地名の日本史
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>>506
松江市和多見町に鎮座する賣布神社社伝によれば社号「めふ」とは、
海藻や草木の豊かに生い茂る所の意味らしい。
「ふ」が芝生・荻生・莇生・麻生といった植物○の群落地を意味する
○生の「生」と同義とすると、鎮座地一帯には「め」という植物が繁茂
していたことになるが、「め」とは現代語だと如何なる植物なのか? 関門海峡の門司側にある和布刈神社の和布刈(めかり)神事は、冬至の海に入り和布(わかめ)を刈る >>752
「アビコ」地名は、有名な大阪・千葉以外にも以下のように各地に
あるようだね。これら全て古代の食物官職名由来なのかな?
大阪市住吉区我孫子
千葉県我孫子市
神奈川県津久井郡津久井町青山鮑子
大阪府泉大津市 我孫子
滋賀県愛知郡秦荘町 安孫子
埼玉県羽生市今泉 我孫子
兵庫県飾磨郡夢前町山之内小字我孫子
秋田県秋田市金足黒川 阿彦沢
宮城県仙台市泉区松森 阿比古
山形県山形市七浦 安孫子川原
滋賀県彦根市肥田町 安孫子屋敷
奈良県橿原市四分町 我孫子
宮城県女川町鮑子
千葉県長生郡長南町蔵持我孫子
長野県佐久郡軽井沢町長倉安孫子
福岡県直方市知古我孫子
長崎県壱岐郡芦辺町阿彦
「あびこ」な地名
http://www.tecta.co.jp/gokuraku/abiti.htm 戸来村はヘブライに由来しキリスト来日したことに由来するとかいう >>760
我孫子は、吾孫子、阿孫子、亜孫子、安彦、阿比古、吾彦、我子など
とも表記され古代越地方の土豪「阿彦」の当て字か?
かつて北陸に君臨した高志国。王と呼ばれた阿彦や「大国主」に求婚された姫とは!? 2015年11月24日
ttp://fanblogs.jp/japonismlove/archive/6/0 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:842eac59f97f47c0d6fb1bed016df49c) >>756
出雲賣布神社の「売布」は、表意文字で書けば「芽生」でワカメ・
アカメ類の群生地なのだろう。
「○生」が○の群落地の意味とすると、丹後売布神社の坐す
熊野郡久美浜町女布(にょう)、但馬売布神社の坐す
城崎郡日高町祢布(にょう)は、表意文字で書けば「女生」で
即ち女の群棲地がその地名由来となるのかね? 秋田県美郷町にある後三年駅
http://imepic.jp/20160515/334730
ちなみに、岩手県盛岡市には、前九年という地名が存在する 昨日のどこだったか番組で、「伊勢志摩サミット」の名称で「鳥羽」が飛ばされてる
とやってたけど、鳥羽市だって志摩国の内なんだがな、と思いつつ見てた。 >>767
ひょっとすると伊勢とか志摩とかが旧国名というのを知らんのがいる、ということかな?
学校じゃ旧国名は断片的にしか教わらないだろうから仕方ないか。 志摩国ってなんでちょこっとだけで一国にしているんだろうという不思議。
若狭国や安房国なら一国になっているのもわからんではないが
志摩国は基部の伊勢国とはそんなに通行不便というほどでもないし。 へー
吉川弘文館の日本史地図帳にはそういう地図は全然無いな >>772
太平洋岸がずっと志摩国だろうと思い込んでいたんだけど、鳥羽や英虞湾のあたりだけなのね。 ブラタモリによると志摩の語源は島ではなく縞模様・・・なのか? 縞模様はインドネシアから輸入した布の柄だから島模様だってきいたのでありえない >>770 >>771 >>772 >>773 >>774 >>775 >>776 >>777
延喜式による下国の一覧
和泉国
伊賀国
志摩国(半島国)
伊豆国(半島国)
飛騨国
隠岐国(島国)
淡路国(島国)
壱岐国(島国)
対馬国(島国)
俺は、和泉の下国がわからん。 >>772
古本屋で見かけた昭和2年発行の歴史地図帳、
志摩国の範囲はずっと同じだったな。 >>779
和泉は狭すぎる点が大きい
堺が発展した中世後半以降ならともかく、それ以前の港湾は和泉じゃなく摂津住吉〜摂津浪速だったからなあ >>771
飛鳥時代の建国時は、志摩国志摩郡の一国一郡だったらしい。
奈良時代に志摩郡を佐芸郡・答志郡の二郡に分割して、若狭国同様の
一国二郡にしたらしいが。
伊勢国から極小地域を分立建国の理由は、御食国だったからなのか? >>779
和泉が河内から分かれたのが新しいからそもそも半国扱いなんちゃう?
今より海岸線が迫ってて現在ある仁徳天皇陵が海岸すぐって感じだったような ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 北海道のアイヌ語由来の地名 ポヨプ(狼) オオカミは「凶害を成す者」の意味らしい
http://www.ainu-museum.or.jp/siror/dictionary/detail.php?book_id=A0269
> 注1.――「和田村誌」(イトウ・ハツタロウ執筆。1938年。根室国根室郡和田村役場発行)
> 11ページに「ポヨプ(狼)」とある。
> 注2.――日高国静内郡に「ポヨプ」という地名があって、
> 永田方正氏はこれに“poiyop or hoiyop”とローマ字をあて、オオカミの意味にとり、
> 『コノアタリ狼多シ。故ニ名ズク。「ホヨプ」ハ凶害ヲナス者ノ義』と注している(Nagata, p.254)。 >>56
川崎市宮前区の田園都市線の駅「宮前平」。
北口も南口も見上げるような坂が展開していくんだが
なぜか「たいら」。
戦前は陸軍の演習地だったという。
駅名は東急がつけたんだけどもさ。
何ゆえに「宮前平」よ。 >>754
日本書紀に
百済は本とはひゃくさいと読むんだけど
何かの理由で(ここが大事なところなんだけど忘れた)「くだら」
って呼ばれ始めて、百済人が迷惑しているって記事があるらしい。 >>87
日本語は天武天皇が朝鮮半島の戦に破れて
これじゃいけない、日本を国家という強いまとまりにしなければ、と思い立って
日本書紀の整備やもろもろの整備を進める中で、日本語をまとめていった
と聞いたことがある。大陸と区別するために、文法は朝鮮風、語彙は中国風
というように。だから借り物だといいたいんではなくて、ひとつには国家を
つくるときに言語まで含めていたことに驚くとともに、そこまで思いつめるほど
大陸の(半島の)敗戦のショックが大きかったんだなということ。
百済を助けようとして新羅と唐の連合軍に負けたというのが。それより100年だか200年
前にも半島で負けてて(白村ノ江)、その後もずっと戦いを繰り返してきたんだよね。
天武天皇が敗れて国家建設にまい進してからは、日本は大陸に進出していない。
自然言語を人工的に改変することができるのか、普及させることができるのか
わからないが、明治維新のあとで日本語の書き言葉が話すように書く、
という方式にかわった歴史がある。 >百済
近頃の高校生に「百済が云々」と言ったら「"くだら"って何?」
「百済を知らんのか。こう書くんだ」
「"ペクチュ"でしょ?」
「・・・」
近頃の学校教育では日本語読みでなく韓国語読みを教えるのか! 追記
百済観音を"ペクチュ"観音とでも読ませてるのかな? 新羅は?
百済人が"シンラの奴ら"みたいな言い口で"シラギ"と言っていたものと言うか >>790
駅の場所が大平って字だったからや
宮前駅は同名があって使いにくかったらしいで
宮前平から宮側に行くと、隣は平台や 高句麗、新羅、百済はそれぞれコグリョ、シルラ、ペクチェじゃないっけ 北九州と大和は共通の地名多い、そして北九州は物部関連の地名多い。神武東征的なものを感じさせる。 >>793
世界史の教科書に登場する外国語のうち、中国や朝鮮等の漢字文化圏の用語については長らく日本語読みが基本だったが、
近年、といっても10年以上前からだが、現地語読みのルビが振ってある
だから、百済は"ペクチェ"で、安重根は"アンジュングン"、毛沢東は"マオツォトン"。
自分が学生の時は、日本語読みのルビも併記してあったが、何分10年以上前なので今はもう消えているのかもしれない >>800
日本人の田中について、韓国はタナカと呼ぶが、中国はティエンチュンだ
韓国の現地音主義に対応して、日本も韓国人については金大中をキムデジュンと呼ぶ
中国の漢字表記はそれぞれの読み方でよいという主義に応じて、日本では毛沢東をモウタクトウとやる
新聞、テレビなどのマスコミはそういう相互主義でやっているのだがなぁ 将来、東海地震が発生したとき、かの国は「東海」の呼称にいちゃもんつけるのだろうか 「くだら」については当時の現地の読み方を残してる可能性があると思うのでなんか残念 それでいながら日本語の「下らない」は「百済のものではない」という
説が半島内ではほぼ定説にw 択捉島を、オランダ領「スターテン・ラント」と呼ぶこともあった ウルップ島 「コンパニースラント」(東インド会社の土地) >>805
百済読み異説
百済は何故クダラと読むか 大山元 2005/11/15
ttp://www.dai3gen.net/kudara.htm 神奈川県秦野市の山奥にある三𒌞部(みくるべ)。出張でお寺に行ったけどアイヌ語としか思えなかった。川はベツというよりショーとかソウの感じだったけど。
出張先の寺のご住職が昭和30年代までは山賊がいた、と話していた。もしかしてサンカのことかな、と思っている。 なんで三𢌞部の「𢌞」が「𒌞」になってんの
というかこの楔形文字みたいなのはいったい何だ 7plusにみくるべ変換できないバグ。ニュースになるかな。 >>811
>川はベツというよりショーとかソウの感じだった・・・・・・・・・・・・
読解不能なんだが、三𢌞部地域の○○川の川幅が広くなく狭かったの?
ショーって何なの?ソウって何なの? >>817
本州のアイヌ語風地名とか古代語とか参照して。 京都府愛宕郡愛宕郷は、『和名類聚抄』に「於多木」とあるから「オタキ」と
読むのだろうが、「オタキ」の語義は何?
一方、京都府愛宕郡&桑田郡の式内社は、愛宕(阿多古)神社。
上記地以外の各地愛宕地名の読みは、勧請神社名由来で「アタゴ」が多いの
だろうが、「アタコ」の語義は何? そんな古い地名のそのまた語源なんてとっくに忘れられてるだろ 狭山事件の堀兼。掘りかねるほど農地開発が難しい地質だったからの縁起は信じがたい。ホリガネのネは太古はナイだったのではないかな。
ご家族が被害者を探しに行った入曽駅のイリソも気になる地名。 >>819
愛宕の原音は、地名の愛宕(オタギ)郷だったのだろうが、
愛宕郷以外の「オタキ」地名といえば、愛知県東加茂郡旧稲武町
小田木(オタギ)、三河国設楽郡小田木村くらいか?
「タキ」ならば、多岐(タギ)神社の坐す美濃国多芸(タギ)郡とか
近江国甲賀郡土山の瀧樹(タギ)神社とかが現存する。 島根に田儀ってのもあるけど、万葉仮名では別になったりするかな? 沖縄はもともと琉球王国という日本の統治権が及ばない独立国だったから日本固有の領土ではない。 >>824
伊勢神宮の辺りも多気郡。
神様にはタギつ姫命(宗像三女神の一柱)。別伝では大国主命/大己貴命の別后。神屋楯姫命。天道姫命/高光姫命(下照姫命)の母親 >>824
「オタキ」の語義は、薪の奉納産地名「オ・タキギ」が通説だろう? >>829
地元紙「京都新聞」地名取材班説では、以下だね。
「オタギ」、「アタゴ」の語幹「タギ」・「タゴ」は同源で
”山道が狭く凹凸し曲折しているさま”をいう。
「タギ」・「タゴ」は、古語形容詞「タギタギシ」、動詞「タグ」からの
派生語だと。
現代語「手繰(タグ)ル」、「蹴タグル」、「引ッタグル」、「ボッタグル」等と同源か?
なお接頭辞「オ」・「ア」は、「逢(アフ)坂関」と同様の「オ」・「ア」だと。
因みに京都新聞社説では、以下地名も、同義「タギ」地名だとされている。
大和「当麻」=「タギ+マ」、丹後「間人」=「タギ+磯(イソ)」 >>830
本居宣長『古事記伝』説では、「あたご」は、イザナミ最後の子・カグツチ=
火の神を指す「仇子(あだこ)」由来らしい。
愛宕・おたぎ地名由来・愛宕山は火打石の産地ではない 2017/01/28
ttps://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/57792383.html 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
I4S69 >>707
各地の「○生」地名の続き。
高知県南国市稲生(いなぶ)
愛媛県東宇和郡旧宇和町稲生(いのう)
三重県鈴鹿市稲生(いのう)
山形県鶴岡市稲生(いなおい) >>831
柳田国男『地名の研究』では、三河・東濃などに散見される日陰地「アテラ」地名に続けて
以下の記事があります。
山城愛宕・遠江磐田郡阿多古の「アタゴ」は、「命名者のいる所と反対側に
あること」を意味する・・・・・・ アテラといえばどこかで聞いたと思ったら奥多摩の地名だった。安寺沢 倉敷市真備町、「まきびちょう」だと思ったら「まびちょう」か >>836
町名としては「まび」だが
町内の中学校は真備中、真備東中どちらも「まきび」と読む >>833
福島県南会津郡南会津町針生(はりゅう) とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
5ID >>39
超〜遅レスだけど
祖母井の地名の元になった姥ヶ池という泉のあたりは古代から人が済んでいたんだって
古代人は漢字を使わないので音のほうに注目したほうが良いと思う
ウバ、オバ読みは岩地や崖地の地名にされやすい
カイ、ガイは狭い谷のような所の地名にされやすい
航空写真を見ると分かりやすく森山と川谷の地形だから、そんな地形から付けられたのではないか
ちなみに明治に祖母井村として統合された近隣村
・稲毛田イナゲタ村
→(接頭語)イ+薙ナギ+田タが訛った?
地形を見ると草木を薙いだ?山を切り開いた?ような所だね
・与能ヨノウ村
→ヨネ、ヨナは川が押し流す土砂を指すらしい、それが訛った?
地形を見ると川に挟まれた場所だね >>837
ミ ∧_∧
ミ ⊂ ヽ(・∀・ ) ヘェーヘェーヘェー
∩⊂~~ ⊂~)
━━━━━━━┓ >>840
単純なネーミングだと同じような場所で同じような名前になるところがいくつもあると思うけど、実際問題として案外そういうものかもね。
川が曲がりくねっているあたりを和田とか、けっこうあるみたいだし。 讃岐山脈以外の四国の山の名前は森が多い。
三方ヶ森、明神ヶ森、天狗森、貝ヶ森、鍋が森、鈴が森、二ノ森など。
森と山が未分離? 高知県だと小川川,上八川川,立川川とか川川が多い。
何でこんな名前なんだ? >>843
古代朝鮮語のmori、muruから来た山を指す言葉という説
九州にはナントカ牟礼という山がある
四国ではモリとして受け入れたか
あるいはモリは盛り上がった所の意か
ナントカ牟礼は山に限らない地名としても多いので「むれ」(群)という和語かも
‥古すぎる言葉ははっきり分からんね いきなり古代朝鮮語って言われてもなぁ。
年代で分ければ、あの国は日本が統治するまで古代だよ。
過去の歴史が気に入らないからと自国の史料を処分しちまったから
僅かな石碑を除けば紙史料は千年前のが最古だし。
その古代朝鮮語って何年前のなんという史料で確認できるんだ? 古事記の最古の写本は14世紀、600年の歴史しかない 朝鮮国士様「マウントとったニダ」(キリッ
頭が悪いからこんな意味のないレスでドヤ顔できるんですね
わかります 古代半島語って見事に残ってないんじゃなかったか?
なのに
「古代韓国語で万葉集がわかる」
などというぶっ飛び本がw 青森県も山の名前が森が多い。
シナパクリ文化到来前の形態なのか? >>843
東北でも山の意味になってなかった?
「盛りあがり」? >>845
オオムロ山なんてのもあるね。
三鷹の牟礼は盛り上がりはちょっとあるにはある程度。 >>847
史記なんかも断片以外は新しいが、それが何か? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています