摂関家の家格が平安中期からかたまりつつあった
という見方には賛成。
だけど遠い昔の蔭位の制の影響などではなく
ノウハウの有無の問題だと思う。
家柄だけは高く大臣を出せる村上源氏が外戚になっても摂関として君臨するのは無理。
何故ならば、摂関として切り盛りするノウハウの蓄積がないから。
長年摂関としてのノウハウを蓄積し、門外不出の日記(ノウハウの宝庫)を家宝としてもつ摂関家だから摂関家であり得た。
逆にいうとノウハウを伝授しうる圏内(摂関の孫)あたりまでなら摂関の地位を狙えたと思う。