なぜ桶狭間の戦いの後、信長の快進撃が続いたのか?
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たしかに全国から見ても番狂わせの戦いだったけど、一大名が天下を取るまで
のし上がるまでの出来事とは思えない なにが他の大名と違ったんだろ? >>158
訂正
×光秀主導の勝ってたら室町幕府再興
○光秀主導で実権を握る室町幕府再興
江戸幕府でもフランスのナポレオンの国民国家の強さの情報は海外の情報を規制してたのに入ってたみたいだしね
というよりそもそも信長の野望である明征服の為の大陸進出は秀吉の朝鮮出兵である程度は試された結果から分かるのは
あの時代に大陸進出しても朝鮮統治が精一杯でもう少し南蛮貿易に目を向けた方が日本の飛躍に繋がったかも知れないということ
一般的には南蛮貿易による日本の海外雄飛の可能性を信長に託してるけど信長には無理だと思う
その後の徳川は幕府の権力が強くて海外貿易は長崎のみに規制されてその可能性が大幅に閉ざされた結果から信長に託してるだけ >>156
信長が天下統一したら天皇は廃帝でしょ
信長は利用出来るものは利用するけど天下統一後に天皇の利用価値があるとは思えない
かと言って伝統を重んじる男でもないし信長が生きていたら天皇を超える権威を手に入れようとするはず ぶっちゃけ信長様の政権自体 室町幕府のパクりだしな
天皇をドウコウしたかな〜
南蛮貿易も 足利将軍家と「てゆーか,義昭」縁切りしちまって 明との貿易出来なくなったから 仕方なく始めたようなもんだし 信長しか京都に進んで天下を取る事を考えていなかった 信長って何も斬新なことしてないよ
やったのは秀吉
信長の朝廷対応も経済政策も
過去の武家政権や他の戦国大名と大差ない
信長が天皇廃するとかあり得ない 信長は古い秩序や権威を蔑ろにしている
少なくとも将軍家を追放したんだからあり得なくはない
それに天下統一後に何をするか分からんと当時の朝廷に思われてもおかしくはない >>164信長は追放した足利義昭に帰洛要請の手紙を何枚も書いてる
何れも直筆で 1560年前後、信長軍は五千騎しかいなかった。斎藤道三と
同盟していたが、他大名に攻めるも
守るも出来ず尾張統一の地方戦をしていた。過ぎない。
それが今川に勝ってから兵力は八千ぐらいに増えている。
しかし斎藤義竜も二万ほどの兵がいたのに墨俣城などの
計略で美濃を攻略。 1568年には三万の兵を持つ大名として
、足利義昭に利用されたが最終的には200年続いた室町幕府
を崩壊させた。まさに奇謀妙計のうつけものが海道一の弓
取りと言われるなどとは…。 >>167
は?
五千騎って騎兵で五千?
その時期、どこの大名がそんな大軍を動員できたんだよ
今川とか北条でも、あと少し足りないぐらいだろ。
と、表現ミスにうるさいツッコミをば 多分、信長の馬廻りって二百くらいだったんじゃないかな >>168
騎兵の数じゃねえよ。
一騎当千という言葉の千も千騎だと思っているのかね。 清洲同盟がでかい
家康と同盟を結んで国境を決めることで小勢力が日和見できなくなってしまった
清洲同盟で信長は尾張の完全掌握を成し遂げたのさ 勝幡城を拠点としていた織田弾正忠家は中島郡と海部郡の二郡を基盤としていた。
次いで愛知郡という流れ。 旧日本軍が軍記物を鵜呑みにして迂回奇襲説を正しいと誤認したのが
桶狭間の真実をわかりにくくしてるんだよな
それプラス軍部が迂回奇襲説を信じ込んじまったもんだから
インパール作戦みたいな無謀な計画がそのまま実行されたという側面もあるわけで 迂回奇襲は否定されてるけど、後年の行動見てると信長が何も考えずに出撃したとも考えにくいんだよね。
不利なら不利なりに目的を持って行動するタイプだと思う。
戦力比が大幅に違うのに野戦を挑んだってことはやっぱり本隊狙い、あるいは奇襲狙いだったとは思う。 でも善照寺砦の戦いでは、佐々隼人正と千秋季忠指揮下の三百人の部隊も奇襲に失敗してる
動き読まれたのに奇襲成り立つかな やっぱ暗殺
戦のドサクサに紛れて暗殺したんだな
だって今川の城を囲んだ信長が仕掛けた戦だぜ
勝つための算段をしてたはず 今って桶狭間の奇襲説とそうじゃない説、どっちが主流なんだろうね?
個人的には奇襲であってほしいがw >>181
奇襲じゃなくて
降伏したと見せかけての騙し打ちだよ 藤本正行だったかなあ?
この人の書いた本では否定されてた。
たしかテレビではもう奇襲説は否定されてたぞ 駿河欲しさに武田の間者が動いて信長を助けた説を唱えていた人いなかったっけ?
駿河といえば本来は武田の任国だからな 西本願寺高速偈
http://www1.axfc.net/u/3347922
信長の本願寺侵攻にそなえ
手早くお勤めを済ませてしまおうと
このような猛スピードの経読になったのが
今日まで受け継がれてきた由
これもある意味では信長の遺産か >>185どうかな?今川主導とはいえせっかく三国同盟結んだのに今川義元が死んだら水の泡やん
まあ信長との同盟もあっさり破る信玄公だから不思議ではないけど >>189迂回奇襲攻撃説の場合 桶狭間にせっかく雹が降ったのにわざわざ晴れてから攻撃とか「今まで信長は電撃作戦の際には雷雨など雨天時を選んでるのに」おかしな記述がある
逆に手紙を使った騙し討ちなら信長は
斎藤や義昭そして今川に頻繁に使ってる
まあ騙し討ち説の根拠はこんな感じ >>190
なるほど、特に記述はないけど可能性としてありそうってことね
まあ、信長ならどんな手を使ってでも打ち取りそうだけど
でも、そうすると居場所の情報提供に1番の手柄と矛盾するんじゃない?
騙し討ちなら場所の特定の必要もないし 187
その同盟が結ばれるまで武田と今川はずっと敵だぞ >>191そこは確かに まあ敢えて言うなら今川本陣を見つけた梁田?が信長の主家斯波家家来だった時斯波家と織田宗家の抗争に関する情報を信長に提供して恩賞を貰ってるから太田牛一がそこんとこを混同して書いたとか 190
同じくその手口を得意としていたのが武田信玄だ
結論でたな
信長の師匠は武田信玄 信長は上洛する前は信玄に対し平身低頭して貢ぎ物をこれでもこれでもかと
贈っている、態度が豹変したのは1570年ころの話
天下布武の朱印を使い始めてから >>194
信長ヲタは、よく「信長は秀吉の師匠だから信長>秀吉」というが、その理論だと信玄>信長だな。 >>196結果論だがあの総無事例の圧倒ぶりを見るに光秀死後だと
秀吉>信長かな >>189
出典は無いけど
・今川は名だたる武将達が討ち死にしたのに信長側には無い事
・戦の行軍途中にも拘わらず、義元が宴会をしていた事
結果を見れば騙し討ちなのは明らか。
今川配下に裏切り物が居たと思われる >>198
まあ圧倒的に有利な今川方の武将に敗色濃厚な信長がどんな条件を出せたかは謎だが
前にも偽手紙で騙して今川に寝返った武将を義元に殺させたし
今回も偽手紙で騙したか? まあ、
大高城が堕ちた時点で、これ以上反攻してくるバカは居ない
と、考えるが常識だろうな もしくは、当面は亀のように引きこもりつつ、今川軍退却の際に追撃線をしかけて虎口を脱しようとすると考えるか。
追撃戦ってわりとよくあったみたいだしな。信秀なんか何度もそれで負けてるぐらい。 義元は優秀ではあったが、所詮ボンボンだった
脳あるバカは、ツメが甘い >>202
そのボンボンに二万人が従ったんだがな
ついでにそのボンボンは桶狭間以前だが
信長みたいにせっかく稲葉山落としたのに斎藤龍興を取り逃がしたり
姉川で浅井を取り逃がしたり
長篠で武田勝頼を取り逃がしたりはしてない そんなマヌケに討たれるぐらいだから、詰めが甘いんだろ その詰めが甘い奴が提唱した三国同盟に 武田信玄や北条氏康が参加してるんだが 信長オタは、なぜか信長が本能寺で死んだという事実を語ると激怒する。
しかし他の武将が信長に倒された事実は嬉々として語る。
他の武将のオタは、現実に信長に倒されたことを指摘されても現実を直視しているから怒らない。 つか,間抜けとか以前に信長ほど部下に裏切られた大名も珍しいだろ
何人の配下が反旗を翻してるんだよ あれだけ部下に裏切られるって事は,それ即ち詰めが甘いって事じゃないの?
配下が反旗を翻しまくってるのにそれを顧みようとせずに,ついに裏切りで殺されるって… まあ革命児だからな
革命家はいつの時代も命がけで時代を動かしているんだよ >>208
離反対策の方向性が間違ってたんじゃね?
離反される度に敵対者への報復が厳しくなっていった以外の対策が見えてこない 無理をしたからこそ勢力を拡大することが出来たという面を無視するのは片手落ち。
ところで部下の離反とはいうが、どこまでが部下といえるんだ?
浅井とか別所も部下に入るんか?
個人的には浅井は部下じゃないと思うが、別所は微妙かな? >>211
浅井は、信長は部下と思ってて淺井家のひとは部下とは思ってなかったとかそれぐらいだろ
別所は、信長は自分の部下じゃなく秀吉の部下と思ってたんじゃないか 尾州錯乱でさんざん一族郎党と殺し合って浅井や荒木をあっさり信じちゃうお人好しな信長様 >>212
別所は中国遠征以前から信長に臣従してるからそれはないんじゃないかな?
浅井は徳川同様、自分の言うことを聞いて当然の、下位の同盟相手という認識だったと思うが明確な根拠はない。 桶狭間の戦いもそうだが、森可成がいたからだろ
柴田勝家も破り、仲間にし前田利家も救った、
早死にだけが惜しまれるが、上洛までは間違いなく森可成が織田軍では一番の将
今の歴史ではありえないほど評価が低いが
よく読むと森可成がいなければ、織田信長が天下を取れなかったことがわかる
秀吉も竹中半兵衛もその過程の中で出てきて、森可成の恩恵に授かっている 今川の首を打ち取ったのも毛利某で森可成と源義家の血縁
桶狭間の戦いには前田利家も参加しているが、前田利家をこっそり桶狭間の戦いに参加させたのも森可成
柴田も織田を裏切って間もないから、そんなに活躍するわけがない
これは書いた奴と柴田の関係を見れば一目瞭然
森可成の活躍で桶狭間の戦いの勝利できたのは確実だろ
織田信長と森可成は桶狭間の勝利を確信していたことが読み取れる 早死したので、知名度は柴田勝家や前田利家以下だけだが、二人を救ったのは森可成
織田信長が森乱(蘭丸)を異常に可愛がったのも父の功績があったからこそ
それが他国の戦国武将には全くわからないので信長が蘭丸と肉体関係にあるのではと噂した 森家は親子ともにありえないほど勇猛でかなり無謀という印象があるな。
鬼武蔵の名前が有名になりすぎて親の功績が霞んでる感がある。 まあ、実態としての活躍度はともかく、それなりに優秀な重臣ではあっただろうな
たぶん、蘭丸とかは、豊臣政権下における三成(ただし秀長や利休の存命時の)みたいな役割だったしな。
ただ、フィクションを信じすぎな感じがする216-217の言はスルーせざるを得ない 蘭丸ってたかが近習だろ
奉行として諸大名との取次を担った石田と同じとは有り得ん だよなw
多分信コンスレで論破されてた森ないし乱丸厨だとは思うが。
三成でいうなら万見重元、長谷川秀一あたりだろ。 信長公記みてそう感じたのだが
筆者は柴田の元家来で真実を書いているが、どうも森可成を嫌っている
それが原因で森の名前はあまり有名ではない。
おそらく森が柴田を破った時に太田も何か言われたのだろう
意図的に文章を抜かしたりしている 倍以上の軍勢の柴田勝家軍を破った森可成がそもそも弱いわけがない
桶狭間の戦いでも明らかに森可成が中心
上洛までの織田の中核は森可成で評価があまりにも低すぎる 信長が非嫡統って説が囁かれてたが、実際は長男ではなく三男だったみたいね 森可成が信長のために死んで、信長が領土を広げ
また蘭丸が信長と共に死んで
秀吉や柴田が偉くなりすぎたから、今の評価があるだけだ
秀吉や柴田は家督争いから美濃攻略まではほとんど活躍していない
活躍したのは信長と森可成
その後から柴田や秀吉が活躍し始める >>220
長谷川竹と森乱を筆頭に幾人かの近習がわりと重要な役割を担当してるだろ
近習から転じて地方派遣され、武将として活動した人間もいる
政権の規模が拡大すればするほど近習の役割は増大するものだし、政権末期にはそれなりの重要な地位だったんじゃないかと思う
>>222-223
いや、それは無理すぎだろ
>>224
長男じゃなく三男だったのは事実
ただ、嫡統じゃなかったって説は極めて少数派
いや、信長の家系そのものが嫡流じゃなかったのも事実だよ。本家は守護代の家だから。
オレ的には、信秀の嫡男扱いされてたのは信長じゃなく信行だったと考える方が面白いと思ってるが、その説は支持者が少ない。というか論拠不足すぎる。 つうか蘭って本能寺で信長と一緒に死んだというだけで
寵愛だ重用だと過大評価されてるような気がしなくないかな。 ぶっちゃけ池田の息子達の方が森の息子達より重用されたいたと思うわけだが 細川の息子もだな
信長の前でも臆することなく物事をハキハキと言うんで逆に
すごく可愛がられたという逸話があるのも池田兄弟だしな むしろはっきりと言いすぎる家系なのか徳川幕府時代は幕末まで
幕府に目を付けられる羽目にもなるというw
徳川の女となんてぜってー結婚しないだの徳川の女なんて神仏に
逆らってでもいやだーとダダをこねたあげく結婚したらしたで
いつでも実家に帰っていいぞと言いまくってた子孫まで出す始末w >>226
信長公記にも森可成が柴田勝家の軍を共に蹴散らしたこと書いてあるだろ?
桶狭間でも先陣切って行ったのは森可成と書いてある
太田丑一は森可成の事をよく書いていないが、それでも事実は一応書いている >>209
革命という意味なら信長は何もしていないんだけどね。
源平以来の武士の世と言う旧体制の中で動いていだけ。
むしろ戦乱の世を終焉させた家康の方が革命だよ。 >>232
革命的なのは徳川の方だろうけど、革命--天命が革まる--という意味では、信長も革命ではあるだろ
三職推任問題の時点で天命---天皇が天下の采配を委任すること?---が革まったと言えるわけでな
ってかなり強引な見解だな
ただまあ。
中国の天命の根源たる天下と日本の天下が全く異なる意味である以上、日本の天下観に基づいた天命というものを仮想することはできなくはないわけで。
当時の日本における天下の意味内容を考えれば、天皇が天下の采配を委任することをもって革命と呼ぶことが不可能ではないと思うんだよな。 >>230
だがその対徳川の娘戦で病を理由に篭城を決め込むも
看病戦法により落城したのもまた事実だけどなw >>229
忠興の忠は信忠からなんだっけか。
いずれは信忠軍団に入っただろうから戦国DQN四天王中2人も
信忠は率いることになったかもしれんのかw
ある意味最凶軍団になってたやもしれんのう…怖 >>228-229
そうか? 森蘭丸の方が有名だと思うが
信長に仕えて本能寺で死んでいったから偉いよな
そんな衝撃的な最後を送ったのでまた他の奴らが嫉妬するわけなのだがw >>227
それもお前の勘違いだろw
蘭丸は15歳くらいで城を貰い受け5万石の城主になっているぞ
仕事の社長秘書もきちんとこなしていた 本能寺の変の討ち死にも偶然ではなく
常に信長の身の回りの世話をしていた
城ももらったが、城には住んだことはないはず >>237
間違えた、17-18歳の時に信長より城を与えられて城主になっている。
しかし、なんだかねえ、同じ信長の家来の同士の話をしているのにこっちがかわいがられたとか何を言っているのだか?
蘭丸、よくぞ殿をお守りしての討ち死に!見事!とかあってもよさそうなものだが
この現代人にもありがちな自己中心さが織田家を滅ぼしたのは間違いないな
信長が絶対に裏切らない蘭丸を最後の最後までそばにおいていた気持ちがわかる 信長があっけなく殺られているんだから意味ねーよw
二条御所の連中みたいに数回明智軍を追い返して協議までやって
重臣に重傷負わせて何時間も奮闘したって言うなら話は別だがね。
そもそも蘭丸ないし森厨が森は特別扱いされた()風を吹かせなければ
ここまで言われることもなかったろうに。 会社とかに結びつけるの無理だと思うぞ
なんつうか言ってること変ですね
会社やらなんやら明治以降の話だからな 城もらったといっても武田が滅んだ後の岩村城だからなんともだな。
そばに置いていたのも森の本拠地である兼山は鉱山抱えていた関係から
なんじゃないの?
まあ武田の金山衆がやってくればどこぞに転封されそうでもある配置。 某城介さんが愛しのお松を連れて来いだとよ
「わし、毛利攻め終わったらお松っちゃんと結婚するんだ
失われた15年分を取り返すんだ」と息巻いてるぜ それだけ待ったならさぞ激しい新枕になるのだろうねぇ…
まあその前に親父が信玄に含むことあるからまずは儂と令出しそうだが 信長の側近中の側近、森可成、長谷川秀一、大津長昌、堀秀政、矢部家定。 >>1
尾張を制していたから
当時、朝廷への献金額は織田家がトップじゃなかったか
今川の本領駿河なんて貧乏小国
番狂わせじゃなくて、織田家が圧倒的に優勝候補だった >>247
言っとくが今川義元が出した御所の修繕費用は織田信秀の三倍だぞ >>245
激しいどころか待ちすぎて逆にできないんじゃね? 好きすぎるとやれないっていうあれか
それはそれで困った話だからやはり信長コースでFA 信長と松姫の子供or信忠と松姫の子供、どっちがすごいの? 信長と松姫の場合DNA同士が大喧嘩するだろうから
そもそも着床しそうにないw DNA同士が大喧嘩しても着床することにはするぞ
その後生まれた子供の資質については保証しないが 大喧嘩の末に決裂しての多胎児も考えられるかもよw
織田DQN四天王になるか織田四名臣ないし四迷臣になるかは未知数 信長の戦国武将としての能力がズバ抜けて高かったからだろうな
信長は天才だったのだよ まあ弱兵で有名な尾張兵を率いてあれだけの戦勝を重ねたのは評価できる。 >>240
あっけなく殺されてないだろ
たった、あれだけの手勢で何時間も戦った
実際は、投降を呼びかけても一向に信長が出てこないので
光秀が、火を放っていぶり出そうとしたが、そのまま焼け死んだか、逃げ去った
とした方が合点がいく 同時代の資料で尾張の弱兵に言及したものってあるの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています