♪邪馬台国東遷説 その15 [転載禁止]©2ch.net
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邪馬台国研究の本道「東遷説」臨死体験後復活♪
汝らに平安あれ まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり >>594
畿内説というのは、とにかく東遷という言葉に異常に反応してきた。
考古学的に東遷の根拠は一切ないと言うのも聞いてきた。
にもかかわらず、伊都国にしろ東遷という言葉が出てきたのは
畿内説自身の裏切り行為のようなものじゃないかな。
しかも、前からあったなどというのはあきれて物も言えない。
畿内説スレに言って、伊都国東遷説を主張してみるといい。
畿内説の信者から猛反発を食らうはず。 邪馬台国東遷説の人が東遷の根拠を挙げても、畿内説は
反発ばかりしてきた。
しかし、伊都国東遷説になると、これらの根拠、つまり、
弥生九州と古墳近畿の連続性など、根拠の大半を受け入れることになる。
大いなる矛盾。しかも、あとになって、そんなことは言っていない。
前からそういう考えだったと言い張るのが常。
畿内説というのはわけのわからない説だな。
これでは論争にはならない。 断言するけど、畿内説は、日本列島における支配者は皇統以外あり得ないという信仰
が生み出した幻想だよ。 日本の古代史に関する意識調査のための簡単なアンケートを実施しています。
よろしければアンケートにご協力をお願いします。
http://yayoi-muso.expressweb.jp/Survey/SurveyTop >>606 東遷説カルト儲
>しかし、伊都国東遷説になると、これらの根拠、つまり、
>弥生九州と古墳近畿の連続性など、根拠の大半を受け入れることになる。
何幻見てるんだアホw
そもそも柳田自身、古墳文化の中の九州の弥生王墓に見られる副葬品体系の理解が軽すぎると不満漏らしてるんだが?www
『邪馬台国時代のツクシとヤマト』
>前期古墳を特徴づける大型・中型鏡の多量副葬は、弥生中期後半以後の北部九州王墓の伝統である。
>古墳平原王墓を軽視するのは研究者が
「江戸の敵を長崎で」よろしく邪馬台国東遷説の無念を伊都国東遷説に晴らしてもらおうって腹かい?ww 東遷で読み解こうとするとあちこち無理が出る
単に九州より瀬戸内、東海のほうが人口、生産力その他で
優位になり列島の中心になっただけだな 神武天皇の東遷の前も後も、倭国の中心地は畿内。
記紀には、日向は貧しい土地で、畿内は豊かな土地と出てくる。
つまり、ずっと中心地は畿内。
卑弥呼の正体は、モモソ媛命。 倭国の男女は刺青をし、倭国には阿蘇山がある。
これは大和朝廷以前の原住民、土蜘蛛、蝦夷の類だ。
男女の多くが臂(肩から手首まで)、顔、全身に刺青をし、水に潜って魚を捕る。文字はなく、
ただ木に刻みをいれ、繩を結んで(通信)する。仏法を敬い、百済で仏教の経典を求めて得、
初めて文字を有した。卜筮を知り、最も巫覡(ふげき=男女の巫者)を信じている。
阿蘇山があり、そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、俗人はこれを異となし、因って祭祀
を執り行う。如意宝珠があり、その色は青く、雞卵のような大きさで、夜には光り、魚の眼の
精霊だという。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun9-zuisho.htm 畿内説で東遷説をとるのは少数だよ。
寺澤教授ぐらい。
その寺澤教授も、考古学の先生ではあるが、文献史学のほうは専門外で
だから、かなり、トンデモなことを言う。 5 名前:日本@名無史さん :2015/01/27(火) 12:42:13.33
女王国の北に21国あるのだから、北部九州でないことは明白。
その余の、遠絶にして詳らかにできない某国というのが本州だろう。
そして、女王国の東には海があり、その向こうには倭種が住むという。
そこは四国であり、女王国は九州東部で決まり。
そして、四国の南については書いてあるが、女王国の南については
書いてない。
これは、女王国が九州東南部であり、南には他に国がないことを示している
と考えられる。
西はどうかというと、奴国という、女王国に向けて南下した不弥国の
西にある国(奴国)の南に、女王国と対立する狗奴国があると書いてある。
つまり、女王国の西は狗奴国。
魏志倭人伝は、最小限の文章で、九州全域、女王国の東西南北を
明確に記述しているのだよ。
奴国→不弥国
↓ ↓水行
↓ ↓水行
↓ 投馬国
↓ ↓水行
狗奴国 ↓陸行
女王国(海)→四国
(海) 畿内説でも帥升は九州の王と見る向きが多いだろ
そっから九州は後漢とともに衰退し
本州が倭国の中心になった というか、帥升の時代、たまたま畿内の九州に対する統制力が失われていただけだろう? 伊都国が熊襲に寝返って邪馬台国を潰したんじゃねえの? 日本書紀の登場人物で、もっとも卑弥呼に近い人物は、土蜘蛛。
大和朝廷に滅ぼされた側の人物。
土蜘蛛紀行 筑後編
其之壱、山門─イ、蜘蛛塚 八束脛門へ戻る
http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_trip_chikugo_0101.html
大山田女:日本書紀によると、神功皇后が、かつて「山門(やまと)」と呼ばれた
この地の土蜘蛛・田油津媛(タブラツヒメ)を討ったとのことです。また、その兄
である夏羽(ナツハ)が軍勢を従えてやって来たのですが、妹が討たれたと知り、
逃げ去りました。こちらに詳しく書いてあります。
http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_ancient_01.html#7 >>2
邪馬台国はどう考えてもヤマト国の当て字だからな
場所が違う訳がねー、どう考えても近畿のあの辺だろ
ただ支那の三国時代の呉の移民が弥生人である以上
九州辺りに最初に勢力を拡大したのは事実だろ
半島との貿易を考えれば北九州が一番発展するだろうしな
まーなんにしても弥生系である倭国や邪馬台国が最初から近畿には有るわけねーわな
当時は近畿に住んでたメインはあの辺りは縄文系だろ
そんで東の縄文系と、西の弥生系を抑えるのに都合のいい山に囲まれた天然の要塞のあの場所に遷都した
でもまぁ、邪馬台国と名乗った以上地名が由来なんだから文献に登場した時には既に近畿だろ
倭国と名乗った時には多分九州が本拠地だろうけどな
それと倭国と書いてヤマトと読んだとか言う説があるらしいけど
当時倭人はシナ大陸にも普通に居たんだから倭と書いてヤマトとは読むわけねーわな 『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、
改為日本。或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、
故中國疑焉。又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有
大山為限、山外即毛人之國。
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。あるいは曰く、倭国は
自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。あるいは日本は昔、小国だっ
たが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれ
を疑う。また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り、
東界と北界は大山があり、限界となし、山の外は、すなわち毛人の国だという。
『新唐書』日本伝
其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城
王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、
皆が「尊」を号として、筑紫城に居住した。
※「筑紫」=北九州
(まとめ)
日本と倭国は別種。
日本はどこかの小国だったが倭国を併合した。(旧唐書)
日本の王が自ら言うに、日本の最初の王は北九州にいた。(新唐書) >>624
じゃあ、倭国と邪馬台国は連続した政権では無いって事だろ そらその記事を主張してるのは九州王朝説で
九州王朝が白村江で滅びて大和朝廷が新しくできたことを主張してるわけだから
東遷とはまっこうからの論敵だろ >>626
白村江で滅びて、残党が畿内に行ったと
思ってるよ。
ただ、もう畿内も結構な勢力になってるので、
知識を持った文官は吸収しても、
王族は消されたかな。
そして、大宝から大和朝廷の整備が本格化する。 邪馬台国東遷説ではなく、クナ国東遷説というのもある。 >>624-625
天智と天武はつながってる王権なの?切れてる王権なの?
通常の日本史では天智と天武ですら同じ天皇家としてつながってる扱いだが。
そしたら邪馬台国と大和朝廷だってつながってるといえるだろうな >>624
> 日本と倭国は別種。
> 日本はどこかの小国だったが倭国を併合した。(旧唐書)
>
> 日本の王が自ら言うに、日本の最初の王は北九州にいた。(新唐書)
日本=狗奴国
倭国=邪馬台国
南九州の狗奴国が、北九州の邪馬台国を併合してさらに東遷した
とでも考えてみるか。 >>632
コピペ相手によくマジレスする気になるね。感心感心w 「日本」は、もともと、百済地方の呼び名だった。
http://img.hani.co.kr/imgdb/resize/2012/0607/00432833701_20120607.JPG
▲昨年7月、中国西岸骨董市場で発見され現地学術誌に公開された百済人「祢軍」の墓誌銘拓本。
今日の日本の国号が本来、百済の土地を称する言葉であり、国号成立に百済人らが関与したと
いう学説が提起された。
7世紀の百済滅亡期、義慈王と唐に投降して官吏になった後、日本に使節として派遣された「祢軍
(禰軍)」(613〜678)という人物の墓誌銘の文章に彫られた「日本」の文字が現在の日本の国号で
はなく百済の他の表現という根拠が見つかったという。この様な主張をしたのは日本古代史学界
権威である東野治之(とうの はるゆき)大阪市立大教授だ。
墓誌銘の「日本」は祢軍が日本に使節に行った背景を書いた部分に登場する。「660年官軍(唐
軍)が私たちの蕃国(百済)を平定した日…日本の残党が扶桑に立てこもって殺戮を免れ、風谷に
残った輩は盤桃を信じて堅く抵抗した…」という内容だ。
文中の「日本」を既存学界は公式国号と見たが、東野教授は「技巧を凝縮させた墓誌銘の文章と
見れば決して国号とは見られない」と否定した。墓誌銘に記録された当時、百済など中国の周辺
国は国号を使わず、扶桑・風谷・盤桃など自然環境的特徴に基づいた隠喩的名称を使ったが、唯
一、日本だけ公式国号を使ったはずがないという論旨だ。
墓誌銘の「日本」は中国から見る時「日が昇る所」という意味ですなわち百済を示すということだ。
彼は「墓誌銘で実際、倭国(日本)は‘ヘジュァ(海左:海東側)’、‘ヨンドン(瀛東:中国東側)と表記さ
れたと推定される」として「当時、国号が存在したとすれば書いた人は日本という表記を使わなか
っただろう」と主張した。
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/536435.html
日本=百済または狗邪韓国 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり >>634
>日本=百済または狗邪韓国
↑こういうこといってるから既知外認定されんだよw 狗邪韓国が後の加羅なら倭人の領域だし日本でもいいんじゃない? 九州王朝説(主流) > 畿内説(非主流) > 東遷説(キバヤシの出番) >>641
アホな思いつき垂れ流してないで、まず一通り勉強してから2chに来いよ… 出雲勢力は最初から出雲だったのだろうか
元は九州に居たけど敵に敗れたとかで出雲に引き籠もったとかないんかな >>646
元は畿内にいたんだろ。
饒速日一族だよ。
長男が諏訪に逃亡してるけど、島根が畿内から攻められて、諏訪に逃げるか?
それだと、敵の本拠地に向かうことになる。
畿内から諏訪に逃げたと考えると納得できる。 >>646
明治時代あたりは、出雲を狗奴国と考える研究者が
多かったらしい。
後漢書にもそのように書かれている。
自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王
東遷説的には、出雲を狗奴国に比定するのが都合がいいのだが、
都合がいいだけでも困るわけで。 対馬国の官も一大国の官も「卑狗」
それ以降の国の官は名前が違うが
狗奴国の官は狗古智「卑狗」
対馬国、一大国と、狗奴国には何か繋がりがあるのか
また副官が「卑奴母離」である
対馬国、一大国、奴国、不弥国にも何か繋がりがあるとみていいのか >>649
副官の卑奴母離は、灯守りという話があるよな。 た嫌儲の邪馬台国スレから参りました
なぜ畿内派の方は『すでに畿内で確定だから』『識者の9割は畿内派だから』などの一言でレスで片付けちゃう人が多いのでしょうか?
ここのような専門板ではなく、広く浅い雑談2カテゴリーの嫌儲(ニュース速報嫌儲)でそういう態度をされるとあれこれ議論にならず会話がつまらないのと、
さもそれが正しいかのような印象操作にがっかりします
畿内派スレに書くべきだと思うのですがお許しください 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり あのよ。プラントオパールは微細すぎて、土粒の隙間を通って下にしみこみ、不透層でとまるわけよ。だから全くあてにならないわけよ。 倭王朝は、百済王朝を援け、新羅を討伐するため三万余の大軍を朝鮮半島に送りましたが、唐・新羅連合軍のために壊滅させられる大惨敗を喫したのです。このため倭王朝に対する国民の信頼は一挙に喪失し、国民の深い恨みと強い怒りだけが残ったのです。
唐朝は、日本を代表するのは九州筑紫に都を置く倭王朝と見ていました。朝鮮半島に軍を送ったのは倭王朝です。七世紀の後半になっても、日本列島には統一王朝は成立していなかったのです。近畿大和王朝は、倭王朝より格下でした。
倭王朝の朝鮮出兵の惨敗が、近畿大和王朝と倭王朝の立場を逆転させたのです。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/ 唐軍が倭国九州に上陸したため、倭国は畿内に遷都を画策して壬申の乱を起こして
畿内を攻略(672年)。徐々に首都機能移転とおもっていたところに、九州倭国で
大地震が起こってしまった(679年)。そのため、移転を急いだ。
移転前の国家伝承を公的に残すために、記紀を編纂させた。九州倭国で作られた
万葉集は、畿内移転後に再編された。 ↑が九州説の最終弁論であった
そして判決公判で九州説の死刑が宣告されたのである 続日本紀の記載
文武二年(698年) 九月乙酉(廿八)○乙酉。
伊勢国朱沙・雄黄。
常陸国。備前。伊予。日向四国朱沙。
安芸・長門二国金青・緑青。
豊後国真朱。
日向(宮崎)から朱沙
豊後(大分)から真朱(辰砂)
がそれぞれ献上されている
西日本の丹朱文化は九州発祥である点
縄文時代から丹は使われていた点
そもそも同時期に日本複数地域で丹山採掘技術が存在していた点
丹山(水銀鉱山)の露頭は朱沙として見つけやすい点
以上から
北部九州に丹山があったのは間違いないだろう >>649-651
ヒナは「鄙・夷」で辺境のこと、ヒナモリは辺境防衛のこと。
一大率から派遣された武官だろう。
卑狗とかの長官が行政官で、卑奴母離は副官=武官。
中国風にいうと太守(長史)と都尉(司馬)みたいな関係。
格式の上下があるから副官と書いてるけど
一大率から派遣されてるなら指令系統は別だろうな
日本書紀にでてくる派遣軍はだいたい将軍が複数で一人は文官(監督官)
昔から文官と武官をわけて権力を集中させない仕組みでやってる >>662 理由もなく「間違いないだろう」ってアホじゃね? 畿内説スレで暴れてる阿呆のせいで東遷説全体がキチガイ集団に見られてる 弥生時代に稲作があったところから、戦国時代の呉が越によって滅ぼされ、
呉の貴族・軍隊・国民が日本に逃げてきたと考える方が自然だ。
場所も奴国、今の博多。後漢に使節を送った国だ。
邪馬台国は奴国と対立する勢力だから、魏の使節は船で博多に来ていない。
唐津から有明海を通って邪馬台国に行っている。 >>669
Y遺伝子をみたら、それが
いかにトンデモ説なのか、よく分かる。 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 大げさに言うと
世界中が敵
この意味が、わからないのかな どこの世界中?
政治家とか企業とかそんなレベルの話かな? >>674
だから朝鮮人なのか?と聞いているんだよ 日本は好かれている
このような捏造は、いくらでも出来るんだよ 観光誘致目的で遺跡なんか発掘してそれが気にいらないとか?
あとは海外のやつらをバカにしたような商品作るとか?
それを出してるやつらもそれがヒットしないと死んじゃうんだよ
別に死んでもいいんだけどさ 債権やらヤクザやらあとは怖い人たちが自分らの金や命を狙ってやってくるんだよね〜
防衛策はほんとザルだからなwww だから半島人なのか?聞いているんだよw
元々、半島に住んでいた人?
という意味 どこの半島?
ずいぶんお角違いの質問してくるんだねwww 本当に頭が悪そうだな
誰と間違えているのか、わからないけど、
モレ(仮)は東北に住んでいた者だよ あなたは40代ロサンゼルス府警新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか? wikipedia見てたら東遷説とは微妙に似ててちょい違うものとして
「二王並立説」って昔あったみたいなんだが。
これ日本史板的にはどういう感じなのかね。
東遷説よりはマシ?東遷説以下? 二王並立説には賛成しないが
ある時期の政権内部が二大派閥に分かれて
争ったというなら、あり得ると思う。 倭国大乱は、中世の南北朝の動乱と一緒で
王家が二つに割れて王位継承争いをした事件。
それは、皇室系図で言う欠史八代の時期で、
これは現在の天皇家にとって隠したい事件でもある。
倭国大乱の王家二つとは
まず、正式な倭王だったのはホアカリの後胤たちで、これは後に名古屋へ落ち延びて
熱田社の尾張氏になる。
出雲国譲りさせた時の高天の正式な倭王はホアカリで
彼は天つ神と国つ神の両方を統合したので、天照国照彦と呼ばれた。
もう一方は、ホアカリの弟のニニギの後胤で、この系統は
当初は九州南部の地方官として働いていたのが、
ニニギの曽孫のワカミケヌ(神武)の代に再び畿内に戻り
最終的には一族のモモソ媛命(卑弥呼)を立てて、正当な倭王を独占する。
これが現在の天皇家。 皇位継承争いなんて記紀にはいくらでも載ってるじゃねぇかよ
べつにことさら隠したいものじゃないだろw
卑弥呼と卑弥弓呼の争いも、
記紀にでてくる数多くの皇位争いの中のどれかに該当するんだろう。
数多くの皇位争いの一つにすぎない 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった >>691
皇位継承争いなんて、いくつでもあるけど
最初の皇位継承争いは、万世一系を主張する皇室の主張が微妙に揺らぐ可能性があるので
皇室としては隠したいんだよ。
おそらく、現在のヤマト朝廷の前身は、出雲国譲りの時に誕生したのであろう。
当然、それならば、その時に最初の天皇として認めても良い倭王が誕生したはずだ。
しかしながら、そのへんは記紀では神話として事実が薄められ
事実上、闇に葬られ、皇室の祖先は何故か、天孫降臨として
九州南部に左遷されているのだ。
つまりだな、出雲国譲りの時に誕生したはずの真の初代天皇(倭王)は
現在の天皇家の男系の直系の先祖ではないのだ。
よって、その人物を初代天皇として祭り上げると
現在の天皇家に正統性に疑問符がつくというわけ。 >>694
勝手な憶測を積み重ねてるだけだね
「隠したい」ってのは奈良時代の政府がか?
神武に敵対した長脛だって饒速日を担いでたって書いてるし
綏靖もタギシミミと殺し合ってる。隠してないじゃん
「実は直系ではなかった」とかいうけど
記紀編纂の結果できた系譜だってジグザグで直系にはなってないのに何いってんだ
ぜんぜん隠してないやん 大昔の「二朝並立説」って
九州の女王国と畿内の邪馬台国が別々になったって説みたいだな↓
久米雅雄は「二王朝並立論」を提唱し、
「自郡至女王国萬二千餘里」の「筑紫女王国(主都)」と
「海路三十日」(「南至投馬国水行二十日」を経て「南至邪馬台国水行十日」
してたどり着く)の「畿内邪馬台国(副都)」とを想定し
両者は別の「相異なる二国」であり、筑紫にあった女王国が
「倭国大乱」を通じて畿内に主都を遷した(東遷した)のであるとした[24]。
また大和岩雄も、九州にあった女王国とは「畿内をも含む倭国全体の首都」
であって、女王壹與の代になってから畿内の邪馬台国へ東遷したが、
それは倭国の勢力圏の内部での移動にすぎないとした
(ただし神武東征や天孫降臨などの神話と関係づけることはしていない)。 >>696
東遷の時期が久米雅雄と大和岩雄でちがう。
久米雅雄は倭国大乱の時に東遷
大和岩雄は台与が即位してから東遷(266年の朝貢はすでに東遷後) 国宝海部氏系図の本が出版されているけど
著者の結論が
どうも、大和朝廷の創世記は、倭国の王政は
祭祀を行う祭祀王と政治を行う世俗王の二頭体制で
それに即位できる二つの王統があって、
両者はホアカリとニニギの兄弟から別れた家系だった。
前者が熱田社の尾張氏の先祖、後者が現在の天皇家の先祖だった。
そして、その場合、おそらく、形式上の真の倭王は前者のほうだったはずだけど
実際に権力を握っていたのは後者だったけど
いわゆる欠史八代の時期に、前者は後者によって畿内から追放されましたと。
そのあたりの系図に卑弥呼と噂される箸墓古墳の被葬者もいる。 ホアカリ=ニギハヤヒ同一説を前提に何か言うやつは
9割ぐらい基地外の電波説 >>698
父系での継承でしか考えられないところがまぬけ
隋書の段階でも九州の王家は異父同母を基調とした兄弟姉妹の三王体制だろ
「天王日月」銘の鏡のもてはやされるのもここにある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています