>>232
清を含めて、歴代中国王朝はアイヌを朝貢システムに入れてたよ
始まりは、アイヌ(侵略者)が大陸を侵略して負けて、元に臣従したこと>>88

アイヌは中国王朝に朝貢に出向き、見返りの「降嫁を乞う」
 ※強者側から女を贈れば、大切にされ、子を育てて文化を広める
(例)
 ・フビライの娘を高麗の忠烈王に降嫁 →高麗(とくに高麗貴族)でモンゴル文化が大流行
 ・和蕃公主(降嫁させられた王族女子) →これが漢文化浸透の契機となった

 【北海道】樺太アイヌと清に朝貢関係、「カラフトナヨロ惣乙名文書」が国重文へ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1553003772/
……
 当時の樺太アイヌは清に朝貢して、見返りに妻を得ていたが、
 冬に都へ来ると天然痘にかかるので、7〜9月に到着するよう諭す内容になっている。

 中国語の1通は、清への朝貢が途絶えていたアイヌの氏族に来貢を促すよう、
 他の氏族に依頼したもの(1818年)。
……
 「幕府の役人だった徳内は、樺太アイヌが中国に朝貢していることを知って危機感を持ったはず。

 一つの家に三つの言語が書かれた文書が残っていたこと自体珍しく、
 当時のアイヌと中国、日本の関係を示す学術的にも貴重な史料だ」と指摘している。