なんで日本人が英語苦手か分かった(笑) [無断転載禁止]©2ch.net
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既出だったらすまん 日本は和製英語が根強いから発音が和製に変換されてるんじゃね? 子供の頃から深く根付いてるから聞いても和製英語ニュアンスに変換されてるんじゃなかろうか? >>454 「妹と来し」を「妹と+来し」じゃなくて「妹+と来し」と考えて良い。 「と来し」を動詞と考えると 妹+と来し=妹(主語S)+と来し(動詞V)の形になる。 つまり日本語は基本的にはSVOの語順でしたって事。 SOVじゃなく、SVOでした。 「は」は係り助詞と終助詞があるそうだ。 係り助詞は、いまは置いといて、 この「は」になぜ終助詞として使われるのか。 終助詞として使われる時は、感動・詠嘆の意を表すそうだが これは間違いだ…結果としてそういう場合もあるんだ。 動詞「あり」を親言素として、これが変化した言葉「達」がある。 「は、や、よ、な」が思いつくが、 これは「あり」を親言素とする娘言素だ。 意味は親言素も娘元素も「あり」である。 だから終助詞に「は、や、よ、な」が使われていると その文章は「あり」で終わっていることだ。 文脈で感動・詠嘆の時も「たまたま」あるんだろうが 意味は「あり」しかない。 >>456 また君かあ いい加減本でも出版したら? >>457 今は個人で電子出版とかできるしね。アマゾンで売れる。 ティ、トゥとか ディ、ドゥなんて発音は昔はなかったからカタカナ外来語ですら年配の人はに苦手だからね。沖縄にはそういう子音が元々存在してるから沖縄の年配の人は外来語が本土の年寄りより使いこなせるらしいね。 RとLの違いやthあたりはカタカナ表記が難しいのはわかるけどせめて shiはシ、siはスィとか ジとズィの違いとかくらいでもカタカナ表記を区別すればかなり改善されると思う。 オーとオウ、エーとエイとかもね。 まーでもとっさのカタカナ語使う人おるな〜「俺はリフューズしたけどね」って誰かさんが 言ってたけど普通の日本人は?ってなるだろ。それよりひどいのはポルトガル語とかイタリア語の 単語までも混ぜてくる奴ら。ヤフーニュースのサッカー記事なんてイカれてる。「これぞ ゴラーソ!」ってww モーラと音節の違いとか子音だけの発音とか最低限教えれば大分変わると思う >>1 英語と日本語で距離が遠すぎるからな。 それはあっちが日本語を学ぶ場合も同じだが、 あっちは音素数が多いから日本語の音が聞き取れるんだよ だからyoutubeで日本に出会いアニメとかの動画で日本語覚えましたとかって奴が多い。 でもその辺の日本の人がいきなりyoutubeで英語音声の動画見ても聞き取れないからいつまでも出来るようにはならない 勉強不足以外のなにものでもない ゆとりは欠陥世代だわ >額田王(ぬかたのおほきみ)の近江天皇(あふみすめらみこと)を >思(しの)ひて作れる歌一首 > >君待つとわが恋ひをればわが屋戸(やど)のすだれ動かし秋の風吹く >きみまつと わがこひをれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく >巻四(四八八) >君を待って、恋しく思っていたら、私の家の簾を動かして、秋風が吹きます この和歌は典型的だね。sは主語、vは動詞だ。 きみ(s)まつ(v)と わがこひ(s)をれば(v) わがやどの すだれ(s)うごかし(v) あきのかぜ(s)ふく(v) 全部が全部、主語+動詞(S+V)になっている。 でも日本語で読めるよね。 英語だと動詞の三単(現)にs、esが付く。 動作の主体が三単(現)の時にこうなる。 つまり動詞さえ見ていれば、主語が三単(現)か、 あるいはそれ以外か、それがわかる。 動作の主体、主語かな、それは 「私、あなた、彼、彼女、これ、それ、あれ+森羅万象」に、 それぞれの複数形に、私やあなた、彼彼女自身などが含むか、 それとも含まないか、などいっぱい有るね。 だから動詞の活用形に、動作主体を表す接辞を付けるのは 動詞の種類が多くなって、使いにくそうだね。 だから動詞の活用形を増やさずに、 なにが動作の主体なのかを表す、 覚え易くて使いやすい、簡単な仕掛けがあれば良いんだな。 動詞の対称になる目的語も、接辞があった方がわかりやすい。 でも目的語には「私、あなた、彼、森羅万象」があるから 区別する接辞となると、数が多くて、大変だよね。 だから目的語の森羅万象を「活用」させずに、 目的語とわかる、わからせる、簡単な仕掛けがあれば便利だ。 さらに目的語の場合は、動作の対象だから、受動の立場だね。 主語は能動・主動だけど、目的語は受動だ。 ちょうど逆関数の関係にあるね。 「y=ax」の逆関数が「x=y/a」 主動・能動で言うだけで無く、受動で言いたい時もあるし、 そりゃ多いよな、はっきり言ってw 動詞や名称や森羅万象のみならず 形容詞や副詞なども人称別に、単複に、現在過去未来に 仮定もあるよな、能動受動別に、接辞があった方が わかりやすいが、数が多くなりそうで、覚えにくいよな。 動詞や名詞、形容詞等の前後に、人称、時制とかの 接辞が付くとして、その接辞の一部は主語の役割だね。 主語の場合は前に付きそうな気がするが 後ろについても主語って事があるね。 動詞の前後に付いて主語を表す時や 名詞の前後について目的語を表す時もある。 形容詞や副詞も、具体例がわからんが、あるんだろう。 接辞から分離したのが主語なのか、名詞として存在したか どっちが先かわからないな。 英語なんか単語力と中学校の文法でなんとかなるやろ なんで日本人は英語できへんねや getとかrunとかgoみたいな簡単な単語を完璧に使いこなせたら自分の意見ぐらいは言えるやろ >>473 「簡単な」単語ほど語義が広く、用例が多くて難しいんじゃないか? つまり、完璧に使いこなせるなら、他も使いこなせることになる ありふれた内容では自分の(人と違う)意見にはならないので それなりに工夫した表現が必要になるだろう 前に付く接辞が発展して、 英語では主語や例えば前置詞になり、 後に付く接辞が発展して日本語の例えば助詞になった。 日本語でも英語でも、 接辞は元々は前後に自由に付いていたかも。 英語の場合は接頭辞も接尾辞も豊富だね。 名詞化、形容詞化とかね。 英語の名詞はだいたい動詞だ。 日本語も動詞の連用形が名詞だ。 どちらが先かわからないけど 洋の東西を問わず 名詞と動詞は同じ物だったんだろう。 英語は前置詞、日本語はまあ後置詞だけど… 「私は、朝食バイキングで納豆を食べた」 これをばらすと 「私は」 「朝食バイキングで」 「納豆を」 「食べた」 習慣で、こういう風に分けたけど 「は、で、を」が助詞・後置詞だ。 この分け方は、これだけでなくて 「私」+「は(食べた)」 「朝食バイキング」+「で(食べた)」 「納豆」+「を食べた」 こういう風に分けられる。 「食べた」は何度も出てくるので 最後のものしか残らない、最後の一回でもOK これだと「は、で、を」は動詞の前にある前置詞だ。 動詞が省略されたと考えると前置詞だ。 >>479 「は、で、を」は前置詞というより 接頭辞がわかりやすいかな。 「私は、朝食バイキングで納豆を食べた」 順番を変えると 「朝食バイキングで納豆を食べた私は」 さらに 「朝食バイキングで納豆を我食べた我あり」 ちょっぴり万葉tasteだろ…「は=あり」 >>471 動詞に主語別の接辞が付くとする。 その接辞が精密だったら主語は不要だ、当然だよな。 接辞が動詞の前に付くか、後に付くかは別にして。 具体的には「SV」を基本にすると たまたま接辞が前に付いたら 「S+接辞+V」となり、この接辞は「S」と同じ性質だ。 だから、ことさら「S」を表さず「接辞+V」でも良いはずだ。 あるいは「SV」のみ、動詞に接辞なしでも良いかな。 他動詞で目的語が必要なとき、 例えば「何に・何を・何へ」みたいな時だろうね。 受け身か、主導かとか。 主語別接辞は、主語が前に来る語順なら、前の方が良さそうだ。 英語の場合は、動詞のケツに付いているけどねw あと目的語の位置と、目的語だとい記しをどうするか。 接辞があれば良いね、日本語は助詞がこの点は簡単だ。 英語の場合も、前置詞を活用したら 日本人には分かりやすいし、使いやすいはずだ。 英語にもこういう「日本風時代」があったはず。 むしろ無ければおかしい。 >>481 ロシア語とか、現在・反復・近未来の時勢だと、接辞というか屈折で、一人称二人称の主語は自明なんだけれど、 ほとんどの会話や筆記文で主語つけるよ。 主語省いても、同氏の屈折で解るっちゃあ解るが、自然な言い回しではなくなる。 なんでかの? >>482 動詞に人称接辞がつくのに その他に主語を付けるというのは 「念押し、主語強調、二重にして伝達ミスを減らす」 こういう目的だろう。 SVOでもSOVであっても 動詞には人称の活用がある。 Sが付いているのに、 もう一度人称を付けるのは無駄だ。 だから普段使いでは主語は省略出来るはずだ。 動詞に目的語が必要ならば、 目的語である識別が必要だ。 日本語だと格助詞、係り助詞だ。 英語だと前置詞と順番かな。 ・動詞ならば、人称接辞+動詞か、動詞+人称接辞 ・目的語ならば、目的格接辞+名詞か、名詞+目的格接辞 これに時制があって、主動受動が加わるんだな。 SVOならば、主動、ま能動かな、それだったら Oを主語に、Sを目的語?にした OVSの受動形にしなきゃいけない。 結構難しいね、要件定義、概念設計だけでも大変だ。 これは時間が必要だよ、確かにw 発音いいやつってなんなんだろうな インターネットをイナネッ的にパッと発音できるやつってなんの訓練受けてんの?w 上手い人に指導してもらって練習あるのみ 年齢は早い方が良い 独学でやるならカラオケが手っ取り早い 暇さえあれば独学でどうにでもなるよ 普通の人は忙しいからダメなんだろうけど >>484 お前の「はずだ」で言語は動かない 世界は決められない 頭だけで言語を設計する者の発想はただ虚しいだけ >>489 言葉の要件定義の話しだ、最低限度の必要な条件の事だ。 言葉を作ってきた人も同じ事を考えたはずだ。 結果が同じになるとは思わないけどね。 言葉がサイコロ振ってできあがったんじゃない。 必ず同じようなこと、必要性に駆られて、 似たことを考えたはずだ。 動作状態を表す動詞がある。 動作状態の主が主語だろ。 たまには目的語がある。 そして動詞はほとんどが名詞だ。 動詞の前に人称接辞が付いたら、それは主語だ。 動詞の後ろについても主語の場合はあるはずだ、当然。 それも主語だ。 SVの文もあれば、VSの文もあるはずだ。 英語の場合、動詞の後に人称接辞が付くね。 主語を前に付けたから、人称接辞が後ろに回ったのかな。 はっきり言えることは、 主語と動詞の間に目的語を入れると、紛らわしいね。 SOVか、VOSだと、SとOで、どっちが主語か分からない。 だからSV、VSの言語では、SOV、VOSは無いか少ないんだよ。 ほとんどがSVOかVSOになるはずだ。 その理由は、紛らわしくなるからだ…なるほどねw 言語がどうやって変化してきたか、わからないね。 でも単純なものから、複雑になっていったはずだ。 単に名詞や動詞の原型を叫ぶだけ… それらを名詞や動詞に分けて考え さらに名詞に動詞が付く、逆に言うと動詞に名詞が付く。 NをSとVに分けて考える、VをNとVに分けたとして これを並べると、SVかVSになる…どっちも有りだ。 取りあえずSVの便利さが普及して使われたとして… SOVとSVOの一番の単純型はSVだ。 要するに最初は便利なSVで話していたが ある時SVOを考えた人がいたはずだ。 SVから編み出されたのは SOVだと主張する人がいるかもしれないが SVからSOVの「可能性は無い。 なぜなら言葉はルールが共通でないと、言葉じゃ無いからだ。 SVの言語世界で、誰かがSVOを作ったケースはあり得る。 なぜかというと、SVOの前半のSVだけは共通だからだ。 SVの人にSVOで話すと、前半のSVだけは通じる。 そこから「+O」を理解するのは容易のはずだ。 でもSV言語世界の人に、SOVで話すと共通部分が無い。 だからコミュニケーションが取れないから、使いにくい。 SVがSVOとSOVの単純型と考えるならば SOVというのは作られにくいから、 SVOをSOVと錯覚しているだけだと言える。 語順は割と入れ替わるから語順を中心に考えても意味が無いよ 語順が入れ替わっているように見えるだけだ、たぶん。 格を表す接辞がくっついて入れ替わっている。 >>492 「動作状態」とひとくくりにするのが言語の実態に合わない 動作か状態かで品詞を分ける言語が多数ある 目的語はたまにどころか必須にしている言語さえある 動詞は名詞ではない、それは基礎中の基礎 動詞の前に目的語接辞がついた言語なんて山ほどある 動詞の後ろに主語接辞が付く言語はもっと多い 接辞である以上真の主語は外側に別にあるから「それも」ではない SOVの言語は後置的な格接辞・助詞などでSとOを区別する そういう言語ではSとOの倒置やどちらかの省略が頻繁に起こるから区別の必要があるからだ VSOの言語、VOSの言語(どちらもよくある)では同じ理由で前置詞によってSとOを区別する それぞれの言語にはそうなっただけの理由があり、それによって自然に言語生活が営まれている お前ごときにキモい草で笑いものにされる理由はない どれ1つとして知らぬ引きこもりよ 発音とかリスニングの問題だったら文章は読めるはずだ >>496 動作や状態を表すのが動詞だ。 それを細かく分けるかどうかは、好みの問題だ。 日本語は動詞の連用形あ名詞で、 英語は名詞のほとんどが動詞だ。、 目的語が無い文章だってある。 これは基礎中の基礎で、分からないなら問題だ。 動詞の前に目的語の接辞がつくならば どっかに目的語があって、その接辞は目的語とセットだ。 たまたま、わかるから動詞に付いているんだろう。 動詞の後に主語接辞だけで無く 人称接辞を付けても良いだろうな。 後ろだけで無く、前にも付いて良いはずだ。 SOVはSOVに見えるだけだろう、たぶん。 VS、VSOもあるんだろうね。 >>485 大阪より西側と東北はリエゾンがあるから英語上手いよ 関東人は言葉を一つ一つ区切るから下手だ >>499 間違いだらけ お前はもっと英語以外の外国語を勉強して、言語の多様性を知れ 引きヲタの独りよがりで尊大な上からの言語観では、言語については何も語れない >>501 言葉の要件定義だから、 具体的な言語とは、関係ない都は言わないが 薄いんだよw >>499 多くの言語において、状態を表すのは動詞ではなく形容詞の役目だ。 品詞としての形容詞を持たず動詞で状態を表す言語もあるが、その違いは言語によって違う。 誰かの好みによってではない。 で、「動詞の連用形あ名詞」って何? 実例を示してくれよ。 英語の名詞でそのまま動詞として使えないものなんて山ほどあるぞ。 お前は基礎語彙しか見ていないんだろう。それにしても動詞にできないものは多い。ひどい。 文章という単位が目的語を持つか持たないかという提起自体が用語を把握していない。 しかも言語によって違うという話すら理解していない。もうお前の頭が問題だ。 動詞の前に目的語の接辞が付く言語においては、その接辞は義務的な存在であり、 「たまたま」などという曖昧な存在ではない。「わかるから」に至ってはさらに意味不明だ。 とっととスワヒリ語の教科書を開いて理解するまで読め。ネットではわからないから。 >>503 続き トルコ語の場合、動詞の後ろには人称接辞が付くが、その人称接辞は具体的には主語と照応している。 お前のいう「〜とセットだ」という曖昧な用語が指すものがこの「照応」だ。 お前の用語法は主語接辞と人称接辞を区別するようだが、 最初から別次元の用語でこのように重なり合うこともあるのだから、 お前のように2種類が別々に存在するような捉え方は最初から間違っている。 「付けても良いだろうな」←お前が現実の言語のあり方を決めるのかよ。 お前によって決められて存在する言語がどこにあるんだ? 「後ろだけでなく、前についても良いはずだ」お前ごときに決められなくたってそんな言語はいくつもある。 アイヌ語の教科書を開いて理解できるまで読め。 最後の2行は全く意味不明だ。言語と言語学をお前の考えで勝手に決めるな。 Kunrei-shiki kara michibiki-dasu Hebon-shiki to Nihon-shiki http://wepimosezu.hatenablog.com/entry/2017/12/29/000000 >>503 >>504 言葉の要件定義だから、 おのおのの言語の作りの話しじゃ無い。 >動詞(どうし)とは、品詞の一つで、主に動作や状態を表し、 >項として主語や目的語などの名詞句をとる語である。 >時制がある言語では、一般に動詞が時制を示す。 形容詞も動詞という説か。 >形容詞(けいようし [注 1])とは、名詞や動詞と並ぶ主要な品詞の一つで、 >大小・長短・高低・新旧・好悪・善悪・色などの意味を表し、 >述語になったりコピュラの補語となったりして >人や物に何らかの属性があることを述べ、 >または名詞を修飾して名詞句の指示対象を限定する機能を持つ。 微妙だな。 動詞の連用形が名詞に例とは 職人上がり、宿下がり、怪我と弁当は自分持ち…など。 なんで連用形が名詞なんだという面白い話しは別w 英語で、基礎語彙が名詞=動詞である事こそ大事だろ。 目的語がない文章なんかいっぱいある。 山有り、谷有り、川有り… >>503 >>504 >動詞の前に目的語の接辞が付く言語においては、 >その接辞は義務的な存在であり、 こういう個別の作りの話しじゃなく、要件だ、要件。 >トルコ語の場合、動詞の後ろには人称接辞が付くが、 >その人称接辞は具体的には主語と照応している。 これも同様。 >お前の用語法は主語接辞と人称接辞を区別するようだが、 >最初から別次元の用語でこのように重なり合うこともあるのだから、 >お前のように2種類が別々に存在するような捉え方は最初から間違っている。 人称接辞で一本化で考えているよ。 >「付けても良いだろうな」←お前が現実の言語のあり方を決めるのかよ。 >お前によって決められて存在する言語がどこにあるんだ? 繰り返すけど言語の、言葉の、要件定義・要件提示の話しだ。 個別に実現・実在する言語の特徴・作りの話しじゃ無いw >>507 お前が先に>>499 で >動作や状態を表すのが動詞だ と言っているのだから、形容詞を無自覚に動詞に含めているんだよ。よって、 >形容詞も動詞という説か。 それはお前の主張なんだよ。そのことに気付かないお前がおめでたいんだよ。 正しくは、形容詞という品詞自体が動詞のような振る舞いをする言語と、 名詞のような振る舞いをする言語、両者の中間的な言語に分けられるということ。 動詞の連用形が名詞を派生するという話は、 明確な形態論的手段を伴う他の品詞への派生であり、品詞間の近さや曖昧性といった話とは全く別。 よって草の一本も生えない関係ない余談。面白がって草を生やすぶんだけお前が馬鹿。 いつになっても自動詞と他動詞という用語すら出てこないお前に呆れる。 >>508 >個別の作りの話しじゃなく、要件だ、要件。 まったくもって意味不明。言語学用語で言ってくれないかなあ。 >人称接辞で一本化で考えているよ。 >>499 >動詞の後に主語接辞だけで無く人称接辞を付けても良いだろうな。 別個のものとして考えてるじゃん。嘘つくな。 >言語の、言葉の、要件定義・要件提示の話しだ。 これが意味不明なんだよ。言語学は現実に存在する自然言語を分析する経験科学だ。 お前の脳内の意味不明な用語を羅列した設計によって作られるものじゃないよ。 もちろん必要によってこのような文法組織が生まれたという推理は存在するが、 それは多くの言語のデータを分析した結果の仮説として生まれるものだ。 手続きをちゃんと守れ。 あと、「じゃない」の「ない」は形容詞ではないから「じゃ無い」と漢字で書くのは間違い。 その後に草を生やすだけ間抜けにしか見えない。 >>511 ありきたりでつまらん。 会話なんてNHKの英語会話で十分。 受験英語は必要。 受験英語さえ怠けるなんて論外。 中高の6年間を長いと感じている時点でそのブログ主は何もわかっていない。 他の科目も学ばなければいけない環境で、中高の英語で教わるべきこと、それは ・家に帰ってからも・自分で辞書を引いて単語の意味を調べて理解する能力 ・英文を辞書を引いて学校で習った文法を頼りに理解できるようになること であり、何千とある単語や表現の一つ一つを教室で教えてもらうことではない。 そんなことを望んでいたら6年どころが12年あったって足りないのだ。 限られた時間で覚えるべきことは1つの文法であり、数千の単語ではない。 独 ich 日 私 英 I 独 du 日 きみ 英 you 独 er 日 彼 英 he 独 sie 日 彼女 英 she 独 es 日 それ 英 it 独 wir 日 私たち 英 we >>513 独 ihr 日 きみたち 英 you 独 sie 日 彼ら、彼女ら、それら 英 they 独 Sie 敬称 日 あなた、あなたたち 英 you 英語とドイツ語は似てると言うよりドイツ語だね。 なんか、おかしいと思ったんだ、 i my me mine は不揃いだから。 出自が全然違うじゃねえかw be been is am are was were も同様だ。 >>514 単数1人称 bin、単数2人称bist、単数3人称ist、 複数1人称sind、複数2人称seid、複数3人称sind ich bin einstein. (我 あり アインシュタイン) das ist ein mann. (これ あり 人間) この場合は、動詞の人称接辞が前に付いている。 しかし後ろについても良いんだな。 heute lerne ich Deutsch. 今日 学ぶ 私 ドイツ語。 >>515 これを眺めて、ドイツ語は語順が自由だと錯覚する。 けど言語要件論から言えば、 主語というのは動詞の人称接辞だから 前に付いても、後ろについても、同じと見なしたい。 すなわち ich bin einstein. → ich-bin einstein. → bin-ich einstein, *1 heute lerne ich Deutsch. → heute lerne-ich Deutsch. → heute ich-lerne Deutsch. *2 lernen は ich の時 lerne だそうだが 言語要件論からこれを見れば この ich は冗長表現、強調表現、念押し表現、確認表現だ。 *1 *2 がドイツ人に通じるか、面白いけど、 たぶん補って聞いてくれそうな気がするよ。 ドイツ人に聞いてみたけど、別に英語がすごく似ているという感覚はないらしいよ >>516 言語要件論で 主語は動詞の人称接辞で さらに動詞は名詞の格接辞だ。 動詞が名詞の格接辞ならば は=係り助詞、が=格助詞説は間違いだけど、 なんとかかんとか60点、 イッパイイッパイ追試やって合格の感じがするw >>517 ドイツ人が似てないと思ってお手も 日本人から見れば、非常によく似てるよ。 ×ドイツ人が似てないと思ってお手も ○ドイツ人が似てないと思っていても >>516 ドイツ語の場合、定動詞(人称活用する動詞)は2番目に位置する。 >(1)Hans trinkt heute Rotwein. ハンスは今日赤ワインを飲む. >(2)Heute trinkt Hans Rotwein. 今日ハンスは赤ワインを飲む. >(3)Rotwein trinkt Hans heute. 赤ワインをハンスは今日飲む. これは定動詞2位の原則だが、でも言語要件論では、 主語というのは、動詞の人称接辞なので、 「主語+動詞」か「動詞+主語」の塊であれば良くて、 この塊で自由に移動して良い、必ずセットだ、セット。 なぜかというと、「主語+動詞」か「動詞+主語」 ならば、主体と動作がわかるからだね。 「基本的に」文章のどこに置いても、 誰が何をやるか、それをはっきり表明できるからだ。 元来、動詞が人称で変化する理由は、 動詞の語根・語幹に人称が付いたからだ。 動詞の前か後ろに付いた、その結果が動詞の人称変化だ。 主語が「私・あなた・彼や彼女」や「私達・あなた達・彼ら」なら、 動詞の人称変化で、主語を表現できた。 この段階では、動詞人称変化だけで主語は「当然」不要だ。 >>522 しかし、人称以外に一般名詞が主語になってくると、 名詞の数が膨大だから、動詞の変化がついて行けず、 「動作主体=主語」を表現し切れない、そりゃ当然だなw だから人称変化している動詞に、 さらに、主体・主語を追加して、主体・主語はっきりさせた。 主語が人称の場合は冗長だけど、曖昧さを無くすために、 確認のために、そうしたのであろう。 いちおう、作業仮説ですw >>523 ドイツ語にはSVO、VSOの例があった。 これはこれで良いとして 日本語にもSVO、VSOの例があるだろうか? SVOのは、例えばSVCだけど 「象は鼻が長い=SVSVC」がある。 VSであるかどうか、気づかないだけか? >>522 >>523 >(1)Hans trinkt heute Rotwein. ハンスは今日赤ワインを飲む. >(2)Heute trinkt Hans Rotwein. 今日ハンスは赤ワインを飲む. >(3)Rotwein trinkt Hans heute. 赤ワインをハンスは今日飲む. >trinken >他動詞「〜を飲む」 >自動詞「飲酒する、乾杯する」 > >現在型 >ich trinke 「私 飲む」 >du trinkst 「あなた 飲む」 >{er, sie, es} trinkt 「(彼、彼女、これ) 飲む」 > >ゲルマン語の drigkan >古高ドイツ語では、 trinkan >英語 drink >オランダ語 drinken この日本語訳を付けた人は、 ドイツ語にかなり堪能な人なんだろうな。 ただ素人から言うと気になるところがある。 >>525 主語はもともと動詞の人称接辞だとすると、 「主語+動詞、動詞+主語」に該当する部分、 {Hans trinkt, trinkt Hans}をドイツ人がどう感じているか 日本人には分からない、たぶん絶対にわからないよ。 ただ単純にドイツ語単語に日本語単語を当てると、こうなる↓ (1){Hans trinkt=ハンス 飲む} (2){trinkt Hans=飲む ハンス} 日本語にこう訳すと若干違う様な気がする。 (1)は文だけど、(2)はハンスだよな。 ドイツ人にも語順が違うから、全く同じと言うことは無い…はずだ。 しかしながら、言語要件論で、日本語に意訳すると↓ {Hans trinkt=ハンス 飲む=ハンス(は)飲む} {trinkt Hans=飲む ハンス=ハンス(は)飲む} なぜなら、{Hans trinkt, trinkt Hans}は、どちらも 動詞に人称が前後にくっついて、誰が飲むかを明らかにしただけだ。 意味的には「飲む主体はハンスだよ」と言っているだけだ。 そうすると、意訳すると、こういう意味だろう↓ (1)Hans trinkt heute Rotwein. ハンス(は)飲む 今日(は) 赤ワイン(を) (2)Heute trinkt Hans Rotwein. 今日(は) ハンス(は)飲む 赤ワイン(を) (3)Rotwein trinkt Hans heute. 赤ワイン(を) ハンス(は)飲む 今日(は) なお、日本語は(一応の)助詞が発達していて、 そのため単語の役割(=格)が明確で、非常に精密な言語になっている。 かつ助詞付き単語なら、文章内をほぼ自由に移動可能な=柔軟な、言語だ。 その難しい文法よりも、女の子のWhat's up?に気の利いた返事ができるかが大事だと思うんだ... 英語力よりむしろ日本人のコミュ力の問題じゃない? 英語知ってるけど話せないみたいな >>527 きっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっしょ やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです 掻い摘んで説明すると ・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を 90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた ・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為 防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった ・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが 創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ 防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった ・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい 不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった ・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず 私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り 防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官) ※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る ・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕 詳細は下記スレをご覧下さい やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E8%AA%9E ==================================================================== フィンランド語の動詞の活用 フィンランド語では動詞の後に主語を表す人称語尾が付く。 例えば ostaa「買う」という動詞で、ostan は「私が買う」という意味だが、 ostat は「あなたが買う」、ostamme は「私達が買う」という意味になる。 単数と複数併せて6つの人称を区別する(3人称の彼/彼女の区別はない)ので、 6つの人称語尾を覚えることになる。 ==================================================================== http://10251.net/finnishpod-allabout-grammar ==================================================================== 主語によって動詞が複雑に活用するため、 文章から主語を省略できる場合があります (動詞を見れば主語の人称などがわかるので)。 これも他のロマンス諸語と共通する特徴ですね。 ==================================================================== ちゃんと書いてるね、ここに。 動詞の人称活用で、主語を省略出来ると…さらに 「フィンランド語では動詞の後に主語を表す人称語尾が付く。」 かなり突っ込んで書いてるけど、主語の誕生から発達まで 素人でも予想できる。 もともと主語は動詞の人称接辞だった。 人称接辞が主語の残骸だろう。 つまり動詞の前でも後ろでも、主語を人称接辞にしていたから 必ず SV かあるいは VS なんだよ。 S と V が離ればなれになる事は、特別な場合以外はあり得ない。 「日本語はSOV」という主張は根底からおかしい。 一体お前は何を言っているんだ(AA略) だいたい日本語の文章構造は動詞に対して格助詞の後接する文節が平等に接続する形式をとり、また動詞は存在しなくても文章が成り立つコピュラ文まである 主語を特別視したり動詞がなければ文章にならないタイプの言語ではない そもそも全人類の言語はそもそも単一の起源ではない可能性が高いので 「もともと主語は動詞の人称接辞だった。」とかいうのは日本語にはまず当てはまらないだろいい加減にしろ! >>532 ================================================================= さらに動詞の人称接辞は「動詞+人称接辞(=主語)」 フィンランド語の名詞の曲用 格変化とは、例えば日本語で「家」という語に 「家で」、「家から」、「家へ」などと助詞を付けるのと同じように、 格語尾と呼ばれるものを単語の後ろに付けることだと考えられる。 格変化の内訳は主格(基本形)、属格、対格、分格、様格、変格、 内格、出格、入格、所格、向格、離格、欠格、共格、具格の15種類だが、 共格と具格は複数形にしか見られない。 ================================================================= いっぱい格がありますね。 たぶん欧州人がフィンランド語を分析して、 それを日本語に翻訳すると、こういう風になった。 個別具体的な言語の実現現場、歴史では、 フィンランド語の様なものがあるんだろう。 名詞の格変化となっているけど、日本の助詞に該当するだろう。 詳しくないけど、日本語話者には理解しやすいのではないか。 というわけで、動詞の前後に付く名詞は主格。 …んじゃ、この逆は? 名詞を主格にしたい時は、動詞を格接辞で名詞の前後付ける。 これは、これで日本語に有りそうだな。 んじゃ目的格、所有格…にしたい時に前後に付ける接辞は これも動詞(広義の)だろうね…作業仮説です。 × ================================================================= さらに動詞の人称接辞は「動詞+人称接辞(=主語)」 フィンランド語の名詞の曲用 ○ ================================================================= フィンランド語の名詞の曲用 えいごは、きばけいのげんごであって、にほんごじゃないです。にほんじんであれば、えいごはかんたんです。 かたかなと かんじが じゃまです >>526 {trinkt Hans=飲む ハンス=ハンス(は)飲む} この部分だけど、 trinktは人称がer, sie, esの 場合だ。だから {Hans trinkt=ハンス 彼 飲む=ハンス(は)彼(は)飲む} にすべきなんだ。 ハンズと彼はダブるんだよ、だから冗長念押し強調確認だ。 これはなんとなく万葉な気がしないでもない。 >>540 {Hans trinkt=ハンス 飲む=ハンス(は)飲む} {trinkt Hans=飲む ハンス=ハンス(は)飲む} ドイツ人が[Hans trinkt」で 「ハンス 飲む」か「ハンス 彼 飲む」の どっちでイメージするんだろうね。 「ハンス 彼 飲む」なら万葉風と言いたいw 日本語の動詞には人称接辞がないことになっている。 でも日本語の人称接辞は主語だ。 敬語はどうなんだというのはおいといて… ドイツ語や英語は動詞の前後に人称接辞を付けて 「更に」主語を動詞の前後に付け加えた歴史があるから 動詞に人称接辞の残骸が残ってる。 日本語の場合も、始まりは動詞の前後に人称接辞が付いた。 英語やドイツ語との製造過程で違った部分は、 日本語は人称接辞を、そのまま主語にまで発展させたから 動詞に人称接辞が残っていない…こうだとわかりやすい。 作業仮説。 語順にSVが多くてVSが少ないのは 疑問文や命令文をVSを使うからだろう。 this is a pen. is this a pen? be a pen! 本来はSVでもVSでも良いはずだが 個別具体的言語の製造と使用段階で 疑問文、命令文の必要性と要請から 動詞を前にするVSを使うと どっちでも良いとは言えなくなる。 だからVSは少ないんだな。 VSが普通文に、SVが命令文の組み合わせも 面白そうだが、あるんだろうかねw なんで俺みたいなドシロウトがこのスレ開けたのか自分でもよく分からんが うっすら何となく一般動詞も前に出る気がするぞ this do be a pen. これはペンです。 do this be a pen? これはペンですか? do this be a pen! これをペンにしてください! Dies ist ein Stift. これはペンです。 Ist das ein Stift? これはペンですか? Mach das für deinen Stift! これはペンで存在しなさい! 欧米は作りとして、動詞を前に出したんだな。 なぜかは知らないけど、製造現場で、たまたまそうした。 だからVSで平叙文は珍しいのであろう。 日本語は文末に「か、や」が付けば疑問文だから VSで平叙文があっても、おかしくないけど 気がつかないんだろうか。 >松尾芭蕉 >行く春や 鳥啼き魚の 目は泪 > >春は過ぎ去ろうとしているが、 >それを惜しんで鳥は鳴き、 >魚は目に涙をたたえているかのようだ。 アタマの「行く春や」は「行く+春+や」 >未然形 行かず、行かば >連用形 行きたり >終止形 行く >連体形 行くとき >已然形 行けども、行けば >命令形 行け 行く(連体形)+春(名詞)+や(一応間投助詞) これ「行く春や」は V+S(+V) になっているね。 「や」を外すと「行く春」、誰が行くのか、 その接辞としての「春」として つまり「SV、VS」と見ると、 「春行く=行く春」でも良いはず。 「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」 =春行くや 鳥啼き魚の 目は泪 >>552 ちなみに、「や」は「あり系列」の娘言素なので =行く春は 鳥啼き魚の 目は泪 =行く春よ 鳥啼き魚の 目は泪 =行く春(な) 鳥啼き魚の 目は泪 =行く春(あり) 鳥啼き魚の 目は泪 あるいは =春行くは 鳥啼き魚の 目は泪 =春行くよ 鳥啼き魚の 目は泪 =春行く(な) 鳥啼き魚の 目は泪 =春行く(あり) 鳥啼き魚の 目は泪 これでも「意味的には」良い。 確かに、そんなにおかしくはない。 >(1)Hans trinkt heute Rotwein. ハンスは今日赤ワインを飲む. >(2)Heute trinkt Hans Rotwein. 今日ハンスは赤ワインを飲む. これ[trinkt Hans]と「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」の 「行く春や」は良く似てる感じがする。 >>554 古語辞典には間投助詞、 つまり感動詠嘆、呼びかけ、並列と書いてある。 でも「や」がなぜ間投助詞で終助詞で係り助詞かというと 「や=あり」だからだよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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