国津神嫡流の諏訪氏について語る
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建御名方尊は大国主尊の次男だろ?
出雲の支配地は奈良、近江、美濃、諏訪まで
広がっていたから大国主と呼ばれていた。 【 &⇒ふ 】 御用学者が漢字由来と捏造中のカナ文字、実は <へブル文字> だと知ってましたか?
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1532140889/l50
『 ふ 』って変な文字だね? 本当に日本語かな? 諏訪大社と出雲大社は鹿の首を神に奉納する殷の祭祀を引き継いでいる。
出雲に定住した殷の一族で箕子朝鮮の準王の末裔は、荒脛巾の諏訪氏と
婚姻により連合国家を作り、奈良の土蜘蛛とも婚姻で連合している。
さらに美濃・近江・若狭他のあちこちにも連合国家を作った。
そこで大連合国家の盟主は代々大国主尊と呼ばれて尊敬を集めた。 名字が神の人は諏訪氏か三輪氏の子孫の可能性が高いの? >>477
出雲の支配地域全体を大国と呼んだんだよ >>481
@出雲大社から出た諏訪神家の子孫。
A三輪氏と起源をともにする。三輪氏族の子孫が神氏を呼称。神の鎮座地などが由来。
B後世には中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)の神氏もみられる。 >>485
諏訪氏も三輪氏も同族みたいなもんじゃないの? 諏訪氏はピュアな縄文系で
三輪氏は大国主の神官だから半分は中国入ってる >>488
海軍の神少将は鹿児島じゃねーか、バカヤロー 諏訪氏の子孫は残ってないの?
神さんはやはり諏訪氏の子孫? 神姓は1万4000人もいるみたいだけど
まだ一人も会ったことないな >>499
諏訪氏は清和源氏を称してたし
そういう説もある ○○源氏なんて後の時代の箔付けでしかないでしょ
諏訪氏の方が清和天皇より古いと思うよ 諏訪氏は殷王朝とも交流してたから5000年単位
そこまで古いのはアジアでも10系統ないんじゃないかな
周王朝系殷王朝系
いまのすめらみことが九州ウガヤ系だとしたら同じくらいの古さ >>496
その中でも激レアなのが神(みわ)さん。
本当にいるのかどうかも分からない。 神姓が諏訪氏の子孫だとすると
いつ頃別れた家系なんだろうな? 家康の麾下にいた旗本の神忠次なんかは間違いなく諏訪氏の末裔だな
諏訪氏の通字の「忠」も受け継いでるし なんで神の名字な青森に多いんだろうか?
諏訪氏の流れなら長野に全然いないのも変だ。 ルーツが違うんじゃないかな?青森北海道あたりの神氏 調べたらすぐ出てきた
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11176973821
>由来は門(かど)の神、にもとづくもので、青森の一部の地域にあります。
>すべて庶民ですので、地域性によるだけで、先祖は関係ないようです。
だそう。
都会に居るのも明治以降に出稼ぎに出てきた神さんかもしれない
うちの親もそうだけど東北の人相当都会に移り住んでるからね
長野周辺に居る少数の神さん(ランキングサイトのデータでは20軒、実際もっといるとは思うけど)は諏訪の神さんだろうけど >>520
鎌倉時代に東北討伐をした南部氏の家臣に神がいる 諏訪
全国順位 695位
全国人数 およそ28,300人
@現長野県である信濃国諏訪郡が起源(ルーツ)である、諏訪神子孫の天下の大族、
A文殊子孫。
B敏達帝子孫。
C平氏説。
等もみられる。
全国に広く分布している。 諏訪氏(すわし/すわうじ)は、日本の氏族の一つ。諏訪大社上社の大祝(おおほうり)、または信濃国諏訪郡の領主を司った家柄である。神氏(みわし/じんし)とも。
中世以降の通字は「頼」(より)。ただし、江戸時代以降の諏訪藩主家は「忠」(ただ)を通字としている。 神氏(諏訪氏、神人部氏)は代々、諏訪大社上社の大祝を務めてきた一族である。
出自については諸説あり、大神氏または金刺氏の支流と考えられている(詳細は後述)。一説では洲羽国造を務めていた氏族ともされている。
家伝では諏訪大社の祭神・建御名方神(諏訪明神)あるいはその神に選定された童男に始まるという。
後世には桓武天皇を祖とするとも清和源氏の源満快を祖とするとも称したが、皇胤や摂関家をはじめとする公卿の末裔を称する武家が多い中で祭神の血筋を称しながら極めて尊貴な血筋としてとらえられた特異な家系といえる。
諏訪氏は武士と神官双方の性格を合わせ持ち、武士としては源氏、執権北条氏の御内人、南朝方の武将、足利将軍家の奉公衆を務めるなど、ごく一般的国人領主である。
しかし、大祝としては信濃国および諏訪神社を観請した地においては絶対的神秘性をもってとらえられた。信濃国一宮として朝廷からも重んじられたこともあるが、諏訪明神が軍神であることから、古くから武人の尊崇を受けていたことも大きく影響している。
故に諏訪大社の祭神の系譜を称し、上社最高の神職である大祝を継承し、大祝をして自身の肉体を祭神に供する体裁をとることで、諏訪氏は絶対的な神秘性を備えるようになったといえる。
代々の諏訪氏当主は安芸守などの受領名を称したが、大祝の身体をもって諏訪明神の神体とされることで正一位の神階を有し、高い権威を誇示した。
宗旨は曹洞宗。菩提寺は温泉寺 (長野県諏訪市)、宗湖寺(茅野市)、頼岳寺(茅野市)、吉祥寺(東京都文京区)など。 自分が神とつく名字だから、
こじつけようと必死だな。
どんな名字も遡ればみなそんな由来
だからといってその古代の由来が藩主でも大宮司でもないお前らに直接起因なんてするわけがない
諏訪も地域では非差別のとこもある
あくまで藩主に連なる核がそうだというだけ。
勝手にすべてのこの名字のやつがそうだとこじつけようとする気違いはやめるべき >>536
俺がいつ必死になった?
なんか勘違いしてるようだが なってんじゃん、今ですら
灯台もと暗しはお前みたいなのから出来た言葉と勉強になるわ
材料ありがとう >自分が神とつく名字だから、
>こじつけようと必死だな。
このスレ民の名字が神ってのの根拠は?
脳内妄想全開で決めつけちゃって必死じゃない? >>538
まともに会話もできてない基地外だったか… 自己弁護が酷いなあ
少しは自分を見つめ直す機会となることを祈るよ >>541
言っておくが俺はただの一度も名字云々の話はしてないからな
お前が勝手に妄想を繰り広げているだけのこと
少しは自分を見つめ直す機会となることを祈るよ そうか、
ただ、神は、諏訪は、○○
てあたかも諏訪は全てそう的な話ぶりだったから、私がそう思ってしまったのかもしれない
誤解があったなら訂正しよう、神さん 諏訪って地味に老中出してるんだな
松平定信の外孫だからという理由で >>553
賀来氏(かくし)は、豊後大神氏一門戸次氏または佐伯氏の支流で、12世紀に現在の大分県大分市賀来の地(豊後国賀来荘)を本貫とした一族である。 江戸時代に諏訪家は本姓をなんと名乗ってたんだ?
神氏?金刺?源氏?平氏? 諏訪氏みたいに出自が曖昧なのに、
神秘性をもって地方では権威があった氏族は珍しい。 源平藤橘よりも古豪なんだから詐称しないのなら
そのままが氏でしょ 567
武田信玄と諏訪頼重の娘から生まれたのが武田勝頼だろ
勝頼の元の名は神 四郎 勝頼
神氏自体の一族が名乗っていた姓が諏訪氏、高遠氏
諏訪谷を拠点に栄えた一族やよ 戦国時代の諏訪の名跡を継ぐやつが神氏の宗主の血統として栄えた一族 三輪(神)氏って名跡の名残りがあるな伊勢あたりやないかい?
諏訪にきてから諏訪姓を名残ったと言われる
つまり祖先らが大和や伊勢あたりに住んでいた時代に名乗っていた姓が三輪(神)氏
三輪氏は藤原氏なんかよりはるかに古い神代からある氏族の姓やで そいから大国主って?
それを歴史的事実と捉える現実なんかないぞ 天皇家より藤原氏のが古いんだよ
さらにその藤原氏より古いのが三輪氏 >>567の意味は
現在、名字としての神(みわ)さんは実在するのかという意味です。 アマテラスの男系男子=Y-D1a2系
ツクヨミの男系男子=Y-O2a2系
スサノオの男系男子=Y-C2c1系 >>365
その通りだよ
乾燥大麻を絞って有効成分を抽出した後の残りが注連縄になった 使用のために抽出した後の大麻〆縄でも虫よけ効果あったからね 藤原創始は初代が藤原不比等やからな
中臣鎌子が藤原鎌足名乗った事績あったっけ? 581
三輪氏だよ
神氏と書いてみわ氏とも読む
ジンて使う場合もあるがどちらも諏訪氏のこと 鎌倉時代だって諏訪は宗教的な信仰の中心地やもん
天皇家ですら手はだせないわ
天皇家より古い時代から存在しとるでな 藤原朝臣て書いた石碑が群馬から出たろ
藤原朝臣て名乗ったのは藤原不比等しかいないだ
そんで藤原不比等は持統女帝の政権基盤を築いた参謀って呼ばれてるだ
不比等に命令出せるのは持統女帝だけ
この功績により藤原氏が台頭した >>583
諏訪氏の子孫が神(じん)で、
三輪氏の子孫が神(みわ)かと思ってた。 >>582
藤原鎌足が中臣鎌子を名乗った事ならある 三輪姓の名残りは伊勢大和あたりにあるわな
諏訪では初めから諏訪だしな、その系列に高遠氏がいる 藤原朝臣名碑もでたろ
藤原朝臣つまり藤原不比等に命令だせるの持統天皇だけなんだな 諏訪明神の御神体、タケミナカタ神だろ
諏訪系祀ってるとこはこれが御本尊だったんだわな
大国主神の子供がタケミナカタ >>590
南部光行に同行した家臣の中に神氏が居たから、恐らくその子孫だろう。 諏訪氏は本当は金刺氏という説もある。本当に謎の氏族。 蘇我馬子の命令で大神比義(おおみわひさよし)が豊後に入ったとあるが?
西暦568年 まあ古代氏族やからぬ
まだ源氏も平氏も藤原氏もいない時代の話 宇佐八幡にからむ伝説が存在するなこの大神比義の話があるからなんだとさ 日本書記が書かれたんが800年ころだべ
つまり230年後だ
豊後にいたな大伴氏だよな
230年前の大神比義の話は当時の連中ら知っていたんじゃね?
そんときは大神よし 大神良臣って人物がいたらしいが朝廷から大神朝臣てのもらったんだとさ だいたい古墳時代を代表する古代氏族どんなんがいたか知ったるか?
蘇我氏、物部氏、、三輪氏=大神氏、吉備氏、毛野氏、秦氏、中臣氏(後の藤原氏)、太氏(多氏、飯富氏のこと)あたりが名前が残ってるだ
漢(あや)氏ってのは蘇我氏の被官として仕えていた loserの将棋ブログ読み聞かせボイスきちゃああああああ 613
知ら〜ん
諏訪の名称が有名になるの戦国時代やからな 鎌倉時代の北条氏が真っ先に盟約結んだのもそいや〜諏訪やったな
北条の落人は諏訪に逃げていただよ 諏訪氏あたりの力を借りて信濃で挙兵
そんで足利が支配していた鎌倉にそのあと進撃した
そのあとは南朝の後醍醐天皇が足利尊氏と戦っていたろ
南朝方に下り南朝武将として北朝と戦ってた 北畠顕家が南朝方武将として各地を転戦したでしょ
こんとき顕家の武将として参戦していたのが東北の伊達氏、そんで一緒に武将として同伴していたのが執権北条高時の子供の北条時行
顕家軍が瓦解したのと同時に行方不明 伊達氏は南朝方だったがそのあとは東北で逼塞
京都の将軍家と鎌倉御所(将軍家の弟の家系)の争いが京都と関東の間で起こった争い
そんときは将軍家の方に付いてそのまま戦国時代入り
足利将軍家と同族の出羽管領最上氏や陸奥管領の大崎氏らと争った こんときに京都将軍家に申請して陸奥守護職もらっただ
守護と管領の争いになったんだな 源氏と平氏と言えども元を辿れば天皇家なんたら言ったらまた変な妄想抱くんだろが別系図を辿ったてだけで天皇家と格的には同格なんだよ
つまり皇族王として独立政権を主張すればそれは認められる 地味すぎるって?
バカなんじゃねこいつ
625
日本語ですがな
なんで意味が分からないのか不思議ですが? 仮冒と判明したならそいつら抹殺でよい話よな(╹◡╹) そいから宗像氏って?
それ五島列島あたりの話じゃないの?
平氏か源氏どちらかに連なるならまだ凄いがな 天皇家と源氏と平氏
血統的にはどれも同格なんだよ(╹◡╹) 624日本@名無史さん2020/01/17(金) 22:47:42.03
源氏と平氏と言えども元を辿れば天皇家なんたら言ったらまた変な妄想抱くんだろが別系図を辿ったてだけで天皇家と格的には同格なんだよ
つまり皇族王として独立政権を主張すればそれは認められる 今どきこんな(╹◡╹)顔文字書いてくるとかオタクってすげえな 諏訪氏が諏訪名乗る前の名乗りが
神氏(じんし!か、みわし!か知らんが)でしょ
豊後(大分県)に蘇我馬子の命令で行ったのが大神氏(おおみわし)でな
普通に考えるなら大和(やまと)にいたときの名乗りが三輪氏(みわし)だろ
三輪山、崇神天皇の伝承ある地じゃん 諏訪氏を名乗る前に諏訪の地で名乗ってたんが神氏でよいんか?
諏訪の名前が出るの戦国時代やからな〜 姓がそのまんま
神
そんで
神 頼高 だの 神 頼綱 だのってだいだい名乗っていたわけやな 641
豊後に下向した大神比義(おおみわひさよし)が三輪氏の一族だって話だろ >>646
いや、俺の名字は神だからまだ広い意味では終わっていない。 断然したんか?
西暦568年
蘇我馬子一大神比義
西暦888年
清和天皇一大神良臣
それぞれ使えていた主従関係 アボンしちまったな
それぞれの主従関係
西暦568年
主君、蘇我馬子一家臣、大神比義
西暦888年
主君、清和天皇一家臣、大神良臣 自分の名字「風間」なんだけど諏訪氏の子孫なのかな? >>647
神は藤原氏の末裔も名乗ってるからな
スサノオ→大国主→お前であることを証明する何かを持ってるのか? 諏訪家の男系子孫は養子に出された子孫が残ってそうだけどな 諏訪家が断絶したのは実に惜しい。
日本史の中で間違い無く悲劇である。 >>664
そこから更に養子縁組繰り返して
諏訪家はもはや雑系と化している 諏訪家はどうせなら島津家から養子を迎えれば良かった。 >>667
渡来系に乗っ取られることになるじゃないか あれ?😃藤原を仮冒した連中らってのもいるのかい?
あんな戦いに弱い弱者の家名なんか名乗ってるんかい? だいたい反乱起こして負けて武将として軍を率いたら負けて戦国乱世なら間違いなく滅亡真っしぐらの家系名乗ってるんかい? すげ〜な〜
源平くらいしか戦いの天才や英雄現れないのによ あの人らは権威とか貴族とかであり続けることができるから生き残れるわけでな 藤原氏の場合、武将としてはほとんど残ってないんだぞ
全滅率90パ超えや 武将として強いってならやっぱ平氏強いわ😃
源氏の連中らも強いがどっちもな >>671
神姓の人で男系で諏訪氏の流れを汲む人は今でもいると思う
特に青森あたりは神の名字が多い
南部光行が信濃から陸奥へ移った際に神という武士も同行している もしかしたら仙台藩の家老を務めた諏訪家の子孫が残ってるかもしれん 私の名字は諏方です
当たり前ですが諏訪氏とは何の関係もありません 偽物だから滅んだんやで
本物は今もずっと隠れてるぞ
カミノオオキミ
カモオオミカミ カモノオオミカミ
カモノオオキミ
国譲りを迫った天皇側と同じくオオミカミ、オオキミと称されてる血統が本物やで
キミ?カミ?オオカミ?全部偽物やで | / \, ∨ || || .|| .|| .|| .||
,, ,,, ,,,, |  ̄ ̄~~ || || .|| .|| .|| .||
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∧,,_∧ ∧,,_∧ ∧,,_∧ ∧,,_∧.|| .|| .|| 湧いて出てくるな・・・
<#`Д´><#`Д´><*`∀´><#`Д´>l=||=|| ____
∧,,_∧ ∧,,_∧ ∧,,_∧ ∧,,_∧ .|| .|| .|| ヽ=@=ノ ∧_∧
<*`∀´><#`Д´><#`Д´><#`Д´>|| .|| .|| (´⊂_`;) <`Д´# >
∧,,_∧ ∧,,_∧ ∧,,_∧ ∧,,_∧∪.|| .|| .|| ( y つ∝∝∝⊂)⊂) )
<#`Д´><*`∀´><#`Д´><#`Д´> 、!!、|| .|| | | | | | |
(∪ ∪ (∪ ∪ (∪ ∪(∪ ∪'.;'\!!、|| (_(__) 〈_〈__〉 ┌─┐
│先│
│祖│
│代│
│々│ . /⌒ヽウタメニダ〜
│ば│ / `∀´>
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│| 三三 |│
 ̄.凸( ̄)凸 ̄ 俺の名字は大神(おおみわ)だけど、
大神氏や諏訪氏の子孫なんだろうか? ,___
o'⌒) `ヽ
(i:i:i:i:i:☆i:i) 朝鮮ヒトモドキの良い所を3つ言え
( ´・ω・)
( ∽) (~)
) ノ γ´⌒`ヽ
(_ {i:i:i:i:i:i:i:i:} えっと、、、
[il=li] (ω・` ) マ○コが・・・
)=(_ (:::::::∪) キモチイイ
(-==-) し─J くらいかな
`ー‐'' >>690
大神なら大神氏の方が可能性が高いだろう
少なくとも諏訪氏ではない 諏訪神タケミナカタは出雲神オオクニヌシの息子
天津神タケミカヅチが出雲で国譲り迫った時、
オオクニヌシはそれに従ったが、息子のタケミナカタは従わずタケミカヅチに戦い挑んだ
が、敗れて諏訪まで逃げて殺されそうになったが、
諏訪から出ません!といって命救われた 諏訪は大祝が現人神を名乗ったりとか昔から胡散臭いというか尊大な神社ではあったな
やっぱ歴史が古いし大和系の神に敵対した神が祭神だったから
どこか朝廷に対抗してるような所があったのだろうか 俺のうちは常陸国だが、代々諏訪の氏子で家紋も丸に梶の葉。
もしや、諏訪神族の末流だったりしてと思って今自分の家系を調査中。
多分、諏訪神族であったとしても、嫡流の諏訪子爵家とは何百年もかなり前から離れていることになるが。 諏訪神社は古代ユダヤ(現在のユダヤ教とは違う本物)の風習に則って祭祀が行われている
古来から日本の神獣とされている「鹿」は
古代イスラムの神獣でもある
古代から伝わる諏訪神社の祭祀では
鹿の生首を数十個並べるという儀式があった
(最近は動物愛護的な意味かやらなくなった)
古代ユダヤの儀式と同じである
御柱祭も同じである 諏訪で少年が行方不明になった事件があった。
行方不明の間に記憶喪失の少年に食事を与えた幻覚をみた人がいたり各地で目撃証言があったが、後にすべて虚言や間違いであるとされている。
そして捜査もしたはずの諏訪湖から遺体は見つかる。
珍しく美しい御神渡りのあった年であった。
少年が不明になったのは凍る直前であり、遺体は御神渡り直後に発見されている。
古くから生贄を必要とする歳神のいる土地であった、現代での実話である。 あ、
茨城県の諏訪氏さん、
いらっしゃるんだ。
俺、
ワールドメイトという宗教で、
諏訪神の由来である、
素戔嗚尊だと言われてるんだが、
本籍が、
茨城県日立市諏訪町なんだよな。
もしかしたら、
直接的には、
諏訪神なのかもしれない。
諏訪神って、
長崎肥前国一之宮、
諏訪神社など、
全国的にあって、
風の神とされている。 諏訪さん何て全国に掃いて捨てるほどいるな
本当の諏訪氏の子孫は絶滅したんだよ 諏訪大社って何でこんなにスピリチュアルな奴等を引き寄せるんだろう。 諏訪大社は数年前に初めて行ったが、それまでは一つの神社がドーンって建ってるのかと思ってた
実際行ってみると諏訪湖を囲むように四つの社に分かれててそれら纏めて諏訪大社と呼んでいることを知った ミシャグジ信仰は本当に興味深い。
諏訪大社にも関わりがあるしな。 . ¶ (´⌒;;)
|| llll 馬鹿チョンコ!
|], ∧日∧ 糞食いや糞酒なんて止めろ!
|] (`ω´# ) 大日本帝国民になりたいんだろう?
人 [||と // )
(._ ). Д | | |
(__ ) (_(_.)
。゚<;゚`Д⊂ヽ
( ) ウリの唯一の楽しみを奪う日帝はなんて酷い奴等ニダ!! アイゴー!!
でも日本人名カッコ良いから名乗りたいニダ
1,200年も奴隷国家だったから宗主国風の名だったニダ
アイゴー! アイゴー!
∧_,,∧ アイゴー! 。 ∧_,,∧ 。
〃,<;∩Д´> :∧,,_∧: < ゚`Д⊂ヽ
/(_ノ ィ \ :<、 ⌒ヽo: ( ノ
⊂こ_)_)`ヽつ :(_,,ィ、__つつ ム_)_) 御柱祭って毎回死者が出てるんだよな
それでも諏訪人は祭を続けている
実に凄い覚悟だ 大名家は男系途絶えた。旗本は3家位あったが残っていないのかな? そう言えば、守矢氏って大名家の諏訪氏に分家が仕えてたりしたのかな。
家臣構造がどうなってたとか読んだことがない。 ぜってえどっかのバカが勝手に勘違いして言い出したのが始まりだぞ
シナあたりくせえと思いんだがな
やつら女ら使って家系を盗むだのやりそおだからな😊
バカだからよ
そいつらがやってるの他国の歴史破壊と同じことをやってるわけよ
その代価はそいつらの死をもって償ってもらおうや😀 やつら大量に殺しても構わねえわ
歴史に泥を塗ってるんと同じだからな 諏訪湖が凍って氷が盛り上がる御神渡りってやつ
あれ建御名方が建御雷神に掴みかかったとき、建御雷神の腕が氷の刀になったっていうのと関係してんじゃない? ◆六国史終了時の神階・延喜式神名帳によるランク◆
━━ 別格(S) ━━
伊勢神宮(三重)
━━ 神宮と名乗れる(A) ━━
鹿島神宮(茨城・正一位勲一等)、香取神宮(千葉・正一位勲一等)
━━ 正一位勲一等/一品(B) ━━
賀茂別雷神社(京都)、賀茂御祖神社(京都)、春日大社(奈良)、宇佐神宮(大分・一品)、伊弉諾神宮(兵庫・一品)
━━ 正一位(C) ━━
松尾大社(京都)、平野神社(京都)、大名持神社(奈良)、大神神社(奈良)、石上神宮(奈良)、枚岡神社(大阪)、日吉大社(滋賀)
━━ 従一位(D) ━━
葛木御歳神社(奈良)、高鴨神社(奈良)、宗像神社(奈良)、大和大国魂神社(兵庫)、住吉大社(大阪)、廣田神社(兵庫)
諏訪大社(長野・建御名方富命神)、氣比神宮(福井)、気多大社(石川)、高良大社(福岡)
━━ 正二位(E) ━━
月読神社(京都)、多度大社(三重)、熱田神宮(愛知)、南宮大社(岐阜)、諏訪大社(長野・建御名方富命前八坂刀自命神)、宇都宮二荒山神社(栃木)
日光二荒山神社(栃木)若狭彦神社(福井)、熊野大社(島根)、出雲大社(島根)、熊野速玉大社(和歌山)、大山祇神社(愛媛)、宗像大社(福岡)、阿蘇神社(熊本)
━━ 従二位以下(F) ━━
その他 石上宮は?
かなりえこひいきみたいのが見えるな
選んでたメンツの好みがでたんだろお ◆近代社格制度によるランク◆
━━ 別格(S) ━━
伊勢神宮(三重)
━━ 勅祭社・官幣大社(A) ━━
鹿島神宮(茨城)、香取神宮(千葉)、氷川神社(埼玉)、明治神宮(東京)、熱田神宮(愛知)、近江神宮(滋賀)、上賀茂神社(京都)、下鴨神社(京都)
石清水八幡宮(京都)、平安神宮(京都)、春日大社(奈良)、橿原神宮(奈良)、出雲大社(島根)、香椎宮(福岡)、宇佐神宮(大分)
━━ 勅祭社(A-) ━━
靖国神社(東京)
━━ 二十二社・官幣大社(B) ━━
松尾大社(京都)、平野神社(京都)、伏見稲荷大社(京都)、大神神社(奈良)、石上神宮(奈良)、大和神社(奈良)、廣瀬大社(奈良)
龍田大社(奈良)、住吉大社(大阪)、日吉大社(滋賀)、廣田神社(兵庫)、八坂神社(京都)、丹生川上神社(奈良)
━━ 二十二社(B-) ━━
大原野神社(京都)、梅宮大社(京都)、吉田神社(京都)、北野天満宮(京都)、貴船神社(京都)
━━ 官幣大社(C) ━━
札幌、月山、安房、日枝、三嶋、浅間、諏訪、気比、建部、多賀、国懸・日前、竈山、熊野本宮、熊野速玉、丹生都比売
白峯、吉野、枚岡、大鳥、生国魂、水無瀬、伊弉諾、赤間、宗像(福岡)、筥崎、阿蘇、宮崎、鵜戸、霧島、鹿児島
━━ 国幣大社(D) ━━
気多大社(石川)、南宮大社(岐阜)、多度大社(三重)、熊野大社(島根)、大山祇神社(愛媛)、高良大社(福岡)
━━ 官幣中社以下(E) ━━
その他 >>690
関係あるかもしれないね
神って書いて「みわ」と呼ぶ
諏訪の御神渡りも「御みわ渡り」と言う
たぶん物部で繋がると思うよ >>697
御柱祭をする時に神を降ろす依り代として少年に神を降ろすんだけど
その神を降ろされた少年は祭りが終わると行方不明になったり原因不明で死んでたりという事が多い
多いというより毎回そうなった
という伝説はある
今は少年を柱に縛る祭りと同じように少年に神を降ろす事もやってないと思うが
明治維新で国有化されて諏訪本家も神家一党三十三氏も神社界から出たので
復帰した人も居るけど、やっぱり明治維新でだいぶ変わったんじゃないのかね >>12
大国主の嫡男はタケミナカタと考えて良いんじゃないかね
大国主の出雲大社とタケミナカタの諏訪大社と皇室
この三系統だけが現人神として成立してきたし >>681>>698
たぶん純度の高い諏訪家だね
苗字なんか庶民が持てるようになったのは明治時代だからな
しかも勝手に名乗って良いタイプの苗字じゃないし >>11
難しいね
諏訪本家と大祝家を兼任した時代もあるし
別々だった時代もあったよね
ただ、大祝を継承してしまうと諏訪から出られなくなるので
その時は大名自身が戦争へ出かける事が出来なくなるから、自分の子息や支族である神家一党三十三氏の代表者に諏訪の軍勢を率いらせたりしたようなので
兼任しちゃうとだいぶ不自由になったんだろうな >>663
断絶と言えるかどうか結構微妙だね
大祝も皇室と同じで血族が継承したケースもある
皇室で言えば宮家みたいな
藤沢政頼が大祝になってる
その諏訪氏の血族も神家一党三十三氏って普通に増殖してるし >>694
>やっぱ歴史が古いし大和系の神に敵対した神が祭神だったから
>どこか朝廷に対抗してるような所があったのだろうか
ちょっと諏訪は謎が多過ぎるんだよ
神無月も出雲だけは神在月って言うだろ
出雲だけかと思ったら諏訪もその時期は神在月って言うんだよ
諏訪の神は、諏訪に居ながらにして出雲まで首を伸ばして参内するから
諏訪に神無月は無い。とか
諏訪に神が集まってきたんだとか諸説あるけど、ちなみに諏訪にも神在月で集まった神が帰る時に見送った神送り遺跡ってあるんだよな
ヤマトの時代はヤマトから独立して数年で元に戻る家出少年みたいな事もしてるし 本来、朝廷に逆らったら「まつろわぬ者」として鬼や土蜘蛛のように扱われてきたんだけど
タケミナカタって日本史上で初めて皇統に逆らったとんでもない大罪人なはずなんだよね
酒呑童子も朝廷に逆らったから鬼にされたでしょ
阿弖流為も朝廷に逆らったから大した神社なんか無いんだよ
それが諏訪大社って、俺が確認した最も古い時期で従五位だったかな
それから鎌倉時代に手柄を挙げてどんどん神社としても出世していくんだけど
さらに征夷大将軍の坂上田村麻呂が、東北の阿弖流為たちが朝廷に盾突くから
「とんでもねえ野郎だ」という事で成敗しに行くんだけど
その時に諏訪大社に戦勝祈願してんだよ
おかしい話なんだよな
諏訪大社のタケミナカタは国譲りで皇統に盾突いてタケミカヅチに負けて諏訪まで逃げた負け犬だぜ?
そんなやつに異民族討伐の阿弖流為退治の戦勝祈願しないでしょ
神道的な見解から見ても諏訪ってやっぱりおかしくて
日本て神道の概念で死とか血は穢れなんだよ、だから日本の歴史で革製品て輸入にばかり頼っていた
革製品は一部国内でも生産してたんだけど、穢れだから、そういう仕事するやつは部落に住んでろ!汚いんだよ!というのが神道の価値観でしょ
そうすると、御頭祭ってなんだよ、て話になるんだよね
ちょっと諏訪は従来の日本の歴史的な価値観から考えても、かなり異質な存在なんだよな 現人神として日本の歴史で成立してきたのも
皇室と、出雲大社と諏訪大社の司祭だけだし
ちょっとやっぱなんか変なんだよな
天孫降臨は恐らく稲作文化を持った人達の伝来なんだよ
瓊瓊杵の杵はキネって字で脱穀を意味してるでしょ
諏訪は日本で稲作に最後まで抵抗した土地なんだよな
なんかここも関係ありそうなんだけどな うちの家系が諏訪神党の家だから
自分の家の事が気になってあれこれ調べてたんだよ
某神社の宮司さんが歴史家で大学の教授をやりながら自分の家の神社も代々継いでるんで聞いてみたんだけど
その神社も日本で最古レベルに古い神社なんだけどな、知名度は無い小さい神社だけど
「〇〇(俺)さん、貴方渡来人ですよ。貴方の苗字はラテン語で〇の意味、身近に〇があるでしょ」
と言われて、確かに俺の家の苗字って日本人ぽくない響きがする苗字なんだよ
学生時代に初めて会うやつから「え?外人?ハーフ??」とか言われるくらい日本人らしからぬ苗字
で、〇という意味だと、調べてみたら確かにラテン語で〇という意味の単語に俺の苗字は響きが非常に似ている
ああ、確かに内の家系は代々〇を大事にしてきたな、ラテン語で〇の意味だから〇を代々守ってきたのかと
うちの家系の人も明治維新で神社から関われなくなったけど
また神道界に戻って諏訪関連の古い神社で宮司に復帰した人も居るわ 諏訪氏の宗家は有員より前に金刺氏に男系が入れ替わっている
より初期の分岐であればむしろその家系が諏訪氏男系を継いでいるかもしれない
諏訪氏は早く三韓征伐でかなり活躍したみたいだね
武人としての評判はそのころからあったのかもしれない 諏訪は須佐之男って理解すると、
その神は地球の神、よって樹木の神だから、稲作をすると倒木しなきゃならないから、須佐之男は稲作に抵抗したとサイトで読んだな
木を切ると、当然酸素が薄くなるし、また、木は知恵を意味するらしいんだ。聖書にも、禁断の知恵の実ってあるでしょ?そんな感じ。
一応、禁断の木の実とは、善悪知る木、つまり、人類が神との分別知を持ったということなんだけどね。 諏訪氏ってC2だし弥生以降の渡来人はほぼ確定だよな
C2はまだ一個も古人骨から採取されていない
国津神とは一体…? D系じゃないということは縄文時代にはいなかったということ 諏訪ガイジの特徴
・諏訪神党に縁があるらしく関連スレに出没
・諏訪氏がハプログループC2であることにコンプレックスを抱く
・自身が渡来系である可能性に不安を抱き皇族以外は日本人じゃないと主張
・言動は典型的な高齢ウヨクで皇族信者
・誰でも知ってるような浅い日本史知識を披露する
・アンカー付けずに番号だけで返信する
・今じゃほとんど使われない古い顔文字を使う
・他人の都合悪いレスは全部妄想で片づける バカだおめえは
自分の気にいらないことを信者だの言ってるなら話にならねえ うちは名字が神で、神家が諏訪に名前を変える前に分家をしていたのかもしれない。
青森の神家は源頼朝の奥州征伐で由比ガ浜から船で北上し、そのまま残ったので名字が残っているのかもしれないね。
家紋は丸に立ち梶。諏訪とのつながりあるんじゃないかなと思ってる。 >>1
残っているのは神長官家の守矢家だけになってしまいましたね ただ、ずーっと思ってたんですが、タテミナカタの直系って、守矢家じゃないの?
ほれ
https://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/tikatousin.htm
昔は政治と宗教が一致してたから祭祀や神を奪う事は、基本的に重要事項
生島足島神社から諏訪入りしたとも言われるタテミナカタだが、系図を見る限り、普通に守矢家の先祖がタテミナカタでしょ
大祝家の諏方氏は、嫡流ではないと思いますが
現在のようなタテミナカタを祀るようになったのは幾度となく行われてきた日本書紀風の神への上書き、神改めによる物
桓武記辺りという説があります
それまでは上田の生島足島神社では、出雲大神である幸神三柱。今で言う道祖神を祀っていたそうです。
あと、中央から人が派遣されて、温泉寺あたりに住み着いたという伝承もある
あのあたりの人は世襲で御柱の神事の一部を今でも担ってた気がする
金刺氏あたりが後から入ってきてて、下手すると日本書紀の役割分担で別の家が諏方氏を名乗った可能性がある
政治を乗っ取ろうとして失敗したのが、上社、下社の結果になったのではなかろうか >>3
現在の皇室は、一般には蘇我系と言われていますが、継体天皇は、事代主系の家の養子でした
段階を辿ると、出雲向家に繋がりますので、別に敵対も何もしていません
継体天皇の時代で男系の物部の血は途絶えています >>7
その諏方氏だけど大祝以前の事が分からないんですよね
国津神、タテミナカタというのなら守矢家かと >>14
いる。
出雲大社上官家筆頭は現在は千家に追い出されていて空席だけど、その家が東出雲王家、事代主家系で現在でも続いている
しかし、本スレに関係する書き方だと、事代主は二人の奥さんがいて、奈良の神武の奥さんになったのは三島家系の事代主の家系
タテミナカタは、越国、ヌナガワ姫系の事代主家系 >>16
三輪氏は出雲系
太田氏が大神神社の社家。加茂氏の分家 >>20
出雲の王様は交代制でした
主王を大穴持
副王をスクナヒコ
そう呼んでいました。国譲りの際の事代主は副王の向家。
八重波津見が、第八代の国譲り事件の際の事代主で、タテミナカタのお父さんです。
妹にミホススミ姫が居ます >>21
須佐男は記紀作成の時に新しく作られた神様
元々出雲には須佐男は居ませんでした
風土記を作った現在の出雲大社の宮司家の千家と、出雲に国司として赴任してきた忌部が、八年ほどかけて記紀の前半部分を担当した際に、千家の祖人を神様に格上げした物です
千家にとって記紀の演出の最大の演出は、背乗りの事実を隠し、出雲に無関係だった須佐男を出雲舅にし、血縁を強引に作り出す事だったのです
故に、出雲王家の初代のBC 7世紀を隠すため、BC660からの歴史が記紀に編まれました
徐福時代の渡来者であるアメノホヒ系の千家では、皇室と同程度の歴史しかない >>22
記紀によれば神武朝は三代にわたり出雲から嫁を貰ってる
既に有力な豪族になっていたんだよ、奈良では >>24
奈良はマジで山に囲まれたど田舎
事代主系の磯城登美家が、ホアカリ系と姻戚関係を結び、奈良の沼地を開拓した
記紀には隠されているけどBC2あたり
奈良の御所にはその頃の大規模な水稲遺跡がある >>27
諏方氏が、金刺氏説とか、阿蘇関係者とかそういうのに繋がる説ですよね
実際には、守矢系図にタテミナカタが出ていますので、千鹿頭神から祭司を奪い、女系に押し込め、祭司を奪ったような系図になってる
つまり、守矢がタテミナカタで、諏方が、その分家か、出雲における千家のように、集合することにより、いつのまにか家系図にタテミナカタを入れたのではないか、という仮説に辿り着くわけです
温泉寺のあたりは後から来た人たちが居着いた場所と言うことになっていますよね、地元では >>28
コレが分からんのです。
代数が40代前後のはずなんですよ
元々は熊野修験の流れを汲む武甲山の社家が、守屋家でした
物部守矢の次男さんは、神長官家に養子入りしています
守矢と、守屋は区別が必要なんですよね、厳密には
一説によると、諏訪の物部守屋系という話をどこかで見た事があります
向こうの神社も雰囲気的に物部の色彩を感じます >>353
ミワ氏は朝廷に諏訪の直系としてお墨付きなんて出してないよ
向家の八重波津身の子供には磯城登美家系と、タテミナカタ系がある
前者は八重波津身の息子のクシヒカタが祖であり、賀茂氏も磯城登美家の分家
故に、京都の賀茂神社は三島の姫を祀っている
タテミナカタはヌナガワ姫の系統の息子だから腹違いの家系
クシヒカタは初代神武系の母系。卑弥呼の家系。
故に三輪山祭司を世襲でやってた。
今はどうか知らんけど、魏書の未婚の卑弥呼は太田氏の弟に世話されてた。太田氏は三輪山の社家
本質が違うよ。 >>36
当の守矢の家系が、タテミナカタそのものの祭司を乗っ取ったような家系図になってる
守矢がタテミナカタ系統なのでは? 諏訪氏となったのが金刺氏で実際には建御名方の子孫じゃないってことか >>38
大物主は、事代主だよ。
三輪山の祭祀は、出雲の太陽の女神が最初で、後にクシヒカタの子孫が事代主を合祀した
所謂邪馬台国事件の際に三輪山の祭祀は奪われて、最終的に伊勢に落ち着く
、その際に残った男神を大物主に名を変えて祀った。
故に、三輪山祭司が奪われたことにより、登美の霊璽が二箇所になった。 >>41
その通りだけど、本家の向家はまだ続いているから、分家に過ぎない。
登美家の嫡流は、太田氏ではなく賀茂氏
ミワとは、酒造りからきているらしい
本来の奈良の出雲族は、カモ「神」族
葛城高鴨神社(神門臣家・大国主八千矛)、鴨津波神社(向家の分家、磯城登家・事代主八重波津身)
それが加茂氏になった >>60
太田タネコの頃が、和歌山から物部氏が入り込んだ最初の東征時期、倭国大乱期。160年代
この頃の葛城国の大王がクニクルで、息子に大彦がいた時代。
実は、大彦は二世紀の人。180年代には阿部氏と名を変えて琵琶湖後面に拠点を移した。
磐余彦の勢力と戦った、初代の神武の家系が葛城国で、物部の血が入ってない純粋の神武の家系が彼
記紀においては2回の物部東征を一つにまとめているので、大彦が神武の前に来るなどしている >>57
加茂氏系だから、大事にしたのかもしれない >>59
出雲は主王と副王が交代制でやっていましたが、国譲り事件の際は、西出雲王家の神門臣家が大国主。東出雲王家の向井家が事代主をやっていました
両者ともに葛城地方に分家が移転してきたので、鴨氏と呼ばれていました
事代主の向井家は冨家とも言われ、大彦がトミノナガスネヒコと名乗ったのは冨家の血筋を尊重していたからとされます
ヤマトトビモモソヒメは、二人の人物の名前で、トビは、冨です
事代主家系はヤマトで建飯勝の代から磯城トビ家となっています
出雲系は国津神というのは本当は正しくありません
天クシヒカタは出雲系ですから。
おそらく妹の多々良五十鈴姫を村雲王に嫁に出したから天が付いたと思われます
また、出雲の国は17代まで続きますが、天冬衣の様に記紀の都合で天が割り振られているケースもあります >>68
そのまま素直に読んで問題なし
事代主=大物主だから >>72
本当の歴史を受け継ぐ出雲族なら、タテミナカタの父親が事代主、八重波津身である事を知っているはず
家系図を見る限りは、本当のタテミナカタの家系は神長官家の様に思える >>84
基本的に、鏡は物部、勾玉は出雲、剣は尾張氏に起源があるそうです >>87
西出雲王家の神門臣家は、出雲大社のお抱え大工でしたが、今では千家に追い出されちゃって担当してません
事代主の向家は出雲大社の上官家筆頭でしたが、昭和の時代にその職は無くなりました
出雲大社は、大国主と事代主が作った訳です
千家は雇われ神主で鍵も大国主の分家が管理してて勝手に大社に入る事すら出来ませんでした >>120
和名ホアカリは、出雲大国主娘を嫁にもらい、一度大陸に帰国
和名ニギハヤヒは、再渡来後に、九州の出雲の分家である宗方のアタカタスの娘、宗方三女神のうちの、市杵島姫を嫁にもらい、彦ホホデミを設ける。コレが物部氏。
ホアカリの子供は丹後に移住して、更にヤマト入り
その際に血筋を濃くして先祖返り
物部の姫を貰い、男子を産む。コレが村雲。
村雲以下、尾張家の大王は三代に渡り事代主系の姫を嫁にもらった。
コレが神武朝
物部と、東征で負けた神武は親戚 >>123
実は、建ミカヅチは、建飯勝こと、磯城登美家の出身
九州の多臣家とも親戚で、それ故に藤原氏にも元々関係のある人物だった
多氏や、太安万侶、藤原不比等は、親戚関係で、初代神武の系統の古い家柄
渡来だったのは中臣家の方。
辰韓の時代の渡来者らしい >>127
記紀編纂後に古事記を担当した綾部家出身で柿本家に養子入りした柿本人麻呂と、日本書紀を担当した太安万侶は中央から遠ざけられたとされます。
太安万侶が出雲に流されていた時、向家を呼び出して、記紀編纂の内情を伝えたそうです。
記紀には歴代の大国主17人全ての名前を入れる方針は太安万侶の考え方だった様です
BC600年代の初代、管八井耳から、最後の邪馬台国時に滅んだ山崎帯まてが記紀には書かれています >>163
千家は向家の野見宿禰を家系図に入れて、自分たちが出雲王家の先祖である様に家系図を誤魔化している
出雲を滅ぼす手引きをしたとは言え、他の家の家系まで組み入れる、女系も男系もないやり方は凄まじいの一言である 嫡流が断絶した故に魂は嫡流を離れてあちこちに転生しておるのだな >>222
大彦が作った国がクナト国
九州ではない >大彦が作った国がクナト国
>九州ではない
そうなんだ。
そんなマイナーな国もあったんだな。
>狗奴国は奴国の南でしかありえないからどう考えても九州内だろうに
そうだね。 >>133
諏方氏同士で争っていたから、落とし所として権威を利用して神長官が出張ってきたという構図でしょ >>142
須佐男は記紀の都合で作られた新造の神で、昔は存在していなかった
故に神長官家の家系図にはタテミナカタしか出てこない >>184
神長官家には物部守屋の次男が養子入りしてるから途中から男系になった可能性はある >>263
邪馬台国事件なんて、ただの親戚同士のお家騒動だよね。
当時の有力な豪族は、機内にも九州にも両方拠点を持ってた。
違いと言えば、水銀。
あれだけは圧倒的に九州の方は物量が足りなかった。
自分たちの国さえできればいいのなら畿内など無視しておけば良かったのにそうしなかった理由がちゃんとある。
九州論者は、畿内の勢力が九州にもあった事を認めないから笑える 阿波猿よ
阿波岐原が筑紫だと記にあって、オメエの小豆脳みそのいう阿波のわけ
がねえ。オメエの小豆脳内が盲象暴象してるからすぐに松沢病院に行ってこい。 >>468
武内宿禰が作らせたとされる三角縁神獣鏡も、呉の三角縁仏獣鏡の技術を使って大型化したという伝承がある
呉は仏教の国
仏教伝来は曽我氏が最初から絡んでいるのかもしれない >>475
確か、手長神社か、足長神社のどちらかはアラハバキ信仰だったらしいね >>730
タテミナカタは、奈良にに大王家ができる前に出雲から出ている
千家と、千家が手引きした徐福集団にやられた >>733
なるほど、そういう事で混同がおきるのか だいたい朝貢だの知らんやつらに対して起こるわけないからな
なんで中華とやらに朝貢やらなきゃならねえんだよ?アホくせえ 歴史書に須佐男が出てたら記紀編纂以降
これは一つのベンチマークになる 【悲報】伽耶諸国で倭人がエベンキを奴隷とし殉死させていたことが発覚
大凌河
@C1a1_M8
韓国の伽耶古人の論文をもう一度読んで、いくつか特別なものを発見した。サンプルAKG_10203(D1a2a1-Z1625)は武士か下級貴族かもしれません。
金海大成洞古墳群の検査結果のあるすべて女性は殉死者(Sacrifice)である。O1b2a1a2a1b1-PH40の男性も殉死者です。 初見さんのために一応貼っとくかな
日本史板常駐の諏訪ガイジの特徴
・諏訪神党に縁があるらしく関連スレに出没
・諏訪氏がハプログループC2であることにコンプレックスを抱く
・自身が渡来系である可能性に不安を抱き皇族以外は日本人じゃないと主張
・言動は典型的な高齢ウヨクで皇族信者
・誰でも知ってるような浅い日本史知識を披露する
・アンカー付けずに番号だけで返信する
・今じゃほとんど使われない古い顔文字を使う
・知性が無いので反論になってない反論をする 信仰が民族を形作る以上、信仰ない民族は他宗教民族に乗っ取られる >>741神姓=諏訪氏ではない
諏訪氏以外にも神姓を名乗る家系は全国的には多数ある
地元諏訪で守矢氏の存在が広く知られたのは1990年代から
それまでは知名度低く軽んじられていた
金刺氏は下社大祝、上社と混同すべきではない >>741神姓=諏訪氏ではない
諏訪氏以外にも神姓を名乗る家系は全国的には多数ある
地元諏訪で守矢氏の存在が広く知られたのは1990年代から
それまでは知名度低く軽んじられていた
金刺氏は下社大祝、上社と混同すべきではない >>741
諏訪家の神姓だったら大祝神氏の系図に載っているはず
諏訪神党ですら神姓は名乗れない なぜか辺境の薩摩に諏訪神社が多い
やはり信濃に所領を得た島津氏の影響なんだろうね 神長官の守矢某も神姓で書簡書いてたなあ
ソースは守矢史料館のいつぞやの展示 幕藩時代の諏訪高島藩主と大祝ってどんな関係だったんだろう? 神長官守矢氏は、代数が87だいほどで、圧倒的に系図が足りない
出雲の向家が130数代で、
新潟の二田物部神社の三嶋家で130代で2000年の歴史
国譲りの千家が80数代
明らかに守矢家は系図を失っているか、物部守屋が系図を乗っ取りしている。
タテミナカタの時代で80代は明らかに少ない >>696
諏訪の神って、エソウらしいよ
調べてみ 知り合いに神(みわ)さんがいるんだけど
諏訪氏と関係あるのかな?それとも三輪氏? >>794
>諏訪氏がハプログループC2であることに
これって有員由来ということになるんじゃないのか? >>696
古代墳墓の四隅に木を建てる風習の名残だと聞いたことがありますが、本当でしょうか?
なおミシャグジ、アラハバキ、クナト神、またイスラエル氏族、縄文人、そして出雲族が諏訪エリアを一時的に支配(統括)していたとの伝承についてその信憑性は如何でしょうか? >>806
青森県人だが神姓で「みわ」読みの人には会った事ない。
みんな「じん」 守矢家にはミシャグジの秘法は絶やさないで貰いたかった… 中沢新一著「アースダイバー神社編」に
諏訪湖周辺にまず先住民そこへ出雲、安曇が流入とあり、
上諏訪下諏訪で棲み分けなどとても興味深く感じました。
またYouTubeでみました、
諏訪大社周辺の語り部という方のお話も貴重に感じながら聞きました。
自分は近畿地方の人間で恥ずかしながら
伊勢神宮が1番偉い
天皇が長くいた京都が大きい顔ができる
ぐらいの認識で30年間以上生きてきまして、
とあるきっかけで出雲の存在に興味を持ち
国譲り神話についてちゃんと考えた時点から
古代史沼にハマっています。
そして諏訪に興味を持つに至り、この夏電車で3泊4日で諏訪を訪れようと思っています。
ここは行った方が良いよという所が有りましたら
是非参考にさせていただきたいです。
長文失礼しました。読んでいただいた方ありがとうございます。 >>814
ありがとうございます。
霧ヶ峰と聞くとエアコンを思い出しました。
ググってみたらまさに縄文なんですね。
行ってみます! 全板規模の荒らしによる重複スレが立てられたので
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