>>380
残念ながら当時の東国と都の関係は根強い。
東国武士は都に上って官位を得たり、
荘園関係で都の荘園領主の比護を仰いだり
国衙においては知行国主と協力に結びついたりしている。

義朝が東国で威勢を張ることができた背景には
彼の持つ摂関家や鳥羽法皇との人脈が不可欠だった。
また、東国武士の所領を都の貴族の荘園にする斡旋をすることによって
主従関係を深めていっていた部分もある。
決して源氏の血脈で従えていたわけではない。
義平も父がもつ人脈なしには坂東武士を従えることはできなかった。
(大蔵合戦には武蔵国知行国主信頼の黙認があったものとみられている)

よって平治の乱によって謀反人となり、人脈を失った義平は
東国武士にとっては無価値の存在となっている。
よって

>新田には限らないが、関東武氏団として、
朝廷や六波羅平氏以外の選択肢が確保できるというメリットがある。

という見方は成り立たない。