「は」は係り助詞と終助詞があるそうだ。
係り助詞は、いまは置いといて、
この「は」になぜ終助詞として使われるのか。

終助詞として使われる時は、感動・詠嘆の意を表すそうだが
これは間違いだ…結果としてそういう場合もあるんだ。

動詞「あり」を親言素として、これが変化した言葉「達」がある。
「は、や、よ、な」が思いつくが、
これは「あり」を親言素とする娘言素だ。
意味は親言素も娘元素も「あり」である。

だから終助詞に「は、や、よ、な」が使われていると
その文章は「あり」で終わっていることだ。

文脈で感動・詠嘆の時も「たまたま」あるんだろうが
意味は「あり」しかない。