>>238
義親か義忠か、それぞれの母親の身分がどうだったかが重要だが。
義忠が河内の守、義親が対馬の守で、義忠のほうが上位。
しかし、これは朝廷が義忠のほうを優遇したからとも言える。
人望は義親のほうが上じゃないか。死後偽者が続出するほどに。

結局、義家の生前に義親は乱を起こして死んだのだから、
嫡男は義忠で決定。
その長男の経国も河内源太と呼ばれて将来の後継者と見込まれていた。
しかし、義忠の死亡時、10歳に満たない幼さだったので、
為義にその座を奪われた。