【今こそ】豊臣秀頼は誰の子?【DNA鑑定】
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秀吉の子ではないことが証明されれば大事件になる
秀頼の娘からDNAは採取できないものか そうそう、信長は「なんちゃって平氏」だけど
秀吉は「正真正銘の豊臣氏」で、立派な貴族だからね?www >>64
豊臣氏は関白だからね
織田とは官位が違いすぎ >>63
堀秀政ぐらいか
織田家が没落するの嘆いてたの でも、秀吉は非人だし、秀吉の母は何人もの子がいて、父親は全員違う。 >>69
推測と仮説だらけの本を読んでどうしろと? >>70
当時の記録に、秀吉が猿真似芸をしていたとか、針を売っていたとか、非人のすることを
したいたことを、出典も示して書いている本は、単なる推測じゃないでしょ。
秀吉の出自について書かれたものとして、これ以上信用できる本はない。 >>71
手紙で喜んでないから秀吉は知っていた
女中を殺したから秀吉は知っていた
推測の部分は妄想レベルじゃねーか
出典との繋がりが希薄すぎて意味なし 素朴な疑問良いすか?
よく「何で淀君だけ2回も妊娠するんだ」という話が出てくるけど、当時の秀吉は淀君以外の女性ともセクースしてたんすか? 石田三成「俺は秀頼公を仕込んでいた時期に朝鮮に行っていたから違うぞ」 秀頼の娘の墓は所在がわかってるから、あとは秀次か秀長と比べればDNA鑑定できるんじゃね 加藤清正の虎退治は、虎の肉の塩漬けを、精力剤として秀吉に献上する目的だったとも言われてるな。 >>72
>>67に書いてあることと、話が全然違ってきてる。馬鹿ですか?
>>67
>でも、秀吉は非人だし、秀吉の母は何人もの子がいて、父親は全員違う。 >>81
本の信憑性について反論してるんだろ
真正の馬鹿ですか?ww 大坂の陣で豊臣を見限った諸大名はそう思いたかったんだろうね
しょせん秀頼なんて太閤様の子じゃないしって >>83
みんな迷ったんじゃないかなぁ。実子がどうかって何となく解るしね。でも淀殿以外は誰も確信が持てないという気の毒な展開で・・ だれも実子とは思ってなかったらしいね。
ルイスフロイスが書いてる。 秀吉は、妊娠時期に九州にいたわけで、
やってないのにできたことは分かってるよ。 >>87
一応、早産なら辻褄が合うんじゃなかったっけ
一応ね なんで秀吉は、長期出張中に妊娠した妾の子のために甥とその家族を殺したんだろうか。ボケが来てたのかな。 おそらく秀頼のタネを淀に仕込んだのは秀信か有楽さんだと思うよ。
秀吉なりの織田家への罪滅ぼしだよ。 >>91
秀信はともかく、有楽はあり得ない。有楽が秀頼の親なら、間違いなく大阪城もろとも
滅びる道を選んだはずだ。確かに秀信のラインも捨て難いが、やはり最後まで大阪城と
運命を共にした大野治長の可能性が高いと言わざるを得ない。 ついでに言うと、織田家の血筋を残す、というかもしれないが、その点は既に
信雄が大阪の陣の前に豊臣→徳川方に寝返ったため、目的を果たしている。
有楽は心おきなく大阪城と運命を共に出来る。だから、あり得ないのだ。 もう1つ。有楽自身の庶長子、長孝が野村潘を立てており、自分の子孫が残らないと
いう問題も既にない。だから、有楽が秀頼の父親の場合、大阪城と運命を共にしない
理由は何一つなく、心おきなく玉砕できる。それをしなかった理由は、ただ一つしかない。
有楽と秀頼に親子関係はない、と。 有楽は、そうだとしても秀信の可能性は高いな。
一応、織田宗家の後継ぎだし、秀頼の実父としては申し分ない。
しかも、大坂の陣より前に早世してるから、城と運命云々は考慮しなくていい。 97
どこにとって?
徳川は天皇排除に動いてるからこの場合、武家か?
だが公卿筋は高待遇してんだよな 日出の分家筋は秀頼(かその息子)が始祖って話だわ
現代まで残っているかは疑問だが おしいなw
たしか武田?柳沢かどこかに乞われた今川系もその辺で絶えたっけか ほぼ将軍家の滅亡と同義なもんを認められる施政者は直前まで居なかった 相変わらず男の血統で続いているかどうかと意識しているね。しかし生
物学的には男よりも女のほうが遺伝子を守っていると認められている。
だから人間の血統も女の血統継続を考慮しなくちゃダメだよ。 遺伝的と歴史学的を混同してる底辺馬鹿
遺伝的にいや人類皆兄弟だし、日本人の九割が源氏の血がどっかで入ってるわ馬鹿 なんか本気で>>106みたいなこと言ってるのか?って不思議に思うけど、
きっと本人は本気なつもりなんだろうな 大阪夏の陣で敗北した秀頼公は薩摩に落ち延びた。
薩摩では一子に恵まれたが、その子こそが後に島原の乱で大将となる天草四郎である。 歴史古い順
上町台地(大阪市)
生国魂神社(大阪市)紀元前700年 (日本列島の神そのものを祀る神社)
住吉大社(大阪市)
日本仏教初の官寺は聖徳太子(日本仏教の祖)の四天王寺(大阪市)後に奈良の法隆寺
難波高津宮 難波京(大阪市)(仁徳天皇などの皇居)(日本初の首都)大化の改新(天皇制の始まり)はここで行われそれは大化元年〜平成26年の今も続いている
難波津 住吉津 渡辺津(国際港湾都市(街))(物流の一大拠点経済の中心)商人が増え出す 商業都市として栄える(大阪市)石山本願寺(浄土真宗本山)(大阪市)跡地に大阪城(難波津や渡辺津(船場)の商工業が更に発展)
大阪市(難波宮、難波京)
奈良市(平城宮、平城京)
京都市(平安宮、平安京)
江戸(東の京、東京)
江戸城を築いたのは大阪の源氏
東京へはまだ遷都されていない為現在でも首都は東京じゃない 秀吉、秀長、前田利長みたいに実子はいたけど極少数って人は同時期にも複数人いる
だから秀頼も秀吉の実子である可能性はゼロではない 秀吉が多数の側室を抱えていたのは、
ある意味、没落した大名の妻子を保護するという意味もあった。
いわば、戦国のあしながおじさんだったわけだから、
本当に子作りに励んだのが茶々だけだったとしてもおかしくない。 秀吉は漁色家の印象が強く、名門の姫をもてあそんだ好色爺のように言われているが、
生家が没落した女性の暮らしが立ち行くように、面倒をみてやったとも言えるのではないか?
いわば「あしながおじさん」のような面もあるのではないだろうか?
とくに晩年の秀吉の衰えぶりを考えると、側室にした姫たちとそう頻繁に交接していたか?
おそらく晩年は二人の子を産んだ淀殿以外の側室とは肉体関係は、ほとんどなかったと思われる。
天下人の側室とすることで、没落した姫たちに身分や生活の保障を与えてやったと考えると、
秀吉もなかなかいいヤツではないかと思えてくるのだが。 そろそろ日本からどこかのやつらが消える前兆なのかねえ、これって 「東大寺の大仏を作ったのは別に仏法を尊んでいたからではなく、
民衆の雇用拡大のための土木事業だった」とか言い張る奴と同じだな
それなら大仏なんて役にも立たないものじゃなく、治水でもした方がよっぽどいいだろって話 >>116
そんなに優しいヤツだったらどこか良い嫁ぎ先探して斡旋するだろうって
ことには思いが至らないのか? 秀吉は、お江が離縁されたり未亡人になるたびに、追い返すように嫁がせていたよなw 織田秀信って、豊臣秀頼以外の有力な後継者だったのかな?
主君の織田信長の嫡孫だし、
官位も中納言だしな。
前田利家の遺言でも、主君はあくまでも織田家だしな。 秀吉って、ある日突然、秀信(三法師)に向かって、
「秀信、ひざまづけ!!ワシが主君じゃ」とか一喝して、
荒武者に命じて下段の間に引きずりおろしたのかな。
加藤、福島とかの荒武者連中に荒々しく腕をひっつかまれて、
下段の間にねじ伏せられた秀信哀れ。 125
現実世界でそれが通用するか吟味してみればよろしいかと >>118>>121
天下人になってからの晩年は、没落した旧主家や名家の姫を保護するための手段だよ。
天下人の側室にすることで地位や生活を保障してやったんだ。
何気にいい爺さんじゃないか。
そもそも、あの時代の人間は近代以降と違って男女関係に対する考え方や
貞操観念についての考え方がちがう。
貴人や旅人に妻女や娘を伽に出すのが当たり前だった時代だからな。
セックスも挨拶ていどの感覚で、秀吉の保護を受けるかわりに同衾することくらい、
なんでもないことだったろう。
また、側室にしないと公然と保護する大義名分もないだろうし。 >>128
だからそんなに優しい爺さんだったら、
自分の妾にしないで良い相手見つけてあげただろって>>121が言ってるわけだけど、
相手の言ってること全然読まずにレスしてるの? 秀頼の娘と秀次の娘のDNAを比較したら一発でわかるな
赤の他人だと >>128
> 貴人や旅人に妻女や娘を伽に出すのが当たり前だった時代だからな。
外の血を入れるための手段、生活の知恵だな。
昔は交際範囲が狭かったから、そうでもしないと血が濃くなりすぎて色々とヤバかった。 >>132
だが、それだとアカの他人の子をわが子として養育し、子孫にしなければいけなくなる・・・ 別にどうでもよかったんじゃね?
相続してもらって、引退後の面倒をみてもらえれば、ぶっちやけ誰でもOK。 そういうことに関しては日本は異常なほどいい加減。
歴史上宦官のいない文明国はあっても王位や皇位継承権を持つ子供を生む可能性のある女が
いくらでも密通してた国は日本だけだろ。
猪熊事件なんて日本以外の国なら全員極刑が当たり前。 ウィキペディア編集者ジャムリンによる日本史板での自作自演が酷すぎる件
以下が問題の爆笑自演投稿
日本史板住人がWikipediaを弄るスレ PART20
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1372047431/l50
569 名前:日本@名無史さん :2014/04/06(日) 12:39:28.23
ジャムリンって何者なんだ?
そんな悪い奴なのか?
570 名前:日本@名無史さん :2014/04/06(日) 12:54:41.47
>>569
ジャムリンは偉大な天才歴史学者です。
イケメンで長身、髪はフサフサの美形青年です。
フェラーリ・ベンツに乗って美女に大人気、誰もが羨む男の鏡、神の化身のような大英雄です。 秀頼?どこの馬の骨だ?
と、加藤清正が言ってたと爺ちゃんから聞いた 家康が秀頼と面会後に討伐を決めたのは秀吉の子じゃないと確信したからだろう。
赤の他人の子が豊家を名乗って後世に続いていくことが許せなかったのだろう。
豊家を滅ぼしたのは家康なりの秀吉への礼の尽くし方だったように思う。 淀は、自分の性欲充足もあったんだろうが、浅井と織田の血を引くものを天下人として残したいという願望もかなりあったんだと思う。
秀頼は天下人になれなかったが、従兄弟の家光が天下人となった。
江を秀忠に嫁がせたのは、保険として十分に役立ったな。 >>138
DNA鑑定のない時代に、どうやって子でないと「確信」できるの? 思い込みだろうが、そう思えば確信なんだよ
確信の意味ぐらい理解しろよ あんな秀吉と似ても似つかない長身デブなら確信するわな >>141
頭の悪い奴は根拠のない思い込みで確信することがよくあるけど、
普通以上の人間なら、それが根拠のある判断か、ただの推測かの違いくらいわかるだろ。
見た目似てる似てないである程度の推測はできるかも知らんが、
「確信」なんて、よほどアホな人間でない限り、どう考えてもしようがない。
いくら家康だって、そんなアホなわけないだろうが・・・ たった数時間会って話しただけで確信できたら逆にすごいわな 両親低くて子供が高身長ってことだって、広い世の中不思議ではないことだが、
特に浅井の家系は長身揃いだったからなあ。秀頼が長身でも一向に不思議じゃない。
腹は借り物って概念は概念的にはあったけど、
だからって子供が母親に似ることがあるってことさえ知らなかったと考えるのは、
幾ら何でも昔の人を馬鹿にしすぎ。 問題は家康からすれば豊臣をしょって立つ若く聡明な人間が目の前に居たというところだと
血なんざこの際無問題
元恩顧な連中もさすが大御所には一目はおいてはいただろうが
秀頼の出方次第ではどうなったことかと 身長って成長期の栄養事情でも変わるからなあ
秀頼は恵まれまくり、秀吉はどの程度の出身だったか諸説あるが恵まれた食生活ではなかった可能性高い
秀吉のチビが遺伝的なものか、栄養不足からかもわからないんじゃ、
母方の血筋の高身長を除外しても、背が高いのが種違いの証拠というには無理がある >>123
江を嫁がせたのは秀頼世代の豊臣と徳川に血縁関係作るためじゃね?
江が未亡人になって娘を産んで間もなく秀頼が生まれているから、
江が徳川に嫁いで継嗣を産めば秀頼の従兄弟が徳川の継嗣になる
追い返したというより、未亡人のままにしておくには勿体ないほど、
江の血筋に政略結婚の価値ができてしまったというか 親子関係に違和感を持ってDNA鑑定した場合、8割が血がつながってないんだとよ。
親子かどうかなんて直感でわかるよ。
特に秀吉は子供がいなかったし。
だから恩顧の大名が次々に裏切ったのよ。 Naitou1980>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
Freetrashbox>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
海獺>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
Colocolo>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
氷鷺>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
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Blue-comet>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
馬屋橋>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
cpro>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
Akatsuki444>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
アイザール>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
朝彦>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン 秀吉の淀殿への対応の甘さって、秀吉の出自の不確かさが物語っているのかな?
秀吉の家系って、その時代の大名とは明らかに違っていて
父系による血族だけではなく、母系による繋がりも
父系での繋がりと同様に認めている。
姉貴の息子たちとか、正室の外戚である杉原氏とかも、
豊臣氏として扱っている。
徳川家康からみたら、関口氏とか、西郷氏とか、のきなみ徳川氏として
扱うような感じだ。
これもなにも、秀吉の一族の数が少ないから、なりふり構わず
豊臣一族として認めないといけなかったから。 淀殿を織田家の血筋として特に注目して見ていたとしても。
信長の娘である三の丸殿の方が良いだろうし。
そうでなくても、信包の娘の姫路殿もいる。
DNAを調べるとか言ってた人がいたけど、
仲(木下弥右衛門)ー秀吉(淀)ー秀頼
→(父系は弥右衛門系、母系は淀系)
仲(竹阿弥)ー秀長
→(父系は竹阿弥系、母系は仲系)
仲(木下弥右衛門)ー智(三好吉房)ー秀次
→(父系は三好吉房系、母系は仲系)
ということになるはずで、秀長・秀次の母系はともかく、
それ以外の比較データは純粋な父系・母系の調査ができないのでは?
父母系双方が混じりあう情報の中で、遺伝の有無を調べるのはかなり難しいのでは? んまぁ世良田次郎?三郎??が家康と名乗って出た身にとっては
「豊臣」と名乗ったやつが目の前に居ることの「意味」ってのを
感じていたのかもねんw >>153
DNA鑑定は簡単だよ。
秀頼と秀次の娘を検査すれば一発丸わかり。
鑑定できればだけど。 155
影武者か?w
ん〜、おもしろいねぇ
見せてもらおうかね
それを書いたやつの判断が正しかったかどうかを^_^ 仲(木下弥右衛門)ー秀吉(淀)ー秀頼
→(父系は弥右衛門系のY染色体、母系は淀系のミトコンドリア)
仲(木下弥右衛門)ー智(三好吉房)ー秀次
→(父系は三好吉房系のY染色体、母系は仲系のミトコンドリア)
ってことで、全く別のY染色体とミトコンドリアが検出されるはずで、
同じ弥右衛門の血筋を引いているにしても、
男ー男ー男で引いてる秀頼と、男ー女ー男で引いてる秀次では、血縁
であることを証明できないと思うんだが。
(2人の血縁の間の人物のデータが満足に揃うっていうなら別だろうけど。) >>158
俺は鑑定に詳しいわけじゃないけど、はとこかどうか位わかるだろ。 ルイ14世は頭蓋骨の血痕から証明されたんだったけど、血痕も何も
残ってないから難しいな。基本的に日本は燃してしまう埋葬形式だから
外国のようにはいかないんだ DNA鑑定は万能じゃないよ。
親子判定は正確に出るけどね。
兄弟関係については否定的な結果は確実に出ることも多いけど
肯定的な結果は確実には出ない。 >>162
万能じゃなくても、限りなく真実に近いものがわかればいいじゃない。学術的にもかなり意義があると思うよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています