、使いにくい。
SVがSVOとSOVの単純型と考えるならば
SOVというのは作られにくいから、
SVOをSOVと錯覚しているだけだと言える。 語順は割と入れ替わるから語順を中心に考えても意味が無いよ 語順が入れ替わっているように見えるだけだ、たぶん。
格を表す接辞がくっついて入れ替わっている。 >>492
「動作状態」とひとくくりにするのが言語の実態に合わない
動作か状態かで品詞を分ける言語が多数ある
目的語はたまにどころか必須にしている言語さえある
動詞は名詞ではない、それは基礎中の基礎
動詞の前に目的語接辞がついた言語なんて山ほどある
動詞の後ろに主語接辞が付く言語はもっと多い
接辞である以上真の主語は外側に別にあるから「それも」ではない
SOVの言語は後置的な格接辞・助詞などでSとOを区別する
そういう言語ではSとOの倒置やどちらかの省略が頻繁に起こるから区別の必要があるからだ
VSOの言語、VOSの言語(どちらもよくある)では同じ理由で前置詞によってSとOを区別する
それぞれの言語にはそうなっただけの理由があり、それによって自然に言語生活が営まれている
お前ごときにキモい草で笑いものにされる理由はない
どれ1つとして知らぬ引きこもりよ 発音とかリスニングの問題だったら文章は読めるはずだ >>496
動作や状態を表すのが動詞だ。
それを細かく分けるかどうかは、好みの問題だ。
日本語は動詞の連用形あ名詞で、
英語は名詞のほとんどが動詞だ。、
目的語が無い文章だってある。
これは基礎中の基礎で、分からないなら問題だ。
動詞の前に目的語の接辞がつくならば
どっかに目的語があって、その接辞は目的語とセットだ。
たまたま、わかるから動詞に付いているんだろう。
動詞の後に主語接辞だけで無く
人称接辞を付けても良いだろうな。
後ろだけで無く、前にも付いて良いはずだ。
SOVはSOVに見えるだけだろう、たぶん。
VS、VSOもあるんだろうね。 >>485
大阪より西側と東北はリエゾンがあるから英語上手いよ
関東人は言葉を一つ一つ区切るから下手だ >>499
間違いだらけ
お前はもっと英語以外の外国語を勉強して、言語の多様性を知れ
引きヲタの独りよがりで尊大な上からの言語観では、言語については何も語れない >>501
言葉の要件定義だから、
具体的な言語とは、関係ない都は言わないが
薄いんだよw >>499
多くの言語において、状態を表すのは動詞ではなく形容詞の役目だ。
品詞としての形容詞を持たず動詞で状態を表す言語もあるが、その違いは言語によって違う。
誰かの好みによってではない。
で、「動詞の連用形あ名詞」って何?
実例を示してくれよ。
英語の名詞でそのまま動詞として使えないものなんて山ほどあるぞ。
お前は基礎語彙しか見ていないんだろう。それにしても動詞にできないものは多い。ひどい。
文章という単位が目的語を持つか持たないかという提起自体が用語を把握していない。
しかも言語によって違うという話すら理解していない。もうお前の頭が問題だ。
動詞の前に目的語の接辞が付く言語においては、その接辞は義務的な存在であり、
「たまたま」などという曖昧な存在ではない。「わかるから」に至ってはさらに意味不明だ。
とっととスワヒリ語の教科書を開いて理解するまで読め。ネットではわからないから。 >>503続き
トルコ語の場合、動詞の後ろには人称接辞が付くが、その人称接辞は具体的には主語と照応している。
お前のいう「〜とセットだ」という曖昧な用語が指すものがこの「照応」だ。
お前の用語法は主語接辞と人称接辞を区別するようだが、
最初から別次元の用語でこのように重なり合うこともあるのだから、
お前のように2種類が別々に存在するような捉え方は最初から間違っている。
「付けても良いだろうな」←お前が現実の言語のあり方を決めるのかよ。
お前によって決められて存在する言語がどこにあるんだ?
「後ろだけでなく、前についても良いはずだ」お前ごときに決められなくたってそんな言語はいくつもある。
アイヌ語の教科書を開いて理解できるまで読め。
最後の2行は全く意味不明だ。言語と言語学をお前の考えで勝手に決めるな。 Kunrei-shiki kara michibiki-dasu Hebon-shiki to Nihon-shiki
http://wepimosezu.hatenablog.com/entry/2017/12/29/000000 >>503 >>504
言葉の要件定義だから、
おのおのの言語の作りの話しじゃ無い。
>動詞(どうし)とは、品詞の一つで、主に動作や状態を表し、
>項として主語や目的語などの名詞句をとる語である。
>時制がある言語では、一般に動詞が時制を示す。
形容詞も動詞という説か。
>形容詞(けいようし [注 1])とは、名詞や動詞と並ぶ主要な品詞の一つで、
>大小・長短・高低・新旧・好悪・善悪・色などの意味を表し、
>述語になったりコピュラの補語となったりして
>人や物に何らかの属性があることを述べ、
>または名詞を修飾して名詞句の指示対象を限定する機能を持つ。
微妙だな。
動詞の連用形が名詞に例とは
職人上がり、宿下がり、怪我と弁当は自分持ち…など。
なんで連用形が名詞なんだという面白い話しは別w
英語で、基礎語彙が名詞=動詞である事こそ大事だろ。
目的語がない文章なんかいっぱいある。
山有り、谷有り、川有り… >>503 >>504
>動詞の前に目的語の接辞が付く言語においては、
>その接辞は義務的な存在であり、
こういう個別の作りの話しじゃなく、要件だ、要件。
>トルコ語の場合、動詞の後ろには人称接辞が付くが、
>その人称接辞は具体的には主語と照応している。
これも同様。
>お前の用語法は主語接辞と人称接辞を区別するようだが、
>最初から別次元の用語でこのように重なり合うこともあるのだから、
>お前のように2種類が別々に存在するような捉え方は最初から間違っている。
人称接辞で一本化で考えているよ。
>「付けても良いだろうな」←お前が現実の言語のあり方を決めるのかよ。
>お前によって決められて存在する言語がどこにあるんだ?
繰り返すけど言語の、言葉の、要件定義・要件提示の話しだ。
個別に実現・実在する言語の特徴・作りの話しじゃ無いw >>507
お前が先に>>499で
>動作や状態を表すのが動詞だ
と言っているのだから、形容詞を無自覚に動詞に含めているんだよ。よって、
>形容詞も動詞という説か。
それはお前の主張なんだよ。そのことに気付かないお前がおめでたいんだよ。
正しくは、形容詞という品詞自体が動詞のような振る舞いをする言語と、
名詞のような振る舞いをする言語、両者の中間的な言語に分けられるということ。
動詞の連用形が名詞を派生するという話は、
明確な形態論的手段を伴う他の品詞への派生であり、品詞間の近さや曖昧性といった話とは全く別。
よって草の一本も生えない関係ない余談。面白がって草を生やすぶんだけお前が馬鹿。
いつになっても自動詞と他動詞という用語すら出てこないお前に呆れる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています