大和朝廷においては、蘇我氏・物部氏・大伴氏などのほうが有力で、中臣氏
(藤原氏)はそれほど突出した勢力ではなかった。
その藤原氏が台頭し、蘇我氏・物部氏・大伴氏などの名族は、中央貴族から
姿を消した。
だから、その後台頭した新興勢力が中央貴族の中心となり、藤原氏が中央貴族
から姿を消してもおかしくなかったのでは? というのが、>>1の疑問なのだろう。

例えば、足利将軍家が摂関となり、山名・細川・一色・畠山などが公卿となって、
藤原氏をはじめとする中央貴族を朝廷から放逐してもおかしくなかった。
改元や暦の作成には特別な知識が必要だろうから、菅原氏や安倍氏だけ堂上家として
残せばいいだろう。地下官人たちも足利摂関体制のもと残してもよい。
だが、藤原氏や村上源氏は次第に朝廷から遠ざけることもできたはずだ。