明智光秀はなぜ織田信長に謀反したのか?3 [転載禁止]©2ch.net
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>>871
そんなお前にオススメの本がある
鈴木眞哉・藤本正行「新版 信長は謀略で殺されたのか」(洋泉社歴史新書)
この本を読んでもまだ、謀略だと主張したいのなら、もう仕方がない 部下に叛かれない、そんな当たり前のことも出来ないバカ信長。 >>867
仮に家康暗殺計画があったとしてきめたのがいつだったかで
変わってくるんじゃね?
もし安土より後に決めたのならやりようもない 浜松の家康には、関東の北条氏政の牽制として東海道を守って貰わなければいけないので、信長が安土で自ら膳を運んで歓待した家康&梅雪を殺すことはありえない。
四国説が最有力。
長曾我部の恭順の意を無視して、家臣団に人気の高い三七信孝@大坂城に成敗させようとしたから、
光秀が信孝大坂出陣の前日、その出鼻を挫くように本能寺を襲ってる。
つまり四国攻めがなければ(長曾我部安堵なら)本能寺の変は起こらなかった➡それが原因というこつ。 北條が敵対するとは限らないだろ
約束を自らは破らない信長が娘をやると申し出た以上
北條を敵対前提で考察するのは無理があるんじゃね まあ松姫が信忠の元にくるなどの前提が必要とはいえ
北条の方が自然と血縁関係になるから使えるんだよな…
武田姉妹をはさめば信忠と氏直は叔父甥関係、娘を嫁がせれば
義兄弟と二重の濃い血縁関係になる 中国四国攻略を巡っては、織田家中で、阿波の【三好&秀吉】vs土佐の【長曾我部&明智】の争いが先鋭化、
輝元に身を寄せていた元主君・義昭の密命を受けて、光秀が本能寺で丸腰の信長・信忠父子を討ち、長曾我部と【三好&秀吉】を挟み撃ちし、義昭を京都に呼び戻して将軍職に就け、自らは管領として補佐役に回ろうとした、という四国説&義昭黒幕説の混合説もあるyo! >>879
ハイブリッド説面白いw
たしかに、かつて義昭に仕えていた細川藤孝・忠興(三女ガラシャの婿)父子が味方を断った途端に、光秀が急に勢いをなくしたのも、荒唐無稽に見える義昭黒幕説がなかなか消えない理由だろう。
かと言って、四国説だけでは弱すぎる。
藤孝は義昭なんかとっくに見限っていたろうし、光秀も義昭を傀儡として利用価値しか認めていなかっただろう。
フロイスの記述を読むと、人を欺くのが凄く得意な光秀は、自分が将軍になるより、ナンバー2として天下の実権を握った方が得だと考えるタイプのように思われる。
まず信長を討ち、長曾我部と組んで最大のライバル・秀吉を討ち、(元就の遺言で中央に野心がない)毛利とは和睦して義昭を都に呼び戻して将軍職に復帰させ、
柴田・丹羽・滝川など織田の譜代家臣団は臣従しなければ(信長が上洛しない朝倉義景に対してそうしたように)将軍義昭の逆賊として討つつもりだったのだろう。 細川・上杉始め、諸大名が光秀に全く味方しなかったのは、もちろん信長が生きていた場合の報復を恐れてのことだろうが、
それに加え(どうせまた低能な義昭を担ぐ気だろ?それじゃ戦国乱世に逆戻りジャンか!)という閉塞感があってのことではニャアか? >>880
義昭は信長が死んだ時点でも現任の将軍だよ >>880 >>881 >>882
そうなると、義昭黒幕説というより義昭利用説だぬ >>880
まぁ、四国説+義昭再利用 のハイブリッドが妥当な線かもな
自称子孫のトンデモ説はないわw というか家康の暗殺云々は明智氏が本を出したことでメジャーに
なっただけのことでそれ以前から指摘されることはあったんだよ
だから書簡研究が再び盛んになったこともあって信長と家康の仲について
再検証がなされていたりもする >>880 >>882
光秀だけでなく、山崎・賤ヶ岳を制した秀吉も、義昭を利用しようとしていたからな。
養子にしてもらって、将軍足利秀吉として大坂幕府を開こうとしていた(後陽成天皇のの大坂遷都構想まであった)。
義昭が断ったから、仕方なく武家関白・豊臣秀吉になっただけで。
怨恨説はじめ、本能寺の変に関してはいろいろな憶測は可能だが、結局は、大坂城にいる信孝の四国出陣式の当日、信長・信忠父子が丸腰で揃った(もう二度とないだろう)千載一遇のチャンスを逸するわけにはいかなかったことに尽きる。
しかし…信長や同僚家臣たちの手前、事前準備や根回しが不可能だったことが光秀の運命を狂わせた。すなわち、
1.頼りにしていた足利幕府元重臣細川藤孝・上杉景勝が、織田方の報復を恐れて味方を断った。
2.光秀の誠心誠意の仲介で信長への臣従を決めた肝心の長曾我部が、まさかの展開に戸惑って動けなかった(光秀も事前に計画を漏らせなかったため)。
3.(前年に長浜から播磨・但馬への国替えで、姫路を本拠にしていた)秀吉が、電光石火で備中高松から引き返してきた。 >>886
そこで本能寺を襲えば、ビンゴ!だもんねw
積年の屈辱や怨恨、長曾我部、など色々な原因に、出来心が加わってやっちゃったんだろうね >>1
陰謀論は否定したほうが良い。アカデミックの世界では、陰謀論を言うとバカにされる。
というのは理由があって、明智光秀の前後の行動に一貫性が全くないから。
非常に場当たり的というか。。。
明智光秀は、本能寺の変の時に、京都を完全封鎖してなかった。
だから、織田家の家督を継承していた織田信忠は、その気があれば逃げられた。
光秀の立場からしたら、信忠を取り逃したら、クーデターが失敗になるので、
普通ならば、京都を完全封鎖しないといけないのに、それをしてなかった。
また、明智光秀の本能寺の変直後で残っている数少ない書状などで、
場当たり的な対応が目立っている。 明智光秀は頭良いけど、一方で平気で人を裏切るタイプ。
前に細川藤孝に仕えていたこともあるが、藤孝の使者として織田信長に会ったら
そのまま、あっさり信長に仕官して、藤孝には返事もよこさなかった。
そういう不義理なことを平気でするタイプで、上昇志向も強い。
本能寺の変も、突発的なクーデーターで、目の前のチャンスが訪れたので、
つい、出来心でやっちまったクーデーター。 安土の信長だけでなく、岐阜の信忠まで…鴨がネギを背負って歩いてたわけだからねw
最高の獲物を前にして、ついハンターとしての狩猟本能が出ちゃったんだろうw 由緒正しき土岐(岐阜の語源)源氏の明智と、成り上がりの尾張守護代(留守番家老)の信長では家格が違うし、
国盗りゲーム真っ最中の戦国乱世という時代背景、社会全体を覆っていた混沌とした空気も見逃せない。
9歳年下の元足軽大将・羽柴秀吉の配下で、毛利攻めに加わるよう命令されて、鬼と出るか蛇と出るかの一発勝負に出たんだろう
【時(土岐源氏)は今 雨が下しる(天が「下知」る=天下に号令をかける) 五月かな】
「賽は投げられた」光秀は、亀山城を(西ではなく)東に向かい、桂川(ルビコン川)を渡った…orz (信長の家臣までは、まぁよい。でも秀吉の家臣扱い...絶対に許せん!)光秀、心の声 従来、信長が討たれた元本能寺は、四条堀川の東北、東西1丁(109m)×南北2丁(218m)で、
現在の徳川二条城の大手門に面した堀川通りの1丁東、油小路〜西洞院までの東西1丁(109m)、
八坂神社から続く四条通りの一丁北、錦小路〜(1丁)〜蛸薬師〜(1丁)〜六角通りまでの2丁分(218m)。
南半分は元・本能寺の堂塔伽藍、北半分に信長の書院や奥表御殿を配置して、周囲を水濠で囲んでいたとされてきたが、
去年2018年、マンション建て替え工事の際、北半分を発掘調査した結果、建物の痕跡はなく、畑だったことが判明。
つまり蛸薬師〜錦小路の南半分1丁四方に、信長の書院も収まっており、北半分の畑に光秀は大軍を展開し、信長を無防備に近い背後から襲ったと見られることが判った。
https://www.sankei.com/west/photos/180120/wst1801200078-p2.html >>885
信長に隠れて織田と武田の決裂工作するぐらいだから
(謙信からの打診もあったのかもしれん、書簡あるぐらいだし)
実際は言われている程の仲じゃなかったのかもな… それがバレて暗殺方向だった可能性も否定できないわけか…
もし信長がそれ知っていての安土のアレだと考えるとまじ恐ろしいな
人間本気で怒ると罵倒とか暴力とかじゃなく笑顔で接するもんらしい >>814
1年前のレスですがこの逆説は信憑性があるのですか >>885
自称子孫の珍説は、全く鳴かず飛ばずのスカだったな >>895
河尻死んじゃって詳細がわからなくなってしまっているけど
織田方が武田と徳川のことについてどこまで情報をつかんでいたかで
変わってくることもあるんだっけか
そういえば静岡県の郷土史家が機関誌で河尻(織田)から発給された書状が
発見されたりそういう話があるのは県内における武田支配分内でも徳川の影響が
小さいエリアに集中する傾向が見受けられることを疑問指摘していた なぜ明智が信長に謀反起こしたか俺っち知ってるよ
実際心のタイムリープして当日の朝、京で見てきたからね
凄かったよ水色の旗の数が、そこらじゅうにあんの
そいや信忠逃げればいいじゃんとかいうけど、信忠の家来にスパイいたから
無理だったんだよね、むしろ信長囲めたのもそのスパイによるところが大きかった
京の鷹司家のあお >>904
やっぱり身分の低い者をたくさん雇い過ぎたな なんとかのおお返しとかもう絶対やん知ってたやろみたいなwww
これタブーなのか知らんけど絶対に語られないよなwwww 侵略や虐殺、人権弾圧をしてはいけないことは子供でもわかる。そんなことをする人は、いささか社会人としての常識に欠けるのではないか? >>910
__,,,,,,,,,_
, - ' ゙ ゙` ‐ 、
,r'" `>'"二ゝ
/ 彡lllll',ニゝ
. / 彡lllllll
/ .彡llllll
. /___ 彡llllノ
. ! `゙ ' ‐''゙゙゙゙゙''ー 彡,、、
l┬,.、 / _,,,__ '´r、 l
|`''''''' / `'┴''" 〉 ,l |
! / .//
',. ,' ン
',. 〈 ヽ i ≡
', `'' ''' ´ l | お前それ戦国時代でも同じ事言えんの?
゙、-‐'' ,、、ニ''ー- ノ |
,,,,,,,,,、ゝ `二´ / l`〉'''ー┬―――
l `,、 ,、- ' ./ /| |
. l l ヽ、,,,、.r''" / ./ | |
| | | l / ./ | |
. | | | | / / .| |
| | | | / / .| | >>902
東部の裾野市では当時から信貞は甲斐善光寺へ向かう途中に
家康に殺されたと伝わっているそうだしキナ臭いね そもそも如何に有能とはいえ中途採用の外様である光秀を重臣筆頭にした信長が悪い
同じく中途採用外様の荒木を出世させその後謀反起こされて痛い目に遭ったことを忘れたのかとか >>914
秀吉は中途採用になるんかな?
信長に仕える前に松下に仕えているし。 2020年の大河ドラマの主人公は、明智光秀。その生涯は、多くの謎に包まれている――。
●美濃源氏の名門・土岐氏の一族出身だった!?
●将軍になる前の足利義昭に仕えた足軽衆の一人!?
●織田信長の正室・帰蝶(濃姫)とは縁戚関係だった!?
●比叡山焼討ちで率先して、なで斬りを行なった!?
●行政官僚としては優秀だったが、戦さ下手だった!?
●ルイス・フロイスからの評価が辛辣だった理由は?
●戦さに次ぐ戦さによって、過労で倒れていた!?
●本能寺の変を起こした動機は、書状に書いてある!?
最新研究を元に黒鉄ヒロシ先生が、漫画で"一筆両断"!
織田信長の史料としてよく知られている『信長公記』に対抗して、著者独特の語り口で、縦横無尽に明智光秀を描く、まさに"光秀公記"というべき作品。 >>915
秀吉は中途採用といっても20代前半から信長のところにいたからなあ
40過ぎてから中途採用の光秀は当時の平均年齢から言えば
とっくに初老の域に入ってからの主君替えだし >>918
>黒鉄ヒロシ先生
>黒鉄ヒロシ先生
>黒鉄ヒロシ先生 >>916
秀吉は尾張出身だし下っ端からの叩き上げだから外様ではないと思うな >>922
親の代はともかく(信長だって親の代まで斯波氏の家臣であったため)
丹羽長秀本人は15歳の元服当時から織田信長にしか仕えたことがなく
外様ではないだろう 濃尾平野から中山道への出入り口(要衝)土岐は岐阜の語源だからね 岐阜は「土岐の高台」という意味か…沢彦和尚GJ!
ちなみに、
阜の十を取り除いた上半分は、何かが上下に折り重なってる様子で、岩石が折り重なるような断崖絶壁の高台に建つ、岐阜城に相応しい。 土→安土(安らかな土岐)
岐→岐阜(土岐の高台)
信長は、道三と超名門土岐源氏の明智小見の娘である正室(美)濃に贅沢させるために、豪華絢爛なお城を建ててたんだよw
細川藤孝と共に将軍義昭の元側近だった光秀が信長に仕えたのは、従妹の正室(美)濃がいたからで、信忠が濃姫の実子でなかったから本能寺の変を起した
怨恨(領地召し上げ&秀吉配下に)説、四国説、義昭黒幕説、衝動(鴨ネギ)説など、色々あっただろうが、信忠が濃姫の実子だったら、光秀は変を起さなかったかもしれない
明智光継(子→孫)
→光綱(兄)→光秀
→小見(妹)→帰蝶 …信忠(養子) 最高の参謀・光秀を召し抱えたことで、光秀の助言に従って天下統一を実行し、晴れて「向かうところ敵なし」の天下人になれた信長だが、光秀が武田滅亡の祝勝会でつい「我(ら)も骨が折った甲斐がござった」と本音を漏らしてしまったことで、
その瞬間、信長は、自分が光秀の天下(再)統一計画を実行するための操り人形(手先)にされただけだったことに気付いてしまったw
それ以降、信長の「光秀憎し」の感情が抑えられなくなり、光秀の仲介で恭順の意を示してきた四国長曾我部への対応を(逆切れ的に)変え、三男信孝の武功とするべく征伐することに決めた。
京都巨椋池畔・槙島城の変で信長が主君義昭を追放したように、本能寺の変で光秀が主君信長を誅した。
違いは主君が正式に(天皇の家来である)将軍職に就いていたかどうかに過ぎず、
このスレに集う賢兄姉なら、かつての「義昭-信長」の関係がそのまま「信長-光秀」の構図に置き換わっただけであることに気付かれよう。
つまり(信長家臣では光秀以外に主導できなかっただろう)↓「三官(関白・太政大臣・将軍)推任」を信長が受けていたら、本能寺の変は起きなかった(最悪でも生け捕り→畿内を追放されていた)はず。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%81%B7%E6%8E%A8%E4%BB%BB%E5%95%8F%E9%A1%8C >>929 >>930
岐阜城の金箔瓦や豪華な庭は
信長がルイス・フロイスらの訪問客に自ら案内して自慢していたもので
濃姫関係ないんだが
濃姫隔離スレの奴が出張してきてるなw 山崎の戦いでは負けた明智が悪いんだって!
勝った側は何も悪くないって。 信長は本能寺の変まで何度も裏切り、謀反をやられていた
松永久秀、荒木村重、浅井親子等彼らはすべて非尾張衆
尾張衆は信長の尾張統一以後は誰も背かなかった
光秀の軍団に与力としての尾張衆がいなかったのが信長を殺せた理由 いや、本能寺の変で襲撃した雑兵たちは誰を殺すのか聞かされておらず
信長の命令で家康を殺しに行くと思ってたんだろ
実際、山崎の戦いでは偉いことになったと秀吉の大軍を前に総崩れ >>937
毛利に匿われていた足利義昭と光秀が連絡とってた形跡なし
そもそも都落ちする義昭を見捨てて信長の直臣になることを選んだのは光秀だし 光秀は本能寺後慌てて各地に援軍の手紙送りまくってるんだが
そのときに自分は毛利の家来になりました
毛利に義昭公の後見人をお願いしていますと書けば済む話 足利の家来にはなっても毛利の家来にはならないんじゃあない? >>943
足利義昭の身柄は毛利が預かってるのだから
毛利と交渉しなければ義昭と連絡とらせてもらえない 織田の天下はどこまで続いたんだろう?
光秀がいなかったら
豊臣の天下は家康と和睦して家来にせず、完全に潰していれば秀頼までは安泰だったのでは? 秀吉と義昭の関係もそんなに悪くはなかったんだよな
将軍になるために養子縁組をお願いしたが断られる話は大河ドラマを鵜呑みにしてたな
秀吉は将軍よりもずっと格上の関白になったわけだからね >>945
家康と北條が組んだらやっかいだ。
秀吉・毛利・上杉VS家康・北條・伊達・島津でどうかな? >>947
本気で何度でもいけば秀吉の勝ちは間違いないと思うけどな
ただし母親や妹までも差し出して和睦したのは相当に家康を恐れたのは確かだ
正宗にとっては家康が生き延びて、後に徳川幕府でも指折りの大名になれたんだから、家康が1度軍門に下ったのは幸運だったな
秀吉は毛利も上杉も徳川も、自分の子飼いよりも上の扱いをした
でも家康はまるで逆なんだな
前田はまつを人質にはだしたものの生き残り、黒田もいい扱いをうけたのは加藤や福島と違って息子の代になってたからだろう まだ誰も書かれてない本能寺の変における動機と言うか経緯の証拠ならあるけど
次のスレ言ったら書いてもいいかな >>949
天下人を目指す秀吉は信長がやり残した九州、四国征討が残っていたので
そっちにかなりの軍隊をさかねばならず家康にかまってる暇がなかったんだよ
その点、地方大名にすぎない家康はすべての軍隊を秀吉戦に差し向けたわけで
母と妹をやれば説得できると分かってたからそっちは母と妹に任せた
家康が豊臣政権で太閤の義弟としてのし上がるきっかけにはなったが
朝日姫は1年半ほどで母の看病を理由に家康のもとを逃げ出し
以降は兄秀吉の聚楽第で大政所とともに暮らしてここで没した
恐れていたというほどではないと思う
家康も秀吉が生きてる頃には豊臣姓を名乗り
秀吉に最も近い身内として豊臣家の一員としてふるまっていた 家康暗殺を託された光秀が悩んだ結果、信長を殺したというのが真相。 >>952
自称光秀子孫・明智憲三郎はそう言ってるな
信長から家康殺害を命じられた光秀
しかし心優しい光秀は家康が可哀相で仕方なく
深く思い悩んだ末にこのことを家康に打ち明ける
家康が出した結論「一緒に信長を討ちましょう」
本能寺の変は光秀家康共謀(首謀者は家康)だと言ってる >>951
もちろん本気でかかれば秀吉の勝利はまちがいなかっただろうね
家康も勝てるとみたら和睦はしないだろうから
でも江戸に引っ込めたのはやはり恐れたからじゃないのかな? >>953
家康が事変後全く光秀に協力して無いのがおかしいだろ。秀吉に漁夫の利取らせても家康にはなんのメリットも無いから。家康が秀吉に光秀が撃たれるのを黙って眺めてたのは説明出来ない。 よこだが
家康は旧武田領での火事場泥棒が忙しかったんじゃねぃ 全部知ってた家康なら秀吉の天下の世界で家康の立場が保証されるように裏工作ぐらいしてるはずだけどな。
小牧・長久手みたいな事態にならないように手回しできたはずだがそれもしてない。
明智憲三郎史観では伊賀越えは無かったようだが知ってて火事場泥棒図った割には手際が悪いし、秀吉にまんまと天下取らせてるのはやはりおかしい所。
武田領の火事場泥棒はともかく秀吉天下の期間は家康にとっても本意ではなかったはず 家康は伊賀越えの後、すぐに兵を出しているけど、明智説ではこれも光秀支援のためということなのか?
本読んでないからわからん 巷に溢れ出した光秀本、お勧めがどれですか?
基本的な知識があったり本能寺の変について一定程度以上学んでいる人は、
乃至政彦氏本なんか、好いかもと思いますが。
それとも安定の金子拓氏?
吉川歴文ライブラリーを信頼して諏訪勝則氏本? やはり金子拓氏のが良かった
乃至氏のは史料解釈が?となるとこがあったかな
惟任性の解釈のところはちょっと面白かったけど
諏訪氏桐野氏藤田氏早島氏のは出るの来月だよね >>961
藤田の名前なんか出すなよ
義昭黒幕説にいまだにこだわってるのに 962アンカーミス
〇 >>960
× >>961 乃至政彦のはネットからパクっただけ至るところに記事書かれてる >>875
この頃の織田に氏政を牽制する必要なんてまずないんだがな…
娘をやると自ら北条に言っているんだからそうなれば
むしろ邪魔なのは家康と梅雪だよ
まあ松姫が生きているのが判明したことで各々の目論見が
良くも悪くも変わったのも否めんけどな 藤田達生の「本能寺の変」を立ち読みした
文庫版のための新章を追加しているが、
鈴木、藤本らに論破されたという認識はないらしい >>967
氏直の生母は信玄の正妻腹の娘で梅雪嫁の姉なんで
穴山は利用価値あるとみるかないとみるかだね
夫婦そろって武田という看板に妙な執着があったみたいだから
結局粛清コースをたどりそうな感じだが…
家康はそういう意味ではすでに論外なんだよな >>969
氏直の生母・黄梅院は三国同盟で武田から北条に嫁いだが
氏直が5歳の時に武田信玄が同盟を破って北条領に侵攻したため離縁され
氏直を北条へ置いて武田に返されている
武田へ返された黄梅院は失意のままそれから間もなく20代で早世
母が武田出身とはいえ氏直幼少期に離縁された上に早世しているため
あまり氏直と武田の縁は強くないと思う レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。