知恵泉を見たが、間宮林蔵は初めてノテトまできてアイヌではなくスルメンクル(ニブフ)が住んでいるのを知る。
そしてナニオーまで行って初めてアムール川の流れが北にも向かい樺太が島であることを確信、世界史上画期的な発見だった。
そして国禁(鎖国)を破って大陸に渡る決心をする。命をかけたわけだ。樺太までは日本であるから海峡を渡れば外国ということだ。
幕府の命令も北樺太の状況を調査することであり、南樺太つまりアイヌ居住地は日本領であると確信していたからこそ
北端がどの国の影響があるのか大陸との関係はどうなっているかを探らせたのだ。
この時樺太のどこまで日本領であったかというと、アイヌの案内でノテトまで来ているのでノテトまでは疑いのない事実だ。
ノテト以北はスルメンクルが住んでいたが、デレンまで行って清に贈り物をしているものの清の役人の常駐はなかったので清国領とも言えない。
清の影響はあったが、無主の地であったと言える。江戸時代はノテトまで日本領であった、これが真実だ。