北条得宗家って日本の歴史の中でも異質だよね
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
なぜナンバー2が、権力を手中にし、世襲制で天下をとれたのか
さらになぜその異質な体制が維持できたのか
普通、将軍家がTOPで有力家臣団が補佐するのが普通だが
TOPを差し置いて完全世襲の家臣の家が前面に出て天下に号令を
かける・・・なんでこうなったの? 畠山も時政娘の婿なのに、時政の外孫でもある嫡男が牧の方の娘婿の平賀と揉めて、粛清されている
畠山嫡男は、時政にとっては孫なのに、殺している
後に足利義純を婿取りしたのが重忠後家なら、時政娘はまだ生きていたはず
あるいは、婿取りしたのは異説のように重忠と時政娘との間の娘だったのかな
年回りからみると、重忠の娘の方が釣り合うような気がする 小豪族でも貞盛流だろ
直方5代の子孫つってるわけで大きな豪族と縁組してもおかしくない
時政は無位無官でも叔父だかが任官してて、時政のオヤジが早世したあるよな
後の子孫の早死にみても、短命な家系だったんでね
それで家督が弟にいったり孫にもどったりあれこれしてて系図が複数ある
貞盛の息子と孫の段階ですでに複数の系図があるからな エベンキキチガイ韓唐なんてチョンコと言う以外はない 泰時は義時が興した北条の別家江間家の嫡男
弟の朝時は祖父時政の牧の方が生んだ嫡男で早世した政範の後継 >>645
政範の死後、牧の方事件まで一気に展開しているから、時政の意向は今となってはわからないけどね
比企を滅ぼしたのが時政の主導なら、比企の血をひく朝時に北条本家を継がせようとするかな? >>643
時政から泰時までの三代は、早死にじゃないんだよね
泰時の次の代から短命になっている
草創期の三代が早死にしていたら、基盤固めできなかっただろうね 宗時が三郎だからその上に子供二人いたのかもしれない
なんせ昔は今と違うからなあその辺りはわからんね 時房の扱いはどーなってんだ?
義時は次男だから江間の所領を得たんだろうが
宗時が死後もそのまま独立してる印象
牧氏に息子ができたらそっちが跡継ぎかもしれんが死んだら時房でもよいんじゃ トンスル蝦夷はキチガイなので避難訓練しないんだ
まあキチガイチョンコ脳では竹槍訓練しかできん阿呆チョンコ人モドキやからな 東西チョンコソウル頭狂に全弾叩き込めはええのとちゃうか
金豚は
どうせ勝ち目なんてない
キチガイチョンコの巣は丸焼きにできんぞ
公約どおりやないけ
その上でしなに亡命して国民は放置でええやん
処刑の手間が省けるだけやん
エベンキベクレ国賊蝦夷のきちゃない死体累々はよみたいわ 北条政範って16歳で死んでるけど死亡当時で従五位下
源頼家が16歳で従五位上、源実朝が12歳で従五位下
主君である鎌倉殿とわずかな差しかない
政範の「政」は時政の「政」だけど「範」は阿多見聖範からか >>652
時政と牧の方は娘婿の平賀を鎌倉殿にしようとしたくらいだし
生きて居れば政範が鎌倉殿でもいいぐらいに思ってたかもね
牧の方の唯一の男子・政範が早世し後は娘たちしか残らなかったために
娘婿を鎌倉殿にしようとした >>652
時政や牧の方は良くても、他の御家人にとっては良くないよね
政範の京都での急死は、それを危惧した他の御家人たちによる謀殺じゃないかな
黒幕が義時で、実行犯が畠山の息子とか? そして、もう一つの戦後処理として、旧百済、高句麗の難民の問題がある。百済・高
句麗は敗戦により国土を失ったので、支配層の多くは倭国に逃亡を余儀なくされた。そして、日本書紀にも記載されているし、現代にも高麗川という地名が残っているように、
多くは東国、つまり旧・関東毛野国に入植させたのである。
エベンキ蝦夷がどうごまかそうが事実なんだわ
更に違法難民チョンコも未開の地チョンコ蝦夷に勝手に住み着きチョンコ蝦夷エベンキこキチガイキャラ馬鹿国賊チョンコキャラが固定したんだわ しかし北条氏の最期ほど、因果応報という言葉がぴったりくる最期もないわな。
北条氏は幕府の創設者でもなく貴種でもない一介の地方豪族に過ぎない。
それが創設者の源氏を根絶やしにし、梶原、畠山、和田、比企といったライバル御家人たちを次々と罠に落として滅ぼし、まんまと幕府の権力を手中にしてしまったわけだろう?
その後も鎌倉時代の間を通じて有力御家人を排除し自分たちの権益拡大を進めた。
こんな奴らでも御家人たちが従っていたのは、要するに恩賞が貰えて所領安堵さえしてくれれば権力者なんか誰でもいい、っていう、御家人側も利害打算で動いてただけ、ってことだからだろうな。
だから、その力が無くなればもう用済みってことで、最期は四方八方から寄ってたかって攻め滅ぼされる、って無様な末路を辿った。
つまり自分たちがしてきたことを、最期は逆に受ける側になった、ってことだろう。
鎌倉幕府滅亡後は歴史の表舞台に出てくることも二度となかったし。 判官贔屓の視点から見たら悪者なのだろうが勝者なのは事実
北条以外にリーダーに成り得る存在が居なかった 位階や官職に頼らなかったところがすごい
天皇、将軍、得宗、執権
何重構造や? 官位に関しては無頓着だったのでは
担ぎ上げている将軍は宮家の出身だけど、京とは隔離していたから 従四位程度の連中にあれこれ指図受けるのが嫌で
朝廷は本当は高い官位をやりたかったという話もある
朝廷として見ると恫喝してでも高官位要求してくる方が
無頓着なのよりは有難かったのかもしれない >>660
江戸幕府が将軍家菩提寺の寛永寺門主に都から法親王を連れてきて
有事の際には天皇に擁立するぞと脅してたらしいが
鎌倉幕府の宮将軍も朝廷に圧力かけるためみたいなもんだよね
(後鳥羽上皇が「朝廷を二分する」と反対した通り)
江戸幕府も武家は武家官位で朝廷とは別に勝手にやるからといってたみたいに
基本幕府は朝廷官位に無頓着
室町幕府は足利義満が官位に執着したから将軍の官位が異様に高くなっただけ
足利義満は後円融天皇と母親同士が姉妹で兄弟みたいに育ったから
自分が天皇でもいいんじゃ?みたいに思ってた節がある 皇別氏族の中でも序列はある。
清原氏や安倍氏や小野氏や日下部氏も皇別なわけだから。
結局、なるべく新しい時代に臣籍降下した氏族ほど格上。
とくに皇別氏族に与えられる姓は、平安前期以降には源氏ばかりになった。
よって、本来は、源氏>>>>平氏。
平氏は清原氏や安倍氏よりは貴種かもしれないが
源氏とは大差がある。 >>664
えー?
その時の権勢なよるものなんじゃないの? >>451
やるだけやった直方の方が好きだ。
直方の奮戦によって忠常は磨耗し、戦いを続ける余力を無くした。
任を解かれた直方には哀惜の念が湧くのを禁じ得ない。
心から同情する。
頼信は美味しいところをかっさらっていっただけ。
頼信赴任時には忠常はもはや死に体の状態だったのだから。
こういうのって本当に無常を感じる。 >>662
関東の豪族にとっては頼信以来の河内源氏が主君筋で、平氏はその下に位置するものと思われてたんじゃないか。
京都視点から見る源平両氏と関東から見る源平両氏は違ったんだろうね。
清盛周辺の平家ではない桓武平氏は貴種とは見做してなかったんじゃないかな。 >>666
でも直方の娘が義家らの母だから
鎌倉将軍、室町将軍、徳川も建前上は新田の子孫を称してるから
皇族将軍除けばみんな子孫 >>663
徳川幕府は家斉が従一位を要求してから
凋落が始まったな
高官位が欲しいっていうのは結局朝廷権威に取り込まれるということなんだろう 北條時政以前から、北條氏は従五位ぐらいの地位にある貴族だった。 平直方は平貞盛流の嫡流。
(一応、平中方という兄貴がいたけど、この人は京都で公家として活躍することを目指したので
坂東平氏としての貞盛の子孫の嫡流は直方)
平良文流の平忠常から先祖の敵の子孫だと公言されている。
その要因が、平貞盛VS平将門の時代の因縁。
平良文は甥っ子の平将門と仲が良く、将門の遺児をかくまったりする。
後に良文と将門の子孫は結婚。その間にできたのが、平将常。その子孫が秩父氏。
将常の兄貴が忠常で、忠常は良文流の嫡流。
そんなわけで、坂東平氏は長い間、貞盛と良文(甥っ子の将門の後を受け継ぐ)の
2人の子孫の間で構想があった。 >>670
久明親王、守邦親王も直方の血は引いてないだろ? >>673
引いてるんだよ、それが
久明親王も守邦親王も源義朝の女系子孫
源義朝の曾祖父義家の母が平直方の娘 8代前の先祖は256人いるし
あの時代の天皇貴族上流武家は全員血族だろう そんなに後のお歴々がその血を引いてるならもっと直方のことアピールしてあげればいいのに(´;ω;`) >>676
歴代天皇って結構無名人の血も引いてるだろ
そんなのいちいちアピールされても しかし、すごい世渡りの術だよな。
元々、自分たちと同等の中央軍事貴族(留住貴族)の家はことごとく滅ぼしたり、僻地に追いやって無力化させたり(泉、比企、波多野、山内首藤etc.)、
有力在庁官人系豪族は、惣領筋よりも諸流筋を要職に引き立てて、一族間の内紛を図ったりと(三浦ー和田など)。
これらがことごとく上手く行ってる様には凄みすら感じさせる。
呪術とかの天才家系だったんじゃないか? 北条時政と、北条四兄弟姉妹の政治力は異常
で、この兄弟姉妹の政治力が一族に受け継がれていってんだよね
日本史上最も政治的に有能な一族だよね
というか世界史的にもここまで有能な一族は稀
反対に足利一門は酷いもんだよねw 不安感があったからこそ権謀術数に長け、ナンバー2だからこそ緩衝役として機能して配慮が徹底していたんだろうな 北条歴代で出来が微妙なのは友人の喧嘩に馳せ参じてしまって泰時に辛い評価を受けた経時さんくらいか
まあその記述も嫡流が時頼さんに移って後のものだから本当かどうかわからんしな その得宗家も貞時の時代、権力の集中に失敗して、政務放棄すると
次の高時時代は、得宗家といえども家来の内管領に対して無力になったらしいからな
内管領の長崎家の力がました BS歴史館で末期にはナンバー2の仕事をしなくなり、ナンバー1になった時に優れたナンバー2がいなかったから滅びたとか言われてたな >>683
経時も泰時と同様に撫民を掲げた名君なんだけどね
僅か二十三歳で亡くなったけど
経時が解決しきれなかった問題を時頼が引き継いだ 北条氏は、経時以来短命なんだけどね
安達氏の近親婚が原因らしいけどね 今日本史Bでやってるところだから混ざりたいけどレベルが違いすぎた高2 >>688
Wikipediaで北条の歴代執権16人それぞれの項目を全部読めば、
基本的知識は十分かと存じ候 北条宗家の当主をなぜ得宗というのかという考察なんかも面白いよね
かわいそうな時政www 日本史では、元寇の時宗のところが大きく取り上げられて、
あとは後醍醐天皇の倒幕のところに話がとんでいくからな
元寇の戦費の負担で御家人が貧しいくなって、恩賞も与えない不満が
倒幕になったと書いてある
時宗が以降の鎌倉幕府のことはあまり取り上げられない 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
H1VR1 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています