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三角縁神獣鏡は誰が作った?4
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0001日本@名無史さん
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2011/12/22(木) 19:16:20.99
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1019561007/

≪から3を作りました≫
三角縁神獣鏡の製作地はどこでしょうか?

魏だとする説には以下の問題が指摘されています。
@中国で出土しない
A文様の一部が中国にない
B百枚をはるかに越えた
C尚方でない

日本製だとする説の問題は
@はっきり国産と判明している鏡と製造技術に差がありすぎる
A日本人に銘文が書けたとは思えない
など

皆さんはどうお考えですか?
0027日本@名無史さん
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2012/04/10(火) 15:44:35.92
埴輪にれば当時のジャップの文明レヴェルが極めて低いことがわかるであろう
その未開ジャップに銅鏡制作は絶対に無理
0029日本@名無史さん
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2012/04/10(火) 20:16:18.03
>>28
あれは宗教だろ。
0030日本@名無史さん
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2012/04/10(火) 20:41:14.17
>>29
いいえ

中国で見つからない=国産に違いない

で、思考が停止したままの国産説の方が宗教に近いといえます
0031日本@名無史さん
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2012/04/10(火) 21:10:07.24
>>30
そうだ、そうだ!

700対0だろうが、1000億対0だろうが、関係ない。

舶載に違いないという強い信念こそが重要なんだ!
0032日本@名無史さん
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2012/04/10(火) 22:14:29.69
当時の畿内が記銘の三角縁神獣鏡作れたなら、邪馬台国は大和で決まりじゃん。

漢字を読み書きできるということは中国文明を受け入れてるわけで。文字での伝承があったなら
記紀の内容も多少の真実味がある。
0033日本@名無史さん
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2012/04/11(水) 12:04:42.77
まるで魏が受注生産してたような話だな
まったく古代ってやつは霧の中
0035日本@名無史さん
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2012/04/11(水) 23:08:35.89
当時の日本に銅鏡を作る技術力があったとは思えない
恐らく百済あたりで大量生産されたものを
輸入したのであろう
0038日本@名無史さん
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2012/04/12(木) 06:41:01.01
輝ける銅鐸文化を忘れてないかい?
ありゃ、日本独特の日本の制作技術
0039日本@名無史さん
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2012/04/12(木) 09:39:02.91
日本の銅鐸は朝鮮式銅鐸が起源
0040日本@名無史さん
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2012/04/12(木) 12:45:56.99
>>36とか>>38で分かるように技術的な視点を深く考えようとしない連中が国産説の指示者の実態なわけ
だから本職の研究者の間では技術的な視点での検証が進んだ舶載説が優勢になっているのだよ
0041日本@名無史さん
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2012/04/12(木) 13:09:38.82
そうだ、そうだ!

当時の日本人にはそんな技術があるわけがない。
日本で何億枚出土しようが中国製だ!
0042日本@名無史さん
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2012/04/12(木) 14:41:56.77
鏡の製造技術くらいあっただろう。
鉄も持っていない近畿地方でさえ銅鐸を作れたんだから。
0043日本@名無史さん
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2012/04/12(木) 15:38:04.55
三角縁神獸鏡と同等レベルの鏡の工房跡とか日本にあるの?
0044日本@名無史さん
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2012/04/12(木) 16:54:50.18
肉薄の大型銅鐸って、銅鏡より難易度は高そうだな。
0045日本@名無史さん
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2012/04/12(木) 18:55:03.98
大型銅鐸と三角縁は単に青銅を鋳造するという行為のみが共通する程度のつながりしかない訳だが
0046日本@名無史さん
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2012/04/12(木) 19:10:17.54
文献ではなく、物象が残っているのだから解明されるべき重要事項
だが、中国自身がこれは当方のものではないと言っている
一方、日本にとってもそのデザインは日本の趣味から隔たっている
これは、本当に謎だ
中国・日本以外という選択肢は無いように思えるが
もちろん、半島は全く関係ない
0047日本@名無史さん
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2012/04/12(木) 20:16:34.59
20cm以下の銅鏡は中国製のほうが技術レベルは高い
超大型鏡は中国では出土しないので技術レベルの比較はできない
三角縁神獣鏡の相当数は鈕の穴がつぶれていて紐が通せないか、穴が開いている場合でも鋳放しの状態
で技術レベル以前の問題
0048日本@名無史さん
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2012/04/12(木) 22:55:19.21
>相当数は鈕の穴がつぶれていて紐が通せないか、

相当数というが、出土鏡のうち何%くらいか具体的な数字は示せるかね?

>穴が開いている場合でも鋳放しの状態で技術レベル以前の問題

それは最後の研磨作業を省略しているのであって鋳造の技術とは関係ない

あと、研究者たちは大きさのみで技術論を語っているのでないからね
0049日本@名無史さん
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2012/04/13(金) 02:56:30.46
>>48
>何%くらいか
例外的だと考えるなら自分で調べてここに書いたらいい

>最後の研磨作業を省略しているのであって
最終工程まで完了する目的で製作されていない鏡で技術レベルの比較はできない

>研究者たちは
仿製か舶載については研究者により見解は分かれる

>大きさのみで技術論を語っている
誰も言ってない サイズが極端に違う鏡で技術レベルの比較はできないといっている

三角縁神獣鏡の多くに現れる特有の線キズは二層式鋳型の使用で微細な凸面キズが再現できる(鈴木勉氏)
これらの線キズは魏晋鏡にはない
また、中国においても技術レベルに大きな差があり、地域的に多様で拙劣な鏡もあるので
従来の、拙劣であるから仿製とはいえない(森下章司氏)
0050日本@名無史さん
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2012/04/13(金) 08:15:07.01
国内で鋳型が出てるからね。

畿内よりだと土の鋳型、九州よりだと石彫の鋳型が多い。
中国では土の鋳型が多い。

ちなみに九州では、小型銅鐸や剣の鋳型も、
石彫のものが出土されているので、石彫が好きだね。
古い鋳型技術がそのまま発展した魔改造っぽい。
土鋳型も出てないわけじゃないし。
0051日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/13(金) 12:27:41.69
自分から相当数とかいっといてどのくらいの割合か聞かれたら自分で調べろって……
狂ってるな
0052日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/13(金) 14:19:36.63
自国で製造するより
植民地の奴隷を使ったほうが
コストがかからないので
宗主国である百済が倭人奴隷を使い
日本で製造していたのであろう
0053日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/13(金) 22:05:05.87
チョンは日本の歴史に口出さんでいいから母国の心配でもしとけ
0054日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/15(日) 04:46:05.31
魏の文献に載っている邪馬台国やらヒミコよりも(日本の文献に無い)
日本で時を超えて実際に多数(数百)全国で出土している
三角縁神獣鏡(中国に無い)のほうがより研究課題にふさわしいと思う
鏡と太陽、天照大御神には深い関係がありそうなだけに




0055日本@名無史さん
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2012/04/15(日) 05:29:38.17
>>49
>中国においても技術レベルに大きな差があり、地域的に多様で拙劣な鏡もあるので
>従来の、拙劣であるから仿製とはいえない(森下章司氏)

これ、これまで仿製鏡と考えられていた古墳時代前期後半から中期に見られる鏡のことを念頭に置いた発言だよ
この流れで車崎氏による三角縁全舶載説が登場しているのですが、理解できていますか?
0057日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/15(日) 16:33:10.13
三角縁に舶載鏡があるという立場だと、黒塚古墳はどう解釈するの?

一方、三角縁は全部国産だとしても、
黒塚でずっと重要視されている画文帯は魏の鏡とは言えないし。

この辺はどうなっとるのかさっぱりわからんのだが、
考古学的には、倭人伝のことはきっぱり忘れるのがよいと思う。
古代史的にはなにか回答を見つけないとまずいのだろうが。
0058日本@名無史さん
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2012/04/15(日) 16:36:14.16
>>48
> >穴が開いている場合でも鋳放しの状態で技術レベル以前の問題
>
> それは最後の研磨作業を省略しているのであって鋳造の技術とは関係ない

研磨もしてない鏡を、魏が邪馬台国に送ったと考えているわけ?
バリが残っているのは全て国産で葬具というのが素直な解釈だと思うが。

もちろん棺の中でバリ付きの鏡が非常に重要視されていると
考えないと仕方のない位置に配置されていたら、また話は変わってくると思うが。
0059日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/15(日) 21:05:34.95
ジャップは未開やから本来廃棄処分にするような不良品をくれてやっただけやろ
0060日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/15(日) 21:16:48.70
ただ最初期の三角縁には鋳流したままのものはないだな。
時代が下るといい加減になっていっている。
時代が早く舶載の可能性が高いものほどまとも。
0062日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/16(月) 15:45:55.96
黒塚では画文帯の方が珍重されていて、ホケノの画文帯とそっくり。
ホケノ→箸墓→黒塚だから、画文帯が卑弥呼の鏡でいいんじゃないの?
0063日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/16(月) 18:54:32.52
ホケノは6世紀の堂の後古墳より後に築造されたことがすでに判明しているだろ。

不都合な事実を無視しないのが学問の基本的な前提だよ。
0064日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/16(月) 19:28:50.75
と、不都合な事実に目を背けまくっている九州説信者が申しております
0065日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/17(火) 15:52:04.18
天理大学の学生の調査で、ホケノが作られた時に、
堂ノ後の周濠が、埋めたり壊されたりしている可能性があると
発表されたことを言っているのだろうけど、
さすがにこの件だけでホケノを6世紀に持ってくるのは無理。
他の証拠が揃ってるんで。
ただ周濠の増築や墳丘再整備の問題をきちんと考えないといけないのは確かだけど。
0066日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/17(火) 15:52:56.07
>>62
今のところ画文帯は楽浪郡の鏡と考えられてるのをどう解釈するか。
0067日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/18(水) 00:46:40.65
>>66
画文帯同向式のほぼ全部が同型だろ、ほぼ全部が日本で出土。
例外が楽浪郡の1枚のみ。

普通にあれは日本製。
楽浪の日本が朝鮮に進出したときに持ち込まれたものだろう。
朝鮮にも前方後円墳を作るくらいに進出したんだから、鏡も出るだろ。
0069日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/18(水) 00:58:13.22
画文帯同向式は500年前後のものも多い。
ホケノだけが古いと考えるより、ホケノも同時期と考える方が自然じゃないのか?

同向式は紀年鏡にも多いんだよね。
△の紀年鏡は全部同向式、画文帯の紀年鏡も全部同向式で内部のデザインは丸写し。
日本で絵のパッチワークをしたと考えるのが普通の知能のある生物だろ。
0070日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/18(水) 01:25:01.04
>ホケノだけが古いと考えるより、ホケノも同時期と考える方が自然じゃないのか?

誰も「ホケノだけが古い」などとは考えていない
0072日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/18(水) 02:29:57.74
>>71
あれは400年ころだよね
0076日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/19(木) 01:58:13.42
去年週刊誌に中国製で決定、ての出てたじゃん。

唐の文献に昔魏の時代に倭のリクエストにより文を外して鏡を作ってあげたって。

文とは飾りの意味らしい。

直接日本とは関係のないマイナーな文献で、日本史の研究者は目が届かないのを読んでて発見したんだって。
0077日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/19(木) 07:39:38.76
週刊誌に載ったのなら間違いないね
週刊誌は国際的にも最も信頼できる資料ですからね
0078日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/20(金) 00:28:12.59
特注品なんだから中国から出土するわけがない。
日本で1億枚出土しようが中国製に決まっている。
0079唐松山 ◆V0F34EbmQA
垢版 |
2012/04/20(金) 00:43:46.19
纏向1類(前) 弥生X様式土器 後漢193年冷夏凶作 。
考古:弥生後期後半、各地の遺跡で住民の移動。2世紀末各地の土器が纒向に持ち込まれる。
纏向1類(後) 210年金官伽耶の建国(三国遺事、新羅本紀)
纏向2類(前) 3世紀前半辻の大型建物(古韓尺)
纏向2類(中)
纏向2類(後)
纏向3類(前) 庄内3式期末  ホケノ山(225〜250年) 楽浪鏡・鉄器 埴輪(穴あき壺)
倭人伝 邪馬台国官、伊支馬 都市牛利 
前半の建物跡を土盛り(土地は乾く=ヒ)と整地(シロ)をして中期の大型建物。
纏向3類(中) 廻間II初頭 多孔銅鏃と東海土器の分散
纏向3類(後) 九州北部に庄内式土器(纏向3類)
纏向4類(前)
纏向4類(中)
倭人伝 使大倭監之、 自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國、於國中有如刺史。
大倭は伊都国に勅使の如きを置き女王国(九州)の北部に置いた1大卒を監督する、1大卒は諸国を
検察し、諸国はそれを畏れ憚る。
纏向4類(後)箸中山(最初の大王墓)・燈籠山、布留0の指標、(260±10年程度)
晋書:274年 二月,分幽州五郡置平州。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 纏向5類 (布留1)。 △鏡。
考古: 北部九州に纏向5類と半島の土器(居住区)の共存。
纏向5類(前)東殿塚・下池山
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 308年永嘉の乱 《秋津遺跡》
纏向5類(中 後 )渋谷向山 五社神古墳
纏向5類(後プレ)椿井大塚山 316年晋滅亡、
0080日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/20(金) 11:23:22.10
特鋳説は、せめて他の地域でも同じ部類の特鋳があったことを示さないと単なる妄説。
そもそも特鋳なのに邪馬台国の名前が入らないなんてことがありうるのか?
0081日本@名無史さん
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2012/04/20(金) 15:01:06.48
上にある新潮の記事ってのは、
> 昔、魏は倭国に酬(はなむけ)するに、銅鏡の鉗文を止め、漢は単于に遣(おく)るに
> 犀毘綺袷(さいびきごう)を過ごさず。並びに一介の使、将に万里の恩とす。
こんな文が、晩唐に成立したとみられる「全唐文」に見つかったという話。

画文帯からガラリと絵柄(文=紋)が変わってきているから、
画文帯が魏の鏡なのではないか?
福永も三角縁は楽浪郡の工人の手によると言っている。
つまり画文帯と同じ人達が作ってる。
0082日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/20(金) 21:45:13.88
陳さんが日本に来て作ったんだっけ?
確か、そんなことが書かれた銅鏡があったような。
0083日本@名無史さん
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2012/04/20(金) 22:29:10.26
>>80
いいとこ付くねえ。
確かに特鋳なら「大魏皇帝与明鏡」云々と
刻されていてしかるべきだな
0084日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/20(金) 23:32:59.39
もう倭王なのに「鏡持ってると出世する」って書かれてもなw

>>81
たしか楽浪郡の工人が魏に移住して特鋳したと初期には言っていたはず。
王の呉の工人が倭に渡って作ったってのと同じ系統の議論だな。
どちらも製造技術は既に持ってるから変な話だと思うがな。
そもそも何を描くかは技術じゃなくて文化の問題だろう。
0085日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/21(土) 00:03:56.91
当時の倭には独自に画文帯や三角縁を作れるほどの技術も知識もない
0086日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/21(土) 00:37:11.00
小林行雄さん、あの世からこんばんは。
三角縁が舶載の可能性があるのは最初期だけで、後は和鏡ですよ。
あなたは古過ぎます。
0088日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/21(土) 07:02:20.96
>>86
>あの世からこんばんは。
お前は死人なんだなw
0089日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/21(土) 10:25:15.50
>>88

きっと>>86は、奥野先生ではなかろうか?
        ・・・・・あ、まだ御存命だったかw
0090日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/22(日) 11:56:52.04
三角縁神獣鏡は大陸製のものがひとつもなくても何の不思議もないのでは?
0091日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/22(日) 14:37:30.99
技術的なレベルなら、銅剣銅矛に銅鐸があるんだから、
十分水準には達しているだろう。

楽浪や呉の職人連れてきたってんなら、
それは、呪術、芸術に関するものだろう。

だろう?
0092日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/22(日) 15:03:48.18
三角縁の文様は精緻な半肉彫りによる
国内の弥生時代の青銅製品には見られない技術だよ
0093日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/22(日) 16:09:58.98
国産なら国産で誇れる技術
0094日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/22(日) 19:58:13.72
一部舶載を認めたとしても、
国産になるまで大して時間かかってない。
例えば黒塚を国産とするとせいぜい50年くらい。
0095日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/22(日) 20:02:35.79
>>80
特鋳説、特に>>81のように倭の要望に沿った特鋳を主張する場合、
どんな鏡であろうと、倭が望んだからそうなったということになります。

進化論のインテリジェント・デザイン論みたいなもんで、
(進化が起こったように見えるのは、実際に進化が起きたからではなく、そうデザインされてるから)
詭弁に過ぎません。
0097日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/23(月) 08:24:11.37
「どんな鏡であろうと、倭が望んだからそうなったということになります。」

ならないよ。
演繹は不可。
ちゃんと文章読んでみ。
特注の鏡をあげたということ。
これしかいうことができない。
日本で出土する鏡の「すべて」が特注である理解するのは論理的な飛躍。
本一冊分の論文で要証明だわ。


倭からの要望で
0098日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/24(火) 17:25:07.64
特注説では、どんな鏡が出土しても、特注だから不思議はないって理屈が可能になってしまう。
>>81の文献は文献でいいと思うが、やはり出土をベースにして考える必要がある。
平縁神獣鏡は出てるんだし。
0099日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/24(火) 19:07:44.89
つか△と同時に出土している鏡を国産にした時点で△も国産だろ。
△が1面あれば1億面でも国内で複製できる状況を認めて、その上で△だけ舶載とか
脳みそ腐ってるだろww
0100日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/24(火) 19:27:25.10
ところが同時に出土する国産鏡との技術的・知的差異は明らかなんだな、これがw
0102日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/25(水) 01:15:19.82
>>100
どう違うんだ?
やつらは主観主義の宗教論議に逃げ込んでいるだけだろw
0103日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/25(水) 02:11:41.18
>>102
つまり三角縁と他の国産鏡を見比べたことがないんだなw
そんなレベルで国産説を強弁する方がよっぼど宗教だと思うがね
0104日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/25(水) 10:15:44.53
当時のありふれた真実(多数出土)
が現代においては謎となり思考停止に追い込まれる
理由は、何か大きな歴史的前提が間違っているからと思われる。
三角縁神獣鏡はそれを問いかけ続ける。
真に発見されるまで。
0105日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/25(水) 23:26:07.67
>>103
そうだ!そうだ!
日本でだけ何百面、何千面出ようが、舶載に決まっている。
それ以外の結論は学界追放だ!
0106不良ババ
垢版 |
2012/04/26(木) 09:09:18.95
>>104
>何か大きな歴史的前提が間違っているからと思われる。
>三角縁神獣鏡はそれを問いかけ続ける。

●いいセリフだ。その通り。
いうならば、「信仰的精神性に裏づけされた文様文化」という視点からの考察が欠落しているのだ。

後漢末は、天師道や太平道が誕生した一大宗教改革の時代でもある。
画紋帯だろうが三角縁だろうが、
画紋帯であろうが三角縁であろうが、神獣鏡のデザインモチーフは
天師道(根を同じくする太平道も含む)の信仰的精神性をあらわしたものである。
必然的に、神獣鏡が登場するのは天師道の登場以降だろうと推察される。

張陵が中国古来の森羅万象の学問たる道学(黄老道)を基礎とした天師道を興すのが142年、
これが最も盛んになるのが、孫の張魯の代の190年頃である。
この天師道が、神獣鏡を破邪・駆邪の呪具とし、刀を死者を神仙へ導く呪具とした。

後漢末になると魏都・洛陽での鏡製造は明帝の代に再開されるまで数十年間中断された状態で、
明帝の時代(230年代)にならないと復活しない。
後漢末の中断から、およそ30年 から40年の空白がある。
神獣鏡は天師道が盛んだった広漢西蜀と呼ばれる地域と、
天師道と根を同じくする太平道が盛んだった長江下流域でつくられる。
こうしたことから、ご承知の通り神獣鏡は「呉式鏡」といわれる。  つづく
0107やや重ババ
垢版 |
2012/04/26(木) 09:09:59.22
●呉式神獣鏡は、魏都洛陽の尚方では絶対に造らない。
神獣鏡は、体制側の歴史書たる『三国志』が、邪教として批判的に扱っている天師道(鬼道)の神宝である。
天師道が、神獣鏡を破邪・駆邪の呪具とし、刀を死者を神仙へ導く呪具とした。
帝室ご用逹の外交用贈答鏡に、民間邪教の信仰を反映した図柄を採用することは絶対にない。
(あたしが強く主張するところ)

と・こ・ろ・が・だ。
禅譲を受けた正統王朝としてのメンツにかけて、
魏都洛陽の尚方では絶対に造ることのない呉式神獣鏡に、あろうことか魏の景初年号が刻まれている。
この「超のつく不条理」については、これまで話題にされたことがない。(これもあたし独自の着眼)
これは、中国人職人に倭人が造らせた証拠だよ。
しかも、製造手法・完成度・銘文などがまちまちである所をみると、
色んな時代の色んな人間の手によってつくれている。
(完成品を粘土におしつけて鋳型をつくる方法などはごく普通の倭人でもできる)。

福永伸哉とかいう唯物史観職人は、ひもを通す穴ポコの形なんぞをとりあげて、
いまだに、「魏朝が卑弥呼に下賜するために特鋳した鏡だ」と宣っているらしい。アホか。
銅鏡を無機質な「モノいわぬ物」として扱い、そこに込められた精神性や信仰心といった
「文様文化」にまったく関知しない考古のあり方は、いずれ大きな反省を迫られることだろう。

つづく
0108良ババ
垢版 |
2012/04/26(木) 09:11:02.75
●神獣鏡は楽浪郡でも造らない
神獣鏡が楽浪郡で造られたという「憶測言説」がある。
景初2年までこの領域を支配してきた公孫氏親子は、曹操、劉備、孫権をはじめ、
劉焉(劉璋)、張魯、張角らと中原の覇を目論んだ領袖の一人である。
いわば、ライバルたる張魯が民心掌握の手段とした天師道(ある意味で政治手法)を、
歓迎したり奨励することはあり得ない。遼東は天師道とは疎遠の地でもあった。
したがって、彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない。
また、景初3年には公孫氏一族は根絶やしになって存在していないし、
遼東郡、楽浪郡、帯方郡は魏の郡県下にあった。
したがって、後漢末の遼東半島や朝鮮半島に神獣鏡が作られる環境が存在した可能性は皆無といえる。
こうした事実を踏まえれば、「神獣鏡は楽浪で造られた」などという詰めの甘い憶測詭弁もボツ。

この素人の指摘で、考古学界の三角縁神獣鏡に関する味方・考え方が大きく変わるだろう。
なんか。文句ある?
0109日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/26(木) 09:20:22.34
女性のため鏡屋さんが作っただけのこと。
0111日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/26(木) 14:18:22.15
田子作
0112良ババ
垢版 |
2012/04/26(木) 17:03:22.73
>>111
「信仰的精神性に裏づけされた文様文化」。
お前たち「ど」のつく素人半端考古かじりも含めて、
三角縁神獣鏡を語るにおいて、
すべての日本人研究者が気づかなかった盲点だ。
日本でただ一つ、これに着目した論説のご登場だ。
無料でご拝読にあずかったのだ。ありがたく思え。

福永伸哉とかいう唯物史観職人も、ぐーの音も出まい。
0114良ババ
垢版 |
2012/04/26(木) 20:45:38.90
>>113
「間違っている大きな歴史的前提」を提示した。

そうそうたる畿内説連を沈黙させた新しい論説だ。
これを超える反論や反証があるならをもってこい。
0115日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/28(土) 01:16:45.68
勝手に未検証の前提を設定してそれを論拠に語られてもねえ

あと、鏡の作り方についての知識が少ないようだから
もっと勉強することをおすすめしておくよ
0116日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/28(土) 10:39:43.62
>>108

>したがって、彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない。

じゃ、その地域から何であんなにたくさん出土するん?
0117良ババ
垢版 |
2012/04/28(土) 11:08:46.51
>>115
>未検証の前提を設定してそれを論拠に語られてもねえ
日本のバカたれ学者が気づきもしなかったことだ。
「信仰的精神性に裏づけされた文様文化」
検証などせずとも周知の歴史的事実だ。

>鏡の作り方についての知識が少ないようだから
大きなお世話。
鏡の作り方についての知識だけで、これまでどんな議論をしてきたか。タコ


>>116
「彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない」。
>じゃ、その地域から何であんなにたくさん出土するん?
思考回路未成熟。なんだぁー・この質問の投げ方は。
出土するからつくったという理屈になるのか? てめえで考えろ。ボケ

遼東郡や楽浪郡で造られることはないという事実が前提むだ。
次に、神獣鏡が流布するのはなぜか。そして、流布しだすのいつごろか。
こうしたことを詰めて考えたことすらなかったろう。

バカづらさげて、「出土するからここで造られた」と、
短絡・単純な考古所見を疑いもせず孫引きして、それを「知識」だと錯覚してやがる。
0118良ババ
垢版 |
2012/04/28(土) 11:29:21.65
ちょっとだけ高度な話をしてやろう。

『三国志』が鬼道と書いた張魯の天師道は、医療を主眼とした巫呪祈祷の部分が民衆の支持を集めた。
古代における医療は直接的に生命にかかわるから、これが民心を集めただろうことは容易に察しがつく。
民心の掌握は効果的な政治手法として機能する。
事実、張魯の場合は群臣たちが天子を号するよう進めたほどだ。
ここに、宗教教団が巨大な組織となり、教団組織が国家を形成する過程をかいま見ることができる。

57年に朝献した倭人は、王朝を知り、朝献をしり、その作法を知っていた。
彼らは、国家を知り、政治手法も戦い方も知り尽くしていたのだ。
そこから150年ばかり経過した邪馬台国の首脳たちの戦略性というものを考えたことがあるか。

彼らは、列島における勢力拡大と進出事業の効果的な戦略ツールとして、
三角縁神獣鏡とセットの医療符呪と祭祀(とくに葬送祭祀)様式を全国に拡散させた。
現実には、ほとんど戦うことなくこれを遂行したものと思われる。

これに魏朝の年号を入れたのは、魏の支援を得て列島最強となった勢力が、
拡大戦略ツールとして魏の威光を匂わせるために工作したのではないか。
つまり、拡大戦略ツール国内生産のために、呉からやってきた職人に鏡を造らせた。
そのデザインとつくりは、当然ながら呉式の神獣鏡になる。
倭人はそうした産地特性には頓着することなく、「魏朝から頂戴したありがたい鏡」ということで、
これに魏朝の年号を入れさせたのではないか。

今まで誰ひとりとして唱えることのなかった「新しい神獣鏡の世界」だが、
素直に理解できる奴がいるかなー。
0120116
垢版 |
2012/04/28(土) 12:17:50.53
>>117

> 「彼らの支配した時期の遼東郡や楽浪郡で神獣鏡が造られることも絶対にない」。
> >じゃ、その地域から何であんなにたくさん出土するん?
> 思考回路未成熟。なんだぁー・この質問の投げ方は。
> 出土するからつくったという理屈になるのか? てめえで考えろ。ボケ
>
> 遼東郡や楽浪郡で造られることはないという事実が前提むだ。
> 次に、神獣鏡が流布するのはなぜか。そして、流布しだすのいつごろか。
> こうしたことを詰めて考えたことすらなかったろう。
>
> バカづらさげて、「出土するからここで造られた」と、
> 短絡・単純な考古所見を疑いもせず孫引きして、それを「知識」だと錯覚してやがる。

じゃ、表現を変えてあげよう。
三世紀の楽浪では、神仙思想をモチーフとする神獣鏡群が「流通は許容するが、製造は許されない」と主張するわけだねw
公孫氏が、神仙思想を「歓迎したり奨励することはあり得ない」と言う仮定を生かすためだけの糞ばった見解だね。
その「仮定」も遠く離れた漢中の張魯と遼東の公孫氏が中原の覇を目論んだライバルとか言う「前提」からだけどw
その前提が成立するなら、逆に神獣鏡のメッカ・呉は、張魯の友軍で天師道を推奨していたことになる。

他人の面構えを云々する前に、先ず、鏡で自分の顔をよく見てみよう。
0121良ババ
垢版 |
2012/04/28(土) 14:17:45.24
>>120
>三世紀の楽浪では、
3世紀の楽郎に神獣鏡が流通していたという短絡前提だろ。
神獣鏡を神宝・呪具とする体制外宗教が、体制側の人間に受け入れられのは何世紀だと思うか。
「宗教の器」を語るのに宗教の歴史を知ってるのか?  タコ。

>公孫氏が、神仙思想を「歓迎したり奨励することはあり得ない
文句があるなら、歴史として反論を述べろ。

>漢中の張魯と遼東の公孫氏が中原の覇を目論んだライバルとか言う「前提」からだけどw
現実・事実だ。だんだん・歴史そっちのけの・言葉尻モードになってきたぞ。

>その前提が成立するなら、
前提ではない。現実・事実だ。

>逆に神獣鏡のメッカ・呉は、張魯の友軍で天師道を推奨していたことになる。
張魯の天師道と根同じくする張角の太平道のメッカだ。赤恥もののお角違いだな。

>他人の面構えを云々する前に、先ず、鏡で自分の顔をよく見てみよう。
れっきとした熊襲の末裔のツラをしてるが・文句あるか。
半島渡りの渡来系集団労働者の末裔くん。
0122良ババ
垢版 |
2012/04/28(土) 14:47:33.29
119
>裏付けもなくそんな説を信じられるはずもない
何の裏付けもなく、鏡の形と数だけで、
大罪にも似た言説を学説として流してきたのが考古社会じゃなかったのか。

俺は、事実に基づいて・きちんとした理路の整った論説を書いた。
これに文句があるならば、これを超える事実をもって・理路の整った意見をいえ。
0123良ババ
垢版 |
2012/04/28(土) 14:52:45.86
唯物考古のウソ所見(さもなくば軽薄所見)を鵜呑み孫引きで、
さも己の知識でもあるかのように吹いてきたタコども。

銅鏡に関する考古所見を土台から破壊する、マグニチュード9.0超の激震論説だ。
半端な詭弁・方便・かけ合いテクは通用しないと思え。
0124良ババ
垢版 |
2012/04/28(土) 14:54:22.19
さてと。
これで・このスレッドも閑古鳥だな。
0125日本@名無史さん
垢版 |
2012/04/28(土) 14:59:53.05
>>122
鏡の数と形には確かな実証があるけど
おまえさんの説には何の実証もない
0126良ババ
垢版 |
2012/04/28(土) 17:39:49.82
>>125
け。邪馬台国を「論じる」胡散臭い学者などとは違って、
古代の歴史・文化を真摯に「解説した」学者の論説だ。
しかも、中国の専門学者の意見も交えている。

「実証」などではない、歴史的・文化的事実だ。
日本語もまともに使えんボケナスが。
実証というならば、泣き言めいた否定文言はいいから、
「されは違う」と「実証」してみせろ。弱虫
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