国津神嫡流の諏訪氏について語る
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天皇家とは天照大神から続く「天津神」の子孫の嫡流である
では「天津神」の対極の存在である「国津神」の嫡流の子孫はどこか?
答は素戔嗚尊―大国主命―健御名方命と続く「諏訪家」である
諏訪家の男系は維持されているのかというと、諏訪大社の大祝家は断絶、大名家も女系になってしまっている 武蔵四宮・秩父神社の禰宜は守屋通夫さんという人。
諏訪の流れかね? >>27
護りに易く、攻めに難い山国信濃たればこその現象だな
人の流動性も非常に低く、時が停まったかのように何も変わらない 先住民の洩矢神が鉄の輪を持ち、侵攻してきた健御名方命が藤の蔦で戦った
という古事記とは違う伝承が残っているんだよね
その後、諏訪氏と守屋氏が共存して諏訪大社を支えたというのも興味深い 健御名方命は、諏訪に閉じ込められた。
であるならば、逃げ出さないように見張りが必要となる。
辰野の小野氏がそうなのか?
大神姓三輪氏が嫡流だよ。
神=ミワ=三輪
苗字と本姓が共にミワ(神)なんだし。
そもそも、朝廷が嫡流と認めているのが
諏訪氏ではなく三輪氏の方
朝廷が嫡流と認めているというソースは?
あと三輪氏が嫡流って何の嫡流?神姓の? 神姓の嫡流ってことじゃないか?
確かに、俺の地元でも神姓の古代氏族がいたんだけど
太田田根子を祖にしていたから大和の大神氏一族だわ
諏訪の神氏の一族は少ないけど
大和の大神氏の一族は全国各地にいるからな
諏訪なんかとは別格なんだわ
さらに言えば、大和の神氏は公式に神姓を名乗れたけど
諏訪は公式には金刺氏と名乗ったじゃん
格が違うんだよ 建御名方神の長男と洩矢神の長女の間に生まれた子が諏訪氏の祖先
洩矢神の長男が守矢氏の祖先
守矢氏は78代目で現在も続いてる 大国主命の嫡男は事代主と健御名方命
古事記に記載すらない庶子の太田田根子とじゃ格が違う 事代主と健御名方命が嫡流っていうソースは?
太田田根子は古事記にも出てくるんだが?
大神神社の神氏の真似をして
自分も神氏を名乗った諏訪氏こそが庶流だろ
大国主より大物主の方が格上なのじゃ
大神神社は元伊勢だが諏訪は元伊勢じゃないだろ?
天皇家の前の日本の支配者が誰なのか普通ならすぐにわかるだろ
諏訪信者が 諏訪氏は三輪氏の一族って位置だよね。
苗字をみればわかるよね、神(みわ)を継いでいるのがどちらかなんて。 >>38
国譲りの記述を見れば大国主命の子達の中で事代主と健御名方命が別格なのは明らかでしょうに
諏訪氏は三輪氏の庶流なんじゃなくて、祖がそもそも違うのだから別物でしょ
天孫族が天皇家の分家でないのと同じ 三輪氏の嫡流は現在何家となっているのでしょうか
また嫡流は男系で現代まで続いているのですか?
旗本になった諏訪家は全部で何家あったの?
その中に男系を維持できている一族がいるかもしれない 三輪氏も諏訪氏も出雲族が移住してきたのかね
なぜ出雲族は大和や州羽に移ってきたのだろうか なぜ諏訪に?あと自称大国主子孫の三輪氏が大和にいる理由って何よ? 10月はちょうど神無月だよ
出雲は日本全土を支配してた
大和に居ても不思議じゃない
出雲の大国主は国譲りの後、高層神殿に閉じ篭って
今の出雲国造はアメノホヒの子孫と言う事になってる
乗っ取られたと言う事だろう 記紀の記述を見たら、大国主が国譲りするかどうか聞いたのをみると
事代主のほうが嫡流ぽくて、
健御名方命のほうは有力な子息でも庶流ぽいけどな。
もしかしたら、事代主は嫡子だけど、健御名方命は庶兄だとか。
健御名方命は母方は越の出身なんだよね。
三輪氏と諏訪氏は、どちらが嫡流かどうかって
足利家と新田家のどちらが嫡流か聞くようなもんだと思う。
足利家と細川家ならば、明らかに足利家が嫡流で細川家は分家だけどw
足利家と新田家の場合、どちらが嫡流なのかは微妙。
歴史的経緯を見たら、
三輪氏を足利家に例えるのなら、諏訪氏は新田家に例えられる。
>>43
三輪氏の傍流ならば、天下を統一したよなw
まあ、自分の先祖は、放浪の源氏の入り婿でしたと偽称したけどw 大国主の後を母系で継承したのが、天火明命、天香語山命なんだけどねw
だから、男系では入れ替わったけど、大国主の天下を母系経由で
継承したのが、ヤマト王朝の王族ってわけで。
播磨国風土記などによると
大国主の王女の天道日女命の夫が天火明命であり、
大国主は、高天の天火明命に国譲りした。
だからこそ、天火明命は、別名、天照国照彦といわれる。
国譲りによって、天つ神と国つ神の両方の支配者になったという意味。
そして、彼の後は、嫡子の天香語山命が継承した。
彼は、父方が高天、母方が出雲であり、天神地祇合一の象徴。
そういう風に考えたら、天火明命の兄弟のニニギ命は、
出雲国譲りの直後、辺境の九州南部の高千穂へ飛ばされる。
そういう風に考えたら、天皇家は天孫の傍系だったと考えられる。 大国主命と三輪氏の祖である大田田根子の父・大物主は別人じゃなかったっけ? たぶん元々は関係ない。しかし古事記には『大国主神の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)』とある。
大神神社の由緒では『大国主神が自らの和魂を大物主神として祀った』とある。
日本書紀(の一書)には大国主の別名とある。古事記や日本書紀を否定するとそもそも国譲り神話自体を
否定する事になる。出雲風土記には無いので。それなので別人と言いにくい。 賀茂氏には天神系と地祇系があるが、松平はどちらかな? 賀茂氏は天神系・地祇系とか別系みたいに言ってるが、実はどちらも同根から分かれた氏族と思う。 家康は、関ヶ原に勝って甲斐信濃を回復すると、日根野を放逐して諏訪家を諏訪高島に戻してくれた。 地祇系の三輪氏族の貴族で、天神系の賀茂氏の一族に入り婿で入った人がいる。
大田田根子命のちょっと後の子孫だったと思うが...
その人が、地祇系の賀茂氏の祖。鴨氏ともいうが。。。
陰陽道の賀茂氏は、この地祇系の賀茂氏のことで、
松平氏はその末裔だったと思われる。
新撰姓氏録は、ちゃんと男系で系統の違いを分類している。
賀茂氏も天神系と地祇系で分けているし
葛城氏なんかも、もとは天神系だけど、武内スクネの末裔が入り婿にはいったので
その葛城氏だけは皇別系としている。
忌部氏なんかでも、入り婿がはいった系譜は、それ以外とは別系統としている。 >>53
大物主とは三輪山の神名で
三輪山は、大国主の仮の姿として信仰の対象だったのであろう。
大田田根子の父は、健飯賀田須命。
大田田根子は、
大国主から数えて9代目、事代主から数えて8代目の子孫とされていたと思う。
つまり、大田田根子は、三輪山を祭る神官だったと思われ
その先祖は、大国主ー事代主につながるとされていたであろう。
事代主の後から健飯賀田須命までは活躍が分かってないので
大田田根子が生まれたころは、かなり落ちぶれて
ひっそりの神官として生きていた一族だと思われる。 >>59
天神系の賀茂氏の祖は、賀茂建角身命。
神皇産霊尊系の貴族だと思われる。
実質的に最初の先祖は、天神玉命で、その孫あたりが賀茂建角身命だったのでは?と。
天神系の最高名門系は、高皇産霊尊裔氏系で
その次が神皇産霊尊系。
たぶん、これって、
ヤマト朝廷の譜代になった時期や王家との親しさの違いとかで分けているのかもね。
徳川幕府の譜代大名でも、松平系、安城譜代、岡崎譜代と分けていたけど。
高皇産霊尊裔氏系の場合は、ニニギ、天火明命の生母の一族だったわけだし。 確か武田信玄の側室が諏訪の姫で間にもうけた子が武田勝頼だっけ? 三輪氏族系って、実質的には大田田根子が初代だよな。
大国主とつながっているかどうかは分からんし。
三巻イリヒコ(崇神天皇)が抜擢したようなかんじで
大田田ネコと事代主の間の人物の業績は全然わかってない。
となるとやはり大国主命の嫡流は諏訪氏になるのかな
事代主の子孫いないし、三輪氏の祖は大国主命と別人らしいし
大国主は大物主を見て「誰だあいつ?」と言ったんだよなw
おそらく元は別々の地域で信仰されてた神様だが国家形成の中で同一なものにされていったのだろう
オオムナジも別の神様だと思われる 神武天皇の畿内での嫁さんの記述が
古事記と日本書紀では違うだろう?
そのへんが大きなヒントだと思う。
古事記のほうでは、神武さんは大物主の娘と結婚したとある。
一方、日本書紀のほうでは、神武さんは、事代主の娘と結婚したとある。
古事記のほうが正直で、日本書紀のほうは、政治的に作ったと思う。
だとしたら、
古事記のほうでは、神武天皇は、ただの三輪山(大物主)の神主の娘と結婚したが
日本書紀では、前の天下を牛耳っていた大国主の孫娘と結婚したことになる。
日本書紀のほうでは、大物主=大国主というふうに
政治的にする必要があったのでは? 足利家のほうが中央とのパイプが厚くて
新田家のほうは田舎でくすぶっていたのをみると
足利家=三輪氏、新田家=諏訪氏という例えは、分かり易い。
あと、系図を信じるのなら、三輪氏と諏訪氏の分岐は
大国主の子供の代だから、どちらが本家か分家か難しいしな。
足利家と新田家も、どちらが本家かどうかなんて判別難しい。
細川家、斯波家、畠山家などは、一応、足利家の分家だと思うし
里見家、世良田家、山名家も、一応、新田家の分家だと思うけど
三輪氏が出世したのは、大国主から8代後の子孫の大田田根子命からで、
その間は、くすぶっていて、何をしていたのかもわからん。
三輪氏は大田田根子命が実質的な初代。
だから、三輪氏と諏訪氏は、系図上は、大国主の息子の代で分かれているけど
その歴史的経緯を見たら、どこから、ずっと数代たって、世に出だした家系。
とくに三輪氏の場合はそうだし、諏訪氏も地方でくすぶっていたわけだし。 >>69
諏訪氏=岩松氏
三輪氏=松平氏
って感じだろう。新田で例えるなら 大国主命―健御名方命―伊豆早雄命―片倉辺命―恵奈武耳命
―水隈命―盛麿―豊麿―繁魚―清主
―【諏訪】有員―武方―為員―有盛―盛長―員頼
―頼平―有信―為信―為貞―敦貞―貞方―貞光
―敦光―敦忠―盛信―盛重―頼重―時継―信嗣
―信有―有継―信満―政満―頼満―満隣―頼忠
―頼水(藩主)
―頼弘 (大祝)
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/suwa_k.html >>68
>日本書紀のほうでは、大物主=大国主というふうに
>政治的にする必要があったのでは?
しかしそう書いてあるのは古事記の方だ。 大田田根子は大国主命の子供じゃないんだな
七千傑だけじゃなくHARIMAYAでも事代主の子孫という系図になっている
大国主命―事代主―天日方奇日方命―健飯勝命―健甕尻命―豊御気主命
―大御気主命―健飯賀田須命―大田田根子―大御気持命―大友主命―三輪氏へ
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02106.htm
http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_omiwa.html
大物主というのは、個人名ではなく、通称ぽい。
大国主とか、事代主とかも、そう。
鎌倉幕府の最大権力者に、鎌倉殿といったのと似ている。
だから、大国主と大物主は、もともとは別だったけど
大国主の一族か本人か何かが、大物主の地位も兼ねるようになったとか?
そんなかんじかな? 三輪氏が大国主命の子孫ってのは後付け臭いな
天津神系の最大対抗勢力の嫡流が出雲から朝廷のある大和に移り住み、政権近くで多大な権力持ってるのはおかしいだろ >>77
おかしく無い
大国主の勢力は日本全国と考えられるからな
国譲りをしたけれど
旧来の勢力の力を借りないと治世出来なかったとか
良く有る話し >>80のページにあるように、
大田田根子が、大国主や大物主の子孫であるというのは後付けぽい。
まず、大国主と大物主が同じなのか?という疑問もある。
大物主というのは、古事記や日本書紀でも何度も登場するが
姿が人間ではなかったり、それらは三輪山の神というふうになっているので、
これは、実在の人物ではなく、三輪山のことを表しているのであろう。
一方、大国主のほうは、出雲王朝の最後の当主なのであろう。
これは実在の人物のモデルであると思う。
古事記にもあるように、大田田根子は、
崇神天皇が探し出すまで、その存在は知られておらず、
自己申告で、自分は大物主の子孫だといっているだけ。
それも数代前の婆さんが見知らぬ男と愛し合って生まれた子供の子孫が
自分(大田田根子)であるとかw
そして、その見知らぬ男があとで調べたら三輪山の神様(大物主)だったとかw
そこから、大物主は実は大国主で、いつのまにか、大田田根子の子孫の
三輪氏族は、自分らは大国主の子孫という風に、後世、どんどん変えていったのであろう。 よって、三輪氏族ってのは、事実上、大田田根子が初代の人物。
それ以前の系譜に関しては、創作の可能性が大いにある。
うえで誰かが言っているが、松平家は自分たちは新田家の末裔だったと
いっているのに似ている。 大国主命は素戔嗚尊から三種の神器「生太刀、生弓矢、天詔琴」を奪ったんだよな
天皇家に三種の神器が伝えられたように、国津神嫡流にも神器が伝わっているんじゃないかな 諏訪家には真澄の鏡、八栄の鈴、御轡鞍の三種の神器が伝わっている
三輪家には伝わってないの? >>80の内容を見ても
三輪氏族系が大国主の末裔なのかどうか、かなり怪しいな。
松平家の新田氏系の徳阿弥伝説以上に怪しい。
実質、大田田根子が三輪氏族の初代という解釈で間違いないように思う。 諏訪氏が一番、嫡流を受け継いでいる感じだとは思うけど
でも、途中で婿養子が入って、男系では変わっている可能性もある。 >>89
幕末に高島藩主は婿養子を迎えたけど、それ以前は無かったんじゃないかな? 初代大祝で諏訪氏としても初代である諏訪有員を良く調べる必要あるな 大国主命が素戔嗚尊から奪った三種の神器って今どこにあるのですか? 三輪氏が大国主の末裔かどうか怪しいのと同じ位、諏訪氏が大国主の末裔というのも怪しい。
健御名方は本来大国主と関係無いんじゃないか?諏訪社の伝承には国譲りの件は無いんだし。 大国主命と奴奈河毘売の間に産まれたのが健御名方命というのは間違いないだろう
越の国にも伝承は伝わっているし
国譲りは大和朝廷側に都合よく書かれていて当然
諏訪側では逆に征服者としての伝承が残っているな 出雲〜古志〜糸魚川〜諏訪のルートだろうね
大国主命と健御名方命の親子関係は間違いないと思われる 硬玉の翡翠の産地は糸魚川のみ
出雲大社にも翡翠の勾玉が残ることから同盟関係にはあったのだろう 糸魚川の翡翠はかなり広範囲から出てるはず。
物流の証拠にはなっても同盟は如何なものか? 守矢氏は何千年も侵略者の諏訪氏をたててきた。
これってすごいよね。
なんでとってかわろうとしなかったんだろう。
出雲と糸魚川双方に大国主命と奴奈川姫が結婚し、健御名方命が産まれたというで伝承残っている
古事記にも同じ記述 >>99
征服はしたが、守矢氏や金刺氏を滅亡に追い込むのではなく神官として存続させてきた
これもまたすごい事だと思う
出雲という先進国と洲羽じゃ圧倒的な軍事力の差があったにもかかわらずだ 大国主命の第一子の木俣神(性別不明)には子孫いないのかね
あと国譲りのとき事代主と健御名方命だけが大国主命から指名されたのは何故だろう ヤマトタケルが討伐したイズモタケルって出雲の首長だったわけだし、大国主命の血筋なんではないかな?
天津神が神器をもっているのは
降臨したと言う証拠を示すため
国津神に神器は無いな それを大国主は代々継承したのか?
少なくとも諏訪に逃げた建御名方は持ってないと思うが
国を譲ったのに出雲に神器は残ったとかも無いだろう 諏訪には真澄の鏡、八栄の鈴、御轡鞍の三種の神器が実在していたな
由来は知らんが >>81
それだと三輪氏の系図(自称だが)で八重事代主が二代目になってる説明がつかないな
事代主は古事記で両親ともはっきりしていた訳だし
つまり三輪氏が大国主命の子孫というのは後付け 大国主の子が事代主で
事代主の娘がヒメタタライスズヒメ(神武天皇の嫁)
つまり政略結婚
嫡流は追放し、娘を嫁にした
まあ良心的な侵略者だな ヒメタタライスズヒメは「三輪大物主」の娘
大国主命や事代主とは何の関係もない
ある意味自作自演 >>113
天皇によって編纂された日本書紀が
大物主は大国主の別名としてるのだが 古事記によれば
「オホモノヌシの神がスヱツミミの命の女のイクタマヨリ姫と結婚して生んだ子はクシミカタの命です。
その子がイヒカタスミの命、その子がタケミカヅチの命、」
タケミカヅチはオホモノヌシの子孫 >>112
ヒメタタライスズヒメは大物主とやらの娘かもしれないが、大国主命とは親子関係ないだろ
天孫降臨から神武天皇までの世代を考えると時代が合わない
大国主と大物主は別物で、三輪氏は出雲族とは無関係 >>112
ヒメタタライスズヒメは大物主とやらの娘かもしれないが、大国主命とは親子関係ないだろ
天孫降臨から神武天皇までの世代を考えると時代が合わない
大国主と大物主は別物で、三輪氏は出雲族とは無関係 >>115
タケミカヅチはカグツチの血から産まれた天津神だろ
めちゃくちゃだな >>113
日本書紀と古事記では、記述が違う。
それは、神武さんの近畿での嫁さんの出自について。
古事記のほうでは、大物主の娘ということになっているけど
日本書紀のほうでは、大国主の子の事代主の娘となっている。
どちらが正しいかは分からんけど、普通に古い古事記のほうが正しいのでは?
大国主と大物主は、本来は別だったのが、いつのまにか、同一視されたらしいし。
つまり、後に政治的に作られた日本書紀では、
神武の嫁さんは、出雲の大国主の系統ということにしたかった。
しかしながら、実際は、神武の嫁さんは、三輪山の大物主の娘で
大国主の後胤ではなかった。
ヤマト朝廷の正統性は、出雲国譲りにあるわけで、
出雲から譲られたことが前提だったので、日本書紀では、
神武の嫁さんを、出雲の大国主の孫娘にする必要があった。 一方、出雲国譲りの時、つまり、神武東征よりも三代くらい前に
出雲の大国主の娘を妻にむかえて、その大国主から天下を譲られた男がいる。
ようするに、出雲国譲りを実現させた主役の男ということだ。
それは、播磨国風土記、旧事本紀、海部氏系図にも記載がある。
その男とは、天火明命のこと。
通称を天照国照彦という。天津神と国つ神の両方の支配者という意味だ。
彼の正室は、天道日女命といって、大国主の娘だった。
つまり、出雲国譲りとは、大国主が義理の息子(娘婿)の天火明命に
天下を譲ったという真相もあった。
だからこそ、ニニギの後胤である神武皇統の天皇家は、
神武の近畿での正室の嫁さんの父親の大物主を
大国主や事代主と同一視したかったのが分かる。 諏訪大社の大祝は天皇以外では唯一の現人神だった
明治の国家神道の中で廃止されてしまい、家系も断絶。
分家の存在は不明だが実に嘆かわしいな 大田田根子の父親がタケミカヅチという古事記の矛盾が生じているな
またヤマトトトヒモモソヒメ(七代孝霊天皇の娘で箸墓古墳に埋葬されている)が大物主(と後で知った)
との間に産んだ子が事代主、その後裔が大田田根子
という国譲りと全く時代 が合わない矛盾もある
天津神の子孫が国津神の先祖に国譲りを迫るという摩訶不思議な話
古事記作成の中で三輪氏の恣意的なものがあったのだろう 古事記と言うより崇神天皇の影響でないかな
出雲も三輪もその時にすり替えられた感じがする
建御雷神の子と言うのは有り得ない >>122
大物主は顔を見たことないけど、実はヘビだったという話だから
要するに、モモソ媛命は、独身の巫女で
三輪山につかえる巫女だった。
大物主という人間と結婚したわけではなく
三輪山の祭祀を行う女性だったということでしょう?
今でも、夜中に宮中祭祀をするけど、その時、
天皇は神様と合体するわけだからw
それと似たようなことをやっていたんでしょう?モモソ媛命は。
天皇は子供産まないだろw
矛盾だらけの三輪伝説と訳が違う 三輪氏は大国主命の子孫でないし、出雲族とも無関係な古代の有力氏族
というのが結論だろうね 古事記に記載のある謎の系図。大国主命の神裔としてはここが嫡流かもしれない
大国主命―鳥鳴海神―国忍富神―速甕之多気佐波夜遅奴美神―甕主日子神―多比理岐志麻流美神
―美呂波神―布忍富鳥鳴海神―天日腹大科度美神―遠津山岬多良斯神―・・・
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