NHK大河ドラマ「真田丸」質問解説スッドレ [無断転載禁止]©2ch.net
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「真田丸」を見ていまいちわからなかったことや疑問があったら質問ここで >>199
それはわかる
ただしそれならそれで一切「時代劇風」なセリフを使うなって話だよ 時代物のドラマったって昔の言葉の鑑賞が目的ではないからな
人間を描くものなんだから
決まりきった時代劇のセリフじゃなきゃ感じが出ないというのは頭固すぎると思う 普通のとは別に本物の昔の言葉を聴けるものも見てみたい。字幕つけて。 >>201
その当時で、書き言葉が出来ない奴が、そもそも手紙を書くんか? 村松殿が記憶を戻す回の布石回
コラーゲンとかヒアルロン酸って言ってしまいそうな会話だったよね しかし、きりのことばっかり文句つけられてるけど、千利休にはあまり文句言わないんだな
きょうびの関西弁が発達する前の時代やで
ぜんっぜん、今とはちゃうかったんやで >>213
関西弁の「発達」ってなんや?
関西では昔っからこの話し方しとんのやで
お前がTVで見聞きする芸人の言葉は芸人語や
あれはよしもとで学ぶもんや >>215
例えば、
である→でぁ→ぢゃ→や
「や」になったのは新しく、幕末から明治にかけて 一昔前の関西弁をつこてるだけやね 尾張弁もそうやろ
これも分からんからやろし、 まぁ大河ドラマは所詮関東人向けのドラマやさかいなぁ。 東海道中膝栗毛「くらわんか舟」
「飯食わんかい。酒飲まんかい。さぁさぁ皆起きくされ。良う臥さる奴らぢゃな」
「こりゃ、飯持て失せぃ。えぇ酒があるかぃ」
「そっちゃのわろはどうぢゃいやい。ひもじいそうな顔してけつかるが、銭無いかい」 >>222
昔の「かえ」の「え」が「い」になってるだけやろがいな。
バリバリの現代語やし
「かい」が母音融合したところは「け」になってるね >>216
君、関西弁(漫才言葉)と京都言葉を勘違いしてないか?
もともとの関西弁は京都言葉が広まっただけだ 「おあん物語」
子どもあつまりて おあん様
むかし物がたりなされませ と言へば
おれが親父は山田去歴と言て
石田治部少輔殿に奉公し
近江の彦根に居られたが そのゝち
治部どの御謀反の時 美濃の国 大垣の城へ籠りて
我々皆々一所に 御城に居ておじゃったが
不思議なことが おじゃった
夜な夜な 九つ時分 男女三十人ほどの聲にて
田中兵部殿ぉ 田中兵部殿ぉ おめきて
そのあとにてわっと言ぅて泣く聲が 夜な夜な しておじゃった
怖どましやおどましや おそろしう おじゃった
そののち 家康様より 攻め衆 大勢城へむかはれて
戦が夜昼おじゃったの‥ 朝鮮征伐はまああの程度にとどめて置くとクレームが少ないのかな。 >>219 大河の太平記で、武田鉄矢の楠木正成は関西弁しゃべってなかった。 大河ドラマの世界では京阪式アクセントが使われるのは戦国以降だな
清盛や太平記、花の乱で京阪式アクセントを使うものは殆どいなかったはず
戦国以降だと堺の商人や京の公家に関西訛りが多くなる 武骨な熊本人からすると関西弁はオカマっぽいらしい。
確かに、都の言葉の流れやし、その面はあるとは思う。 >>232
そうなんや。やっぱり、関東人向けのドラマやから
あくまでも中心が関東に移ってから、地方の訛りとして扱いたいんでしょうね。 ♪あ〜じ〜よ〜しのう〜り〜
めされそ〜おぉら〜え〜 ♪ 瓜ってこの時代あったんだな メロンじゃん フルーツじゃん フルーツじゃ無いじゃろ。
そのままじゃ味が無い、漬け物じゃろ?
マッカじゃないじゃろし。
瓜の漬け物はのうなったのう。瓜はいかにも、昔の田舎の食べ物いう感じやさかいのう。 >>235
基本は御所言葉だし
そこを強調するとアズマってのがバレちまうからなw 東京の標準語ってのは薩摩長州と江戸が混ざったのらしいからな 江戸と言っても山の手言葉だけどな。江戸っ子が話す江戸弁(下町言葉)とは違う。
薩摩長州も関係ない。 ネット上で真田丸見れるとこないですか?
リアルでテレビが買えません 黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!
赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。
それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3) でやんす ありんす てやんでぇい 手鼻ラーメン
これが江戸弁 ひつもん。
なんで戦国時代の人ってミドルネームがあるの? 真田源次郎 信繁とか
何で名前が二つあるの? どれが本名? 戦国時代じゃなくても、少なくとも平安時代くらいからはある
真田(名字)源次郎(仮名)信繁(諱)
おそらくは諱を直接呼ぶのは失礼という考えがある中国の影響
長男なら源太とか太郎とか、次男なら次郎とか長序が分かる単純な仮名がつけられるのが普通
官位があれば、あるいは官位を称してれば真田左衛門佐のように呼んで識別するのが一般的だが官位がないとそれもできない
したがって真田源次郎、という風に呼ぶ必要性が生まれる
明治になって仮名と諱が統合されたから現代人からするとよく分からなくなっている
ちなみに名字の他に源平藤橘のような姓もある 姓と名字も明治の時に統一されたから違いが判りにくいよね。 サンクス
姓と苗字も違うのか…!
じゃあ俺も仮名を付けるかぁ 例えば徳川家康をフルネームで書くと「源朝臣徳川次郎三郎家康」または
「徳川次郎三郎源朝臣家康」となる。源は本姓(ほんせい)、朝臣(あそん)は姓(かばね)、
徳川は名字、次郎三郎(じろさぶろう)は通称、家康が諱。
かばねは古代史で出てくる臣(おみ)とか連(むらじ)と同じもの。本来はいろいろあったんだけど
ある時期までに朝臣に統一されたような状態になってしまった。
次郎三郎は仮名のうちの通称に当たる。兄弟の中の順番を表す排行名に見えるけど
実は代々同じ名を名乗っている。江川太郎左衛門と同じ。 姓は同じものが代々受け継がれてゆくのだけど、同じ姓の人でも住んでる地名を冠して言わなければ分かりにくくなった
それで二条の藤原さん、九条の藤原さん、近衛の藤原さん、‥
新田の源さん、足利の源さん、徳川の源さん‥などと区別できるようになった 中韓は姓なので日本みたいに新しい苗字など増えてゆかないから、姓の種類が少ない >>264
マジか… スペイン系の名前にも劣らない長い名前だな
平民はどうだったんだ? やまのふもとに住んでりゃ山本、村の中心なら中村、てなもんだろ
姓は‥馬の骨の子孫だからそんなものはない 今は下級国民でも教育受けて字くらい知ってるけど、昔は文部省も学校もなかったから、下々は字も読めなかった
兼家とか家康とか正武とか徹とかの難しい諱なんて付けられるわけもあんめぇ 諱?調べたら死後付けられる名前って書いてあったが、、 >>270
何を見たんだ?死後に付けられるのは諡(おくりな)。
諱は「いみな」だ。忌み名という意味があって大事な本名だから他人が
みだりに書いたり呼んだりすることは憚られる。 草燃えるというドラマでは
ほうじょうのまさこ
わだのよしもり
という言い方をしていたけどこれは間違い?
地名にのをつける言い方は今でもするので間違いとも言い切れない気がするが 一般的に本姓には「の」をつける。名字にはつけない。
と言われてるが反例もあるのではっきりどうとは言い切れない。
例
みなもとのよりとも
たいらのきよもり
ほうじょうまさこ
とくがわいえやす
反例
高師直(こうのもろなお) 高は名字で本姓は高階。
本姓は朝廷に与えられるか認められる必要があって勝手には名乗れない。
どこの馬の骨かわからない人間は過去に朝廷が認めた源氏とか藤原氏とかの子孫を
勝手に名乗るのが普通。
真田丸で秀吉が「とよとみのひでよし」と名乗っていたのは本姓を持たない下賎の出の秀吉が
朝廷に豊臣という新しい本姓を認めさせたということを強調したもの。 >>192
160センチぐらいだったというのが甲冑から言われてる。
大男だったという記述が信憑性のある史料では全く出てこないのと合わせて考えると190センチだった可能性より160センチ前後だった可能性が高いだろうという話みたい。
実際は会って測った人しか分からない。 >>184
しかもその虎は既に他の人の武器で傷付いていた手負いの虎だっという話だね。 >>174
土木工事の天才とされていて清正は他の城の縄張りやら重要箇所の割り当てを多数こなしていたらしいけど。
清正自身が専門知識があったというより、恐らく優秀な石積み職人や大工集団を抱えていたということのようだけども。 辞書アプリで
いみな【諱】
死後,その人をうやまっておくる称号。おくりな。
って書いてある 粟津出身の人が普通に粟津さんと呼ばれ続けて通り名になってたりしたな
上杉家とかの家来の農民に「名字の名主」ってのがいる
刀狩り〜戦後の時に、功績のあった人々を武士と農民を分けないといけなくなって
その時に武士より農民を選んだ名家がわりといる
家の格としてもそこらの武士より高かったよ
もちろん名字、帯刀も許されてる ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 >>277
もうちょっと詳しく書いてあるWikipediaなど見れば、それは間違いとわかる お茶の栽培でも中国本土からダイレクトに伝わったし稲作もダイレクトなのは動かし難い
栽培不可の土地を伝わったと考えるのは解しがたい >日本では時代が下ると、僧侶の受戒が、俗人の葬式で死者に授戒し戒名として諱を与える儀礼として取り入れられた。
>このため、現在では諱は諡と混同され、現代日本語ではしばしばほとんど同義に使われることもある。
まさにこの混同が起こってるな
諱(いみな)と諡(おくりな)は本来別物 地侍の堀田作兵衛って小汚い服着て、百姓みたいな生活してるけど、
あれ江戸時代で言えば庄屋でしょ?
戦国当時だってもっと小綺麗な暮らししてたんではないのか? スレとは関係ないけど、名字の名主に対して、家柄町人というのもいた
一般人が城に上6がるには名字が必要だったから
庄屋さんは名字あるね
地侍でも小作農に働かせるタイプは世間が安定しないと難しいんじゃないかな
部下を納得させられるだけの働きができなけりゃ贅沢は難しいでしょ
演出もあるし >>281
そんなオカシな事言ってる考古学者は一人も居ないぞ台湾褐色ブタ広鼻ロイド。 >>283
地侍=庄屋ではない。
地侍ってのは基本的に自作農で小作人を有期限、無期限で抱えたりもするけど家族のみってのも多い。
小作人いるところは戦に行く時にそいつらを従者として連れてくけど、他の地侍を傘下に置くことはない。
地侍は組親と呼ばれるようなそれこそ庄屋クラスの国衆とか大名配下の侍の指揮下に入るのが基本。 最後は信繁が秀頼連れて鹿児島に落ち延びて天草四郎が生まれるとこまで描いたらいい 最後は天草四郎が美輪明宏に生まれ変わるところまで描いたら良い ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 >>291
マルチは辞めろ
稲作は半島になんの縁もない 秀吉一家は大納言になろうが関白になろうが秀次を「孫七郎」と呼んでるのに
真田一家って本当に官位コンプレックスだな
昌幸は正式に任官されてないのに安房守って自称しつづけたし 孫七郎の娘は源次郎と子供産んで東北の方で で暮らしたのか、ルソンに渡ったのかどっちやねん?? >>298
この大河上ではルソンに渡った後、ほとぼりが冷めた頃(例えば秀吉死後)に
日本に戻って信繁の元に行って、娘を産んだって事になるんじゃないかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています