>>382
>
王朝国家が揺らぎ始めているし、畿内で清盛政権が出来たのも事実。

清盛が武士として力を伸ばすことができたのは、朝廷内における地位を高めたことと
朝廷が整備した「動員令」に乗っかることができたからである。
平氏の軍事動員は、私的な郎党の動員よりも
朝廷が国衙に登録されている「武士」を動員する権限を得たものの方が大きい。
つまり、朝廷の組織なしには力を使うことができなかったのが平氏政権である。
東国武士団も、国衙となんらかの関係を持たざるを得ない以上
平氏政権に組み込まれていく。

つまり朝廷の組織なしに平氏政権はあり得なかったことを考えていただきたい。

それと狭義の意味の「平氏政権」が起きたのは治承寿永の乱(源平合戦)勃発の前年の治承三年の政変を待たなければならないのをお忘れなく。
それまでは清盛が二条親政派や後白河上皇やその側近、寺社勢力などと
の間をうまくわたりながら、協調政治を行っていた事実を忘れてはならない。

>>382でも述べたように東国武士と朝廷の関係は意外に深く
王朝国家は決して当時も揺らいでなどいない。