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秦氏など渡来人のルーツは?
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0001日本@名無史さん
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2012/03/13(火) 20:56:25.50
遊牧系異民族ってせつもあるけど
どこからきたの?
0573日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 14:24:40.56
誰が、やはうえ?なんだ

長文を書いている人?
0574日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 14:32:53.72
>>567
雷をハタと読んだ例はない。
0575日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 14:38:08.64
>>572
お前が話しかけてくるな。
消えてちょうだい。
0576日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 14:41:51.52
>>568
800年代後半から900年代の後半までに書かれた「竹取物語」では、「はたたたく空」と書いてある。
どっちが古いのか。
0577日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 14:44:51.09
>>576
訂正
「はたたたく」→「はたたく」
0578日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 14:50:42.70
こだわりと思い込みが激しくて一方的に喋るキモヲタとは会話にならないことが多いけど、ここ見てるとその良い例だなあと思う
0579日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 14:54:56.02
そういうことじゃないんだよなーっていう方向に持っていくから周りを辟易とさせて距離を置かれるやつ
0580日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 14:57:13.29
そういう奴ほど構ってちゃんなんだよな
いちいちアンカー付けてくる
0581日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 15:02:51.59
>>574
普段よく神経質とかアスペとか言われない?
まるで電車と列車は違うってキレ出すオタクみたいだよ
本人議論してるつもりかもしれないけど困った人の癇癪みたいになってるよ
0582日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 15:05:30.13
学研全訳古語辞典
はたた−がみ 【霹靂神】名詞
激しく鳴りとどろく雷。◆「はたた」は激しい音の擬音語。

学研を否定
0583日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 15:12:47.45
>>485-486
Weblioによると、矢が当たる音の表現にも「はた」が使われたみたい
矢を射る、雷を射つ、感覚的に似ていたのかもね

はた−と 副詞
@ぱしっと。どんと。▽ものとものとがぶつかり合う音の形容。また、勢いよく打ったり切ったりなどする音の形容。
出典平家物語 四・鵼
「手ごたへしてはたとあたる」
[訳] (矢が)命中したという感じがしてぱしっと当たる。
0584日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 16:17:51.09
神と雷と蛇と竜

「かみなり」は「神鳴り」、「いかづち」は「厳(いか)つ霊(ち)」から出た語で、古代人が雷を、神威の現れと考えていたことによる。

貴公子たちの求婚「六月(みなづき)の照りはたたくにも障(さは)らず来たり」-出典竹取物語
[訳] 六月の日光が照りつけ雷が激しく鳴り響くのにも妨げられないでやって来た。◆擬声語の「はたた」を活用させた語。

雄略「その雷(かみ)光りひろめきて」-日本書紀
[訳] その(大蛇は)雷のような音をたて光がぴかっと光って。

竜の頸の玉「竜(たつ)は鳴る雷(かみ)のるいにこそあれ」-出典竹取物語
[訳] 竜は雷の同類であったのだ

浄瑠璃のこと良く知らないけど、「近松門左衛門の世話浄瑠璃に見られるオノマトペの特徴」を読んだら、
はたと、はつた、はたはた、は力強い動作や勢いのある動作表現に使われていたらしい

機織りのハタも打ち付ける擬音から来ているのやも?
(キリギリスは機織り虫と呼ばれていたらしいし)

これらを踏まえて神社の由緒や祭神を調べると面白そう
0585日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 17:12:09.43
>>581
雷をハタと書いてる例を示せばいいだけ。
ごちゃごちゃ言う間あったら、例を出せよ。
脳tallinnだから、無理か。
0586日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 17:31:22.96
>>582
「人天眼目」は中国宋代の1188年になったものらしいな。
その中の「霹靂」について、日本で解説したが「人天眼目抄」もののようだ。
その日本での解釈が、1471年頃ということになるな。
しかし、それより700年近く前に書かれた「竹取物語」に書かれている(はたたく)の語彙のほうが、ようがより古く信頼できると思わんのか。
太秦の秦氏が渡来したのは5世紀初頭前後やから、それから400年後くらいに書かれたのが「竹取物語」や。
「人天眼目抄」は秦氏の渡来より1000年も後の解説書であり、竹取物語と比べたら700年後になる。
どっちを採るのがよいか明らかだわな。
0587日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 17:49:40.06
秦氏がトルコ語を話すユダヤ教徒だった確率は、相当高いな。
スヅマサは、幕屋の祭壇の意味だよ。
それに、秦氏の神体山である松尾山のマツオは、ユダヤ教徒にとって非常に重要な種無しパンのマッツオと発音が酷似している。
出エジプト記の巻頭を飾るのがマッツオだ。
松尾山は、そのマッツオに松尾と漢字をかぶせたものだな。
0588日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 19:49:54.69
ブログ行けとか
オカ板行けとか言われてんのにまだいる…
0590日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 20:11:52.04
決めつけた攻撃的な物言いするから反発されてるのに、分かってないんだな
0591日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 20:14:14.58
>>584
機織りは、先にハタって音があって、そこに漢字をあてられたらしいからね
0592日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 20:38:46.85
>>324
>>557
秦氏かどうかということは置いといて、とにかくペルシアから宗教弾圧で逃げた集団が唐に受け入れられて長安にペルシア寺=波斯(後のローマ寺=大秦寺)を建てたんだね
そこで現地の口語や漢文を使いこなし、仏教、道教、儒教の概念も吸収して、なんて凄い集団

この集団が日本に来た秦氏と同じ集団だったのかは分からないけど、日本書記には百済から来たって記されてたよね
せっかく受け入れられた長安でも何かと弾圧されて百済に逃げた者たちがいるってことなのかな
散りぢりになりそうだけど一纏まりで移動してたんだろうか
0593日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 20:47:22.64
例えば、その大秦寺に隷属して使われていた身分の者たちだったりとか、大秦寺の恩恵を受けていた何者かだったりとか、ってことは無いのかな
ちょっと前の日本とはシステム違うだろうけど
0594日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 21:03:37.38
9世紀半ばからみたいだわ
景教が弾圧されたのは

>9世紀半ばに即位した武宗は道教に傾斜し、仏教をはじめ他の宗教を弾圧(会昌の廃仏)。
>景教も例に漏れず弾圧を受け、多くの大秦寺が破壊される。その際に碑は土中に埋没したと考えられている。
0595日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 21:11:17.44
大秦景教流行中国碑にはエストランゲロ体(他に2種類ある)のシリア文字が記されているらしい
0596日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 21:43:59.07
弓月君とか言ってる人と、弓月国の人と、波斯(ペルシャ)から来た大秦寺の人と、大秦国のユダヤ人は、それぞれ違う人らなんじゃ?
ttps://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/img/1263098537.jpg
0597日本@名無史さん
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2019/05/20(月) 22:37:25.97
時系列からみたら、別々の集団だろうね。
0598日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/20(月) 23:21:15.06
皇室の遠縁のナントカ宮です〜とか自称してた無関係の民間人が詐欺か何かでニュースになってたり
秀吉も姓を貰うまでは源氏ッス平家ッスとか言ってた逸話あったりするし、
秦氏と無関係でも秦氏って名乗っとけみたいな奴もいたんじゃないのかね?渡来人かなりの数だったらしいし
0599日本@名無史さん
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2019/05/22(水) 02:43:15.66
旅籠(はたご)は古い語彙。
この旅を(はた)と読んでいるのが意味深だよ。
秦氏のハタと関連がありそうだな。
旅の字をどいうわけでハタと読んだのかってことが、秦氏の謎を解くカギだと思うわ。
0600日本@名無史さん
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2019/05/23(木) 04:39:23.14
ちょっと調べたので纏めてみた

ハタゴ:旅籠(当て字?※1)/波太古(万葉仮名)/篼(元の漢字)

奈良時代…篼は馬の餌である秣を入れて旅に用いたため旅籠とも書く
平安時代…人の食料を入れたものも旅籠と呼ぶようになる
室町辞典…木賃宿(米持参+薪代で素泊まりできる宿)が流行る
鎌倉時代…木賃宿+馬と人の賄い飯=旅籠となる(表に秣の入った飼い葉桶が出ている)

「旅」=分解すると「方人 人人 ※2」となる
「篼」=日本の漢字辞典には無く由来の調べ付かず
「秣」=まぐさ(馬草・馬の餌になる草)のこと

※1:満州に「1グサ」という単位があり中国語訳で「1旗」、もしその読みが伝わっていたなら、馬草籠→秣籠→草籠→旗籠→旅籠と表記が揺れた経緯があるのでは?
※2:旗を持つ人に付いていく人々を表現しているので、旅に旗は付きもの→うっかりハタと訓じたのでは?

ちなみに面白かった隠語大辞典(皓星社)
>旅篭 はたご
>非人乞丐ノ徒ガ、平常山間又ハ野末ノ神社仏堂境内等ニ仮泊スル場所ヲ云フ。〔第五類 一般建物〕
>非人乞食の徒が、平常山間又は野末の神社仏堂境内等に仮泊する場所をいふ。〔犯罪語〕
>山門、神社、仏閣等に於て非人、乞食が集る所を云ふ。
>神社、仏閣等において乞食の集るところをいう。
0601日本@名無史さん
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2019/05/23(木) 04:40:51.87
>>599
あなたの見解は
0602日本@名無史さん
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2019/05/23(木) 04:45:57.93
調べもしないでバカの一つ覚えみたいに何でも秦と結びつけるのはどうかと思う
ちなみにハタが付く地名の殆んどは秦氏と無関係であるので注意と地名語源の本には書かれていた
0603日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 07:19:46.69
>>601
秦氏は、ギリシャ系かペルシャ系のトルコ語を話す改宗ユダヤ教徒だと想定している。
その想定に基づいて、トルコ語で解釈してみると、次のように解釈ができる。

旅籠(はたご)の(ご)は、(かご=籠)の(ご)だとみなすことができる。
そうすると、旅(はた)は、(はた)の音に旅の漢字を当てたものであることが分かる。
(はた)の言葉に旅の意味があったことが推測できる。
そこで、トルコ語で旅を意味する語彙を探すと、seyahat(セヤハット)がみられる。
seyahat(セヤハット)は、旅行、旅を意味する言葉。
このseyahatを分解すると、seyah(?)+at(馬)の構成であることが分かる。
seyahat(旅)は、at(馬)を使って行ったことから生じた言葉であるとみることができる。
大陸での旅は、馬に乗って移動することであったということだろう。
ここで意味が不明なのが、seyah(セヤフ)。
seyah(セヤフ)とは、何かが問題。

                    続く
0604日本@名無史さん
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2019/05/23(木) 08:45:54.27
>>601
seyah(セヤフ)は意味不明であるが、このseyahにyを付け加えてseyyah(セイヤ)とすると、
このseyyah(セイヤ)は旅行者、旅人、巡礼者の意味であるので、
seyahat(セヤハット)のseyahの元字をこのseyyahだとみなした場合、seyahatの語彙はseyyah(旅人)+at(馬)であったことを推測することができ、
seyahat(セヤハット)の言葉になぜ旅行、旅の意味があるのかが分かることになる。

ここで最初に戻り、(はたご=旅籠)の(はた)の音に旅の字を当てていることから、(はたご=旅籠)の(はた)の発音には旅の意味があったことを想定した。
そして、その(はた)の音になぜ旅の意味があるのかが、問題であった。
そこで、上のseyahat(セヤハット=旅)の語頭のseyaを省略するとhat(ハト=旅)となり、このseyahhatのhat(ハト=旅)と旅籠(はたご)の(はた=旅)は発音、意味ともにほとんど同じである。
このことから、馬の飼料に(はた)の言葉を当て、この(はた)に旅の字を当てたのは、馬の飼料に当てた(はた)の言葉に元々旅の意味があったからであり、
その(はた)がトルコ語のseyahat(セヤハット=旅)のhat(ハト=旅)に由来すると考えれば、なぜ(はたご=旅籠)の(はた)に旅の意味があるのかとの疑問に答えを出すことが可能となる。
秦氏は、馬を用いた運送業も行っていたことが知られている。
その馬の飼料を手当てしたのが秦氏の配下であったことから、馬の飼料を(はた)と呼び、その飼料を入れた籠も(はたかご・はたご)と呼ぶようになり、この(はたご)に旅籠と漢字を当てるようになったのは
元々からこの(はた)の言葉に旅の意味があったからだと理解すれば分かりやすい。
つまり、漢字が日本にもたらされた当時、(はた)氏の(はた)は旅を意味していると知られていたということを示していると考えることが可能だ。

秦氏の(はた)の由来は、トルコ語のseyahat(セヤハット=旅)の短縮形の(ハト=旅)であり、その(ハト)が(はた)と変化したものだと考えることができる。
0605日本@名無史さん
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2019/05/23(木) 09:40:51.99
>>582
その(はたた)の語源は、羽搏く・羽叩くだとされている。
羽+叩く。
雷の呼び名がハタであったことを示す例文はみあたらない。
0606日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 14:17:20.94
ずっと雷と同義だって話で進んでるのにアスペルガーなのか
0607日本@名無史さん
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2019/05/23(木) 14:43:58.98
>>606
知らんがな。
雷=ハタの語彙は見当たらん。
0608日本@名無史さん
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2019/05/23(木) 14:46:05.33
>>604
都合の良いように言葉の一部を勝手に省略してみた☆って感じに聞こえるけど、「トルコ語のseyahat(セヤハット=旅)の短縮形の(ハト=旅)であり、」の短縮形は実際トルコ語には無いんだよね?
セヤフも意味不明って自分で言ってるし、こじつけすぎじゃない?
0609日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 14:48:24.72
構ってやらなくていい
電波系は肯定を渇望してるだけだから何も話が通じない
壊れきったレディオと命名する
0610日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 14:58:13.94
>>608
省略したのは、日本に来てからの話。
セヤハットは、日本語の発音では長すぎる。
ハトの2音が一番発音しやすい。
問題ない。
0612日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 14:59:45.56
>>610
完全にお前の個人的な好みじゃん…
0613日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/23(木) 17:42:01.64
>>612
お前の好みじゃないことは、分かった。
0615日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 01:38:21.39
>>614
ウヅマサのウヅも、トルコ語の数詞3。
マサは机。
ウヅマサはトルコ語で(3つの机)。
幕屋の礼拝の意味。
みんな、トルコ語でリアルに謎が解ける。
ついでに、秦氏が交易航路として力を入れた対馬海峡の2番目の島は、壱岐(いき)。
そこでトルコ語をみると、数詞の2がiki(イキ)。
秦氏がトルコ語を話した改宗ユダヤ教徒だったことは、まず間違いない。
0616日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 02:26:47.14
>>600
(はたご=旅籠)の意味について、辞書などによって微妙に内容が異なるものとなっている。

電子辞書などでは、「旅行のとき、馬の餌を入れて運んだ竹籠」というものが多い。
一方、平安時代の和名抄では、「(はたご)は飼馬籠也。波太古。俗に旅籠の二の字を用いる」とし、
ブリタニカ国際大百科事典では「(はた)は馬の餌、(ご)は籠である」としている。
和名抄やブリタニカでは「旅行のとき、馬の餌を入れて運んだ竹籠」の解説の中の「旅行のとき」という言葉は記述されていない。
和名抄では、明確に「(はたご)は飼馬籠也」とだけ書いている。
つまり、(旅のときに用いる飼馬籠)とは限定していない。
(はたご)という言葉は、馬の餌を入れた籠の意味だとしか言っていない。
そして、この(はたご)に、俗に旅籠という漢字を当てていると説明しているのである。
ということは、(はた)という言葉に旅という意味付けがなされているということになる。
電子辞書などの解説と、倭名抄やブリタニカの解説は微妙に内容が異なるということである。
0617日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/24(金) 19:38:49.95
>>610
このことからすると、ハタ(秦)氏のハタは(旅する者)という意味のトルコ語seyahat(セヤハット)に由来するもので、このseyahat(セヤハット=旅行・旅)とは、おそらく(交易で各地を旅する者=交易者)という意味だったのではないか。
交易を生業としながら、カザフ平原からアルタイを経て、東の海辺の地である日本を目指したユダヤ教徒だったのが、このハタ(秦)氏だということになるのだろう。
0618日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 17:02:02.89
■イスラエル国家機関が本気で注目するチャン族


 チャン族は、前述の地域以外にも同州の各地に居住しており、シナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派に属するチャン語を話している。もともと人口は30万人程度だが、四川大地震でその約30%を失ったうえ、多くの住居が倒壊するなど甚大な被害を受けた。


 このチャン族が「失われた10支族」の末裔ではないかと主張しているのは、他ならぬイスラエルの国家機関「AMISHAV(アミシャーブ、アミシャブ)」だ。
0619日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 17:06:13.33
チャン族は、農暦(中国暦)の10月1日を新年とするが、これはユダヤ暦で7番目の月(9月か10月)を新年と定めている点に類似する。
他にも、山の頂上に築いた自然石の祭壇で神に犠牲を捧げる点、さらに家屋の扉の側柱に血を振りかけて家内安全を祈る点に至っては、ユダヤ人の「過越祭」とまったく同じだ。
ちなみに、これと似た風習は沖縄にも残されており、血に浸した木の枝や家畜の骨を家の戸口や集落の出入り口に吊るす「カンカー(看過)」という行為も、イスラエルとのつながりを感じさせ興味深いところだ。
0620日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 17:07:52.16
■10支族→チャン族→日本人 驚きのつながりが見えた!


 このように、チャン族の信仰や生活には、古代イスラエルの民と共通する要素が実に多い。そして特筆すべきは、その一部が日本の文化でも見られることだろう。チャン族と日本人にも共通点が実に多いのだ。


 まず、その容姿だ。チャン族の女性には美人が多いことで知られるが、その中には日本の女優にいても不思議ではない顔立ちの人がいる。また、チャン族には天孫降臨神話も受け継がれており、自ら「天孫」を自認している。
0621日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 17:20:44.07
イスラエルが注目するチャン族は羌族
羌族といえば太公望
太公望といえば周王に今は山東省と呼ばれる地域に領土を貰って移住

山東省ではラクダの彫り物が出土
太公望といえば斉国
斉国は始皇帝に最後に滅ぼされた国である
山東半島の対面は遼東半島であり船で東に向かえば日本の北九州

ラクダの彫り物が出土した山東省からはコーカソイド白人のDNAを持つ人骨が発掘されている

もう分かりましたよね? 秦氏は羌族であり海ではなく遼東半島経由で南下し日本に渡ってきたユダヤ系の末裔と言える集団でした。
0623日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 19:19:52.03
秦氏は、ギリシャ系かペルシャ系のトルコ語を話す改宗ユダヤ教徒だろう。
おそらく、間違いない。
秦氏の成功は、産業生産物を交易物として全国にさばいた点にある。
馬を用いて生産物を伊勢に運んだ事例がみえる。
こうした交易活動は、カザフ平原からアルタイにかけての交易生業でつちかった在り方であり、在来の日本人には真似のできないシステムだった。
4世紀後半頃から朝鮮半島を経た交易に応神政権が力を注ぐのは、秦氏による海外交易の富に目覚めたからだ。
秦氏が政権に影響を与えたということだろう。
応神政権の成立そのものが秦氏の影響を受けたものであった可能性も考えるべきだな。
0625日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/25(土) 22:29:37.62
>>621
ユダヤ人はコーカソイドじゃないよ
0626日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 01:05:59.98
>>625
もっと言うてやってくれ。
0627日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 13:08:48.89
もう誰も相手にしてくれなくなったな
こんなキチがいたら過疎るわ
0628日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 19:15:17.46
>>627
ワイの高邁な研究成果に、皆がついて来れないだけ。
0629日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/26(日) 19:16:53.64
>>624
そこらに、いっぱい転がっとる。
あれこれ、拾って研究してみたまえ。
0631日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 01:47:36.99
日ユ同祖論を展開した言語学者の佐伯好郎がこれこそはと打ち上げたのが太秦広隆寺境内にあった井戸の名で、その井戸の名は(いさら井)だった。
(いさら井)は、ヘブライ語のイスラエルの音写だと考えたのだ。
確かに、(いさら井)とイスラエルの発音はよく似ている。
しかし、日本語の古語には(いさら)という語彙があり、この(いさら)は(水量が少ない)という意味の言葉だとされている。
つまり、(いさら)は(いささか)という語彙と同系だとみられているのだ。
そこで、(いさら井)は、水の量が少ない井戸という意味になるという。
こういうことから、広隆寺境内の(いさら井)が(イスラエル)の音写だとする佐伯学者の説は、まったく無視されてしまったのだ。
学識豊な言語学者が、日本語と外国語の関連に触れるとなぜかトンデモ説に陥るというパターンはタミル語の大野晋でも起こった。
しかし、そうだろうか。この学者たちは、時代が早すぎたのではないか。
現在では、日本語と外国語の関連をコンピュータを使って解析する時代に入っている。
そういうことであるのだが、依然として頭にクモの巣が張った素人どもは、日ユ同祖論をオカルトと同レベルに置いてあざ笑う始末。
こうした素人どもは、遊ばせておいて、マジに佐伯学者の(いさら井)に再挑戦してみることにしよう。

                                 続く
0632日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 03:43:15.23
佐伯学者は、(いさら井)がイスラエルの音写だと考えたわけだが、(いさら井)に対応する語彙の選択を誤ったのだろう。
秦氏がユダヤ教徒だったとみなした場合、太秦の広隆寺の境内はイスラエルという王国に対応させるよりは、むしろユダヤ教徒の聖地であるエルサレムに対応させたほうがリアルだ。
広隆寺の境内をエルサレムとみなすと、エルサレムにとって生命線となる水を得る場所はシロアムの池だった。
エルサレムから少し離れたところにあるギボンの泉に湧く水が城内のシロアムの池に流れ込んで、その池を満たしていた。
ところが、前701年にアッシリアがエルサレム包囲戦を行い、干乾しになるのを恐れたイスラエルのヒゼキア王がギボンの泉から城内のシロアムの池まで地下水道を掘って、干乾しになるのを防いでアッシリアの包囲戦を戦った。
そういうわけで、シロアムの池はユダヤ人にとっては伝説の聖池だった。
そこで、広隆寺境内をエルサレムに対応させた場合、その(いさら井)はシロアムの池に対応することになるのだ。
そして、シロアムの池は完全に防衛されたエルサレムの象徴であったから、シロアムの池はエルサレムの命そのものを表す表象となる。

そこで、ヘブライ語のエルサレムの発音をみると、yerushalayim(イェルシャライム)だそうだ。
ル音は軽く、ライムのイ音はほとんど聞こえない。
イェシャラームと聞こえる。
この発音ならば、(いさら)に近い。

秦氏をユダヤ教徒と想定すると、広隆寺境内をエルサレムに見立て、(いさら井)はシロアムの池に見立てる構図を描くことができる。
そうなると、そのシロアムの池に見立てた井戸をもって(いさら井=水が少ない井戸)と呼び、実は(イシャラ=イスラエル)の発声としていた可能性を想定することもできる。
つまり、(いさら井)は、エルサレムの池(シロアムの池)ということになってくるのだ。
秦氏は、このような擬制を各所で行っているようにみえる。

以上が、佐伯学者に続く、太秦広隆寺の(いさら井)の謎の解明の達成だ。
エルサレムのほうが、イスラエルよりもはるかにリアルな解釈といえる。
わははははは。
0633日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 03:54:42.24
>>632
訂正

23行目〜24行目の(イシャラ=イスラエル)は、(イシャラ=エルサレム)が正しい。
0634日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 13:24:54.93
>>630
まあ、掲示板は会話交流が目的というより、一種のマウンディングの闘いだからね。
つまり、交流サイトとはまた違う面がある。
0635日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 15:09:55.21
普段常駐してるスレは楽しく雑談が回ってるけど、ここは特殊だよ
まず会話になってないもん
会話する気が無くて押し付けたいだけのキチガイが居座ってるからマトモな人がいなくなっていく
0637日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/27(月) 17:38:33.33
>>636
じや、黙っているから、きみら会話を楽しみたまえ。
わはははは。
0638日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 11:54:47.33
>>625
>>626
単純すぎます

そもそもコーカソイドの定義を理解してるのですか?
コーカソイド=白人ではないです 
セム系は色黒でコーカソイドではない! とか言うんでしょうね
そんな単純ではないのですよ

そもそもユダヤ人の始祖アブラハムの一族は現イランの出身でありアラブ人ではないですし
アラブ系でもコーカソイドに分類される人は多いです

コーカソイドのユダヤ人も古代より大勢いました
古代よりギリシャ語圏やローマ帝国領土にユダヤ人は多く住んでいました
紀元前三〜二世紀には離散ユダヤ人のために各地で旧約聖書はギリシャ語に翻訳されています
0639日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 11:57:32.37
> ユダヤ人はコーカソイドじゃないよ
こんなこと言い切れるわけ無いでしょう
そもそもユダヤ人とは十氏族いましたし 胆汁に言っても北と南では別の民族だった混合体ですよ?
何もご存じないようだ 呆れました
0640日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 11:58:30.46
ユダヤ人は母親がユダヤ系なら子供もユダヤ人なので どんどん混血したことでしょう
0641日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 12:04:53.47
> 白人系ユダヤ人がまだ登場していない紀元1世紀前後、古代ローマ帝国でユダヤ独立戦争があり、
大敗を喫したオリジナル・ユダヤ人(オリエンタル・ユダヤ人)たちは徹底的に追放されたわけだが、
この迫害により離散したユダヤ人のうち、イベリア半島(スペイン)に移住したオリエンタル・ユダヤ人(セム系民族)の子孫を「スファラディ系ユダヤ人」という。

この頃から白人とも混血しております
スファラディは東ローマ帝国があった現トルコ領のイスタンブール辺りでの活躍は有名です
ペルシャ帝国でも商人や宮廷で活躍した彼らは迫害を逃れるためどんどん東に向かっていきました
インドやアフガニスタンでも大量のユダヤ人が確認されております
0642日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 12:05:49.72
コーカソイドのユダヤ人はオリエントの世界で山ほどいました
0643日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 12:07:37.08
また西域で中国とつながるアフガニスタン人の多くは現在はイスラム教徒ですが自分がアブラハムの子孫であると主張しています

彼らの多くは今でもラクダに乗り長距離を移動します
0644日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 12:26:45.07
彼らはイラン人やインド人(の一部)と同様にコーカソイドに分類されます
0645日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 12:28:42.50
彼らコーカソイドのユダヤ商人や血を引くラクダや羊を連れた牧畜民が中国に古代より来ておりました
それは確実なのです 
0646日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 14:09:23.93
NGワード:ユダヤ,コーカソイド,トルコ,イスラエル,ヤハウェ,間違いない

言っとくけど構ってる奴も荒らしだからな
0647日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/28(火) 15:37:17.26
↑ 何ということでしょう 中国は漢人だけの国だとでも思い込んどるんかな この人は 哀れすぎるね
0648日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/29(水) 14:06:06.59
なんだよ、会話が途切れたな。
一人二役の会話か。
もう、誰もおらん。
わははははは。
0649日本@名無史さん
垢版 |
2019/05/30(木) 05:27:40.10
広隆寺境内=エルサレム
いさら井=エルサレムの池(シロアム池)
この図式は、これまでにない新しい秦氏=ユダヤ教徒説の根拠になるな。

太秦(うづまさ)のウヅ=数詞3
太秦(うずまさ)=3っの机(幕屋の礼拝)
三柱鳥居の三=ユダヤ教の聖数3
松尾山=マッツオ(出エジプトの種無しパン)

もはや、太秦(うずまさ)は秦氏が作った日本におけるユダヤ教の聖地だということは明らかだ。
0650日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 04:28:59.40
秦氏はトルコ語を話すユダヤ教徒であったと想定しているが、チュルク系遊牧部族がいたカザフステップを4世紀頃に東へ進んできたことが推測される。
弓月国があったとされるタリム盆地は、4世紀頃には高車と呼ばれるチュルク系部族がいたところだ。
秦氏のトルコ語は、これらのチュルク系遊牧部族の中を交易しながら通ってきたときに獲得した言葉だとみられる。

一方、改宗したユダヤ教徒がみられるのは、トルコの黒海沿岸東部だ。
2000年前頃にこの地方にギリシャ人やペルシャ人が移住して、彼らはペルシャから来たユダヤ人によってユダヤ教徒に改宗したとされている。
そして紀元300年頃にはユダヤ共同体がこの地方に形成されていたようだ。
この改宗ユダヤ教徒は、700年代になるとカスピ海北岸のカザフステップのハザール地方へ移住することになる。
この結果、ハザール王国がユダヤ教に改宗して、アシュケナジー系ユダヤ人が誕生したとされている。

紀元300年頃にそのユダヤ共同体から離れた一派が、交易を行いながらカザフステップのチュルク系遊牧部族地帯を東へ進み、やがて300年代中頃にはタリム盆地の弓月国に達したのが弓月君の集団だったと想定するのである。
したがって、秦氏のルーツは、ギリシャ系かイラン系の改宗ユダヤ教徒ではないかということになるのだ。
これは、従来の秦氏ユダヤ人説とは大きく異なるものであるが、おそらく間違いないだろう。
0651日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 04:39:59.32
日ユ同祖論は、DNA的にあり得ない。
だから、却下。
 
0652日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 04:42:21.66
秦氏のルーツを調べようと思ったら、
日本に数多くいる秦氏の男系子孫のY染色体を調べるのが
手っ取り早い。
薩摩の島津氏は惟宗氏の末裔と言われ
惟宗氏は秦氏の末裔と言われている。
0653日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 12:26:47.15
>>652
公表されてる秦氏の末裔は全部Y−0
0654日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/03(月) 18:24:05.60
>>651
秦氏の先祖がカザフ平原などを東進するうちに抱え込んだ者たちはDNA的には多様なものであったと思われるな。
DNAから識別できるのは、特定の司祭階層だけだろう。
DNAだけで日ユ同祖論を論じるのは危険。
0655日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/05(水) 14:30:29.97
>>653
あのサイトは信憑性ないけど
まあ、ユダヤとは無関係なのは確か。
0656日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 05:50:13.55
普通に考えて韓国人でしょ。韓国人より中国人、て思いたいの?
0657日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 09:02:56.61
辰韓は『後漢書』に残る音写からするとシナチベット語族じゃないのか?
0658日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/06(木) 14:43:37.93
秦氏がユダヤ教徒であった可能性は高い。
4世紀末〜5世紀頃に景教はまだ中国に来ていないから、ユダヤ教からキリスト教徒への改宗者だったとは考えにくい。
この頃には、日本への交易ルートはアルタイ〜カザフ平原系が明確。
カスピ海北岸あたりを通って来たユダヤ教徒だろうな。
0659日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 00:00:32.72
>>656
朝鮮半島から色んな奴らが来てるのは間違いないけど、それが何人なのかは分からないと思うよ
朝鮮を通ればルート的に対馬経由して日本入りしやすいからね
0660日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 17:34:36.14
>>659
秦氏が渡来人であるのは間違いないし、その渡来人がトルコ語を話していたとすると、モンゴルより西から来た人だと確定して誤りはないな。
そして、そのトルコ語を話す渡来人である秦氏の周辺にはユダヤ教の影が濃いとなると、渡来時期の4世紀後半を考えた場合、かれらの出発地はカザフ平原より西の可能性が高くなるね。
0661日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 17:50:01.08
一神教にこだわってた気配がまるで無いから
せいぜいユダヤの知識があるという程度だと思う
0663日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 18:22:13.86
シルクロードやら朝鮮やら通ってくる人らは大抵ユダヤ知識あったんじゃないかね
0664腹本 勲
垢版 |
2019/06/07(金) 20:53:19.08
満州先生の新刊「馬韓も百済も満州にあった」が限定100部で発売中ですよ。
Amazonのみの発売なので、売り切れる前に君も買おう!
0665日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/07(金) 23:17:04.51
ユダヤ教徒じゃないと、旧約聖書のエピソードや幕屋などの知識はないのじゃないの。
みな、自分とこの宗教で手一杯だし。
ゾロアスター教徒が、ユダヤ教のエルサレムなんて感知しないと思うけどね。
0666日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/08(土) 00:14:59.05
無宗教のフラフラしてた人らはいなかったのかな。改宗する人だって良くいたのではないの。そこの土地の人間とうまくやっていくには宗教を含む文化を取り込まないといけないしね。
0667日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/08(土) 15:16:54.52
>>666 
日本に定着してから、日本の文化との折り合いをうまくつけたのかも。
ユダヤ教徒が自分たちの宗教をなかなか手放さなかったから、あちこちで摩擦が生じた。
しかしそれが、アニミズムの日本ではかれらの宗教はそれなりに認められて敵対的関係にならなかったので、かれらも融和的な在り方になったのだろう。
0669日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/08(土) 19:21:05.98
日ユ同祖論みたいなトンデモが蔓延する背景を知りたいね。
たぶん、時代によって、違ってきている。
もともとは、日本人にキリスト教を広めるために
生み出されたものだった。
しかし、最近は、日本人が中韓との類似性を否定するために
日ユ同祖論に飛びつくことによって
自分たちは中韓と違うんだと言いたいがために
飛びついているとしか思えない。
0670日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/08(土) 20:37:14.90
>>669
背景として、イスラエルが世界に散った同胞を探し出して、本国に迎えるという政策を取っていることがあるようだ。
失われた十支族の行方の研究についても、その政策の一環がみてとれる。
こうしたイスラエル側の動きが、新しいムーブメントの要因の一つを形作っているな。
かつてのトンデモ説とは異なるリアルさが加わったようだ。
0671腹本 勲
垢版 |
2019/06/08(土) 22:08:00.52
「満州先生の新刊が出たらしいぜ」
「それを先に言えよ! 早く買わなきゃ売り切れちまうじゃないか!」

≪「馬韓も百済も満州にあった」が限定100部で発売≫
0672日本@名無史さん
垢版 |
2019/06/09(日) 04:30:40.92
>>669
学者の皆さんにも根拠に欠けすぎてると言われてるアレか
イスラエル側も説の一つとして昔は有力視したみたいだけど結局根拠に乏しいってことで時間だけが経過してるよね
説としては面白いしロマンあるけど、絶対そうだそうに違いないと思い込んでる人たちは新興宗教じみてて気持ち悪い
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