>>101
『吾妻鏡』によると頼朝が以仁王の令旨を受けた時
命旨を受ける前に水干に着替えたとある。
だから、水干は普段着でも少し格式がある恰好なんじゃないだろうか?
元々水干も直垂も作業着だけどね。
ちなみに「草燃える」では
頼朝は流人時代〜鎌倉入り初期は直垂を着ていることもあったけど
基本的に袴上括り(膝下でひもを結ぶ=半ズボン姿)の水干の事が多かった。
晩年は狩衣が多かったように記憶している。
義時も偉くなったら直垂じゃなくなっていたような気がする。