NHK大河ドラマ「真田丸」質問解説スッドレ [無断転載禁止]©2ch.net
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「真田丸」を見ていまいちわからなかったことや疑問があったら質問ここで >>333
江戸時代でも武家奉公が終わると百姓に戻る一代武士も余裕でいるよ。
兵農分離もあくまでも中世に較べるとという相対的なものでしかない。 >>334
>>338
ありがとう
梅の家が武士って言われてもどう見ても農民だし
出浦さまは素羽で武士でってどういうことなんだろうと思ってたけど
はっきり区別されてた訳じゃないんですね
納得できましたありがとう >>339
網野善彦の日本の歴史よみなおすっていう本読んでみたら?
身分はともかく、職業の境目が曖昧で武家の縦社会が整ってからも実は士農工商という分け方ではとても社会を説明できないということに色々納得させられると思う。
チャンバラ時代劇、英雄的人物から見るという視点では全く見えないものが見えるきっかけになると思う。 >>340
おすすめの本を教えてくれるのも有難い
ありがとう! BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。 >>337
院領荘園には八条院領と長講堂領の2系統がある。
どっちが治天の君となるかで争い、遂に南北朝分裂へ。 八条院領が鳥羽上皇系でのちに大覚寺統、長講堂領が後白河法皇系でのちの持明院統?
元々の大元は…って美川圭の本開くの横着してレスしてるw 猿飛佐助
霧隠才蔵
三好清海入道
三好伊三入道
穴山小助
由利鎌之助
筧十蔵
海野六郎
根津甚八
望月六郎
この中ですでに登場してるのは猿飛佐助だけ? ハッキリとのちの十勇士となる人は佐助だけかな。
ひょっとしたら今までに既に登場している人物が何かのきっかけで名を変え十勇士になるのかなと予想。 BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。 太閤殿下、亡くなられたのう。
ほいから忍者の井手浦氏ものう。 >忍者の井手浦氏ものう
忍者っぽい行動は7日だけだったけどな 井手浦はまだ死んでないだろ。
刀傷と大やけどで瀕死だけど。 死んだかと思ったけど有馬温泉で湯治してるらしいからそのうち出てくるな。 家康の嫌な感じいいわwwwあそこで誰か刺さなきゃ。官兵衛だったらやってたかね? どうせほとんど現代語のくせに、源次郎が「誰」を「たれ」と発音してるのだけが目立ってワザとらしくて気持ち悪い。 真田十勇士のうち、せめて穴山小助くらいは登場させてよ BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。 政治の専権は関白師通、堀河親政、白河院政と移動したのか
治天の君の権力基盤としての荘園の結びつきはは鳥羽・後白河以降のものと考えていいのかな 真田の孫が女子を手籠めにして手傷を負わせ、取り押さえられた由
孫は一話収録と云ふが、降板じゃな
菊亭の女とやらは針の筵で御座ろう ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルは稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 信玄公がってセリフ多いけど真田からしても甲斐の武田は侵略者じゃねえの? 確かに幸綱の時代はそうかも知れんが、昌幸にとっては小姓の頃から目をかけてもらった唯一無二の主君よ 信虎が諏訪・村上と組んで真田含む海野一族を駆逐
同じ年に信虎が追放されて5年後くらいに幸綱が信玄に帰属
なので真田は信虎にやられて信玄に救われた感じかな 関ヶ原の戦い(関ヶ原合戦)と大坂の陣の違いは何?
関ヶ原合戦で一応家康を大阪城から江戸に追い出せるのかな
その後にまたしつこく攻めてくるのが大坂の陣か ってか江戸時代っていつからだ?そろそろだよな
今から起こる試合で一応家康が勝って江戸時代だろうか?
しかし上杉攻めに行ったのにそれがそのまま東軍になるってのも変な気が。 元々は仕合いとか殺し合い。
当て字になったり、頭の一音抜ける慣用からしあいという音が普通になり字も試合と当てられるようになった。
『戦いとは何ぞ也』民明書房刊 >>371
実権を奪われたのが関ヶ原の戦い
命を奪われたのが大阪の陣 >>371
1600年の関ヶ原の戦いで家康は三成ら反徳川勢力を叩き潰し、三成みたいに殺したり
長曾我部みたいにお取り潰しにしたり上杉みたいに二度と逆らわない忠犬にした。
これで徳川の天下に逆らう者はいなくなった。
しかし大坂城にはまだ秀頼と淀がいて天下人になる夢をあきらめない。そこで
1603年に家康が征夷大将軍になり江戸幕府を開く。ここから江戸時代。
それでも淀は諦めないので自分が寿命で死ぬことを恐れた家康が大坂城を攻めることにする。
そして大坂城は落ち淀と秀頼は死んだのだった。 ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 伊達政宗って、自分は絶対攻められないって分かってたか、誰(徳川含む)かに言われて徳川煽ったの?
家康天下とってからも重用はされないけど、騙されたアホかやる気なかったダケなの? 直江状の上杉家はかっこいいけど敗戦後が情けないよな でも実際の上杉謙信ってああいう、コーヒーのCMが似合いそうな人だったの?w 上杉景勝を義の人扱いってどうなんだろ
後継者争いを綱渡りで制したのに、味方した連中に報いるどころか粛清・排斥して身内だけで固めたクソ野郎だよね 義の人扱いされてる?
というか義の意味勘違いしてないか?
今回の景勝はお人好しで人の話を簡単に受け入れるけど、結局力不足で口約束破って相手を幻滅させる役どころ。
そのあと処理を兼続が厳しくしないといけないから手間が掛かるだけでしんどいわ!っていうかなりのトラブルメーカーなんだけど。 今日の放送の
大谷吉継と石田三成が書状書いてる場面で
花押と思われる印を判子で押してたんだけど
そんなことあり得るの?
なんか花押は手書きのイメージしかないけど。 景勝にしろ家康にしろだが、人間臭ささをだそうするあまり
演出過剰でドラマがこってりしすぎてて、見てて疲れる
素直に楽しませてくれよってのが、正直な感想 >>384
「花押を版刻したものを墨で押印する花押型(かおうがた)は、鎌倉期から見られるが、
戦国期になって広く使用されるようになり、江戸期にはさらに普及した。この花押型の
普及は、花押が印章と同じように用いられ始めたことを示している。これを花押の印章化という。」
ソースはwikipedia チョイ役の人物造形は史実(結果)からの引き算で作ってるんだろうけど遊びがなさすぎてつまんないやつだらけ 中国から三蔵法師が渡来して、隠神刑部の奇病が治ることを祈っております。 なんだか最大の見せ場親兄弟の別れが終わって
上田の戦いサラッとやって関ヶ原は図上解説で終わりそう
真田兄大して活躍してねえし
年末まで九度山の隠居生活延々とやって冬の陣夏の陣一周づつやって終わりと見た 半兵衛は本能寺の変前には亡くなっている。
官兵衛をだすと真田家が霞む。 >>393
大納言・中納言・少納言の総称。ものもうすつかさ。のうごん。 >>396
何かと言えば朝廷の官職。何するかと言えば大臣を補佐する次官。 ですよね?朝廷(天皇家)の仕事ですよね
しかし田舎に帰った上杉が中納言らしいのでどういうことかと。 豊臣政権のトップである秀吉は朝廷の権威に基づく関白として政治を行ったので、
部下である諸大名やその家臣にも朝廷の官職を与えた。
俺も詳しく無いけど関白である秀吉と公的なお付き合いをするためには官位官職が
必要になるらしい。
上杉景勝は中納言、直江兼続は山城守、源次郎は左衛門佐、家康は内大臣、
みな朝廷の官職を持ってるけど実際に朝廷の仕事をするわけでは無い。 安房守、伊豆守、左衛門佐、治部少輔‥みんな朝廷の官職名だが >>399
>必要になるらしい。
そういうルールが朝廷や公家社会にあるらしい。
ちなみに天皇の御殿に上がるためには官位が必要なので天皇がご覧になりたいと言えば
五位鷺とか象とか動物が官位をもらった例もある。 ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 <平家物語 巻五 朝敵揃>
延喜御門(醍醐帝)、池の水際に鷺のゐたりけるを「あの鷺取って參らせよ」と仰せければ、鷺、羽繕ひして立たんとす。
「宣旨ぞ」と仰せすれば、ひるんで飛び去らず。
これを取って参りたり。
「汝が宣旨に從つて參りたるこそ神妙なれ、やがて五位に為せ」とて、鷺を五位にぞなされける。
ただ王威の程を知ろし召さんが為なり。 >>398
簡単に言えば役職によって率いることのできる兵士数の上限が変わる
高位ほど多数の兵を率いることができるから
戦で有利になる 関白と征夷大将軍どっちが上
亭主関白太政大臣が大蔵卿の局の言いなりに為るが如し >>384遅レスだけど
花押の話見てないから分からないけど
花押を判子にしたのを花押型っていうんだけど、
そもそも判子と花押ではどっちが丁寧というか礼式が高いかというと花押の方
花押は一つ一つ手書きなのに対して判子はポンポン押せるからね
大名が家臣に出す書状でも初期の頃は花押が多かったけど、大名権力が確立されていく中で略式の判子に推移していく
こういう観点から見ると花押型はその中間ってことになるね >>408
ドラマでは大谷と石田が諸大名に送る檄文を大量に書いた場面なので
花押型を押したと思われる。特に大谷は既に字も書けない状態だし。
大谷の檄文を三成が代書するんなら三成自身が書けば良さそうな気もするが。 史実になるべく沿うって方針らしいが上田城門前で信繁が馬に乗り本多佐渡にヤキモキ
させるってのは作り話なのか? >>393-401
室町〜江戸時代の武士の名前は朝廷の官職名だらけ。
半兵衛や官兵衛の「兵衛」、明智左馬介、松永弾正
酒井雅楽守、伊達兵庫、井伊掃部、
大石内蔵助、大石大学、大石主税、浅野内匠頭、・・・等々 >>413
それっていわゆる通称だよ。名前自体は源三郎とか源次郎とかちゃんと持ってるから。
公式記録に載せる時はそのときのその役職が誰だったか示す為に、
家外の人がその人を呼ぶ時は敬称の意味で役職名で呼んだんだろうね。 >>413
>大石内蔵助、大石大学、大石主税、浅野内匠頭、・・・等々
大学は浅野じゃないのか? ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 >>413
官位と通称が混じってるよ。雅楽頭とか内匠頭は官位。
内蔵助や主税、大学は通称。昔の官職名にあるならそれ由来の名前なんだと思う。 諱(忌み名)、実名を呼ぶのは失礼っていうのが前提にあって、代わりの名前で呼ぶっていうのが昔の通例
元服した時に諱を名付けるけど、通称とか字名って言われるものはだいたい順番的に輩行名→百官名→官途名→受領名って名乗りを変えていく
百官名から官職に因んだ名乗りを始めるけどもちろん僭称
朝廷から正式に補任されるのはひと握りの人だけ 良雄と実名で呼ぶのは失礼なので内蔵助の呼び名を使う
同じく信繁でなく源三郎 地元の者だけど
真田氏ってすごい全国規模の武士だったんだな。知らなかったよ。
関白秀次の娘とか大谷行部の娘とか、家康の義理の娘とかと結婚してる。
石高でいけば松本藩も肩を並べるんだが
親藩大名で引越しが多い。
というか初代松本城主の小笠原氏は鎌倉・室町幕府時代の守護大名
一応武田信玄と戦うんだけど周りがついてこない。
その後は江戸初期50年くらいの間に5人くらい殿様が変わって
その次80年くらいを一家で治めて、最後の水野氏が100年以上の治世。
江戸も落ち着くまで50年くらいかかっているんだな。
ところで鎌倉・室町時代に、真田氏の当たりに海野氏という豪族がいて
その部下が山を越えて安曇野に進出し各地に勢力を広げていくんだが
真田氏の時代、海野氏はどうしてたんだろう。
どなたかご存知の方教えてください。 >>420
『加澤記』に「吾妻三原の地頭、滋野の末羽尾治部少輔景幸と云う人あり。
嫡子は、羽尾治部幸世道雲入道、二男 海野長門守幸光、三男 同 能登守輝幸と申しけり。
道雲入道は、生害ありて、舎弟二人は越後の斎藤越前守に属しける。
斎藤没落の節、甲府へ忠節ありて、三原郷御取り立てあって、天正三年夏の頃、
岩櫃の城を預けられ、吾妻の守護代となり、輝幸の嫡子泰貞は、矢澤薩摩守頼綱の婿と
なって真田の姪婿なり云々」とみえ、また上野国志に「岩櫃城、海野長門守、
沼田の真田安房守昌幸の時、城代なり」とみえるのは、上野に逃れた海野氏の一族であろう。
海野氏の家系は一族であった真田氏一門が継ぎ、上田藩、松代藩の藩主真田氏に属し、
江戸時代を通じて残り今日に家名を伝えている。
これだな。矢澤薩摩守頼綱の婿とか岩櫃城城代ってまさにドラマの時代じゃん。
役者を投入してほしかったな。古代からの地元の豪族であり、真田の祖先であるなら。 >>420
我が家、常陸国海野(うんの)一族のうち。
鎌倉時代に始祖がこちらに移住し、佐竹氏に仕えて那珂川流域に拡散したらしい。
一族が名乗った苗字は海野のほか、吽野(うんの)、叶野(かのう)、和(かのう)、滋野(しげの)など >>423
おちついたいい町ですね。
道の両側に掘割があり鯉が泳いでいる。柳の並木が続いていて。
>>424
ウイキペディアでは、海野氏は
平安時代から同族の根津氏、望月氏と並んで「滋野三家」と呼ばれ、
三家の中でも滋野氏嫡流を名乗り、東信濃の有力豪族として栄えた。
とありますね。信濃を出て常陸でも栄えられたんですね。
ここまでご先祖をたどれるとはたいしたもの。
佐竹氏は常陸54万石とか。大大名ですが家康に関が原の件で秋田に転封
させられたと。自分は秋田駅から歩いてすぐの秋田城公園内の博物館で
佐竹氏の遺品展を見る機会がありましたが、立派な甲冑2両が美しく、
しばし見入りました。 常陸国は元々美人の里だったのだが、佐竹氏の秋田転封の際
美人の遺伝子も一緒に持ち去り、結果、秋田が美人の里となり
常陸は残りカスのブスの里となった、とさw ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 >>429
あの時代あんなデブが存在したのだろうか >>431
女相撲で優勝して米1俵もらってたらふく食べた半年後に時々いたらしい。
あの人太ったよね〜
そうそう女相撲で優勝してね〜
あー、なるー 平安絵巻に1人で歩けず、数名に補助されて歩いている巨漢の女の絵を
見た事がある。
見物人がそれを見て驚いてる絵だった。
一体何を食べてそうなったのか? >>433
甲状腺の病気って可能性もあるだろ
糖尿病も結構いたらしいし マイト レーヤが出てくる!
バカにはわからない!
株式市場が大暴落したらテレビに張り付いてろ!
日本語を話す長身の物静かな外人男性を探せ!
空にも気を配れ!
UFOが姿を現すぞ!!
安倍と親米ポチのせいで日本から世界経済が崩壊する!
株式市場と原発は閉鎖される!
フクシマ安全論者も、株トレーダーも、安保タダ乗り論者もオシマイだ!
このホラ吹き、守銭奴、売国奴!
危険なのはオマエラだカス!
山本太郎にひれ伏せゲスども!
マイト レーヤのテレパシー世界演説のあとは生き地獄を覚悟しろこの人でなし!
自民信者は最高に見苦しい土下座を見せてくれよ(笑) 真田幸村とか源義経とか英雄武将の実際は男前とは程遠いそうだね。
ちんちくりんでハゲで腹が出ていて歯も抜けていてみっともない容貌だった
そうだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています