伊都だから糸島、理由はたったこれだけ!! 伊都国はほんとうに糸島にあったのか? 

魏志倭人伝にいう末蘆国(唐津)の東南500里は、鉄道唐津線沿いに進んだ佐賀平野にあたる。
ここに伊都国・奴国・不彌国があり、南は有明海に面していたと考えると倭人伝の記述と完全に一致する。
ここまで帯方郡から1万500里〜1万700里となる。
そしてここから南へ1500里〜1300里(約100km余)に邪馬台国はあったと考えるべきであろう。( 距離的には熊本県にあたる)
その邪馬台国の中に卑弥呼の都はあったという。
今史跡を行けば、上古の火国臼杵郡知保郷に訪ねあたる。→ 上高知保(宮崎県西臼杵郡高千穂町)

ここには上古より、お隠れになられた天照大神をお祀りする天岩戸神社 西の宮 がある。
また、お出ましになられた天照大神をお祀りする天岩戸神社 東の宮 もある。
さらには、日向三代の神々をお祀りする高千穂神社もある。
しかし記紀によれば高天原・日向三代は天上神話であり、建前としても現世地上に神々の御陵のあるはずはない。
そこで身代わりの現世遥拝所として、後世、宇佐に宇佐神宮、伊勢に伊勢神宮が造営されたのではないか?
じつは高知保三社の格付けは村社にとどまっており、古くからご皇室・国家の公式御参詣・御庇護を得ることはなかった。
(想像だが、むしろ公のご参拝は憚られたからではないのかと思われる)
よってやむなく村社として、火国の土豪民衆らにより、祀り護られてきたのではないかと思う。

なおこの地の南方沿岸には、投馬国とおぼしき西都市・宮崎市もあり、雄大な西都原古墳群を眺めることができる。