>>175
蘇我連子の詳しい事績は分からない。
日本書紀では天智3年に「大紫蘇我連大臣薨」の記事があるのみ。
天智朝で大臣を務めていたことが分かることから蘇我宗家滅亡時には
中大兄皇子に近い立場で、兄の石川麻呂事件にも連座しなかったことは分かる。
尚、連子は天智天皇3年(664年)に没しており、壬申の乱のときには生きてなかった。
蘇我娼子の生年は分からないが、おそらく連子晩年の子。
娼子の第一子藤原武智麻呂が生まれたのが天武天皇9年(680年)と父連子の死から16年もたっているため、
藤原不比等と蘇我娼子の結婚はおそらく連子の死後とみられる。