院政について語ろう
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摂関政治を打破し、その後300年にわたり続いた院政について語るスレです。
白河院政から武家の台頭、鎌倉開幕を経て南北朝時代までをのんびり語りましょう。 >>467
高齢や出家により自主的に院政をやめた上皇は他にいくらでもいるし
後醍醐が院政を止めさせたというのは間違い >>468
天皇親政って、摂政・関白を置かないことだよ
そもそも醍醐・村上天皇の頃にはまだ院政は行われていない
政治は天皇や上皇ではなく摂政・関白が行うという時代 >>465
何度もお伺いたてるからじゃあこうしたらってニュアンスじゃないの?あと西園寺卿の政略 >>471
当時は鎌倉幕府に天皇の任命権があり
後嵯峨上皇も後のことは幕府に任せるとして死んだ
北条時宗がどちら一方の皇統を指名すればそうなっていた
両統迭立を命じたのは幕府 >当時は鎌倉幕府に天皇の任命権があり
な、なんだって?? >>473
承久の乱以降の天皇は幕府が決めていたんだが >>477
>>473
> 承久の乱以降の天皇は幕府が決めていたんだが
形式上は任命権はないが、実質的には任命権を持っているというやつだな。
「任命」ではなく「推挙」とか「奉じる」という建前になるんだろうが。 現代の総理大臣だって国会が指名してるけど、任命はしていない。
任命するのは天皇だ。 憲法よく読め
>>479が正しい
ただ天皇は国政に関する権能を有さない
と憲法で決められているので、
天皇の首相任命は、国会の首相指名に従うのみとなる 江戸時代も、上皇は公家諸法度の対象外。だから幕府は、院政を嫌がった。 何故、江戸幕府は禁中並公家諸法度で上皇法皇をフリーにしておいたのかね? 憲法に上皇の規定はないので、上皇は憲法から自由な存在となる
出家して法皇となれば、さらに俗世の習慣からも自由になり、
仏教界の上にも立つ御存在となられる >>484
うっかり忘れてたんだろうw
同法度を制定した時には上皇や法皇はいなかった 江戸幕府は最初は朝廷を法度によって雁字搦めにしてた割に
いつの間にか緩々になっていったな
天皇が勝手に譲位とか鎌倉や室町政権時代はなかったこと
まあ政権が安定し過ぎでわざわざ縛り付ける必要もなかったからではあるが >>490
それでも霊元天皇(いまのところ最後の法皇)の奔放ぶりには困ったようだが。 >>469
後宇多個人としてはもう後醍醐と争う気力もなかったんじゃないかな
どっちにしても自分の血統だし恒明に渡らなければそれでいいやってくらいに 後醍醐が院政を停めたのは史実
もうガタガタ反論するなよ、天皇親政なんだからな こないだ出た岩波新書の後醍醐本によると後宇多の院政停止には吉田定房から西園寺家を通して幕府の介入を取り付けた点も大きかった模様
後醍醐だって利用できる時は大いに幕府を利用していた印象 さんざん利用したのに討幕計画たててたから吉田定房卿は幕府に密告したのか 天皇在位中は格式に縛られるが、譲位すれば近臣も自分の気に入った人を
実力本位で集められる。院政とは優れた制度だ。
今上が譲位された後、院にどのような近臣をお集めになるのかに興味がある。 ホリエモン、田母神、羽生結弦、山本太郎あたりが平成院近臣になると面白い世になる >>498
上皇は独自の荘園を持ち私的な経済基盤があったから
好きな近臣を雇い入れることができたが
今は国民主権で平成上皇の近臣は全額国民の税金で雇われるわけだから
誰でも好きな者を集めることができるわけではない そういう環境の違いを知ってか知らずか(たぶん知らないのだろうけどw)
院政をやってほしいという幻〜を見ているんだろうな。
ちょっとでも考えてみりゃわかることだけど、体力的にきついからと退位を望んでるのだし
治天の君になったところでやるべき院領統治など任務は何も無い。 平成院政が始まったら、篤志家の皆さんは寄進して、長講堂領を復活するところから
初めてほしい。院政には独立した経済力が必要となる。
会計士か税理士の資格を持つ忠節の士を長講堂領別当に任じて、院政を輔弼しよう。
西田昌司先生あたりが適任ではないか? 表面的な院政停止後の後宇多も一番肝心な荘園の管理は最後までやってたんだよな >>456
後醍醐追討令ってw新田義貞追討令だぞw 無理して倒幕しなくても、そのうち幕府は自滅したと思うんだが。 ●●士なんて武士階級、士族オンリーだからだめだよ。 華族や、僧侶階級じゃないと話にならないわけ。
最高神官と 最高法官どちら?みたいな。 近代以前に家格が半家とか地下家で終わった公家や官人は、平成院政で近臣として
召されることで、家格を上げるチャンスになるかも知れない。
久しぶりの院政に期待したい。 そもそも、代表権と実権が同一人物にあると何が問題になるのやら。トップが実権のないお飾りなんて世界では通用しないというのに。 おまえのレス おもろない
自分ではおもろいと思ってるんやろうけど >>522
そもそも日本国憲法に上皇に関する定めはないから、上皇は日本国憲法を
超越した存在となり得る。
また、憲法に反する「詔勅」を排除する定めはあるが、「院宣」を排除する
定めもない。
平成院政の開始は、憲法を乗り越えて、戦後体制を終焉させる端緒となる。 >>524
そんなことしてる意思も体力も寿命も無し >>524
憲法に院宣の規定そのものがないのだから
院宣を出されても国民に実行義務がない
自主的に院宣に従うのはお前ぐらい 近代以前、律令には上皇に関する規定、院宣に関する規定はなかった。
だが、実際には院宣はその効果を発揮していた事実がある。
院宣に従う人もいれば、従わない人もいた。
だから、今の世の中において、院宣が出されたとしても、一定の効果があるかも
知れない。 >>528
法的には全く効力の無い筈の「おことば」で退位規定が一気に出来上がったけどな。 >>532
天皇の退位に関する条項は皇室典範の変更のみで対応できる
日本国憲法に何の影響もないし
上皇は日本国憲法を超越した存在にはなりえない 禁裏様と上皇様が並んでる姿を見たのは
後花園上皇と後土御門天皇が最後かな
あくまで禁裏様が一段高いところにいる >>534
> あくまで禁裏様が一段高いところにいる
やっぱりそうなのか >>533
まあそうなんだけど「上皇は天皇じゃねえ! これからは国政のこと,俺の言いたいこと全部喋ってやるぜ」なんて上皇が現れたらどうなるんだろうね。
>>536
だから国民に上皇の命令に従う義務がない
日本国憲法で国民主権が明記されている 従う義務はないが従う自由はある
そして上皇の政治的発言や行動を制約する規定が無いので「院宣」に基づいた決定を行う政党や内閣が現れても止めることはできない >>538
お前は平成上皇の院宣に従えばいいよw
従うも従わないも国民の自由 法的な話と社会学的な話は別でな。
たとえば国会議員は憲法上は全国民の代表だが,実際には地域代表としての役割を多分に期待されてる。
別に薄汚い利権の話でなくても,地域振興や災害復旧のような正当な利益に関しても国会議員は大きな役割を果たす。
それと同じで,上皇が国政に関する見解や希望を述べて,国政に全く反映しないかといえば,多分かなり反映する。 おまえらみたいな名もなきクズにいちいち院宣が下るわけないだろw >>540
それはお前が国会議員になってから
俺は平成上皇の意見に賛同する、と言おうな >>546
信長や秀吉は独裁者だったわけだが。
足利義満や足利義教もそうだろ。 天皇は憲法の規定や宮中祭祀、国事行為などに束縛される。
譲位して上皇になれば、それらの束縛から自由になり、近臣も自由にお選びに
なることができる。
治天の君として主上を超えるお力を発揮されるのではないか。 >>548
秀吉くらいじゃないのか独裁者は
その秀吉にしても外様大名には気を使いまくってるし
あえて言うなら徳川家斉くらいかな日本の独裁者は
まああまり政治に興味なかったみたいだから
そこまで独裁だったわけでもないが 天台座主の方がいい仕事じゃないの?関白摂政くらいより。増上寺別当とか。 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
CLQ >>550
いくら自由な立場になっても近臣を選ぶため、自らの組織を運営するため、
政府を圧倒する発言権を保持するための財力がなければどうにもならぬ。
退位後の院政どうのこうのという議論で多くの人に欠落している視点、
それが上皇としての財力。
国家財政に匹敵する財力を与えられるのか? >>551
徳川家斉は独裁者じゃないよ
江戸幕府は家康の子孫による血統主義のため
将軍が幼児でも馬鹿でも将軍が務まるように官僚政治になっている
将軍といえども独裁はできない
というか家斉は歴代将軍の中でも政治にやる気なかったほう
吉宗とかは独裁できない制度の中でも老中たちと協力して改革しようとしたからな 上皇后だの上皇職だの皇嗣だのアベの俺流なのか官邸の事務屋が考えたのか知らんが、
平成上皇関連のネーミングにはやっぱり違和感あるな。
皇太后、院庁、皇太弟でいいのにな。 退位の礼というのも安直で味も素っ気もない
譲国の儀でいいのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています